はてなキーワード: ショッキングとは
コメント読んで、単価、フリーソフト、中抜きやピンハネについてのみ言及しときます。
未経験で入社したというのと、客先は3つ経験したのですが、これは2つ目の客先の単価だからです。
だいたい入社してから5ヶ月経った時の単価で、ある程度の予想が含まれます。
この時は仲介業者(大手SIer)の営業さんに「安ければ安いほどいいので業務経験がなくても大丈夫です」などと言われて入った客先なので、安く買い叩かれてて当然だと思います。
たぶんISMSの規約とかに「フリーソフトは個々でダウンロードせず、一括でダウンロードしたインストーラーをプロジェクト参加者で共有すべきである」とか追加されると、変わるのではないか、と思います。
実利益の2/3ほどを会社の運営費にしないと会社がうまく回らないというのは知っています。
そのため単価60〜70万が20ほどに減るのは一般論的には変なことではないのも知っています。
単価が目に見えるのがかなりの悪であることと、普通の派遣会社を経由した時給でのお仕事であれば同じような仕事をしているのに2/3も削られないため、ピンハネされていると考えてしまうのだと思います。
ぼやかすために過ちを借金だと仮定すると、完済済みかつ世代平均程度貯金がある状態。
ケンカになったり、妻の気分が下がっていたりすると、その過ちが話題に挙がる。
当然、私が悪い。それは分かっている。が、何度も何度も言われることで、少し言い返してしまう。
そうなったらゴングが鳴ることなんて分かっちゃいるけど、自分にとってオーバーキルな責めに感じて言い返してしまう。
さすがにこっちがぶったりするとお縄案件なわけで、そこは我慢しているが、どうもお口が滑らかになってしまい、矛盾追及・揚げ足取りなどを駆使した口撃をしてしまう。
俺にとっては、腕にアザができるくらい殴られていることを根拠に「DVを受けている」と感じているし、一方妻はおらの口撃を根拠に「精神的なDV、モラハラを受けている」と感じていることだろう。
さて、こういう議論に際して「いや、お前がそもそも過ちを犯さなければよかったのでは?」みたいな意見があるが(実際妻からは言われる)、それはちょっと詭弁じゃないですかねぇと感じてしまう。
そんなこと言ってるから「反省」していないように思われるんだけどね。
「反省」ってなんだろうね。。。
当時は震源地からは離れたところに住んでいて、揺れも小さいものだった。
しかし、「地震怖いね」なんて言いながら帰った家で見たニュースは衝撃的だった。
忘れたくても忘れられない、私が経験した中で一番ショッキングで大きな出来事だ。
しかし、それからもう8年も経ったらしい。いや、まだ8年というべきだろうか。
確か、Yahoo!はすぐに震災義援金を募り、自らも支援していた気がする。
そして今も、各「3.11」検索ごとに10円募金する、という取り組みを行っている。
各著名人がこぞってSNSでこれをシェアしているのをよく見かける。YouTuberが多い気がするのは偏見だろうか。
「もちろん私も検索しました。震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。」
私はこれに違和感を覚える。
確かに今私たちがすぐできることは、検索することなのかもしれない。
たかが10円、されど10円。1万人が検索すれば10万円になる。
それが復興のために役立たれるならそんなに嬉しいことはない。
いやでも待ってよ。
それは、わたしが払った10円ではなく、Yahoo!が払った10円じゃん。
え、なんでそれで「今年も募金した!」って言えるの?
確かに8年経っても震災を風化させず、まだ義援金が必要な現実に目を向け、1人でも多くの若者の意識を変えることは立派だ。
ヒカキンさんとか、これに限らず多様な支援方法を昔シェアしてたしね。
いやでもそんなに「ご冥福をお祈り」するなら自分の財布から出せばいいのに。
YouTuber、金稼いでんなら(実際は募金してると思うけど)自分の財布から出せばいいのに。
間違ってない。でもこれで褒められるのはYahoo!のみだよ、Yahoo!が応援してるんだもん。
応援してるYahoo!を応援してる立場で、応援した気になってるの不思議。
Yahoo!の財布に頼って支援したって胸を張ってるのが謎だなって思い投稿しました。
ごめんなさい。
日本語がまともに読めない日本人が世の中に大勢存在するというのはショッキングな事実などではなく、普通は中学の段階で察する常識だ。公立校の教師は頭が悪すぎて優秀な生徒に呆れられているし、クラスメイトの大部分もやはり頭が悪くテストの平均点はいつも異常に低い。この事実を知らない人は中高一貫校の私立出身なのだろう。
ところで、「新書」と言ったら普通は「岩波新書」「ちくま新書」「講談社現代新書」「中公新書」などを指すが、世間の人たちは割と「ハードカバーの新刊」のことだと思っていたりする。
新書はあまり賢くない人たちでも読めるように易しく書かれたものがほとんどだ。だが世間のあまり賢くない人たちははあまり賢くない人たちに向けて書かれた新書すらまったく読まない。読まないから存在すら知らないのか、存在を知らないから読まないのか。とにかく彼らは新書という言葉を知らない。専門書など読まないし読めもしない彼らが直接的に知へアクセスするのは難しい。だからこそ新書がある。あまり賢くない人たちでもその気になれば知へアクセスできるようになっている。だが、その新書が存在すら知られていない。これではあまり賢くない人たちは人生において知に触れる機会がほぼまったくないということになるのではないだろうか。
おそらく彼らには知に触れるという発想自体がない。彼らにとって世の中はとにかく簡単で、いつも通りの馴染みのやり方ですべてが解決が可能で、すべての情報は彼らが既に知っている情報の確認でしかない。だから新しい考え方というものを知らないし、当然多様な考え方があることも理解できない。「今までこれでうまくいっていたのに!」となる。ネットでもよく見た光景である。
