はてなキーワード: バイアスとは
私大トップレベルの工学系修士で就活をした。リーマン直前くらいの比較的売り手市場な頃の話。
周りの流れにのって自分も関東の大手電気メーカ系を中心に就活してた。ソニーとかキャノンとか。
でそんな中で、あーなんかこの会社へんだなーっていうところがいくつかあったのを覚えてるので書いておく。
明らかなクソ対応というわけではなくちょっとした違和感程度で、純朴な学生では見逃しがちな観点について書く。
就活生のへんだなーくらいなので中傷しているつもりはないけど、削除してほしかったら削除するから気になったらトラバしてください。
女性ユーザを意識したかわいいデザインのミラーレス一眼の先駆者みたいな光学に強いメーカー。イメージもよかったし、実際、商品は魅力的だと思うので受けてみた。
説明会だとか、若手社員交流会みたいのがあったのだけど、そこに出てくる担当人事、話をする若手社員がやたら美男美女過ぎてビビった。
ハツラツとしててとても感じのよい人たちでとても魅力的だった。他の会社と比べて明らかに異質だった。まぁそういう人をピックアップして連れてきてるのかなーとは思ったけど、だとしたらすなわち外面を取り繕う体質なのかも、とか思った。
そうでないとしたら顔採用バイアスがかなり強いかかなと思った。面接してるからにはどこでも多少のバイアスはあると思うけど、相場から大きく外れてると感じた。そういえば、面接まえに書いたESぽいものに、かなり抽象的なテーマで論述させる欄があって、そのへんで中身の基準をボカして顔で採るのかなとか。
深読みしなければイメージは悪くないというかむしろ良かったし、キレイな子がいるとテンション上がる方だから俺はどうでもいいけど、ちゃんと中身をみてほしい人は合わないかもなとか思った。
別の会社。こちらは関東ではない大手半導体メーカーくらいにとどめとく。研究室を超美人の女性人事が訪ねて回って是非受けにこいと誘う。東大ではないうちのレベルではこんな会社他にはなかった。そんなんしていいんだっけ。こっちは男ばっかの工学系研究室なんだぞ、刺激つよすぎだろ。じゃっかん露出もあったような気がする。
噂では、空気のきれいな地方企業だから、地元美人女性を一般職で積極採用して、それと結婚させて地元に人材を定着させるという作戦だとか。合理的なだと思う反面、うがった見方をすると、そうでもしないと人が集まらないし定着もしないということなのかな、とか思った。あそこ行ってれば俺程度でも美人妻と結婚できたかもと思うとちょっとうらやましい。
別の国内大手電機メーカー。いまは粉飾決算みたいので大変なとこね。ジョブマッチ形式のため、説明会等でよくよく話をきいて希望を出さなくてはいけないところ。いっかい説明会にいったのだけど、マッチング先候補が代わる代わる自分のところの説明をするんだけど、まじで説明ヘタだしやる気ない覇気もない。代わる代わるのたびにPCをつなぎ替えるし、画面でないでない。無駄な時間長すぎ。事前に接続チェックしてないというのが舐めてるし、資料なんて事前に集約して1台のPCでスムーズにやれよ。
説明会の場で握手されて内々定みたいになってる人とかもいた。本部の人事通さないでそんなことしていいの?各担当がどこまで話していいかとかのラインも中で周知されてなかったんだろうなと推測した。自分はその説明会以来、その会社製品は買ってない。イメージが悪化してしまった。
で、女性だけの街とか#MeTooとかの界隈の話だけど、あれは基本的に男性が肉体的、社会的に女性よりも強い立場にあるということから生まれて来ているものだと思ってる。それが不平等だという意識は私にもある。が、じゃあ平等にしろよ、とは思わない。性差をなくすことは不可能だからだ。どんなに理想を唱えても、男性の方が女性よりも強い肉体を持っていることは覆せないし、社会的不平等の方はどうにかなるかもしれんとは思うけれども出産が社会システムの構成要素になっている以上女性と男性にどこかで差が生まれてしまうのは致し方ない。囲碁で言うコミみたいなものがどこかでつけられればいいけどね。
カマキリはメスの方が肉体的に強い種だ。なんせ生殖後、オスのカマキリはメスのカマキリに食べられてしまうのだから。
そんなカマキリはオスとメスの性差をどう捉えているのか?肉体的に強いメスがオスを虐げているのか?それとも、肉体差関係なく何らかの理由でオスの方が優位にあるのか?カマキリに性犯罪があったとしたらそれはどのような形なのか?
たぶんそれは、人間社会のそれらとは全く違った様相を呈しているだろう。
だからこそ思う。思考や意志というのは肉体からは逃げられないのだと。だから、男性と女性には見えている世界が違うし、どうしても分かり合えない溝というのがどこかにある。
ならばどうすればいいのか?
