はてなキーワード: 救急車とは
内容は次第にエスカレートし、縛り蓮華座では足を紐でぎっちりと縛りつけられあまりの苦しさにのたうち回ったり、絶叫する者もあったが「逃げてどうする。地獄に堕ちてもいいのか!」と言われ「地獄に堕ちてもいいから、ほどいてくれ!」と叫び出すものなどが続出。長時間にわたる「縛り蓮華座」の結果、足部のうっ血が原因で毒素が内臓に達し、救急車で病院へ担ぎ込まれ、その後もびっこをひく身体障害者となる者、両足切断寸前となる者、酸素吸入を受ける者、熱射病にかかる者、死にかける者、意識不明となる者や負傷者も続出、脱会者も多く出したという。「突っ込み」と呼ばれていたものでは、1人の信者を数人の信者がで取り囲み、罵声を浴びせ、当人の弱点や悪行を涙を流すまで責め続け、三女が「いい」というまで続けられた。
怖すぎるぞ。アーチャリー
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。
十二月二十四日。昼頃からちらほらと雪が舞いはじめ、夕方深沢君があろえを引き取りに家に訪れるころには本格的な雪模様となっていた。
彼は恋人を連れていた。私やあろえも何度か会ったことがある元気のいい女の子で、あろえを見ると、かわいい、かわいい、と喜び、あろえはすかさず同じ言葉を返す。
まだパーティには少し早かったので、家にあがって貰ってお茶を出した。深沢君の恋人はあろえのために今日来てゆく服を選ばせて欲しいと言い、あろえと一緒に二階に上がって行った。
すぐに、二人の話す楽しげな声が聞こえてくる。
「勘がいいんですよ。それにしても、凄いですね。ツリーも立派ですし」
あろえがすっかり工作に魅せられてしまって、この一週間、頼みもしないのに毎日輪飾りばかり際限なく作っては笑顔で私のところへ持って来るので、飾り付けないわけにはいかなかったのだ。
「習慣になっちゃったんですね。クリスマスの後も、きっと作りたがりますよ」
「そういえば、今年は学生最後のクリスマスイブなのに、プライベートに使わないでいいんですか?」
「最後だからこそ、学校のみんなと過ごしたいなと思ったんですよ」
少し寂しそうに言う深沢君は、年が変わり春になれば大学を卒業してしまう。そしてその後は実家に帰って中学校の先生になることが決まっていた。評判の良いボランティアである彼は、きっと良い先生になるだろう。
「ちょっと早いけれど、お疲れ様でした。深沢君のおかげであろえは色んなことが出来るようになりました」
「いや、僕なんか全然大したことしてませんよ。本人や周りの人がみんな頑張ったからです。いつも力不足を感じてますよ」
深沢君は照れくさそうに頭を掻いた。
私が言うと、深沢君は困ったように笑った。
やがて着替えを終えたあろえが階段を下りてくる。選んでもらった服は組み合わせのセンスが私なんかよりもずっと良くて、同じ服なのに普段よりずっと可愛いく見える。
そしてあろえたちが行ってしまうと、家の中が急に静かになってしまった。考えてみたら家に居るときはいつもどこかにあろえがいた。一人ぼっちになんて一体いつ以来になるのか、はっきりと思い出せない。
シャワーを浴びて、体を洗う。丹念に洗う。そんな自分がちょっと恥ずかしい気もするが、それは考えすぎというもので、こんなの何も特別な意味などない大人の女性として当たり前の身だしなみだ。そうに決まっている。下着だって、一番良さそうなやつを選んでやるのだ。やるのだ。
それからメイクをして、髪の毛をセットして、着てゆく服をもう一度選び直していたら、いつの間にか時間がなくなっていた。だいぶ余裕を見ていたはずなのに。月島君が車で迎えに来る予定になっている。私は慌てて服を決め、コートまで着込み準備を済ます。そして椅子に腰掛けると変に緊張してしまって今度は一秒がやたら長い。時計のカチカチする音が、普段よりずっとスローテンポに聞こえる。表の道路を車が通るたびに、彼じゃないかと思って立ち上がりそうになる。
やがて訪れた彼の車に乗る。見知った街なのに、どこをどう走ったのかさっぱり覚えていない。駅の近くにあるその小さなイタリアンレストランの前で車から降りたとき、はじめて、自分たちがどこへ向かっていたのかを理解した。
月島君の大きな背中を身ながら店内に入ると静かで品の良い音楽が聞こえてくる。席に座ってまもなくシャンパンが運ばれグラスに注がれる。細長いグラスのピンク色の液体の中を底から水面に向かって気泡が泳いでいる。私たちは小さくお互いのグラスの縁を合わせて、一口含む。
美味しくて、ラベルを確認したらどこかで聞いたような銘柄だった。高いのだろうか? そう思うとやたらと緊張してしまって、あとは何を食べているのかさっぱり解らなくなってしまった。
食事がほぼ終わって二本目のシャンパンをゆっくり飲みながら、高校時代の話をしていた。月島君が野球部で汗くさい放課後を過ごしていたとき、私は美術部でテレピン臭くなっていた。
