はてなキーワード: ケアレスミスとは
(アドベントカレンダーからのリンク先が思いつかなかったので、ここで生成する。)
はい、そういうわけで、ですね!TUTのちょっと良いところ、言ってみたいんですけど!
東京工科大学だと思った人、残念ながら帰っていいですよ!
今はホットなのはそっちのじゃないほう大学です、ギコ大です!技科大です!
ちょっとあらぬ感じアレだったことを観測したので・・・時を戻そう。
(この記事は12月に23日のアドベントカレンダーからリンクされています、ていうかする予定ですという分かりづらいボケです。
だって26日より先が空いてなかったどころか枠がなかったんだもん。もんじゃねーよ。)
都会度というか、その辺りは
で、私自身技科大から豊橋駅に行くには上京する心づもりでした。
あとこれは200x年頃のお話なので、今は全然違うかもしれません。
◆環境◆
・豊橋のさらに奥の僻地にあり、近場のミニストップを神のライフラインとして崇めていた
・その次に近いのが徒歩10分位の距離にあるすき家(都会のライフステーション
・イオンに初日に行った帰りに迷うほど、目印の少ない牧歌的な風景
・最低でも原付は欲しいところ。なので学内で原付の売買がお盛ん
・それでも鋼の意思でチャリと徒歩で生き抜くならば毎日がエクササイズという特典が
・なのでお出かけの基本は車となり車を運転できる人間はそれだけでデキるやつだった
・車に全員載らない場合は車と単車、原付、場合によってはチャリで編隊されて行軍する
・大学はそれくらいの秘境にあるので、その寮へのネット回線はボッタクリナロードバンド月5000円一択のみ
・貧乏学生のライフライン、業務スーパーは普段生活のみならず学園祭の仕入れにもお役立ち
・なんで飛んで火に入る夏の虫のごとく、緑の看板には生活を求めて日々飛んで行ったよね
・ブレーカーを数部屋で共用する男子寮。ドライヤーひとつで数部屋を道連れにするスリル
・当然クーラーなんてないよね~、あんな貴族の嗜好品。夏の猛暑はアイスノンと扇風機で生き抜くサバイバル
・当然激セマ君ではあるのだが、寮費が光熱費込みで1万も行かなかった(5000円位だったか?
・貧乏学生をしていたので、食堂はあまり記憶にございませんねぇ
・バカ舌もあって味噌ラーメンとかはそんなに悪くなかったような
⇒そんな感じで、今や絶滅種の「昭和の貧乏学生」生活が送れる素敵な場所です。
◆勉学回り◆
・学生のほとんどは高専病に起因する英語ヨワヨワなんで許してあげてほしい
・というか高専教育が悪い。今は変わってきてるのかもしれないけど
・中学からの受験以降、受験とほぼ無縁で単位取得のサバイバルのみで生き延びた学生が多いイメージ
・なんで、興味範囲以外はいかに取りやすいか、いかに出席や提出物が少ないかが授業選択の最重要ファクターの学生がいたとかいないとか
・自分の居た系のみかもしれないが、大学で割り当てられるアカウントの個人領域のディレクトリに学生番号出来られていて、他からも見ることができた
・そこには過去の学年のレポートとかが眠っていた。なんで、そこから引っ張ってレポート提出する学生もいたとかいないとか
・だがまぁ、それは誰しもが考えるので、過去の有料レポートを提出すると中身同一レポートが教授のもとに集まり、諸共無言で最低点の裁きを受ける
・院試は自分の苗字名前をケアレスミス無く書ければ徹程度の難易度
・先生はダイバーシティの極みの極み、二重の極みで、まともな人、あきらめ系、変人などなんでもござれだった気がする。
・他と比較できてないからわからんけど変人の比率は高かった、と思う
⇒背景、状況から「普通ではない」ふいんき(なぜか変換できない)が醸成されていたのは事実かなぁ
◆サークルとか◆
・そんなわけで、高専からの入学がほとんどの技科大サークルはちょっと関係が難しい
・具体的には3年生新入部員と2年生の先輩部員という時空のひずみ
・とはいえ、3年生新入部員と3年生先輩部員も発生しうることから大概は学年で先輩後輩関係は形作られる
・ただし、そこにさらに時空の法則を破る留年先輩が出てくるがそうなるともう、年齢で判断することになる。
・そもそも、サークル活動的なのはあまり活発ではなかったイメージ
・ほぼ男子校の技科大生のあこがれ「愛知大学」との連携で女子とのキャッキャウフフを夢見る生徒も多かったとか少なかったとか
・あ、そうそう。サークルだけではなくて愛知大学と連携していて、確か愛知大学の図書館も使えたはず
・数式をおかずにして飯を食えと言わんばかりの糞高い技術書しかない技科大の図書館に比べて、文学教養の良書がタダで借りられる裏技があるんですよ!