まずその溝の存在を認めることから始まるのだろう。男女には性差があるし、その性差は実は思考にも大きな影響を与えている。それを認めてからじゃないとお互いがどのような考えを持っているのか想像するのは不可能だろう。
きっとその想像力にも男女の性差バイアスがかかっているだろう。でも、そこにバイアスがあるということがわかっていれば、その影響を抑える補正を加えることも男女共にできるはずなんだ。
我々がやるべきことは殴り合いじゃなくて歩み寄りだと思うのならば、まず、カマキリ社会の男女論という思考実験をしてから、人間社会の男女論を考えてみるのがいいのではないだろうか?
これの続き。https://anond.hatelabo.jp/20180119190450
けんちん・F氏から反応がありまして。
twitterにて「丁寧な分析とご意見、野村某よりもよっぽど誠実だと感動しています。(中略)真面目に書いて揶揄は避けるつもりです。」
というお言葉を頂いたわけです。
色々感じる所はあったけれど、一番最初に思ったのは「してやられたな」というところ。
僕は文中には氏に対し一定のリスペクトはある的な事を書いたものの、まあ基本的には僕が一方的に揶揄してる形で記事を書いたわけで。
なんで?っていう問いに関しては
1.読む人が興味を持って「うんうんわかる」と言いたくなる文体で書きたかった
2.どう丁寧に書いてもけんちん・F氏の心にはどうせ響かないのではという勝手な思い込み
3.「どうせなら面白く書きたい」という欲
以上の3点が理由です。
よって、きちんと読んでいただいた事の感謝と、揶揄する形で書いてしまった事への謝罪をここに記載いたします。
でも、1・3を優先するあまり今後も同じスタンスでやると思います。ありがとう。ごめんなさい。
「冷静に対処する」っていうのは、書き手がクレバーに見える一つの非常に効果的な手法なわけで。
だから、「やーいやーい」って書いてる所、「うん、そうだね」って冷静に返されちゃうと、振り上げた拳が降ろせないといいますか、
「あー、やべー。こっちが嫌なやつに見えちゃうやつだ」っていう感じなんですね。
なので、「うわ、まじかそう来たか」っていう驚き2割と
「あ、きちんと文章読んで(そして多分受け止めて)くれるんだ」という喜び4割と
「やべーな、この後のスタンスが取りづらいな」っていう後悔が4割。僕の心情はそんなとこです。
自分も別に主語を大きくした「演劇の作り手と観客の代理戦争」みたいなのには一切興味がないしやりたくないから
紳士的な形でこられたら紳士的な対応を取るしかない。何故ならこれは個人と個人のやり取りだから、と思うわけで。
つまり、「演劇人が悪く言われてるから攻撃的に言っていいんじゃオラァ」ってなると、それこそブーメランだと思うわけです。
僕は、個人であって誰かの代弁者ではない。思いあがらずに自制していきたいと常々、思っております。
でも、そうなると一個、疑問が沸いてくるんだけど、
野村氏の(割と)冷静な記事に対して異様なまでにカッとなったような批判をしてる(ように見えた)んですが
これはやっぱり立ち位置の違いと言うか「市原氏に近い存在のヤツが市原氏を叩く記事書かずに『これからどうしていくか』
みたいな俯瞰位置の発言してんじゃねえよ!お前どうせ知ってただろうよ!?ああん!?」っていうバイアスありきで書いちゃったからなんかな。
今回の自分の推論でいけば完全に悪手になるわけで、そこだけがちょい疑問。
あと、名前どうしようかなと思って、確か何らかの意味合いで(忘れた)「けーえふ」って適当に名乗っちゃったけど
「けんちん・F氏」とがっつりカブっちゃったのは超後悔してる。
ああー。返信含め全文読んでなんとなくわかったような気がするけど、自分の中の「面白い」の定義が狭くて、相手もその定義で使ってると考えていて、だから必要以上にバイアスがかかっちゃうってこと?なの?
例えば増田自身がストーリーに興味があるタイプで、これ面白いよってすすめられたら(大体ひとが面白いと思うストーリーがわかるから)台無しだって思うってこと?
