はてなキーワード: アナログとは
やや相貌失認ぎみだけどある程度までは把握できる(身長が5cm違うとか髪の長さが2cm違うとかなら区別がつく)
そういう時に問題が自分の能力や才能ではなくて人格にあるとされて擦られることにいい加減疲れた
音痴の子供が合唱コンクールで悪ふざけを続ける小悪党としてなじられ続けるような
幼稚園の頃から空気が読めないとかノロイだとか一緒に遊びたくないだとか何考えてるのか分からんとか言われてきた
小学校に入る頃には人と関わるのがすっかり嫌になってずっと一人遊びをしていた
中学高校ではそういったアスペっぽい連中同士でつるんでもみたけどやっぱアスペってアスペからみてもウザイので1年ぐらいで自然消滅した
人間と付き合うのが面倒くさい
恋バナをしろと振られることがあるが無茶を言うなと思う
そういう人間は技術職になるといいらしいが自分は大学で選んだ専攻を4年間ですっかり嫌いになったので事務職をしている
事務の世界でもエクセルを使いこなせればスーパーマンになれるらしいが、我社のパソコンはクソポンコツなのでそもそもエクセルでマクロをまともに組むことも出来ないからその道は閉ざされている
それどころか今どきメールもロクに使わずにFAXが主流の地獄の世界だ
FAXはメールと違って開封確認が出来ないので届いたことを電話で確認するのは必須になる
辛い
FAXを送っているのに電話で確認するという作業の虚無感が辛い
内容について質問が来たら当然電話で答えるのだがヒトと会話することが本当に辛い
そんな会社辞めてしまえばいいと言うのは簡単だが、このゴミのようなFAX社会に一度組み込まれて15年以上暮らしてしまえばもはや同年代との事務能力の差は恐ろしいことになる
穴あけパンチで上手に穴をあける技能が役に立つような職場は、結局同じレベルの昭和世界だ
平成の世界に辿り着こうとしても、マクロの組み方もよく分かってない上にコミュ障の事務が必要とされることはない
今いる会社、今いる業界のことについてなんとなく知識がついていることだけしか今の自分に人材としての価値はない
詰んでしまった
技能を身に着けなければ生きていけないような人間として生まれてきたのにそこから逃げてしまった
高校時代にゲームばかりせず勉強をしていれば同じ専攻でももっと楽しめたのかも知れない
そもそも楽しくなくてもいいからその業界で必死に生きればよかったんじゃないのか
自分は注意力がない
人の顔が覚えられない
なにもない
生きていけない
生きて行きたくない
新人や同僚で自分より少しだけアスペがひどい人が凄い勢いで悪口を言われているのをよく聞かされる
これはお前に対しても言っていることだがお前は治す機会を与えてやっているんだぞ優しいだろうという言外の声が否応なく突き刺さる
取引先の顔を咄嗟に忘れたり恩義のある先輩の名前を間違えたりするとそうかやはりこの世界は私の居場所じゃないんだなと感じる
全てのデータが自動的に電子的なログとして残る世界ならもう少し呼吸がしやすいはずなのに限りなくアナログな世界で生きる
そしてその世界で居間も暮らしているヒトの多くがアナログの繋がりこそが大事なんだよなと私に同意を求める
ちげーやバカ野郎畜生が私は毎日そのことで死にかけてるんだぞ?
もう無理だ
この人生をこんなことにしてしまった自分が間抜けすぎてその悔しさだけで死にたくなる
職場の自殺防止パンフレットにはふと死にたくなったらどうこうと言うが
私はこの38年間ずっとずっといつだって死にたかったのだがどうしたらいいんだ
死ぬぐらいならいっそ休んだり会社を辞めればいいというが私は何をやめたらいい
人生を降りろというのか
残酷だ
そういった言い方をすれば人生を降りる必要を感じる人間がいるという発想自体がない人間が多数派で
正常なのだと突きつけてくるがそれはあまりにも暴力的で卑怯じゃないか
数が多いと言うだけで我らこそが正しいのだお前らは私達に嫌な気分を味あわせないよう工夫してそっと死になさいなと
だけど私はそういった卑怯者達に多数派の暴力に負けてしまって毎日必死に媚びへつらって生きているんだ
