はてなキーワード: イノベーションとは
そのくせなんかイノベーションで、多少の問題は目をつむるべきだ!みたいなこと言ってみたり
まじで難易度高すぎなんですけど
今、大企業や銀行などでベンチャーキャピタル(VC)が続々と設立されており、ベンチャーやスタートアップへのリスクマネーの供給は加熱してきているように思われる。
※ベンチャーキャピタルとは何か、はこちらを参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AB
しかし、結論から言うと大半のVC(CVCや銀行系VC)の実態は「リスクマネー供給という名の、頭でっかちなサラリーマンが悪趣味的に行っている投資活動である」ことを断言しよう。
その理由を詳細にわけて説明していこう。ちなみに筆者は、VCから資金調達を実際にしている一スタートアップの起業家であることを注記しておく。従って、客観的に論じているつもりであっても、これはあくまで起業家から見た目線に過ぎないことにご留意いただきたい。
1つは、自社でやれることに限界を感じていること。
一言で言うと、ほとんどの大企業の新規事業は失敗する。あれだけ、ヒト、モノ、カネが揃っている大企業であっても、特にIT業界であるとベンチャーやスタートアップのスピード感に(大企業の仕組み上)勝てないからである。
もちろん、DMM.comのような大企業であっても新規事業を片っ端からどんどん仕掛けて、成功、失敗を繰り返す会社もある。
しかし、そのように自社内のリソースを使ってPDCAを高速に回して成功、失敗を繰り返すことはほとんどの大企業の仕組み上(稟議等)難しい上、上場企業であればIRというガバナンスの問題からも自社内で積極的に動いてリスクを取ることが難しいからだ。だから、自社内でそれができるDMM.comのような会社は、そもそもベンチャー投資など滅多にしない。ベンチャーやスタートアップに投資などしなくても、自社内で同じことができるからである。
だから、大企業はそれをVCという形でベンチャー投資をすることにより、なるべくリスクを抑えた上でイノベーションを起こさせ、シナジーという名の”囲い込み”を行うのである。
もう1つは、「ベンチャーキャピタル」というワード自体がバズワードであること。
これは、例えば中期経営計画等を発表している会社の資料を見るとよくあることであるが、会社として更に大きくしていくためには当然ながら何かしらに投資をする必要があるわけで、その中で最もわかりやすいのがベンチャー投資をすることによりシナジーを高めていく、というストーリ自体が今トレンドなのである。故に、中経を発表している企業には、よくアクセンチュアやボスコンといったコンサル会社から「ベンチャーキャピタルモデルで展開しましょう!」とコンサルティングを受け、ベンチャー投資に右も左もわからない状態でとりあえずVCを作ったりするわけである。
他にもいくつか理由はあるが、こういったところから大企業VC、銀行系VCがどんどんできていくわけである。
こういう理由で作られたVCというのは、だいたい子会社としてVC運用会社を設立、自社のお金で運用して投資活動を行っていくわけであるが、そもそもVCとして本気でベンチャー投資をしていくつもりがないのは、上記のような理由を見ると明白であるだろう。自社でこれ以上事業に投資して大きなリターンを狙うことができない状況だからこそ、ベンチャー投資というブラックボックスに外見上依存するしかないのである。
故に、とりあえずVCとして活動しておけば、それで一旦OKで目的の大半は達成されるのである。
独立系のVCというのは、ベンチャーキャピタルという業種で「起業」しているのである。例えば、IVPやインキュベイトファンド、East Ventures、ANRI、等といったVCは、全て「ベンチャーキャピタル業を行っていく」という目的の元、有志たちが事業として立ち上げて、人様からお金を預かって運用しているので、彼ら自身がベンチャーキャピタル業でスタートアップしている、一種の起業家でもあるわけである。
故にベンチャーキャピタル業として行っていく熱量は、大企業や銀行のVCにおけるそれとはかなり違うことが明白だろう。なぜ独立系VCの熱量は半端ないかというと、理由は簡単で、VCとして結果を出せないと、会社の売上や自分たちの成果にダイレクトに響いてしまうからである。従って、彼らが掛ける熱量というのは、スタートアップの起業家のそれと同等もしくはそれ以上くらい、本気なのである。
しかし、大企業系のVCや銀行系のVCはどうだろう。サラリーマンであるが故に、目先の自分の評価ばかりを気にしているので、大きなリスクなんて取れないし、ベンチャーキャピタル業自体が最悪失敗しても、「残念でしたね」となって親会社や本体に戻れるので、大きなリスクなんて尚更取る必要もないのである。だから、わざわざ大きなリスクを取ってまで投資する意義なんてそもそもないし、自分たちで目利きもできないので他社が出しているところに相乗りだけで出すVCがほとんどなのである。
はっきり言って、リードとしてリスクも張らず、相乗りでしか出さないようなVCは、リスクマネーじゃないのでさっさと滅びたほうがいい。起業家にとっては、話す時間ですら無駄になることも多いし、余計に疲弊してしまうのである。
ベンチャーキャピタル業を始めます!と言った際、言ったものはいいものの、誰が査定してバリエーションやその他諸条件と言ったタームシートを決めるのか、という問題が今度は発生する。普通なら、ベンチャーキャピタリストとして経験したことのある人材を採用したいところであるが、ベンチャーキャピタリスト自体がそもそもまだ少ないので、引き抜きをしてまで採用するのは難しい。従って、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーといった投資銀行でM&Aやらを経験したことのある人材を引き抜いて来て、彼らをベンチャーキャピタリストとして即戦力になってもらうわけである。
