はてなキーワード: ケアレスミスとは
「自分に甘い」と上司から指摘された部分がことごとくADHD由来のものなので無理だっつー
開き直りつつ落ち込む
だらだら仕事してるように見えるけどこっちは全方位に気がそれるの誤魔化し誤魔化しやってんだよ
薬で頭はっきりしても気がそれるのはそれるんだよ
周りの音調整できる(らしい)お前らと違って全部の音がそれぞれ入ってくんだよ
だから残業して人が減った後に落ち着いて仕事しようとしてしまう
あとそれとは関係なくとにかく運とタイミングが悪いことごとく。
努力しているところが見えないとか言われても他の人より念入りに前準備したり確認を何度もしたり
努力してるところも上司とか普通の人から見たら努力じゃなく余計な事に時間を使っている
効率的にやれと言われる、こっちは出来て当たり前のことも努力しないとできないから
ってなる、でケアレスミスが多いからちゃんと確認しろと言われる
もう無理だと思って実はこういう障害を持っていてなので確認作業に時間がかかる集中しにくい体質だとか
言っても、集中したら周りの音なんて気にならなくなる
集中してても周りの音が気になるというのはちゃんと集中できていないだけ
まだまだ集中が足りない(?)ってこと、俺なんか最初から全部疑ってチェックしてるぞと言われるが
今年の夏心療内科で診断してもらった結果が出て発達障害だろうとのことだった
診察のきっかけは自分のケアレスミスがあまりにも多すぎることを不可解に思ったからだ
それまでも生きづらさはとても感じていたがやはり模試の結果などで明確に提示されると否が応でも自分は何かがおかしいと気付かされた
親と一緒に病院に行った際
「幼い頃から何らかの発達障害だろうと思っていたが本人の気持ちを尊重し、病院に連れて行かなかった」
と言われた
親の言い分も理解できるが、もっと早く分かっていればどれだけ楽だったか分からない
小学校に上がってもそれは変わらず、友人らしい友人は小学4〜5年生になって初めてできたような記憶がある
加えてADHD特有の整理整頓のできなさや不器用さのせいで運動や書道、美術、技術などの実技系の科目と平常点は小中高通して壊滅的であったので内申点が関わる公立高校への受験は諦めて中高一貫男子校へと進学した
中学に入っても部活動に入っても合わなかったため一年程度でやめ、そこから高3まで家と学校を往復するだけの日々を過ごした
別に家に帰って勉強するでもなく、中高6年で親しい友人もできずここ数年間は虚無だった
しかし他人との関わりがほぼなかったため高校生なんてそんなもんだろうと思っていたのだ
我ながら書いていて悲しくなる
もう少し早い段階で発達障害と知ることができれば良かったと思う
少なくとも自らの不器用さとそこからくる劣等感については自己責任ではなく、そういうものだからと割り切れたのにと思ってしまう
だから、言葉足らずで不十分な指示をしてしまうことは多々ある。
優秀な人間は、そんな間違った指示からも正しい意図をくみ取って実行できる。
どこがどう間違っているかきちんと認識しているので、指示内容に迷いや疑いをもつことはないのだ。
csv設計書にこの要素はプルダウンで選択して〜とか書いてたので「csv仕様書はcsvの仕様だけ書いてください実装方法はシステム側で検討するので書かないで」と伝えると