あの頃月島君が付き合っていた女の子の話を仕向けると、彼は仕返しに私と仲の良かった男の子について尋ねて来た。随分大昔のような気がする。世の中の何もかもをわかったようなつもりで、そのくせ何もわかっていなかった青臭い時代の話だ。
「あのころも随分大人だっていう印象があったけど、八坂さんはいまでも大人な感じがするね」
「それは老けてるってこと?」
いい年して、こんなデートなんかでのぼせ上がって、何を食べているのかもわからなくなってしまう私が、大人の筈はない。せっかくこんなに高い料理を頂いたのに。
もし私がそんなふうに見えているのなら、それはただ大人のふりが上手いというだけのことだろう。いつも幼くてわがままな自分にてこずっている。そんな話をしたら、
「今日はのぼせてくれてるんだ」
「化粧室行ってくる!」
恥ずかしさにいたたまれなくなってハンドバッグを掴むと、慌てて席を立った。鏡に向かうと、私の顔は月島君よりもずっと赤くなっている。蛇口をひねり流れる水で手を冷やし、深呼吸をして気分を落ち着ける。お酒なんか飲んだのは今年のお正月以来だから、殆ど一年ぶりだ。ふわふわして楽しい気分だ。これはお酒のせいだけなのだろうか。
「でも、もうお腹一杯だわ」
「そうだね。包んで貰おう」
「雪が、だいぶ強くなって来たね。この分だと明日は除雪車が要るな」
彼の視線につられて窓の外を見ると、羽毛の様な雪がゆっくりと舞い落ちていた。雪かきとなったら、スコップを新しく買わなければならない。去年のは、あろえがおもちゃにしてどこかになくしてしまった。今年はよく教えておかなければ、また同じことを繰り返すだろう。
「妹さんは……」
彼が、ふと呟いた。
「え?」
顔を向けると、月島君はまっすぐに私の顔を見つめている。
「妹さんは、今日は何時までに迎えに行けばいいの?」
ボランティアの人が明日まで面倒見てくれる、と答えかけて、彼の真剣な表情の意味に気が付いた。もし、私が今日は迎えに行かなくてもいい、と言ったなら、それが自分のどんな意思を示すことになるか、解ってしまった。
私の表情がこわばったのを見て、月島君は表情をゆるめ、グラスを手に取る。私に考える時間をくれたのだ。ほっとする。
しかし、どうしよう、どうしよう、そればっかりが頭のなかでぐるぐる回って上手に考えられない。
「あ、預かってくれてる人に訊いてみるね」
無理矢理愛想笑いを作ると、携帯電話を手に取った。心臓の鼓動が早くなり、顔に血が集まってくるのがわかる。緊張しすぎだ。まったく予想しなかったわけじゃないんだ、別に拒む理由もないんだ。私は今さら何をうろたえているの?
「八坂さんですか?」
彼の口調はいつになく硬かった。
「そうですけれど、あろえは何もしていませんか?」
何か変だ。
「もし何かあったのなら、教えてください」
「本当ですよ。ただ、突然の電話だったからびっくりしちゃって……」
とてもそうとは思えなかった。確かに彼の口調はもう普段通りに戻っている。だけれど違和感は拭い得ない。だいたい、楽しく過ごしているにしては彼の声の後ろが妙に静かだ。どこにいるのだろう?
月島君と視線が合う。思わず真剣な表情になってしまった自分を申し訳なく思い、目をそらしてから会話を続ける。
「何かあったんですね。それで、私に言えないってことは、あろえに何かあったんではなくて、あろえが何かしたんですね?」
「まいったな、本当にそんなんじゃ……」
「いま、どこにいるか教えてください」
「一緒にいます」
「ごめんなさい」
「気にしないで」
彼は首を振ると、すっと立ち上がる。
「妹さんに何かあったんだね。行こう。俺もついて行くよ」
「そうか」
「きょうはごめんなさい。誘ってくれて嬉しかった」
「うん」
彼の微笑からあからさまに失望が読み取れて、胸が苦しかった。新しいコートとブーツが、やたらと硬く感じる。
そんなことが出来るわけない。私はもう病院に向かっていることを告げる。そう遠い距離ではないから、すぐに到着した。
一カ所だけ明かりの灯っている救急用玄関に回ると、入り口のところに深沢君が立っていた。普段着のままで上着を身につけず、ズボンのポケットに手を突っ込んで肩をすくめながら、寒そうに白い息を吐いている。声をかけると、
震える唇で言った。
彼は救急車に乗ってここへ来た。怪我人は、彼の恋人だった。コンクリートの上で転倒して、腰を打った。骨には異常がなかったけれど、いますぐに起きあがるというわけにもいかないらしい。痛み止めを飲んで、ついさっき寝付いたそうだ。
「階段に雪が積もっていて、足を滑らせたんです」
はじめはそうとしか言わなかったのを問い詰めると、やはり、あろえが原因だった。階段を上りかけた彼女の服を、あろえが急に引っ張ってバランスを崩させたのだ。そして結果として階段から転落した。
「僕たちが不注意だったんです。あろえちゃんが人を呼ぶとき服や腕をつかんだりすることがあるのは、ちゃんと知っていたはずなのに」