⇒陽キャは居たにはいたけど、レア種でしたね。居ても、フェードアウトするとか。3年の夏休み前にパチプロになると聞いて以来、音信不通の彼はパチプロマガジンとかに出ているのかな。出ているといいな。
なんだろう、ぱっと思った限りこんな感じ。
うーん、まぁ学生生活にはちょうどいい閉塞感で、自分としてはこの環境を楽しませてもらいました。
なんか思い出して行きたくなるくらいには。
講師の解説とか見ると答案用紙or問題用紙の横に補足みたいな感じで書いてるけどあれなら忘れないのだろうか
B/SとかP/L作成問題で、決算整理前T/Bが与えられてるのに未処理事項と決算整理事項だけで見て、決算整理前T/Bの数字から足し引き忘るのをなんとか無くしたいのだが一箇所は足し引き忘れて回答が違う
商業簿記は1箇所違う程度なら最大でも4点引かれるぐらいだからいいけど、工業簿記でやらかすと芋づる式に引かれるから絶対やっちゃダメって分かってるけど
間違える度に溜息出るし、間違えた部分の要点だけまとめたノート作ってるんだがケアレスミスが圧倒的に目立つ
問題解いてる時に気づくならいいけど大抵は採点してる時に気づくんだよなぁ…。見直ししても見逃す
解き方は分かるし工業簿記なら勘定連絡図とか直材、直労、製間の区別は頭に入ってるから大丈夫なのに
肝心の製造間接費を集計する時に集計漏れとか起こるんだよなぁ。なんかいい対策ないかな
過去問解いてる分には1時間ちょっとで解き終わる回もあるから見直す時間あるんだけど、この前の本番は見直してる時間なかったんだよなぁ…
30歳♀
副業内容は業務委託として、総務周りを短期間だけ手伝うことになった
そこで感じた無能の点を列挙していく
①Slackで連絡するのが怖い
業務委託として入った会社の人と一度オンラインミーティングしただけで後はSlackだけのやりとりだったのだが、分からないことを質問することも怖くなってしまった
どういう人かよく分からないと連絡するのが怖い
怒られることなんてないと思うのだけど怖い
→結果連絡が遅くなったりして無能だなって思った
②理不尽なことがあったときに相談できる人がいなくて自分のせいかもと思い、自分のモチベーション管理ができない
先方から連絡がこなかったりすると、連絡がくるまで連絡し続けなかったわたしのマネジメントの問題とか、ミスを責められたりとかしたときに相談する相手がいない
そうすると自分が悪いのかもとか思ってきてうわーーーって内省するけど何の役にも立たない。
結果、モチベーションがさがって連絡とりたくないにつながる
③常に常駐してないから、忘れる
本業では連絡きたらすぐ返さなきゃ!とか思うんだけど副業はなぜかその精神が働かない
すぐ忘れるし結果すぐ連絡返さなくなって、そしたらまた連絡したくなくなるのループ。。。。。
そして自己嫌悪、死にたくなる
④ケアレスミスが大きい
本業ではケアレスミスしながら学んでいくっぽかったんだけど、副業の時はフォローしてくれる人もいないし全部自分のせいになる。。。
⑤愛嬌がない
もともと根暗な性格なので相手に嫌われてたらどうしようと思ったら尚更愛嬌がうまくできなくなる
つらみ。。。。。。
はあーーーーーーーーーーーー頭痛い辞めたい
負のループだかなしい
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。
○ご飯
朝:なし。昼:チャーハン。夜:おにぎり、納豆、大根と人参とタマゴとカニカマの味噌スープ。間食:カレーパン。
○調子
むきゅーはややー。仕事はそれなりー。
○プリコネ
アリプリ両方とも二桁順位まで行ったのにズルズルと落ちて今や200位前後をうろうろしてる。
どうも、ルナの仕様を誤解してるっぽいので勉強しないとだ。こういう時割と、ブログなどをGoogleで探すよりYoutubeの動画を探す方が良い内容のものがあったりするので、動画を見てた。
