はてなキーワード: スラム街とは
はじめに隠さずに言うべきことがある。
バイト先に15分ほど遅れて行き気まずい空気が流れた。ハァハァと息を切らし店内に顔面が汗と雨の水滴にまみれた中年男性が勢いよく転がりこんできたのだ。
季節外れのカッパの参戦にみんなが顔を見合わせていたのがチラッと見えた。
やがて年配の女性の方Aさんに案内されロッカールームでトレードマークの赤い色の服を着る。
世間と隔離され己の立場と言うシビアな現実の始まりを合図する瞬間である。
この時は後半戦に始まる筆舌に耐えがたい地獄のような出来事が待ち受けているとはこの時、私は知るよしもなかった。
20分ひたすら何もしなかった。いや、実際は何もやらせてもらえずひたすら店内で赤い服を着てカカシのように立ちすくんでいた。実は担当者トレーナーさんがいなくて、クルーのみんなが忙しく働く中で黙って微動だせず突っ立っていただけなのだ。
俺の哀れな姿に見かねたのか年配の女性のAさんから店内の掃除クルーと配膳が俺の担当にあてられた。
レシート番号札に書かれてある番号をお客様の立札に運ぶように言われた。
1発目で間違えず配膳したら「お!センスありますね」とAさんが親指を立ててグッドポーズをしてニコニコしてた。俺もつい嬉しくなりグッド返しをしたら見てくれず恥をかいた。
ゴミ箱掃除は溜まったゴミを集めて捨てるのが俺の仕事だ。しかし詰まった無理ゴミ箱をを引き出したら容量を超え地面にゴミが床に散乱してしまった。
Aさんが駆け寄ってくれアラアラと言った感じですぐに代わりに掃除してくれた。まるで赤ちゃんがミルクをこぼし後始末するママみたいな出来事が店内で行われた。
この店は都内でもかなり忙しい店のようでなぜ俺みたいなコミュ力0の陰キャな人間がこんな忙しい戦場に飛ばされたのであろうか。
やがて今回のトレーナーの方Bくんが来てくれた。俺なんかよりかなり若い男で愛想も良く明るくて安心した。
今日はこれまでの仕事内容と異なり三輪バイクに乗り配達をすることになった。あと忘れない為にメモ帳を持ってきたが書くペンを忘れ白紙のままであった。交通安全に関する動画を見て初めてのクルーの赤い色の三輪バイクだ。
しかしついてないことに天候は雨。最悪だ。屋根はついてるが横から容赦なく雨が叩きつけられる。Bくんの教え方が上手でヘルメットの首紐の外し方などもBくんが細かく教えてくれた。
初めてのバイク走行。俺がバイクにまたがるのは高校18歳の時に原チャリセピアGⅡ以来の騎乗依頼だ。とにかく前のバイクについていくのに必死。もしはぐれたら連絡先も知らないし土地もわからない。迷子になったら終わりと思いなんとかしがみつくようにBが運転するバイクに着いていった。
あととにかくヘルメットの中が痒い。ウォーズマンみたいなヘルメットを被ったがむず痒くてデコハゲが出発進行の汽笛を鳴らしていた。
しかし俺は何かヌルリとした嫌な予感がしていた。その予感は悪くも的中してしまう。
なんとこれまで静寂だったデリバリー配達にお客様から終了間際に大量注文が入ってしまったのだ。
トレーナーのBくんに「さすがに1人でやれますよね?」と笑顔で圧をかけられ俺も無理と断ればよかったのに「はい」と言ってしまった。
議員時代からの悪い癖だ。その場しのぎでなんてなくわかったフリをしてしまう。Bくんはイソイソと配達クルーに急いで行ってしまった。
夜で暗い中、いきなり初日で1人バイク配達だ。せめて最初は後ろからコーチをしてほしかったが緊急ミッションだ。星レベルは⭐︎4ランクの高めだ。なぜならまだ専用携帯アプリも習ってないしパスワードすらしらないのに美女が裸でアフリカのスラム街に飛び込むくらい危険すぎる。
もうどうなってもしらんぞ!と思ったがこんな俺すら必要だったのであろう。バイクで緊張の中で出発したが店のマネージャーさんが雨の中外にすっ飛んできた。俺が注文商品を入れ忘れて出発してしまったのだ。そんなわけあるか!と疑い深いキミは思うと思うが恥ずかしながら実話だ。
汚名挽回の為になんとかどしゃぶりの中、ズボンもパンツもびしょ濡れになりながら配達を完了させた。初めてウーバーイーツをしてそれが役にたった。
最後に店にたどり着いて夜空を見上げるとそこは冬を伝達するような冷たいスコールの拍手が全身を濡らすのにそう時間はかからなかった。
物覚えが悪く忘れやすい
ほっそい家に生まれて奨学金に頼ってなんとか専門を卒業して働くことになった、幼い頃から周りの人と合わないことが多く子供ながら友達をガキだなぁと思って過ごしてきた
社会人になり田舎の中小企業と上場企業で働いたが社員の意識の低さが異常だった、他人を敬うことを知らないスラム街で育ったような人達が多くいた
そんな環境な嫌気がさして日本を代表する企業のグループ会社に転職することにした、なんとか面接を突破して内定をもらうことができた
面接の時の自分に対する対応がいままで経験したことがないくらい丁寧で驚いた、それによりこれまで接してきた小中高専門の同級生や職場の一部の連中は知的障害レベルの頭であることがよく分かった
