はてなキーワード: バイアスとは
・政治家が圧力かけて国の財産を安売りさせたら、たとえ金を受け取ってなくても倫理的にあかんでしょ。
君が「そういう役割と思ってた」なんて知らんよ。世間の常識で考えろよ。
・財務省は元々売りたがってて政治家の名前を利用しただけと言わんばかりだけど、何の根拠もないし、最初渋ってた理由の説明がつかないな。
・貼られてるNHKの報道がそんな前提には全く見えないけど。特に金や便宜って一文字も出てこないんだが、どの部分を指してんの?
・十分な捜査が終わる頃には風化してそうだし、ていうか政府は風化を狙ってそうだし、そもそも検察だって信用できないし、待てないのは仕方ないんじゃないかなー。
はてブでこのようなことを言ってる人をよく見かける。インテリはてなーに対してはわざわざ忠告することもないのだが、インテリはてなーのフォロワーやワナビーはインテリではないので、ここでちょっと申し上げておいてもいいのではないだろうかと思った。
「またナントカ案件か」思考法において彼らが行っているのは、物事を自動的にパターンA、パターンBといったように振り分けることである。もちろんこういったパターン認識は情報を素早く処理できるというメリットがある。パターンAであればそれへの最適な解答はαであり、パターンBであればそれへの最適な解答はβであるというように。彼らはそれがナントカ案件であると認識した段階ですでに最適解を反射的に出しているわけだ。問題の認識と解答がほぼ同時に行われている。刺激に対して反応が決まっている。
たしかにこれは非常に合理的な判断のように思える。同じようなパターンなら同じような解答が最適になる蓋然性は高い。しかし彼らはその問題が以前の問題と比べてどの程度類似していてどの程度類似していないかについてまったく考えていないのではないだろうか。彼らは自分の思考法の陥穽を十分に理解しているだろうか。
物事というのは細部が重要である。細部の差異を認識し、その都度そこでしか発生していない特殊条件を勘案し、適切に処理できるかどうかに知性の差が現れる。どんなに素晴らしいデザインであっても、設計がその場に適応したものでなければ効果が得られない。「またナントカ案件か」思考法においては細部の差異を自動的に切り捨て、その場の状況に合うかどうかの深慮もなく、決まりきった解答αやβを放り込むのだ。そして「これで万事解決!」そう彼らは思っている。
この思考法を採用している者は物事を分かった気になっているが、正確に言うならば、彼らが分かっているのは物事から細部の差異を切り落としたあとに残った理想上空想上のイメージである。
彼らは物事の正確な認識を避け、「またナントカ案件か」思考法によって情報処理の負荷を軽減し、空想上のイメージに飛びついてそれを現実だと思い込む。そして、いまや現実と同じ価値を持つにいたった空想上のイメージについて彼らは解答αなりβなりを提示して、すべてがうまくいったような気になっているのだ。物事がパターンAそのものであれば彼らの解答αで完全に片がつくだろう。しかし世の中はそれほど単純ではない。それは問題の矮小化、議論の簡略化にしかなっていない。
物事にはすでに用意されたパターンによっては拾いきれない膨大な背景が存在し、その背景の要素同士がさまざまに絡み合って、一つ一つの物事をそのときそこにしか存在しない独特のものにしている。
情報を受け取ったときの第一印象として、パターンAに類似している、あるいはパターンBに類似しているなどと察するのは問題ない。賢い人は一瞬でそういった思考をめぐらせて大体の全体像を把握する。しかしそこで「これはパターンAに類似しているからαをやっておけば問題ない」とするのははてなーに求められる態度ではない。類似したパターンを検索するのは始まりにすぎず、むしろそこからすべての議論が始まって深まっていくはずなのだ。
だがどうもこういったことができない人をよく見かける。「AだからAなのだ。だからαすればよい」などといった態度はどれほど知的な態度だというのだろうか。こういった種類の人間は自分の有するパターンの数を誇っているのかもしれない。「俺は1000のパターンを持っているから現実に対処するには十分であろう」などというように。こういった傾向を「知識オタク」と言えるかもしれない。
しかし実際のところ、彼は1000個のボタンと、そのボタンを押すことによって得られる効果を丸暗記しているだけなのだ。Aを押したらαが出てくる。ただそれが1000個あるだけなのだ。1000個では現実を生き抜くには少なすぎるだろう。それなら1万か、10万か、100万か?