"実装方法はシステム側で検討する"のだから、仕様としては候補を挙げておくだけで十分だろう。
最初に言うが親を恨んではない。
しかし口には出さないが産まないで欲しかったと今でも思ってる。
醜悪な容姿、ガチャついた歯並び、頭から生える縮れ毛、運動音痴、痩せの多汗症、出来損ないの脳みそ、理解力も物覚えも遅く愚鈍な脳みそ、必要な事を忘れるのとケアレスミス量産が得意な脳みそ、発達障害扱いされる脳みそ、セカンドオピニオンでも健常者認定される脳みそ、低い口語能力、コミュ障、ついていけない雑談、聞き取れない人の言葉、理解できない人の話、ノイズ、打たれ弱く脆いメンタル、他人の笑い声に怯え、他人の怒鳴り声に怯え、ひといきれに怯え、ストレスを感じると湧き出す止まらない眠気。生きていて眠い。眠い。壊れた大脳が元に戻らないのはどうやら本当のようだ。それとも元から壊れてたのだろうか。
産んでくれてありがとうっていつか言えるようになるのかな。言いたいな。学生の時の楽しい思い出なんて何一つ無かった。幼稚園の頃から登園拒否気味だったらしい。同級生達の大きな笑い声が怖くて、中学校では何をしていたのか上手く思い出せない。
近所に住む同級生達は結婚し子を産む。俺は彼女いない歴年齢で、恋人どころか定職すらままならない高卒アラサー。卒業した高校の偏差値は39だった。きっと親に感謝することが出来ない俺の代わりに感謝しているんだろう。サンキュー。
親が俺を育てた苦労も、親なりに俺を愛してくれたことも、理解はしている。それでも感謝の念がどうしても湧かない。もしも戻れるなら精子に戻って他の精子に道を譲りたい、もしもタイムマシンがあったら若い頃の父の睾丸を叩き潰したい。そうして透けて消えていく自分の体を確認してホッとしたい。
アルバイトすらままならない、単純作業ですらままならない、生きてて自他ともに不愉快を与える俺は、どうすれば親に感謝できるようになるんだろう。
せめて気が狂って言葉や感情が壊れる前に、親へ心の底からの感謝を一言でも言いたい。
生まれたくなかった。
今何もかもしんどい、生きるのも結構体力いるし学ぶのもしんどいし自分のプライドの高さは一番しんどいしとりあえず、まあ聞いてくれや俺の半生という程も無いけど話きいて。
今私は、鬱になってピカピカの2年目ですの。
社会人として三つほど働いた。新社員として入った所は私に人権は無かった。馬鹿ほど真面目だったので真に受け人権の無さに会社で大泣き迷惑女になりましてよ!それで、鬱になってしまったんですが、今思うとやばいなあの会社
2つ目は派遣で入った。聞いてない電話対応で毎朝罵声を浴びさせられお局には虐められる。流石に気が狂うと思って辞めた。この会社でも泣いた
三つ目はアルバイトで働いた。そこは病院だったので気が楽で個人的には楽しかったんだけど、事務仕事がこれまた死ぬほど出来なくなってる。ケアレスミス祭りなわけ、ウィルスミスもびっくり。
アルバイトしながらも自分にはADHDの気があるんでは…?と思いながら働いてたら等々会社の人らに自分ADHDちゃう?と言われてしまい、やはりな〜!と思いながらここでも泣いた。
結局、そんな風に言われては居辛くなり秒で辞めました。あん時の私はクイックシルバーだった。(辞めるの)速すぎて見えなかった?
