はてなキーワード: 予定調和とは
ピコピコ音とかが好きっていうのもあるけど演出?っていったらいいのかな?
バックサウンドの装飾の選択肢がロックとかクラシックとかより圧倒的に自由度あるじゃない?
もう使えるやつは何でも編集して使っちまえ感がすごい、音の宝石箱やぁ~!!!
とにかく新しい曲は聴いてて次は何が待っているんだろうかとワクワク感がすごい
邪道とか何とか言われるかもしれないが、そこだけは譲らないプレイヤーとしての真剣さが伝わってくる
クソアーティストが作るネタ系のヒップホップみたいに斜に構えてティーンズにウケ狙いのような曲もテクノやニューウェイブにもあるかもしれないけど
基本的にそういうのはこのジャンルでは売れないかちょっとヒットして時期が過ぎると終わりで長期的に売れないので主流じゃない
アドレナリンが出て興奮しているのが分かる
それに比べてフォークソングとかクラシックとかはもう前後の曲調が分かりすぎていて
どれだけ音が綺麗だとしても全く感動がない、全部予定調和の中に納まってる
「え!え!え!そこそうなっちゃうの?う、うおお…うおお…俺をどこに連れていくつもりだ…」みたいな感想には絶対ならない
綺麗かもしれないけどそこに感動がない、未知の体験がもはやそこにはない
ジャズとかカッコつけていて動きが激しいのかと思ったら単にテンポが速いだけで他はド安定の曲調だった
アレはまるで冒険性がなかった、ダンスの練習したおっさんが忘年会でダンス披露するくらいの冒険
クラシックでも同じような感動を味わえればいいんだけど自分からテンポをぶっ壊したりできないし
音源にしたって使える楽器は限られてるだろうから独自性を出すのとか難しいんだろうなと思う
だってこれらのジャンルの曲の目指すところって期待の上を行くとかじゃなくて「上手く演奏する」でしょ?
昔は音楽ってだけで無条件で楽しませていたかもしれないけど今は音楽なんてそこらへんにあるしいくらでも上手い演奏を何回でも再生できるわけで
文化的にも小奇麗にまとまるのを目指すから何かいかに正確に演奏できるかの名人勝負としか見れない
というか複数の奏者からの多重奏で作る音の厚みが強みだって分かってんなら奏者100名規模でのコンサートとかも企画したらいいのに
もちろんライブのような体全体での体感型アミューズメント空間のコンテンツ的価値は認めるけどあれにしたって上手い演奏を聴きに来ているのとはまた違うわけで
なんで?なんで残業までしなきゃいけないの?
唯一、海外出張はもういいよって外してもらったけどそれだけ。本当に今のところそれだけ。
残業してると「元気?」とか「無理してない?」とか気にかけてくれる人はいるけど
最近もう「元気です」とか「大丈夫です」とか返事すんのも嫌になってきた。
本当は全然大丈夫じゃない。お腹張ってるし体もしんどい。帰りたい。「元気じゃないです、帰りたいです。だからこの仕事代わってください。」って言ったら誰か代わってくれるの?
何もしてくれないくせに口だけで心配してるフリしないでよ!!
何もしてくれないならもうほっといて!!
追記;10/29
具体的にこの業務を外して下さい、残業は出来るだけしたくないです、と直属の上司とコンプライアンス責任者に9月末に既に伝えてあります。
「分かりました。いいですよ。」と言われたきり音沙汰および具体的なアクションはなく、業務を引き継ぐ相手すらよく分からないなままで、
当の直属の上司からすら、未だにその仕事に関しての依頼が私に来ます。
残業申請、休日出勤申請をして対応していますがそれについても特に何のコメントもなくただ承認されるのみです。
あ、全体の朝会で、彼女に残業をさせないように、という訓示はありました。仕事量減ってないのにどないせいっちゅーねん、と思いましたが。
大丈夫?の会話のくだりは同じ部の若手と交わされることがおおいです。
でもそれも本当に心配して、何かあれば代わるよっていうトーンではなく
まさに外人のHow are you doing ?的な....「元気?」「元気ですー」「無理してない?」「してないですよー」という予定調和的な....
上手く言えませんが....