読まなくてもいいので新書というものの存在くらいは知っておいてほしいと思う。ふと気が向いた時に扉をあけてみたらいい。扉があることを知らなければ開けようもないが。
おそらくテレビCMや街に貼られたポスターには厳密な決まり事があると思われる。
そもそもWEB広告にはそういった表示方法や表現の決まりごとを定めたガイドラインって無いのかしら?と思って軽く調べてみた。
■インターネット広告倫理綱領及び掲載基準ガイドライン (http://www.jiaa.org/download/JIAA_rinrikoryo_keisaikijyun.pdf)
本ガイドラインは、本協会がこれらの必要性を認識し、インターネット広告の健全
な発展のため、インターネット広告倫理綱領を制定し、さらに、その趣旨に基づき、
とあるので、会員社一覧(http://www.jiaa.org/about/memberlist.html)にある271社はこのガイドラインに基づき広告制作・掲載を行っていると思われるが、このガイドラインは指針として定められたもので、参加各社が独自に定める広告掲載基準が優先されるとのこと。
1ユーザーとして気になるのは「誤操作を期待する悪質な表示方法に規制はあるのか」「過剰な性表現はどこからがアウト・セーフライン」か、なのでそれらしい所を抜粋する。
・ 消費者等を騙したり、脅したり、欺もうしたり、惑わせたり、不安にさせたり 14
するもの。
とある。
■読者を増やすためだと言えど…電子コミックの過激なバナー広告について議論(http://otakei.otakuma.net/archives/2017012801.html)
上記のように「エロ」「グロ」ショッキングなシーンを切り取った漫画のバナーもたくさんある。
性に関する表現が露骨なもの、 醜悪、残虐な表現で不快感を与えるもの、には当たらないのだろうか。
■スマホの「エロ広告」はなぜ許されている?(https://lmedia.jp/2014/10/09/57020/)
結局法律で規制出来るものでもないし、各事業者団体や広告掲載サイトの自主規制に頼るしか無いらしい。
美少女キャラが胸をさらけ出し惚けた顔で「はやくきてっ…♡」とか言ってようが、
伏せ字で「ブスのま○○に…?!」の見出しとともにセックスしてようが、クリックする人が居て、その広告に一定の効果がある以上規制はされないんだろうなあと思う。
「誤操作を期待する悪質な表示方法に規制はあるのか」については、特にガイドラインに書かれてなかった。
・ユーザーのパソコンに無断でソフトウェアがインストールされる。
・ページが他の点で AdSense プログラム ポリシーに違反している。
・ページが著作権で保護された第三者のコンテンツを無許可で配信している。
・このウェブサイトは、情報の開示およびパーソナライズド広告や Cookie の使用に対するエンドユーザーからの同意の取得(法律で義務付けられている場合)に関して、Google の EU ユーザーの同意ポリシーを満たしていません
おそらくポリシーを違反していれば配信停止なり何らかの処置があると思われる。
「ページに広告のクリックを誘導する内容が含まれている。」とあるので、誤タップを狙って画面上から降りてくる、閉じるボタンを押そうとすると間違ってクリックしてしまう場合は報告出来るはず。
各社広告バナー右上なり左上のinfoマークをクリックすると「広告に関するご意見・ご感想フォーム」に遷移出来るものが多い。(無いものもある!)
「広告の表示方法が不適切」「広告画像、文言が不適切」などの選択項目が用意されているがあまり期待しないほうがいいと思う。
バナー配信や広告掲載の際に何らかの審査があるはずで、配信されているバナーや媒体は審査を通ってるんだよね。
そのインターネット広告の会社がそれで問題ないって倫理観だからしゃーない。
過激な広告の報告・規制が機能していない以上、ユーザーとして出来るのはアドブロックを入れることぐらいなんだけど、
倫理的に正しく運用されている広告まで完全にシャットアウトしてしまうのはコンテンツのタダ乗りになるんじゃないか?という気持ちもありつつ、まあWEB広告が正しく運用されればアドブロック入れないしねっていう。
テレビCMのように数多くの人の目に触れるものでも無ければ、ポスターのように公共の場で不特定多数の目に触れるものじゃなかったんだろうけど、これだけインターネットやスマートフォンが普及して来た今、もう看過出来ないと思う。
各社の自浄に期待したいところだけど、
アサシンクリードオデッセイは古代ギリシャ的な世界で基本的にみんなすごい当時の神々に対してとても信心深いのだけど その中で「なんかひどい目にあった結果神を全く信じられなくなり、マフィアのようなものを作ってひどいことをする人」が出てくるんだけど こういった人物は海外の作品だとよく登場するような気がしないでもない。
これが欧米的な宗教観なのかなあと思う。 「この世界に神は存在しない」というのはまあ事実であるわけだけど、「神はいない!だから何をやってもいい!」という方向に行くことが多いから それを抑えるために宗教があるというところまでがある程度は共通認識としてあるのではないか。
日本的な価値観では神がいないという事実をショッキングなものとして扱うことはないだろう。 でも日本人にとっては「無神論=虚無主義」ではないだけで、虚無的な精神状況になることはもちろんあるのであまり変わりはない。
ゴーストうんこ 出たと思って下を見ると、便器には落ちてない。でも紙にはちゃんと付くうんこ。
クリーンうんこ 出たと思って下を見ると、確かに出ている。でも紙はよごれないうんこ。
ウェットうんこ 50回ふいても、まだ付いている気がするうんこ。万一のことを考えて、パンツにトイレットペーパーをあてがってトイレを出ることも。
セカンドうんこ 終わってパンツを上げかけたところで、再びもよおすうんこ。試してみると、確かにまだ出る。
ヘビーうんこ 食べ過ぎ飲み過ぎの翌日のうんこ。重くて流れにくい。