でも、実際は面白いって言葉はもっと広い意味で使われてて、逆に増田のようなバイアスがかかるものじゃないと思うけどなあ。
例えばジャニ好きのひとが言う面白い映画って、推しメンがたくさん映ってたとかそういう意味だったりするし、ミリオタとか鉄道オタとかもそうだし、特にオタクじゃない普通の人でも結局は個人の好みなので同じ。
普通は自分の好きなものを「面白い」と表現するだけで、別にストーリーがとか描写がとか言わないから、逆に増田的にはノーカンなんじゃないかなあって気がするけど。他人が面白いと思うものが増田の面白いものなわけじゃないんだし。
ホラー映画ファンなら、ロメロゾンビの絶望感とか悪魔のいけにえの狂気とか、人体破壊とか不快感とか暴力描写とか、一般的にはネガティヴでしかないものを「面白い」と言うし。具体的な箇所を言うとネタバレになるから、ただ面白いよって勧める場合もある。
で、つまらない作品もオススメしろって話になってくると、それはオススメの大前提が崩れるので意味がない気がする。それはもう目隠しして探せば?って感じでは。
オススメって、結局勧めてくれた人との交流が前提とか目的にあるわけで、だから「面白いよ(自分が好きだと思ったものを友人と共有したい)」という文句になる。だけど、増田の文章を読んでると作品と自分との関係を一番に考えてるから、オススメ文化そのものが向いてないってこともあると思うんだけど。
それでも交流もしたいんなら、面白さとかじゃなくて今月読んだ作品を友達に聞くとか。
「「何か面白いやつ教えて」と聞いてくるやつには自分が面白いと思うものを教えてやればいい」って書いてるように、逆に面白いか不明なものをオススメされたいなら、自分からそうやって工夫して聞くしかない。果たしてそれに意味があるのかわからないけど。。
またあえて「面白くない作品」を聞いた方が、面白いか面白くないかの期待と不安のドキドキ感は逆に高まる気がする。あんまそういうことしてると友達減りそうだけど。
あとは、当たり外れも欲しいけどなるべく質を高めて外れの確率を小さくしたいなら、機械的に名作を選べばいい気がする。
名作とされる作品って時代遅れだったり難しかったり逆に簡単だったり皆が見て面白いわけじゃないし、名作である理由も技巧とか思想とか時代性とか歴史とか、ちゃんと勉強しないとわからない面倒くさい部分も多いから、当たり外れはよくある。でも読んでる人口とか話題に上る確率は高いから、他人と共有もしやすいと思う。
でも名作だと「以前にどこかで話題になっていたことがすでにバイアス」とまで考えるなら、やっぱりランダムに探すしかない。
そうなってくると「自分が名前を知っている作品は全て内容に対して余計なバイアスがかかっている」から未知の作品しか読まない、とかいうことになりそうだけど。
あと、結局作品との関わりを何が何でも大事にするなら、友人とかとそのジャンルについて話すのはやめた方がいいよ。うっかりネタバレとか変な対抗意識が生まれたりとかは絶対あるし。
「葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午
「最後まで行く」
「羅生門」
「L.A. コンフィデンシャル」
「アフタースクール」
「情婦」
「八つ墓村」
「トールマン」
「告白」
「手紙は憶えている」
「双生児」
ストーリーが求められてない?これだけ映画やらアニメが溢れてるのに?
今も語り継がれる古典的名作とここ最近の有象無象の凡作以下を比べるからそうなる。
大半が超合金売りたいが為のストーリーもヘッタクレも無いクズだよ。
だからこそ1stガンダムとかがキラ星のごとく輝いて見えるわけで。
てか、創作の専業でおまんまが食えてたここ最近の状態が異常だっただけ。
近現代以前の作家なんて生涯左団扇確定で暇を持て余した貴族階級か、
死ぬ程働きながら血反吐を吐いて執念で書き続けた下層民のどちらかだ。そこに戻ったんだ。
物流と情報技術の急激な発達で一時的に中流が創作で飯が食える状態になってたけど、
予め宣言しておくと 皆が口を揃えて言う「雪質が最高だから」という理由は当たり前すぎて聞き飽きているだろうから、それ以外のことを書く。
自分はバックパッカーでアジアの遺跡や寺院巡りを中心にいろいろと旅している。寒いところは大の苦手だ。
その数々の旅の中で印象的で記憶に残っているのが5年くらい前にミャンマーかラオスかのゲストハウスのドミトリーで同室だったオーストラリア人との会話。
会話前略
豪人「Yeah! I went トーキョー アァンドゥ ヌィスィクォ」
ニセコが外人に人気だということは当時知らなかったし、確かまだ民主党政権下の円高で訪日外国人客もそんなに多くない時代だった。
(・・・・・逆にバックパッカーにとっては円高の恩恵を受けて非常に楽な時代だった)
東京はさておき、京都でも沖縄でも奈良でも広島でもなく謎のピンポイントの地名らしき名前を言われて混乱した。
最初は聞き間違えかと思ったが何度か聞き直した挙句、北海道のニセコという超マイナーなスキー場ということがわかった。どうやら雪質が良いらしい。
当時は「ほーん、雪質が良いってだけでわざわざ赤道超えてはるばる来るんやなぁ スキーヤー、スノーボーダーの熱意は大したもんやな」程度に捉えていた。
しかし、今年ようやく念願叶ってニセコに行くことが出来たことでほとんどの疑問が解決出来た。 これは確かにニセコに外人が押し寄せるわけだ・・・。
卵が先か鶏が先か、というツッコミを受ける話になってしまうのだが・・・・