ただ、動画で知識を蓄えるの苦手なんだよなあ…… 結局やっぱりなんで、僕が想定するケースでルナの初手が望むところに入らないかわからなかった。ケアレスミスとか相手の編成の初手とかを間違えてるだけかもなんでもうちょいしこうさくごしよう。
注文内容に合わせて、配達時間の指定がある人には配達時間の指定文言を入れ、領収書希望の人には領収書発行し…みたいな単純作業を担当している事務職の人(29)のダブルチェックを担当してるんだけど、
抜け漏れがすごい。
なぜそうなってしまうのか全然理解できないんだけど、2つだけ理由を思いついた
しなくてもいいと思っている、もしくは何かを作った後見直す習慣がない
何かのフォームに沿って記入するようなことがものすごく苦手な人っているらしい。
理由は何でもいいんだけど、問題はリモートワークでの声かけの仕方が難しい
私はその事務職の人より年下で社歴も浅い。
チャットで「ミスを減らすために、記入した後自分でも一度見直ししてみてください。」って言うと、ものすごくキツい言葉に聞こえてしまう。
でも他にどう言えば…?
本当は、たぶんその人はその業務自体向いてないと思うんだけど、単純作業をこなしてもらうための事務職なので、他にお願い出来ることもなく…。
この日記を見ていらっときた人、批判したくなった人、意見を言いたくなった人、どんな人が現れるかわからないが、深夜4時のテンションで日頃の鬱憤を吐き出したい。
お叱りの意見が来るのは承知である。あとで見返して大反省するのも承知である。
なぜかよくわからないが、周囲の人間に限ってはこの事実の例外を見たことがない。
友達のSは絵が上手くて自頭がよく化粧やお洒落はしていないが周囲から愛される。
友達のYは友だちが多い。また頭の回転が早く旧帝大に現役合格しており、吹奏楽部も幹部で頑張ってきたようだ。
友人のTも旧帝大に楽々合格して、運動神経も良い。ついでにルックスも良い
友人のMは友達が少なく勉強も苦手なようだが球技だけはずば抜けており、最近では趣味のイラストも上達してきている。
などなど
私も良い大学に合格したくて誰よりも努力した、少なくとも勉強時間でいうとクラスで一番だった。中学の頃は友達や恋人に囲まれてる人が本当に羨ましかったし、趣味のイラストだってずっと頑張ってきてる。
でも、なぜかできない。
何を頑張っても平々凡々にしかできない。そりゃあ、勉強だって高1の頃から居残りをして沢山やってたから、担任から一橋だって行けるんじゃないかって言われてた。周りがやってなかったから。でも、学年が上がるに連れて自分の偏差値は相対的に落ちていったし、何より効率よく勉強したはずなのに、一橋どころか地方国公立でさえ落ちた。今は胸を張って高学歴だとは言えない私大に在籍している。自分が頭が悪い自覚がなかった、周りが良すぎると思ってたし今も思っている。(受験について述べ始めるとキリがないが、政経はセンター対策の参考書を網羅したはずなのに、半分知らない内容だったし、数1A2Bだって自分の中では難易度の割によくできたほうなんじゃないかと思ってたら、平均点しかなくて絶望した、英文法も分厚い王道の参考書を網羅して自身があったのに某私大の英語では参考書にない知らない文法ばっかりでひっくり返ったし、受けた奴らは皆簡単だったと言ってて暫くTLも見れなかった。)
模試の度に反省をしてトライ&エラー繰り返してきたけど、受験を振り返ってみると圧倒的にやった参考書の量と勉強時間が足りない。の一言に尽きる。誰よりもやってきたはずなのに、自分がスマホを禁止している間スマホをやってた奴らのが成績が良かったのだ…。
私が記述数学対策を必死でやってきた中で無対策の友達に点数を好かれたら死ぬほど悔しくて、3日間睡眠と食事以外徹底的に勉強した(一日15時間以上)り、冬休みもネットやテレビを経って毎日14時間ぐらい無我夢中で勉強した
それでもセンターが近くなるに連れて周りの奴らが本気で勉強しだすので、自分の成績は上がりようがなかった、くそったれ