しかも若手に辛いって言ったとしてもうちの上が強い体育会系的組織上、何にもなんないんですよ。
だったら早くこの会話を切り上げて1秒でも早く帰りたいという。
日記を書いた日はたまたま、なんか上機嫌な社長が気まぐれで残業時間中にふらっとうちの部にきて、若手みんなに順繰りに声かけていっている中で、私に確か「どーですか、調子は」とか言ってきたんですよね。
で、私は確か適当に笑いで誤魔化しながら「はい、おかげさまで」とか答えちゃって...(良くないですね。)
帰ってから猛烈に腹がたってきて、勢いで書きました。
分かりづらくてすいません。
今回は裏サンデー
ふぅむ、まあ前回書いた感想とおおよそ同じ理屈が書かれているかな。
ただ、ここまでのことを実行に移せる存在としてシロガネが適任というのはメタ的に見れば分かるのだけれども、シロガネ自身がそこまでの執念を燃やす理由が、作中の描写だけでは弱いと思うんだよなあ。
ちょっと雑というか、丁寧にやるべき部分を間違っている気がする。
ラストのああいう展開は、まあクロガネたちのこれまでの活躍の結果だとか様々な因果を考えれば、そこまで不自然というわけではないんだけれども、やや予定調和感があるのも否めない。
や、嫌いじゃないけれどもね、ああいうの。
個人的に、もうこういう展開やキャラで話進めようとするのは正直ウンザリしているんだよね。
あと、2軍の大物感を演出するために、「俺たちが苦戦した石垣を軽々登ってる!」って。
そもそも2軍の選抜組みの方々は何も荷物背負ってないんだから、実質ちょっと急な斜面登ってるだけだろう。
まあ、なんか夢オチだとか妄想オチあたりにするんだろうけれども、それを前後編仕立てにされても、気持ちの置きようが……。
まあ、正解がない以上、物語がどういう主導から作られてきたかで語るのはアプローチとして分かりやすくはあるかな。
そういうのを要素を描くと角が立ちやすい、つまり創作の世界に美男美女(ブスではない)キャラばかりなのは、コンプライアンス的なものを逆に意識しすぎた結果ってのは恐らく合っていると思う。
相対的に見て美醜が決定されるなら、最初から全員美男美女にしてしまえってのは、すごく歪ではあるが。
その他もろもろの考察の結果、今の作品作りの傾向は「みんなが語り部の時代」とし、それがカオスすぎてファシズム的であるってのは、中々に思い切った解釈だな。
考察自体は面白くはあるんだが、最終的な結論がそういう見えない風潮への挑戦ってのは残念。
ほぉ、勝ったか。
刹那の執念や得体の知れなさ、ポテンシャルもあったが、それをきっちり地力と熟練の差で倒したってのがイイね。
メタ的に見れば因縁のある刹那が勝つと思っていたから意外ではあるが、無理筋ではない。
まあ、もちろんこれで刹那は物語そのものから退場ってわけにはいかないだろうから、どこかで因縁の決着自体はすると思うけれども。
今回は少年ジャンプ+
けっこう楽しく読めた。
開幕の脚だけもってくるっていうツカミ、これまで何度か描写された悪魔だけれども乗せられやすいというお約束、そこから謙遜でも何でもなかった魔力の低さという予定調和からの、魔力が尽きてめちゃくちゃ小さくなる場面とかね。
なんかすごく「分かってる」構成と、その上でアクを出すためのネタ選びもよろしい。
それにしても、魔力を得る方法が栄養ドリンクでも代用できるっていうのもアレだが、メムメムの魔力総量が栄養ドリンク一滴分ってのは笑えると共に悲しくなってくるな。
なんか、「実はすごい潜在能力が」ということもなく、そこらへんは割とシビアなんだね。
読者に好感もたれるかは何ともいえない人格なんだけれども、割とうまいことやっている気がする。
うへぇ、そこまでするのか。
なんか、こう、面白い面白くないというより、「面倒くさい」展開。
おー、ブレイズ魅せるじゃん。
それに、炎とか爆発とかってやっぱり映えるから、メタ的にみても盛り上がる。
ブレイズは悪党目指しているわけだから当たり前っちゃ当たり前なんだが、セリフからくる負けフラグがすごい。
まあ、最終的に勝てないんだろうけれども、ちゃんと健闘しているってのが描写されて満足。
落書きって、やることが幼稚通り越してんなあ。
なぜか、そこでコレクト5が不甲斐ないみたいな話になるのは意味が分からん。
まあ、そこで音が昂然とした態度で掃除して、それに周りが追従するのは面白くはあったけれども。
それにしても、愛莉は丸くなったなあ。
もうここ三ヶ月くらい無気力感が続いている。
心の支え 失った、と検索したら、恋人と別れたような話がたくさん出てきた。
いわく、我慢せずに悲しみを我慢せずに吐き出すことが大事だと書いてあった。
ああまた同じことを繰り返したのかとぼんやり思い返していた。
それこそ恋人に振られたショックを引きずっていた時。
理想に焦がれて失墜した次に焦がれたものはまた別の理想だった。
私がほしかったけど手に入れられないものを彼女はあつらえたように備えていて、
私はその予定調和にさえ思える物語に抵抗したけれども無駄だった。
このまま緩慢に死ぬつもりだったのに抵抗するたび捻じ伏せられた。
今もこうやって言葉にしてもいいのだろうか。
あなたが好きだ。
初めて目が合った時から好きだったし、
背景を知ってからは恋に落ちたし、
時間を重ねただけそれは深くなった。
私が自分よりも彼女のことを深く以上、死ぬことは許されなかった。
それからはずっと走ってきた気がする。
手当たり次第に今を過ごす幸せを噛みしめた。
彼女は私が生きてきて、たぶん一番心にフィットしたものだった。
同時にやぶん初めて、自分で選んで傍にいようと心から思えたものだった。
そのあとどんな代価も支払うという約束。
そんな気持ちで始めた恋がうまくいくはずもなくて私はだめになったのだけど。
そしてそんなダメになった私の前に現れた彼女は余り物を押し付けられたように思えた。
せめてそう見えないように、せめて頑張ったけれども。
神様がいなくなった私ができる約束なんてこの身にはもうなかったから、
鎖の代わりにリボンをかけた。