スキー場スタッフはおろか 山小屋 レストラン 町中のタクシー ホテル 温泉 飲食店に限らないスキー場周辺の一般住民 ほとんど全てのに対して英語が通じる。
メニューや標識看板、放送などもほぼバイリンガル。 英語が公用語ではないアジアの他の観光地と比べても遜色ないレベルかもしれない。
そのへんのホテルの中にある売店(ビールとかおつまみを買うところ)でも使える
たしか、ゲレンデのレストランはSuicaだのEdyだのiDだのも使える機械があったと思う・・・けどちょっと曖昧。違ったらごめんなさい。
ゲレンデに適切に配置されたロッジの中に暖かくて清潔で広いトイレがあり、かつ十分に数があって全く並ばない。
個室の中もそれなりに広く、重ね着していても快適に用を足すことが出来る。
スキーウェアを着ながら用を足したことがある人にしか伝わらないかもしれないのだけれども・・・
うんこを愛する増田達にはきっとこの素晴らしさは伝わると願っている。
単に広いというと禿山に広がる広大な斜面を想像されるかもしれないのだが
独立した4つのスキー場がところどころで繋がっていてかなり自由に行き来することが出来る(特に東から2番めのヒラフは桁違いに広い。完全立ち入り禁止のとこも勿論あるので全部が全部入れるわけではない。)
コースとコース、スキー場とスキー場の間に生えている木々がちょうど良い塩梅の間隔でコース間滑走が楽しい。
この木々の間隔をうまく伝える語彙力の低さを強く自覚していて、非常に歯がゆい。死語だがボキャ貧。
全部が全部ではなく一部のリフト等は15時半あたりから終わってしまうのだが、かなりの広範囲のコースでナイターが楽しめる。
そして、友人曰く珍しいことなのだがリフトのみならずナイターでも一部ゴンドラが動いている。
朝に羽田から新千歳に飛んで、昼過ぎとかから20時半とかまで滑れる、しゅごい。
他にもフードが着いていて雨風を避けられるリフト(座ってても寒くない)をはじめとするスキー場のインフラ面が他のスキー場と比べて秀逸。
4つのスキー場を結ぶNIZEKO UNITED シャトルは、全スキー場共通のリフト券を持っていれば無料で利用可能。 時間もスキー場によっては23時過ぎまである。
例えばナイターのないニセコ花園リゾート近くの宿に宿泊していても、夜までナイターのあるヒラフで滑ってそこからバスで晩飯食べに行ってからバスで温泉行ってバスで帰ってくるみたいなことが可能。
あとは若干行動に制限が生まれて不自由ではあるが、スキー場とスキー場の間にある宿であってもだいたい近くに停留所はあるので宿の選択肢を広く持てる。
需要があるから供給もあるという話ではあるが、温泉や日帰り温泉を受け付けているホテルが多い。朝6時から24時までやっているところも。
私が行った温泉はすべて休憩室が完備されており、湯上がりにビールでも飲みながら暖かく快適に友人を待つことが可能だった。(仮眠も可能)
余談になるが、温泉が好きなのは日本人だけであって"西洋人は公衆の場で裸になるのに対して恥ずかしいと感じる"という思い込みがあったのだがニセコで完全にそのバイアスが崩れた。
あいつら温泉に酒持ち込んでめっちゃリラックスして楽しんでやがる・・・・もしかして日本に来る人は特別なのだろうか。
もう一つ余談。 温泉等に良く付いている有料のマッサージ機について。
私の観測範囲内では今まで国内旅行においてほとんど誰も使ってるところを見たことがなかったのだが、ニセコでは外人が凄い高い頻度で利用していた。 技術立国、クールジャパン!
コンビニのセイコーマートがあるヒラフ十字路近辺には流しのタクシーが高頻度で走っているし、電話したら各ホテルやレストラン、温泉まで来てくれる。
湯上がりに外を歩くと髪の毛が凍るレベルの外気なのだが、23時を超えて温泉から宿までのわずか数百メートルのためにタクシーが来てくれた時は有り難さで涙が出た(初乗り+割増の660円だけで申し訳ない気持ちだった)
「北海道なんだから当たり前だろ!」と思われるかもしれないが、スキー場から歩いて行ける範囲内で美味しい店が多いという条件って実は意外と難しい。
繋がってるスキー場を渡った上で、理由6のシャトルバス運行をうまく絡めると無料でさらに選択肢が広がる。
"「雪質が最高だから」という理由以外のことを書く" と言ったな あれは嘘だ
正直雪質が良いって言われても初心者だからそんなんたいして違いとかわかんないわー 関係ないわーって思ってたんス
でも、初心者こそパウダースノーで雪質の良いところで練習すべき! こけても全然痛くないし、痛くないからちょっと大胆なことも練習出来るし上達も早い!何より滑るのがチョー気持ちいい!
毎日大量に雪が振るからシーズン中(2月途中くらいから悪くなるらしい)は新雪でフカフカだし、朝に頂上まで行ってそこからヴァージン・スノーのみを使って下まで降りるのが至福の快感。
絶対に人生で一度は行ったほうがいい。凄い貴重な体験が出来る。超絶オススメ!!!!!!思いっきり背中押すから若いうちに行っとけ!!!!
http://tech.s-cubism.jp/blog/archives/3723
以下、ニセコに限らず日本全体に当てはまることではあるのだけれども理由追加。
10の理由と言ったな あれも嘘だ
オーストラリアとは2時間差、ニュージーランドは4時間差らしい。
たしかになーと納得。
日本人が軽井沢に行く感覚・・・というよりは夏にスイスやフィンランドに行く感覚?
