はてなキーワード: 中学校とは
小中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体が無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。
学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったから勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。
勉強はしたくなかったから高校は普通科ではない少し特殊な学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいしクラスメイトも優しくて、初めて学校でいじめられなかった。高校を卒業したら同じジャンルの専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学も視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学のいじめのフラッシュバックでメンタルが限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学へ指定校推薦で進学した。
大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかったかもしれない。
勉強の習慣がなかったから毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学、心理学、哲学、法律、外国の文化、歴史、英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。
人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生の講義は楽」
だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強しやすくなるから友人はいた方がいい。
大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係の講義で発達障害の存在を知った。
俺のことかと思った。
俺が発達障害?
気になるとそのことしか考えられない。
数日後には県内の発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。
「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害の可能性があります」
絶望した。
自分が障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。
俺は「あなたは発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分は普通なのだとその証明を医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。
今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。
医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。
waisの結果は最悪だった。
総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。
自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。
それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。
一番飲んでいた頃は一日で
インチュニブ2mg
コンサータ18mg
ルネスタ3mg
レンドルミン0,25mg
を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。
大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業に就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。
その状態で一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。
ストラテラもやめた。
もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイトで接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。
普通じゃないってなに?
数が多いってだけでお前らが正しいの?
指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、
もう何も考えたくない
何も考えたくないよ
貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。
友達がいません。
今でも連絡をとってるのは高校の友達が1人、大学の友達が5.5人。でも今後中々会えないと思う。
あとおともだち達にはそれぞれ別に親友がいる。別に私が一番仲良いわけではない。
中学の友達とか高校の友達とか、学校行事の班割りで困らない程度にはつるむ相手がいたけどそれだけだなあ。
小学校から中学校まで客観的に見て一番仲良かったはずの子がいるけどその子とは連絡も取らなくなっちゃった。今キャバ嬢みたいになって男にブランド物を貢がせてるのは本人から聞いた。ああこの子とはお互い一生会わないだろうなと思った。
24歳までボーッと生きてきたけど改めて私友達いないなあと悲しくなってきた。みんな友達いっぱいいてすごいなあどうやって作ってどうやって関係を維持してるんだ
涙が止まらない。
しかし、他にも要因があって、息子が不登校になる前に、上の娘の方が不登校だったのである。