こんなに悔しくて辛くて死にたくてどうしようもなくて馬鹿馬鹿しいのはなんなんだ
きっと私と同じようなヒトもたくさんいるだろうに皆多数派に媚びへつらって必死に口をつぐんでいる
その横で彼らはこの世界はとっても素晴らしいから次に生まれてくるウチの子も幸せなのよと語り合う
ふざけないでくれ私はこの世界に生まれ落ちて少なくとも38年間辛かったぞ
この世界が人を幸せにする機能を持っているというのならいい加減今までのツケを払ってくれ
私の積み上げた幸福と不幸のアンバランスのツケがどれほど膨れ上がっているのかいい加減分かってくれ
もうダメだ
自分を騙していても仕方ない
生きていてもこんな世界じゃ幸福にはなれないことにまた気づいてしまう
でも嫌だ
ツケを払わせずに死にたくない
今まで必死に生きてきた私達に対してお前らのやってきたことはちゃんと結果に結びついたぞと言ってやりたい
飛びゆくは常に暗雲
翼を休める場所を求めて
先日、住んでいる町から接種券が届いた。ワクチンを早く打ちたかったので予約できるか探すも3週間後しかあいてなかった。
調べると個別医療機関で「キャンセル待ち」ができるらしい。当日ドタキャンなどが起きた際に呼び出される仕組みのようだ。風邪をひいたときに行く医者に電話したら10番目と告げられた。幸い弊社ではテレワークが続いているので、いつ呼び出されても打ちにいける。
そんなことを考えつつ、昨日犬の散歩に出たら普段行かない整形外科の玄関前にこんな貼り紙がしてあった。
「ワクチンあります。希望の方はこの紙を一枚剥がして受付にお声かけください」
犬を入り口に繋ぎ、おやつを与え、紙を一枚手に取り、受付に声をかけた。聞けばドタキャンが出てしまって2人分余っていたらしい。このままだと無駄になってしまうところだった、と。犬を待たせてること、接種券がないことなどを伝えると30分以内に戻ってきていただけるならと言われ、快諾した。渡りに船である。
そこからは流れ作業である。ファイザー製のワクチンであること、副反応がでたら飲み慣れた解熱剤を服用すべきことなどを伝えられ、帰宅した。筋肉注射は確かに痛かったが、病気になるよりはマシである。副反応も腕が痛い程度しか起きていない。しかも3週間後の予約も確定した。ちょうど先に予約した接種日と同じ日であった。
整形外科がワクチン接種会場になっていることなど思いもよらなかったが、たしかに高齢者の患者が多く大半が打ち終わってること、電話での問い合わせが少ないことなどが重なっての出来事だろう。紙を2枚、外に貼っておくだけというソリューションもなかなか悪くない。
ワクチンの不足が話題になっているが、こんなアナログなソリューションが広まり、少しでも無駄ワクチンがなくなると良いのだけど。とはいえ翌日以降の予約者に電話しても良さそうなものだけどね。それはそれで翌日のワクチンが余っちゃうのかな。
不正を働こうとしたときにバレずに実行することがアナログだとより困難なんじゃない。
票の買取をしようとしたら、何らかの方法で大々的に募集しなければならないので(少数やっても大して意味ないから)、アナログでそれをやったらまあバレるよね。
デジタルならネットでひっそりリモートでやり取りできるからね。表を売った人の端末にリモートログインで入って投票とかされたらどうセキュリティ確保しても無理じゃね。
「VRSの入力遅れのせい」って主張、一件単位のデータが出てこないなら、各自治体にワクチン消費数の概算だけでも出させて需要予測すればいいだけだと思うんですよね。たぶん、本当の原因はそこにはないんじゃないか。
仕組みはありましたが、既に終わってます→V-SYS。VRSとの二重作業に不満が多く、一般接種では5末に「入力不要」になりました
これだな。教えてくれてありがとう。
なぜ一本化するのがV-SYSではなく、入力作業が非常に煩雑で大不評な(バーコード入力が事実上使い物にならず手入力強制)なVRSなんだろう。やはり例によって、官邸の肝入りで強引に開発・導入したシステムが早々にお蔵入りになるのは面子が許さないとか、そういうくだらない理由か…?