当然、知識的な面では彼らのスキルはベンチャー投資のそれに十分資するものであろう。未上場株のバリエーションの査定も、難なくこなすことができる。しかし、彼らのようなエリートくん達が査定する際に最も問題となるのが、「彼らは会社の現在価値を査定することはできても、未来に対しての価値は査定できない」ことである。理由は明白で、彼らはエクセル上ではじき出される数字のみを信用し、事業自体の実態や事業を行う起業家や経営陣という人の部分では成長性を判断しないのである。それはある意味、前職の職業柄エクセル上の数字(結果、ファクト)のみで査定すること自体は正しいことでもあるが、ベンチャー投資はエクセル上の世界とはまったく別物なわけであって、浪花節的に起業家を信じて投資しないと、ベンチャー投資なぞ絶対できるはずもない。エクセル上の数字のみで信用できる会社は、それはもうベンチャーやスタートアップでもない、ただの中小企業である。ベンチャーやスタートアップはまだ華が開いていない状態からこそ、水をやって信じ続けて、華が開くのを待つのが投資家の役目なのではないだろうか。
故に、優良はベンチャーやスタートアップに投資が至らないケースも多々あるし、投資したベンチャーやスタートアップがうまくいかないことも多い。
これが、私が「リスクマネー供給という名の、頭でっかちなサラリーマンが悪趣味的に行っている投資活動である」と断言する理由である。もちろん、全ての大企業CVCや銀行系VCがこれだとは限らないが、ほとんど大半のVCがこういう現状である。
これでは、日本からは残念ながらアメリカのような新しいイノベーションはより起きづらくなるだろう。リスクマネーという名の、悪趣味な投資であるのだから。
生半可な気持ちでVCなんて始めるくらいであれば、最初から無い方がましである。頭でっかりなサラリーマンが悪趣味的に行う投資活動は、今すぐやめたほうがいい。
マジレスするね。
一応自分はどことは言わないけど、とある新興宗教を信じてるものです。
と言っても自分が信じてる宗教に限った話ではなく、一歩引いて宗教ってこういうものーという視点で答えてみます。
まず全体的に「胡散臭い」と思うのは正直、正常というかしょうがないなーと思う。
「マスコミガー」とは言いたくはないけど、実際問題としてマスコミの影響ってかなり大きい部分があるかな。(報道しない自由ってやつだけど)
理由は大手のメディアやマスコミは新興宗教を全くと言っていいほどほとんど報道しません。
(歴史ある有名宗教ですら、一部観光的な部分(京都のお寺とか)か歴史的な部分やおぼうさんの良い話くらいしか報道しないけど。)
だいたいどの新興宗教も一般的な善行(震災時の炊き出しとか寄付とか)をしてることは意外と多いんだけど、良いことをしてるときは基本報道しません。
報道するときは、だいたい事件性があるときや、何かスキャンダル的な部分を面白おかしく盛ってるときくらいです。
要は、良いことや肝心の中身は伝えないけど、悪いことをした(とメディアが思った)ときだけ報道します。
そりゃーいい印象もてないよ。何をしてるかわからない集団がいつ事件を起こすかわからない!みたいな印象になっても不思議じゃない。
しかもオウムという超特質な宗教も実際に出ちゃったし。(実はこれが一番の元凶だと思ってる)
これはたぶん宗教によるかな。そもそも新興宗教と言っても、仏教やキリストなど伝統ある宗教の派生系のものが多かったりします。
実際に中の人たちもよくわかってないけど、「昔の偉い人が言ったものをそのまま伝えてるから」という場合もあるし、
逆に古い教えを簡単に現代語で言い換えた時点で、「その言い換えた人の解釈が加わってしまうので、元祖の言葉の意味を曲げちゃう」からあえてできない、というのもあるし。
それと、他でもでたけど、元々教義がなかった宗教もあります。教祖や預言者が言ったものを後年、誰かが編纂して教義にした、とかね。
あと、「あえて難しく見せたほうが権威がある」ように見えるから、というのも宗教によってはあるはず。権威というのは意外と重要な部分だったりします。
もちろん、現代的にわかりやすく作ってる宗教もあったりするけどね。一見簡単に言い換えられてる教義はすぐ反論できる気になっちゃうでしょ?
これも宗教によって考え方が違うと思うけど、基本的にはその宗教の「神」を祀る領域なので、信じてる人にはとっても「神聖なもの(領域)」です。
その神聖な領域をチープにするというのはないよね?という感じ。
歴史的に見ても、多くの歴史的建造物は宗教が関係している建物だと思います。お寺とか教会とかお墓とかね。おそらくその時代の最高の装飾や技術を投入してるはず。
もちろんそれに伴って金銭的に法外にはなると思うけど。
そもそも宗教は人助けや悟りを求めるもので、多くの人を救いたいという欲求があります。
実際問題として、突き詰めると政治を変えなければ世の中が良くならないという事象に行き着くので、政治に介入するというのはある意味しょうがないです。
むしろ政治に興味がないということは、世直しや人助けを本気でしようと思ってないとも言えるけど。
あと、逆に歴史的にいうと宗教が政治に介入していない時期のほうが長い時代で見ると圧倒的に短いです。詳細は省くけど宗教と政治が関わってるほうがむしろ普通とも言えます。
一般的にどの宗教も教えを広める布教活動をしないことはありえなくて、良い教えは広めたいという欲求は不可避です。
ただ、その布教する人が一般的に信者さんで、その信者さんはごく普通のおばさんやおじさんだったりします。(若い人もいるけど)
要は教えることや人に何かを伝えるプロというわけでもない普通の一般的な人なので、アプローチの仕方や接し方が下手だったりします。
むしろ側で見てると、その言い方ないわーって思うこともしばしばw その方法が下手で気持ち悪い、と思われる原因にもなってる気がするんだけどね。
この世的な現代の科学が全てという認識をもってしまうと、全てが非科学に見えるかな。
そもそも「魂」や「神様」というのは現代の科学で計れないものでしょ?