娘は息子の三歳上だが、小学生六年の時、悪質な担任に当たり、とんでもない差別というか、エコ贔屓を超えたレベルのほとんどいじめに近いことをされ、担任だからなかなか原因が発覚せず(本人は自分が悪いと思い込んでいた)、相談相手が最初は担任なので、全然わからなくて娘を叱ってばかりいた。担任が原因だと分かったのは不登校になって三ヶ月くらい経ってのことである。
それは、なんとか解決したが、その時、下の息子は「学校へ行かなくてもいい」ということを覚えてしまったのである。
などとしばしば言っては、ほんとにずっと布団の中で寝込むので、親も仕方ないかなと思って休ませていた。
実は、しばしば学校をそんなふうにして休んでは、親がいなくなると、ずっとゲームをしていたのだ。
それがエスカレートして、学校でいじめられてるとか言い出し、問い詰めても誰がいじめてるとか内容とかをまるで言わず、娘の例があるもんだから、原因がわかるまで待つしかないとなった。
しかし、ある日、やはり息子はどこか嘘をついているという感じがしたので、「家にいてもいいけど、ゲームは親がいない間は禁止する」としてゲームを取り上げた時に、息子は半狂乱に近い状態になったのだ。
やっと、ゲームが原因だと分かったのは、多分5年生の夏休み前くらいだったと記憶する。
ところが、怒っても怒っても、息子は頑として学校に行こうとしない。
色々聞いてると、どうも不登校が続き過ぎて、クラスメートに恥ずかしくて学校に行けないという気持ちになったらしかった。
しょうがないので、保健室登校から始めようということになった。
ゲームは、この時、禁止したり、或いは時間制限したりはしていたが、たまに取り上げたりと、方針は一定していなかった。
但し、不登校児童はできる限り自分の意思で学校に行かせようとしないといけない、と学校などから指導されるので、夫婦で話し合い、息子を叱るのはやめようとなった。
そして、一週間に1、2回だけど、保健室登校をするようになった矢先の出来事。
妻のせいだとは思わないけど、妻が息子をこっぴどく叱りつけ、ゲーム機をバケツの水に沈めて使えなくしてしまったのである。
その時息子に生じた不信感が、彼を五年間自宅に閉じ込めるきっかけになってしまったのだと思う。
正直、「どうして、あれほど息子を叱ってはいけないと二人で決めたのに……」とは思ったけど、反面で妻の方が、家にいる時間の少ない私よりは一生懸命対応しているので、責めはしなかった。
それから、散々、色々な関係機関への相談や、或いは、中学校を学区外にして、小学校の友達に合わないようにしたり、色んなことをしたけれど、結局、この五年間、何も出来なかった。
そのうちに、引きこもりが酷くなって、息子は家族とも顔を合わさなくなった。
食事だけは、自室ではなく、ダイニングで取ってもらおうと、息子の食事は必ずテーブルに用意し、息子がリビングに出てきやすいように、夕飯時などは他の家族全員が顔を合わせないよう息子が食事の間は別の部屋に引きこもった。
そんな生活を続けて、とうとう、ほんとに顔を合わさない父親の私のことを、息子は大っ嫌いになったらしい。
何故なら、不登校になるそもそもの原因、任天堂Wii u とスプラトゥーンを、息子への褒美にと買い与えたのは私だったからである。
一年間、自宅の風呂洗いを続けたら、買ってやると約束し、彼はきちっとそれを守り通したから、買い与える以外にはなかった。
どうして大嫌いになってるのを知ったのかは覚えていないが、私は息子と顔を合わせないどころか、自宅にいる間は咳すら我慢し、存在を消す以外になかった。そうしないと、あからさまに息子は自室のドアをバンバン蹴ったりして暴れ出すからだ。
そして今年かな、一月頃に、息子は私がブチ切れるざるを得ない行動に出た。
「死ね」
と、他もまぁ色々と書いてあったけど、そう書いた手紙を私のいる部屋の扉の下に滑り込ませたからである。
怒り狂った私は、怒鳴り散らしながら、彼の部屋の鍵のしまっているドアを外から開け(外から簡単に開く)、送風機を持って待ち構えていた息子を布団の上に押し倒して二、三発軽く殴った。
その時、散々私は息子に色々なことを言った。確か、「「死ね」などと書いた手紙を書ける神経があるのは、お前が五年間も友達とかコミニュケーション取らなかったからだ!」みたいな話かな。
それまでの数年間、会話らしい会話どころか、息子の声すら聞いたことがなかった。
やっと話し始めた。
「本気で書いた訳じゃなく、パパのイビキとか咳とか聞こえてくるとめちゃくちゃムカついたから、冗談のつもりだった」
こちらが、あまりに意識し過ぎたせいで、逆にちょっとしたことが息子には気に触るようになってしまったからだと思う。
それから少し経って、息子が「学校に行きたい」と、妻にLINEした。
息子が学校に行きたいと思っていること自体は、少し前から知っていた。
息子は息子なりに、このままではダメだと思っていた。
でも、親が何も言っていないのに自分から言い出したのは初めてだった。
今から普通の高校は無理なので、週少しだけ登校のある通信制だけど、いいか? と聞くと、行くという。
そして、その高校から提出書類をもらって、息子は所信表明のようなことをその提出用紙の一つに書いた。
そこには
「友達が欲しい」
と書いてあった。
私が、「死ね」と書かれて息子に怒ったときに「友達とコミュニケーション取らないからだ!」と言ったことに影響されたのかどうかは知らない。
もちろん、それがぬか喜びになってはいけないから、現時点でもそうだけど、まだまだ様子見を続けなければならない。
だけど、きっともう大丈夫だと思う。
がんばれ、負けんな! 心の底からそう思う。
id:Dr-Seton の以下の記事について
https://dr-seton.hatenablog.com/entry/2021/04/23/222208
フェミニストは、外形的な要素(収入、容姿、年齢など)で格付けせず、「人としてどうか」で判断しているから正しいって言ってるんですけど、マジでアホかと思う。
この「人としてどうか」という判断が、実質的に、コミュ力、発達、容姿、収入等の諸要素を変数として、ブラックボックス化した中学校の内申点のようなものになってるわけでしょ?