ちゃんと時間は一周した。
それとは別に、私は彼女を通じて生まれた他の人との対話が嬉しかった。
浮かれる気持ちを悟られないように1人ではしゃいだ。
ずっと話してみたかった人や今まで知り合えなかっただろう人がたくさんいたし、
そうやってちょっと元気になったからって調子に乗ってしまったのだ。
自分がひとつも持てない、きらきらしたものをたくさん持っている人に私は心惹かれた。
ただどうしようもなくその時の自分は体力的にも精神的にも参っていた。
その人は聡明なぶん、自分の見せ方を熟知しすぎていた。
私はだんだんと受け止めきれなくなり、しかしそれを向こう側に伝えるための場所は
あまりにも繊細で心許なかった。
私はそのしんどさを内に溜め込むようになり、過去の失敗を思い出しては身重になっていった。
だからって突き放していいってわけじゃない。
ここには書かない部分で気持ち悪い、怖い思いをしたからってやり方は選べたと思う。
そういわれたら口をつぐむしかないので今まで黙っていた。
他にも私が悪いところはある。
私からすれば本当に許せないことだったけれども、
私がそういったことをしただろう瞬間もあった。
私は執着的に向けられる愛情から漏れ出す自己愛のにおいが鼻について耐えられなかったけれども、
そして私は彼女たちに縋るだけ縋っておいて、何も還元できていないのだ。
私は自分の呪いを愛の重さに見えるトリックを使ったつもりでいたけれども、
本質的には何も変わっていなかった。
そうやって時間を稼いでいる間に何かできたらよかったのだけれども、
もう何をする気力も残っていない。
そこまで思い出してしまったらもう駄目だった。
他人の愛情をそうやって見てしまう自分の感性もすべて、嫌になった。
私がこうやって呪いにおぼれている間にもかの人は前へ進む。
だから私が去った方が美しいのだ。
周囲と上手くやって広く愛される聡明な人が残った方がいい。
何よりも彼女たちに還元する度量が広く深く誠実な人がいた方があちらにとっても幸せだ。
どうぞお幸せに。もう今更謝ることも何もないけどごめんね。
彼女の顔を見れなくなった私は今もどうしていいのかわからないけれども、
それなりにうまくやるだろう。
そう言えたら苦労はしない。
特定した人はどうか黙っといてね。
うん。別にオレ、増田の主張否定してないし否定しない。テーマとモチーフの違いを踏まえてる増田が、物事分かってないとは思ってない。強いて言えば「みんな喧嘩やめーや」という増田に対して「そりゃ喧嘩なくなんねーよ」って言いたかっただけ。だから問題ない。増田の善意もよく分かる。そこはメイビー問題ない。
そもそもあんな映画撮って喧嘩煽る庵野がある意味諸悪の根源。あの映画のせいでこの数週間ネットの罵詈雑言は三割は増えた。庵野はたぶん喧嘩好き(困りもの)。でもそれアイツの性格だから、分かってて映画作らせて、分かっててみんな見に行ったんだから、まあやっぱり仕方ない。
まあアレ? 「仲良く喧嘩しな」つーの? その辺が落としどころじゃないのかな、結局。みんな作法を弁えて殴り合いするならまあそれでいいと思うよ。予定調和、みんなハッピーって、三日も経つとその馴れ合いのヌルさで死にそうになるからね。だからまあみんな飽きるまでシン・ゴジラについて語ればいいと思うし、テーマ論派もエンタメ派も、作法だけは守ってお互い盛大に爆撃しあえーと思うわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20160822214055
そうそう。「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」楽しみですね(お金ないんだけど)。ちょうど議論が落ち着きそうになる頃にアレ発売されたら、また盛大に火を噴くだろーな。
あと「2」は作って欲しい派?いらない派? オレはいらない派。
噂のシン・ゴジラを観てきた。
別に、批判しようと思って観たわけじゃなく、ネットでの評判もとてもいいようだし、ちゃんと、楽しみにしていた。
ところが見終わったあとは、「これが絶賛されるって、大丈夫か?」と疑問符でいっぱいになった。
怪獣映画として出来がいい、というのはまず認めよう。CGやその他の技術を駆使した戦闘シーンやゴジラの描写、街が破壊される様子や自衛隊の武器が炸裂する様子は、それだけで見ていて楽しい。
とはいえ、あまりにストーリーが幼稚すぎる。あんな強引な作りでは感動のかの字も浮かばない。
これが「リアリティを追求した話だ」とか「日本人はまだまだやれる、と思わせてくれた」とか言われてるのを見ると、ちょっとあまりに恥ずかしい。
ストーリーを一言でまとめると、「居酒屋で泥酔して、社長や会社を罵倒した挙句『オレを社長にすりゃ全部解決してやるのによぉ』とか息巻いてる、自意識過剰なだけの情けないサラリーマンの妄想を実現させた話」というところだ。
あらゆる事態が主人公にとって、「都合よく」展開し、「都合よく」終わる、予定調和な物語。
子供向け漫画とかでよくある、「寝て起きたら世界が危機に瀕していて、自分だけがそれを救えるヒーローになってたらいいのになぁ、むにゃむにゃ」みたいな妄想物語を地で行く話。
普通はそういう場合、夢オチにして「現実はそんなにかんたんに行かないよ」って教訓にするものだけど、シン・ゴジラは、大人がその妄想に乗っかって優越感に浸っちゃうんだもんなぁ、情けない。
主人公の青年政治家矢口は、優秀だけど上司に媚びることがないから、組織の中では評価されないタイプ、ということになっている。(ああ、オレもそうなんだよねー、と思い込みたい人たちが山ほどいるタイプだ)
矢口を引き立てるためにことさらに無能に描かれた政治家たちの中で、矢口の予想だけがなぜかはじめから当たり(でも馬鹿な上司のせいで受け入れられない)、彼が組織したチームは全員が「肩書はないけど超有能」で、矢口を評価しない無能な上司たちは「都合よく」全員死ぬ。死ぬのは矢口と関わりが深くないモブだけで、チームの重要なメンバーは「都合よく」全員生き残る。