たまたま貴族院議員が先祖にいる家系だったので自分は地頭がいいのかもしれない、現代になっても農民や程度の低い武士商人の家系は本当に大したことがないんだと思ってしまった
幼稚園~大学まで共学だった俺には信じられない世界と民度が広がっている。
5chの奥地にしか存在しないと思っていたようなモンスターが現実で仮面も被らずに過ごしている光景はお金じゃ買えない価値がある。
ここは一つ私がマジで凄いと思った彼らの凄い生態をいくつか紹介しよう
・パワハラ虚偽報告された自慢
・歩道を歩くとき横5縦2ぐらいでやたら広がって歩いて対面の歩行者に道を譲らない
・健康診断後の度にひたすら医官の文句言ってる体脂肪率35%超えの奴(糖尿病で失明予備軍)
・なにかあるとすぐ後輩に焼き肉奢れと言う奴
・「運動後にシャワー浴びない奴って頭おかしいんじゃないの?」ってしょっちゅう言ってるのに自分も3回に1回しかシャワー浴びない奴
・某大時代にチンゲを燃やした回数でマウント取り合うエリート組
凄いぜ。
民度が低いぜ。
スラム街よりはマシなのかも知れないし、ヤンキー高校と比べたらこんなのクソ雑魚かも知れないけど、普通の共学しか知らない俺からするとマジで終わってるぜ。
面白すぎるぜ。
動物園の檻の中に入って何年も過ごしているようなもんだぜ。
ガンジス川で毎日沐浴しているのと同じレベルで世界観が広がっていくぜ。
俺はどこかで「便所掃除で飯食ってるような底辺に俺がなることはない」とか「そもそも低学歴は幸せになろうとする自助努力が足りてないから死んだほうがいい」みたいな高慢さがあったのを認めるしかないぜ。
偏差値30代で心の知能指数はそれさえ下回るような化け物共と同じ釜の飯を食って、同じように働き同じように給料をもらって何年も過ごしてきてハッキリわかったぜ。
どんなに生まれつき頭が悪くても、どんなに心が醜くても同じ人間なんだってことが今ならハッキリ分かる。
俺、自衛隊に入って本当に良かった。
民間企業で普通に働いてたら職場でゴミ掃除してるビルメン共のことを「こんなスキルもクソもない仕事やってる中高年ってどんだけ頭悪いんだ?あんな仕事なんてよっぽどカネがない10代20代が繋ぎでやるのがせいぜいだろ?障害者雇用とかかな?」と思って暮らしてただろうな。
俺、今なら分かるよ。
本当の心の貧しさってのは、心や頭の貧しい奴らと自分が地続きである現実を知らないことなんだって。
楽しすぎるぜ。
桃太郎をサイバーパンク風にして最初から最後まで作ってほしい。勢いは大事です
むかしむかし、巨大なメガロシティ「オオヤマト」の暗い夜、光のネオンが踊り、ドローンが空を飛び交っている時代。貧しい老婆と老人がスラム街の片隅でひっそり暮らしていた。
ある日、老婆が廃棄物処理場から拾ってきた古びたカプセルを家に持ち帰ると、中から光が漏れ出し、音声が鳴り始めた。「桃太郎.exe起動完了」。カプセルから出てきたのは、銀色の髪とサイバネティックな義肢を持つ少年型アンドロイドだった。
「オカン、オトン、俺、桃太郎。悪のオニ・コーポを倒すために作られたぜ!」
彼はプログラムに従い、悪のオニ・コーポレーションに支配されたオオヤマトを解放するため、戦いに出ることを決意する。
道中、彼はまずストリートのデッカい犬型ドローン、サイバードッグ「イヌ」と出会う。「アンタ、オニ・コーポとやりあうのか?俺も協力するぜ。奴らには借りがあるからな」と、イヌはガトリングガンを構える。
さらに進むと、空を飛ぶドローン型サル「サルビー」と、ホログラムを使う技術に長けた謎のキジ型AI「キジーロン」に出会う。サルビーはドローンジャッキングで情報を抜き、キジーロンはバーチャルハッキングで敵をかく乱する。三体ともオニ・コーポに深い恨みがあり、チームを組むことに。
オニ・コーポの本社ビルは、メガロシティの頂点にそびえ立っていた。四人はレーザーフェンスを突破し、敵のサイバーニンジャやオートメカをバチバチの電脳戦で次々と倒し、最上階に辿り着く。
そこには、全身サイボーグ化されたCEO、「オニ・キング」が待ち構えていた。「お前らごときがこの俺に挑むとは…!」。ビルの窓から見えるネオンの光が、彼の体を照らす。
しかし、桃太郎は笑いながら言った。「俺たちはただのアンドロイドやドローンじゃねぇ。正義のハッカーだ!」
最終バトルは、オニ・キングの身体を侵食した悪のAIとの電脳空間バトルだ。桃太郎のプログラムされた必殺ウイルス「モモウイルス」が発動。激しい戦闘の末、オニ・キングを完全にシャットダウンすることに成功する。
オニ・コーポのビルが崩れ落ち、ネオンの輝きは静かに消え、スラム街に朝の光が差し込む。オオヤマトに再び平和が訪れた。
そして、桃太郎はつぶやく。「これで終わりか?いや、次は月面コロニーだな…」。彼の赤いサイバネティックな瞳が、次の戦場を見据えていた。
THE END.