辞めてすぐに訓練学校に通ってるんだけど楽しい。が、実家、私ド貧乏な訳。定期代だけで馬鹿にならない。アルバイトしてと言われ短期始めてみたりしたけど、学校行って休み働いて体力が無い。無理すぎる。でも、近々また働く予定。
ド腐れな趣味はやれてる?って言われたらやってる。とりあえず。生命線
転職回数は今のところ6回、向いてない仕事もあれば続けられる仕事もあった。
コンサータとストラテラという薬を飲みながらフルタイムで働いている。
向いてない仕事は、臨機応変な対応を瞬時に求められるもの、契約などお金やキャンセルが簡単にきかないもの。
例えば、ホールやスーパーのレジ、インターネットの契約とったり、そういうやつ。
向いているものは、一つのことに集中しやすい、興味のあるものと関連があること。
ゲームが好きだから、某電気屋のおもちゃコーナーのバイトは楽しかったし、5年くらい続いた。ポップ作りも楽しかった。
向いてない職種の時は、失敗する自分のせいだけど人格否定されるような叱責も受けたし、今もたまにフラッシュバックする。
今は幸い向いている職業に就いているおかげで、正社員として働けている。
エンジニアだから、電話対等やお客さんのところへ行くとか書類を作るとか、幅広く色んな仕事をする必要がなくて助かっているのもある。
なにが言いたいかと言うと、自分の周りのADHDの人たちは怒られることに疲れたのか障害者枠の仕事を探そうとしている人が多い。
あとは生活保護を考えたり。
きっと今まで仕事で怒られすぎて自信をなくしたり、自分はなにもできないと思っているんだろう。
でも、それは職場が合わなかったり、自分が苦手な職種を選んでいる場合も多いせいだと思っている。
ADHDなのに事務員でケアレスミス頻発したり、臨機応変に動かないといけないコンビニバイトを選んだり。
ADHDでも症状が軽ければ障害者枠じゃなく、普通の社員として働ける。
障害者枠だと給料が低いし、自分にはなにもできないからとそういうのを選んでしまったら、余計に自分のことを嫌いになってしまうんじゃないだろうか。
直接ADHDの友人にも言えたらいいが、症状は人それぞれで、仕事の相談を受けた時に上記のようなことを伝えても『お前だからだよ。』と言われたら、なにも言えない。
ただ、ADHDだから障害者枠で探さないといけないなんてことはない。
向いてない職場で心をすり減らして鬱になってしまう前に、そんな職場はやめた方が良い。
ADHDは疲れやすいという性質もあるから、資本である身体を一番労ってあげてほしい。
一度失った健康は戻らない。
「普通に考えれば分かる」と思っている人と話すのが辛いを読んで、初めて増田を書くことにした。
この増田を書いた人の状況は、周りの人間の問題なのか、本人のスキルの問題なのか、あるいは本人の発達障害が問題の原因なのかは判断がつかないが、一部のコメントでも言及されている通り発達障害の方に多く見られる「汲み取る力の不足」や「ケアレスミスの多さ」が見られるので、自分では気づいていないが発達障害の方なのではないかと推測している。
最初に発達障害というものを理解するきっかけになったのは、とある元同僚とのこんな一幕から。
自分:「Aさん、今お客さんに送ってくれたメールの内容の件だけど、Aさんが書いていた「〇〇タスク」の状況ってどうなってたっけ?」
5分経過。まだパソコンで何かを調べて難しい顔をしている。
自分:「え?今10秒前(最初の質問時点)にAさんが自分で送ったメールの内容だよ?憶えてないの?」
Aさん:「ごめん、メールを送ったのは憶えているけど、内容がすっかり忘れちゃっていて...」
自分:「まじで?(あまりに信じられない状況だったので)それ本当だったら、結構ひどい状況だよ。体の調子が悪いとか?」
Aさん:「いや〜、実は昔から周りに『AさんはADHD(発達障害の一つ)っぽいところあるからな〜』なんて言われているんだよね。そのせいかな〜」
自分:「ADHDって言うのがあるんだ。ネットで調べて見たけど一度ちゃんと病院で見てもらった方がいいんじゃない?10秒前の事を憶えてないってやばいよ」
その後Aさんは初めて発達障害の検査ができる病院に行き、発達障害(ADHD)の診断(グレーゾーンでない)をもらった事を教えてくれた。
その事がきっかけで発達障害の事をいろいろ調べた結果、過去の自分が一緒に仕事をしてきた人達の中で「当たり前・普通の事ができない」と感じた人に、発達障害の人に見られる特徴がいくつもある事に気づいた。
・依頼した事が実施されていない
・ケアレスミスが多い
・長めの会話をテンポよく進めると話について行けない(話を聞いていないように周りから見える)
また、それぞれの人に程度の差はあるが、これらの特徴を持つ人がある特定の職種に異常に高い比率(過去実績で100%)で存在している事に気づき、仕事上ではその職種の人とのやりとりに気をつけるようにしていたのだが、自分の職場に部下としてこの職種の人(Bさん)が入社してくる事になった。
既に色々な知識や経験から、この入社してくるBさんも一定の高い確率で発達障害の可能性がある事を覚悟していたのだが、仕事を始めるとすぐに上記のような特徴がある事が分かり発達障害の特徴に配慮した仕事上のコミュニケーションを行っていた。
対処療法として、自分が相手の課題・苦手な部分をカバーする事で仕事としては成立させる事ができるのだが、発達障害を持つ(と思われる)Bさんはその事に気づかないため、理解のある同僚が永遠にカバーし続けなければならない。これはカバーする方には業務量の負担増加や、相手から感謝されるわけでもないので単純にストレスの増加に繋がる。
また、発達障害を持つ(と思われる)Bさんも自分の課題の原因(発達障害)についての理解がないため、課題の改善が進むわけでもなく得意な部分での仕事で成果が高まらない限り高い評価を受けることはできないため、仕事における達成感・満足度を感じづらい期間が続くのである。
根本的な解決方法は、Bさんに発達障害の特徴がある事を伝え、もし発達障害であるのならそのマイナスの側面をカバーするような対策を自分でも行えるようになってもらうか、苦手な部分は他の人のサポートに任せ得意な部分で大いに貢献をしてもらうかのいずれかだと思っている。
しかし、自分では客観的に見て明らかに「発達障害が原因」と判断しているものの、その事を伝えられるBさんの気持ちや受け止め方の多様性を考えると2年間伝える事ができなかった。