自分の経験だけど、今シドニーとかメルボルン等の都市部ではランチでお高くない普通の店でも2000円を軽く超えてくる。(だからこそ日本のラーメンが1杯1000円超えてても人気だったり)
あとは本題と外れるけど、ホノルルのワイキキで丸亀製麺に行列が出来てたりで現在海外における日本料理の一部は所謂日本にとって一昔前のマクドナルド的な存在だったり。
日本人からするとスキー場のラーメン1000円とかカツカレー1500円って 「うげぇぇぇぇぇえ」ってレベルだけど、彼らからしたら安いのだろう。
らしいのでそうなのかな。他の観光地も組み合わせた上で、夏も寄ってみたいって思いました。
おそらく最大の理由。全ての理由を経て、来訪した経験者の満足度が高かったんだろうね。
その満足度の高さが、さらに客を呼び好循環を産み出している最強の状態。
台湾やタイ、マレーシア他東南アジア等暑い国々のお金持ちが涼みに来る とか
そういうのではなく、ニセコは本当に肌感覚として明らかに白人が多いんです。英語も超綺麗な発音でネイティブ。
純粋にスキー、スノーボードが大好きな欧米人が遊びに来てるな!!って今回の旅行で印象を受けました。
若干日本人と比べてマナー悪い部分とかも無くはないんですが(セイコーマートのコンビニの灰皿とかゴミが投げ入れられていて惨状だった・・・・) 文化の違いも体験出来るし素晴らしいところです。
重ね重ね、一度は冬のニセコに訪れて見ることを強くオススメ致します。
乱筆失礼致しました。
気付かぬ間に400近くもブクマが!!
若者のスノボ離れとかウィンタースポーツの国内人口現象とか言われてるけど、なんだかんだ皆さん興味はあるということでしょうか
(それともはてな村の平均年齢が・・・・・ おっと誰か来たようだ)
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0227.html
やっぱ資本の力が大きいんですね。やや不動産価値がバブってるってのも含めて理解が深まりました、URLの紹介、有難うございます。
他の方が指摘されてるように、日本人にとってのハワイみたいな位置付けがオーストラリア人他外人にとってのニセコなのかもしれませんね。
>超マイナーうんぬん
釣るつもりは全くなかったのですが、寡聞に付き大変失礼致しました。
当時まだ若く、関東からちょっと足を伸ばせる範囲の群馬長野新潟のスキー場数個(白馬、湯沢、水上など)くらいしか知らなかったので完全に無知でした。
あとなんか積雪量の関係で新潟とか日本海側が最強で北海道は劣るとか思い込んでました・・・・。
無理に他のスポーツに例えるならばサーフィンをほとんどやったことない人が「青島?どこそこ?」みたいなレベルの話です。
完全に東京中心の悪い意味での中華思想でした、お詫び申し上げます。
釣るつもり・・・・・といえば逆にトイレの項目で、はてな村の皆さんが大好きなうんこネタを振ったのに誰も食いつかなくて寂しいです(`;ω;´)
やはり漏らさないと駄目なのか。
専門家の人格にどんなに難があろうとも、その人の専門においては何か聞いても概ね妥当な意見が出てくることが多い。
でも思想信条が絡むと途端に様子が変わってきて、専門家が専門のことについて言ってたとしても、コンセンサスが取れてない説を平気で定説のように説明したりする。ひどいケースだと、自分の信条に合うようにエビデンスを作り出したりする人まで出てくる。絡むのが利害関係だけなら解決できる問題も、信条が原動力だと解決はほぼ不可能になる。
思想信条って縋って生きることすらできるくらい強力で強烈なもので、そういうバイアスに優秀な専門家が絡め取られてるのは害があるし、見ててつらいものがある。よっぽど注意してたとしても、いつのまにか囚われる強い力から自分が逃れられる保証もない。遺言のようにその時は黙殺してくれと記しておくしかないのだろうか。
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2016/02/07/121747
被害者性の道徳文化は「道徳的依存」を助長してしまい、個人間の些細な問題に自分自身で対処する能力を減退させてしまう。個人が弱められるのと同時に、人々は被害者のステータスや被害者の擁護者というステータスを得ることを競い合うので、激しい道徳的紛争が絶え間なく続く社会が登場してしまう。
…
被害者は、自分自身の強さや価値を強調するのではなく、自分の受けた抑圧や自分が社会的に疎外されていることを強調するのだ。…このような状況のもとで、第三者への訴えが寛容・堪忍(toleration)や交渉に取って代わった。人々は他人からの助けを求めるようになり続けて、自分が尊重と助力に値することの証拠として自分が受けた抑圧を喧伝する。このような道徳文化は「被害者性の文化」と呼ぶことができるだろう。犠牲者の道徳的地位は、名誉の文化では底辺に位置していたが、いまや頂点へと登りつめたのだ。