おそらくそういうことではない。
こういった「またナントカ案件か」思考法によると、完全に未知の問題には対処できないのだ。未知の問題に挑んでいくのが知性というものではないだろうか。
安易な判断を下す前にまずは物事をよく観察し、情報を揃えてみてはどうだろうか。SNSを中心にやっているとインターネットというのは速さが求められがちだが、実は自分のペースで好きなだけ考えることができる空間でもある。
かつてお笑い芸人のおぎやはぎが「一概には言えない」と言っていたことがあるが、まさにこれなのだ。こういった態度にネガティブな印象を持つ人も多いかもしれない。しかし一概に言えないということは何も言えない、言わないということを意味するものではない。むしろ何かを言おうとしている態度である。だから何か言うまで待ってほしいし、十分に待つべきなのだ。
デマ情報、嘘ニュースの拡散が問題になっているが、「またナントカ案件か」思考法ともつながっているのではないだろうか。情報を見た瞬間に「これはひどい」あるいは「これはすごい」と認識し、それですべてを理解した気になってしまう。背景にどういった事情があるのか記事のバイアスはどう評価できるかなどを考慮せずに、あるパターンに類似した情報を、「きっとあれのことだろう!」と自分の中にある既存のイメージに結びつけて理解した気になってしまう。現代のインターネットには速さと同時に短慮がある。あるいはそれは短慮ですらなく、自動化されていて、ほとんどbot化しているとも言えるかもしれない。
選挙に行けば、母方からは公明党に入れろといわれ、父方には母親の言うことを聞かなくてもいいのよ、出来れば自民にいれれば。と言われてきた。
その反発もあってか、リベラル系や共産に人を選んで入れていたように思う。
母親の付き合いもあって、どうしても創価学会の人と飲みに行かないと行けないことがあって嫌々ながらも会社の飲み会の延長戦だと思って頑張って飲みに行った。
初めは気を使っていたけれども、酔うと大きくなる僕の悪い癖が出て、学生運動の話をしたんだ。
やっぱり、キツイ仕事は嫌だし、給料が低いのは嫌だって言ってた。だから労働組合の会長をやっていると。
きっと創価の家系だからそう思うんだとか、言われるんだろうけど、創価の子供ほどネットで創価学会を知って嫌になる子は多いよ。
30歳の2人の子持ち(2歳&4歳)の大卒職歴ゼロ女(パソコンはある程度使える)が正社員として採用されるまでの話をする。
少しでも希望になればになればと思って書く。。
実家も車で一時間ぐらいで普段の手助けはなし。夫は残業多いけど家事育児に協力的。
ある日のこと、子育てが嫌すぎて専業主婦をやめて働こうと思った。まずは子供を認可外保育園に預けた。
人口20万人の都会でも田舎でもない地方都市だと、仕事の選択肢もそうそうあるわけではない。
保育園児抱えてて遠くに働きに行けないというのなら、尚更だ。
ハローワーク行っても、
介護士…
そんな求人ばかり。私は何も持っていない。
優良企業の事務職なんて、派遣会社が全部買い占めていて、残ってるのは月給手取り12万ボーナスなしの事務職とかそんなんばっかり。
子供の保育園のこともあるし、最低でも土日休み希望。そして夜勤はできない。あと体力に自信がないので肉体系の仕事も無理。となるとやっぱりどうしても事務職になる。
試しにエリアを東京にしてみると、都会は求人が多くて羨ましくなった。
確かに私は国立大卒で昔は勉強もよくできたが、文系なので手に職はないし、稼げる資格はゼロで、職歴ゼロだと応募しても応募しても本当に採用してもらえなかった。
頭の良さなどクソの役にも立たない。国立大卒実務経験ゼロより、簿記の専門学校卒業して経理3年やってます、って人の方が需要があるのだ。
正社員はとりあえず無理だなーと判断し、そのうち転職すれば良いやと思って得意な英語を活かして派遣社員になった。
派遣期間中は、周囲の目を盗んで仕事をしているふりをして資格の勉強を始め、それまで最高650点だったのだが、TOEIC920点を取得。
派遣先の企業は本当に働きやすかったけれど、ボーナスなし交通費なしで給料が安かったので1年ほど働いてから予定通り転職を決意。
DODAなどの転職エージェントに登録するも、職歴薄すぎて、ほとんど転職先を紹介してもらえず。