ロケットうんこ すごい速度で出てくるので、パンツをすばやくおろさなくてはならない、そんなうんこ。
パワーうんこ 勢いがあるので、水がピチョンとはねかえってくるうんこ。広範囲を拭かなくてはならない。
リキッドうんこ 液状で、一般に痛みと音がすさまじいうんこ。3日たっても肛門が痛いことがある。
ショッキングうんこ においが強烈なため、便後1時間は誰もそのトイレに入れない、そんなうんこ。
アフターハネムーンうんこ すぐそばに他の人がいても、平気で音とともに出せるようになる、そんなうんこ。
ボイスうんこ あまりにも固くて切れないので、出すのにかけ声が必要なうんこ。
ブレイクうんこ 量が多すぎるため、休憩をとっていったん水を流さないとあふれてしまううんこ。
バック・トゥ・ネイチャーうんこ 森の中や田舎のあぜ道、時にはビルの地下などにナチュラルにしてあるうんこ。
インポッシブルうんこ 絶対にトイレに行けない状況のときにもよおすうんこ。すべてをあきらめるか、バック・トゥ・ネイチャーうんこしかない。
夢の中で大学の大講義室で座ってて2つ左隣に知り合いが座っててどっか行きそうだったからオレもついてこと思って立ち上がったら空気がサウナっぽくなっててそのせいかどうかしらんけど夢の中なのにすんごいめまいとたちくらみがしてふらふらしながら待って待ってと言ってる夢
夢占い調べたら
弱気なココロを示します。自信をなくしていたり、臆病になっていませんか?ついついマイナス思考になりがちのようです。そんな弱さが運を逃がしてしまいそうです。時には強気に強引さも必要です。何事にも積極的に活動的に行うことが開運のカギとなりそう!今は弱気は厳禁!プラス思考を心がけて!
自信を突き崩すような、ショッキングな出来事を経験するかもしれません。
冒頭でもご紹介した通り、血は生命力や活力を表し、その貧血によって足元がふらつく夢は、激しいエネルギーの消耗を意味します。
もしかしたら、沢山の時間と労力を費やしたのに、思うような結果が得られないなどの落胆するような場面に遭遇するかもしれません。
ふーん
ここで語る萌え絵は00年ごろに完成したエロゲの表現様式としての絵柄を指す。なぜならそれが初めて萌え絵と呼ばれた絵柄であったという歴史があるからだ。
現代の感覚で萌え絵の範疇を広げた挙句その源流を少女漫画やらミュシャやらに求め出すアホはすっこんでろ。
さて、現在萌え絵と呼ばれている絵柄は幅広いが、元々萌え絵とは00年頃に絵柄が完成したエロゲ絵のみを指していた。
萌え絵は少女的無垢性を表現したものという言説もあるが、そんな綺麗事は萌え絵が一般のアニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えて却って薄まってしまった現代だからこそ言える戯言であり、元は少女が脱いで媚態を晒すシチュエーションとセットであったことを忘れてはならない。
しかしながら完成した萌え絵がエロとセットであった期間は非常に短い。多分10年もない期間のことだろう。具体的には、Windows98の発売によりPC向けのエロゲーで表現できる絵が豊かになった98年頃からCLANNADが発売した04年までだ。
萌え絵の完成というのは当時のオタク界にとってはエポックメイキングであった。
ここで当時の萌え絵の特徴について整理したい。
まず、よく挙がるのが非常に大きな目の表現である。これが萌え絵の大きな特徴であることは間違いない。ただ、ここだけを以って萌え絵の源流は少女漫画だと語る人も多いがそれは間違いだ。萌え絵と少女漫画には大きな隔たりがある。それを作っているもう一つのキーワードが立体感である。
萌え絵には大きな目の他にもう一つ、丸っこく柔らかい影をつけて体の立体を表現しているという特徴がある。その表現は平面的な水彩塗りを主とする少女漫画には存在しないものだ。そしてその表現は、女性の裸体を質感をもって表現するという必要性と、当時のCG塗りに使われていたPhotoshopのエアブラシというツールの二つが合わさって発明された。
立体感を持つ体に大きな目が合わさって初めて萌え絵となったのだ。
この萌え絵という表現様式は控えめに言っても非常に優れていた。可愛いとエロいを初めて両立させた絵柄だったからだ。
それまでのエロ絵と言ったら劇画調のものが主だった。一方で可愛い絵と言ったら少女漫画か吾妻ひでおあたりで、これらにエロティシズムを感じるのは当時のオタクの定義でロリコンと呼ばれたオタクの中でもさらに一握りの人々だけだった。つまり、このころはまだ可愛いとエロいは両立していなかったのだ。
それを両立させた萌え絵がエロゲーというジャンルから現れたのは必然であった。
そして萌え絵がエロとセットになっていた時代を終わらせたのは、エロゲー界に流行った泣きゲーというジャンルの物語だ。
泣きゲーというジャンルのエロゲーは、Key、Leafといったエロゲーメーカーが得意とするものだった。いわゆる葉鍵系である。これらのメーカーが出すエロゲーはエロゲーでありながらエロはおまけ的であり、その価値は泣かせる物語にあった。
この泣かせる物語は正直エロとは相性が悪かった。だが、萌え絵にはそれらの物語ともマッチする懐の深さがあった。萌え絵はエロのみに価値があるわけではなかったのである。
これらの物語と萌え絵のマッチは、元はエロゲーの絵柄として発生した萌え絵からエロを剥がすことに成功した。
そしてそれから萌え絵はエロゲーを表現する絵柄であったというコンテキストから解放され、アニメ絵、マンガ絵に多大な影響を与えていくのである。その過程で萌え絵自身もどんどん進化していき、今となってはエロティシズムとは無縁の絵柄に到達したものもある。
一方で、エロゲーの絵柄としての萌え絵も残り続けた。可愛いとエロいを両立させ続けている絵柄だ。
さて、ここで萌え絵を性的なものだと言って批判する人々が連想している萌え絵とはなんなのか考えてみよう。
今のオタクが萌え絵と言って連想するのはエロのコンテキストから引き剥がされた現代の萌え絵だ。
だが、萌え絵を性的だと殊更に槍玉にあげる人々が連想しているのはエロのコンテキストにべったり沿った、いわゆる原義通りの萌え絵だろう。それらは主流派ではなくなったが今でもまだ存在している。