逆に現代の科学がそこまで進んでなくて、魂や神様を証明できないくらい遅れている、という見方も一部あったりするけどね。
これも布教をするためには、現代社会にはどうしてもお金がかかっちゃうからしょうがないかなーと思う。
あと、この世的な「お金」が全てじゃないよ、という視点があると、その執着を持たないというのも考え方の1つかな。
突っ込みどころはたくさんあるのは承知で、今自分が知ってる範囲の浅い知識で答えたけどこんな感じ。
ただ、1つ言いたいのは目に見えない崇高なものを信じるというのは「とっても尊い行い」で決して悪いことではないんだよということ。
そういう目に見えないものを信じてるからこそ、誰も見てなくても悪いことはしないというような道徳的な考え方になるしね。
(日本人のモラルが高いのは意外とこの宗教心が高いから、とも言えるんだよね。)
こいつは騙されてるんだとか、洗脳されてるんだみたいに思われちゃうのもしょうがないと思うけど、崇高なものを信じてる人を悪く思う現代の日本の考えはちょっと悲しいことかなとは思います。
追記
>なんで伝統宗教じゃダメなのか、っていう一番大事なことが書いてない
いくつかあって、おそらく各宗教によって違う部分だと思うけど、
から。確かに伝統宗教の教えで、多くの人も(考え方によるけど)救われてきただろうし、安らぎを得られた人は多いと思う。でも現代の複雑な問題や昔の考え方だけでは対応できない時代になっている。
個別のところで言うと、「現在の貧困や経済原理」や「グローバル化した社会の問題」、「クローン」、「宇宙問題」、「性差別」や「インターネットやメディアの問題」、などお釈迦様やキリスト、ムハンマドが生まれて教えを解いた内容やその次代の考え方では解決できない。というか時代背景を考えると当然といえば当然で、これは伝統宗教が悪いとかではなく、時代が代わりすぎてしまったから新しい考えや教えが必要だよねという考え方が1つ。
もちろん伝統宗教の普遍的な教えの部分は今でも十分通じるし、正しいことだとも思うけど、やっぱりそれだけでは現代社会の問題を解決できないからじゃない?と思う。もちろん伝統宗教を否定しているわけではなくて、いい部分や不変な部分は残せばいいと思う。もちろんすべての新興宗教がこれらの答えを出せているわけではないけど、考え方としてね。
それともう1つ。
伝統宗教と言っても、「巨大組織が長く続くと、腐敗も進む。」組織を運営してるのは所詮人間だからね。その腐敗した組織は淘汰や改変が必要で、長い歴史の中では、派閥や会派など、分裂、競争、差別化、滅亡などいろいろ繰り返している。
そのあたりは企業と一緒で、古くて大きい会社がいつまでも最高かというとそんなことはなかったりするでしょ?イノベーションや進化、新しい考え方みたいなものを取り入れたところだけが生き残る感じ。
実は新興宗教というか宗教の世界って、かなりの競争社会で国内だけで数万団体があるのだとか。その中で滅びる宗教もあれば、生き残って大きくなる宗教もある。市場原理と一緒で競争社会。より多くの信者を獲得できた団体が生き残るというのはその通りで、かと言って営利主義的だけに走っても人は離れていったりしちゃう。
もちろん、戦争に負けた、国が滅びたなど物理的な問題で滅びたところもあるだろうけど、多くの人を引きつけることができなくなった宗教は淘汰される。ざっと思いつくところはそんな感じ。ところどころ乱文になってるけど、文章が書くのが下手なのですいません。
正直、ここまで数字が伸びると思ってなかったので、ちょっと驚いています。あっさりスルーされると思っていたので。
多くの反論や暴論、各人の経験談や心情などいろいろ拝見しましたが、全てを尊重できるものだと思います。
特にそれぞれの思想や今までの経験、宗教というものに嫌気や嫌悪を感じてる人が多いというのも理解できます。自分も人生の多くをどちらかというと反対の立場で過ごしていたので。
個人的に感じたことは、どんな意見であれ「宗教」という繊細なものにみんな一言物申したい!という感情を感じました。
先にメディアがどうのと言いましたが、ある意味リアルな生活上でもメディアでも日本国内では話題にしちゃいけない領域、見てみないふりをしていた話題というのを再認識できました。
ポジティブに考えると、多くの人が興味関心がある領域とも言えると思うので、リアルな場でもそれぞれの意見をはっきり言えるような話題に昇華できる日がくるといいなと思いました。
いや、どっちも面白いけどね。
なんかあちこちで君の名は。叩きが流行ってるようだからあえてカウンターで言っとく。
※個人的には今年は1.聲の形 2.君の名は。3.この世界の片隅に 4.他ってかんじ
百日紅のときも感じたけど、原作が1話ごとに話が途切れるせいかぶつ切りになって流れがもろに阻害されてる。
だれかがギャグシーンは間がなくてつまらんいってたが、2時間06分というアニメ映画としてはかなり長尺にもかかわらずちょっとそういう時間の使い方が甘い。
まぁがんばったんだろうけど。
ただまぁ批判ばっかでもあれなんで一応言っとくと
戦争物のテンプレを破壊したある種のイノベーション性とか凝りに凝った戦闘機描写とかあの辺はすごい。
他にもあるけどそんじゃーね。
お疲れ様です。
顔は悪くないはずだし、胸もある。どっちかというとグラビアアイドルに近い体型で、男受けも悪くはないはずだと信じたい。
誤解を恐れずに言うと「連れて歩くにはピンとこない」タイプ。
私じゃだめだといつも振られる
これは深刻なミスマッチを起こしている。
今まで目を向けなかった方面にも目を向けるべき。
まあ普通ですそれが。
元増田を連れて歩くのにピンとこない奴らだよ?