湯気のたつ紙コップで両手を温めながら、彼はそう言った。
行為自体は子供もよくやることだが、あろえの体格は子供のものではない。身長は深沢君の恋人と同じか、ことによるとあろえのほうが少し高いかもしれない。そんな人間に階段の途中でいきなり引っ張られたら、注意していたとしても、転倒は不可抗力だったはずだ。
私はぞっとして背筋が冷たくなる。もし一歩間違えていたら、もっと酷い結果を導いてことは容易に想像出来た。
「申し訳ありません」
「いや、頭なんか下げないでください。こっちこそ、せっかくのクリスマスだったのに、こんなことになってしまって」
「そんな」
「僕がついていたのに。あろえちゃんは、ただいつも通りにしていただけなんですよ。それなのに。やっぱり僕は、向いていないんでしょうね。今日は僕はここで夜を明かしますよ。八坂さんは帰った方が良いですよ。ちゃんとした時間にあろえちゃんを寝かさないと」
彼は元気づけようと笑ってくれたが、普段ほどの力がない。そしてコップの中身をすすった。
自信を失い落ち込む彼を初めて見て、覆い隠せない彼のショックを知った。私は何も声をかけるべきだと思ったけれど、いまの私の役割から何を言ったらいいか解らなかった。
あろえは病院の長椅子に腰掛けて絵本を読んでいた。傍らには若い看護師が座ってそれを見守っている。
「姉です」
「あなたがお姉さん? この子、さっきまで落ち着かなかったんだけれど、この絵本が気に入ってくれたみたいで、ずっと真剣に見てるの」
「そうですか、面倒みていただいてすみません」
「自閉症なんですってね。こんなに大きい子、家にいる間ずっと面倒見てるのは大変でしょう。パニックが起きたときとか、大丈夫なの?」
「親御さんも家にいないんですってね。大変ねえ」
「………」
「出来れば、ちゃんと話し合って一緒に面倒みたほうがいいですよ。やっぱり、身内の人が一致団結しないと。でも、そうは言っても簡単にはいかないのよね。大変ねえ。綺麗な格好して、あなた、今日どこか出かけていたんでしょう?」
同情されて私は、より一層みじめな気分になった。あろえは、すぐ傍で自分のことについて話されているのにも気が付かず、絵本を見つめている。自分が何をしたか、ちっとも理解していないのだろう。
「あろえ、もうやめなさい」
あろえは、顔をあげた。
「帰ります。もうやめなさい」
「ダメです」
「やめなさい」
強く言っても、あろえは返事をしない。
「聞こえないの?」
「きこえないの」
「よっぽど気に入っちゃったんですね。もう少しだけここに居ますか?」
いつのまにか深沢君が近くに来ていた。私たちは、いまこの状況の彼にまで、気を遣わせてしまっている。恥ずかしくなった。
「いいんです。ほら、やめなさい」
「ダメです」
その返事にもう耐えられなくなって、私は絵本をあろえの膝の上から取り上げた。奪い返そうと伸ばしたあろえの手を掴む。
あろえは私の口調からようやく異変を察したのか、不安な表情を浮かべ、
口の中でぼそぼそと呟いた。私は取り上げた絵本を看護師さんに渡す。
「八坂さん……」
私は頭を下げてから、まだ絵本に未練を残し見つめているあろえの手を強く引いた。
https://www.saibunkan.co.jp/lechocolat/soft/ka_swan/images/preswan.htm
小さい頃から鼻血の出やすい体質で、2年に1回くらいのペースで耳鼻科で鼻の粘膜を焼いてもらう事態になる。咳やくしゃみはもちろん何の前触れもなく出ることもあって、ひどいと30分くらいトイレにこもって鼻をつまみながら貧血と戦う羽目になる。それを駅のトイレでやって駅員に救急車を呼ばれたり、介抱してくれた友人がパニックになってしまったり、その都度悩まされてきた。
先日も右の太い血管に傷ができてしまい、あまりにぶり返すので焼いてもらってきた。局所麻酔をして、ピンセット型の電極を鼻の穴に突っ込んで、患部の血管に当ててバチバチっと焼いて傷口を塞ぐ。体の負担は大きめの虫歯の治療と同じくらい。
その日の夜、遠方から来た知り合いに誘われた飲み会で、酒が飲めない理由として鼻血の話をしたら「エロいこと考え過ぎなんちゃう?」ってニヤニヤしながら言ってきたやつ。
お前酔ってたとはいえ一生覚えとくかんな。
「鼻血よく出す人にそれ言ったらしばかれますよ!笑」って返したけど後でまた繰り返してたし。この言い回しでだめならもう直で「お前しばくぞ」しかないやんけ。
鼻血一回も出したことない人って結構いるし、期待はしてないけども。
少なくとも、その増田の病院で増田が辞めて補充がなければ崩壊するよ。
実質上司一人で回すとか無理でしょ。
(補充がない可能性は十分あるよ、増田の医局も人手不足と書いてあるし、5人いるのは今時恵まれてる、とあるからね。
その5人中3人がまともに働けなくて実質2人だから辛い、って話だけど。