Bさんは転職する事を自分に告げる時「色々良くしてもらって仕事していたのですが、自分が組織に貢献できている気がしませんでした。申し訳ないです」と言っていた。
自分はどうするべきだったのだろうか。
誰か教えて欲しい
ルールを作ってそれを守ればいいっていうの、
ケアレスミスでルールが無効化されるってことが抜け落ちているんだよなぁ…
気合で予定を忘れないようにしておくのと、
「予定が決まったらすぐにスケジュール登録をする」というルールを気合で覚えておいて気合で必ず遂行する、
っていうのはそんなに大差ないんだよ。
別に俺はASDADHDとかってわけじゃないけど忘れぽいから、とりあえずIFTTTでGoogleカレンダーのイベント開始1時間前にVoIPがかかってくるようにしてる。
前日や2時間前の通知も当然行うが、それがあっても予定を念頭において行動できる保障はないから最後の頼みの綱としてこのレシピを設定してる。
定期的に発生するイベントなら、イベント終了時に新たに次のイベント登録するIFTTTレシピも活用している。
要はなるべく自動化することでケアレスミスが介在する余地を出来るだけ潰す。
スケジュール管理ミスをなくすには「スケジュールを管理しなければならない」と考えてはいけないのだ。自分の手で管理していればいつかは必ずミスが起こる。
細かな変更や抜け落ちがないかは結局自分でチェックするしかないが、それも3日に一回のルーティンとして、リマインダーに登録してる。
そしてなおかつ何よりミスが誘発するようなスケジュールの詰めすぎに陥らないよう気をつけている。
変更するのが難しい予定が連続するようなことは高確率でトラブルになるので絶対に避けたい。
しかしここまでやっても2ヶ月に一回は何かしらのミスがある。スケジュール管理だけとってもそれをしっかり管理することは至難の技なのだ。
あと無くし物は、「出来るだけなくしてもいいような物しか持たない、なくしたくない物はなるべく仕舞い込む。」「なくしたらそれを最後に見た時の記憶から辿っていけば大体見つかる。」
忘れ物は「なにかと必要になりそうな物をポーチや鞄にまとめて常備しておく。」「前もって持ち物を準備しておくことも予定に組み込む。」ことで結構改善された気がする。
不注意(気が散ってしまう)
・約束や期日を守れない、間に合わない
・片付けるのが苦手
多動性(じっとしていられない)
・落ち着かない感じ
https://adhd.co.jp/otona/about_adhd/#adhd-2-1
・約束や期日に厳しい
・片付けに厳しい
・体操座り、起立気をつけ礼、一糸乱れぬ行進など集団と同じ動きをさせることが大好き
・卒業式中どころか授業中の咳払い、髪を触る、身体を掻くなどに異様に厳しい
・目的のない動き、観測者が理解できない行動に異様に厳しい(監視社会)
・口数が少ない
・優柔不断
あとセンター試験な。あれはADHDを足切りするためにあるんやで。大学にADHDは必要ないからな。ワイのマークと筆記の偏差値差は15や。衝動的で不注意なやつは解けないようにしてあるんや。
海外だったらこんなに遅刻に厳しくないんだよな。みんなもっと適当に生きてるんだよな。昔仕事先にいたインド人とかなんでもクッソ雑だったもんな。
脱海外出来るような頭もコミュ力も気力もないからワイは死ぬことにしたけど、これから日本に生まれるADHDは本当に可哀想やね。ADHDを殺すためにあるみたいな国に生まれて。
日本人は悪くないんやで。丁寧で時間が守れるのはとってもええことや。でもワイの生まれるべき場所じゃなかった。
ああ日本の中にもADHDに優しいところがあるって?知ってるわ。でも幼小中高大ずーっと優しくなかったやろ。会社だって転職転職でやっと見つかった居場所も潰れたな。笑えるわ。
そわそわするな。窓の外見るな。プリント皺くちゃにするな。なくすな。忘れるな。首掻くな。それぐらい気づけ。ズレてるぞ。字が汚い。ああそんなのどうでもええやろ。そんなにワイを正したいか?無理だろ生まれつきガイジなんだぞ。
ほんじゃさよなら
200~400ブクマぐらいなら月に2つぐらい取れるからまあ俺もそこそこの実力者かなって……自惚れていたよ。
俺はまだ雑魚なんだな。
まあなんで伸びないのかは分かるんだよ
世の中には役に立つものしかブクマしない人がいる。役に立ちそうだと思ったら読まずにブクマする霞を食べる白ヤギさんが沢山いる。その層にフックできないと1000の壁を超えるだけでも難しい。400人に読ませて全員にブクマさせるのではなく、1000人にブクマさせてそのうち100人だけが読めばいいっていうのを目指さないと壁は越えられない。これを目指したいなら専門知識をフル活用してここでしか読めない物を作るか、スクレイパーしまくった便利なまとめを作るのが強い。問題は俺には専門知識もないし、スクレイピングはどうも好きくないことだ。
オタク系・敗者系・理不尽系・パンティー系・釣り系といった増田は、これはひどい系インターネッツの定番ネタとして固定ファンに人気が出やすい。その代わりに、そうじゃない層からは見向きもされない。こういったジャンルをメイン武器に選ぶとブクマの上限にリミットがかかる。年収を増やしたいなら戦うステージを選べというのと同じだな。多数にフックしたいなら役立ち系以外がまず最強なんだが、それ以外でも光属性と一人称女性系は強い。役立ち系が無理な以上目指すべきは光のネカマだ。心の子宮を光らせよ。目指せ魂の処女懐胎。
伸びる時間帯。伸びる日がある……らしい。それが具体的にどこにあるのかは諸説があるが、当たらずといえども遠からずの予測はいくつも経っている。自分はそれを完全に無視している。なぜか?自分が気持ちよく書くことが一番大事だからだ。風を感じて書き、ざっと添削したらお熱い内に投稿する。このやり方は、本気でバズりを目指すならもったいないのだろう。マラソンに裸足で挑むようなものかも知れない。学ばなければいけない。勝ちたいなら。執筆の快感より、称賛の快感を目指すなら、本能だけで戦ってはいけない。
自分は書き直しをあまり好まない。ライブ感を楽しみたいから。最低限の添削はするが、面白そうな誤字があったら残したりもする。それが成長を妨げている気がする。見る人が見ればまだ2段階パワーアップさせることが可能な状態でいつも投稿しているに違いない。せめて1段階でいいからブラッシュアップしてから投稿しよう。それを繰り返すことで何かが開ける気がする。開けると信じたい。希望を失って書く増田に熱は宿らないと信じたい。熱が宿らない増田が伸びるとは思いたくない。