これでは両者の話が噛み合わないのは当然である。
さらに萌え絵を性的だと批判する人々がなぜ萌え絵を特別視するのか考えると、そこには萌え絵が実現した可愛いとエロの両立が非常にショッキングなものであることが大きな要素になっているだろう。
萌え絵以前はエロといえば劇画であり大人の世界のものであった。一方で可愛いといえば少女漫画であり、子供、特に女の子のためのものであった。しかし萌え絵は可愛いの世界にエロを持ち込んだのだ。
これが子供を守る親の視点から見て、ショッキングでないはずがない。
だから私自身は萌え絵が好きなオタクであるが、個人的には萌え絵を批判する非オタクの大人の批判も宜なるかなと思っている。
そして、萌え絵といえばエロゲー用の絵柄であったという歴史に目をつぶり、萌え絵はエロくないと言い張って萌え絵批判を批判するオタクには幾らかの憤りを感じる。
重要なところを復習する。
まず、初めて萌え絵と呼ばれた絵柄はエロゲー用に完成された可愛いとエロを両立する絵柄であること。
それは一般的に見て非常にショッキングな絵であり、それを受け継いだエロい萌え絵が今も存在していること。
これらを今のオタクは忘れてしまったのだろうか?少なくとも今のアラフォー以上で20年くらい前からオタクをやっていたような人は覚えているべき歴史ではないのか?
これらの歴史をまるでなかったかのように扱い、萌え絵はエロいという人を一方的に非難するのは非常に不誠実ではないだろうか?
今萌え絵と呼ばれている絵柄は非常に豊饒で、エロとは無関係のものが主流だ。それは確かな事実である。
一方で萌え絵はエロゲ絵から始まり、今もそれを引き継いだエロい萌え絵が存在するのも事実である。
普通に考えて、萌え絵を性的なものだと批判する人々が連想しているのは後者だ。前者に引きずられて後者を連想している場合もあるか。
ゴーストうんこ 出たと思って下を見ると、便器には落ちてない。でも紙にはちゃんと付くうんこ。
クリーンうんこ 出たと思って下を見ると、確かに出ている。でも紙はよごれないうんこ。
ウェットうんこ 50回ふいても、まだ付いている気がするうんこ。万一のことを考えて、パンツにトイレットペーパーをあてがってトイレを出ることも。
セカンドうんこ 終わってパンツを上げかけたところで、再びもよおすうんこ。試してみると、確かにまだ出る。
ヘビーうんこ 食べ過ぎ飲み過ぎの翌日のうんこ。重くて流れにくい。
ロケットうんこ すごい速度で出てくるので、パンツをすばやくおろさなくてはならない、そんなうんこ。
パワーうんこ 勢いがあるので、水がピチョンとはねかえってくるうんこ。広範囲を拭かなくてはならない。
リキッドうんこ 液状で、一般に痛みと音がすさまじいうんこ。3日たっても肛門が痛いことがある。
ショッキングうんこ においが強烈なため、便後1時間は誰もそのトイレに入れない、そんなうんこ。
アフターハネムーンうんこ すぐそばに他の人がいても、平気で音とともに出せるようになる、そんなうんこ。
ボイスうんこ あまりにも固くて切れないので、出すのにかけ声が必要なうんこ。
ブレイクうんこ 量が多すぎるため、休憩をとっていったん水を流さないとあふれてしまううんこ。
バック・トゥ・ネイチャーうんこ 森の中や田舎のあぜ道、時にはビルの地下などにナチュラルにしてあるうんこ。
インポッシブルうんこ 絶対にトイレに行けない状況のときにもよおすうんこ。すべてをあきらめるか、バック・トゥ・ネイチャーうんこしかない。
タイトルの通りなのだけど、VRやってみて一番に面白いなって思ったのは人間って、次に来るだろうショックに備える機能がかなり充実しているってことだった。
例えばジェットコースターVRを見ると、次に身体が振られるであろう方向に対して、何も考えなくても身体が勝手に衝撃に対して反対方向に身構えようとする。
こんなのはわかりやすい一例だけど、VRの面白さはそれだけじゃない。
例えば雪山にいるVRを見ると、身体が実際に寒さを思い出すようになる。
最初は視覚情報から寒さを感じてるのかなって思ったのだけど、どうも違うっぽい。
なんでかというと、寒さを感じるタイミングが少しだけ早い。
寒さって、風があたった直後に感じるんじゃなくて、その後体温が奪われてから初めて感じるのだけど、寒気は風が当たると同時に全身を駆け巡る。
最初は何だこれって思った。
映像の中で、動物が実際に近づくよりもほんの少し先に、鼻の奥に動物の匂いらしきものがふわっと広がるような感覚になった。
でも実際に映像が近づいたところで匂いはない。だから自然と鼻の奥の匂いも消えていく。
追体験なら匂い残っててもいいんじゃない?っていうのが最初の疑問だった。
それでまあ下品な話になるのだけど、疑問が確信に変わったのはVRAVを見ていたときのこと。
VRでAV見たいっていうのは、隠しもしない下心だしでもロマンだからわかってほしい。
普通のAVではありえないような距離に女優さんが近づいてくる。
そうすると、これまた女優が実際に近くなる手前で、香水やらファンデーションやらの匂いが鼻の奥に蘇ったのがわかった。
次に女優が口元に顔を近づけてくると、今度は口臭が鼻の奥にふんわりと広がる。
そうやって、女優の身体が近づくたびに、その場所にあるかも知れない匂いが鼻の中に広がっては消えてを繰り返した。
VRすごい!面白い!って大興奮してから、その後すごく冷静になってから考えてみた。
これってもしかしたら、次に訪れるべきショックを事前に体内で再現しておくことで、本来のショックを和らげようとしているんじゃないかって。
考えてみると辻褄が合う感がやばいんだよね。
突然予想もしてない臭いを嗅いでしまったときって、結構ショッキングだったりする。
でも、事前にこういう臭いが来そうだな!って感じてるときは、うわーくせー!って思うけど、実際にはそうでもなかったりする。
例えば美味しい美味しい茶碗蒸しでも、冷蔵庫にあってプリンだ!って思い込んで食べると吐き出したくなるような衝撃を受けるじゃない?