同年代の男からすると元増田は持て余す感じ。受け止めきれない。
上記の通り「需要がない」という状況。
だから5歳以上年上とかを狙う。
おっさんは嫌い?男からすると5歳下の彼女だったら大体可愛い。
この方針転換は、アベノミクスで言うところの需要創出型イノベーションのようなもの(嘘です)。
年上の男には年下の女を愛でる習性がある。ここを狙う。
逆に3歳くらい年下とかに行って自分が受け止める側になる。
クソガキから見ても3歳年上くらいの彼女だったらギリギリありでしょう。
本件の場合、自分自身を中心に据えて思考すると、どうしても供給側の理論に陥りがち。
もっと需要者側の気持ちに沿って、自分がどうあるべきか考えると良いと思います。
考え方を変えましょう。
年齢的な切り口以外にも突破口はあるかもしれない。
ぐだぐだと長時間労働強いるような「頑張る」方向でなく、イノベーション起こす方向で「頑張る」ならいいよ。長時間労働のどこにイノベーションがあるんだ?
老害の固まりみたいな会社にしがみついて、世界市場では戦えないような無価値な企業を、サービス残業という人権的にアウトなダンピング行為で仕入れた労働力でなんとか生き延びさせる…という行為自体が、日本全体からイノベーションやその機会を奪っている元凶だよ。日本に今いる多くのプレイヤー(企業)が、世界標準に適合するように自ら進化/変化するかあるいは退場するかしてくれないと、日本の社会自体がますます世界では通用しない社会になっていく。「沈む沈むって企業の話じゃねえ」とか言ってる元増田は、なぜ自分の話が「企業の話」と取られるかという、そこのところが全然分かってない。遅れた企業などさっさと沈めて市場から消えてもらわないと、日本が沈む。そして長時間労働は、前者に取って益があり後者にとっては益がない話なんだよ。
これに気づいたのはここ1年くらい
考えてみたら当たり前だけど、上手く回ってるなら新しいサービスなんて使わないし、破壊的イノベーションも自ら起こさない
低賃金に喘いでいたり、ブラックでつらい状況にあったり、問題を抱えてる業界のほうが、皆が何とかしたいと思うから変革を起こしやすい
満たされてる業界にイノベーションは起こらないけど、満たされない人たちを上手く焚き付けたイノベーションに破壊されることはある
で、そう考えた時、金融業界と医療業界ってたぶん変わらないよねって思う
単価高すぎるし
上手く行かないと思うんだよな
ちょっと例外的なのは人材業界と住宅業界で、あいつらは潤ってるところと潤ってないところの差があるから中ヒットが出るんだと思う
でも全体としてみればやっぱりそれなりに儲かるからやっぱ変わらない
そうやって、新しい業界と古い業界の溝ってどんどん広がっていくんだな、と思った
あ、ヒーヒー言ってる割にイノベーション起こらない業界って一番悲惨だよね
敢えて名指しはしないけど
今年も全日本吹奏楽コンクールのチケットがネットオークションに出回り始めました。
Twitterをみていると、次々に怒りのコメントが投稿されています。
感情的にも、倫理的にも転売行為が容認できないことはよく分かります。
でも、「転売行為は許せない!取り締まれ!」って言ってる人は、思考停止しているのではないでしょうか?
取り締まりを強化することが転売行為を無くすベストな方法なのでしょうか?