そんなことは知っている。でもそれを言ったら人生そのものが無意味だろ?毎日会社で誰かのケアレスミスやコミュニケーションエラーの尻拭いをさせられて、クタクタになって家に帰る。とても釣り合いが取れているとは思えない。さっさと死んでしまったほうがいいのに生きているのは、なんか知らないけど、生きる方向へと突き動かされるから。慣性の法則に過ぎないのかも知れないけど、せっかく風が吹いているなら流されてみたくなるから仕方ない。
いや自分の所業を棚上げしてでも後輩を指導しないといけない先輩のつらさもわかるから、そこで揚げ足をとるほど不親切にふるまう気はないんだけど
先輩があまりに自分は一点の曇りもない完璧な人間かのようにふるまうからさ
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べつに会社の看板に泥をぬるために失敗をしているわけではないし先輩に媚びるために失敗を反省してるわけでもない。
まあ会社の向上につながるなら社員それぞれのライフスタイルにあわせてフレックスタイム導入すればいいじゃんと思ってる方だし、人間ミスする生き物だからミスを憎んで人を憎むな、ミスが発生するスキームが悪いと思ってる方だから、いままでは先輩の仕事のしかた自体に対してはどうとも思ってこなかった。
なんなら先輩もこっち側の人間だからそういう仕事のしかたをしてるんだと思っていた。
しかし、ふたを開ければ、先輩は自分の失敗を記憶から消すことで生き延びているかなしい生き物ってだけだった。
その生きざまに信念はない。
今は失った記憶をもとに形成した人格で、後輩に説教をかまして悦に入る怪物と化している。
言われた方がカチンと来る言い方をするのがあまりにも上手い。先輩自身と同じように、遅刻やミスをする人間に対してあまりにも傲慢な言い様だと思う。
出世したいらしいけど、そのやり方では、求心力は育たないだろうなと、思う。
だらしない先輩からだらしなさを指導されたときは、クッソむかつくな、ブン殴ってやろうか。と思ったけど、それがただしいわけじゃないかもしれない、と思って、とりあえず殴るのはよした。
でもうっくつはたまって仕方がない。
どうすればいいんだろ
俺は高卒で、今は個人事業主として働いてる。奇しくもこの男と同い年の36歳だ。
年間で大体1500~2000万程度の売上がある。
まあ経費やら税金やらを差っ引くと手元に残るのは600~800万程度。
多少……と言っても本当にギリギリだけど余裕も出てきたので、そろそろバイトでも雇おうか、そのぐらいの規模感。
独立する以前はサラリーマンを10年近く続けた。ブラック企業と呼ばれるような会社にいたこともある。
なので比較的、少なくともこの男よりは世の中のことは知っていると思う。
そんな俺だから言うけれど、間違ってるのは確実にお前の方だ。
学歴云々じゃない、単にお前の知能が他人より劣っているって俺は感じる。
個人事業主になってたった1人で切り盛りしている今であっても、不要なデータを残したままにしてるのはありえないし、フォントを揃えないのも読みにくくて困る。
読みやすさはそのまま理解の度合いやケアレスミスの発生率に影響するんだ。フォントってのは読んでもらうために存在してるってことを思い知れ。
エクセルでround関数を使うのだって、これはまあ用途にもよるけど使わなきゃいけない場面ってのは結構頻繁にある。
切り上げか切り捨てか、それとも四捨五入なのか、きっちり揃えないと後々帳簿の数字が合わなくなって余計な時間を食うハメになったり。あるあるだ。
本当のコミュニケーション力~のくだりも、経歴や能力がバラバラな人たちが集まって組織を作っている以上、頭を使える方がフォローに回らなきゃいけない。
というか、そこで頭を使える方が頭を使わなかったら頭を使う人間がいないのでその組織は早晩崩壊するし、頭を使えるけどその頭を使わないんじゃ結局は頭の使えない人間と同義なのでお前も大好きな低能の仲間入りだぞって話なんだよ。
ADHD の疑いがあり、通院して2ヶ月が経った。ストラテラはあんまり効果が感じられなかったため、コンサータ18mmを試している。
思えば授業中はよく居眠りをしていたし、ケアレスミスをやらかすことが多かった。部屋も片付けられた試しがない。でもそれって普通の人も同じじゃない? と問われると自信がない。
その人が発達障害か否かというのは判断がしにくい。レントゲンとかCT撮って分かるものでもないから、具体的なバリアーがあって生活する上で困難と認められたときにお墨付きが貰える。グラデーションは広い。自分の場合、院退学とか会社での低評価とかが当てはまるかもだが、それだってよくある話ではある。
コンサータを飲んで居眠りはしなくなったが、不注意とか過集中は改善されていない。忙しそうにしているPGMにコンタクトをとりたくなくて先延ばしにするのは、障害というより院進で食らったトラウマな気がする。
仕事が見当違いのところにいきがちなのは脳の特性のせいです。だから考慮してくださいというのは、頭脳労働者としては致命的な気がするし、重いタスクが割り振られなくなった(体感)のでTwitterやってる言い訳にもならない。ちなみに居眠りは指摘されたがTwitterは指摘されなかったので別にいいのかもしれない。そのうちはてブもやるか。
カウンセラーの薦めで、会社には「最近気分が落ち込むため、脳の神経に効く薬を処方してもらっています。まだ傾向ありの状況なので鬱とか具体的な病名は出ていません」と説明している。嘘ではない。嘘ではないが、障害と怠惰の違いが自分でも分からないため、はっきり言うのは抵抗がある。
もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。
(することになった,というのは,したくてしたわけではないからである。)
人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。
どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。
そのとき,書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。