VRSは、もしきちんとしたものができていれば、日本のワクチン接種を加速させるゲームチェンジャーになっていただろう。だが、実際には使い物にならないものを作ってしまったわけで、そこを認めず撤退しないのはどういうわけだ。
世間では「VRSを無視した明石市にワクチンが届かないのはブーメランで自業自得」という風潮になっているが、俺はおかしいと思う。接種一件一件の入力(「◯◯県◯◯市の増田太郎さんは接種を受けました」)を集計して統計を出すシステムは、そもそも普及率が上がらないと話にならないのは誰にでも分かることだ。ワクチンの流通状況を把握するのは本来なら必達目標のはずで、最初から集計値を入れさせるV-SYSにしないのは全く合理的ではないと思う。
もし、それを分かった上でなお、不正確な値しか出せないVRSに拘っているなら、ワクチンの正確かつリアルタイムな流通状況を曖昧にしておきたい裏の事情があると勘繰られても仕方がないんじゃないか。
泉市長の訴えに対し、「首長の怒りはもっともです」と政府関係者はうなずく。
「ワクチンの差配は正直、利権化されていて、実質的にそれを仕切る官邸は“ワクチンマフィア”と裏で呼ばれています。各県からの要望数量を認めたり、割り落としたり、どのように差配しているかは正直、ブラックボックス。VRSのボロタブレットで文句を言った自治体を含め、菅政権に従順でない自治体、更にリアルな話をすると、首長が自民党以外の自治体への配布を減らしたりといった恣意的な運用はあると聞こえてきます」
河野氏は6月23日の記者会見で、今後のワクチンの配送計画について「目をつぶって綱渡りをするようなオペレーションにならざるを得ない」と漏らした。そのうえで、在庫を減らして必要なものを必要な時につくるトヨタ自動車の生産方式を引き合いに見通しを語った。
「自動車工場のようにジャスト・イン・タイムというわけにもいかない。すぐにVRSで(職域の)数字が見えないので、正直ちょっと厳しいと思っている」
おいおい…。
ていうか、やっぱりJIT(ジャスト・イン・タイム)がやりたかったんだな。確かに実現したらTwitterで信者にドヤ顔できるもんね。だがこの調子だと、JITのキモは「かんばん」のような洗練された情報システムの整備に加えて、それを使いこなす現場作業員の意識改革だということを全く理解してないな。今、どっちもダメじゃん。それをムチで脅してゴリ押しすればどうにかなるとか思っているのだとしたら、JITを舐めすぎ。とりあえず大野耐一の「トヨタ生産方式」を100回読んで出直してこい。
ジャストインタイムやりたけりゃ、普通に発注点カードでアナログ→デジタルのカンバン方式で十分じゃねーの説を唱えたい。発注点カードが現れたら、スマホでQRコード読んでURLにアクセスで発注指示が出る奴よ。
そうそう、サプライチェーンの仕組みづくりってそういうことよ。パワハラとマイクロマネジメントを管理だと勘違いしている自称「運び屋大臣」には理解できない発想かもしれないが。
ワクチンの供給削減が問題になってるけどさ、諸悪の根源はお役所のIT化の遅れだよね?
昨年のコロナ患者FAXで集計するから正確な数字がわからない問題の頃からずっとずっとずーっと問題になってたと思うんだけど、お役所は紙での業務をやめない。
最近俺のところにもコロナワクチン接種券が送られてきたんだけどさ、書類を少し見ただけでたくさん疑問がわいてくるのよ。なんていうかフローがアナログで組まれすぎてることのヤバみを感じるというか。
→電子化して番号だけ通知したら印刷配送のコストと時間削減できるよね?
•接種記録、紙にシール貼り付けにするの?
→紛失したら終わりだし、紙を所持していないと急にキャンセル出ても代わりの人が打てなくない?
→ワクチン打つ側からしても手書きの文字を読むのは辛いし、副反応が出た時に備えてデータとして残すにしてもカルテに手作業で打ち直すハメになる。
そんな業務フローだから、接種記録が正確に揃うのに2週間ほどタイムラグができてしまってる。ワクチン供給側から見たら最悪な状況じゃないかな?
ワクチン流通を支えてるヤマトのロジスティクス網は世界最高レベルだと思ってるけど、2週間のタイムラグを加味して正確な納期で配送できるんだろうか?民間のEC業者のAmazonでも楽天でもセールや年末年始の需要変動時はリアルタイムに見積もり出してるよね?
紙にこだわるお役所の言い分もわからなくはない。現在の慣れた業務フローを変えるのはトラブルのもとだし、ITに弱いお年寄りにも配慮しないといけない。
だけどさ、保健所FAX問題の時と違って今回は1年間の準備期間があったわけだ。それにお年寄りのIT活用能力がーといっても、工事関係のブルーカラーの仕事をしていた73歳になるうちの父親だって問題なくLineでワクチンのネット予約できてるんだぜ。もう少し業務フローの電子化に舵を切ってもいいんじゃねーの?