一般サラリーマンと違って医者は足りなければ募集すればどこかから湧いて出て来るもんじゃないんだよ)
となると患者数制限するとか救急は受け入れないとかになるわけで、当然その地域の患者多数に影響が出る。
増田が救急車に乗った時、その救急車が全然動かない、って事態にならないといいね。
鉄血のオルフェンズ・ダーリンインザフランキス・ガンダムビルドダイバーズ
「もうロボットアニメは駄目なのでは」という気持ちになりかねないし
頼みのガンダムの今後の新作は「ユニコーンガンダムの続き ガンダムナラティブ」という始末
と思っていたら オタクの見ていない世界「キッズ・ホビーアニメ」の世界からロボットが復権し始めている
始まりは2017年の「トミカハイパーレスキュードライブヘッド」だ
このアニメはタカラトミーが数年前からシリーズ化している「ロボットに変形するトミカ」の玩具であるトミカハイパーレスキューをアニメ化したもので
「玩具がすでに何年も売上をだしている状態からアニメ化する」という既存の玩具販促ロボットアニメとは真逆のアプローチでスタートした作品だ
パトカー・救急車・消防車というおなじみの働く車がトレーラーと一体化し巨大ロボットに変形
災害や事故・高度化したロボット犯罪から人々を守るために戦うというストーリーで
オプションパーツの戦闘機と合体して飛行可能になるなどの追加装備販促も熱く
なんとテレビアニメが終わった後もWeb配信限定で続編が未だに流れている
こちらも「ロボットに変形できるプラレール」として既に発売されていた玩具だが
YouTuberで配信されてるフルCGのPVが100万再生を超えるなど4年前からの大ヒット玩具がついにテレビアニメになった
アニメ化の影響でTwitterなどでバズっている通り玩具売場では売り切れ完売の張り紙が並ぶ超人気商品に上り詰め
Twitterのオタク達が「子供にはロボットは受けない 今の子供はロボットにリアリティを感じないからだ」と言っていたのを見事に覆して見せた
シンカリオンは先のドライブヘッドとは違い「悪の侵略者から平和を守るために基地から発進して敵を倒す」という非常に馴染みのあるロボットアニメで
それぞれのロボットの必殺技で悪を倒す姿にスカッとする視聴者も多いのでは無いだろうか
「新幹線がロボットに変形し さらに他の新幹線ロボットとの合体 普段は2両編成だが 3両編成の新幹線はフルアーマー化できる」
このエントリーを見てる人はシールドライガーやブレードライガーのことを思い浮かべるだろうが
今回は完全新作で「ゾイドを”発掘”する」というストーリーで展開される
なんとこのゾイドワイルド まだアニメが始まってないのに玩具が各地で売り切れなのだ
組み立て玩具としては常識を覆す「ランナーから既に切り離した状態」での梱包
「これは発掘された部品なので 本来の姿を再現してほしい」という組み立てすら遊びにする説明書などの
新しい遊びが大ヒットしている
よくよく考えたら初代ガンダムの大ヒットも含めて
大人向けロボットアニメとはそもそもキッズ向けロボットアニメを見て育ったがアニメを卒業できない世代が「背伸びして」見るものだったように思う
だが深夜アニメで大人向けロボットアニメばかりやった結果 「最初のロボットアニメを見たことが無い」世代も生まれ
「深夜のロボットアニメを作ってる側がまずロボットに興味がない世代」なんて悲劇がダリフラのようなクソアニメを生んでいるのだと思うと
本来のアニメの顧客であるちびっこたち そして「ちびっこがほしい玩具のためにお金をだすお父さんお母さん」に眼を向けて作品を作る今のキッズアニメの方が
夢とロマン 「ロボットはなぜかっこいいのか」が溢れているように思う
追伸
この手のエントリーを書くと「ジャイロゼッターを思い出す」というコメントを書くやつが毎回でてくるが
ジャイロゼッターは「企画を立てたのがスクエアエニックス 玩具作ったのがバンダイ」という組み合わせで違う会社の企画なので
その違いを察してどうぞ
発表会直後、教室で会った女性が橋本被告に対し何も言わなかったことから、
「私は女性に『言うべきことがあるだろう』と強く言った。女性は『申し訳ありませんでした』と言ったが、おちゃらけ、吐き捨てるような感じだった。怒りが爆発した」
橋本被告は女性を怒鳴り、それを理由に教室から退会処分を受けた。
「最初は殴ろうと思ったが、体格差があり、打ち所が悪ければ死んでしまう。
彼女はひどいことをしたが、殺されるほどのことをしたわけではない。
そのため刃物で命に別条のない場所を切ろうと考えた。顔は女性だから遠慮した。足もバレエに差し支えると思った。だから指にした」
「気絶させた上で小指を切ろうとしたが、タガネが大きくて、
薬指も切れてしまうことが分かった。指2本は仕返しには過剰だと思い、親指を切断することにした」
