日本語がまともに読めない日本人が世の中に大勢存在するというのはショッキングな事実などではなく、普通は中学の段階で察する常識だ。公立校の教師は頭が悪すぎて優秀な生徒に呆れられているし、クラスメイトの大部分もやはり頭が悪くテストの平均点はいつも異常に低い。この事実を知らない人は中高一貫校の私立出身なのだろう。
ところで、「新書」と言ったら普通は「岩波新書」「ちくま新書」「講談社現代新書」「中公新書」などを指すが、世間の人たちは割と「ハードカバーの新刊」のことだと思っていたりする。
新書はあまり賢くない人たちでも読めるように易しく書かれたものがほとんどだ。だが世間のあまり賢くない人たちははあまり賢くない人たちに向けて書かれた新書すらまったく読まない。読まないから存在すら知らないのか、存在を知らないから読まないのか。とにかく彼らは新書という言葉を知らない。専門書など読まないし読めもしない彼らが直接的に知へアクセスするのは難しい。だからこそ新書がある。あまり賢くない人たちでもその気になれば知へアクセスできるようになっている。だが、その新書が存在すら知られていない。これではあまり賢くない人たちは人生において知に触れる機会がほぼまったくないということになるのではないだろうか。
おそらく彼らには知に触れるという発想自体がない。彼らにとって世の中はとにかく簡単で、いつも通りの馴染みのやり方ですべてが解決が可能で、すべての情報は彼らが既に知っている情報の確認でしかない。だから新しい考え方というものを知らないし、当然多様な考え方があることも理解できない。「今までこれでうまくいっていたのに!」となる。ネットでもよく見た光景である。
読まなくてもいいので新書というものの存在くらいは知っておいてほしいと思う。ふと気が向いた時に扉をあけてみたらいい。扉があることを知らなければ開けようもないが。
まじか 新書知らないやつがいるのか それとも釣りか?
そりゃあそうでしょ。 世の中の人は芥川賞と直木賞の違いを知らないし、 コンビニのエロ本はすべて18禁だと思ってるし、 ラノベ以外の小説のことを「文庫」と呼んでるよ。 でもまあ...