まぁ勉強は才能がなかったで終わり、今は就職のための新しい勉強をしているから学歴はもう良い、と最近は思う。まぁ、その勉強も受験勉強と同じく好きだけど得意なわけじゃないから就職してもできるやつに追い抜かされるんだろう。
んでもってさ、勉強以外ができるのかって言うと、違うのよ。
まず自分は圧倒的に仕事ができない。ケアレスミスが多くてレジ打ちなんてもってのほか。集中力がすごいだけで、一つのことに集中してはいけない接客業では圧倒的にハンデになる。マルチタスクがこなせない。何をやれば良いのかわからなくなってしまう。覚えたことがごっちゃになって、またそこでもケアレスミス。せめて仕事ができる人間だったら良かったのに
そして、受験が終わってから小学生の頃からずっと好きだったイラストをまた描き始めたがこれがまた成長しない。ネットで上手くなる方法を探してはトライ&エラーを繰り返し。デッサン模写も沢山やってるし、周りの友達は可愛いね、上手だねって褒めてくれる時はあるけど、上手い人と比べると圧倒的になにかが足りない。同じ18歳で絵の上手い人なんてゴロゴロいるけど、自分より絵描き歴が短かったり自分より圧倒的に描いてる枚数が少ないのにこのレベルかと驚愕することが多い。(自分は中学生の死ぬ気で絵を描いていた。)もうやだ、才能がない、辞めたい、過去絵みたら全部下手に見えてくるし、って思いながらも睡眠時間を削って大学の課題をする時間以外はずっと絵を描いている、3月から。(諦めたり、辞めたりしない、継続する根性は受験期に身についた)さっきも絵を描いていたけど、やっぱりちょっと楽しいと思う半面もう百枚以上は描いてるんだからそろそろ上手くなっても良いんじゃないかと思う。無念。
友達だって少ないし、人から愛されるような愛らしさや魅力もない。ツイッターで愚痴ると嫌われるから本性は出さないようにしてここで愚痴ってるし、中3から化粧の仕方だってyoutubeで研究してきた。見た目のコンプレックスだって拭えない。
最近よく何かがずば抜けてデキる人が本当に羨ましいと思うし、自分は何をするにも鬱になるぐらい、他の娯楽を全部我慢して睡眠時間を削るぐらいの努力をしないと”そこそこできる”のラインに到達できないのに嫌気が差してきた。
自分には何ができるのかわからないしなんの才能があるとも思えない。ちょっとかじっただけで何でもできてしまう友人が本当に羨ましかった。
一時期はこの人だって自分より努力してるかもしれないと思う時があったけど、そう思えないほど自分は精神的にも体力的も疲弊してるのに 相手のSNSでの楽しそうな投稿を見る度にこいつは自分より才能があるんだっていう認識に変わる。
これでも、頭が良くて友だちが多くて運動や音楽の才能がある多彩な人間ほどもてはやされた中学時代と違って、女子大生は才能がなくてもルックスだけ良ければちやほやされるから楽だ。自分は普通だけど。
以上、今日も徹夜でイラストの練習をしているがその合間に書きなぐった愚痴です。文章ぐちゃぐちゃ。大勢の人に見てもらいたいわけじゃないけど、深夜のテンションとたまには愚痴ってもいいよねってことで吐き出してみた。
おわり
ケアレスミスばかりを繰り返す。
「すみません」
「今後気を付けます」
何回言っただろう。
忘れないようにメモを書いた。
メモを書くことを忘れた。
また謝った。
「なんでできないの?」
「分かりません」
なんて言えない。
言えないから、やらなくてはいけないことを小さなことからすべてメモを書くようにした。
メモを書きすぎて何をやらなくてはいけないのか混乱した。また漏れがあった。
「何度同じことを言わせるんだ」
「注意してるのに何も成長しない」
頭ではわかってる。忘れちゃいけない、同じ失敗はしたくない。もう絶対にしくじりたくない。
見落としだった。
確認した「つもり」だった。
どうやったらつもりは消せる?失敗を繰り返したくないのに、つもりが消えない。
結局、自分よりもバカな人を騙して大金を稼ぎ美味しいものを食べる人生が一番だと思う。