もう少し深く考えてみることにしました。
法的、倫理的に問題があるかはここでは考えません。あくまでも経済的な側面から考えます。
オークションで高額取引される、ということは、全日本吹奏楽コンクールの興業としての経済的価値が相対的に高くなっているということだと思います。
これ自体は素晴らしいことだと思います。全てのチケットがオークションで5倍の値段で取引されたとすれば、興業としての経済的価値も5倍ということになります。
つまり消費者側は全日本吹奏楽コンクールに対して数倍のお金を払うだけの価値を認めているにも関わらず、そのお金の向き先を上手くコントロールできていないために、不正業者にその大半のお金が渡ってしまっているのです。
私は、これだけのお金が、きちんと吹奏楽界に還元されるようになってほしいと思っています。
取り締まりを強化すると、不正業者が淘汰され、より洗練された不正業者だけが生き残り、手口が高度化されるだけです。
本人確認の徹底や、スマートフォンなどを使った認証なんかを導入したとしても、吹奏楽連盟が不正業者の高度化に投資しているようなもので、全く意味は無いと思います。
当たり前の話ですが、そもそもなぜ転売行為が成り立つのかと言うと、需要に対して供給が少な過ぎるという構図になっているからです。
需要は「全国大会見に行きたい!」というもので、供給は「全国大会のチケット枚数」です。
この需要と供給のバランスを調整することが、チケット転売問題を解決する方法なのではないかと思います。
簡単に思いつくのは、「需要がたくさんあるんだから、供給を増やせばいい」という策です。
もっとデカいハコでやろうにも、既に全国大会が開かれるホールはどれも、音楽用ホールとしては日本国内最大規模のホールです。まさか東京ドームや、武道館でやったら審査なんてできません。
また、全国大会を複数日程にすることも、出演する学生の負担を考えると現実的には不可能です。
あくまでも興業ではなく、コンクールであることを考えれば、やはり供給を増やすことは難しいと思います。
私が有効だと思うのはこちらです。
「需要を減らす?吹奏楽の発展と真逆じゃないか!けしからん!」という声が聞こえてきそうですね。まあ、思考停止せず最後まで読んでください。
チケットを買って生の音楽を聴きに行く、これは音楽を楽しむとても良い方法だと思います。
しかし21世紀の今、これが唯一の方法かと言うと、決してそんなことはないと思います。
要は、全日本吹奏楽コンクールを楽しむ方法の中で、「チケットを買って会場に聴きに行く」という体験の価値が、相対的に高すぎる状態になっているんだと思います。
例えば、仮にDVDで鑑賞するという体験がもっともっと楽しければ、2万円払ってチケット買うより、7000円でDVD買った方がお得だな、と考える人もでてきます。(残念ながらDVDではそこまで楽しい体験を提供できていないので、この例ではあまり説得力がありませんね。)
そこで、どんな体験であれば、2万円払ってチケット買うよりこっちの方がいいかも、と思えるか考えてみました。
近年NHKの紅白歌合戦で同時に開催されている、裏紅白というコーナーがあります。これは、ステージで紅白歌合戦が行われている間、お笑い芸人のバナナマンがホールの一角で、ひたすらトークをしているというものです。最近はこれが見たくて紅白を見ている人もいるようです。
吹奏楽コンクールでもこんなコンテンツをリアルタイムに有料で配信したら面白いと思います。親子室の一室に作曲家や演奏家を招いて、演奏についての感想や、演奏されている楽曲について喋っている様子が、演奏とともにリアルタイムで楽しめるのです。裏紅白と同じ要領で、演奏が終わった団体の指揮者をゲストとして出てきてもらうのも良いかもしれません。
感想を語り合うことも吹奏楽ファンにとっては重要な楽しみの一つです。
そこで、楽器店などで全日本吹奏楽コンクール同時中継イベントを行うというアイデアがあります。
吹奏楽に関して、集まった人同士で自由に感想を語り合い、盛り上がれる環境はほとんどないと思います。
地元の楽器店に行けば全日本吹奏楽コンクールの同時中継が見れて、同じ趣味の地元の人たちと繋がれる、というのはなかなか面白いかもしれません。
テレビ、PCで中継を見たのでは、臨場感が足りない!という人もいるでしょう。
最近ではお笑いライブの同時中継など、映画館でリアルタイムのコンテンツを楽しむという事例もあります。
近所の映画館で吹奏楽コンクールの同時中継を見れたら、近隣の学校の吹奏楽部の生徒さん、ものすごく喜ぶと思います。
ただ、丸一日映画館の中に座ってるのも辛いですし、最近のシネコンは入れ替え制がほとんどなので、仕組みとしてそれなりに工夫が必要だと思います。(例えば、小規模なシアターを1日貸し切るなど)
いずれのアイデアも完璧とは程遠いと思いますし、これですべての人の需要に応えられるとも思いません。「それでも会場に行って聴きたい」という人の需要は供給を上回ると思います。
それでも多様な楽しみ方ができるようになることで、少しはコンクールのチケットへの過剰なお金の流れを分散することはできると思います。
「言ってることはわかるけど、吹奏楽でそんなことできるわけない」そんな風に感じている人も沢山いると思います。
日本の吹奏楽には歴史があり、吹奏楽コンクールを運営する吹奏楽連盟にも歴史があります。歴史があることで新しいことにチャレンジしにくいのかもしれません。
それでも、「イノベーションを起こせない業界は必ず衰退する」のが21世紀だと思います。
今回テーマとして取り上げたチケット転売の問題は、もしかしたら取るに足らない問題なのかもしれません。
しかし、その問題の本質とイノベーティブな解決策を考えて真剣に取り組めば、吹奏楽界はお金以上に得られるものがあると思っています。
私のような一ファンができることはそんなに多くはありません。それでもファンがみんなで真剣に考えて、インターネットというオープンな場で建設的な議論を重ねることで、吹奏楽界に少しは良い影響を与えられると思い、この投稿を書きました。
※匿名ブログに投稿した理由は、今現在私が自分の好きなことを書くためのブログを持っていなかったためです。
もう夏休みも終盤だ。インターネットには様々なガキが溢れている。その昔は夏厨だとかそういった呼称が振られていたがそれも今は昔だ。時代が過ぎゆくのは早い。
私は情報社会の端くれで働いているエンジニアってやつだ。一応それなりに楽しく仕事ができているし、いわゆるWeb系と呼ばれるキラキラした業界で背伸びせずに働いている。所得は美味い。
私が子供だった頃と比べると社会は大きく変わった。素晴らしい変革だ。