犯行後、橋本被告は自ら110番通報して事件を通報するとともに、
電話口の警察官に救急車の手配を依頼。意識を取り戻した女性に「間もなく救急車が来る」と伝え、
駆けつけた警察官に逮捕された。こうした振る舞いからは、「女性の行為に対する罰は、指1本が相当だ。それ以上でも以下でもない」という思考がみてとれる。
情報集めてると
殺したのは完全にヤクザ
救急車入れないように道止めるとか
その人(たち)はまっとうに顔出ししてないので
身元突き止めるのが大変なので
うっかりしてるやつとりあえず確実に殺しとくかという話
私はアルコール依存症だ。
禁酒しようと思うと1週間とか1ヶ月くらいやめられるときもあるが、何かのきっかけで飲むと、毎晩止まらなくなる。
離脱症状はなく、トラブルも起こしていないが、家族の強いススメでアルコール外来を受診した。
診察の結果、投薬治療をすることになった。
実は以前に「レグテクト錠」という断酒補助剤で断酒を試みたことがあるのだが、自分には効果がなかった。
今回は「ノックビン」という薬が処方された。
この薬には肝臓のアルコール代謝機能を抑制する作用があるらしい。
服用して飲酒すると、嘔吐したり、ときには救急車を呼ぶような事態になると説明を受けた。
私としては少量の飲酒をして、実際に具合を悪くして、もう飲酒できないことを身体で覚えたいのだが、医師には実験しないよう止められた。
つまり今断酒しているのは薬のおかげではなく、自分の意思によるものだ。
さて、ここからが本題なのだが、私にとっては飲酒しているときが唯一楽しい時間だ。
それを無理矢理やめて、いったい何のために生きているのか疑問がわく。
繰り返しになるが、飲酒によってトラブルを起こしたことはない。
自分では善良な酒飲みだと思っている。
上司からLINEで「勝ったと思うなよ・・・」ときたが同僚がどっちの見方だかは一瞬でわからないみたいだった
「もう勝負ついてるから」というと黙ったので社長の後ろに回りでかい灰皿による連続殴打を打つと何回かしてたら社長は倒された
「増田のおかげだ」「助かった、終わったと思ったよ」と上司を行き帰らせるのも忘れて同僚がおれのまわりに集まってきた忘れられてる上司がかわいそうだった
普通ならLINEのことで無視する人がぜいいんだろうがおれは無視できなかったみんなとよrこびほめられたかったので救急車を呼んでやったらそうとう自分の送ったLINEが恥ずかしかったのか家に帰って行った
自分の頭がめちゃくちゃなのと誰かに聞いてほしいので自分語り。 クソ長いし支離滅裂。 三行で書くと ・持病 ・↑に関係して仕事ができなくなってる ・人間関係
元々持病でてんかん発作とそれに伴って左肩が反復性脱臼を持っています。 2年前から2ヶ月に一度発作で救急車案件だったけど、あまり気にしてなかったです。 奨学金返し終わったら自殺するつもりだったし、いくら薬飲んでも良くなる気がしなかったので。 はじめは1年前の1月に、前のバイト先を辞めバーで働きたいと思いバイト探し。 最寄りになかったので都内のバーに社員希望のアルバイトとして入社。 前のバイト先がめちゃくちゃだったので8時間勤務、週休二日制はまあ天国だと思った。 持病持ちの通勤片道1時間半のフリーターを雇ってくれたのは今でも感謝してる。 面接でホール志望とアッピルしたのになぜかキッチンへ。 ここまでで3月終わり。 キッチンも前職に比べて楽だし人間関係も(この時期は)良かったと思う。 料理長Aは年が近くて話しかけやすく、誰にでも気が利くいい人だった。 ただ料理人としては俺と同等ぐらいだったと思う。 後の原因のキッチンBは元中華料理屋で働いてたらしく料理人としてはいいけど、人間的には害悪なおっさんって感じだった(当時はバイトなんで鼻につかなかったけど) ただ他の社員曰く別店から追い出されてきただのといい話は一度も聞かなかった。 慣れてなくて疲れはしたけどまぁまぁ楽しく働けた。 発作が1度だけおこり4~5月は終わる。 6月はイベントとかで忙しいなか爆弾低気圧テロで吐いてそのまま発作+脱臼。 新しくイーケプラが増える。 眠くなるらしいけどこの時点では自覚症状はなし。 ただこのあたりから睡眠障害が始まる。 7月、原因その2のキッチンCが入社。 いろいろな店で料理人として働いてたらしく(経営陣からしても)有望株らしい。 一応他店移動予定だけど一先ず一緒働く事になった。 8~10月は忙しかったけどライブ行ったり友達と飲んだりと比較的体力と精神的にも余裕があったと思う。 このあたりからキッチンBへの不満が募ってた。 言ってること的外れなのは兎も角、Bの仕事を自分に押し付け賄いに時間かけたり、自分のミスは笑って誤魔化すのに料理長のミスはきつく攻めたり…などなど。 上げれば切りないけどCが入社して「技術的にも大したことない奴」「口だけ社員」としか見れなくなった。 11月、病院行く最中に発作。 