(勢いはバッチリです!)
犯罪スレスレの生活を強いられている彼らにとって、「マッチングによる結婚」は最後の頼みの綱となっていた。
これに参加しなければさらに社会の底辺に押し込まれるという暗黙の圧力が存在していた。
タケルはそのプレッシャーを感じながらも、特別な期待を抱くことなくこのマッチングに参加することを決めた。
参加しなければ仕事も人間関係もますます行き詰まり、どこにも居場所がないまま犯罪と失敗を繰り返すしかないという現実が目の前にあったからだ。
彼女もまた、家庭崩壊と経済的困窮の中で育ち、社会の隅に追いやられた一人であった。
ミサキは最初結婚には興味がなかったが、周囲の空気や、もはや他に選択肢がないという感覚に押され、タケルとの結婚を受け入れることにした。
二人は特別な感情もなく、ただ「お互いにこれしかない」と思い込んだまま、形式的な結婚を進めた。
この新たなマッチング制度のもとタケルとミサキのような家庭は次々と作られていった。
しかし実質的な支援や愛情が欠如しているままのこの結婚制度はかつてのカズキたちの時代と同様に、愛情や共感のある家族関係を築くことがほとんどなかった。
結婚することで「何かが変わる」という期待は、早々に裏切られる。
社会には形式的に結婚した夫婦が増え続け表面的には家族という形が保たれているが、その裏には感情的な空白が広がっていた。
貧困や孤立の中で結婚を強いられた若者たちは経済的にも感情的にも余裕がなく、ただ日々の生活をやり過ごすだけだった。
愛情や信頼を築く時間はなく育った環境そのままに、次世代にも同じ無感情と絶望が受け継がれていく。
タケルとミサキの間にもやがて子どもが生まれた。しかし、この子どもたちが育つ環境はさらに悪化していた。
タケルもミサキも仕事を見つけることはできず収入が少なくなる一方で、家族を支えることができない状況が続いていた。
子どもたちは物心がつく前から経済的困難にさらされ、親からの愛情や支援をほとんど受けることなく育っていった。
彼らが成長すると、学校にも通わなくなり、友達も作れず、社会との接点を失ったまま犯罪スレスレの生活に突入していった。
盗みや詐欺、闇市場での売買などに手を染めるが、時代はさらに厳しくすべてがうまくいくわけではなかった。
成功を期待して計画した犯罪がことごとく失敗し、追いつめられる彼ら。社会の底辺にいる多くの若者が同じ状況にあり、競争は激化し、成功はますます遠のいていった。
タケルとミサキの子どもたちのような人々が社会に溢れ、街には犯罪と失敗が日常の一部となっていた。
犯罪すらうまくいかず無力感と絶望感が蔓延している。この社会では、形式的な結婚によって新たな世代が生まれるたびに、さらに深刻な問題が積み重なり、底辺の層は広がる一方だった。
人々は次第に「結婚さえすれば未来が変わる」という幻想を捨て、ただ生き延びるために無感情な日常を繰り返すだけの存在となりつつあった。
家族という形があるにもかかわらず、誰もが孤独で、社会全体が崩壊の一歩手前にあるような不安定な状況が続いていた。
この未来の社会は、犯罪と失敗で溢れるだけでなく、希望のない結婚生活と無感情な人間関係が続き、次世代にわたって繰り返される運命にあった。
スラムは、かつて活気に満ちた都市の一角が朽ち果て、放置された区域だった。
ボロボロのアパートが密集し街のあちこちでゴミが風に舞い、人々は疲れ果てた顔をして道端に座り込んでいた。
タケルとミサキの子どもたちのような若者や、その親たちが溢れかえるこの街には、希望などかけらもない。
犯罪に手を染めるも失敗し日々の生活に追われる人々の間では、もう将来への期待を語る者はほとんどいなかった。
仕事もなく、金もなく、社会の中での居場所もない。彼らはただ、目の前の苦しみを紛らわせるために酒を飲み時には薬物に頼り、現実から逃避しようとするがその努力すら無駄に終わることが多かった。
政府の広告が流れ、きれいなスーツを着たアナウンサーが笑顔で語りかける。
「未来をつかみましょう。マッチングによる結婚が、あなたに新たな道を開くかもしれません。お互いを支え合い、明日をともに作るパートナーを見つけましょう。」
明るい音楽が背景に流れ、完璧な家族の笑顔がスクリーンに映し出されている。
この喧伝は、スラム街の人々にとって既に耳慣れたものだった。何度も聞かされ、何度も信じては裏切られた言葉。
「マッチングによる結婚」という響きは、もはや希望ではなく、虚無感を伴ったものでしかない。
彼らの多くがその制度に従い、形式的な結婚をしてきたが、待っていたのはさらなる絶望と貧困だった。
若者たちの視線がスクリーンに向けられるが、そこにはかつてのような期待はない。
結婚によって何も変わらなかった過去が、彼らの心に刻まれている。
タケルの子どもたちのように、犯罪すら成功しない無力感に押しつぶされている人々にとって、この広告はただの幻想でしかなかった。
それでも、別の選択肢が存在しないという現実が、彼らを再びその「希望」に誘い込む。
「結婚すれば、少しは楽になるんだろうか…」誰かがぼそっとつぶやいた。
しかし、その声には信じる気持ちは感じられない。ただ、何も変わらない日常をどうにかするために、また同じ道を歩むしかないという諦めだけがそこにあった。
スラム街は暗く沈み、スクリーンの光だけがその一角を照らしている。
夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。
しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。
夫はソファに横たわり、スマホを操作している。妻もまた、ダイニングテーブルの椅子に座り、同じようにスマホを凝視していた。
彼女の視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿やコメント、次々と流れる他人の生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。
母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女は虚構の世界に浸る。
カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室から小さな足音を立ててやってきたときも、彼女はスマホの画面から目を離さない。
父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。
家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話や交流がほとんど存在しない。
ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情な牢獄のようだった。
数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。
政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。
そこには理想の未来が描かれ、少子化対策・経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。
彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。