それとも「フェミニストの判断は公正公平だ」と強弁するの? そんな無茶な方便に騙されると思ってるの?
外形的な、収入の多寡や容姿で選んで、それを堂々と言うのは、クソだけど正直なだけマシ。
むしろ、それを「人としてどうか」のような全人格的価値の問題にすり替えて、実質的に人を格付けしているのがミエミエだから猛反発されるんだよ。
ふと、生まれ故郷の事を思い出し、最近コロナとかで帰れていないからグーグルマップで散歩してみたんだ。
小学校の頃に仲の良かった双子がいた。一緒に遊んだりゲームをしたり。
低学年の頃は良く遊んでいたんだけれど、クラス替えなんかで友達も変化したこともあって高学年になると疎遠になっていた。
中学生の頃かな。片方がいじめに遭っていた。そして不登校になった。
いつの間にかもう片方も不登校で結局中学校の卒業式には二人とも現れなかった。
両方おとなしい性格で、成績優秀でもスポーツが得意でもないいわゆる陰キャ的な雰囲気だったが、いじめとはそんな些細なことから始まる。
何処に進学したのか、それ以降は音沙汰もない。
ぼさぼさ頭で肩まで髪が伸び、グレーのスウェット上下を着ていた。なぜか記憶に残っている一場面。
声もかけずにただすれ違っただけだった。こちらの事に気が付いていたのかは分からない。
グーグルマップで散歩。子供の頃に良く遊びに出かけていた双子の家の前まで行ってみると、荒れ果てた家だけが残されていた。
表札も外され庭には枯草だらけ。プロパンのガス管が外されていたことから空家になっているんだろう。
ふと思い出したことを書き残しておこうと思う。
中学校に定額なくね
旭川14歳いじめ事件の被害者がなあぼうの相談凸待ちで相談していたシーン【2020/11/07】
https://www.youtube.com/watch?v=jRbRZhIU7KA
この動画を見る限り、めちゃくちゃ頭が良くて絵の才能も文才もある多才な子なんだよね。
ここで濁してもしょうがないので書くけど、中学生ぐらいの幼いグループだと異質感はあっただろうなと思う。
そして、嫉妬もすごかっただろう(もちろんされる方)。
多くのリスナーが「賢い」「絵の才能がある」とその場で判断できたのに、なぜ旭川の中学校の教員にはこの異才を保護するという判断できなかったのか。
専門的な知見を備えてると期待される教員が「中学校に来なさい」「このままだと高校に進学できないよ」としかアドバイスできなかったのはなぜか。
旭川にはフリースクールがないのか? 通信高校ではダメだったのか? 旭川では子供を守る術を持たない者が「教員」をやっているのか?
親の事業を継いでたら今頃ひどい目にあってたわ。
セフセフ。
そんなわけでコロナで思うことを書き留めておく。
まぁ読むやつはいねぇだろうがw
2,3年後にそらみたことかと言えるようにネットに残しておきたいだけだ。
では、始める
自粛やマスクやワクチンが感染者や死者を減らす施策と勘違いされたま
辟易している。
最初は正しくピークシフトだと言うてたがいつの間にか説明を諦めたようだ。
感染者数も死者も総数は変わらない。
山が平らになるだけ。
減らない。
なんで減ると思ったの?