仕方ないから求人の出ていない家から通える範囲の企業に自分の職歴添えて片っ端から問い合わせしまくったら、正社員として雇ってくれるところがあった。営業がんばった。
めでたく一部上場企業の一般職として転職が決まったが、入ってみたら仕事はないし、人間関係が超絶ブラックでメンタルを病んで2ヶ月で辞めた。
家から近くて人間関係良くて、それなりの給料が貰えるなら仕事内容に贅沢は言わない、と決めて、30社ぐらい応募して、断られ続けた。
どうせ落ちるだろうけど、別にいいやと思って気軽な気持ちで応募。
男性は自分の経歴が求人条件を40%満たせば応募するのに対し、女性は100%満たさないと応募しない傾向にあるそうだ。
Facebookのサンドバーグさんのリーン・インって本で読んだ。
それを知ってたから、求人条件を20%でも満たせば応募することにしていた。
結果、年間休日125日の中小企業でエンジニア(ITではない)として採用された。
30歳にして理転。無謀に思えたが、案外何とかなった。
ボーナスも年6ヶ月出るし、職場の人間関係も良くて、仕事は毎日楽しい。
スペック高くて参考にならんわ、って言う人もいるかもしれないけど、一番のポイントは求人条件を見て怯まなかったことだと思う。
とにかく応募しよう。
そのうち何とかなるかもしれない。
某日、『ハテアニ』の親会社にて。
「これを見てください」
フォンさんはそう言って、ダンボール箱を机に勢いよく置いた。
その中には、シューゴ監督の降板に対する抗議文、メールで届いた写しなどが大量に入っていた。
「もちろんこれだけじゃありません。まだまだ持ってきていますからね」
父たちの打開策はこれだった。
重役たちは机の上に積まれた抗議文の山を、ただ黙って見つめていた。
それには理由があった。
「更に付け加えるなら、この抗議文はスタジオにきたものだけです。皆さんの会社にも同じくらいの……或いはそれ以上の抗議文が届いたのではありませんか?」
親会社やスポンサーにも、メールなどで抗議するよう世間に促していたのだ。
そもそもシューゴ監督降板の要因は、親会社が世間の風当たりを気にしていたからだ。
その世間が味方について、逆に親会社たちの敵になろうとしているならば、方針を変えざるを得ない。
「確かにシューゴさんの言動は反感を買いやすいです。色々とコンプライアンス違反もやらかしています。でも、それは彼なりに作り手としての矜持が常にあったが故です」
「もちろんアニメというのは監督一人で作っているわけではありません。それを踏まえてなお、今の『ヴァリオリ』があるのはシューゴさんの存在が大きいですし、そしてこれからもシューゴさんなしの『ヴァリオリ』なんて考えられません!」
当然、これは側面的な話でしかない。
抗議文を書いた人間の多くは『ヴァリオリ』のファンである人たちが多く、シューゴ監督を嫌う人たちは依然変わりない。
それでも、シューゴ監督が『ヴァリオリ』に必要であるという声も強いことを、否が応でも分からせるにはベターな手段だったのだ。
「皆さん、いま一度考えてみませんか。所詮アニメもビジネスです。コンプライアンスは大事でしょう。でも同じくらいクリエイター本位であることも大事なのです。それがアニメのクオリティにも繋がり、売り上げにも繋がりやすくなる。なぜなら彼らが見たいのは、こんな水面下のトラブルではなく、あくまでアニメなのですから」
こうしてシューゴさんは、今も『ヴァリオリ』の監督を続けているってわけだ。
ここで話を終えて、めでたしめでたし……でもいいかもしれないが、現実というものは綺麗に終わらないことが多い。
「視聴率は下がっちゃいましたね……それでも十分に、人気と呼べる程度ではありますが」
「まあ、作り手が同じだからってクオリティが安定するかはまた別の話だからな。同じ監督が作っても続編でコケるなんてのは、よくある話だ」
シューゴさんはそう言っていたが、実際の出来はこれまでと変わらなかった。
大きな要因は他にあったのだ。
そういった情報に敏感な人間はバイアスがかかってしまい、アニメを楽しく観れなくなっていたのだ。
「着ぐるみの中に人がいることを分かっていても、その中身を見せ付けられると興ざめする人間が出てくるみたいなものですね」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです。それにしても、作品の内容自体は問題ないのに、こんなに顕著に反応が変わるんですねえ」