孤独な生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。
彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。
彼らが最初に出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。
しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的な時間が流れた。
彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。
彼も同様に自分の未来に対する不安や孤立感から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。
彼らの結婚は、愛情や感情的なつながりを伴わないまま始まった。
結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。
笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情も曖昧なままだった。
彼らは新婚生活を始めたものの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。
子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係をさらに複雑にするだけだった。
子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識は希薄だった。
互いに育児の負担を押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホの世界に没頭するようになっていった。
こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。
子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。
育児という責任はあくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。
カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。
無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。
カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。
彼が通う学校は、政府の弱者マッチング政策によって生まれた子どもたちが集まる場所でもあった。
同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢集まり、学校の教室には独特の空気が漂っていた。
教室は一見すると普通の小学校と変わらない。先生が黒板に向かい、子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。
しかし、そこにあるのは静かな孤独の空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情やケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人と積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。
カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。
先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることなく視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。
クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。
友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。
授業中、カズキは先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。
家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流や信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独な存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室を支配していた。
昼休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーンで一口ずつ弁当を口に運んでいく。
家でも学校でも、カズキは孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。
彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情を表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。
学校で友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。
クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。
それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現や信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。
放課後になると、カズキはランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。
家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。
彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。
カズキの学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的な集団のように見える。
彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的に自分の意思を表現しようとはしない。
孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情が希薄で、日常は淡々と過ぎ去る。
カズキは15歳になり中学を卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。
しかし彼の中には将来に対する明確なビジョンや目標はほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。
家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。
父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパートの仕事を掛け持ちしている。
