はてなキーワード: 通信制とは
中学1年で学校の環境が合わない、あと家族関係のストレスから不登校になりそのまま復帰できず中学卒業、通信制高校に進学するも単位を取る気力が続かず4年かけて卒業
大卒の資格あったほうがいいんかなぁと思って何のビジョンも無いまま通信制大学に進学、でも学費が思いの外高くて(単位取るためのスクーリング受けるたびにそれなりの額の受講料を払わなきゃいけない)1年目はほとんど単位が取れず2年目はとりあえず休学←イマココ
ここまでの間にバイトは一切してなくて、ただでさえ低所得家庭なのに親に学費とか諸々出してもらってる
バイトして親の負担を減らしたい気持ちはあるけど外に出る勇気が出なくて何もできてない
人と話すのが怖くてしょうがなくて対人恐怖症っぽい自覚はあるけど、金が無いから病院にも行ってない
ここまで読んでもらったら分かると思うんだけど、辛いことからひたすら逃げて引きこもり続けてたらいつの間にか社会の底辺になってた
で、相談になるんだけど
とりあえず親に世話になりながら単発バイトとかやりつつ大学は続けて頑張って卒業するか、
大学辞めて本格的にバイト始めて少しずつ貯金しながらひとり立ちを目指すか、どうすればいいか迷ってる
正直これ以上親に迷惑かけたくないから早く一人暮らしができるようになりたいんだけど、バイトすらろくにできない今の状況でそこまで漕ぎつける未来が見えないし、退学したとしても将来就職するとなったら学歴が高卒、しかも通信制なのがネックになるんじゃないかとも思う
30年以上好きな人だった。
生まれは桜の季節には少し早いが名に桜が華やかな人だ
ステージの上で散られたも同然の亡くなり方。
それを覆うくらいにバンドマンという職業にしては美談の方が目立つ
きっとTwitterなどでは追託の文で溢れ返ってるだろう
消えるには若すぎたと悔やむ。
受け入れれず後追いするほど若くはないなぁ
どうしても気力は殺がれるし何か吐き出し口は欲しかった
こういう時にこそ同じ思いをしてる人達と会話を…という気持ちにもなれず途方に暮れている。
30年と少し前、幼少期に近所に住んでいた年上のお姉さんの家で見たMVが切っ掛けだった。
少ない小遣い、手伝いのお駄賃、お年玉、言葉通り注ぎ込み年に1.2回ライブにお姉さん同伴で行けた。
少し育ち新聞配達や親とバイト先の責任者を説得しなんとかバイトをさせて貰い
少しライブに行ける頻度も上がり高校生にもなると通信制だったので時間も自由に使える金額も増え
社会人になり数度諦める事はあれど、自分の中で「どうしても…!」というライブには行けたと思っているし
転換期的な(と、いうのも相応しくないバンドではあるので違和感のある言葉ではある)ソロや外部活動も
思う存分楽しめた筈だ。後悔が有るか無いかで言えば推せる時に推せたと思うのできっと少ない方だろう。
それでも、これから。というのを期待していないファンは居ないと思うので勿論悔やむ心は強い。
そして改めて文章で打ち込んでみると、なるほど推しという概念や言葉というのは便利なものだなと思った。
職場等でもどうしても出てくる体調不良等を伝える煩わしさも「推しが亡くなりまして」と一言でなんとかなるのだ。
「あ~…」と言う相手の返事も、ありがたい事に察して頂いたり面倒だから触らないでおこうとしてくれたりだ。
・・・ これは放送大学がおすすめですよ。自分のペースで勉強できるので仕事をしながらでも続けやすいし費用も比較的安上がりだけれど、教授陣や教えている内容はかなり良いとの評価なので。
近々図書館の司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。
そして誰かの参考になればいいな思う。
タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発系youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣、与沢翼、メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発系youtuber、俺的名言集など。
今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報が無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生の本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノートに一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。
「本なんて読まなくても、youtubeの動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。
そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。
今思えば、陰謀論者みたいだな。
高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターでフリーター人生。
仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である。
どうだ?