日常生活を送っててコロナウイルスから一生逃れ続ける事は不可能
手洗いとか殺菌でどうにかなるものではない。
そんなもんで撲滅できるならインフルエンザなんてとっくに撲滅できてる。
無理なの、不可能なの。
これは死亡率が高く感染のメカニズムや皮膚に症状が現れるなど撲滅できる条件が整ってた。
世界中が右も左も西も東も手を取り合って全世界的に撲滅作戦を執行した。
人の移動もまだ緩やかだった時代にようやく達成できた。
どこかに残り続ける。
そしていつかは全員に回ってくる。
コロナウイルス撲滅の可能性がわずかでもあればロックダウンだのマスクに意義があるが。
2万%無理です。
なりません、そんなもんで救えるならとっくに風邪やインフルでやってる。
ちなみに、風邪はウイルスに罹患したら全員もれなく発症するようなものではない。
症状がでるのは2割。
普通の人は一年に1,2回は風邪を引くけど実際にはその4,5倍は無症状なだけでウイルスには感染してる。
ウイルスには感染しているのだから気道などで増殖しくしゃみをすれば飛沫をばらまいてる。
そうやってウイルスは街の中でジワジワと生き延びる。
気温や湿度など条件が整えば一気に広がる。
日本は年間130万人が死ぬがそのうち10万人程度は風邪が原因。
人が死んでも基本的に原因は調べない。
末期がん患者が死ねば死因はざっくりガン、高齢者なら肺炎や老衰でごまかす。
ごまかすってのは言い方が悪いが
ところが今、誤飲性肺炎だろうが末期がん患者だろうかコロナに罹患して死ねばコロナ死とカウントしている。
お年寄りが軽い風邪を引く、もともと筋力が落ちてるところにウイルスで筋肉が炎症を起こせば
直接的な原因、つまり死因は誤飲性肺炎と診断で間違いは無いが。
なんか違うよね。
ともかく実際の死ではそんな細かい事は調べない。
老衰と診断された人も詳しく調べると原因がわかる。
心臓止めたのはこいつだなと。わかる
そういう研究から推測すれば年間10万人程度が風邪で死んでる。
風邪で人が死ぬのは当たり前すぎて誰も研究も調査もしないわけ。
ところがコロナは数千人死んだだけで大騒ぎして緻密な調査して怖い怖い言うてる。
肺炎球菌だけで年間4,5万人が死んでるけど
医療崩壊は起きないし大騒ぎにもならない。
で終わり。
でも新型コロナは大騒ぎ。
できません。
死亡率が下がると思うだろ?
下がらないんだわ。
若年層がワクチン打っちゃうと免疫獲得の機会を逃すことになるから。
ミクロで見れば効果はあるんだけど一生、社会全体のマクロで見るとなーんの効果も無い。
せいぜいが高齢者だけ。
体力が違う。
免疫ってのは人体が強いダメージを食らうほどその抗原を強く長く記憶するようにできてる。
しかし免疫は諸刃の剣で、人体を守る機能ではあるがそれが暴走すると体そのものを壊す。
体内の異物を見境なしに敵とみなして排除するわけにはいかんのです。
そもそも飯を食うというのが異物の挿入なわけで。
困るよね。
では人体はどうしているかと言うと体調が崩れた時に体内にいた異物を敵とみなすシステムになってる。
さらに何段階かあり、めちゃくちゃ体調が崩れた時は超ヤバい敵と認識する。
ところが免疫システムはもっと利口で、敵を誤認するであろう事もシステム設計で考慮されてる。
人体すげぇ
よほど重い症状でなければ短期免疫で済ませる。これなら誤認であっても時間が経てば解除される。
例えば一時的に米アレルギーになっても数ヶ月でまた米が食えるようになる。
免疫の最終段階はキラーT細胞で、これは体内の異物をとにかく殺しまくって体内を一度リセットする最終兵器。
免疫にはIgA、IgM、IgGなど各種あるけど、活動場所が違い、どれが発動するか、体の不調の検知は炎症、発熱をトリガーにしてる。
人間の体でヤバいのは人体の損傷、つまり炎症なわけで、炎症を起こせば筋肉が発熱する。
人体がエネルギーを熱に変換できるのは筋肉で、炎症箇所の筋肉は発熱する。
お年寄りが死にやすいのは筋力が低下しているので発熱ができず免疫が起動しないから。
で、西洋医学はここに目をつけた、そや、炎症を抑えればええやん。
抗炎症薬の登場。
とりあえず大本の炎症を抑えれば発熱もすることなく、時間が経てば自然治癒するだろと。
まぁ間違っちゃいない。対症療法。
白血球がそれなりに異物を食うてくれるのでそのうち治まるが。
西洋人はアスピリンの化学合成からこの作戦で半世紀、百年やってきた。
東洋医学はこれとは逆で炎症、発熱にはそれなりに意味があるものと考え解熱、炎症鎮圧をやらない。
これで数百年やってきた。
風邪の回復後にウイルスは検出されないのに微熱が続く、頭痛するようになった。
そもそも、タバコも吸わない健康的な生活してても年を取れば小中学校の頃のように走り回ったり飛び跳ねたりできなくなる。
これ後遺症と言うか?