「ムカつく上司が全部死んで、有能でオレのことを信頼する部下だけが残って、オレがリーダーになれたらいいのに」
物語の中心となる矢口のチーム(巨災対)の仕事ぶりは、いわゆる熱血サラリーマンたちが大好きな、「連日の徹夜と手弁当」だ。
何かを研究解析するなら、世界各国の関係機関の協力を仰ぎ、その指揮を取るのが妥当だと思うのだけど(日本以外は無事なのだから)、そんなことしたら自分たちでやった満足感が得られないからダメ。
何を頑張ってるのかよく知らないが、とにかく寝ないで頑張る。で、優秀なはずのリーダーから出て来る言葉はお決まりの「できるかどうかじゃない、やるんだ!」的なアレ。失笑。
でもこの世界は妄想の世界だから、もちろんそれが正しいことになっている。徹夜で頑張れば光明が見えるし、やると言ったらやる、という強い意志があればあらゆることはなんとかなる。妄想だもんね。ついでに言えば美人のアメリカ特使もなんでだか知らないが最初から気に入ってくれて、アメリカの考えなんて全部無視して全面的に信頼してくれたりする。妄想だもんね。
さらに言えば、「日本人はすごいんだぞ!」ってことにしたいがゆえのご都合主義もあからさまで、苦笑するばかり。
ゴジラに対してアメリカをはじめとする国連は「東京に熱核兵器を落とす」ってことで一致して、なぜか日本の意見は聞き入れずにそれを強行しようとする。
そうはさせるか、俺たちの考えた作戦なら東京を破壊せずになんとかできる(かもしれない)から、アメリカを出し抜いて成功させてやる!という話にいつの間にかなっている。
勝つべき相手はゴジラじゃなくてアメリカ。タイムリミットをつくったのもアメリカ。
ナショナリズムを高めるためだけにこういう脚本にするの、良識を疑うなぁ。まぁ、トランプ政権になったらやりかねないかもしれないけどさ。
そもそも客観的な立場で考えたときに、ヤシオリ作戦って賭けるに値しない内容じゃない?
この妄想物語の中ではもちろん成功して当たり前なわけだけど、ヤシオリ作戦の元になる矢口プランを構想したのは、ゴジラの生態もなんにもわからなかった段階での当てずっぽうに近い。こんなの、全然失敗したっておかしくないわけだ。
「ヤシオリ作戦が失敗して、沈静化するはずのゴジラが逆に活性化して、核兵器も効かなくなり、さらに羽根まで生えて、世界中を攻撃しに行く」
そういう展開にしたら、矢口はゴジラを倒せる唯一の機会を無駄にして世界に破壊を撒き散らした、信じられないほど愚かな指揮官、ってことになる。まぁ、妄想の世界ではそんなことは起こらないけど。
というわけで、シン・ゴジラのストーリーは、とにかく都合の良い妄想だけで構成された、ご都合主義の権化とも言うべき幼稚なもので、この作品を見て「日本人もまだまだやれるって思いました」っていうのは、ハーレムものエロゲをやったあとのオタクが「モテない僕もまだまだやれるって思いました」って言ってるのにそっくりだな、と思うわけ。
今回はメテオ
ストーリーや展開、キャラの言動とかに説得力を持たせるには、理詰めや言語化が大事だってことは分かる。
けれども、逆にそれがリアリティを削いだり、不自然になってしまっている部分もある。
だって、ほとんどの人間は自身の感じたものを、すべて言語化しようとはしないし、できないから。
それに、いくら千の言葉を用いたところで、それを全ての読者に正しく読まれて、かつ納得して貰えるかなんてことは不可能なのだから、あえて「理屈を不足させる」っていうのも手法としてはアリだと思うんだけどなあ。
読者側に考察や想像する余地を与えるってのも、楽しく読ませる上では大事だよ。
無駄に反射神経すごいな。
何もないならないで一向に構わないのに、宙ぶらりんな状態だからヤキモキするなあ。
おー、直接的なエロ描写はないが、登場人物たちの感想と同じく「なんかエロい」と思わせてくれるね。
本旨から徐々にズレていく展開は予定調和だけれども、この巻と勇介の疑惑まだ引っ張るのか。
今後も定期的にオチとして使われそうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160812105519
渋滞中の車の中のそれもまた、予定調和(誤用)的な思い出のひとつなのでしょう。製造業などが一斉に休んで、親戚が一堂に集まりやすい。
あと、子育て中は鉄道利用だとまわりの視線などがつらいのよね。
子供づれ専用列車、逆にサイレントカーなどを鉄道車両には用意してもらいたいよ。新幹線なんてあんなに頻発しているんだから数本くらい何かできないのかな?お金儲けにつながらないからJR東海幹部としては興味ないってか。先人の勢いで食いつないて顧客志向を怠けていると、中国製などにどんどんシェア奪われていくんだぞ。
23歳になってようやく、10歳頃からの慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。
中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、
「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
的類いのものと捉えてくれていい。
2016年6月の終わり頃、Twitterのトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。
なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。
という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。
が。
どこもかしこも大絶賛の理由がである。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである。
特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。
いいのかそういう着地で?