あれって、口の中がすでにプリンの味になって、それなのに甘みのない茶碗蒸しが飛び込んでくることによるパニック状態なわけだよね。
人間ってすごい!
視覚情報から次に起こるべきできごとを、事前に少しだけ追体験させておくことで衝撃を常に和らげるように出来てる!
結構すごい発見だと思うのだけど、これってAIに活用できないかな。
ギロチンの話はわからないけど、もしかしたら似たような経験を一度したことがあって、身体がその時の衝撃を覚えていたのかもね。
それはそれでこわい話だけど。
でもきっと、一度でも身体が経験したことであれば、その追体験を視覚情報でさせることは比較的簡単かもね。
このままだとPTSDをただただ悪化させるだけな気がするけど、あとはえらい人が考えてくれそうな気がするよ。
このことを踏まえてVRやってみて。
納得感がすごいはず!
オリラジ中田の育児記事を読んで、そもそも最近見ないから何してんの?って思って調べたらサロンビジネスに手を出しているっぽい。
https://www.nakataatsuhiko.com/salonentrance
月額1000円で人を集めてバーベキューとかやっているみたい。
今売っている週刊新潮によると、会員にライブのチケットを渡して売らせたり、ビデオの撮影をやらせたりしているらしい。しかもタダ働きとのこと。金払って働かされる……まぁ人それぞれの消費の仕方がありますけどね。
そして、個人的に一番「うわっ」と思ったのが中田が展開しているオリジナルグッズ。その名も「幸福洗脳」。
https://www.happybrainwash.com/
Tシャツやスウェットに「幸福洗脳」と書かれているだけの安っぽいシンプルなデザイン。価格はなんと1万円。先ほどの週刊新潮によるとラジオで「ディープなファンなら買え」と煽って「一週間で半年分のギャラを稼いだ」と豪語したらしい。「幸福」と「洗脳」っていうなかなかなフレーズの合わせ技。これはショッキング。サイトの煽り文句にも「誰かが押しつけてくるつまらない幸福を捨てろ。社会の洗脳から解き放たれろ。」というどこまでマジなの、という。
そしてサロンの会員には自分のことを「御神体」って呼ばせているようだ。
きたぁー!!!!
ついに幸福洗脳を着た御神体が地上波に〜😎💓
ラジオ聞いてからこの日をずっと待ってました…☺️
ほんとかっこいい!!!