「そうです。小便を完全にろ過しても、それが元は小便だと分かってたら嬉々として飲みたいとは思いません。変態でもない限り」
「マスダさん、あなたの例えは分かりにくいです」
「えー、つまり大半の受け手にとって、アニメってのは“現実”から離れていて欲しいってことです」
「そんなものと向き合いながらだと、アニメを楽しめない人間だってたくさんいる。そして俺たちはそんな人間を区別してコンテンツを提供することはできない。物理的に不可能なんです」
「不条理ですよ、そんなの。じゃあ今回の一件で誰が得したんですか」
「そんなのオレだって知りたい。まあ、ちょっとやそっとのことでゴタゴタしたりガタガタになるってことは、そのコンテンツ自体が実は大したもんじゃないってことの証明ではあるわな。今回、馬脚を露わしただけのことだ」
なんだか釈然としない話だが、とどのつまりアニメは観たいやつが観たいようにしか出来ていないってことなのだろう。
そして、そんな人間のために父やシューゴさんたちが日々翻弄されているのを思うと、アニメ関係の仕事は割に合わないなと俺は思った。
前回の記事
1/20にこれ。
ブログ読みました。丁寧な分析とご意見、野村某よりもよっぽど誠実だと感動しています。もちろん私も反論(ばかりでもありません)すべきなのですが、今は所用で時間が取れず、勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。真面目に書いて揶揄は避けるつもりです。 https://t.co/V7KXv5B9Zh— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年1月19日
んで2/1にこれ。
ここしばらく体調を崩して貴兄へのご返答が遅れている間に、場外乱闘のような体を為しておりますが、近々、まとまった時間が取れそうなので、一連の流れも含めてご返事差し上げます。お待ちいただいているのに遅れまして申し訳ありません。 https://t.co/GfclppwTbF— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年2月1日
で、今日。3月6日。一ヶ月経っても結局なんもなかったという話です。
別に批判も反論も自由だから返事返ってこないのは良いんだけどさ、
まあ、個人的に感じるのは「その程度の覚悟だったのかな」ってことで。
当然バイアスはかかってる上での発言ですけど、演劇人大体「もう皆けんちんさんの理論が破綻してる事くらい知ってるよ~」みたいな意見しか聞かなかったんですよね。
好意的に引用・紹介してるのが、薙野信喜さん以外は自分の視点からは確認が出来なかった。
薙野さん、よかったらこれからもけんちん君と仲良くしてあげてね。
ご自分で「勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。」って言ってくれたのに
その後何の反応もなかった。残念です。
各団体とか演劇人が音沙汰ない事に対してスゲー鬼の首取ったかのように怒ってたのになぁ。
個人的な感想ですけど、結局、九州演劇腐ってるおじさんは界隈を変えたい!っていうより
ポリコレを振り回すのが楽しかっただけなのかなーっていう思いです。
ご本人が
とか
みたいな事を仰っていたので
きっと、きちんと理論立ったセクシャルハラスメントの実情とか実名込みの裏事情だとか
主語を拡大しないきちんとした批判とかをしてくれるのだろう、と楽しみにしてたんですけどね。
たまに更新される日記とtwitterからはソシャゲとアニメでウッキウキしてる様子しか伝わってこなかったですね、残念。
マギレコが楽しそうで何よりです。
結果的に、「僕の知り合いの演劇人は~」と業界人ぶってみても、
現実を見つめてみれば何者にもなれない悲しいおじさんが一人ネットの片隅で、
気が向いたときだけ「九州の演劇界は腐ってる!」って駄文を投稿するだけだった、という。
でもってこの騒動に関しては(多分)終わりです。もう書く事ないもん。
はあちゅうのツイッター見たらいまだに童貞をイジってて笑った。
ま、これ以上あいつに言及するのは炎上商法に加担することになるのでやめる。
でこの時期というのもあって、ふと気付いたのだが童貞と浪人生って似てるんじゃないか?
