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はてなキーワード: 中学校とは

2021-11-03

anond:20211103104135

少数派より大多数の意見を通しましょうねっていうのが民主主義でしょ

増田に来て良いのは中学校卒業してからだぞ。

2021-11-02

小・中学校の頃に読んだマンガでは同級生カップルが主流だったような気がする

こういうのって無意識恋愛観に影響してるんだろうな

ちょっと時代を遡れば先輩だったりコーチだったり青年実業家だったりして

そういうのが擦り込まれてるんだろうなと

選挙コンサルが見た衆院選2021~これから野党支持者に必要なこと

 

まず前提として、ここではあえて政策論については触れない。

野党共闘の是非についても触れない。

 

選挙事務所とその周辺における、今さら当たり前の事実再確認したり、

まり知られていない情報を広く共有したりすることで、

政策論以外の戦略的選挙行動を促すことが目的である

 

● まずは地方議員を増やすところから始めよう

 

巷にあふれる選挙分析を眺めていると、無党派層をどう動かすかに終始している意見が多く見られる。

しか無党派に頼る運動をしていては、いつになっても自民党には勝てない。

選挙の本当の闘いは、公示日(告示日)の直前までに終わっているのだ。

 

当然、選挙で勝つには、組織固めこそが肝心要なわけである

徹底して目に見える票を積み上げていく作業を、選挙プロは行っている。

 

では、組織票とは何か。

支援団体党員サポーターももちろん大事だが、

本当の意味選挙対策本部のコアとなるのは、そう、地方議員存在である

市議会議員県議会議員と中心とした地方議員いかに増やし、

日ごろから地域活動をさせ、できる限り多くの有権者日常的な関わりを持つこと。

それこそが、選挙運動の長期的戦略本質であり、自民党が勝ち続けている実態である

 

地元中学校入学卒業式運動会での挨拶はもちろんのこと、

地域餅つき花見盆踊りゲートボール大会

雪かき避難誘導、清掃活動に至るまで、

地方議員はあらゆる地域活動に足を運び汗を流し、御用聞きに精を出している。

それこそが結果として、最も身近にして最大の選挙運動効果をもたらしているのはご承知の通りである

 

自民党型の地方議員には、選対のコアメンバーということのほかに、もう一つ有用意味がある。

それは、将来の国政進出へ向けたキャリアパスという位置づけである

地方議員を増やせば増やすほど、有用人材が発掘され定着してゆく比率は高くなり、

その中で優秀だと認められた人材国政進出を果たすというわけだ。

それは当の地方議員たちが国政に関わる際の強いモチベーションにもなっていて、

有力議員支援することは同時に、自分出世も後押しするし、

普段はなかなか会えない広範囲有権者と直接触れ合う良い機会となっている。

議員キャリアパスというものが、自民党組織拡大における大きな相乗効果果たしているのは無視できない。

 

与野党わず複数選挙事務所と直に触れあってきたからこそ確実に言えることがある。

マジで本当に、地方議員の力は馬鹿にできないのだと。

 

総選挙が終わった今、1年足らずのうちに次の国政選挙が控えているとはいえ

全国各地ではこれからも毎週のように地方選挙が続いてゆく。

からこそ次に野党支持者が考えるべきはこのことではなかろうか。

まずは、地方議員を増やすことを考えよう。

 

 

● 1票=約300円の価値を持つことを考える

 

ビジネス世界には、「人・モノ・金」というスローガンがある。

選挙で言えばそれは「人・金」となるだろう。

選挙のために惜しみなく金を使う。

これが、地方議員の育成に続く第二の手立てだ。

 

自民党は、選挙にしっかりと金をかけている。

もちろん合法的にだ。買収や賄賂によってではない。

自民党選挙のために使う金の99.99%は合法的で、その多くは費用対効果をしっかりと考えられてのものだ。

合法的に人を雇い、印刷物を刷り、ビラを撒き、ポスターを張り、広告を打ちまくる。

いくら地方議員が多く、組織が盤石でも金をうまく使えなければ選挙には勝てないのだ。

 

実は、地方議員の数だけを見ると、自民党共産党では全国の議員数の合計はさほど変わらない。

(むしろ数年前までは、共産党所属議員が最も多かったし、今では公明党議員が最も多い)

 

(参考:総務省による党派地方議員数調べ)

https://www.soumu.go.jp/main_content/000741465.pdf

 

それでも共産党が国政で議席を伸ばせない要因の一つは、公約もさることながら、金によるところも大きいと私は見ている。

政党交付金制度自体に異を唱える共産党は、党の理念として、税金から政党に分配される「政党交付金」を一銭たりとも受け取っていない。

一方の自民党は、政党交付金だけで年間170億円近くの大金を得ている。

 

(参考:総務省、令和2年度の交付決定額)

https://www.soumu.go.jp/main_content/000678653.pdf

 

仮に自民党が、衆参合わせて400人弱いる国会議員にこの大金平等に配ったとすれば、

1人あたり年間4,000万円近い金額選挙対策として使えるのだ。

 

そして、意外と知られていないのがこの政党交付金の算定方法についてで、

獲得した議席数はもちろんのこと、選挙得票数も、交付金の額に影響するのだ。

 

まり実際の選挙結果においては、いわゆる「死票」になってしまった票も含めて、

1票あたり、およそ300円ほどの価値を持っていると考えることができる。

 

政党交付金の年間予算は、人口1人につき250円×約1.2億人=300億円。

有権者数は約1億人、投票率は約50%なので、投票者数は約5000万人である

議席数に応じた算定と、得票数に応じた算定とが全体予算の1/2ずつなので、

300億÷5000万÷2=300円というざっくりとした計算

小選挙区と比例の別、衆参の別もあるので厳密にやるともうちょい複雑。)

 

詳しくは以下を参照のこと:総務省HP政党交付金のページ)

https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seitoujoseihou/seitoujoseihou04.html

 

まるで、某放送局をぶっ壊す政党のようなビジネスライクな話になって恐縮だが、

(というかN党が、議席を取れなくても票さえ得られれば喜んでいるのというは、まさにこういった事情による)

1票の得票そのもの金銭価値があるということ、

そしてその原資は言うまでもなく私たち税金であることは、もっと広く知られるべき事実である

 

