で、女性だけの街とか#MeTooとかの界隈の話だけど、あれは基本的に男性が肉体的、社会的に女性よりも強い立場にあるということから生まれて来ているものだと思ってる。それが不平等だという意識は私にもある。が、じゃあ平等にしろよ、とは思わない。性差をなくすことは不可能だからだ。どんなに理想を唱えても、男性の方が女性よりも強い肉体を持っていることは覆せないし、社会的不平等の方はどうにかなるかもしれんとは思うけれども出産が社会システムの構成要素になっている以上女性と男性にどこかで差が生まれてしまうのは致し方ない。囲碁で言うコミみたいなものがどこかでつけられればいいけどね。
カマキリはメスの方が肉体的に強い種だ。なんせ生殖後、オスのカマキリはメスのカマキリに食べられてしまうのだから。
そんなカマキリはオスとメスの性差をどう捉えているのか?肉体的に強いメスがオスを虐げているのか?それとも、肉体差関係なく何らかの理由でオスの方が優位にあるのか?カマキリに性犯罪があったとしたらそれはどのような形なのか?
たぶんそれは、人間社会のそれらとは全く違った様相を呈しているだろう。
だからこそ思う。思考や意志というのは肉体からは逃げられないのだと。だから、男性と女性には見えている世界が違うし、どうしても分かり合えない溝というのがどこかにある。
ならばどうすればいいのか?
まずその溝の存在を認めることから始まるのだろう。男女には性差があるし、その性差は実は思考にも大きな影響を与えている。それを認めてからじゃないとお互いがどのような考えを持っているのか想像するのは不可能だろう。
きっとその想像力にも男女の性差バイアスがかかっているだろう。でも、そこにバイアスがあるということがわかっていれば、その影響を抑える補正を加えることも男女共にできるはずなんだ。
我々がやるべきことは殴り合いじゃなくて歩み寄りだと思うのならば、まず、カマキリ社会の男女論という思考実験をしてから、人間社会の男女論を考えてみるのがいいのではないだろうか?