もう一つ大きな問題がある。政治家の数字に対する理解が無さすぎることだ。
菅総理が6月頭に「接種ペースが1日100万回を超えた」とフライングで発表したことがあったが、実際に100万回を超えたのは6月中旬で2週間程度の誤差がある。
なんでこんなことになっちゃったかって考えると、土日の統計データが月曜にまとめて上がってくるので、月曜分と合算した数値を1日の値として解釈したとしか思えないんだよね。
政府の偉い人がこういうズレた認識で、国民からの支持率アップ狙いの大見得を切ってしまうと、実務担当者は必要以上にワクチン接種ペース加速のために地方自治体や企業を煽るしかなくなるわけで。
まあ財務大臣が数学不要論を唱えたり、指数関数的に増える感染者への対策で緊急事態宣言出すのに観測気球的なリークをマスコミに流してから1週間くらいかけて決断下している(=指数関数的増加のヤバさを理解していない)のを見てきてるから別に驚きはしないんだけど。
ちなみにワクチンの接種ペースのデータを見るときは、政府のホームページより日経の方がはるかにわかりやすい。
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-japan-vaccine-status/
本気でコロナを収束させるなら、政府もこれと同等以上のものを作って、マスコミへの一次資料として提供してワクチンの効果と実績をガンガンアピールするくらいのことをするべきなのになぁと歯痒く思う。
前半:https://anond.hatelabo.jp/20210702175345
このキャンペーンに非主流派の自民党政治家が食いついた。で、この人達って自民党議員なのに自民党がやってきた事全然知らないのね。「戦後レジームの否定」とかに簡単に乗ってしまう。自民党って戦後の政党で自民党史=戦後政治史なのにそれを否定して平気だしそれでカルト的人気取りをする。また実務力が無い。
対馬で名を上げようとしたのは山谷えり子だが、彼女の出身は民社党だ。これは社会党のスピンオフ政党である。その後は民主党に移り自民党入りした。やはり党プロパーじゃない。
実務家だが省益に捉われていた族議員は郵政選挙などでパージされてしまい、この手の非実務家ポピュリストやカルト政治家が党を乗っ取ってしまったようである。そこで法制局と人事局掌握したらそりゃこういう法律出来るよねとしか。
因みに提出主管庁は内閣官房である。またあそこだ。この政権交代がもし起きたら何人自殺して何人逮捕されるか判らない省庁提出というのが実に非実務家の手先という感じでなんともなという感じである。法務省や国土交通省主管だと思ってる人は目を覚ませ。
アルファブロガーが流行りだった頃、『地政学を英国で学んだ』を推薦してブームの火付け役をしたのが隊長だ。
戦後、地政学は大学からは排除された。GHQの介入もある。だが復活しなかったのは戦後日本が貿易立国となったからでありまた地政学とそこに連なるドイツ国法学が国を滅ぼしたからだ。戦後は米国の軍事力の庇護の下で経済に邁進する事を選んだ。
90年代にも地政学を持ち上げる動きはあった(西部傘下の福田和也など)がこれはそういう経緯で反米の意図を纏っていた。ノーと言える日本、父の庇護から独り立ちする日本。ここには経済至上で濃密さを失った社会への反発も含まれていた。敗戦でアメリカニズムと戦後的価値に飲まれて消えた地政学をあえて援用することのカッコよさ、という文脈があった。
西部読者でエドマンドバーグに影響を受けていた隊長が『地政学を英国で学んだ』を推薦した背景にはこういう文脈があった。
一方、経済成長後現在に至るまで日本での国際関係の常識の中心は国際経済だ。本屋の就職コーナーにある一般常識本が示すのも同じだ。
現在、地政学というのはこの常識である国際経済の対抗概念になっている。というか地政学と言いたがる人というのは国際経済に完全に無知だ。TPP問題では急に吹き上がるが自民党が批准を選択すると火は消えてしまう。解釈を変えると事実が変わってしまう世界線なのだ。国際経済という情況に足をつけていない。
こっちの地政学のほうが知的コストは少ない。踏まえるべきことが極端に少なく済むからだ。隊長は以前「経済は踏まえなければならぬ事が多く放言できない」と政治廚を批判してた事があるのだが、今の地政学ブームのトホホさはどう考えているのだろう?
そしてこの
外国人による悪意の経済活動が安全保障の妨げになる事を予防したいのだろう?だったら何故立法事実を積み上げる事に情熱が無いのか?立法事実を積み上げられる省庁に仕事を投げないのか?犯罪の手先をやってくれる便利屋の内閣府にやらせてるのか?何年先を見据えて立法しているのか?
大臣の権限を代行する官僚組織が自律して運用される姿を考えているのか?そうではなくWILLや産経の日本危ないキャンペーン記事しか読まない総理大臣が外国人の不穏な動きに睨みを利かして官僚にカッコよく指示する姿を想像しているのではないか?内閣府主管なのはそのせいではないのか?
前段の「地政学議員」の消費コンテンツだからTPPとの抵触なんて考えないし先進国の常識、つまりはっきりした具体的事象無しに外国人嫌いの雰囲気で規制立法なんて許されないって事も踏まえてない。
「地政学議員」の消費コンテンツ故に先進国の立場に挟まれた狭い道の中で法の範囲を示すという常識から演繹出来ない。
その結果外国人の行為という条件を落とさざるを得なくなった。なのに応援団はその法律で外国人への規制がなされると当たり前に思っている。
こういう風に常識も参照すべき経験も持ち合わせない非実務家議員が国際関係や安全保障分野で跋扈するようになったのは地政学ブームが原因なんじゃないですかね?アニメ批判者は反日とかリニア反対する静岡県は中国の手先とか言ってるボーダーと何が違うんですかね?
最後にもう一発だが、
土地取引・登記変更にあたってきちんとデジタル化を進め、必要となれば重要拠点の周辺だけでなくすべての国土において「この土地は誰の持ち物か」が分かる仕組みを導入しなければ駄目でしょう。
デジタル化についてはもう指摘した。
この土地は誰の持ち物かが分かる仕組み
この辺で感じるのは、隊長、持分とか理解してないんじゃないか?