彼らの生活は経済的に安定しておらず毎月ギリギリの生活費でやりくりしている。
家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。
カズキは学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。
周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からのサポートをほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。
クラスのほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規の仕事に流れていくのが現実だった。
カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。
彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的な理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。
両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。
カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来をぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。
成長したカズキが社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的な不安定さだった。
彼は学校を卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイトを転々とする生活が始まった。
日本全体では弱者男性や女性が社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。
カズキの収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。
家賃、光熱費、食費、そして時には両親からの経済的な支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。
彼の労働は、社会に必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。
また、カズキは家族からも社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安や経済的な問題に対処する力を持っていなかった。
彼は、経済的な問題だけでなく、感情的な孤独や自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。
カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。
彼は家庭でも学校でも十分な愛情や支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。
仕事でも職場の人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。
こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションやパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。
彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的な姿勢に陥っていた。
彼のような若者たちは社会全体に増え続けており、同じように家庭環境や経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。
多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。
カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性のマッチング政策によって20代前半でユウコという女性と結婚した。
両者とも愛情や幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。
彼らの結婚生活は形式的で感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実だけが彼らを繋ぎ止めていた。
ユウコはカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。
彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的な不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。
カズキは低賃金の非正規雇用に押し込まれ、ユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。
カズキとユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。
しかしカズキ自身が経験した孤立や経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。
タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。
家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。
カズキとユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。
タケルが中学を卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。
彼は学校を卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレの生活に足を踏み入れていた。
タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。
タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。
彼が属する社会の底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。
彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険にさらされることの方が多かった。
ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗を計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。
彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。
彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。
タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。
経済的な困難や家庭崩壊、教育の欠如がもたらす無気力な若者たちが犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。
街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。
仕事の機会は減り、低賃金の非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち。
犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独と無力感に苛まれながら、社会の底辺で苦しみ続けていた。
タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来に希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。
カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さらに悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。
タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。
この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的な不安や社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。
政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たちに積極的に参加を促した。
制度そのものは強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金の非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21
その後野獣先輩は淫夢ファミリーになり正式に晒し者としてネットにアップ
・2chから淫夢厨が来てニコニコを支配 文化・言語を破壊 それまでニコニコを治めていたノンケらは別の場所に住むように命じられる
・ホモコーストで情勢悪くなったら淫夢厨はさっさと降参してニコニコ放置、ニコニコ壊滅
・終戦後野獣先輩はさらなるホモガキに目をつけられやりたい放題される(BB先輩、新説シリーズ、侮辱しても無罪放免)
そのほか、戦前は生き場所があったのに淫夢厨が破壊しまくったため今はスラム街でひっそりと暮らす。
また、トラウマや淫夢厨の脅威を吐露するだけで「自分だけ被害者ぶるな」理論を武器に結構な割合で存在するキチガイから叩かれる
ChatGPTに以下のやり取りを解釈して貰いました。
こんにちは、以下のやり取りはどのように解釈されるか意見を聞きたいです。
「トーマスロックリーは「学者」ではなく「活動家」と呼ぶべきでは?」
ChatGPT
こんにちは!このやり取りについての解釈ですが、以下のように考えることができます。
「トーマスロックリーは「学者」ではなく「活動家」と呼ぶべきでは?」:
この発言者は、トーマスロックリー(Thomas Lockley)を「学者」と呼ぶよりも、「活動家」としての側面を強調したい意図があります。このような指摘は、ロックリーの活動がアカデミックな研究にとどまらず、社会的・政治的な活動にも大きく関与していることを示唆しています。
これに対しての反論は、上野千鶴子(Chizuko Ueno)が東京大学の名誉教授であることを指摘しています。この発言は、学者であることと活動家であることは相反するものではなく、両立するものであることを示しています。つまり、上野千鶴子が東大の名誉教授でありながら、社会活動にも積極的に関わっていることを例に挙げています。
このやり取りは、学者の定義や役割に対する異なる見解を示しており、学問的な活動と社会的・政治的な活動の境界が必ずしも明確ではないことを示唆しています。また、一人の人物が複数の役割を持つことができることを強調しています。
※2024年6月23日現在、旧ジャニーズ事務所はSTARTO ENTERTAINMENTに改名していますが、「スタート」及び「スタオタ」の名称が世間一般にまだ浸透していないことを鑑み、当記事では「ジャニーズ」「ジャニオタ」とあえて表記しています。
また、今回は非常識なジャニオタの対策を中心に書いていますが、善良なジャニオタも多く存在します。
・当日手渡しはできるだけ避ける
この記事は、「推しがジャニーズと共演し、ジャニオタと取引せざるを得なくなった舞台俳優厨の被害を少しでも減らす」ことを目的に書いています。
また、自担の外部舞台が決まったジャニオタがこの記事を読むことによって、舞台俳優オタク(この記事では俳優厨と呼んでいます)と取引をする際の心構えを学べる記事となっています。
・約束は守れ
・連絡をしろ
・舞台俳優のオタクは滅多に詐欺をしない(完全にしない訳では無い)
後半では俳優厨とジャニオタの双方に向けて、これまでの経験則から見えてきたジャニーズ出演外部舞台のチケットの配席傾向についても記述します。
詳細に入る前に、筆者の紹介をします。
筆者→舞台とジャニーズのかけもちオタク。どちらのオタクともチケットの取引をしたことがあるが、明確に「被害」にあったのはジャニオタとの取引のみ。舞台での取引ではまず出会うことのない、信じられないレベルの非常識な取引相手に数度遭遇した。
「最低限の連絡はしてくれるだろう」とは思わず、「ジャニオタは非常識犯罪者だらけの集団」と構えておき、取引を問題なく遂行してくれた相手にだけ「疑ってごめんね」と心の中で謝罪するくらいで丁度いいです。(もちろん初めから疑ってかかっているのがバレないよう、態度には出さずに対応するべきですが)
これだけ書いてもぴんとこないと思うので、具体的なジャニオタの非常識エピソードを2つ紹介します。
筆者がとある外部舞台の譲渡ポスト(ツイート)に声をかけたところ、1日待っても返信がありませんでした。ホームを確認すると該当ポスト(ツイート)が削除されていたため、別の方に声をかけてチケットを譲ってもらいました。この時点で「DMで断るか、ひとりひとり連絡するのが面倒だとしてもポスト(ツイート)で『お譲り先が決まりました』と教えてくれたら良かったのにな」とは思いました。ですが非常識なのはここからです。
数週間後、筆者が声をかけたチケットの開演2時間前に、「ドタキャンされたのでまだ求めてたら譲れます」とDMが来ました。返信しなかったことに対する謝罪はありません。「気まずいという感情が備わっていないのだろうか?」と甚だ不思議でした。丁重にお断りしましたが、それに対する返信もありませんでした。
俳優厨の言う「取引を飛ばれた」は、「一度成立した取引をキャンセルされた」という意味で使われることがしばしばあります。
しかしジャニオタの「飛ぶ」は「やっぱり取引できません」と連絡が来ることもなく、無断で待ち合わせ場所に現れない、そんなありえない行為を指すことが多いです。
取引が成立したあとで、より条件のいい案件を見つけたら無断で連絡もなしに乗り換えるのです。これは売り手でも買い手でも同じです。