みんなよりもクソな人生だろう。
※メンタルヘルス、精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHD、ASD系統の性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分の感覚だと3割くらいはその気があると思う。
話を戻す。
書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。
でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutubeの自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実の世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。
仕事のプレッシャーと職場の人間関係からなるストレスから発症したと思う。
(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)
http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347
※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会~
症状としては死への恐怖が一番強かったかな。
主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。
「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」
それが図書館に行くことの始まりだった。最初はポジティブな理由でもなんでもない。
「この病気を自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。
最初はメンタルヘルス、うつ病、パニック発作、パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。
本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。
本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)
ちなみに、この時の自分は読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。
ただなんとなく、当時見ていた自己啓発系youtubeよりも多種多様な情報が図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは?
それくらいの解像度だった。
たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館に直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。
1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。
いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。
「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。
幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事で文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。
パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記、旅行記。それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。
旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界の絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。
俺の実家は宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。
「宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。
その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。
その頃のジャンルは宗教学、人間関係、旅、メンタルヘルス、ハンディキャップ、働き方、思考方法など。
そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。
余談だが図書館の環境も良かったと思う。自分が通っている図書館は音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。
読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。
選書もとても良く、新しい本から古い本、海外の翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館に出会えたのは本当に運が良かった。
そうして3年が経った今年。
3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtubeの自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンルも法律、社会学、経済学、起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。
それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。
https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html
そして自己啓発系動画は現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。
Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサーの情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。
自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚、図書館は偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。
何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。
頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。
この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店で平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。
今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣の革命のファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。
ただ、おかげさまで有益な情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。
岡田斗司夫は図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロの目線で有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。
最近は「得た知識を抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。
読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。
また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。
新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗や借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。
そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。
今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。
だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。
自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである。
自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。
ここから先の人生は読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。
そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」
読書は楽しい。死ぬまで続けたい。これからも自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。
そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報はyoutubeなどのネットで得られる世の中だからだ。
電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。
youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益なものは非常に多いが、元をたどると古典などの本からの情報であることが多く、だからこそ読書は他人と差別化が図れるものだと思っている。
これからも続けて行きたい。
いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。
そして図書館の司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。
いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。
書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書が継続できた理由のひとつは、やはり図書館の環境がとても良かったこと。
それから、オンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学の講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来を自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。
読書サークル内では日夜テキストチャットで議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。
いろいろな意味で運もあったのだと思う。
読書サークルにたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。
友だちが少なく、親の介護も無く、仕事で要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベートの時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。
この文章を書いてから、ナンパをしていた時代に毎日の様に行って、よくたむろしていたビル(飲み屋やカラオケ、ホストクラブやダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。
派手な服装の女性と、その女性を口説き落とそうとしている男性。
ウェーイって騒いでいる学生。
怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。
仲間で歩いているホストくん達。
>ゲーム、音楽、映画、動画。これらについては今も昔も95%くらいはつまらなく、5%くらいは楽しい。
手あたり次第だと割合は似たようなものかもしれないけど、楽しめそうって思うのしかチャレンジしなくはなった。Xで出来上がったTLに感性合う人多いから助かっている
昔は週刊ジャンプサンデーマガジンチャンピオンとファミ通読んでて半分以上はなんだかんだ楽しめてた。
今はアニメは年に1~3作ぐらい。漫画や小説は月に数作新しいのに出会えてる(漫画や小説は古い未読作も多い。らんま以降の高橋先生作品とかまだまだ未読が沢山残ってたので)
ゲームは、今年はティアザキ(4神殿クリアで飽きた)とピクミン一応エンディングとAC6三周と、あとインディーゲーとかスマホゲー少しか。
インディとかアプリ系は安いからついつい買っては放置(数分~数時間やって積む。積みプラは五箱ほど。積ん読は小説10冊漫画50冊ぐらいでまあまあ消化できてる。1円セールとかの除く)
音楽は家で聞く習慣がない。ジョギング中、運転中ぐらい。どっちもほとんどしなくなったからライブでしか聞かなくなって、ライブも体力的にほとんど行かなくなってしまった
スキルアップ的なのでいえば
流石に英語と、20年前ぐらいにちょっとだけやってやめた3Dモデリングと、ゲームプログラミングと、あと簿記かなんか考えている。
たまに飲みには行く
小説、イラスト、漫画、動画とデジタル系創作は結構集中してやったことがあり、先述のゲームやモデリングもその延長で考えてる。AIさんに手伝ってもらって
それらを本格的にやる気失ったら家庭菜園と、三味線と木彫りを予定してる
どっかでやる気出たら映画撮りたい
50まであと3年切ったなぁ…
今度ASDの交流会に参加することにしたのだけれど、そこでどういう振る舞いをするべきか悩んでいる。
まず参加理由は3年ほど引きこもりをしてて、コミュニケーション相手が欲しかったから。
家族以外ではカウンセラーさんと話すことはある。ただ、カウンセラーさんは私の話を聞くことがお仕事だから、一方的なコミュニケーションしかしていない。
もっというなら中学高校不登校で、かろうじて通信制で卒業した程度。コミュニケーション値はかなり低いと思う。
一応1人で買い物したり、店員さんに物の場所を尋ねたりとか、あいさつだとか最低限のことはできるようにした。
また一瞬レジ打ちのバイトをしたことがあって、そこでも同僚のパートさんとかは仲良くできたと思う。ただ歳上の主婦さん相手に少し馴れ馴れしいコミュニケーションだったかもしれなくて、そこは反省している。
ASDにも色々あって、私は感情のコントロールや空気が読めないタイプ。ただ自分で会話はできる方だから、話せないってことはないと思う。
どうしてASDの集まりを選んだかというと、ASDで働けている人に出会ってみたかったというのもある。
あわよくば友達も欲しいけれど、会の規則では交友関係を過度に誘うことは禁止らしい。
正直過度ってどの程度を指すのかわからない。
多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)
この世代の人の就活のハガキが届いた企業で、合否を分けるバイトを大学の部活の先輩がやってた。
大学名と学部で指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。
東大・早慶と指定の国立、Marchや関関同立の一部で学部は理系はOK、文系は文学部や芸術学部いくつかはNG。性別では分けてなかった。
ハガキに名前と住所と学部大学と資料請求の言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。
観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。
高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。
最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留。
アルバイトは家庭教師と、短期バイトの事務所に登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。
就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビとマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。
自己PR欄でキャッチーな言葉と文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたことからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)
大手はダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。