多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である「矢口」(ハセヒロ)という人物である。
会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から「想定内」の結論ありきな形式的なものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物の存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会からの非難を怖れた日和見で政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、
派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラの被害を食い止めるための解決策へと動く。
これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくまで死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。
「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかしある意味では強みになり得るという着地だ。
超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。
ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクターは存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいるものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである)
「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)
これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。
更に、情報や知識の独占の否定。矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラの細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報の価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。
<超越的>存在であるゴジラに対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」
でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定と統合性が取れていないし、
むろんこういうのは、思想的な好き嫌い、価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である。
矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、
「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」
とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)
ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、
「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、
ここにいる者の生命の保証はできません。
だがどうか実行してほしい!
わが国の最大の力は、この現場にあり、
っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)
そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、
「まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)
映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。
ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである。
しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクションの世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものだからである。
繰り返すが、断っておくと、これはあくまで個人的な価値観の問題である。
しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。
もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか?
それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。
国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観?
いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで
っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつの作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。
これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、
「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」
ことであろう。
次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語や政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇
「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、
そうか?
前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか。
が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。
いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。
「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。
更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。
物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。
というのは、2時間映画の構造基本には、
が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。
小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルである。まやかしの勝利、からの喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブルは別にあることに気付いてしまったり、大・トラブルを解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、
「シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。
だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。
突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、
根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法にほとんど気が付いてしまっているのである。
ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラは活動を停止するのでは……
っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、
「これが正解なのだな」
と思う。思ってしまう。
だから、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。
これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである。
故に、制作者は、その予定調和的思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。
というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ。主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害や無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味・不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。
で、
からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである。
これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、
など少なくとも順番が入れ替わっていれば、
専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。
しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。
主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ。博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。
だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである。
つまりほとんど、「米国が核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。
ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。
以上の理由から、「難しいから子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、
「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的=作品の価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。
けれど、
やれ家族の絆だ恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいものを大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいものを評価できることが~
みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線の物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。
同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。
むしろ、近年、「マッド・マックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品が海外から出て話題を呼んだ中で、
まだ、大衆に媚びてないから一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。
今回はふんわりジャンプ
サイトのコンセプトの通り、感想を述べられる趣旨のモノではないので、気になったのだけ挙げてサラっと感想書く。恐らく、今後もふんわりジャンプを利用はするけれど感想は書かないと思う。ベクトルが違うのだから優劣を語るものではないのだけれども、現実の日常の中にある要素だけではエンターテイメントとしてはどうしても弱くなるなあ。
この人、私の知らない間に顔芸とかも挑戦するようになったんだな。
内容としては、良くも悪くも別段いうことないです。
というか個人的な事情なのだが、子育て系のエッセイ漫画はサムネイルだけで食傷気味なんだよ……。
まるで騒ぐのをやめたら受け手が読むのをやめると思っているんじゃないかってくらい、ネタの入れ具合が過剰だ。
4コマなんだから起承転結を意識したり、緩急をもう少しつけてくれたほうが、ネタの一つ一つも切れ味が増すだろうに勿体ない。
主役のネコサラリーマンが可愛くないビジュアルなのは、ネタのシュールさが増している感じがして、むしろよい(作者の画力的に、可愛いものが描けるかといえば微妙だとも思うが)。
ただ、当初の設定に依存しすぎたネタだから、少年ジャンプ+の「猫田びより」みたく横軸というかモブキャラでしっかり脇を固めないと、そう遠くないうちにネタ切れしそうな予感がする。
うむ、「日常」を謳歌している描写が丁寧で、登場人物の説明や人格も嫌味なく織り交ぜていて、読後感がよろしい。
というか数多ある日常系の漫画は、その実「日常感」を描くことがおざなりなものが多いので、こういう本来やるべきことをしっかり描いているのはすごく好印象。
アレなタイトルとビジュアルに反して、やってることが同サイトのおもち日和とカブってる気がする……。
メインキャラが全員目が隠れている造形は正解かもしれないな。
現実でもそうだけれども目で大分印象変わるから、あえて描かない事で他の部分で魅せようという選択肢としてアリだと思う。
まあ、話はもう毒にも薬にもならない感じで特にいうことはないけれども。
私もプー太郎経験あるけれども、このテの一番のポイントは「深刻さ」がないことなんだよね。
「働かない」ことでひもじい思いをするから働くのであって、「働かない」ということそのものに是非はないから。
漫画とかでよくあるニートの描写は、鬱屈とした部分だけ抽出して、それをデフォルメしすぎ。
そういう目線で見たとき、ニートをここまで緩く、危機感なく描いているというのは、むしろ現実的だとすら思う。
このまま出船番号ネタで引っ張るかと思いきや、最新話だと同級生の話とかも絡めてくるんだな。
誰しも色んなジャンルで経験ありそうだけれども、関心の度合いってものがあるから知識の押し売りはやめたほうがいい。
「へ~」くらいしか返しようがないし、かえってそのジャンルや語ってる人がヒかれる可能性がある。
話としては「あるある」なんだけれども、どうせ天丼ネタをやるならあともう1~2回くらいは繰り返して欲しかったかな。
最終的に主人公が当事者になってしまうというオチを持ってきたら、予定調和的ではあるけれども、話としては綺麗になる。
あと、アレだな、コミックウォーカーとかで読める「かふん昔ばなし」がネタ選びとか、それをどう面白く表現するかっていうことに気を使っているから、それとどうしても比較してしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20160622215402
http://anond.hatelabo.jp/20160623010622
けいおん!の終盤で澪と律が喧嘩したりラブライブ!で終盤のことり留学、穂乃果メンヘラ化とかが無理矢理なシリアス展開で嫌だ萌え萌え楽しいだけのアニメでいいのに。
みたいな意見はまあわかるんだ
でもこのアニメは最初からまちをイジって、セクハラして虐めるダークでサディスティックな作品でしょう?