一つの不動産登記を一筆っていうが、一筆の所有者は一人だけじゃない。共有が可能でそれで登記も出来る(持分登記)。
共有の場合は○○雄 持分3/8、△△子 持分2/8…って感じで書かれる。そして相続の場合は所有者死亡の時点で法定相続人に持分で分割されて所有権が相続されていると仮定される。後に家族会議して持分が法定通りで良ければそのまま相続登記してその持分が確定する。でも相続登記しなくても法的には持分で所有権は移っているから相続税の督促も固定資産税の督促も来る。
この持分は売却も可能でその場合は持分の名前が変更されて登記される。
基本的に相続は放っておくと法定相続されて共有者は増えていくから大きい農家とか山林とかは共有者大変な人数よ。建物の処分や土地の売却は共有者全員の実印が無いと出来ないから大変だ。中には行方不明の人もいるから裁判所で公示する必要も出てくる。
一坪地主っていうのがあるけど、あれって一坪ずつ登記してるんじゃないよ。持分で登記してある。一坪地主は強制執行困難にするためにやるのだからそれが難しい方がいい。
持分持ってる人が全員揃わないと全体の所有権は移転できないのだからこんな大変なことはない。だから成田の三里塚などは事件から半世紀が経って居るから一坪地主も鬼籍に入り親族に相続されている。持分が更に細分化されているわけだ。現在の一坪地主は自分が成田の土地持ってる事を知らない人ばかりだろう。持分1/733とかになってるはず。
だから成田の土地問題はもう国に抵抗する地主の説得より全く事情を知らない地主を探し出して持分の移転登記をお願いするという段階になってると思われる。実印も持ってない人が多い事だろう。
隊長に戻るけど
この法が市町村に地主情報提供させるって建付けなのにこの文章書いてるって事は、法文読んでないか、固定資産税の仕組み理解してないからピンと来なかったって事だよな。
市町村は登記変更されてなくても相続人と持分は把握してる。そうしないと徴税出来ないからね。
でも市町村は徴税できればいいので、共有者のうちメインで土地利用する人が固定資産税払ってくれてたら他の共有者の事は知らないけど。だから税額が安くて持分が小さい相続一坪地主の事なんかは多分把握してない。
そうなると市町村に地主情報出させるっていうこの法律の効果も疑問が出る。税金払ってくれてたら他の共有者の居場所とか把握してないから。この法律は自衛隊基地とか離島とか米軍基地とかに隣接する土地をターゲットにしてるんだから会社所有地じゃなくて相続された山林、農地がメインで持分問題はバリバリ出てくる。
その辺も詰めが甘い。やはり実務家による立法ではない。
しかし隊長不動産取引経験ない訳ないとは思うが内容の純朴さに驚いた。不動産情報=登記だけってイメージとか物件所有してたらならないんだけどねぇ。
登記デジタル化とか土地所有者の把握の必要とかそれっぽい事書けば自分の読者はよく分からず支持してくれると思ってるのな。登記所や都税事務所に一回でも行けば何言ってるの?って内容なんだぜこれら。地政学不動産評論と名前付けてもいい。これもう読者が佐々木俊尚と被ってるって事じゃん。
セキスイの地面師の事も持ち出してるが地面師っていうのは地主の振りして相手方を騙して他人の土地を売ったふりして、司法書士役が「では法務局に行って参ります」電話で「無事受理されました。登記識別情報は後ほどお持ちします」ってやる手口。セキスイの件では結局登記できないから所有権が移転されないの。これ「デジタル化」(されてるが)で防げるの?寧ろ取引銀行必ず通せ、相手方銀行に挨拶がてら確認しろ、近所で売主の聞き込み面通ししろっていうアナログの話では?しかも外国人の土地取得とはまるで関係が無い。
これらの事をおかしいと思ってないのか隊長。マジか。私はプロじゃなく「取引歴がある」程度の経験だが不動産取引なんてしくじったら死ぬ事なので当然これらの事は常識として頭に入っている。この辺にも非実務家が妄想政治活動してても気にならずに応援擁護出来るという土壌があると思われる。
これで安全保障なんて軽々しく言わないで欲しい。それはしくじったら死ぬ事の代表例だ。
以後反省して妄想野郎が地政学なんて口にしながら安全保障を語ったら「その言葉のコストはこの拳より重い」と言いながら殴り倒す活動に全力を注いで余生を捧げて欲しい。私が今オヤジ狩りしているように。
接種券が郵送されてきたので
近所のかかりつけ医に予約しに行ったら
その場で打たれた
大規模接種とか職域接種でキャンセルしてる人多いのかな
次は3週間後に自動的に予約された
アナログだよな
「私の言葉で読者の皆さまに伝えたく思い、こうして筆をとっ」たという文章。
https://note.digital.go.jp/n/nefb0c246a4db
まず目に入ってくるのが、彼自身がキーボード打ってますよの写真。
斜め前から、斜め後ろから、どってことない写真が2枚もあるのは、現国会議員で彼くらいの人間が自分でキーボードを打つということが珍しいことを意味している。。。。
2020年5月、国会審議中にワニが大蛇にかみつかれたりする動画をタブレットで見ていたくらいなんだから、それくらいアピールしてくれなくてもわかる。
よく見ると、背景には御影石らしき素材に「デジタル改革」と彫られた謎の板。
このあたりはさすがに地上波のデジタル化に反対していただけある。
今では国会審議中にタブレットでデジタル映像化されたワニに夢中らしい。
そして
「日本はこんなもんじゃない」ということをもう一度国民と共有したい
という最高のパンチライン。
「こんなもん」というのは、日本のデジタル、いや経済的な後退を意味しているのだろう。その自覚はあるらしい。「もう一度国民と共有したい」というのは、戦後復興や高度経済成長期のイメージなのか。
なかなかにすごい。
筆で!! よく見てみると「ハンコ」押してあるやん!!!