人生何度も風邪やら怪我やら各種疾病を繰り返しながら大人になる。
そのたびに肺や人体の損傷が蓄積される。
新型コロナは国民一丸となって頑張ったから抑え込めたのだ、この程度で済んでいるのだと主張する人。
ところが、実際には意味がない。
ただのピークシフト。
いずれ一度はかからなきゃならない。
今かかるか先にかかるかってだけ。
で、大騒ぎせずにただの風邪と扱ってりゃ一般病院で診察できるんだから医療崩壊は起きない。
逆に言えば大騒ぎしてる連中が殺してるんだよ。
ヒステリックに特別な病気として扱えと騒いでる連中が医療リソースに制限をかけ
受けられるはずの治療を奪ってる。
大阪はとうとう溢れた。
医療リソースが枯渇したのではない、コロナ対応できる医療リソースが枯渇しただけだ。
ただの風邪なら一般病院でエクモできるのに、指定感染症だからできない。結果、たらい回しにされ見殺し。
肺炎球菌だけで年間4,5万人死んでて、医療はそれで逼迫するわけではない。
十分に受け入れられるんだよ。
つまり解熱剤飲むなボケ、対症療法ではなく自己免疫に刮目しなさいって話なの。
フィリピンは人種的にはマレー系で子供には蒙古斑が出るアジア系なのだが。
アジアで見るとフィリピンがコロナの死者、感染者数で悪い結果が出てる。
途上国ということもありセルフメディケーションが浸透してて
免疫が育たんわけです。
西洋と同じ。
東洋医学が強く残っている対岸のベトナムと対象的な結果になった。
ここにきてイスラエルすげぇさすがユダヤ様とか言い出すアホォが現れた。
一日あたりの感染者数は日本もイスラエルも1月初旬がピークで8000人程度。
ところが、イスラエルの人口は900万人、日本はその13倍1.2億人
あれ?
わぁ日本の方が多いって、人口13倍ですから、人口比で比較しろよ、統計学的に。
それでもこんだけ死んでる
ダメじゃん
イスラエルのコロナ感染者数の推移みりゃわかるがワクチン接種開始してからの
イスラエル国民の免疫、特にIgA抗体の推移を調査すりゃ感染者減少のメカニズムが解析できるんだろうが
IgAとワクチンの効果は数ヶ月だから、数カ月後変異種で再度感染爆発もありえる。
まだ結果を評価できる段階ではない。
そもそも人口あたりで比較すりゃ日本の数十倍の死者を出してるわけで
普通の風邪だけで年間10万人が死にます、命なんてそんなもんです。
肺炎球菌だけでも4,5万人が死んでる。
なんでそう思ったの?
あのな
つまり1.6%すでに脱落してる。
40台のコロナ死者が10人か20人か知らんが、テキトーで20人でいいや。
0.000001
0.0001%
キ ニ ス ル ナ
どーでもいいことをクヨクヨ悩むからつまらん事で死を選ぶんだよ。
人生楽しめ。生きてる間は精一杯笑え
だけど、莫大な国費を投入する経済合理性があるのかは疑問だわ。
命に値段は付けられない、やれることは全部やれ、政治家が口にするには美しいセリフだが。
国家予算は無限にあるわけではない、医療に割ける予算には限度がある。
こんなもん皆保険で無限に許してたら制度が破綻する。誰でもわかる。
どこかで線引しなきゃならない。
10日なのか100日なのか、10年なのか。
実際の医療現場でも救える命を無制限に金とリソース浪費して救ってるわけではない。
標準医療には制限があり、実際にはまだやれる事、医学的、科学的に延命余地はあっても
しょうがねぇの。
だけど厚労省は結果を出してる、世界で一番長生きな国を作ってる。
厚労省すげぇ
西洋医学に安易に追従して、セルフメディケーションとかやらなかった。
医薬品業界はこっちにシフトさせようと必死だけど、厚労省の良心がギリギリのところで止めてる。
まぁ昨今ズルズルだけど。
お陰で国民の大半はコロナの免疫を獲得済みで、今回の新型コロナでも交差免疫が効いている。
子供が発熱する、病院に駆け込む、A病院では薬が処方されすぐに熱が下がった名医だ。
B病院は薬を出し渋る、なんだあの医者。ダメだ。次からA病院しか行かない。
初めての子育て、頼れる人も相談できる人もいない、心配で仕方がない。わかるよ。
熱が下がればホッとするよね。
何度も何度も同じ風邪を引くよ。
一発罹って発熱して免疫獲得すりゃ次からは軽い症状で済むのに。
ちった利口になれよと。
でさ、マスクをいつ外すの?