陵辱モノエロ漫画でヒロインが最終的に半分壊れてしまうというのはバッドエンドというよりお約束、予定調和なラストではないだろうっか。
さて問題です♪
罵倒トラックバックの一体何割が、本気でコメント受け取ったり敢えて本気で受け取るふりをして叩いてるでしょー?
分かるワケないんだよねーコレ。ww
2ch化してるとか書いてたけど、向こうではもう気付いてる人いるよ? 匿名だから結局同じになるんだろうけどね。
いや、ここの政治好きな老害さん達は黙ってるだけで鼻で笑ってブラウザタブを閉じるか読み飛ばしてるかもね。誰も指摘しない辺りがまた陰湿なんだけど。
なんて言うか、自分だけが分かると思ってる辺りがまたお子ちゃまなんだけど、理由は考えてみた事があるかな?
君たちが良く馬鹿にしてる"2ちゃんねる"ででも聞いたみたらいいよ。
君の頭の中にはコメントや意見や思想や提言etcにすぱーっと綺麗に直線がひかれて「ここからマジ」「ここからネタ」とかに別れてるのかもしれないけど、会議でもお笑いの舞台でも飲み屋の酔譚でもそうでしょ? 途中からマジになったり冗談交えたり、後から間違いに気付いて笑ってごまかしたり、カン違いに気付いて猛烈に怒ったりするでしょ? 高尚なおブンガクと雑文の境界もそうなんだよ? 市井の庶民のムダ話は議会の予定調和より下のものだって本気で思ってる?
違うんだよねー。
総選挙第八回。
それなりに感動したが、それなりだった。
泣き崩れずに、ちゃんと、みんななりのアイドル観や、順位に対する喜びや悔しさを知れた。
でも何故か去年より心動かされない。
飽きた、とも違う。
8回目だもの、飽きるんならとっくに飽きてる。
今回、一番変わったと思ったのは
AKB全体の勢いが落ちてる中の、
上位陣が、せっかく上がったあの壇上で、
もうね。
選ばれて、あの壇上でスピーチすることが
アイドル人生、強いて言えば自分の評価の全てであった。かつては。
でも
圧倒的に分かってしまった。
おまけに48グループはどんどん仕事が少なくなっているのは嫌でもわかる。
でも総選挙は、
かつては48グループの中ではまず間違いなく
一番大きなイベントで、
目を引く面白さがあった。
泣き崩れてもいい、
逆に時間が余って徳光さんを置いて帰ってもいい、
悔しすぎて表情も硬いままに感じ悪いスピーチしちゃう人もいていい、、、
今年は、正直ほとんどいなかった。
特に上位陣。
でも私としては、
ファン想いで、全方面的に頭も良くておまけに可愛いあの子やこの子(その結果として常に前線で戦い続けてる選抜常連組)の、
ガチを、悲喜劇を、極限に追い込まれた時の本音の中の本音を見たかった。
順位が全てじゃないと笑い、
最後にまたお礼。
でも、ねぇ。
本当に見たいのは、コーティングされた上手いスピーチじゃないんだわ。
アイドルたちにとって生存戦略のギリギリのラインの主戦場として
少なくとも本気で挑んでるように見えたんだけど。
今年は堰を切ったように、上位陣までもが
水面下に冷めた感情を湛えてましたね。
そりゃ4回も5回も出ちゃったら
俯瞰的にもなるだろうけど。
本人たちも選挙という感情のジェットコースターにも慣れるだろうけど。
せめて劇場公演曲のいくつかには通年で反映するとか。
緊張感を増すとか。
そういうふうにツラツラと思った。
ヒップホップ・ラップがいま再び台頭しようとしている!!!!!!!!!!!!