…
抑圧者というラベルを貼られた人も、しばしば「自分も同様に被害者である、と主張する」。たとえば、「ラディカル・フェミニズムに異議を唱えたために性差別主義者として批判された男性たちは、自分たちは裏返しの性差別主義の被害者であると主張することで自分たちを擁護する。被害者に対して共感的ではないとして批判された人たちは、自分たちが受けてきた被害を示そうとする」。[このように、被害者性の文化では、被害者性が競われて縮小均衡が起こることになる。左派の若者と右派の若者は、不平の渦巻きに巻き込まれるのだ。被害者性の文化が広まるにつれて、今後数十年間において政治的分極化が着実に進行していくことが予想される。]
「被害者」を過剰に賛美することで、本来は自分の力で解決できる問題を解決しようとせず、最初から人に頼ることが最も善となり
全ての人がこのポリシーに従うことによって本来起きなくてもよい闘争が起きたり、社会が停滞したりする。
これはあれですよ、日本人に多い正常化バイアスとか平和ボケってやつ。それと大事にされて育ったから平常時に特化してて非常時の対処法を知らない今の30代ぐらいの若者の特徴。ソシャゲ会社の中心は30代。
そういう奴らが仕事で成功するとすぐ天下取った気になって気持ちが大きくなる。異なる思考をする上の世代は老害にしか見えなくなる。自分らと意識が似たような会社ばかりと付き合い、似たような人間ばかり求人で採用する。
そして外部から何か指摘を受けても「自分らは悪くない」「社会は自分らの味方」という思い込みが強すぎて、ヤバい事だと気が付かない。ぬるい成功体験が邪魔をして、逃げなきゃ死ぬ非常時であることがわからない。社内が基本仲良しこよしで、何でも仲良く会議で相談して決めるのでその場で好まれないような意見は誰も出さない。「こっちは悪気ないんだから殴られないよね」「ねー」みたいな適当な流れで重大な決定が決まる。そして誰も責任取る事なんて考えてない。
問題は弱い男性がマッチョ男性を目指そうとしたら昔は競争相手が男だけで済んだのに
まるで関係のない外野から「キモいオッサンは頑張るなw」って横やりで刺されて満足に走れず子孫も残せず死ぬってことだな
国民の総数が国力に直結する以上は優秀な人間だけ残っても生存バイアスは働かないどころか
大した能力でもないのにテッペン取れる状態になって尚更悪化する未来しかない
当方すでに人生の半分くらいを米国で暮らしてるおっさん増田です。
なぜこのような前置きをするかというと、この国のオリンピックへの冷遇ぶりはかなり特出してて、俺がこれから書く話もそういったバイアスがあるよってのを念頭に置いてほしいからです。なにせこの国じゃ自国のスポーツイベント(スーパーボール、ワールドシリーズ、NBAファイナルなどなど)が至高で、他国の国際大会とか知らねって考えだし、オリンピックに至っては「午前中や深夜の放送じゃ視聴率とれない」という理由で地上波では生放送なし&夜のゴールデンタイムに録画済みの編集版を放送ってのがデフォの国なんで。
最近もやもやしてるのはね、ここ数年ほど親戚やら大学時代の友人やら仕事先で知り合った人とか日本から様々なゲストが来て話す機会があったんですけどね、特に東京圏の人ってのもあるんでしょうが、みんな口々に「2020年の東京オリンピック」の話題を持ち出すんですよ。なんか初めて参加した飲み会で話題に困ってとりあえず血液型を聞くくらいのノリで。やれ国立競技場を作り直すとか、インフラ作り直すとか、警官やタクシーの運転手がみんな英語の勉強で大変とか。
もちろん話を聞いている場では俺やほかのアメ人も黙って会話にのっているんですが、みんななんで日本でオリンピックがあんな前段階からお祭り騒ぎになってるのかぴんとこないんですよ。だって長くてもたった2,3か月のイベントじゃない?とりあえず他のアメ人に「hey Masuda、東京オリンピックって何がそんなにすごいんだ?」って聞かれても「日本では国際大会が人気で、特にオリンピックはスーパーボールとNBAファイナルが合体したくらい人気あるよ」っていうと「へーーー」って反応くるんですが、後々その東京オリンピック関連で5兆円以上つぎ込んでるって聞くとみんな絶句するんですよね。いや俺も毎回絶句してるんだけどね。
スポーツ施設に巨額投資が動くってのは理解できるんですよ。実はロサンゼルスに数十年ぶりにアメフトチームが戻ってくる!(札束で他の都市のチームを引っこ抜いた)ってことでそのチームの本拠地周辺では最新スタジアム建設やら、駐車場やインフラの新設、近隣のショッピングモールや住宅地の再開発とかで巨額の金が動いているんですが、でもこっちはこれから数十年にわたって活躍してくれるからちゃんと元取れるじゃないですか。でもオリンピックってたかが数か月でしょ?オリンピックやったからって劇的に観光客が増えた国なんて聞いたことないし。