似合いますなー(*´-`)💕#幸福洗脳#中田敦彦 pic.twitter.com/idy34yIZ1s— あみ🕶 (@sakure_abab) 2018年10月23日
※この話はすべてフィクションです。実在の企業・人物とは関係ありません。
ブクマ数に驚きました。
いくつか補足させてください。
本文で書いたとおり、私個人は小上さん(仮名)に対して良い印象がありません。
ただ、今回の小上さん(仮名)たちの行動自体は好意的に捉えたいと思ってます。
今回の報道がなければ多くの人があの会社のことを知ることはなかったでしょうし、私もOさんの件を耳にしなかったはずです。
これまで私があの会社のことで辛い思い出を抱えつつも発信できなかった理由のひとつに、「自分が感じているほど大した問題ではないんじゃないか?」という疑念があったんだと思います。
ただ、今回の件に対する世間の反応をみて、また記事を客観的に読んだ私個人の感覚としても、やはりあの会社はめちゃくちゃだったんだと、ようやく確信できました。
今回の件、小上さん(仮名)たちが主張している内容が真実かどうかはわかりません。
でも、以下に書いたような私個人の体験と照らし合わせると、彼らの主張の多くに真実味が感じられます。
それと、社長よりも小上さん(仮名)から叱責を受けることのほうが回数としては多かったと書きましたが、心の傷の深さでいえば、社長によって負わされたもののほうがずっと大きいです。
本文にも書いたように、回数こそ数えるほどでしたが、1回1回が大きなトラウマになっています。
ネットの関連記事でも小上さん(仮名)の写真は見れても、社長の顔は未だに正視できません。
私はあの会社を離れて以来、関西弁を喋る男性自体に苦手意識が芽生えてしまいました。
(関西の人、ごめんなさい)
本文で、辞めた理由、気持ちが途切れた理由をいくつか挙げましたが、ひとつ大事なことを忘れてました。
ある営業先の担当者の方と1対1で打ち合わせしていたときのことです。
改まった口調でこう言われました。
「あなた方の会社は・・・怖いんです。普通は私たち担当者と話をしてから順番に進めていくのに、いつもいきなりうちの社長との間で結論を出してしまって、それから私たちのところに話がトップダウンで降りてくる。だから怖い会社って印象なんです」
ショックでした。
業界を良くするための仕事と言われて、それを信じてやってきたのに、実際のところ私たちは営業先へだまし討ち同然の行為をしているだけなんじゃないか。
営業電話も、ほとんどの相手先で嫌がられながら何十何百件と片っ端からかけている。
(後になって、別の職場で営業電話を一日に何度も受けては断る立場を経験し、あらためて営業電話の鬱陶しさを実感しました・・・)
あのときに言われた言葉が、自分のしている仕事に疑問を抱く大きなきっかけでした。
(追記ここまで)
9年も前なので私の記憶違いもあるでしょうが、ショッキングなことが多く、その後何度もフラッシュバックしているので大筋は間違っていないと思います。
当時、その会社では新卒の営業職を募集しており、私を含めた数名が、選考の過程で在学中にインターンで営業の実務に携わっていました。
インターン自体は珍しくないと思いますが、この会社では「職業体験」ではなく、「採用条件」でしたし事実上の「労働」でした。
リーマンショック直後だったので当時の就活はみんな必死でした。
ただ、ES選考で大半の人がふるい落とされて、面接まで行った人はごく一部だったようです。
社長は大柄で存在感はありましたが、話してみると関西弁の軽快な口調で物腰柔らかく、第一印象は悪くなかったです。
アニメや漫画の雑談が中心で、面接通過の連絡をもらったときは、どこで合格が決まったんだろう?と不思議でした。
私は大学3年の冬にインターン入りしたので、ひとつ上の学年にも4年生で在学中の内定者が3,4人いました。
私の同期は最初6,7人くらいいたと思いますが早い段階で抜けた人もいたので正確な人数は覚えていません。
2も3も最終的な目的は4です。
今はわかりませんが、当時の会社の事業は求人広告がメインだったと記憶しています。
(他にもクリエイター支援やゲーム攻略サイトなどもやっていると説明会で聞きましたが、私たちはノータッチでした。)
1日に数十件かけるのは当たり前でした。
電話代は申請すれば出るみたいな話もあった記憶がありますが、(当時はかけ放題プランが無かったので)電話代の請求額に青くなった覚えもあるので、本当に電話代を貰えていたかどうか曖昧です。
事務所から電話することもありましたが、出先でも自宅でもどこからでも電話をかけてました。
初めての会社宛でも社長と知り合いであるような調子でかけるよう指導された覚えがあります。
上の営業電話の流れで、会社が不定期に開催している業界内交流会への案内をすることが多かったです。
どこかパーティー会場で交流会をやっていたそうですが、私は運営に参加できなかったので詳細を知りません。
「こういうことができる会社と知り合いたい」と言っている会社に他の会社を紹介する仕事です。
私自身に何も伝手がなくても、上司には名の知れた会社との付き合いがあったので、このマッチングは喜んでいただけることも多く、やりがいがありました。
一番大事な仕事ですが、安くはない金額の契約なので一番苦労しました。
ここで成果を上げることが採用の条件でした。
なので、広告を出してもらうことが事実上のノルマだと解釈していました。
全員に契約書を渡されてその場で印鑑を押しましたが、ちゃんと読む人はいなかったですし、詳しい説明もなかったと思います。
時給ではなく日給です。
先に書いたように第一印象は悪くなかったです。
私たちに気前よく食事を奢ってくれることも多く、客先に同行してもらうと大抵の交渉も良い方向に進みました。
ただ、気に入らないことがあったときの身内への当たり方はすさまじかったです。
私のイメージでは社長とまったく同じ思想・行動原理の人で、社長よりむしろこの人のほうが私たちに厳しく当たることが頻度でいえば多かったです。
当時の印象しかないので、この人が社長に反旗を翻すとは思ってもみませんでした。
この人も社長同様に激昂型でした。
同期の男性がめちゃくちゃに怒鳴られている現場に何度か居合わせたことがあります。
今はこの会社にいないのでしょうか。