火をつけたのは「フリースタイルダンジョン」のブレイクだろう!!!近年、フリスタ文化の静かな熱狂を体感していた増田だったが、この番組のヒットによってフリスタ文化を知るようになった人が増えたように思う!!!!!
ここにネットラップの台頭を付け加えてもいいし、少し前になるが田我流などのスマッシュヒットを補足しておいても良い!!!いずれにせよ、様々な面でヒップホップが新たな流行を迎えようとしている!!!!!
こんなツッコミが聞こえてくる!フリースタイルとは下らないプロレスである!!!
大して嫌いでもない相手を無理矢理ディスり、色々あって最終的には和解へといたる!!!
これは「自己と世界との間に見せかけの距離を設定した上で和解へと導くそのからくり」ではないか!!!!!!!!!
あるいは、最近流行のヒップホップとは結局のところいわゆるマイルドヤンキー文化である!!!
あるいは、彼らが大事そうに提示するマリファナとは結局健康志向の裏返しに他ならない!!
果たして健康志向の文化が面白かったためしがあるだろうか?!?!?!?!?
あるいは、ツイッターのアニメアイコンの連中を見れば分かるように、ヒップホップは彼らによって「再領土化」されてしまった!!!!!
無論そこから脱領土化のラインを見定めて言祝ぐことは可能だが、しかしいずれにせよつまらないものになってしまったと。!。!。!。!
これらの言説に頷く面はあるし、他方認識を正したい面もある!しかし、ここではその道をとらない!!!!
YENTOWNというグループがある!!あえて詳しく説明しないほうが楽しいと思うので、いくつか動画を貼っておく!!!!
https://www.youtube.com/watch?v=bQIPF2wwM34
https://www.youtube.com/watch?v=3TWgJFrhbw8
ご覧いただければ分かるように、「キメたもん勝ちの世界」である!!!
この「キメる」は先ほど述べたように、最終的に健康志向に回収されるものではない!!!単にキメたくなったからキメるのだ(実際どうなのかは知らないが)!!!
あるいは、フリスタに見られる「対立—和解」構造であったり、地元志向であったり、女をはべらすなどといった紋切り型がここでは華麗に退けられている!!!!!!!!
人間、どうしようもなくメチャクチャなことがやりたくなったときはメチャクチャやるのだ!!!!!(怒)そんな気分にさせられる!!!!
予定調和的な物語にうんざりしている人、退屈なコミュニケーションに飽き飽きしている人、そして何より、自由を強く求めている人にはこの音楽を強く勧めたい!!!!!!!!!!
は? っていうのが率直な感想。2晩寝て起きてもなんかスッキリしないわけよ。
ワケわかんねーってやつは「般若」か「KREVA」でググれカス。2秒もかかるか。
ロクな記事がない。どいつもこいつもねむてーことばっか書いてんなよ。てめーは仕事しろよAmebreakこら。blastが墓場でアクビしてんぞ。
般若がKREVAに噛みついてたのは知ってる。トラックでもライブでもフリースタイルでも、ことあるごとに。
因縁ならある。
KREVAがBBP3連覇して早々にいち抜けしてから、次の世代のバトラーとして踏ん張ってシーンを引っ張った漢と般若からすれば、BBP出場辞退した同じ年にKICKとしてメジャーシーンに躍り出たKREVAが面白くないのは仕方ない。それをもってセルアウトってこき下ろしたくなる気持ちもわかる。
バトルから遠ざかって15年越しにKREVAにケンカをふっかける相手として、般若か漢ほどふさわしい人間はいない。それは間違いない。
それも、いまだかつてないバトルブームの火付けになったフリースタイルダンジョンなんて、格好の舞台だ。番組と般若にとっては、な。
で。「おい、KREVAテメェ ブルってんじゃねーぞ! この野郎! 俺と勝負しろ!」ときたもんだ。
般若よ、その啖呵は本当に正しいのか?
誰がブルってるって? 誰が10年前にバックれただ? 少なくともKREVAが優勝したBBPでバトルできる機会はあったよな。そのバトルが実現しなかったのは誰のせいだっけ? 勝手に敗退して絶好の機会をみすみす棒に振ったのはアンタだろーが。
そもそも次の年も漢に優勝持ってかれて準優勝止まりだったよな。そんでその次の年も正面から負けたのにマル妄引き連れて散々暴れまわってBBPのバトル自体がその後縮小した原因のひとつをつくったのも般若、アンタ自身だよな。なーにが伝説だ。
売れてりゃスゴいとは思わない。逸れにKREVAだって売上は低調気味だ。ライブの集客もヤバイってことは自分で明言してる。確かに一時の輝きは失われた。だけど、メジャーの第一線で、哲学もって今も踏ん張ってる数少ないラッパーなんてKREVAとライムス以外にいるか? しかも自分でトラックつくってんだぞこの人の場合。
アンタが昭和レコードで今も可愛がってるSHINGO西成が悪評高いライブラにいた時、メジャーシーンにいち早く引っ張り出したのは誰だった?
年季も実績も器も格上のKREVAに対して、番犬ども従えてふんぞり返ってるお山の大将が、言うにこと欠いて「俺と勝負してやる、ここに来い」だと?