コンピューターは安価に手に入るし、プログラミングだってすぐできる。ChromeさえあればリッチなWebサービスだってすぐ作れてしまう。本当に良い時代だ。
あの時代から比べるとプログラミングは身近になったのではないだろうか。なにせ近頃はプログラミングを教える塾もあると聞く。
そんな社会を見渡すとプログラマに憧れるガキがそれなりに居る。
やれLife is TechだのTech Kids CAMPだのキラキラした世界でキラキラ刺激を受けて意識高い系に若くして成り上がっている。
そんな君らに向けて言いたいことというか、老婆心からくる小言を書き残しておきたいと思い筆を執った。
まず最初に、強い言葉を意図して使っている事をお詫びしたい。だが許して欲しい。こういう言葉遣いの方が目立つ。一種の炎上商法だ。増田の醍醐味だと思って欲しい。
あなた達はとても若い。若い故に敏感だ。社会にすぐ影響されてしまう。
もちろんここもそういった影響を与えようとするインターネットの一つだ。悪い大人の妄言だ。
影響を受けることは悪いことではない。まずはたくさんの意見を知り自分なりの考えを見つけて欲しい。
「自己発信」という名のマウンティングをして、作ってもいないのに「○○の取り組みをしています」だの「仲間で集まって起業!」だの。「生産しろ!コード書け!」と説教したくもなるが今回はやめておこう。
大人な私から見れば君らの猿真似はヌルい。ヌルすぎる。そんな君らに社会の戦い方を伝授しよう。
IT業界の戦い方はシンプルだ。全てがマウンティングで出来ている。
知能で殴るかセンスで殴るかの二択だ。
前者は簡単だ。コードで殴れ。数学で殴れ。アーキテクチャで殴れ。
本当に君がそれを得意とするのならどこまででも目指せるだろう。
しかしながら本当に強い奴はだいたいアスペだ。どこかの頭のネジがぶっ飛んでいる最高の連中だ。
自分が素質があると思うならこの方法で戦え。どこまでも走っていけ。
後者はいわゆるキラキラしたエンジニアだ。センスで殴れ。コミュ力で殴れ。プレゼンで殴れ。シンギュラリティーとイノベーションで殴れ。
プレゼンが上手くて、人に取り入るのが上手い。頭が回る。
しかしそれは全て単純なマウンティングだ。自分がなるべくかっこ良く見えるように演出に演出を重ねているだけだ。騙されるな。見抜け。
上手く発信して、力を持った奴にすり寄れ。そしてなるべく話を聞け。連絡はマメにしろ。
君がインスタを使いこなせていると思うならきっと素質がある。戦え。
そして覚えておいて欲しい。
だが覚えておいて欲しい。どいつもこいつもこんな戦い方をしているから抜け道がある。
真に強い奴は上手く目立たず上手く有名になる。上手く立ちまわる。上手いコードを書く。
若いうちはマウンティングしておけば立ち回れる。しかしこの社会は若者だけでは構成されていない。金を動かせる奴は大抵油ののった連中だ。
自分にあった戦い方を見つけて欲しい。そしてIT社会をIT業界をもっと面白くして欲しい。
君らが私達おっさんの脅威になることを願ってやまない。
http://anond.hatelabo.jp/20160804171358
自称「中二病を脱した23歳増田」に乗っかる感じでシンゴジラ批判エントリーを書きたくなったおっさんです。
(あたしも10年前の20代の頃はてなのサブカルおじさんが怖かったからねw)
シン・ゴジラは「日本の実写映画」にとってエポックメイキングになりうる最高に素晴らしい作品だと思うが
この大絶賛の嵐に怖くなってきました。左側からのまっとうな批判が見られない。
まずはじめに私の感想とすると「シン・ゴジラ」は素晴らしい映画なのは確かです。
「日本の実写アクションエンタメ映画」でまともな人間ドラマを描けるでしょうか?
民族やイデオロギー宗教対立のない日本。殺人を含む強烈なDISの激突による止揚や
「個人のエゴがイノベーションを起こす」ことを良しとしないし信じない日本社会では
欧米式の人間ドラマなどは描けないのです。大抵は「もののあはれ」みたいなものに落ち着きます。
そこで庵野監督です。庵野監督は人間ドラマが描けません。人間個人に興味が無いのです。
「電子回路、ニューロンのように情報が錯綜し、通電し、組織が機能する」という
(例えばオネアミスのロケット発射の「手続き」や、エヴァ発進の「手続き」、
さまざまな人間が連携して大きなことを成し遂げる瞬間のカタルシス、岡本喜八の沖縄決戦→ネルフ壊滅なら大組織の壮大な敗北
というものに執着している感じです。そして庵野監督はその演出で他を圧倒してきたのです。
通常は連携を2、3回で終わらせるところを、
7、8、9とどんどん数を増やし、しも連携のスピードを高速化する、
それが今回は最高に上手く行ったと思います。無駄な人間ドラマを省き、人の群れを
通常それでは作劇できませんが、ゴジラという巨大な災厄を扱うことによって可能になったのですね。
とまあ、褒めるのはこんな感じで。みんな褒めてるし。在来線爆弾最高です。
ここからは批判というか危惧を書いていきます。(ネタバレ含む)
「シン・ゴジラ」はゴジラを描くとともに、明らかに3・11の震災、
そして福島第一原発(フクイチ)のメルトダウンをなぞって描かれています。
原爆の子であることことからしてそれは避けられないことでありました。
・「想定外」という言葉が何度もでてくるシンゴジラとフクイチ(フクイチ)
・そしてその放射能を測定した市民から憶測が飛び交うシンゴジラとフクイチ
・自体の収集のため米軍が介入してくるシンゴジラ、事態の収集のため米軍が介入しようとするフクイチ
・シンゴジラにホースを突っ込んで冷却材を流すため特攻する自衛隊、
「自衛隊がゴジラを冷やすために特攻して死んでしまっている」ということなんです。
これは3・11の日本政府はやらなかった。フクイチに自衛隊を特攻させれば
「自衛隊員の命」と「福島の土地の数十年の汚染」を引き換えにはできないという判断です。
そこをシンゴジラはやった。映画的には、作劇的には正しいです。
自己犠牲の魅力に惹かれるところもあるんです。
正直「自衛隊がフクイチに特攻して冷却に成功していた」ら、私も絶賛したでしょう。
その特攻を庵野監督はやった。しかも恐ろしいことにあっさりと。
(1番隊が全滅したら「日本映画のよくあるパターンのように感傷にひたる」
ことなくあっさりと2番隊がすぐさま繰り出された。
おそろしいですよ。でもこれがかっこいいんですよ。/
この冷徹な決断力、かっこよさを恐ろしいと思わないとヤヴァイんですよ。
こんなことできるのはスターリンですよ。スターリンのかっこよさに酔うんですか?)