「ストレート入学=20歳までに童卒」として「一年浪人=童貞歴に+3歳」ぐらいで加算してくと丁度いい。
多くの人が身の丈にあった目標設定をして、それ相応の努力を重ねてストレート入学する。
でも色んな人に話を聞いてみると一浪(童貞でいうと21~23歳)ぐらいなら全然居る。
二浪(童貞でいうと24~26歳)になると数は減るもののまあ居るレベル。
三浪(童貞でいうと27~29歳)になってくると、そろそろヤバめって感じがジンワリ出てくる。
この辺りを突破して更に年数を重ねると周囲の風当たりがグッと強くなってくる。
「理想高い」「周りは皆もう社会人」「家族の身にもなれ」「逃げてるだけ」と突っつかれる。
・努力が足りてない
・身の程知らず、目標設定が無茶過ぎ
・そもそも圧倒的に向いてない、適性がない
で、そんな暗鬱とした奴らを見てイジってるのが一部のストレート入学した連中だ、ってことだね。
「そもそも勉強の仕方が悪いんじゃないの?w」「裏口入学(=ソープ)でよくねw」
「俺のときはさ・・・(以下自慢)」「それだけが人生じゃないよw」とか言ってるわけ。
ストレート入学組にとってはとっくに済ませた出来事なので気付かぬうちに上から目線だ。
いや、上から目線っていうか子供に接するような目線になってしまっているのだと思う。
自転車に乗ろうと練習してる子供とかに接するような感じかな。相手も同年代なのにね。
で、いつまで経ってもできないと見てる側もやっぱりイライラしてくる。
最後は「俺はこれで出来た!出来ないお前がおかしい!」っていう
「○○という社会問題は人類にとって重大な議題であって、議論討論や是正運動への参加をしなければならない。参加しないのは人として終わっている」くらいの勢いで人格の否定をチラつかせながら迫ってくる連中が本当に嫌だし、そういう風潮も嫌いだ。
どんな社会問題であれ、好きに議論討論したら良いと思うし、是正しなければならないと思うのなら是正運動を頑張って欲しいと思う。
でもね?その運動に私を巻き込まないで欲しい。
私が参加したいものは私が決めたいし、深く考え議論したいものも私が決め、応援したい運動も私の自由意志で決めたいんだ。
「社会・伝統・文化的な教育やバイアスがどうので君の思想は云々」とかって言うけど、人格の否定をチラつかせて参加を半ば強要するってどうなの?
卒業間近になり卒論だの就活だので時間的にも金銭的にもいよいよどうにもならなくなってやっと風俗という選択肢に気付いたんだけど、もっと早く気付きたかった。
折角大学に行ったのに、勉学に打ち込む余裕もなく、最低限の単位を取るだけで精一杯になってしまった。
でも風俗は心身ともにきつい仕事だし、長く続けたら同じように心が折れていただろうとも思う。
そしてなんとか大卒の資格を手に入れたけど、高校から借りていた奨学金は結構な額になっていて、返済しながらの生活はまだ豊かなものとはいえない。
私も貧乏の連鎖から抜け出したくて藻掻いたけどなかなかままならないね。
貧乏は本当に嫌だ。
親に学費や生活費を援助してもらって大学生活を満喫できる友人たちを羨ましく思ったりして、そんな自分の性格の悪さも嫌になった。
差別とは何か?と差別は悪か?の認識がそれぞれ違うために余計に悪感情を煽ってしまっている印象
なので いったんみんなの「差別に関する認識」を可視化することにした。
以下がたたき台なので、もしよかったら内容や統計手法にご意見くださいな
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目的 議論参加者の差別に関する認識をクリアにすることで 冷静で建設的な議論が進むようになること
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
2) 1)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
4) 3)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
6) 5)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
8) 7)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
10) 9)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
11)形式的区別を、客観的事実ないしは科学的見地に基づき適用することは?