そして野党支持者の立場としては、政党あるいは政治家が、

正当な方法選挙に金をかけることを忌避してはならない。

しろ合法的バンバン金を使って、バンバン票を集めてもらうよう働きかける必要がある。

 

金がなければ票は奪えないし、票は文字通り金を生む。

候補者政党も支持者も、もっと選挙と金関係ポジティブに捉えなおしてほしいところだ。

 

そしてできるならば共産党はこの事実を重く受け止め、本当に野党共闘政権奪取をしたいのであれば、

きちんと政党交付金を受け取って活用するべきである

理念として受け取らないのは理解はできるが、それでは選挙には勝てない。

交付制度廃止するのは、政権を取ってからでも遅くはない。というか政権取らないとそもそもできない。

 

 

● 「投票に行こう」という呼びかけは、ほとんど意味がない

 

これは統計的データがないのであくまで印象論となってしまうが、

投票に行こうと言われて、初めて投票に行く気が起こる人などめったにいない。

 

それよりも、自分の身近にいる他人投票所へ向けるために効果的な魔法言葉がある。

>>「私は○○に投票します」<<

である

 

これは是非とも、某CMに参加していた著名人に言いたいことだが、

あのクラス著名人たちが、芸能活動リスク覚悟投票先を公言していたとすれば、

その影響力は絶大なものになっていただろうと想像できる。

 

これは決して、「だからあなたも○○に投票してほしい」という投票先の同調を呼び掛けてほしいわけではない。

しろ、「私は〇〇に投票する。あなた自分でよく考えて投票に行ってほしい」というところでとどめておいた方が良い。

 

学会員のように、よほど選挙に熱心な人でない限り、

自分の知り合いに直接、特定政党への支持を訴えかけるという経験はないだろうと思う。

そうでなくとも、SNS支持政党公言している人を見かけたならば、

一歩引いた目で見てしまう人がほとんどなのではないだろうか。

けれどやはり、これでは選挙に勝てないのだ。

 

先述した通り、全国の地方議員の合計で、公明党所属議員が最も多いという事実を、今一度よく考えてみてほしい。

「なんとなく、近所のあの人が頑張っているから入れといてやるか」という人はかなり多いのだと思う。

 

とはいえ電話帳のア行から順に投票を呼び掛けるなんてことはしなくてもいい。

Go Vote !」という可愛げな動くスタンプを張り付けたインスタグラムストーリー画面の端っこに、

「ちなみに〇〇に投票しました」と、ごくごく小さなフォントテキストを載せてあげるだけでも十分だと思う。

 

次回の選挙では、支持政党投票先を公言するブームが訪れていてほしいものだ。(まぁ無理だろうけれど)

 

 

● おわりに

 

と、雑文を書いている間に枝野辞任のニュースが飛び込んできた。

本多平直離党問題とか、公約発表の仕方(順序)とか、東京8区騒動対応とか、

枝野のやり方が良くなかったところがたくさんあるのは認めるし、代表交代の議論が湧くこと自体否定しないが、

今このタイミング代表を挿げ替えたところで果たして良い結果となるとはとても思えない。

 

小川淳也待望論とかが出てきたら、ある種の風が起こったりするものなのだろうか・・・冗談

 

一体どうなることやら・・・

2021-11-01

anond:20211101150752

メゾピアノポンポネットにつられて来た同じく20代後半女性です。因みに私はリラックマにゃんこ村のグッズをたくさん持っていました。今見てもかわいいですよね。

元増田さんと違って、私は自民党ではなくとある野党投票しました。

元増田さんの記事を読んで感じたのは、ほぼ同じ時期に生まれ、ほぼ同じ期間を過ごしている私と元増田さんの一番の違いは多分、現状の日本に満足しているか否かなのかな、ということです。

私はとある部分でマイノリティです。そのせいで学校生活就活で苦労しています。今も安定した職には就いていないですし元増田さんのように結婚もしていないです。(結婚していないからといって元増田さんを恨んだり妬んだりはしないです。あくま自分立場説明しただけです。あしからず…。)

そんな私にとって野党が掲げるLGBTQ+関連とかジェンダー平等などのマイノリティ向けの政策を見ると「私に寄り添ってくれている!」と感じてしまう訳です。

そして自民党にはマイノリティに寄り添ってくれるイメージは持っていないです。先の自民党総裁選では野田聖子さんがそれらしい主張をしてくれていたと思います。でも「同性愛者には生産性が無い」とか「夫婦別姓日本の伝統的な家族像を壊す」とか言っちゃう人がメンバーにいる自民党は、個人的には信用できないですね。結局野田さんは総裁になれませんでしたし。

元増田さんの「与党批判ばかりする野党が怖い」という印象にもなるほど、と思いました。実際に国会でも、それ以外の場所でも、大声を出して相手を責め立てている人は怖く見えるものだと思います

元増田さんももしかしたらそうかもしれないと思って書くのですが、平成初期に生まれた我々世代は上の世代に比べて「感情をあらわにして怒る人」への耐性が低いと思います。私の小中学校先生方で手を上げる人なんて皆無でした。叱る時に大きな声を出されるのも比較的年齢層が上の先生が多かったような気もします。

加えて、テレビでは野党議員が何かを強く主張して、それに政府側の議員が穏やかに応える様子しか映していないですよね。野党が何を問題にして糾弾していたのか(例えば桜を見る会問題ならば国庫お金公職選挙法違反まがいのことをやっていたとか)を詳しく伝えるメディアってそんなに無かったのかもしれません。それでは野党議員がただ怒っている人にしか見えません。

では私が野党モリカケ桜を見る会問題与党糾弾しているのを見てどう感じていたかというと、「もっとやっちゃえー!」と心の中で応援してました。自民党への悪印象がこの感情最初に来ていることは否めないです。でも私が生まれる前には似たような不正(開拓使官有物払い下げ事件ロッキード事件など)で逮捕された人たちが過去に居ますし、野党は正当な批判をしていたと私は今でも考えています。私が物心ついた後には漢字誤読したみたいなもっと些細な理由で辞めた総理大臣が居ましたし、その内モリカケ桜に深く関わった安倍さん不正を償う形で辞めるんだろうと思っていました。

ところがどっこい安倍さん逮捕されるどころか体調不良理由にして総理大臣を辞めちゃいました。体調不良は仕方ないですし「お大事に」と思うのですけど、当時の私は違和感を覚えました。