入院案件にもなりイーケプラがまた増えた。 眠くはなかったけど意識が朦朧としてくるのはここから。 まだ軽い程度で仕事には影響なかったので特に気にしてなかった。 飛んで2月。 料理長が辞めることに。 代わりに社員にならないか、という話をもらって何も考えずに承諾。 「今年度はまだ3回しか倒れてないし余裕でしょ」とか甘い考えだった。 半ばから本格的に社員としての研修が始まる。 バイトのころより1時間はやく出勤して、メインメニューの仕込み作り方やデザート、発注、賄い等。 正直どれも慣れなくて日に日にやつれ始めてきた。 毎日下痢もここから。 問題だったのがメインメニュー。 一度に大量にオーダーが入ると裁ききれない。 具材や量に対して隣でチクチク言われ、忙しいときにはBやCに手伝ってもらう。 テンパリすぎて担当になるたび吐きそうになってた。 そして3月、ついに社員に。 任されたのが期間限定のメニュー作り。 これが厄介だった。 まず時間が取れない。 慣れない仕込みをこなしたら営業時間。 営業中にやれることも限界があって週に1回作れるかどうか。 4月中に出すのを伸ばしてもらっても完成できずにCに変わりにやってもらう。 このころから料理長Aが居なくなったせいか、BとCがホールに愚痴愚痴文句をつぶやくように。 ほぼ毎日。 愚痴愚痴言うのは決まって1人のバイトで、あとはこそこそキッチンで愚痴。 そんな感じで体調が悪化。 家に帰ってもレシピ検索→寝ようとしても睡眠障害で3時間しか寝れずに出勤。 楽しみにしてたフリプのブラボもDLして手付かず。 この頃からまぶたの痙攣が止まらなくなってくる。 5月、寝てる間に脱臼→3日後都内で発作+脱臼のコンボ。 医者に新薬をもらうもこれの副作用が強かった。 ・常時眠気がすごい、立ったまま寝れるレベル ・目眩が凄まじく、歩くだけで精一杯 あまりにも辛かったので新薬を減らしてもらってなんとか仕事できる状態に。 本当になんとかってレベルで、 ・以前よりスピードが遅い ・注意散漫 ・指示してもらわないと動けない とバイト以下の働きぶり。 限定メニューの失敗と副作用、BとCの愚痴もあって精神的に限界に近かった。 そして今月。 イベントで社員全員メニューを考えるなか、今現在も俺だけメニューが完成してない状態。 BとCの愚痴も罵声レベルになり、俺にまで飛び火する始末。 思ってること吐き出そうと思ってブログに自殺の詳細書き始めて、朝再度見直したときに「もう限界なんだぁ」悟る。
ある程度ぼやかして書いたけど、自分が甘いのは重々承知してる。 特に社員になってからバイトのときと同じぐらい意識でしか働いてないし、限定メニューもすぐ作れるだろう程度で考えてました。 でもBとCに関しては自分が原因ってわけでもないし、止められない変えられないので本当に無理。 最初は1年、早くて半年まで我慢とか思っていたけど日に日に愚痴聞くたび精神がやつれてく。 Bに関しては今も口だけで、Aが辞めて料理長になったので今まで以上に害悪っぷりを撒き散らし、 Cは色々とアイデア出してきたのか調子に乗り始めて(そもそもホール対しての愚痴はこいつが原因)Bも店長も手に負えない始末。 でも愚痴や文句も正論なんですよ。 言ってる事自体飲食じゃ当たり前だと思うし、間違ってない。 ただ言い方がきついのと数人にしか言ってない(店長にも言ってない)。 なによりふたりとも「キッチンやりながらホールやったよwww」って言ってるのにやる素振り見せないこと。 ふたりともどっかに行く気配もないし、1日でもあの空間に居たくない。 うつ病なのかと思ってネットでチェックしたらどこも重度のうつ病。 てんかんの医者にも精神的ストレスが溜まってると言われたの思い出して精神科予約。 一応自殺のやり方検索。 ヒッキーのライブ行きたいけど辛いなら即死ぬつもり。 やれるだけやって6、7月は頑張る。 まだ話はしてないけど7月中に辞めれたらいいなぁ。 書きなぐってスッキリはしたけど明日の出勤いやだなあ…
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180619-00105045-kitanihon-l16
現役救急隊員ですが、緊急車両の事故のニュースはやっぱり聞きたくないですし、自分も気をつけなくてはと肝に銘じるところです。
迅速かつ安全な搬送のため、周囲確認や余裕を持った減速を心掛けてはいますが、どうしても皆さんに道を譲らせたり止まらせたりしてしまう状況になってしまい、申し訳ないと思っています。ご協力に心から感謝します。
私の所属している消防機関では、交差点では助手席に乗る隊長とハンドルを握る機関員が、左右の交通・歩行者・自転車の安全を確認するまで徐行ないし停止するように教えられています。必要に応じて音声案内を流し、左右の交通が完全に止まるか、走行してくる車両がいないことを目視して、ようやく交差点を通過できるのです。