いや「デジ道」とは。トドメを刺された。
このテキストのオワコン感についてはもうネット上で大喜利状態なので、もうおいておく。
最も闇深いのは、これを止めるスタッフ、修正する官僚がまわりにいないということを示してしまっていることだ。
だけど、それを公開する前に、いくらなんでもチェックしたり、助言する人くらいいるだろう。
「干したる庁」と揶揄されるように、やはり「脅し」が怖いのだろうか。
https://www.asahi.com/articles/ASP6Q6JLVP6QULFA01M.html
Wikipediaによると、1993年11月丸亀平井美術館を設立・館長に就任している。
2019年1月くらいまでは、香ばしいホームページがあったようだが、現在は404 Not Found
https://web.archive.org/web/20190126104957/http://www.rnc.co.jp/moto
2018年10月には、第4次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)、情報通信技術(IT)政策担当大臣に就任。その直後に消されていることがわかる。
本当にまずい。色々忘れちゃいけない。
デジタル庁、頑張ってくれ。
誰に向けた文章でもない、ただ思いついたことをダラダラ書いているだけです。
自分は字を書く系のオタクで、所謂一次創作をしているのだがここ一年ほど書けずにいた。書けないときは自分を責めたり鬱っぽくなったりしていたが、幸いなことに(?)鬱で通院中のため、薬を飲みながら生活している。
ここ数ヶ月の間に質のいいインプットをする機会が増え、創作意欲が復活してきた。
しかしいざ書こうとしてもなかなか筆が進まない。
創作するのはつらい。できないのもつらいが、している間もつらい。そうして苦労して生み出した作品はPV一桁とかで行き止まり、世界のどこかにあるサーバの容量を圧迫するだけのノイズとなる。それが分かっているからつらい。でも、何もしないのはもっとつらい。
頭の中にあるものを書きなぐって、何度も推敲を重ねて、ようやく人目についても問題ないものになるまでにものすごく時間がかかる。時間のかかるわりに報われない。いや、報われたいわけじゃない。ただ自分の中に発生したアイディアをアウトプットしたいだけ。でも書いたからには誰かに見てほしい。わがままかよ。
一次創作はつらい。
いや、二次創作もつらいだろう。しかし作品名で検索すれば同士と出会える可能性のある二次に比べて、作者の頭の中にしか存在しない一次もなかなかつらいものがある。完結させなければそもそも見て貰える機会すらなく、完結したところで読んでもらえる可能性は限りなく低い。そもそも自分は読んでほしいのか?完結させればそれで満足なのか?よくわからない。
短編中編を完結させたことはあるが、完結したときの達成感はたしかに楽しい。投稿したときも楽しい。それでいいのでは?でも、そこに至る道程が長い。自分は何がしたいんだろう?