この出来事に対し、私のように自民党に対して元から悪印象を持っている人は「やったことの責任は取ってくれよ!ちょっと待てー!」と思うのでしょう。それに対して元増田さんのように自民党に対して特に悪印象が無い人は「安倍さん逮捕引責辞任もしなかったのだからしたこと/悪いことはしていなかったんだ。野党は不当に与党を問い詰めていたのだな。」と感じるのかもしれません。

長くなりましたが言いたいことは、ほぼ同じ時期に生まれてほぼ同じようにメディアやその時の流行に触れていたであろう元増田さんと私の政治観が違うのは興味深いなぁ、ということです。

政治観が違うからといって私は元増田さんとケンカしたり元増田さんを非難しようとは考えていないです。意見の違いは必ずしも敵対に繋がらないと私は考えています

まとまらなくなって来たな。どうしようかな。

とにもかくにも、元増田さんには次の選挙でも参政権行使して欲しいです。私も行使します。

それによってお互いにとってより良い社会が作られると良いですね。綺麗事かもしれませんが。

2021-10-31

anond:20211030232427

標準的書き順はあっても正しい書き順なんかない。一般的書き順でないものを間違い扱いするのはおかしい。

ホントそれ。

なのに小学校では(場合によっては中学校も?)正しい書き順を問うテストがあり、それが成績に加味されるのだからおかしい。

2021-10-26

anond:20211026101837

自分の子供の中学校は育成会(地域バレするかもだけど)ってのがあって、

19時以降に部活をするためには親が体育館とか部室のカギを管理して、先生は帰るって仕組みがあった

市外の練習試合も現地集合ってのがほとんどだし、今の部活って親の負担が凄く多い

2021-10-25

anond:20211024222636

中学校同級生。といってもずっとつきあってたわけではなく二十代になって再会してからの付き合いらしい。よく2人連れ立って同窓会に行ってた。

2021-10-22

anond:20211022105436

そんな風に思ってた時期もあったけど

ぶっちゃけノーコード体験して貰えるようなことだったらそもそも2,3時間研修でいいと思うんだよね

ノーコード・ローコード系頑張ってる人がプログラミング思考を身につけてるのを全然たことが無い

中学校からやってたら変わるのかもしれんけど

2021-10-20

旭川いじめ事件中学校についてだけど

事件と本当に関係無い生徒や真面目に中学生をしている生徒もいると思うんだ。だけどもこの事件のせいで中学校自体風評被害を受けて、そうした子達もいじめを起こした人間の分の罪を連帯責任で負うことになるんだ。そして最近見たネット記事でそれが現実のものになっていることが分かった。

自分も昔中学とき同じような立場だった。だからその辛さや傷の深さとか分かるんだ。体験したことの無い人間には下らない卑しい思慮に思えるだろうけども、冗談じゃすまされないと思っている。

そんな自分が今その子達に出来ることはなにか教えてほしい。

神奈川7区選挙戦が熱い!

衆議院選挙候補者公示されたので有権者として自分選挙区候補者をなんとなく確認してみた。

最近この選挙区引っ越してきたので全然知らなかったが、この選挙区凄くないか

自民党44歳の鈴木氏と立民党38歳の中谷氏の若手候補一騎打ち。いずれも現職候補である。(衆院解散たから正確には前職か)


前に住んでいた選挙区候補者自民当選回数だけが自慢の老いぼれジジイと、共産党の婆さんと、希望の党の素性も分からない奴だっただけに余計に驚いている。

前回の衆院選では「何なら全員落ちてくれ!」と思いながらも義務感で投票に行ったが、今回はきちんと2人の主張や実績を確認して投票しなければいけないという責任感すら生まれている。


神奈川7区が熱いと書いたのはこの2人の候補者が若手現職だということだけではない。

2人の経歴が完全に真逆なのだ。


まず自民鈴木氏の経歴。

イギリスロンドンまれ

目黒区立不動小学校卒業

開成中学校卒業

開成高等学校卒業

東京大学法学部第3類卒業

大蔵省入省

福岡国税局勤務、ジョージタウン大学フェローニューヨーク領事厚生労働省職業安定局出向(係長職)などを経て2005年8月に退官

2005年衆院選初当選

(Wikipediaより)


いや、こんな絵にかいたようなエリートがいる?と言う位のエリートである

なんならエリート過ぎてちょっと庶民感覚わかります?という点で投票をためらってしまいそうなレベルだ。

しかし、経歴もさることながら政治家になってからも一目置かれているようで、この若さにして外務副大臣財務副大臣の職を経験している。


どれくらい有能なのかはわからないが、岸田首相と同じ開成出身であり、今回の総裁選で影響力を発揮した麻生派であることだけでも今後の要職も期待できるのではないかと思ってしまう。


一方で立憲の中谷氏の経歴。

貧困母子家庭で育ち、11歳の時に両親が離婚埼玉県東京都大阪府神奈川県と転居を繰り返し、幼稚園2園、小学校4校、中学校2校に通学。

公立中学校卒業後、一度就職するも挫折通信制高校卒業後、専門学校柔道整復師資格を取得。その後慶應義塾大学経済学部通信教育課程に進み、デジタルハリウッド大学大学院首席で修了、DCMデジタルコンテンツマネジメント修士gumi創業に参加。執行役員を経て、顧問就任

27歳で神奈川県議会における県政史上最年少議員として当選

2017年衆院選鈴木氏に敗れるも比例で復活当選

(Wikipediaより)


本人のWebサイト等を見るとヤンチャ時代があったと書いてあったり、ちょっとヤバ目な若者集団との写真があったりと「おぉ・・」と思わせるところはあるものの、中卒で一度働いてから大学院まで出てgumi執行役員・27歳で県議会議員という這い上がり人生は本や映画にするなら圧倒的に鈴木氏より面白いものになるだろうし、こちらの方が人間味がありそうで良いと考える人も居るだろう。


正直今回もこの2人の若手候補者当選してほしいし、何ならどちらかは私の前住んでいた選挙区で出てほしい。そしたら簡単トップ当選するのにと思ってしまう。


全国にどんな候補がいるのか調べたわけではないが、少なくとも神奈川選挙区の中では最も面白くて、注目すべき選挙区だろう。

そんな選挙区で1票を投じられる喜びを感じている。

2021-10-18

お前らは「選挙に行け」しか言わないよな

私は28歳の男性。ここ数年、選挙には行っていない。もはや行く気もない。

まあ私が選挙に行かないことはいい。政治ももはや興味はない。(興味は無いけど不満はあるって事、あるよな)

私が不満に思っているのは、「若者投票率が低いか政治において軽視される! 政治恩恵を受けたいなら選挙に行こう!」という主張だ。

28若者かっていうのはおいといて、上記の主張を見るとイライラしてしまう。それは何故か?