なんで?
奇しくも立証しちゃったよね。
超過死亡が下がってる。
あれ?
立証しちゃった
あれ?
マスクや自粛のお陰でコロナとは別に数万人の命を救ったわけだ。
マスクし続ければ、飲食店を潰しまくれば来年以降毎年それだけ救える。
え?戻すの?
数万人殺すの?
何時の時点で、どの条件でマスクを外すのか。
意味わかる?
マスクなどしない、子供にもマスクをさせている親は怪訝そうにみる。
逃げていく親もいる。
いじめるクソ民度の中高生を一か所にまとめて汚物焼却する方法ねえか?
なんならその両親も一緒にまとめておこうか。
日本人のふりをした偽日本人とかは日本をつぶすために子供という名の兵隊を作ってるわけだからイジメもその訓練なんだよね。
https://bunshun.jp/articles/-/44766?page=2
「爽彩は中学に入学してからはいつも、塾に行く時間が来るまで、そこで勉強をしたり、小説を読んだりして過ごしていました。やがて、その公園で、同じ中学の先輩らと顔見知りになる中で、2学年上のA子と知り合ったのです。
最初のうちA子とは、公園で話したり、夜に帰宅してからは音声を繋ぎながらネットゲームをしていたようです。ただ、A子の友人のB男と、近隣の別のZ中学校に通うC男がグループに加わると様子がそれまでとは変わっていきました。夜ゲームをしている時も、わいせつな会話をしながら、ということが増えていったそうです。この頃から、A子、B男、C男らによるイジメが始まったようなんです」(同前)
天真爛漫だった爽彩さんの表情からは笑顔が消え、家でも暗く思い悩んでいる様子を見ることが多くなった。5月には、生まれて初めて母親に「ママ、死にたい……」と洩らしたという。前出・親族が続ける。
誰も論破できない。
もっとも、ゆたぼん父の反論が論点のすり替えになっていて反論として破綻しているという点においては、ひろゆきは論破しているといえなくもないのだけるど、父子の考え方を改められなかったという点で、論破できたとは言い難い。
ところで、学校ではこんなことを習うよ。
宗教にのめり込んでしまった家族を説得するのと同じだ。(暗喩)
宗教にのめり込んでしまった家族を競っとくするのと同じようなものだ。(比喩)
合ってるかな。。
過去、最難関校からご近所の学校まで、いろんな私立の中学校を見学したことがあるけれど、超進学校ほど、「学校のロボット」感は皆無。
イキイキしてる生徒が多いよね。
お父さんもゆたぼんも、いい学校(偏差値が高いという意味ではない)を知らないから、生徒が心からイキイキしてるって思えないのかなぁ。
ゆたぼんも、せっかくなら灘中とか行ってみればよかったのに。
中学校で俺をクソみたいにいじめてたクズが格闘家になってた。で、コロナで生活が苦しくなったのかYoutube始めてた。コロナ禍でそのまま干上がれば面白かったのにな、残念だ。
しかもその界隈では結構有名な選手らしい。とはいえ、その界隈自体がどのくらい知名度があるのかわからないので、世間一般の知名度はどのくらいなのかわからないけど。
今社会の関心を集めているあのいじめ殺人事件は「これはトラウマ穿り返される奴だ」と思って詳細は見てないのだが、まさか目を逸らした先で最悪のものを目にするとは思わなかった。
動画、やたら楽しそうだったな。楽しそうでよろしゅうございますね。
どうやらコロナ禍で格闘技とかその辺の生活が苦しくなったみたいで、いろんな選手がやってるみたいだ。どの選手も内容がほとんど同じだが。コラボ、予想、ルーティン、トレーニング、コラボ、予想…顔が変わるだけでたいして変化がない。
まぁ、俺を恐喝すれば金を得られたあのころと違って本当に厳しいんでしょうね。金返せよ。
なんかファンからもらったプレゼントを自慢げに見せてましたね。俺の時計返せよ。
服にもこだわりがあるようで、なんか独自ブランド作ってましたね。俺の服あんなに破いたのにな。
再生数が欲しいなら「私の過去を告白します」みたいな動画作ればいいんじゃないでしょうか。
ちょうどいじめ殺人で世間が湧いている今、再生回数めちゃくちゃ延びると思うよ。協力してやるから取材しに来いよ。傷跡まだ消えてないからさぁ。
結構な再生回数献上してしまったけど、お前の人生も面白いな。俺の人生を崩壊させたお前が、なんか「苦しみを乗り越えてきた漢」みたいな扱いでリングやらケージに上がってんじゃん。
いい仲間に巡り合えてよかったですね。俺をいじめ殺す寸前まで言ったあのあと、いろいろな経験がお前を成長させてくれたんですね。クソすぎるだろうお前。過去の亡霊は常にお前を見ているぞ。
まぁしかし、結局のところ、いじめってのは対等な関係ではないのが問題だな。
あの格闘技のように、リングやケージで「対等に」「ルールを守って」「危険になったらちゃんとストップがかかる」「失神すれば許してもらえる」お優しくて甘い世界じゃないわけでさ。
俺は人を殴らない、お前は平気で殴れる。俺は社会のルールを守る、お前は守らない。失神しても水かけて起こして蹴り続ける、みたいな不平等な関係なのが問題なんだよな。
ウシジマとかいう漫画にあったあれだよ。「金属バットで人の頭をフルスイングで殴れる人間が強い」ってやつ。俺はそんなことしないので、それができるお前の方が強いわけだ。
ところでウシジマはもう読んでないけど、ちゃんとウシジマ死んだ?あんなクソを生かしたまま終わるってありえないけど、作者はどう畳んだんだろうな?それともまだ続いてるのか?まぁいいや。
いじめってのは、「一方的に他者を攻撃できる」状態なんだよ。いじめをやるクズはチート状態だし、いじめられる側は縛りプレイなわけだ。
縛りプレイ中のプレイヤーとチートプレイヤーが対戦してるのがいじめなんだよ。
でまぁ、残念ながらお前は俺の時と違って「対等に一対一でやり合えてレフェリーもいる優しい優しい優しい優しい優しい世界」でお給料もらってるんで、お前も負けるときがあるよな。仕方ない。お前チート使わしてもらえないもんな。メリケンサックとかグローブに仕込んでみるのはどうだ?俺に使ったやつ、まだもってないか?やれよ。勝ちたいならそのくらいやるよな?
つーか負けるにしても失神くらいしろよ。判定負けとか甘いこと許してんじゃねーよ。鼻が折れるまで、腕が折れるまで、金を失うまで、友人を失うまで、人間の尊厳を失うまで戦えよ。金玉のひとつくらい潰れても戦って見せろ。「一個くらいいいだろ」お前が言った言葉だぞ。実践しろ。格闘家なんだろ?戦いを生業にしてるんだろ?負けたらすべてを失え。無様な姿の撮影会開かせろよ。試合に負けて鼻が折れて泡吹いて下半身裸の状態で撮影会しろ。それがあるんならお前の試合見に行くわ。