新卒の1つ上の先輩だった人が副社長になっていたので驚きました。
9年前の時点でリーダー的立場だった覚えはありましたが、小上さん(仮名)より上になっているとは思いませんでした。
アニメや漫画などの趣味をオープンにできる環境だったので、最初から打ち解けやすかったです。
知り合うタイミングが違えば親友になれていたのかもと思う人も多かったです。
まず、営業電話の件数も広告の獲得も事実上のノルマがありました。
フルタイムでもこなすのが困難なくらいなのに、大学に通いながら達成するのは厳しかったです。
ただ、それでも同じような趣味をもった同年代の人たちと仕事できるのは楽しかったし、あこがれのアニメを作った会社に自力でアポをとって行けたときの喜びも大きかったです。
あの会社に入っていった人たちはそういう気持ちが持続したんでしょう。
でも私は途中でその気持ちが途切れました。
内定者の先輩の中にいきなりいなくなった人もいました。
「他の仕事に就くため」と説明された気がしますが、入社間際に急にいなくなるなんておかしいと他の人と噂しました。
同期もどんどん減っていきました。
その様子をみて「あの人たちはこの程度で辞めてしまって情けない、私たちはこんなに頑張れているのに」と思ったこともあります。
私の人生であれだけの恐怖を覚えたのは後にも先にもありません。
その時点でパニックです。
直接的な暴力は振るわれません。
代わりに、わざとらしく大きな音で机や物を叩く。
社長の大柄な姿から威圧感が放たれるので、その拳や脚が自分の身体に直接向かってきたら……と思うと頭が回りません。
何を言われたかもよく理解できず、自分を罵倒する言葉にただ「はい」としか返事できない。
彼らにとっては日常だったのでしょうが、私にとっては生涯忘れられないトラウマです。
これだけ恫喝されても「もっと頑張らなきゃ」と思った人たちもいます。
同期は恫喝された後にもっと重いノルマを達成するための誓約書を書かされたそうです。
私には無理でした。
いろいろな負担がかかっていたところに恫喝でとどめを刺されました。
というのは冗談ですが、前々からこの会社について書こうと思っていました。
いつか書こうと思いつつ自分の中でうまく消化しきれずにいました。
私はあの会社に傷つけられましたが、争ったり告発したりすることはしませんでした。
この9年間、彼らと距離を取り続けていただけです。
一種のPTSDなんでしょうか、ネット上でたまに彼らの会社名やサイト名を目にすると思考が止まってしまうことがありました。
何かの拍子に当時のことを思い出し、怒りや恐怖が心が満たされることが、9年経った今でも時折あります。
ただただ、距離をとっていました。
いくらなんでもあの当時よりはまともな会社になっているだろう、と心の隅で期待していました。
私の頃は新卒採用を始めたばかりで、いろいろな仕組みづくりが追いついていないのだろうと好意的に解釈していまた。
私はOさんと同期で、もちろん面識もありました。
とてもいい子でした。
今回、9年ぶりに彼女の名前を目にしたときのショックは言葉にできません。
私もOさんのようになっていたかもしれない、という恐怖よりも、私に何かできたんじゃないか?という悔しさが先にありました。
当時、ただ距離をとるのではなく、たとえば労基署とか、駆け込むべきところに駆け込んでいれば少しは彼らのめちゃくちゃな行為に歯止めをかけることができたのかもしれない。Oさんの件も防げたのかもしれない。
たらればの話に過ぎないのはわかっていますが、そう考えると無念でなりません。
今回の件がどう展開するにせよ、最終的な結果が出るまでかなりの時間がかかると思います。
時が経つうちに、今回のニュースも自然と忘れられてゆき、彼らはまた何事もなかったかのように誰かを追い詰めてしまうかもしれない。
この件が簡単に風化してほしくありません。
それでこの文章を書いて公開した次第です。
記事には目を疑うような記述が多く載っていますが、(あくまで私個人の感想では)いずれもありえる話だと思いました。
後になって気づいたことですが、彼(ら)は社内に常にスケープゴート役になる人物を用意して自分たちの怒りのはけ口にしたり、他のメンバーの優越感の材料にしていたんじゃないかと感じました。
Oさんの話を読んでいてそのことを思い出しました。
当時の私もそうなっていたのかもしれません。
先に書いたように、私は小上さん(仮名)からも厳しい言葉を受けたことがあります。
当時の小上さん(仮名)もいわゆる洗脳状態にあったのだとしても、彼に対する個人的な不信感はぬぐえません。
なので、単純にどちらが正しくてどちらが悪いかの判断はつきません。
両者の言い分に差異があるようですし、それは今後明らかになってゆくことでしょう。
ただ、事実がどうあれ、あの会社の発信しているメッセージに違和感を覚えている人は多いようです。
個人的には、会社側の文章の最後に書かれた、実名にせよ匿名にせよ虚偽の情報を流した人物には訴訟を辞さない、という旨の記述に恐怖を覚えました。
この機に乗じて会社のことを告発するなんて許さないぞ、と私たちに向けて恫喝しているように感じました。
彼らは今も自分たちにとって都合のいいスケープゴートを探しているのかもしれません。
最初に書いたとおり、この文章はフィクションです。実在の企業・人物とは一切関係ありません。
具体的にどの会社のどの件を指して書いたのかも明言しておりません。
原告の主張がすべてそのとおりなら監禁罪だ。じゃあなぜ刑事告訴しない?
こういうケースの場合、あくまでも類例の話だが、刑事告訴をしないで民事訴訟をする理由は1つで、シンプルに刑事告訴できない理由がある可能性が高い。
いずれにせよ、今の報道は原告側の意見を垂れ流しているに過ぎない。事実の認定はこれから行われる。
専門家でもない、報道というフィルターを通して原告側のみの主張を聞いた人間が、なぜ誰かを断罪できる?
マスコミは裏取りなんかしないぞ。それは今までの報道被害を鑑みれば、誰もがわかることだ。今回なんて記者会見で言っていることをまとめているだけだ。
誰かの言っていることをそのまま発表しているだけだぞ。その正否はこれから裁判で認定されるんだ。
不幸なことに、ネットリンチは始まっている。なんで一方の意見だけで、マスコミの垂れ流しだけ聞いて、お前が判決を下せる?