「おまえが政治において軽視されるのは、おまえが選挙に行かないからだ」という責任転嫁に見えるからだ。

私は現代メロスだ。政治というものがわからない。中学校で習うこと以上には詳しくない。

しかし、政治っていつから選挙に(投票に)来る奴を贔屓する」ルールになったんだ?

わかってる。政治家はまず選挙当選しないと何も始まらないんだから投票率の高い老人向けのマニフェストを発表して得票しようとしているってのは。

そうして老人の手当ばっかり手厚くなって、若者に対する給付ケアがない。

から、「若者選挙に行けば、若者向けの政策を発表する政治家も増える!」っていう理屈なんだろ?

もうこれははっきり言わせてもらうが、私はもはや政治政治家に期待していない。これに尽きる。

若者選挙に行けば、若者向けの政策も増える! なんてピュアすぎる想像を信じることはできない。信じるに足るだけの根拠がない。

私たち世代は生まれからこの方、好景気というもの体験したことがない。

就職氷河期とかリーマンショックとかブラック企業とか、何もかも気が重くなるような景気の悪い話ばかりで、それが上向いた話を聞いたことがない。

ガキの頃には「日本島国でも先進国! 経済大国!」なんて聞いていたけれど、ここ数年はそんな言説も聞かず、「日本には四季があるから……」なんてクソ情けない話を聞くばかりだ。

そしてそんな日本にしたのは誰なんだ? 大人だろ? セイジカ、ってやつなんだろ? 少なくとも当時教室モンハンしてた俺たちじゃないはずだ。

当時の政治家が失敗したってのは、現在独身率や少子化を見ればわかるはずだ。税金は増えてるのに給料は増えてないとか、そんな国に住んでて恥ずかしくないのか?

あれから10年以上経って私も選挙権を手に入れたが、そんな失敗した「大人政治家)」を今更信じて選挙に行けってのか? 

信用が無いだろ。だって日本ダメにして、苦しい状況にしたのは政治家なんだから

そしてその政治家を選ぶ「選挙」っていう制度が変わってないんだから

選挙に行けばよくなるはず、なんてピュアすぎて私にはアホに思えるね。二十歳過ぎてサンタクロースを信じてるみたいだ。

しろ選挙に行ったが最後、私も「政治に参加している奴」になっちゃうよな。

政治がクソだった場合自分が「政治に参加している奴」だったら悲しくみじめな気分だが、自分が「政治に参加していない奴」だったら気楽だよな。だって参加していないんだから。私には関係ないんだから

そう考えていくと、むしろ選挙に行かないのが正解に思えてしまうんだ。

だって別に暇じゃない。選挙に行くのにどれだけのコストがかかる? 

政治家とか政党とかマニフェストとか調べて、休日の貴重な一時間かけて外出して、「政治参加者」になる。そのコストに見合った見返りはあるのか?

時間ありゃソシャゲデイリーボーナスが貰えるぜ。Youtubeの新着動画もチェックできる。

私は余裕が無いんだ。少ない余暇ちょっとでもHPとMPを回復したい。そのために疲れることはやめて、愉快なことをしたいんだ。

政治は疲れることだ。期待値が低すぎるんだ。

だって言ってて悲しいよ。

から、「若者投票率が低いか政治において軽視される! 政治恩恵を受けたいなら選挙に行こう!」っていう主張はイライラちゃうんだ。

どうして選挙に行かないのか、考えてくれたことはあるのか? 本当に?

選挙に行きたい気持ちにさせてくれよ。政治に参加したい気持ちにさせてくれよ。政治にはログインボーナスも無いだろ?

2021-10-17

https://anond.hatelabo.jp/20211015221107

いや!産むなよ!産むなよ!!

一重まぶただって事でこれだけ悩んだのに、何でしれっと子供を産むつもりでいるんだよ。

わたしにもし一重の子どもが産まれても、別に整形を勧めるつもりはないし、整形したいと言うのであれば、自分の稼いだお金勝手にやればいいと伝えるだろう。」って…

クソ遺伝子押し付けておいて整形費用を出すつもりすら無し?立派な毒親予備軍じゃん。

自分だって二重に整形したのは大学に入ってからでしょ?仮に子供が早いうちに自分バイトして整形したとしても高校とかだろうし、

それまでの子時代の長い期間をずーーっと、あなたと同じように「自分は一重だ」というコンプレックスに苛まれながら生きる事になるんだが?

小学校中学校という本来なら人生で一番楽しいだろう時間を苦しみながら過ごす事になる。

あと今現在彼氏がいるのかいないのかは知らないが、彼氏を作るなら整形した事は絶対に言えよな、本来遺伝子は一重なのを騙して結婚しようとするならフェアじゃない。

バスから外の景色を眺める

中学校の門に応援用の旗(横断幕)がかかっている

旗には日本語で大きく「夢を信じて心を一つに」とあり、その下に訳でDreams come trueとあった

けど、その英語なら日本語は夢は叶う、でいいんじゃなかろうか、より簡潔でキャッチフレーズとしても収まりがいい

日本語の方を優先したいというなら

夢を信じて心を一つに、なら、one dream for all くらいじゃなかろうか

旗のレイアウト文字数バランスも変わらないし

と思いつくも

別にその中学校になんの関係があるわけでもなく、わざわざ提案学校に送るほどでもなく

増田で呟くのであった

追記漫画など他媒体よりゲーム学校学生が少ないと思ったこ

https://anond.hatelabo.jp/20211003134639

児童は小、生徒は中高、学生大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする

ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメ漫画に近い」に入ると思う

https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts

は?最近ぷよぷよ中学校舞台じゃん。

sai_arts 2021/10/04 09:25

https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru

20年近く前にコンパイルからセガに移ってから、ずっとぷよぷよは学園モノなんだけど、知らないで書いてる?