これは遠い昔の一受験生の出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。
時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。
大事な試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。
人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。
その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。
なお,前提として,私は小中高と地方の公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。
高校時代は部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。
それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生初のものだった。
第一志望しか受験していなかったので,選択の余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止めで合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。
それくらい,浪人するということについて,落胆していた。
同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくとももう一年,いろんなものを我慢して勉強に向かう生活を余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。
ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまったことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。
現役で大学生になる身近な同級生を想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまったことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。
今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。
またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。
そうだとすれば,まだコントロール可能な範疇に属している,未来を変えることで,過去の出来事の意味合いを変化させるしかないのではないか。
来年の合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。
期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか。
以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。
再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実に合格できなければ全く意味がない。
このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。
目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。
自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。
そうなるためにはどうしたらいいのか。
受験において,本番で出題される試験問題そのものはコントロールできない。
自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。
そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分の順位としては,一定の幅が生じると想定した。
自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置が自分の実力を示していることになる。
受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることである。そもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。
自分の実力を客観的に見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないかと分析した。
この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。
以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。
このようにイメージした。
次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。
ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。
それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。
先に述べたように,受験の本番では,試験問題はコントロールの範囲外である。受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験の現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである。
この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題で時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。
また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。
これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。
受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率で得点につなげられるようにしておかなければならない。
その観点から,模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。
知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである。
一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。
「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態は絶対に起こしてはならない。
そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。
その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。
以上は基本的に自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較の視点も生まれていた。
正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである。
自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから,試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。
このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単な問題でも意外と間違えてしまっているのである。
この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機を見出した思いがした。
とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。
難問というのは,どんな問題が出るかもわからないから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。
しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。
時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。
以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。
自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強(塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。
より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである。
知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである。
復習は徹底的に行うようにした。特に記憶が重要となる社会の科目などは,一日の勉強の最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。
具体的には,使っているノートを基準に最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間は一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。
ノートの最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。
これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。
そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。
当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。
以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。
これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要な試験だった。
「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学別模試で100位以内に入ることを目標としていた。
当時,志望学部の合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。
蓋を開けてみると,夏の大学別模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。
自分で定めた目標をクリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。
想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。
(それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)
しばらく経つと,もう一つの大学別模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分でもびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。
ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。
その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学別模試では13位と14位という結果だった。
受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。