落ち着けよ。慎重になれよ。争うのはお前じゃないんだ。原告と被告が争うんだ。お前が入る余地は少しもない。
都合のいいときだけリテラシーだなんだ言って、ちょっとショッキングなことがあったら垂れ流しを信じて。
リテラシーってそういうことじゃないだろう。とにかく落ち着けよ。な? お前が争うんじゃないんだ。当事者でも何でもないんだ。
被告に非があったら裁判所がそれを認定して、どれぐらいの制裁を加えるかも決めるんだ。
答えになっているかどうか微妙ですが・・・誤字脱字で書き散らしですみません。
40代後半のゲイです。一意見として読んで頂けたら嬉しいです。
「ラーメンズ」が好きです。アメリカドラマの「クローザー」が好きです。
単発の2016年物を当時見て、2018年物をアマゾンでさっき見ました。
日本のドラマはほぼ見たことがありません。テレビ自体も実は30年近くほぼ見ませんでした。
アメリカのドラマがクオリティが高いのとマイノリティに対する態勢が違うのでやはり
日本に漫画があるようにアメリカのドラマの裾野の広さはすごいです。
ジョークセンス、マイノリティに対する姿勢、作品のクリエイティブ度、それらのバランス。
2016年版では薄かったマイノリティに対する配慮はすごく感じました。
大多数がそーだよな。そーなるよな。と納得できるリアルさ。
おっさんずラブのレビューでも男性の絶賛レビューに枕詞のようにつく、
これがリアルな状況なんです。自分が同性愛者だと思われては困ると言う事。
それが、同性愛者の人を傷つけていると気が付いたと、コメントされています。
余談ですが、
同性愛に対する嫌悪感の一部分は、近親者同士の恋愛の嫌悪感に近いと思っています。
いけない事と言う感覚。
しかしこの感覚は実は曖昧だと思います。国や地域や宗教によって、ずいぶん変わります。
実際に血縁者でも事実を知らなければ、恋愛に落ちることもあるでしょう。
社会的な原因での嫌悪感は存在すると思います。もちろん、それで全て説明はできません。
例えば、なぜ私個人が女性との性的関係に嫌悪感を感じてしまうか?など。
ただ映像で異性愛者同士の性的なシーンを見ても嫌悪感は感じないんです。
これは本当にすごいことです。時代ですね。
多くのゲイがBLに対して思う「性的指向は変化しない」と言う思い。
しかし性的指向も100%変化しないものではないし、かつ恋愛と性的指向の関係も完全ではないです。
ずっと一緒にいたい=結婚したい!って話なら性的指向だけで決定するものでもないでしょうし。
ただこの問題はちょっと複雑なんです。性的マイノリティの辛さの原因の一つは、
当事者は、
時代とともに変わりますし、結果、失敗(自己否定)に終わる考察もあります。
色々な経験をして性的マイノリティ―と言う特徴が自分の全てではないと思った時期
当事者が今、どのような考え方なのかによって作品に対する評価も相当変わるでしょう。
この番組の当事者のメリットとデメリットで考えると、断然メリットが上回っていると思います。
ハッピーエンドで終わったこと。春田と牧がゴールだったことは大きいと思います。
あり得ない!っていう評価は、フィクションにたいしてナンセンス。
視聴者が、制作者の誘導に納得した作りで、かつ、ゴールが異性愛者同士じゃなかったのは感動しました。
箇条書きに他に気になったところをあげます。
(ジョークとしては品がない、まぁ結果的に想像も及ばない破壊神にやられてしまうわけですが)
黒沢部長の盗撮とパワハラとセクハラ(面白さとトレードオフですかねぇこの作品の掴みの肝ですから)
黒沢部長の恋がコメディリリーフ過ぎた・・・可愛そうな終わり方だったです。
でも、もっとコメディとして突き抜けてほしかったし・・・(笑)
武川正宗のトイレの視線(ちよっと偏見がきついですね、犯罪ですから・・・)
ロリでと言うセリフ(ロリの定義も含めて小児性愛者の問題は難しいです。)
上記の問題点もアメリカのドラマであれば、もっと突き抜けたジョークになりますし、
ポリティカルコレクトをしっかり守りつつ、フォローもちゃんとします。時勢に合わせてですけど。
それでも、おっさんずラブは、今までの日本のゲイ関係のドラマと比べて突き抜けたと思います。
偶然もあると思ってます。でも、ゲイを一つの設定として使い、純愛を描いた。
約40年前の漫画作品で竹宮恵子さん作の「風と木の詩」があります。
「つながりへの希求、他者による自己肯定の欲求」が少女漫画の「根底のテーマ」
拒否される愛としての少年愛は、「それ」を見つめることを可能とした。
究極のつながりとは何か?という純粋な関係性のみを問題視しえた。とおっしゃっています。
「おっさんずラブ」とゆうモダンホラー風の喜劇の中で使われました。大成功だと思います。(笑)
BL、やおい、少年愛、長く受け継がれ蓄積した少女漫画の資産。
それによって受け取り側が大きく変わったこと。
制作者側がどれほど意識したかは確かに微妙です。細かい設定では矛盾や無理解もあります。
ゲイの話とかじゃなく純愛なんです!(ゲイはマイナス要素だけど、いい話という理論)
だけではなく、
NHKの「弟の夫」は素晴らしい作品でした。感動して死ぬほど泣きました。
でも、異性愛者にとっては?と考えると、おっさんずラブは、エンターテイメントとして秀逸。
がゆえにゲイ要素のある作品が大勢の人に評価される。大事な事だと思います。橋渡しとして。
脚本家の素晴らしいセンス、それを映像化できる俳優を含めた優秀なスタッフ。
1つだけ。作中の音楽が好みではありませんでした。
テーマ曲の2曲は良かったんです。それ以外が一貫性がないと言うか・・・
当初、小児性愛者に関する記述に思慮が足らずいい加減な書き方をしてしまいました。
「小児性愛者関連はちょっと・・・」はあまりに言葉足らずでした。すみません。
読んで頂いてありがとうございます。