IkaMaru 2021/10/03 18:39

ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった

通のストーリー簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる

通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz

シュタゲはそんなに学校出てこないような

tsz 2021/10/04 08:13

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna

学校通ってたら旅できないじゃん

miruna 2021/10/04 00:28

主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題認定している

学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが

さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う

生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメ漫画は多く

例えばドラえもんセラムン学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない

しろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい

から生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品証明されている

ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた

遍路区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる

光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること

有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か

劇場版ドラえもんどこでもドアタイムマシンで一旦帰ることがある

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai

しろ逆で、漫画アニメとかが、学生学校舞台にしてるのが妙に多いと見るべきではないだろうか。

aa_R_waiwai 2021/10/03 19:57

妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い

現代文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ

ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738

学校ってアニメだけど作画コスト高いんだよね

ゲームオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill

漫画場合は授業時間などをスキップして学校行事放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。

gabill 2021/10/03 18:42

納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる

しかし例えばドラクエ2の勇者王子らしい生活がほぼ描かれてないが

そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないか

生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない

一揆をする農民や色を揃える医者ゲームの中ではただ戦ってるだけだ

 

初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど

ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた

またブコメトラバ学校舞台ゲームとしてあげられているもの

想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた

そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI

ゲームプレイアブルコンテンツから物語ベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。

AKIYOSHI 2021/10/03 22:26

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi

漫画アニメ傍観者ゲームは一応操作選択共通体験させられるからじゃね?

cotbormi 2021/10/03 18:37

言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより

平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれ物語構造

生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1

マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士兵士ってことは多いかもしれないな。

nakex1 2021/10/03 20:57

ゲームはこのような導入を作る必要もなければ容量もなかったのだろう

ぼんやりした思いつき増田に答えてくれたブコメトラバありがとう

追記漫画など他媒体よりゲーム学校学生が少ないと思ったこ

https://anond.hatelabo.jp/20211003134639

児童は小、生徒は中高、学生大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする

ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメ漫画に近い」に入ると思う

https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts

は?最近ぷよぷよ中学校舞台じゃん。

sai_arts 2021/10/04 09:25

https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru

20年近く前にコンパイルからセガに移ってから、ずっとぷよぷよは学園モノなんだけど、知らないで書いてる?

IkaMaru 2021/10/03 18:39

ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった

通のストーリー簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる

通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz

シュタゲはそんなに学校出てこないような

tsz 2021/10/04 08:13

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna

学校通ってたら旅できないじゃん

miruna 2021/10/04 00:28

主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題認定している

学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが

さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う

生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメ漫画は多く

例えばドラえもんセラムン学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない

しろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい

から生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品証明されている

ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた

遍路区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる

光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること

有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か

劇場版ドラえもんどこでもドアタイムマシンで一旦帰ることがある

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai

しろ逆で、漫画アニメとかが、学生学校舞台にしてるのが妙に多いと見るべきではないだろうか。

aa_R_waiwai 2021/10/03 19:57

妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い

現代文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ

ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738

学校ってアニメだけど作画コスト高いんだよね

ゲームオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill

漫画場合は授業時間などをスキップして学校行事放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。

gabill 2021/10/03 18:42

納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる

しかし例えばドラクエ2の勇者王子らしい生活がほぼ描かれてないが

そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないか

生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない

一揆をする農民や色を揃える医者ゲームの中ではただ戦ってるだけだ

 

初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど

ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた

またブコメトラバ学校舞台ゲームとしてあげられているもの

想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた

そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI

ゲームプレイアブルコンテンツから物語ベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。

AKIYOSHI 2021/10/03 22:26

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi

漫画アニメ傍観者ゲームは一応操作選択共通体験させられるからじゃね?

cotbormi 2021/10/03 18:37

言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより

平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれ物語構造

生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1

マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士兵士ってことは多いかもしれないな。

nakex1 2021/10/03 20:57

ゲームはこのような導入を作る必要もなければ容量もなかったのだろう

ぼんやりした思いつき増田に答えてくれたブコメトラバありがとう

2021-10-16

anond:20211015200641

ウチの高校受験校でそんな感じだったけど、小中学校はそんな感じは無くてのびのびしてたよ。(小中高公立です)

2021-10-15

消えかけの白線

群馬在住、行動範囲伊勢崎高崎ときどき前橋ら辺。

つのからか、どこに行っても道路駐車場白線が消えかけているのが気になる。

道路白線が消えかけなだけならば、まあ予算ないんだろうな……と思うだけだが、スーパーコンビニなど商店駐車場白線までが消えそうなままずっと放置されているとなると、予算がどうとかの問題じゃない? という気もしてくる。

まりにも白線が消えまくっているので、選挙マニフェストに「小中学校付近横断歩道を描き直す」というすごく重大にしてミニマム問題が上がりがち、というしょっぱいことになっている。

一体なんでこんなに、この地方白線放置されっぱなしなのか。興味深いんだが、資料に当たったり県庁質問のお電話をかけるほどのやる気と行動力は、自分にはない。

一重まぶたコンプレックス




自分のまぶたが一重で、世の中には自分とは違う二重まぶたを持っている人間がいる、と気づいたのはいつだっただろうか。

クラスで可愛くてモテていた女の子は大体二重まぶただと気づいたのは、それと同時に一重まぶたの自分コンプレックスに思うようになったのはいつだっただろうか。

父親はぱっちりした二重まぶた母親は奥二重。そんな2人からまれわたしは、これでもかというくらい脂肪がのっかった完全なる一重まぶたである

小学校中学年にもなると、自分も周りも、人の「顔」がものさしで比べられるということが少しずつわかるようになってくる。

この頃、わたし自分の顔が他人と比べて劣っていることに薄々気づいてきた。

じゃあなんで?わたしの顔は可愛くないんだろう??