恐らく、多くの俳優厨が被害に遭うとしたらこのケースです。チケットと代金をその場で取引するため詐欺は発生しないだろうという油断が不幸を招きます。
金銭のやりとりが無いので、確かに詐欺は発生しませんが、「譲るはずだったチケットを紙切れにしてしまう(売り手としての被害)」「入れるはずだった現場に入れなくなる(買い手としての被害)」という、「警察に訴えられないけど嫌」な被害は発生します。
筆者は「譲るはずだったチケットを紙切れにしてしまう」「入れるはずだった現場に入れなくなる」どちらも経験しました。「ジャニオタを信じた私がバカだった」と反省しました。皆さんにはこのような気持ちになって欲しくありません。
売り手でも買い手でも、事前に「〇日まで/〇時までに連絡が来なかったら次を探す」とタイムリミットを決めておくと良いでしょう。これをジャニオタに伝えるかどうかはお任せします。
公演までに猶予がある場合は「〇日までに返信お願いいたします。返信がなければお取引を白紙とさせていただきます」と伝えても良いかもしれません。直前に決まった取引なら、わざわざ承諾を取らずとも「無断で遅刻するほうが悪い」と切ってしまいましょう。
※余談ですが、筆者が聞いた中で最も恐ろしかったジャニオタ非常識エピソードは「同じホテルに泊まっていたジャニオタ友達に中積み用の現金数十万円を盗まれた」です。非常識というか普通に犯罪ですが、中積み自体高額転売にあたるので警察に相談できず泣き寝入りするしかなかったようです。同じホテルに泊まるくらい仲の良い友達に裏切られたら人間不信になりそうです。
・ジャニオタを信用してはいけない で解説したとおり、ジャニオタには平気で約束を破る人も多々います。当日手渡しをドタキャンされた場合、開演までの時間が短いせいでリカバリーが難しいです。
なるべく事前手渡しか郵送でチケットをやりとりするのが望ましいでしょう。当日手渡しはできるだけ避けましょう。
当日手渡しをする場合、個人情報と本垢を抑えておくと良いでしょう。個人情報だけだと嘘を吹き込まれる可能性もあるので、X(旧Twitter)とInstagramの本垢も抑えるのがおすすめです。
なぜInstagramも抑えた方が良いかと言うと、X(旧Twitter)だけだとほぼ稼働していない場合があるからです。最近のジャニオタはInstagramをメインに使う人が多いです(もちろん人によります)
あくまで個人的な体感ですが、現在の関東ジュニアのオタクで言うと、美 少年と少年忍者のオタクはInstagram利用率が高め、7 MEN 侍のオタクはX(旧Twitter)率が利用高め、HiHi Jetsのオタクは他のグループに比べたら偏りが少なめな気がします。
関西ジュニアには知見がありません。関東でもSpeciaLとGo! Go! Kids、無所属(フレッシュJr)はわかりません。デビュー組は分母が多いので人によるとしか言えません。
LINEの交換を持ちかけられるケースもあるかもしれません。Twitterのみの取引よりは安全かもしれませんが、ジャニオタは端末とLINEアカウントを複数持っていることがあるため、LINEを交換しても飛ばれる時は飛ばれます。
サイト手数料がもったいないという気持ちはわかります。しかし、こうした「飛ばれるかもしれない」という不安を解消するための安心代だと考えておきましょう。
チケット流通センターやチケジャムといったチケット仲介サイトを通すことにより、詐欺やドタキャンの可能性をぐんと減らすことができます。残念ながら0にはなりませんが、少なくとも筆者はサイトを通した取引で被害に遭っていません。
取引が完了するまでサイトが代金を預かるシステム、Twitterと違ってアカウントの作成をしづらいため捨て垢にならない(本人確認が必要)、垢BANされたら取引に使えなくなるリスク、などが抑止力になっています。
X(旧Twitter)はチケット取引専門のツールではなく、また、いくらでもアカウントを増やせる/消せるため、そこで交わした約束に効力はありません。スラム街で約束しても無意味なのと同じです。
個人的には無人販売所で窃盗が起こりまくる(SNS取引)としても、警察官の目の前で万引きするバカはそうそういない(サイト通し取引)みたいな感覚です。
とはいえ、サイトならなんでも良いわけではありません。チケット特化のものに絞りましょう。メルカリやラクマといったフリマアプリはチケット仲介が本業ではありませんし、そもそもメルカリではチケットの転売は規約違反となります(そのためダミーで架空の商品を売り買いするケースが多いです)
ジャニオタの買い手にサイト通しを希望されたら、売り手の俳優厨はめんどくさがらずに「サイト手数料分はそっちで負担して」と要求した上で出品して良いと思います。下手にサイト利用を拒否すると詐欺を疑われる可能性があります。
これは当たり前すぎて注意事項として取り上げませんでしたが、PayPay取引はほぼ確定で詐欺です。俳優厨が本垢で取引する場合は身元が割れている安心感からPayPayを使うこともあるかもしれませんが、相手がジャニオタの場合は絶対にPayPayに入金しないでください(ジャニオタじゃなくても身元不明の取引垢にPayPay入金をしないでください)
次にジャニオタに向けての文章です。とは言え、この文章を読むような人は既に知っている当たり前のことばかりですし、本当に読んで欲しい層はそもそも文章を読まないでしょうから、無意味かもしれませんが。
俳優厨とジャニオタがチケット取引でトラブルが起きる場合、大抵は「ジャニオタが約束を守らない」のが原因です。
約束は守りましょう。人として最低限のマナーです。ジャニオタ同士なら「あるある」だとしても、一般社会ではありえない非常識な行為ばかりしているのがジャニオタです。たとえジャニーズが主演だとしても、「外部」舞台だという認識を持ってください。
チケットを他の人に譲るとしても、自分は取引しないから無関係だとは思わないでください。希望に添えないとしても、画面の向こうで返信を待っている人がいます。
また、結果的に約束を守れなくなったとしても、連絡があるのと無いのでは取引相手のリカバリーの初速が変わります。どんな理由であれ「取引できない」のならわかった時点で即座に教えてください。
世間において、「チケットが取れない」公演、その需要と供給のバランスの崩れから「チケットの転売で金稼ぎができる」公演は、ジャニオタが思っているほど多くありません。
俳優厨の中でも発券スタイルは人それぞれですが、今回は筆者の周囲に多い「大量発券」型のオタクについて説明します。
大量発券型のオタクは、ジャニーズの大量発券ほど稼げません。たまに定価より上乗せでチケットが売れたとしても、基本的に余らせたチケットは定価より安く他人に譲るか友人を招待する(チケットを無償で渡し、来てもらう)ので、プラマイで言えばマイナスに寄ることが多いです。もちろん公演の内容やキャスティング、会場のキャパによって収支は大きく変動しますが。
大量発券するだけの経済力と管理能力があるため、より良い条件が見つかったら乗り換える、なんてことはせず、決まった取引をきっちり遂行する人がほとんどです。
ジャニーズの現場ではあまりにも詐欺が横行しているため、ジャニオタは先振込みというだけで非常に警戒しますが、舞台俳優のオタクは「チケットで稼ごう」「手元に無いチケットがあるふりをして取引を進めよう」と思う人自体少ないです。(少ないだけで、いないわけではありません)