特攻した自衛隊のように、3、11のフクイチでも自衛隊を特攻させるべきだった。」
実際の日本政府はどうでしょうか?フクイチの凍結に成功してますでしょうか?
私からすると今回のシンゴジラ、演出のエポックメイキングであるとともに、
「3・11の災厄に勝利した日本」の「仮想戦記」にみえてしまうんです。
(昔よくあった「第2次大戦で日本軍が勝つシミュレーション小説」の3・11バージョンですね。)
このシンゴジラを見て「日本はまだやれるんだ」と思った人がたくさんいたと聞きます。
いや、やれてなかったでしょ。と言いたい。3・11で負けたでしょ。無残に。情けなく。
仮想戦記で「日本はまだやれる」って酔ってたらだめでしょ。反省しないと。
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↑というような批判が欲しかったのに全く無くて困ってたので自分で書いてみた。
実際庵野監督はどうなんでしょう。「政治的意志表明」と書きましたが
ポケモンGOが出てからは、自分も少しやったり、普段ゲームしない嫁もやってたので、すごいゲームだなぁと思っていた。
ポケモントラブルのニュースは、他人事のように「すごいなー」と思ってみていたのだけど、一時的とは言え、まさか自分の生活に影響あるとは思ってもなかった。
ので、近隣住民として感じたことを書く。
ネットでバズってはいたけど、個人的には、あまりこれは感じなかった。
確かにゴミが目立ったし、普段から公園つかってる人からしたら単純に邪魔にはなっていた。
ランニングコースにも人がたくさんいたし、散歩もする気にならない状態だった。
けど、これは単に「人が集まりすぎた」というだけな気がしている。
世田谷公園のゴミ箱は、少しあふれたりしてることは元々あったし。
(もちろん、ところかまわずポイ捨てもかなりあったから、マナー悪い人も混じってはいたと思うが。。。)
世田谷公園は、週末にもなると、昼間から楽しくお酒のんでたり、日焼けしてる人たちもいる。
人によっては嫌な人もいるかもしれない。
けれど距離感を保ててるので、お互いが譲り合えていた。
ポケモンのプレイヤーもあんなに大挙してこなければ、距離感を保てたんじゃないかと思う。
公園というのは、みんなの場所なので、ポケモンGOだろうが、なんだろうが、「おまえだけの場所じゃねぇだろ」と言われればそれまでなのかもしれない。
きてる人は誰もわるくないんじゃないのかな?とおもいつつ(ごみ捨てる人とかは駄目だけど)
一方でポケモンGOの提供会社はそれでいいのか?という疑問はわいてきた。
普通、企業が撮影だとか、イベントだとかを公園なんかでやろうとすると許可はとらなきゃいけないんじゃないの?と
人が集まってメリットがある場所は喜ばれるとおもう。商業施設と観光地とか。
今日の選挙とかも、投票場にポケモン出せばいいのにとかおもったし。
けど、今回の公園の件は、ポケモンに興味のない住民からしたらデメリットしかなかった。
公園つかわないで、企業がスペース買い取って、そこに配置してよとすら思っていた。
サッカーの日本代表戦とか、ハロウィンのときのお祭り騒ぎのときも、やだなーって思う近隣住民の人はいると思う。
自分も今回、(たぶん)そんな気持ちになった。しかも一日で終わらず毎日続くっていうのが気が重かった。
はやくブーム終わってくれないかなとも思った。(今日は少し落ち着いたようだ)
ポケモンGOは、これだけ話題になるってことは、イノベーションを起こしているのだろうとも一方で思う。
それで、まだ(暗黙にしろ)ルールとかが追いついてないんだろうなと。
開発会社も想定してなかっただろうし。ルールでガチガチに縛られて、しずんでいくサービスはたくさんあって、そうはならないで欲しい。
レアで強い?ポケモンがちゃんと分散したり、いろんな場所に出たりするとか、解決策はいろいろないのかな?
(やりこんでないので、よくわからない。ファンの間からいろいろアイディアが出てくるといいな)
「ランニングしてる人もいて、犬の散歩してる人もいる、ポケモンGOしてる人もいる。今日も平和やなぁ」っていう公園になるといいなと思う。
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
男のロマンを叶えるために、精一杯勉強して流行りの機械学習まで導入して、クラウドソーシングまでして、広告バナーも貼らずにエロサイト臭消したって言ってるのに何が不満なんだ?