そう考え、クラスの集合写真や、可愛い友人と撮った写真を改めて見た時に思うのだ。

わたしの目、なんか重いし、細い……」

可愛いの子は目がぱっちりしてるし、何か線が入ってる……。

自分のまぶたには一重、そして可愛いの子のまぶたには二重という名前がついていることをいつ知ったのかは覚えていない。

中学校になると、好きな男の子もできて、自分の見た目がすごく気になりだした。

家のルールで1日1時間だけ使っていいと親に言われていたインターネット

「二重 方法」「二重 なりたい」「二重 マッサージ毎日毎日飽きずに1時間丸々使って検索し続けた。

ヤ○ー知恵袋の二重に関する質問は全て読み尽くしたのではないかと思うくらい読んだ。

一重まぶたでもお金をかけずにマッサージで二重になることができる、ということを知ったわたしは、毎日死にものぐるいでまぶたをマッサージした。オ○ナイン脂肪燃焼に効くと見ると、それから毎日オ○ナインをまぶたに塗った。輪ゴムを結びつけ合わせて大きな輪っかにして、それを頭から被ってまぶたに食い込ませて癖をつけながらお風呂に入ったこともあった。インターネット自力で二重になるためのマニュアルが売られていたので、お年玉で買いたい、と母親に訴えると、「馬鹿じゃないの、あんたはそのままで可愛いのよ」とあっさり切り捨てられた。

中学2年生のときクラスに同じく一重まぶたに悩んでいるAちゃんという子がいた。

ひょんなことからお互い一重へのコンプレックスを持っているということがわかり、一気に仲良くなった。

ある日、学校平和学習があった。

戦争の頃の映画をみんなで見た。

とても悲しい物語だったのだが、見終わったあと、わたしとAちゃんが1番に口にした感想は、

映画に出てた女優さん、全員二重だったよね!」というものであった。

そんなに悩むくらいならアイプチアイテープをすればよいのでは、と今の自分なら思うのだが、当時のわたしアイプチ中学生が買ってはいけないもののような気がしており、購入には至らなかったのだ。

当時よく読んでいたセ○ンティーンには、よく某高級アイプチ広告が載っており、実際に二重になったという人の口コミがいくつも載っており喉から手が出るほど欲しかった。(これに関しては中学生の小遣いにしては高かったので諦めていたが……)

そんな中、ある日の休み時間に突然Aちゃんが「ソッ○タッチ(靴下が下がってこないように止めるアレ)で二重にできる!」と言い出した。

めちゃくちゃまぶたに白いノリのカス?がついてはいものの、なんとなく二重にはなった。

しかし、違和感がすごく、こんな顔で先生の授業を受けられないと冷静に思い、休み時間の間に即顔を洗ってノリを落とした。

なんで生まれ持った二重の友達は何の苦労もせずに、わたしがこんなにも憧れている二重を手に入れているのだろう……こんなに頑張ってるのになんでわたしのまぶたは激重一重のままなのだろう…………悩めば悩むほどわたし自分の顔をコンプレックスに感じるようになっていった。

「なんで二重に産んでくれなかったの?!お母さんは二重だからわたし気持ちなんてわからないよ!!」

そう言って母に八つ当たりする日もあった。

高校入学すると、周りには可愛い子が増えた。

高校1年生の夏休み明け、同じクラスのBちゃんに、

「○○ってアイプチとかしないのー?したら絶対可愛くなると思うよ!わたしも一重で悩んでるから毎日アイプチしてるんだ!試しにわたしの使ってみない?」と声をかけられた。

それがわたしアイプチ出会いだった。

慣れた手つきでBちゃんわたしのまぶたにアイプチを塗り、プッシャーわたしのまぶたを折り込んでくれた。

「できたよ!自分で顔見てみなよ!」と言われ、鏡を見た。

そこには、中学生の頃使ったソッ○タッチとは比べ物にならないくら自然な仕上がりで、ハッキリと二重の線がついているわたしがいた。

大袈裟でもなく、魔法にかけられたような気分だった。

Bちゃん愛用のアイプチを教えてもらい、帰りにドラッグストアに買いに行った。

家で何度も何度も練習し、自分の中で比較自然に二重にできるようになったと感じてからは、高校にもアイプチをして行くようになった。

今思うときっとバレバレの二重だっただろうし、突然激重一重だったわたしが二重(変わらず激重ではあった)になったのは違和感満載だっただろうが、やはり触れにくかったのだろうか、周りからはあまり触れられなかった。

コソコソ噂をされるのも恥ずかしかったので、仲良しの友人たちには「アイプチデビューしたんだ!!」と明るく伝えていた。

友人たちは「可愛くなったじゃん!」と褒めてくれた。

そこからわたしアイプチが手放せなくなった。

毎朝、今までよりも30分早く起きて二重を作った。

寝坊しても遅刻しそうな時も、遅刻をしてでも二重を作って学校に行った。

授業中、寝たら半目になることが分かっていたので、死にものぐるいで寝ないように耐えた。

夏の体育のプールは1番の悩みだった。最初から最後までゴーグルで目を全力でカバー。授業が終わると1番に着替えて鏡とポーチを持って女子トイレ直行。個室で二重を整えた。

いか自然で綺麗な二重を作るか、日々研究を重ねながら技術を上達させ、わたし大学入学した。この頃には百均アイテープアイプチという自分の中での最強の組み合わせを確立させていた。

大学の同じ学部には元々の知り合いはおらず、一重のわたしを知っている人は一人もいなかった。

わたしは二重」そうみんなに思われていたくて、友人や彼氏の前でも絶対に一重の姿は見せないようにした。

お泊まりときは、寝る直前までアイテープを取らず、電気を消してからそっとテープを取っていたし、朝はアラームをかけて誰よりも早く起きてトイレでこっそり二重を作って布団に戻って二度寝していた。

わたし医療系の学部に通っていたため、病院での実習があった。そこで入院患者さんを見た時に、ふと、「わたしがもし入院することになったら、わたしは病室でも毎日看護師さんたちが来る前に二重を作るのだろうか……」と考えた。

また、大学時代には大きな地震があった。

ニュース避難所の様子が映っていた時に、「突然地震が来て、避難所アイテープを持っていけなかったらどうしよう……一重のわたしなんて絶対に誰にも見られたくない」と漠然不安になった。

