はてなキーワード: 君が代とは
二日前の日曜にどうしても一日家を空けないといけない都合があって、近所のカラオケ屋を三軒ハシゴした 一人で
ヒトカラでずっと歌うのもキツいからSwitchも持っていったんだけど全店舗でツイてなかった
1軒目
2軒目
・ドリンクバーが汚い
・カラオケ&料理注文のためのタブレットが渡されない 退店1時間前にフロントに電話してようやく持ってきてもらえる
・持ってきてもらったタブレットが不具合で使えない 仕方なく電話で料理を注文する
・退店1時間前に頼んだポテトが退店6分前に来る ハニトーもこのとき同時に来る 勿論食べる時間がなくて残す
・ポテトがぬるかった
3軒目
・コンセントが調子悪くて使えない 受付に頼んで部屋を変えてもらうが、移動するときにドリンクをこぼしてしまって服がびしょ濡れになる これは自分のせい
・アイスを頼んで30分、また注文が通ってないのかと電話で確認したところ「材料がキッチンに無いので調達している」みたいなことを言われる 申し訳無い
・隣の部屋がかなり鬱陶しいタイプの学生グループで壁を殴る音が聞こえてきて不快 ウケ狙いの君が代とかも流れてきて不快
・ソファとテーブルの位置が離れすぎていてゲームもスマホもしにくい
我ながら、よくもまあこんなに運の悪い出来事が続くなと思った
俺はただゲームしながら適当に歌ってジュース飲んでだらだらしたかっただけなのに
しばらくカラオケ行かねー
雑語りをすると日本を左右に分断するイデオロギーの壁のようなものがあって、各世代ごとにホットなテーマがある
日米安保、学生運動、先の大戦による被害に対するアジア諸国への謝罪、従軍慰安婦問題、歴史教科書問題、日の丸君が代強制問題、自衛隊イラク派遣、少年法改正、派遣労働、etc.
そのどれかに強い関心を持ち、左右のどちらかに帰依してしまうとだいたい他のテーマも同じ方を支持するようになる傾向がある
左翼が騒ぐせいで電気料金が無駄に上がる、という認識というか本音はわりと多くの国民が持ってると思うから、しばらくは左翼政党は低調だと思う
それはそれとして昔、バブルが崩壊した後に銀行を救済するための法案をいわゆる右派政党である自民党が出したけど、それはモラルハザードを齎すといって左派の野党が反対した
そのうえ銀行による貸しはがしを問題視してくるし、とにかく人員整理をして自分の会社の経営を立て直さなきゃいけないのに雇用を守れといい、派遣労働改正にも抵抗してくる
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
レディース・アンド・ジェントルメン!この刹那にご注意を!今、神聖かつ壮絶なる国歌「君が代」が、力強く、炎のように燃え上がり、我々の心と魂を揺さぶります!さあ、皆さん、心を開いて、この壮大なる翻訳の波に身を任せてください!
始まりは、「千代に八千代に」、時間の荒波を超え、永遠を追求する!この国の、この王の、輝きが決して消えることなく、幾世代もの間、輝き続けますように!
次に、「さざれ石の」、自然の力、堅固なる意志を象徴する石!その石が、「巌となりて」、揺るぎない基盤、不屈の精神となり、「苔の生すまで」、緑の苔が覆い、時の証となるまで!
この歌詞は、国と人々の繁栄と永続を祈り、神秘的な力で我々を包み込んでいます!一同の皆さん、心からこの強力なるメッセージを感じ、この国の栄光と繁栄を共に祝福しましょう!
高校卒業後はアルバイトなどを転々としていたものの現在は工事現場やビルに派遣され警備員をしながら実家暮らし。
最近生活の苦しさ、経済状況の悪化、女性への怒りなどから政治、社会、歴史に興味を持ち独学で勉強を始めた。それまで知らなかったこの国の歴史や政治について知った。
そして怒りが湧いた。
君が代を歌わない、立ち上がりもしない、あえて顔をしかめ背ける教員がいること。男に甲斐性を求め多くの日本人男性が生涯未婚であるのに経済的に日本よりも厳しい韓国に渡り韓国人男性に尽す女がいること。帝国軍を自衛隊という不名誉な枠組みに押し留め、その自衛隊にすら抗議活動を行う集団がいること。天地開闢以来万世一系の現人神であり全権の保持者、行使者であらせられる天皇陛下に対して不敬を行うネットユーザー。日本のさらなる凋落と國體崩壊を目論み公金と権利を蝕む在日三国人たち。
SNSでこの問題に対する喚起を行ったところリアルで関係を持つ5人の仲間ができた。今では週に一回はお互いの中間地点にある居酒屋に集まり、プライベートな話をして飲み食いしつつ政治や社会問題、歴史問題に対する談義をしている。ちなみにメンバーは全員男性。大学卒業者、女性、若者は誰もいない。
今日も相変わらず、若者たちは政治に無関心であり、若い女性は海外にばかり目を向け國體を蔑ろにし(最も怒りを感じている。傷痍軍人を冷たい目で見ながらGIと腕を組む女性の白黒写真を見た時と同じような強い怒りを)、高学歴エリートたちは目先の金と保身のために外国に媚を売る。
外国人が國體を理解できないのはわかる。しかし、女性とエリートがなぜ日本人でありながら國體を理解できないのか。
娘を持つ親や大卒の親は子供たちにどういう教育をしているんだ。塾で英語や数学をやらせるより先に教えなければいけないことがあるんじゃないか。画面の向こうにいる朝鮮人の男にキャーキャーするより、目の前にいる大和男児を支えることを教えるべきじゃないのか。