何がイノベーションだよクソ。
技術革新は常にエロからなんだよ。欲望が人を突き動かすんだよ。VHSもDVDもみんなエロからだよ。VRだってきっとそうだよ。
不倫してもいいし、友人の妻孕ませてもいいし、不適切な公費使用もどうでもいいからもっとエロ動画探しやすくしろよ。ってか技術的に面白い案件を広めろ。
だからいつまでたってもワンクリック詐欺みたいなエロサイトがあふれるんだよ。
そもそも海賊版エロサイトみたいのが蔓延していて、エロコンテンツには正当な対価をはらわねーっていうのが気に食わない。そういう男子みんな死ね。いや日本死ね。
どうすんだよ。このままじゃみんなが本当に見たいエロ動画探せないだろ。
ふざけんな日本。
エロサイトはプレスしないけど、イノベーション産みたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
90年代後半、彼女たちはお世辞にもきれいとは言えない写真が撮れるカメラ付ケータイ電話をこぞって買った
2000年代初頭、デジカメ全盛期のころ女子高生は使い捨てカメラがブームになった。
今でも女子高生中心のブームではあるが、アナログもいいよねとか最近になって見直されているチェキや写ルンですのブームは10年以上前から女子高生の間では普通のこと。
2005年ごろ、twitterがはやる前に、ケータイ向けの短文サービスが女子高生の間で流行っていた。
ブームになるたびにITおやじたちは文句を言っていた。そんなものが何になると。
電子書籍のまえにケータイ小説で200万部売るブームも女子高生が中心だった。
おそらくメルカリもそのうち世界に認められるだろうと思うよ。実際もうアメリカではうまくいっている。
はてなでITだのに調子こいてるおっさんたちは、危険だなんだと文句を言うのが先行するけど結局こういう感覚で先行する「いい感じ」のものが世の中では重要
おそらくgoogle誕生したころにはてながあったらITおっさんはgoogleの検索結果も著作権的にアウトだとか吠えてたに違いない。googlemapやストリートビューでも吠えてたし、youtubeでも吠えてたし
私の体験談です。
ベンチャー、イノベーション、町おこし、若者支援・・・・素人参加型プロジェクトはニュースを眺めていると毎日一つか二つかは報道されていると思う。クラウドファンディングには彼らのプロジェクトでいっぱいだ。
ただ、誰もどうなったのか報道しない。美辞麗句を並べたプロジェクトの結果がどうなったのか誰も気にしない。いつのまにか人々の記憶から忘れ去られていく。
プロジェクトはどうなったのか?無作為に集められた人々は各々好き勝手なことを言う。そして、アニメのように醜く罵り合うようになる。建設的な議論は何ヶ月かけてもできない。もちろんばかばかしいと思った人から順に辞めていくが、もちろんアニメと違って、現実社会で死人が出ることは稀だろう。ただ、精神的におかしくなり心療内科に行く者も現れる。どんどん脱落していく様相はまるでデス・ゲームだ。主催者が美辞麗句を並べてマスコミに発表していたのが嘘の様に思えてくる。気付いたときには何もできないまま1年間が過ぎている。一方で主催者は別のプロジェクトを始めるための準備で忙しかった。そう。それはプロジェクトの宣伝効果で知り合った別の人間とはじめるプロジェクトだった。そして、主催者はだんだんと元のプロジェクトから引いていき、参加者も徐々にフェイドアウトしていった。風の噂によると次にはじめたプロジェクトも成果はほとんど出ておらず、マスコミに喧伝している成果は無名の会社にアウトソーシングされたもので、参加者たちの独力ではなかった。ようするにハリボテのような存在だ。もちろんそのプロジェクトも未完のまま、主催者は次のプロジェクトを開始している。まるで焼畑農業である。彼の足元には多くの屍体が蠢いている。
そのプロジェクトと縁を切って随分経つが、半年前に某県某市役所と仕事で関わることになった。そこには元◯◯(大企業)社員という肩書きだけで仕事を受けている怪しいコンサルタントが町おこしの企画を請け負っていた。美辞麗句を並べた町おこしのニュースはよく見るが、実態について報道しているものはない。サステイナブルな長期的経済効果が理想だが、短期的な経済効果すらも得れていないことがある。私が住む町に捏造された名物料理があるが観光客は誰も食べていない。報道はされているし、ガイドブックにも書かれているが町おこしのために掲げた名物料理を提供している店のほとんどは赤字だ。町おこしの、正確には「地域おこし」と言うそうだが、安倍首相が掲げる「地域創生」のために何百億円も税金が投入されているそうだ。胡散臭いコンサルタント達が税金を食い物にしている。そして、私が最初に関わったプロジェクトの主催者の近況を調べてみたら地域創生に関わっているそうだ。
もちろん、何かを始めれば失敗もするし成功もする。当たり前のことだ。しかし、美辞麗句を並べて始めたプロジェクトの多くが行方知らずだ。失敗したのか成功したのかもわからない。参加者達の多くは主催者の無責任さのために傷ついていく。そして、それらに税金が投入されていることさえあるのだ。
アニメの迷家を見ていたら寒気がして居ても立っても居られなくなって書いてしまいました。過去のプロジェクトで出会った人たちと登場人物を重ねてしまいます。素人同士の議論や主催者の無責任な言動がほんとうにそっくりです。笑えない。