大学4年の頃、久しぶりに中学時代一緒に一重のことで悩んだAちゃんに会った。

Aちゃんは綺麗な二重まぶたになっていた。

Aちゃんは自ら、「あの時散々悩んでたけど、結局埋没で二重にしちゃったー!すごく楽になったからやってよかったと思う」と笑顔で話してくれた。

まだ想像はつかないけれど、社会人になったらきっと忙しくなるだろうし、整形するなら今なのかな……。

わたしはその後、すぐに某美容整形外科カウンセリングを予約し、そのままの勢いで埋没術を受けた。必死アルバイトをして稼いだお金と引き換えに、10年近くコンプレックスを抱いていた一重まぶたとおさらばし、憧れの二重まぶたを手に入れた。

埋没をしてから数年たったが、わたしの激重まぶたは案外きちんともってくれており、今もわたしは二重である寝坊しても、二重をつくらずにそのまま家を出れる。お泊まりをしても、人より早く起きて二重を作らなくてもいい。

こんな長文を書くくらい悩まされていたので、本当に本当に施術を受けてよかったと心から思っている。

人生で1番してよかった買い物だと自信を持って言える。

二重になったわけだが、他のパーツが人より優れているわけではないので、残念ながらわたしの顔は決して可愛くはないと思う。しかし、二重を手に入れたことで、日々の楽さ、そしてコンプレックスだった目への自信が少しついて、以前よりは自分の顔をマシかな、と思えるようになった。

世の中、美人可愛い!とされる人は大抵二重だ。モデル俳優さんも多くは二重まぶただ。

もちろん一重でとても素敵な人もいる。

しかし、なんというか、二重が正義というか、二重の方がやはり良しとされている雰囲気一般論?はあるように思う。

わたしにもし一重の子どもが産まれても、別に整形を勧めるつもりはないし、整形したいと言うのであれば、自分の稼いだお金勝手にやればいいと伝えるだろう。

ありのままあなたが素敵」なんてよく言われているかもしれないが、わたしありのまま自分が大嫌いだったし、別にありのままでいる必要はないと思う。ありのまま自分好きな人ありのままでいればいい。どちらも間違ってないと思う。

このブログ別に一重を否定する訳でもないし、二重にすることを助長する訳でもない。

ただ、一重だったわたしがずっとコンプレックスを抱えていて自分の顔が好きになれなかったことを思い出して、ふと書いてみたくなっただけの散文である

一重の人も、二重の人も、自分がなりたい自分でいられたらいいと思う。

特にまとまりはないが、書くこともなくなったので終わろうと思う。

文中に書いた二重になる方法は、無知わたしがやっていただけであり、皮膚のことを考えるとマネしてほしくないものもあるので、ご注意を。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、ありがとうございました。

歴史ある学校/会社に憧れていた

小学校中学校と新設のとこに通っていたためか、歴史ある学校だったり会社意識してしまう。そんな性癖が災いしてか今はだいぶ長く続いてる愛媛県発祥会社で働いている。なんか知らないけど歴史っていいよね。

2021-10-14

25年生きてきたけど、人生もう終わりで良くないか

小学生のころ、高学歴芸能人に憧れて「自分もよい大学入って楽しい人生を送りたい」と思うようになった。

親に頼んで近辺で最も偏差値の高い中高一貫を目指すこととなり、無事に合格した。

中学では、遊びまくってしまい、下から数えた方が早いくらいの成績だったが、高校3年間でメンタルの不調に苦しみながらも「これを乗り切れば楽しい大学生活が待ってる」と信じて何とか頑張って無事第一志望の大学入学した。

大学では、アニメ系のサークルに入り、みんなで楽しくアニメを見たり、声優さんアニソン歌手ライブに行ったり、サークル活動をしたり、バーチャルYouTuber配信爆笑したり自分の思い描いていたとても楽しい大学生活を送った。

大学は無事に卒業し、 大学院は修論で苦しむも「出せば卒業できる」の精神で何とか修了した。

就活学歴パンチである程度の企業には入り、そこでそこそこの生活ができればいいと思っていた。

仕事自分大学勉強してきたことを生かせることができる職場で、上司や先輩も優しい人ばかりだった。

だけど、お盆明けに不眠に陥ったことをきっかけに、体調が急激に悪化してしまった。神経内科等々でも異常はなく、

最終的には精神科で薬を処方してもらい、会社も療養して日常生活を送れるくらいに体調は回復した。

自分うつ病なのかそれとも少し体調を崩しただけなのかは分からないが、療養期間に考えてしまうのは「いい人生だったな…」ということだった。

これまでの人生を振り返ると、行きたい中学校に入り、行きたい大学に入り、ストレート卒業就職し、人間関係にも恵まれ、とても楽しいオタク生活を送ることができた。

一方で、これから人生を考えると会社に行っては帰るの繰り返し、それもフルタイムで働けるまで回復するかどうかも分らず、人生の中でこれ以上したいこともやらないといけないことも、目標もない。

幸せだったなぁ」とここで人生を終えるのが一番いい人生なんじゃないかとそう思いながら今日も布団で何もできずに時間けが過ぎていく…

2021-10-11

これのソースって雑誌

5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。

すぎやまこういち×植松伸夫


すぎやまこういち1931年東京都生。作曲家日本バックギャモン協会会長

植松伸夫1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリー活躍し、1986年スクウェア入社


(要約)


すきやま:

だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、

あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。

ドラクエやると、やれCDブックだアニメときて、レコードブラスバージョンエレクトーンバージョンピアノバージョンが出て、

そうなると色んな出版社ピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。


植松

そんな忙しい中で「半熟英雄」やって頂きましたからね(笑)


すきやま:

どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね


植松

まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)


すきやま:

でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。

植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?


植松

60近くはあるかもしれないですね。


すぎやま:

60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?


植松

1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。


すぎやま:

働き者だなあ(笑)


植松

数撃って当てようという方向でいってますから(笑)

曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。

1曲1曲のイメージが薄らいじゃいますからね。


すぎやま:

それはあるよ。IVときのがVより曲数少なかったでしょう?


植松

そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?