未知の分野に挑んだり、清く正しく生きようなどと思わないほうが良い。
http://takedanet.com/archives/1013803981.html
STAP事件の推移を見るにつけ、私は日本の若い人はもう科学者にならない方が良いと思うようになりました。科学の研究というのはとても辛いもので、大学生活でもいわゆる文科系の学生が講義をさぼったりしている時に、土日でも大学で実験をしなければなりません。
今回の小保方さんも、早稲田大学の学生がNHKのニュースで次のように言っていました。
"日曜日に研究室に行ったりするとほぼ必ず小保方さんの姿を見た"
「ほぼ必ず」というのですから、1か月に1回ぐらいは日曜日にいなかったという感じでしょう。実際にもそうです。そうして夢を追い、大学院に進み、アメリカに留学し、そして博士号をとる。その間、家族もかなりの応援をしなければ科学者にはなれません。
一方、サラリーマンになるなら大学をそこそこ勉強して卒業して、そのあとは給料をもらい、時には上司に誘われて飲みに行ったり、「行きたくない」と断ったりして入ればそこそこの生活ができます。
しかし、科学者は博士号をとって研究機関に入っても2年ぐらいは無給だったり、ポスドクという不安定な立場で教授や指導者の手下になって雑用をこなさなければなりません。その間を縫って実験をし、夜の夜中に論文を書いていきます。学会も出なければなりませんが、旅費も思うようにはでないのです。
若い頃の論文は欠点だらけなので、普通は査読を通過するには至らず、書いてはダメ、書いてはダメという日々を過ごします。そしてやっと通った論文に少しでもミスがあると、叩きに叩かれ、論文を出すときにはまったく協力してくれなかった「専門家」という人たちが、論文がでたらすぐ欠点を追究してきます。
さらに論文が少しでも社会に評価されたら、大変です。NHKの記者が追まわし、女性なら女子トイレにまで追っかけてきます。本人が犯罪を犯したわけでもないのに、まるで犯罪人扱いになります。
また、科学の世界には多くの「掟」があり、それはどこにも書いてないので、一つの研究室にできるだけ長くいて、先生の雑用をこなして少しずつ教えてもらうしかないのです。うっかり「著作権法とその判例」などを勉強して、「知的所有権を正しく守る論文」など書こうものなら「剽窃・盗用」と罵倒され、時によっては無給でも散々な目に遭うことがあります。
そんな時には博士課程の恩師や、職場の教授などはまったくあてになりません。事件が起こるとどこかに隠れてしまいますが、それはもともと教授などは一人一人で身を守っていかなければならないので、逃げる習性がついてしまっているからです。
さらに社会も許してくれません。社会の人の多くは「未知のもの」などと取り組んだこともなく、普通は「規則通りにやればよい」という社会ですし、何か問題が起きれば組織が守ってくれるから、たとえ善意でも科学者の苦悩は理解できないのです。
確かに科学は人の魂を揺さぶり、やりがいのある仕事ですが、これほど日本社会が硬直化し、バッシング社会になり、論理が通らないので、すでに限界を超えていると思います。「研究のような感じで研究ではない」という普通のことならなんとかできますが、「新しい分野」を拓こうとすると、その経験がなく、自分の仕事が暇で、他人を批判するのが生きがいという人が大量にいますので、つぶされてしまうでしょう。
高校生、大学生でこれから科学者になろうとしている人は、時代が悪いので、やめた方が良いと私は思います。悲惨な目にあいますから。NHKがSTAP事件の番組の取材で小保方さんを追まわし、負傷させ、しかも番組の宣伝までやっているのを見て、私は「日本の科学に若者を進ませてはいけない」と強く感じました。
実験をしたり、論文を書いたりした経験があるとわかるのですが、それも未知の分野のものの場合、その苦労、失敗、ミスは多いのです。親御さんの含め、今の時代は未知の科学に進ませることはお子さんの不幸になる可能性が高いと思います。