んで東京オリンピックについてはよーわからんところでは大金が動いてるみたいですが、肝心のバリアフリーとかが全然進んでない。実は俺の妻と2歳児&5歳児の4人家族で昨年末に東京観光してきたんですけどね、さすがに大江戸線みたいなローカル線には期待してなかったけど、山手線まわりだったらもうバリアフリー整ってるかなーと淡い期待でいったんですがところがどっこい!山手線まわりでもエレベーターがどこにあるかわからん&大量にある階段にエスカレーターも皆無で毎回動き回る子供連れて&ベビーカー抱えて移動だけで死ぬかと思った。。。なんだよオリンピックにむけてバリアフリーにするんじゃなかったのかよ??(ひょっとして今年か来年中に大型改装する予定でもあるの?)多分エレベーターとか探せばあったんだろうけど10年ぶりくらいに来たから駅もデカすぎて探せねーよ。
あと相変わらずuberやlyftも使えない。これ日本から来た人に愚痴っても「東京はタクシーすぐ捕まるから」とか「白タクとか不安」とか言われたんだけど、世界のどの都市いっても携帯一つでタクシー呼べて料金支払いも携帯アプリで済ませられるuberになれると、子供つれてタクシー止まりそうな駐留エリア探すだけでも苦痛なんだわ。おまけに日本語話せない連中とかだと運転手の片言英語ききながら目的地説明せにゃならんのでしょ。ありゃメンドイ。日本の人って政府とか大企業にはしきりに「規制緩和」とか訴えるくせに、民タクや民泊みたいに自分らの生活に直結する自由化には「安全・安心」を盾に頑なに反対するよね。うーん、そのメンタリティだから行政の規制緩和も進まないんじゃん?だって現場にいる人からしたら民タクや民泊の自由化と一緒じゃん。
俺が一番もやもやしてる点ってさ、おそらく日本の多くの人も「東京オリンピックフィーバー」の茶番感やら虚無感になんとなく気づいてるんだけど、いまさらそんなこと言っても水を差すだけって批判されるから馬鹿馬鹿しいと思いながらも一緒に祭りにのってる感がありありと伝わってくるんだよね。政治家なんて「東京オリンピックがありますから」とか意味不明な理屈でたった数か月のイベント用に重要法案をバンバン通してるしさ。
なんか普段なら反対者がでて通らない法案とか巨大予算のビックプロジェクトをみんな「東京オリンピックがありますからそれまでに終えましょう」という虚無感たっぷりな大義名分つかってガンガン押し切ってるんだよね。茶番だってわかっている連中も、これがあるから一緒にのってるんだろうね。
思い返せば日本人って白虎隊やら戊辰戦争やら神風特攻隊やら、ずっと続く強者よりも一瞬だけ輝いて散っていく敗者に共感する気質があるから、東京オリンピックもその一瞬の花火を楽しむためにみんな盛り上がってるのかな?って最近思うようになってきた。でも一瞬の花火にしては使う額がすごすぎるよね。
この東京オリンピックがあまりに巨額イベントに膨らんじゃったから次回のオリンピック会場に立候補する都市が激減して、24年と28年なんてかろうじて挙手したロサンゼルスとパリに速攻で決まった流れとかアホすぎる。東京なんて裏金さんざんばらまいてようやく獲得したのに。。。
追記
冒頭でさんざん「俺の書き込みは在米歴ながくてかなりバイアスかかってるからねー」って念を押しておいたのにそこ無視して「おまえが言うな」的なレスがあってはてな村は相変わらずやなぁと微笑ましかったぜ!
それは自覚してるw ただとりあえず思いつくおもてなしトーク(てかもてなしてるのはこっちのほうなんだがw)が全員五輪ネタだったから、やっぱファン&アンチともに日本ではでかいイベントなんだなぁって。
正論だけどあの辺の都市は上の政治家から下の底辺までオリンピック誘致しようなんて思ってないからべつにいいんじゃね?笑 おれも子供小さいうちにニューヨーク観光なんてする気おきないもの。子供がいくとこじゃないっしょ。
商業主義に走った初期はちゃんと黒字だったから国際的スポーツ興行として割り切っても合格でしょ。問題は近年は国のメンツ(笑)やら巨額の費用負担で予算だけが右肩上がりで大赤字確定のクソイベントじゃん。だから24年と28年の開催地候補もローマやブダペストとか大半の都市が「金かかりすぎるからやめるわ」って次々辞退して、最後に残ったロサンゼルスとパリに自動決定したっていうお寒い状況じゃないっすか。
違うよ。スポーツ興行としてちゃんと黒字でペイできたら合格。オリンピックは次世代に借金だけ残すクソイベントだから茶番。
いやーおれも勢いに任せてキーボードを滑らせたら我ながらそのオチに苦笑したけど、でもさすがに米国の一都市で行われる大会のためにわけわからん連邦法をどさくさ紛れに通すなんてことはないでしょ。。。(あ、でも今の大統領はそれ以前の問題が!