すぎやま:

そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。

その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。

でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。


植松

作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。

そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。

から作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、

自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。

30曲に抑えようとしたんですよ。IVときちょっと多いと思ったんです。

今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまますね。


すぎやま:

僕も曲を絞り込むとき断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。

前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。

でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。

それでカバーしていくともっと絞り込めるかもしれない。


植松

なんであんなに増えちゃったんだろう(笑)


すきやま:

働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから

それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。

スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。


植松

今回そのアイルランドリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れます

ユーザー意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)

別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。

以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンときとかって難しいじゃないですか。


すぎやま:

ちょっとやりにくいよね。


植松

いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位民族音楽好きだから

入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。

先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、

そういう教室へ行くと民族楽器かいっぱい売ってるんですよ。


すぎやま:

なんか君の部屋に不思議楽器が置いてありましたよね。


植松

日本人だったら日本音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。

日本に昔からある音楽自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、

一度「雅楽(古来の宮廷音楽総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製管楽器)を習いに行ったことがあるんです。

そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、

ブライアン・イーノシンセサイザー音楽に近い印象があったんですよね。


すぎやま:

笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。


植松

そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。

雅楽朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、

逆にヨーロッパ民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。

だったらそんな日本人のルーツかいってないで

自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、

最近自分日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。


すぎやま:

僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。

和風喫茶レストランエアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。

アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人なっちゃうでしょう。

僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。


僕が植松さんの音楽でこの人やっぱり日本人だと感じたのは、

町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、

ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。

あれって西洋音楽で育った人では絶対やらないことなんですよ。


植松

バッテンなんですよね。


すぎやま:

植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。

で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。

「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、

西洋音楽エフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。

それは江戸時代三味線や琴の音楽しょっちゅうやってることなんだよな。

ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、

そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。

あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。

で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。

意識的にやらずに自然にやったんでしょう?


植松

僕はフラットナインのぶつかり具合とか、

ミとファの半音メロディ伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。

自分でもああぶつかってるな、クラシック音楽テストなら絶対バツだなと思っても、

その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。


すぎやま:

それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。

いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。

それが前後関係音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。

ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。

ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら

これは単なるひとりよがりしかないんだよね。


植松

難しいですよね。音楽学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。

どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。

中学校を通して音楽というもの学校教育に取り入れて100点取った人は偉い、

50点取った人はしっかりしなさいという教育を受けてるから

大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。


すぎやま:

音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、

文部省現場教師の考え方に反省点は多々あると思いますよ。


植松

すごい話してますよね(笑)文部省がどうだって


すぎやま:

笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。

音楽の楽しさを感じてもらうというのはとても大事なことでね。

からファイナルファンタジーとかドラゴンクエスト音楽というのは大事なんですよ。


植松

最近音楽全然興味ない子供達でもゲームとかで遊んでて、

ドラゴンクエスト音楽が好きになってコンサート行きますよね。

すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。

それはものすごい影響力だと思うんですよね。

子供オーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。

そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。


すぎやま:

他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。

から、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。

ドラクエの棒振りは何はなくとも行くようにしてますけど。


植松

教育の一環ですよね(笑)


すぎやま:

しかし、いつもゲーム音楽作るときに、昔の大作曲家作品聞くじゃない。

とてもかなわないなと思うことが多いね


植松

すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)


すぎやま:

昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。

チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。


植松

チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。

そのときは一番最初チャイコフスキーを挙げますね。


すぎやま:

とんでもない大天才だよね、あの人は。

あの時代20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションうまいこと。


植松

この前、西田敏行ロシアに行ってチャイコフスキー足跡を辿るという番組テレビでやってたんですよ。

僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーホモであるというのを聞いて、

「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)


すきやま:

その良かったというのはどういう意味なの?


植松

どこかプラマイゼロじゃないとダメということです(笑)

チャイコフスキー人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。


すきやま:

モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。


植松

チャイコフスキーしろモーツァルトしろメロディが非常にわかやすいんですよね。

クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。


すきやま:

ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。


植松

やっぱりメロディなんじゃないかという気がするんですよ。


すぎやま:

くそうだと思いますよ。


植松

からドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。


すぎやま:

ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。

他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)


植松

民族音楽というか黒魔術の呪術音楽のようなやつですね。


すきやま:

からそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。

吟遊詩人マップの中のトルコアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、

それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。


植松

また曲数増えちゃいます(笑)


すぎやま:

増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。


植松

一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。

どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。


すぎやま:

他を減らさなきゃならないからね。町の音楽全部一緒にしたり。


植松

でも町は2個だけですからね。マップの曲も3つだし。


すぎやま:

ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。


植松

いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。


すぎやま:

でもなんかすごく多い気がしたな。


植松

実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。


すぎやま:

チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。


植松

あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。


すぎやま:

ピアノお稽古面白かった。


植松

あれも最後は何の曲にしようかということで、うちの坂口が、

ヘタクソなやつが最後コンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、

最初メトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後ドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、

あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。


すぎやま:

グリークとかチャイコフスキーピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。

僕に相談してくれれば良かったのに(笑)


植松

そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。


すぎやま:

でもああいう遊びの部分も楽しかったよね。


植松

息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。


すぎやま:

作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから植松さんはドラクエは上がったの?


植松

実は最後ダンジョンの手前でFFVアレンジCD仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。


すぎやま:

上がってないの!?


植松

申し訳ないっす(笑)

今日までに終わらせるつもりだったんですけど。


すぎやま:

僕は対談頼まれときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、

元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。

途中でやんなっちゃゲームだと上がれないけど、やってて楽しかたから相当寝不足になりましたよ。


植松

今回はアマチュア勝利ですかね。スクウェアメンツって、単独独立して音楽で食っていけるか、

絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。


すぎやま:

植松さんは大丈夫じゃない。


植松

いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。


すぎやま:

ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。


植松

結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。

そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。

全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。

そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。

そういうことが5のチームには無かったんですよ。

とにかく最後最後まで、〆切のマスター任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、

そこらへんの適当プロの人を集めて作っても、ああい気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。

今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、

終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。


すぎやま:

結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、

好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。


植松

その気合いみたいなものが通じるんですかね。

Permalink | 記事への反応(0) | 19:44

anond:20211011014014

自分はこう(社会が求めてるもの)なりたいです

でも親も小中学校も僕にそういう教育はしてくれません

でも社会はそれ(社会が求めてるもの)を要求しま

死にたいです

↑こういうガキは安楽死を選ぶ権利も与えてやれよ

2021-10-10

anond:20211010103051

お前の中学校時代

女は全員かわいかたか

ドブスおらんかったんか?

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