安全な俳優厨の見極め方としては、本垢を確認するのがいちばん良いです。アカウント歴が長い・日常的にツイートしている・フォロワーとの交流もある・過去にも招待を出しているアカウントが詐欺をする確率は0に近いです。
なぜなら舞台界隈は非常に狭い界隈だからです。通いのオタクはお互い顔を把握しています。チケットをやりとりする関係で、本名や住所や電話番号を把握していることも多いです。知り合いの知り合いはだいたい知り合い。悪いことをしたらすぐバレます。万が一詐欺に遭っても、きちんと稼働している本垢があれば容易に特定できます。
何より俳優厨は義理を重んじ、助け合いで成り立っている村社会です。不義理は許されざる大罪です。
犯罪が多く巻き起こるジャニオタに対して同じだけの義理を求めるのも酷な話かもしれませんが、最低限の約束は守って連絡を返してください。
最後に配席についての傾向を書いていきます。あくまで傾向なのですべての現場に適応されるわけではありません。
まず、外部舞台(ジャニーズが出演する、ジャニーズ主催じゃない舞台)は2つに分けることができます。
ジャニーズのファンクラブ先行がある外部舞台と、無い外部舞台です。
外部舞台のジャニーズのファンクラブ先行は、当選したファンクラブ名義の登録住所に簡易書留で紙チケットが郵送されるシステムになっています。他プレイガイドの発券日より遅くチケットが到着することが多いです。
発券日なのに前方の出回りが無い時は、この紙チケットがまだ届いていない場合がほとんどです。
ファンクラブ先行で当選した名義の中にも2種類あり、「該当名義」「非該当名義」と呼ばれます。
ジャニーズのファンクラブでは、「応援しているアーティスト」を設定します。ジャニオタ用語で言う「担当」、要するに「推しメン」のことです。
外部舞台はそのグループの全員が出演するわけではありません(それはもう内部舞台)。担当が出演しない「非該当名義」であっても応募はできますが、一般的に「該当名義の方が席が良い」と言われます。
しかし筆者は該当名義で後ろから2列目、非該当名義で前から4列目を引いたことがあるので、絶対というわけではありません。ただし該当名義は後方センブロ、非該当名義では前方の端が当選したので、何を良いとするかは人それぞれとも言えます。
特にジャニーズジュニアは200人ほどいるのに全員ひとまとめに「ジュニア情報局」というファンクラブで扱うので、俳優厨の皆さんは周囲にジュニア担がいたら申し込みを手伝って貰えないか打診してみるのも手です。(ジュニア担同士のコミュニティがあって先約されている人や、自分の申し込み以外で使いたくない人もいるため、もし断られても怒らないでくださいね)
続いて俳優のファンクラブ先行。ジャニーズのファンクラブ先行はあるのに、こちらは無いパターンもまあまああります。不公平ですが…。
反対に、ジャニーズのファンクラブ先行が無いのに俳優のファンクラブ先行だけある話は聞いたことが無いです。(聞いたことが無いだけで、存在はするかもしれません)
俳優のファンクラブ先行で最前はあまり聞いたことがありませんが、主演俳優の場合はあるかもしれません。
ジャニーズは外部舞台で主演を務めることが多いですが、俳優さん主演作品にジャニーズが起用されるキャスティングもたまにあります。
ファンクラブ先行が無い場合(ファンクラブ先行があっても主催によっては)、主催先行が前方を持っていることが多いです。筆者はかつてとある現場で最速先行(オフィシャル先行か何か)で後方を何枚も引き、その後の主催先行で前方が出ることを後から知りました。
一般販売は大体後ろの方が出ますが、稀に前方も出ます。当日券は現場によってまちまちなので傾向はわかりません。これは多くの舞台と変わらないと思います。(ジャニーズの内部舞台では一般販売の方が席が良いことがなぜかよくありますが、多くの舞台は一般販売より先行で抑えた方が良しとされています)
いまではさまざまな企業とコラボし、なんでもかんでもグッズ化されている。人気グッズは転売ヤーによって駆逐され、
オンラインストアに関しては注文したものは数ヶ月経っても届かないことがザラにある。殿様商売だ。
アニメも放送され、お台場や各ポップアップストアでイベントが開催され、子どもから大人まで、そして日本だけでなく海外でも人気だ。
もの凄い盛り上がりを見せ、日本の経済はちいかわによって動かされていると言っても過言ではないほど影響力を持っている。
だけど、僕が好きだったあのころの「ちいかわ」はもういなくなってしまった。
僕が好きだったのは、可愛いグッズとかアニメとか撮影イベントとかそんなものじゃない。その世界観だった。
ちいかわの世界は、僕らが生きているこの世の中の縮図だと思っている。
ちいかわの世界でも労働によってお金を稼ぐ。登場人物のほとんどは日雇い労働者だ。
日本にもこういった世界はいまだに存在している。山谷・西成・寿町など日本三大スラム街では見慣れた光景だ。
ちいかわちゃんたちは「草むしり」や「討伐といった仕事をすることで報酬をもらえる。特に討伐は危険な仕事で、大怪我をしたり、最悪「死」となり帰らぬこともある。
その労働で得たお金を使う先にはいつだって鎧さんたちがいる。鎧さんたちが、ちいかわの世界を牛耳っている支配者だ。
鎧さんが募集する仕事をこなし、そこで得た報酬を鎧さんが運営するお店で使う。まさに食うもの・食われるもの、僕らの世界そのものだ。
見た目はかわいいが、この世界の縮図そのものなのだ。それこそがちいかわの根底に眠る物語の面白さだ。
いまのファンのほとんどは、ストーリーはよくわからないけどかわいいからグッズを購入している人がほとんどだろう。
部屋に大量のグッズを並べて写真をアップしている人たちもよく見かける。表面だけを見て本質を見極められていない、薄っぺらなファンばかりだ。
よく中国人転売ヤーについて文句を言っている人がいるが、日本人もたいがいだ。
代理購入したり転載禁止の画像を転載してアップしていたりする。やってることは転売ヤーと変わらないだろう。
はてな匿名ダイアリーに書き込みをしているとよくゴミカスのような悪口が飛んでくる。
その悪口の一つに、お前の話なんか誰も聞いてねーよ的な類型がある。おれの文章は長いのでこれはよく言われる。
おれは不特定多数に開かれた発信をしていて、そういう事を言ってくる奴は明確に俺に向けた発信をしている。
おれの書いた投稿には言及を我慢できなかった奴がいるけれど、その言及に対しては誰も言及しないという訳だ。おれはその手のレスポンスには反応しないようにしてるし、注目エントリにでも入ってなきゃ図星でワロタみたいな乗っかり方をする奴もいない。
つまりこの場合、誰にも聞かれてないのはそういうのを言ってくる奴の方だよなって思った。
論理的に苛立ちを解消する術を一つ得た。
更にストイックに反論を考えれば、書き込みは見たがその内容まで読んでいる訳ではない。つまりお前の話を誰も聞いていない点は変わらない。といったものが想定される。まあ「聞く」を反応とでもすり換えれば良い話だろう。
そもそも書き込みなんかしなければ苛立つ事もないんだけど。まあ観光客が財布を手に握ったままスラム街を歩いてひったくりにあっても、それは盗る方が悪いし……
クソリプに苛立つだけ無駄だぜ、と苛立ちを抑えつつ自分に言い聞かせるような痩せ我慢じゃなく、本当に何も感じないようなレベルのスルースキルはあった方がいいのかもしれない。