しかしちゃんと体重も同じくらいの相手を選んでもらってなぁ。うらやましいなおい。優しい世界だなぁ。すぐ病院にもいけてなぁ。スポンサーまでついちゃうんだもんな。俺、お前に金とられてたから実質お前の最初のスポンサーってことになるな。俺のことも動画で宣伝してみてくれよ。あるいは、お前のパンツに印刷されてるスポンサー様全員今すぐ殴りに行ってこい。「金サンキュー」とヘラヘラ笑いながらスポンサー様に膝蹴りしろ。今すぐやれ。
それとお前もヘビー級と戦えよ。何が「階級が違うと全然違う」だクソ馬鹿が。今からヘビー級のチャンピオンに殴り殺されて来いよお前。お前の体重とヘビー級チャンピオンの体重差は、俺とお前の体重差とあんま変わらんだろ。今すぐ男を見せて来い。無様な姿を見せて撮影会しろ。
まぁ、判定負けとかクソ過ぎて嫌になるけど、お前の負け試合はほんの少し俺の心を救ってくれたわ。お前が負けた相手もYoutubeやってたんで一通り見たけど、お前結構酷い評価受けてて笑ってしまったわ。
とはいえ、お前が負けたあの選手も過去に何やってるか分かったもんじゃないしな。俺みたいな人間を生贄にのし上がったクズかもわからん。安易に持ち上げないことにしておく。
でもまぁ、爽快だわ。ありがとう某選手。できれば失神KOとか下半身裸一本泡吹き一本とかまでやってくれたらよかったけどな。
いじめってのは上で書いたようなチートプレイの快感に似た部分があるんで基本的になくならないし、「できるとわかったらデメリットがメリットを超えない限りやり続ける」のが人間なので、今までもこれからもいじめで亡くなる人は絶えないだろう。学校だけではなく、これは職場でも同じだ。
ただ解せないのは、ゲームや格闘技などの優しい世界ではチートプレイヤーがBANされるのに、リアルでは被害者がBANされるところだな。
いじめというのは「実に人間らしい病理」なわけで、本来はいじめクソ野郎のほうを隔離して治療しなければならないだろう。
問題が早期に発見され、クソ野郎が速やかに隔離治療される流れが確立されれば、被害者は「災難だったな」で終わる話だ。被害はちゃんとお金に換算して弁償してもらえば、ムカつくが人生が崩壊するような被害は負わない。
文春の記事は(辛くて)読めてないが、TLなどから漏れ聞こえる内容によれば、長期的な拷問を受け続けていたということだ。悼ましいことだ。
日本は入管で公務員が拷問行為を職務としてやっている恐ろしい国なので改善は期待できないが、それでも「拷問は絶対にこれを禁ずる」国であるのは間違いないだろう。
拷問というのは長期間にわたって身体を拘束され、苦痛を味わわせる行為のことだろう。
長期的に加害者から離れられず被害を受け続けるいじめというのは、単なる傷害罪を超えた拷問に近い性質があるではないか。
学校はいじめ対策をいろいろ考えるよりも、まず「被害者と加害者を即離す」ことを徹底してはどうだろうか。
「絶対に禁ずる」という強い文言で憲法に明記されている精神を示してほしい。
被害者に逃げ道を示してあげるのは優しさなんかじゃない。「お前はいじめられた」というスティグマを刻むだけだ。
そんなことよりも、すぐに、すぐに、すぐに、すぐに、加害者をつまみ出してくれ。
一発殴られたくらいなら、嫌な記憶として忘れることもできる。
だから、一発殴られたくらいの苦痛のうちに、加害者を、隔離してくれ。
頼む。
お前は負けろ。
生まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。
特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。
小学校は田舎の公立だったので、制服等はなく、着るものは特に苦労はしなかった。
問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎の公立の中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校は男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟の学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。
端的に言って、クソだった。校長はこちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。
といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。
それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。
学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由を説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由も説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールだから」と強制してくる。
小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。
まず、毎週火曜日に実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。
次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室の先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。
保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。
授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。
そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。
受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服が存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。
私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科を選択する必要がある。
が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。
そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。
幸いにも、理科と数学だけが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。
その言葉の通り、大丈夫で普通に合格した。中学校の同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。
一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪は普通にいる。
制服の呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。
授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校が死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。
その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。
最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。
だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代に自分が中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。
ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピーの悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。
納得できないのではない、納得してやらんのだ。
北海道の人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。
だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。
小学校は同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域。
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏、はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。
その当時の大人の世界では義務教育でパソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコンが配備されるようになってきた時代。
しかしながらド田舎の公立高校でそのような先進的な機械が活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。
田舎には田舎のルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動の野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
ド田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校中からハブられ中学野球の試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。
ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初はプリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員も書類はワープロ専用機で作る時代だったのでパソコンの知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンがパソコン通信とインターネットへ接続できることに気が付いてしまった。
Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトへアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。
「増田クン、これからはPerlの時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービスを提供するならPerlが向く。DoCoMoのiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
「iモードはピッチじゃないよ周波帯が違う」
特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲームは自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、Perl、PHP、Javaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児が図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果からか試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。
そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校の存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷に未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。
今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さな頃から家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコンと引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。
右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロは和音が鳴るしディスプレイはカラー。携帯電話の電波は田舎にまで届く。
甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学へ合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。
今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身で脳筋な漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍の努力は裏切らねぇなと。
自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。