面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点をマークしてたらしい。(面接で言われた)
二つくらい内定出た。
会社入れた。同期は早稲田、慶應、上智、MARCH、首都圏の国立大学、慶應行ってる弟が出身校リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校の同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。
入った会社はしばらく採用はなかったが、合併で経営母体の大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。
会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手に入社案内が来たと笑ってた。
仕事は入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東の僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。
昭和時代にできたものの保守。効率の悪いオペレーション。倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間。うんざりした。
何の役にも立たないグループ会社の健康保険医の面談。うんざりした。
地獄だった。
知っているか。睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理の血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。
一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。
まだ20代だったけど、大規模地震かSARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。
ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりから、グループ会社の結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。
つまるところ自社グループはおっさんが多いから、あてがう女が必要で女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス。
だから同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。
当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分でオーガナイズ出来るし会話も成り立つ。
この会社の自分のいるレイヤーのおっさん達は自炊も自分の服の身だしなみの管理も仕事の工程も機器の発注も何も管理できず英語も話せず
キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。
こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。
同期は鬱で会社を辞めた。
先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。
俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式に会社の人はこないでくれというのが遺族からの伝言だった。
リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。
そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで
(親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)
ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事をメンタルヘルスがボロボロになりながら働かされてた。
俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。
心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。
そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。
同級生も野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒の会社でそのまま働いている人がいない。
氷河期の頃の20代、フリーターや非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要なものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味に時間を持てて楽しそうだった。
週末も有給休暇も体調不良で消費していた自分の選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。
職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。
この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅で家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方を強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。
その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社の倒産や合併やリストラや色々煽りを喰らい転職を重ね
今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報系機器。肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要なものを全部払って息が出来る状態。
月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。
会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフの対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。
ここまでに生じた持病の通院の時間もちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。
いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。
もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。
この歳になると結婚にメリットも大してないから特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているか分からない。
そして今オフの時間は通信制の大学に入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学の勉強をやってる。
他の学部の法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学も勉強したい。
この後の望みは健康。20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。
とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。
ーー
就職できたからと言って労基法が全然今と違ったので地獄でしたという話。
事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。
本社の屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。
就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。
それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。
最初の会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。
あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。