以前、創作する系しない系両派のオタクと会話する機会があった。
創作しない派の主張としては「創作するまでのエネルギーがものすごく必要だし、そこまでエネルギーがないからやらない」だった。わかる。創作するのってものすごくエネルギーが必要で、その割に完成したところで得られるものは少ない。なんていうか、割に合わないのだ。
一方、創作する系オタクの主張は「自分の発想を実体化させないと苦しいから」というものだった。これもわかる。その人はアナログ系の創作物を作っていたから「実体化」というものに強いこだわりがあったのかもしれないが、たしかに何かを完成させるという体験は他では味わえない達成感がある。
じゃあ書けよ、と言われるかもしれないが、書きかけの小説を読み返すのがつらい。しかし、続きを書くためには読み返して過去との整合性を取る作業が必要である。うーんこのジレンマ。
所詮趣味だ。書けないからってなんのデメリットもない。でも創作をやめることはもっとつらい。
創作活動はつらいし、それを乗り越えたからといって何かになる可能性は限りなく無に近い。
それでも手を止めることはできないのに、書かなければならないと思うとしんどくなる。
どのみち辞めるという選択肢はない。そして、辞める選択肢がないなら書き続けるしかないのだ。
オチはありません。
デジタル的な発想だと1秒以内にもう一回押したら弱にする、
みたいな発想になるんだけど、
これをどうやって回路的にやってるのだろうか。
アナログのすごさを逆に感じる。
転職支援メディアを運営するネクストレベル(横浜市)が948人のビジネスパーソンを対象に「テレワーク・リモートワークの現状」を調査した。2020年4月以前と比較して「テレワークは導入されず、以前と働き方は変わらない」と回答した割合が5割超で最多となった。政府が新型コロナウイルス感染防止策として掲げる「出社7割減」にはほど遠い。
日本でテレワークが定着する日は来るのだろうか(画像提供:ゲッティイメージズ)
「20年4月以前と比較して、働き方は変わったか」と尋ねたところ、「週に3回以上テレワークになった」と在宅中心の働き方ができている人は14.0%にとどまった。
緊急事態宣言下で一時的にテレワークを導入したが、「現時点では以前と同じ働き方」(13.6%)と在宅勤務のデメリットを解消しきれず出社中心に戻ってしまっている企業もあるようだ。
テレワークを導入できなかった理由としては「個人情報や機密書類を扱うため、社外に持ち出せない」「会社のペーパーレス化が進んでいない」「個人用にパソコンが貸与されない」などが挙がった。
テレワークを導入しない理由として「会社の方針」や「アナログな作業が多いため」と回答した人は40~50代が多く、出社が当たり前だった層がテレワークの浸透を遅らせている可能性が高い。
テレワークを導入したタイミングに関しては第1回緊急事態宣言が発令された「20年4月ごろから」が最多で58.9%となった。早期の段階でテレワークに移行できた人が多かった職種は「事務職」(30%)、「営業職」(17%)、「エンジニア」(11%)だった。
第1回目の緊急事態宣言下でテレワークを導入(ネクストレベル調べ)
現在テレワークをしている人の8~9割がメリットとして「通勤時間の減少」を挙げた。余暇時間を趣味や副業にあてるなどライフワークバランスのとりやすさや仕事の効率向上、食費の節約につながるとの声もある。
デメリットとしては、コミュニケーション面で問題を抱えている人が特に多く見られた。簡単な質問や雑談をすることにハードルを感じているようだ。
パーソル総合研究所が20年3月に行った調査によると、テレワークの頻度が増えるほど孤独感も増す傾向があるという結果が出ている。今後、コミュニケーション不足が社員の孤独感を深めたり、会社への帰属意識に影響を与えたりするかもしれない。
一部の企業では既にテレワークが定着し、転勤の廃止やワーケーションの推進などにより働きやすい環境整備が進んでいる。しかし、システム面の問題や会社の方針として出社を義務付けている企業も依然多く、二極化しているのが現状だ。
テレワークのデメリットを解消することや企業のデジタル化を推し進めることが、今後テレワーク率を高めていくカギになるだろう。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2106/11/news131.html
逆に言うと25%つまり4社に1社がテレワークを導入していることになる
労働者の4人に1人はすでに働き方改革によって抜本的に生活が変わったことになる
たった1年でここまで進んだのはすごいことだと思う
むしろ良いことではないのだろうか
初期からずっと上手いけど連載中ずっと上手くなってく。
アイマスにはまったり死んだり色々あったけど画力はずっと上昇してく。
大暮維人なんかも初期の頃から画力で勝負す漫画家で段々と画力の割に中身がショボすぎるからストーリーを鍛えろという批判が増えていった。
そして最後には画力が凄いから中身はどうでもいいと読者に言わせる所にまで上り詰める。
そういう漫画家がいる一方で、下手になっていく漫画家もかなりの数がいる。
アナログの手法にいつまでも拘っていたせいでアシスタントと足並みが揃わなくなった漫画家。
一通り稼いだ後は漫画をロクに描かず久しぶりに書いたら素人未満になっていた漫画家。
その差が残酷過ぎる。
ちゃんとやればいつまでだって成長できるという事実が、ちゃんとやらなかったから下手になり続けた側の怠慢の深さ、漫画に対する愛情のなさを色濃く浮き上がらせる。
ちょっと聞いてほしい
去年の暮れにTwitterが凍結した。
学生の頃から10年以上使っていた、オリジナルのイラスト用アカウントだ。
その顛末を聞いてほしい。
最初はノートにシャーペンで描いた絵をケータイで撮ってアップしていた。今となってはとてもじゃないが見れたもんじゃない。けど、描いたノートをただ閉じて机にしまう日々から一歩踏み出せたようで、嬉しかった。
交流はしてみたかったが、ハッシュタグはなんだか恐くて使えないままだった。
アップした画像が50枚を越えたあたりで、「あ、コレはこのまま孤独死できるな」と思い知った。
いい絵を描く人は少しずつフォローし、タイムラインは賑やかになっていった。が、かたや僕はハッシュタグも日常ツイートも飯画像もなく、二次創作でわいわいすることもない。
ひたすらオリジナルの下手な絵をアップしていくだけのアカウントである。フォロワーが増えるはずもない。
当時の僕は、ド底辺絵師なんて生易しいものじゃなくて「この世にほぼ存在していない」アカウントだった。
ごくたまーーに見かける、絵をアップさえしていられればそれだけで自己肯定し続けられる〝最強の人〟でもなかったのだ。自分にもド下手なりに承認欲求があり、限界を迎えつつあったそれをマネジメントする必要があった。
ワンドロを知ったのはその頃である。
one drow、1時間以内で特定のお題の絵を仕上げて見せ合おうというユルい交流の一つだ。定期的な開催日時が決まっており、リアルタイムでお題の発表や作品のツイートを行う。
画力が乏しくても許してくれそうな場所を探し、おそるおそる参加してみた。
ここがとても優しく丁寧な運営であったことで、僕の世界は少しずつ広がっていった。
ワンドロのハッシュタグを辿って、同じ時間内で作品を仕上げた同志とそっと実力を見せ合う。
1時間ってすげー短いんだぜ?