まだ、ケアレスミスしかわかっていないのに、「稀代の詐欺師」などともいう人がいます。本当に若い人にとっては人生を失うかも知れず、進路としては危険がありすぎると思います。
新型コロナウィルスの影響でウチの会社でもリモートワークを実施するようになった。
会社の同僚でおそらくADHDの症状を持つスタッフが居るのだけど、分け隔てなくリモートワークに突入した。
当人は普段からケアレスミスが多かったり締め切りが守れなかったり、仕事中にフラッと職場を離れて10分以上戻ってこなかったり
何かと問題が多かったのだけど、リモートワークになったらさらに残念な面が表に出てきてしまった。
●携帯電話に出ない
●オンラインでの出退勤処理をしない
●メールに対する返事が無い
自宅で仕事を行っているのかすら怪しい状況で客先からも、あの担当者(ADHDさん)が電話に出ないからこちらに
連絡させて頂きましたと、前の担当者に連絡が行く始末。 そうした問題を本人に聞くと、
〇自宅で業務に当たっていました
〇その処理はした筈です
先に結論だけ書いておくと、これはダメ人間が書いた掃き溜めだ、読む価値はない、これを読む時間を聖書を読む時間に当てた方が有意義なことを保証する。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。いや蛆虫の方が医療等で活躍できるため自分よりはるかに有用だろう。
これら先延ばしのこと等は自分の中ではやらなければならないとは思っている
・まだ実装できていない機能を実装し、残っているタスクを消化する
など、どうしなければならないかの道筋は頭にあり、またそれを実行しさえすれば解決できるものであると確信している。
しかしなぜかできない、なんでと言われても自分でもその理由がわからないので答えようがない。
これらは自分の中ではやらねばならないことだと認識しているので、やれないことに対する不安がだんだん心の奥底に鍾乳洞から滴り落ちる水滴のように溜まっていきいつかこぼれるのだと思っている。いやすでに溢れていてそれが現状の鬱なのかもしれない。
自分は社会で最低限必要なことができないクズだ、ADHDや鬱がなければまともになれたと思うが現状まともでないのでクズであることには変わりはない。
おそらくこれを読んでいる方の中には「やればいいじゃん」と思ってる方もいらっしゃるだろう、まさにその通りだ。やればいいことでやれば終わることだ、しかし今の自分にはできない。今の自分にできるのはだた陰鬱とした感情を吐露することのみである。
もしできることなら自殺できたらと思う、迷惑をかける自分の存在は周りにいる人や社会にとって明らかにマイナスなのだ。
これら特性は今に始まったことではない、大学では引きこもり本を読むか(自分以外に無意味な)コードを書く日々を過ごしていた。この時も本来やるべきである勉強をしていなかった。(私は物理系の学科だが情報系の勉強ばかりをしていた)
大学生だというのにまともに交流も勉強もせず無下な時間を狭い6畳一間の部屋で過ごしていたのだ。さらに大学も中退してしまった。
もっと昔に遡れば高校の時も嫌になった部活や委員会から逃げたり、中学校の時も嫌な勉強から逃げたりしていた。
こう見てみると自分の人生は「逃げ」か「嘘」しかない空虚なものだと思う。結局ADHDとして生まれた時から自分の人生には「逃げ」か「嘘」しかったのだとも思う。
最近、人生をやり直せたらと思うことが多くなってきた、現在20台半ばだがすでに未来は暗い、丑三つ時の夜空の方がまだ明るいだろう。
スキルもなく、人格も悪い、事あるごとに「逃げ」か「嘘」を使い、全ての事象から目を覆うダメ人間に未来などない。
昔は自分の人生は素晴らしいものになると思いていた、自分で言うのも恥ずかしいがIQは高く、記憶力に優れ、芸術的センスも平均以上にあり、会話や交渉が得意、これらの才覚があれば自分は素晴らしい人生をあゆむ素晴らしい人間になると錯覚していた。