36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。
就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。
転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。
少なくとも第二新卒のときは転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。
仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域のハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。
近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。
10年くらい前、法学部を卒業し「学士(法学)(Bachelor of Law)」を得た。2年間の休学を挟んだので6年かかった。
修学自体は極めて順調だったので3年次までにほぼ単位は取り終えた。就活だるいし逃げるか〜人生の夏休みって今っしょ?とカジュアルに休学して遊び呆けたら2年経っていた。休学費用はタダだった。
ちなみに奨学金(学生支援機構)は休学中は支給停止されるが復学したらちゃんと支給再開してくれる。
何年か前、働きながら放送大学を卒業し「学士(教養)(Bachelor of Arts)」を得た。学士入学(3年次編入)したので最短2年で済むのだが4年かかった。
放送大学には社会と産業コース、情報コースなど現在6つのコースがあるが、すべて教養学部所属で学士(教養)だ。全コースを卒業すると「名誉学生」として表彰される制度がある。特典は改悪されショボい。
現在の放送大学は単位認定試験が会場でのリアル受験からWeb受験に切り替わったため格段に社会人に優しくなった(リアル受験も可能)。コロナ情勢に左右される一時的なものではなく恒常的な変更だ。オススメ。
ちなみに奨学金は社会人学生(科目履修生や聴講生ではない正科生のみ)になると返済猶予できる。返済総額は変わらない単なる先送りだが、手元の現金は最強だし投資してもいい。以前は社会人学生を続ける限り無限に猶予できるガバ制度だっだが改悪されその時点から最長10年間のみとなった。
さてlawとartsを修めたし次はscienceと行きたかったが残念なことに通信制の理系大学は壊滅状態だ。
学士(IT総合学)、学士(情報マネジメント)、学士(経営情報学)みたいなエセ理系(超失礼)はいくつかある中で、ザ・理系感があるのは帝京大学理工学部情報科学科の「学士(工学)(Bachelor of Engineering)」が唯一の存在である。
愛知産業大学は建築学科だが造形学部所属のため学士(芸術)となる。
放送大学含め上記大学の中から理数系単位をかき集めて大学改革支援・学位授与機構で学位(理学)などを得る方法もあるがちょっとハードルが高いな。卒業さえすればいい帝京大学が無難と言える。
ところで大学に編入学する際の単位認定にはザックリ2種類ある。
・個別認定:過去の履修科目の中でカリキュラム上と同等の科目を個別に認定。「あなたは過去に"コンピュータ科学"を履修してるからうちの専門科目"情報基礎"の2単位を認定するよ」出身専攻が違うと認定数も少ない。
放送大学のような教養系の大学だと卒業要件全体で一括認定されて大卒3年次編入は62単位認定のようなスタートダッシュになる。
帝京大学のような教養科目+専門科目だと前者は一括認定されるが文系出身なら個別認定が少なく専門科目はゼロスタートのようなものだ。先は長い。自分にコンピュータサイエンスの適性があるかもわからない。
というわけで逃げを打つ。資格合格による履修免除システムだ。入学前に資格を掻き集めて負担軽減する作戦。
入学後の合格でも申請で免除なのだが単位試験と資格試験の二兎を追うより入学前の方が気楽だろう。でも履修免除すると成績表上の評価がSABCでなくN(認定)になるらしい。うーんこれは…GPA的にどうなんだ…
以下の資格に合格している場合は、履修が免除される科目があります。
ITパスポート、基本情報技術者、応用情報技術者、データベーススペシャリスト、 ネットワークスペシャリスト、ドットコムマスター(アドバンス)、CGエンジニア検定(ベーシック・エキスパート)、陸上無線技術士、電気通信主任技術者(伝送交換)、(電気通信に関する)工事担任者
試験日程の自由が利くCBT受験で基本情報、工事担任者(2級アナログ通信、2級デジタル通信)に合格。関係ないけど電気工事士2種に合格。
電通主任の4月21日申込締切を失念してしまい悔しい。難関だから科目免除できる1陸特や工事担任者総合種を先に取るのがセオリーらしいから傷は浅い。ドットコムマスター、下級の陸上無線特殊技術士もCBTなので合間を見て受験したい。今気付いたけど履修免除科目がダブってると取っても意味ない資格もあるのでは?確認していなかった…
先の話すぎて鬼が大爆笑だが、学士(工学)を取れたら次は慶應通信で学士(哲学)かどこかの美大通信で学士(芸術)にでも挑戦してみたい。
後者はBachelor of Fine Artsだから学士(教養)のBachelor of Artsと並べて収まりが良さそうくらいの理由。
前者は実は帝京を考える前の本命だった。学歴コンプはあるのでいずれ慶應で上書きしたい。所詮は通信だが。コロナ最盛期は単位認定試験が中止になりレポート代替となる単位ボーナスステージだったのだが、決心がつかず指咥えて眺めてるうちに試験形式に戻ってしまった。
単位試験は難関らしいし(全体的に不親切ともいう)卒論もある。実は今まで卒論を含め論文自体を書いたことがない。下手したら卒業に10年かかってしまう。
それで尻込みして完全な趣味よりもまだ仕事(メーカー技術職)に関連のある学士(工学)を先に選んだというわけだ。
学士ばっか集めてないで修士に挑戦しろと自分でも思うが、そもそも勉強したいが研究したいわけではない。研究テーマとか何も考えられない。与えられたカリキュラムに沿って学問を修めた気になりたいだけだ。学位や資格のような証がないと勉強にも身が入らない。自分でもその怠惰さはわかっている。
上記理由で修論にもビビりまくり。働きながらの修学もキツそうだ。夜勤もするシフト勤務だから夜間通学もできないので通信制頼りとなる。
競馬の騎手が禁止されてる通信をして処分されて少し調べたんだけど、厳しい制限してるくせに八百長を全く防げないガバガバシステムで笑った
・騎手は前日の夜21時までに騎乗予定競馬場かトレセンの「調整ルーム」とかいうのに入る。ここから通信機器の利用は制限される
・対象のレースは前日の10時までに枠番つきの出馬表が公表される
あれ?八百長全く防げなくないこれ?
本気で八百長するなら相手や場所にあわせてどういう動きをするとか指示すると思うんだが、
今の制限の中では非常に簡単に八百長できて意味がない制限だよね。
地方競馬の人気もネットで見れて事前のプランニングもできそうだし、確定してから10時間もあれば具体的な内容を指示するのも簡単だね。
https://race.netkeiba.com/race/shutuba.html?race_id=202304010409
GPTにわざわざ聞いたんだ…。
増田本人がいたら参考までに教えてほしい。
パンフ斜め読みEntrance Requirementを読むと英国圏固有の教育段階によるレベルが指定されているようだけど、日本から行く場合通信制でもこのレベルと互換性はあるんかね?
わかる。
俺は公立の通信制高校だったんで、そこに高校生で妊娠して転校してきたって子とかいたよ。
通信制と言ってもスクーリングと言って、一週間に1日程度登校するんだけど、そのスクーリングの時、旦那さん(大学生)がついてきてお世話をしていたりとか(学校内に託児所はあるんだけど、当時は保育士さんは駐在していなかった)
で、そこに、学生時代に妊娠して退学せざるを得ず、その後子育てが一段落したから改めて高校に入学した、という先輩ママもまざって、みんなでお世話していたみたい。
今では、月曜日スクーリング限定で、近所の保育所から保育士さんが派遣されてくる仕組みになっているらしい。
それはダイバシティの最前線のような通信制高校、特殊事例だよね。
そこで聞いた話は、一般の高校で現役で子どもを作ると、学校は退学させるように動くのだとか。そこで通信制に転校させる。
多くの大学もそう言うことを想定した仕組みになってないよね。一応、託児所があるところはあるようだが、現役で子どもを作る仕組みにはなってない。
これを整備するだけでだいぶ違う気はする。例えば妊娠をきっかけに1年か2年、ペナルティなく留年してその間フォローする仕組みとかやっちゃいかんのか?