おい般若テメーふざけてんじゃねーぞこの野郎そうじゃねーだろ逆だろーが! お前が挑戦者としてKREVAに挑みに行けよ!
目の上のたんこぶに引導を渡したいんだか、燻ってるレジェンドに再起の手を差し伸べるストリートの流儀だかなんだか知らねーよ。
得意のカチコミしてたはずだ、俺の知ってる般若なら。かかってこいよじゃねーよ、寝言こいてんなテメーが討ち入りにいけよコラ!!
スキルが全然追いつかねーゴロツキに毛が生えたマル妄時代でもアンタはずっと相手の芯をビジョンを問うスタイルだったよな? 変わってねーと思ったよダンジョンで自ら進んで間抜けな格好してても核の部分はちっとも変わってねーと思ってたのに。
ふんぞり返っていい気になってんじゃねーよ、そんな言葉アンタのその口から聞きたくなかったよ。
外野がdisるな? はあ? そりゃ無理っすわ。なんでって? 他ならぬ般若だからだよ!! そんなこともわかんねーやつはラップの辞書でも引いて出直してこい。
芸能界? 知らねーな。プロレスだ? 演出だ? 聞いてねーよ。
裏ではとっくに出演が決まってるかも? オファーしたけど断られたから引きずりだそうとしてるのかも? かもかもウッセーよ外野の外野は黙ってろよ見えてることがすべてなんだよ視聴者様にとってはよ! 観客の野次にブチキレて暴走した般若が突っ走っただけに決まってんだよ!!
そういうとこが般若らしいって? 全然筋が通ってねーんだよこれは。ケーダブのおっさんみてーなみっともねー絡み方すんなよ。
KREVAに何のメリットがあんだよ。出るわけねーだろバカか。それでも、代々木公園で遠吠えされるのとはワケが違う。地上波でケンカふっかけられて、出なきゃ出ないで芋ひいたと思われて、あのフリースタイルができないでおなじみのメガネのパーマンと同列に語られることになるのかよ。冗談じゃねーぞどっちに転んでもババ引くだけじゃねーかクソ。フェアじゃねんだよこんなの。
こんなとこで匿名で書き散らしてる俺が一番卑怯もんなのは知ってんだよ。でもアンタ言ったよな? 筋道礼儀のないやつは、どこにいっても愛されないんだったよな? ガッカリさせないでくれよ頼むから。アンタはいままさにキッズにとってのスーパースターになりつつあるってのに。
2011年のBBPでゴタゴタあって結局引っ張り出されたKREVAが無茶ぶりされて久しぶりにフリースタイル披露してから、ちょうど5年ぶり。普通だったら「ごめん無理」。KREVAならたった一言「(テメーが)来ればいいのに」で終わりだろこんな茶番。はい解散。
なんて全部ウソです強がりですぶっちゃけ見てえよ2人のバトルKREVAと般若の対決見たくねー日本語ラップ好きなんてそれこそウソだろこんなアツいビーフ日本じゃもう起こってねーだろここんとこ見たくねーわけねーだろバーカ!!!!!!!!
あのサKREVAさアンタがスルーするとは思えないけどでも何の得にもならないBEEFどころじゃねーろくでもねー出演オファーにとりあわないだろうなって知ってるようけたくなけりゃうけなくていいだけどみんな見たいんだよ王者の貫禄休んでる場合じゃねーだろボス猿を黙らせろこっちは本気で願うよケンカちょっとしたピクニック気分でもいいからぶっ潰してくれよミニチュアモンスターどもも会場の空気もZeebraのちんけな目論見も一切合切アンタには100万なんて朝飯代いらねーもんなドブにでも捨ててやれよけどそもそも般若がなんでここまで食い下がるかなんてバレバレだろうがわかってんだろ好きの反対は無関心なんだよこんなの見え透いた熱烈なラブコールでしかないだろ今試されてんのはアンタだろ大人な対応なんて誰も望んじゃいないだからジャッジに宇多丸でも呼んでバチバチ熾烈なバトルかましてその後堅い握手かわして和解して2人で一緒にコラボ曲出してオリコン1位かっさらってくれよそうすりゃバトルだけじゃないほんとの意味で日本語ラップが息吹き返すかもしれないだろそんな夢も見さしてくれよ一瞬でいいどっかのバカが吠えてると思ってくれていいけどもっと盛り上がってほしい予定調和だっていいんだよここまできたらもう別に!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
未完の名作だからいいんだ、というのも一理あるのかもしれないと思い始めた
ダブルブリッドみたいによーやく出ても予定調和っつーかまあそれしかないよね的な無難な終わり方してもまったくありがたみないしそれなら別に今さら出す意味もないしみたいな
あのメンツにまた会いたいんだ
よしみるよ
去年だかおとどしだかにEGコンバットが動き出してるって言ってたのはどうなったんだよ
せめて別の人間に書かせるなり自分が漫画版書くなりして完結させてくれよ
富樫が2年書かなかったとかハナクソレベルに感じられるくらいに、ラノベ界の遅筆・未完率は高すぎる
そのくせどこの誰が書いたかもしれぬ極限まで薄めた味の素みたいな量産型異世界ものラブコメハーレムものはぽんぽんだしやがるし
ラノベは死んだ