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
14) 13)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
15)形式的区別を、それぞれが機会を平等に得るようにしたうえで適用することは?
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
16) 15)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
(e.g. ○○割)
1. 差別ではない
2. 差別度は低い
3. わからない
4. 差別度は高い
18) 17)はなくすべきことですか?
1. なくさなくてよい
2. どちらというとなくさなくてよい
3. わからない
4. どちらかというとなくすべきである
5. なくすべきである
1. 同じではない
2. 似ているが違う
3. わからない
4. 違うようだが同じ
5. 同じ
20) 19)で1or2とお答えした方、
22)ほか、ご感想をお聞かせください
ご協力ありがとうございました。
「男は~」「女は~」「日本人は~」なんていう主張をしたときには、しばしば「主語がでかい」という反論を受ける
もちろん「人それぞれ」なのは間違いない
しかしながら、主語のでかい話をしているときは一般的傾向について語っているのだ
それだけの話である
自分の周りがそうであるというだけでは、バイアスが強すぎて一般的傾向を語っているとは言えない
自分の周りをソースに話をするのであれば「私の知っている男は~」「俺の周りの女は~」という切り出しが適切である
自分の主張の源泉である事実と主張との間に齟齬があると理論性が損なわれる
しかし困ったことに、容易に反論が可能な不完全な理論ほど波紋を呼び、議論が加熱する
理由:
何かを貶める価値観が混ざった文章は、デマあるいは有害である蓋然性が高いため。他人に悪印象を刷り込もうとする発言は、偏った知見や利害の対立等の要因によって歪んだ認識に基づいていることが多い。よってシェアするべきではなく、ほとんどの場合シェアする必要もない。
補足:
善意にもとづく有益そうな投稿でも、そうした「○○下げ」を含むものはシェアしないほうが望ましい。よほどその分野に精通した専門家でもない限りは、批判的情報の正当性を一般人が担保することは難しい。ネットや本で得た知見によって自分は専門家なみだと誤認してしまいやすいバイアスもあるため、謙虚であること、アクションの前に一呼吸置くことが肝要である。
昼飯時に嫁さんとそんな話をしてた。夫婦ともに漫画好きなのでその頃の漫画の話が大半で、けっこう同じような漫画を読んでいたようだったんだが、普通の本となると男女でちょっと違っていた。
俺はズッコケ3人組、ホームズ、ルパン、乱歩あたりを好んでいた。それ以外にも海外の少年探偵団ものがあったはずなんだがタイトルも何も忘れてしまった。嫁さんは伝記や困ったさん、青い鳥文庫、モモを挙げた。特にモモは何度も読んだそうだ。(俺は一度も読んだことがないのだがあきれられそうだから黙っていた)
自分としては別に男らしさなんて志向していないつもりだったけど、それなりに選書の時点でバイアスがかかっていたのかーなんて思った。それとも男女で好きな傾向は間違いなくあるのだろうか。
ほんの50年ぐらい前まで日本人は本当に救いようがないほど頭が悪くて根性論で生きてきていたって事がたった四文字で理解できる。
たった四文字だよ。
その四文字の中に、この国の人間が如何に頭が悪くて将来を考えてなくて今現在のことすらろくに見えてなくて根性論と生存バイアスと偏見と目先の成功ばかりに包まれて無知無能の渦の中で偉そうに出来もしないことを掲げては見えを張り合っていたことが伝わってくるんだよ。
凄いよ。
何で日本人が戦争に負けたのかの理由すら「日本人は頭が悪かったから」で説明できてしまうことすらこの四文字からは想像できるんだ。