今回の事故も、目撃者の証言によれば「救急車はサイレンを鳴らして速度を落としながら交差点に進入、その直後に救急車の左後部に乗用車がぶつかった。」とのことで、救急車側は安全を確認して交差点へ新入したのでしょうが、新入した直後に衝突してしまったようです。これは、救急車側の安全確認が足りていなかったと言われても無理はありません。
緊急車両の走行に対して一般車両が進路を譲るのは道路交通法第40条で定められています。救急車などの緊急車両は、サイレンや音声案内、マイクでの広報によって緊急走行中であることを周囲に知らせますが、それに気づいて進路を譲ったり止まったりするかは、結局ドライバーさん次第なのです。気づかなければ止まることもできないし、気づいていても譲れないこともあると思います。
そういう車両に対して緊急車両側ができること、それは「待つ」ことです。緊急走行中であっても、止まるまで待つ。緊急車両が通行できるほどの幅まで避けて譲ってもらえるまで待つ。安全が確認できるまで待つ。
サイレンや音声案内を鳴らしても気づかずに止まりそうにない車両が近づいていたのなら、救急車は待たなければ行けませんでした。そこは救急車側の落ち度でもあります。
どんなに「一刻も早く病院へ到着したい」「傷病者のもとへ辿り着きたい」と思っていても、事故を起こせばその時点でその救急車は救急搬送が出来なくなります。ましてや、乗っている隊員や傷病者、家族や医師に更なるケガを負わせてしまうことにもなります。市民の安全を守る消防職員が、それを脅かしてはなりません。
私達は市民の安全のため、決して皆さんに危害が及ばないよう、最大限注意を払います。
こんなお願いをするのも失礼ではありますが、救急車や消防車などの緊急車両が走行しているのに気づいたら、早めに進路を譲ったり、止まって頂けたら幸いです。
1年以上経って落ち着いてきたので、いまなら書けるとおもう。
あれは忘れもしない去年の4月30日だった。
当時26歳の私は、大学の課題や卒論、日々の日雇いの仕事、性別違和、精神疾患、父親との不和、などさまざまな問題を抱えながら日々をやり過ごしてきた。
4月29日の夜、いつものように睡眠薬と抗うつ剤と抗不安剤と女性ホルモン剤を入れて布団に入った。
眠れない。
仕方がないからしばらくネットサーフィンや資格試験の勉強などで時間を潰し、眠くなるのを待つことにした。
朝の6時になっても眠れない。
これはもう仕方がない、ひとまず眠れるまでは寂しいし誰かと通話しよう、そう思った私はSkypeで連絡を取れそうな人物と話をした。
大して内容のない話だったとおもう。本当にとりとめのないことを2時間半くらい話した。
そうしたら通話相手が、いまの私の現状に同情したのかなんなのかはわからないが、泣き出した。
泣いている人物と会話を話をするのはあまり得意ではないのでここらへんで通話はやめよう、そう思い、一応なだめて落ち着かせてから通話を切った。
通話後、自分のなかには将来への不安感、絶望感、焦燥感、そういったものでいっぱいになってしまった。
そういえば、カフェインを大量に服用すれば死ねるということを聞いたことがあったのでインターネットで調べた。
私の体重のカフェイン摂取の致死量は15g。ならその2倍服用すればほぼ確実に死ねるだろう。
このあたりで私の頭の中は死ぬことでいっぱいになってしまった。
そして手元にあったカフェイン剤をきっちり30g分用意して、そしてそのまま眠って死ねたらいいなと思ってルネスタやらロヒプノールやらマイスリーやら合わせて100錠くらい準備した。
そして、一気に、手元にあった炭酸飲料で飲み干した。
カフェインの錠剤が大きかったため、何度かに分けて飲んだ。胃酸だろうか、せりあがってくる液体も無視してすべて飲み干した。
飲んでから20分くらいは特になにもちょっと変な感じかな、その程度の身体の違和感しかなかった。
30分もすると強烈な吐き気がきて、ああこれはもう我慢出来ない、そう思いお手洗いで吐いた。ロヒプノールの色素のせいか、青色の吐瀉物が出た。
何度かえづいていると、1階にいる母に大丈夫?と声をかけられた。大丈夫ではなかったので素直に大丈夫じゃないと言った。
なんせ強力な吐き気、それからめまい、身体が動かない、もう自殺したいだなんて思わないから身体を楽にしてくれ、そう思った。
母に水を飲まされ、何度も吐いた。母が救急車を呼んだらしく、部屋に救急の男性が2人入ってきて、担架で救急車に乗せられた。
このあたり、正直なところあまり記憶がないため、細かいことを思い出せない。ただ、意識チェックなどを受けたことは覚えている。
それと、ごめんなさいごめんなさいと何度も謝っていた。
病院へ着くと、まず胃洗浄を行った。鼻にチューブを通され、洗浄水を入れたり、胃の中の悪い水分を抜いたり。