しかし、これらはあくまで"普通のことができる"、"努力ができる"人間であればと言う話だ、自分はおそらくこれらの代わりに"普通のことができる"、"努力ができる"と言う一番大切な能力を失ったのだろう。そのせいで無駄に悪知恵が働き、無駄なことを覚え、よくわけのわからない表現をつかい、他の人を騙す、最悪の人間になってしまった。
厄介なのが自分の中に自分の理想像があるのが一番厄介だ、もし自分の理想像がなければ現実との解離で苦しむことはなかったのだろう。
如何しようも無い現実が存在し、それからは逃れられない。現実から目を背けても無意味などころかより悪い状態に陥る、しかし目を背けずにいられない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
もし、自分が中学生の頃までにADHDだと診断を受け、適切な治療を受けていたら?
もし、大学生の頃、鬱傾向が出た時にきちんと精神科で治療を受けていたら?
もし、ADHDや鬱がなかったら?
これらはあくまで現実と解離した無意味なIFにすぎない。しかし、当事者である自分からしてみると考えずにはいられず、またありえたかもしれない世界という逃げ場所を失うと言うことを避けたいのだ。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。
しかし、今までの文章からわかるように改善はもはや見込めない。ただこれからも周りに害を振りまく人生を過ごすだけだ。
もうどうしようもないのだ。
殺意すら芽生える。
死にたい。
商業高校や理系大学のプログラミング授業では、常に高評価をとってた。
ルーチンワークは嫌いだし、飽きっぽい。
プログラミングは大学で天上人にあって心が折れた。一生勉強なのもつらそう。
手に職をつけようと思って身につけたWeb制作技術は、はてが見えないのと高収入を目指すと結局プログラミングになりがち。
気軽に新しいとこに突っ込んでいけるような年齢じゃない。
でも転職がしたい。
今の仕事は自分の能力にあってて、パフォーマンスは最低でも給料の倍でてる。
自分的には3倍~4倍は出てると思う。
上司陣にマネージメントの概念がなくて、褒められないのもきつい。
残業過多な会社だけど、自分は仕事が早いから残業ぜんぜんしてないのも若干気がかり。
そして、今年中に仕事内容がガラッと変わる予定がある。
しっかり褒めてくれるだけでも全然違うんだけどな。
タイトル通り
思想の根っこがどこかで繋がっているはずだという
考えがあって、それゆえにわかってもらえるはずという期待があるのかもしれない
人は人のことをわからないはずなのに
こーいうのは男性もあるのかな
※追記
わかってもらえるからという期待ゆえに(=争いたくないがために)
言葉がうまく出ない
という話です
争うのが苦手っていうのがあるし男性には強く言えるというのもある
※追記2
ツイフェミのことはよく知らないんだすまない
女性だけの街を作ったらそれはそれで男性的なものに価値がおかれるようになるんじゃないの(女子校でモテる男性っぽい女子みたいな)
いや知らんのだけどね
▪️
責任をとるって自分では大なり小なり局面で判断して決断する人って思っていて
そういうことができている人はいいなって思うよ
っていうかそうしないと男女問わず結局辛いよね
※追記3
自分はこの悩みで仕事を辞めるのが2回目なので次はしないようにしたいんだ…
>>オタクならまだ話せるけど一般女性は何話していいか判らない
うん。オタクって欲望をさらけ出しているのでその点でお互い立ち位置がノーマルなのかな
隠れオタクではないけど普段から自分の趣味とか言わないからそういうのやめたほうがいいのかなあ
(仕事と関係ない趣味の話ってどういうタイミングでするのか分かりかねる)
▪️
女性=仕事ができない人ってみているひとは女性という大雑把でみないようにしたほうがいいんじゃない?