そもそも大学入試は不要、という意見ではないようなので、大学で学ぶのに必要な能力としては古文漢文は該当しない、よって受験科目に入れるべきでないという主張ですよね。まず最初に英語について考えてみるけど、英語の能力が必要なのは英語で書かれた知(論文だったり教科書だったり)にアクセスするためですよね。翻訳したものでは翻訳者のバイアスがかかるから原文を読む事が求められているのだと考えます。そういう意味で古文漢文も古代の知に他者のバイアスなしにアクセスできる能力なので英語が必要というのと同じ程度には必要ではないでしょうか。欧米のまともな知識人は古代ローマについて必ず学んでいます。そのためにラテン語も多くの大学で必須科目になってます(ちなみにラテン語の代わりに漢文が認められる例があるようです)。もちろんこれは卒業要件の話であって、入学試験の話ではありませんが、あちらの大学は入学は簡単だけど卒業が難しい事はよく知られてますから、どのタイミングで査定されるかの違いかと思います。
それは、お前がたまたま進振りで成功したからなのでは…?単なる成功者バイアスでは。
確かに、お前の言うように進振りで成功して「よかった」と言っている奴も多いし、自分自身も進振りがなければ、出身学科にお世話になることもなかった。結果的には出身学科の方を選んで大成功だった、自分の場合はね。
が、うまくハマった人がいるということと、総合的に見て良い制度かというのは別の話。
進振りで全然興味のない学科に進学してしまい卒論とかイヤイヤやってた奴とかも見てるし、突然底点が上がったり、制度が変わったりして混乱するケースも見てるから、一概に進振りが良いといえるかどうかは疑問がある。
特定が怖いので所々フェイクとかを交えるのでたまに嘘が入ったりするけど、ある程度はきちんとしたことを書こうとは思う。
僕は田舎町で育った。ド田舎ではないがそこそこの田舎、町にコンビニが一件しか無かったり、8時には終電が出ていったりしてしまうくらいの田舎。
同級生は100人くらいいるけど、明日成人式で会うと言われても「クソほどどうでもいい」って感じしかしない。
大学に入ってわかったことの一つとして「田舎では勉強する環境を選べず、周りとの競争を全く感じず生きている」というのがある。
小中と勉強はできた。しかし生粋の変人、田舎特有の異質は排除されるというバイアスによってのけ者にされてた。
近所に住んでいて、幼稚園の頃に仲良く話していた女の子とは小学一年の時にからかわれたのが原因で、その子が話しかけてくることがなくなった。
新任の教師が3日で辞めるような中学しか町になく、それしか選択がなかったのでそこに通った。
こんなクソみてぇな地元を出たいと思って進学校を目指して勉強をしていたが、DQNに教科書を破かれたり、前日に受験票を燃やされたりして精神はズタボロ、高校受験は見事に失敗。結局地元のバカ高校に入学した。偏差値は40もない。
高校になって他の地区の人間が出てきたり、適当に話を会わせて一人で勉強してたので、とくに苦労もなくその道だと名の知れた国立大に入学できた。
大学に入って分かったことが、やはり都会は何もかも田舎とは違った。
学校を選ぶことができる、友人を選ぶことができる。他人に干渉されることが少ない。
当たり前かどうか分からないけど、これが都会ではごくごく普通のことだということをうらやましかった。
学校では休み時間に勉強したり読書したりすると叩かれたり、物を隠されたりした。授業はDQNたちが妨害するせいできちんと授業が執り行われたことの方が珍しい。このような雰囲気ではまともに勉強する人も無くなってくる。
家は家で、田舎特有の高校至上主義。地元名門の高校以外は頭の固いジジイババアがこれでもかというほどこき下ろす。田舎はどこの大学よりも、どこの高校かというのですべてが決まる、悪習しか残っていない土地だった。
勉強のために職員室に通ったり、図書館に行ったりもした。けれどもやはりいじめられたストレスに負けた。学年一桁には入っていたけど、世間的に見たらただのバカだった。親に受けさせられた統一テストも全国では真ん中より上くらい。これで学年一桁を取れるような地元に嫌気が差した。
結局受験前日の受験票を燃やされたので全てが終わった。(当日再交付はされたけどメンタルはズタボロ。ほぼ白紙)
なんとか入れた高校で、今までいじめて来たヤツらを見返すために必死になって勉強して、胸を張るとは言えないが一般では普通の大学には入れた。
大学に入って2年だが、刺激的な生活の連続だった。地元にはないような店がいっぱいあったし、何よりも友人と話が通じた。ろくに友人もいないような人間で、話が通じるような友人に出会えたことに感謝の念しかない。学力は人間を作るというのも間違いではないと思った。
間違っても型落ちのクラウンやマークIIを下品にシャコタンにして、バカみたいに低音を効かせたサウンドで夜中に走り回っては橋の下でタバコを吸ったり、たかだか数人が集まった写真をゴリゴリに盛って「地元最強卍」とかバカやってるやつらはいない。
そんなやつらをSNSで見てると反吐が出る。地元に残ってなにが最強だ。ロクに勉強もせず、ただ昔はヤンチャだったアピールをしてイキがっているだけなのに。
なぜそのような人たちの方が人生を謳歌しているのかが分からない。そういう人間に蔑まれ。いつか勝ってやると思ってた人間は地元には居場所がない。