その後に、活性炭を投与された。胃洗浄は苦しいという話を聞いていたが、正直尿道カテーテルを通されるほうがしんどかった。
胃洗浄が終わると、病院着へ着替えさせられ、CTスキャンの部屋へ移動させられた。そこで強烈な吐き気。
CTスキャンが黒い吐瀉物でまみれてしまった。ごめんなさいごめんなさい、ひたすらに謝る私。
その後で、病棟に入り、尿道カテーテルを通され、全身管だらけになっておむつもつけられて待機。
はずかしいはなしだが、何度も看護師さんにおむつを交換されてしまった。
それと尿道の管の違和感が苦しかったのでお医者さんに抜いてもらった。
深夜になると、とても苦しくて寂しくて、泣いてしまった。
一緒に病棟で状態を見守ってくれた母がやさしく手を握ってくれたのを覚えている。
それから、こんな風になってしまってごめんなさい、と何度も謝った。
そして、明日には退院できるようにならなければ(その明後日に欠席不可の科目があったので)という気持ちが徐々に湧いてきた。
ODから1日経ちお昼になった。確かハヤシライスが振る舞われたと記憶している。
正直、食欲なんてまったくなかった。それでも、ご飯が食べられないと退院できないと聞いて、必死に食べた。
付け合せのレタス、トマト、デザートのバナナ、ツナのサラダ、そしてハヤシライス。軽いものから重いものへ順々に食べ、1時間近くかけてなんとか完食した。
その後はリハビリがてら、ちょっと歩いたりした。それは特に苦痛ではなかったのだが、最後に大きな問題が立ちはだかった。
いくら尿意を感じて力を入れても、1滴も尿がでない。尿が出ないと今日中に退院できないと聞いた私は数時間かけて排尿の練習をした。
そして、看護師さんに見守られながら、おしっこができたときは、すごく感動というか、開放感というか、達成感に近いものを感じたとおもう。
優しく接してくれた看護師お医者さんの方々に深々とお礼を言って病院を去った。
そして実家に帰り、お風呂に入り、早めに寝て、次の日は大学だったのでまた普段の日常に戻ったのでした。
今回の件で、絶対にODでの自殺企図はしないぞ、と固く心に決めたのでした。
・いまの現状
あれから精神は少しずつ落ち着き(結局大学は卒業できなかったけれど)、念願の恋人との同棲も叶い、基本的には主婦としてやっています。
たまに日雇いの仕事を入れたり、電気系の国家資格の勉強をしたりと、日々それなりに落ち着いた生活をおくれています、
毎年この時期になると、YOSAKOIソーラン祭りの日程を確認する札幌市民って、少なくないと思う。
DQN度が高い衣装を着て、ケバいメイクしたねーちゃんにーちゃんたちが、市内各所で踊る祭りで結構規模が大きい。
真駒内とかの市街地から外れたところの会場については特に文句もないんだけど、土日に大通公園という札幌中心部を占領(付近一帯車両通行止めにさえして)して一日中踊ってんの。踊ってる最中は歩行者でさえ道路横断できない。
迂回するのもめんどくさくてご一行が通り過ぎるのを待つときもあるんだけど、とろとろ踊ってんじゃねーよ、さっさと行けって内心思ってる。こっちはそんなケバケバしい祭りを楽しむって気分じゃないから、音響の音の大きさも神経に障る。
ふつうに買い物行きたい人間には邪魔でしかない。市民の生活の邪魔してまでやるお祭りじゃないだろ、あんなの。
大学構内のサークル会館横を占領し、「ご協力お願いします」って通行人に車道を歩かせてる場面に以前遭遇して、例に漏れず自分もご協力させられた。
歩行者より偉いものって救急車両くらいだけど、お前ら救急車消防車レベルで人々に必要にされてんの??マジで害悪でしかないだろ。
地下鉄の乗り降りや移動には気を使ってるみたいだけど、根本の我が物顔精神は踊り子の中で変わらないらしい。この件でさらによさこいが嫌いになった。
商業主義に走ってるみたいだけど、外から見ると内輪のイベントと化しているように思う。それならなおのこと、大通を会場にするのは嫌悪派との軋轢を生むだけじゃないのか。
発達障害の人、注意したりすぐ体調悪くなる。
よく、いやなことがあったらすぐ体調悪いフリしてムカつくって言われる人いるけど、
まあ普通の人も怒られ続けたら体調崩すから、障害持ちの人は耐久性低いんだろうけど。
母親で子供がいうこと聞かないから体調悪くなって、っていうのは正直どうかと思うが、これも障害持ってたらしょうがなくて許されることなのか? 子供のメンタルに対してめちゃくちゃ悪いと思うけど、どうやって発達障害持ってる母親たちは対処してるんだろう。
しょうがないし、会社で発達障害持ちとかそれっぽいやつで怒ったらすぐ体調崩したり会社こなくなったりする人も悪気ないんだろうけど、
会社としては困るよ。怒ったら体調崩されるんだもの。最悪救急車呼ばれてとかもある。じゃあ怒らなきゃいいかもしれんけど、そうすると今度は仕事が上手くいかないストレスとかで体調悪くなってねこまれる。