予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。
合格を確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。
方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。
全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。
それを前提として,自分の浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。
まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。
何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。
「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験の優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。
それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。
「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である。
そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。
時間にしろ,エネルギーにしろ,資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態に自分を持っていくことが必要になる。
不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である。
自分の周りの環境は自分でコントロールすることはできないということをまざまざと体感した。
不合格を回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。
二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。
先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。
小中高と地方の公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。
自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベルの受験生を相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。
後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまりに想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。
当時,浪人時代は灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。
生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。
浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの
どの部分がどのような理由で問題なのか、具体的に説明されてないよね
まともな説明もないまま、流用だの剽窃だのといった言葉だけが独り歩きしてる感じ
自分が知る限りでは、ずいぶん前に記者不明の怪文書じみたページでそれらしいことやってたのが唯一かな
だけどそこで指摘されてたのは、せいぜいケアレスミスとか引用の仕方が不適切とかいう程度のもので、とうてい流用・剽窃等の悪質な行為とは言えないって印象だった
新書では何冊かのネタ本から内容の大半を引っ張ってきて、それに申し訳程度に著者の知見を添えて仕上げました、みたいなのがよくある
○○『××』(△△社、□□年)☆☆頁、みたいに正式な引用を行ってるものは皆無に近く、巻末に参考文献の一覧をのせてるだけのものさえ多いとはいえない
今回問題となってるのが流用・剽窃だって言うなら、新書なんて流用・剽窃の見本市でしょ
結局みんな渦中の人物が気に入らないから叩いてるだけじゃないの
そうじゃないなら、きちんと具体的に説明してよ
なおってねええええ!
きのう、何年ぐらいで底を尽きるのか聞いたけど答えてくれなかった。
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きのう、何年ぐらいで底をつきるのか聞いたけど答えてくれなかった。
ひらがなにしただけやんけ。
言われてること全く理解してないな?
たとえばお米の入った壺があると想像して。
その壺に毎日スプーン突っ込んでお米をとりだして食べるとする。
ある日壺の中のお米がなくなったらスプーンが空振りして底を突いちゃうだろ?
だからたくわえとかが無くなることを「底を突く」っていうの。
尽きるはそれだけで「無くなる」って意味なので
「底を尽きる」だとお米ではなく壺の底が消えることになる。
直すなら「何年ぐらいで底をつくのか聞いたけど」が正しい。
もしくは「何年ぐらいで預金がつきるのか聞いたけど」でもよい。
前任者、その前、その前の前、みんな退職に追い込まれている極小部署
課長が下請け使い捨てして、部下も搾れるだけ搾って成果出すタイプ
逆に若手なら大事にされるのでは?って俺になったと聞いたが、これはどうせダメにされちゃうなら教育コストかかってない奴をだそうってことなのかな
言い訳のためか知らんけど、今までなら喋れないレベルの上司がサシで飲みに連れてってくれている
すまんな、1年だけだからな、次行きたいとこはないか、サビ残なんとか手当つけようかーって、めっちゃ優しい
訴えられたりしたら(前任者の前の人は訴訟いきそうだったらしい)、直接の原因の課長だけ切って、逃げるためなんだろうな
でも、奢ってもらえて嬉しくなっちゃう俺はアホ
ヤバい課長は多分アスペなんだけど、集中してアホほど自分も働くって長所でもあるよな
ケアレスミス拾うのは慣れてるし、暴言は忘れる性格だから、俺1年なら頑張れそうかなって思った