自分もそういうフィルタで女性を見てしまっているのかな、と反省しています。
※追記4
これはとても分かった
▪️
男相手だとここ間違えてるから修正お願いしますって淡々と言える
男ならここがダメってはっきり言えるけど 女だとめっちゃ気を使って言い方も厳選
ケアレスミスさえ指摘しにくいんだよな
うまく言わなくてはと考える
▪️
増田が男性からは「多少生意気な口を叩いても許される若くてかわいい女の子」扱い
まあ舐められているということだろうか
個人の力量に任されるニッチ作業が多いのでそういうことは多少あるかも
ニッチ作業しているから特殊に扱われたい欲が自分に返ってきている可能性はあるので気をつけるわ
▪️
しばらくフリーなので楽に生きるわ
サスペンスとして見てる人には申し訳ないけどさ(そういう人はこの増田が火消ししてると思って読むといいと思うよ)
これくらいで自殺?みたいな意見多いけど、こういうクズは同じことを今までも繰り返して来たんだと思う
しばらく上手くいってたからズルズル同じこと繰り返してきてのこの一件が発覚、みたいなかんじじゃないかな
んで自殺したのは別にケジメとかじゃなくてただそんな自分に嫌気がさしたんだよ
クズじゃない人には分からないだろうけど、クズって心の底から開き直ってる訳ではなくて(人によっては開き直ってるかもだけど)、やりたくないと思いながら今更止めても色々帳尻合わせられる気がしないから続けちゃう(罪を償うのは嫌なんだよね、クズだから)んだよね
で、今回みたいに明るみになった時、クズは真っ直ぐ償う以外の道を選びがち、だって今までだってそうしてきたんだもん
ここまで長々書いてるからお察しだと思うけど、増田もめちゃくちゃクズの分際だからさ、こうならないようにしたいなと思ったよ
悪行のはじめの1歩を踏まないようにしなきゃね、まあはじめの一歩は故意的じゃないただとケアレスミスってことも多いから救えないけど
当時は今ほど人々のライフスタイルが多様化していなくて、学校に言われるがままセンター試験を受ける人がほとんどだった。
親はセンター試験で満点を取ったらしく厳しく育てられたが、私は昔から「勉強だけが全てではない」と考えていたため、重要視していなかった。
センター試験は受けさせられることになったものの、普段どおりの生活を心がけ、前日も夜遅くまで友達と電話した後、その時ハマっていたラジオを聴いていた。
気がつけば3時位だったと思う。
寝て起きたら8時だった。
いつもの休日のように新聞を読んだ後家族とご飯を食べようとすると父親に「お前、今日はセンター試験じゃないか?」と言われてハッと気づく。すっかり忘れていた。
他の受験者はこういう日は気合入れてもっと早く起きるんだよね。
それでも焦ることはなく身支度をして雪の降る中会場へ行くと、テレビで見たとおり既にたくさんの人でごった返しており、何とか自分の教室にたどり着いた。これが「センター試験か。人生で一度くらい経験してもいいかな」と思った。
周りの受験者は直前まで勉強していたが、私は普段の試験と同じように気楽に受けた。
センター試験に向けては特に勉強せず、私の生活で勉強といえば学校の授業を人並みに聞いているだけだった。
いざ試験が始まってみると「なんだ。どれもこれも授業で習ったことばかりじゃないか」と思ったが、センター試験に命をかけている女学生は教科が終わると泣きじゃくる者もいた。勉強したのに報われなかったのだろう。
私はというと、自分の力は出したが、センター試験の対策はしていなかったから、手応えがあるのかすら分からなかった。
結果が返ってくると「こんなものか」と思ったが、東京大学を目指していた友達には「普通は勉強していなかったらこんな点数取れないよ」と評価された。
英語と世界史は得意だったが、ケアレスミスで何問か間違えてしまったのでそんな評価をされるとは思わなかった。
高校の教師には「せっかくだから、大学に行ったらどうだ?」と提案されたが、たった1日の出来事で人生観が変わることもなく、大学にはいかなかった。