最初は全然終わらなくて恥ずかしかったけど、徐々に時間配分に慣れてまともな絵を上げられるようになっていった。相変わらず下手なままだったが、中学の頃から憧れてたコピックなんかも使っちゃって毎週参加していた。
楽しかった。
ワンドロ仲間を中心に、月に1人くらいフォロワーが増えるようになっていった。
そして、ひょんなことからiPadを買った僕は、思いのほか身軽にフルアナログからフルデジタルに移行した。
フォロワーの伸びが変わったのはここからだ。数年がかりで、デジタル絵であることがある程度の共通言語として成り立っていたのだと知った。
泣いて喜んだ。
ワンドロには欠かさず参加し、10イイネ以上をもらえた絵はそっとスクショしていた。
どんな形であれ性癖を晒すのが重要なんだなぁと学び、iPad用のクリスタを導入して漫画も描いてみた。
コミティアに出したら3冊売れて、飛び上がるくらい嬉しかった。
一度だけバズったことがある。
気合を入れて描いたとある絵が、どれかのタグを辿ってフォローしている人の目に留まったらしい。
いつもは閑古鳥の通知欄に「20+」の数字を見た時、こんな世界があるのか…と呆然としてしまったことを覚えている。
この時のツイートの、右下の♡の数は、一生忘れられない3ケタになった。
もっと絵がうまくなりたい、どんどん描きたいと夢中だった。
そんなある時、ふとヘッダーを変えようと思い立った。
現時点で最高の出来になった絵を使って、その目元をトリミングした画像を設定した。
翌日。
仕事の休憩中、メールボックスに見慣れない2通の通知が来ていた。
明らかに昨日のヘッダーが原因だ。
凍結の理由は「センシティブな内容の抵触」。トリミングした画像のキャラの、ほっぺがピンク色だったからだろうか。
運営はエロ絵には敏感だと聞いていたので、細心の注意を払ったつもりだった。
甘かった。
そして僕のアカウントは凍結された。
通常であればまずは理由を通達した上でのアカウントロック、そこで改善が見られなければ永久凍結である。
だが僕の場合、ロックの通達からわずか1分後に凍結の通知が届いていた。
実質的な一発退場だった。
ロックにさえ気付けていれば、事の重大さを思い知って即画像の差し替えができただろう。
が、平日の仕事中、60秒間で全て対処するのは到底不可能だった。
迂闊な画像を使ったのは他でもない自分だ。が、やはり経緯にどうしても納得がいかない。
たくさん調べ、似たような体験談を探し(ぶっちゃけロック→即凍結のケースは見当たらなかったが)、なんとかTwitterの運営に異議申し立てを送った。
じりじりと待ち続けて3日、1週間、2週間、1ヶ月、3ヶ月、半年。
申し立ては定期的に行っていたが、結局、定型文以外の返事が返ってくることはなかった。
「あなたのアカウントはTwitterのルールに違反したため、復旧はできません。」
死刑宣告だった。
突然の凍結から、ずいぶんと時間が経っていた。待ちに待った返信は、その一言で終わった。
今僕の手元に残っているのは、フォロー・フォロワーが0になったアカウントだけ。10年間、この数字が一つ増えたり減ったりするたびに一喜一憂していたのだ。
長年使っていた馴染みのプロフィール画像だけがぼんやり残っている。
これがもしインフルエンサーとかだったら、Twitter本社に突撃して解除しました!みたいな体験談になるのだろう。
ただ、僕にはそんな実力も気力も体力もない。
あまりの理不尽さにふつふつと怒りが込み上げるが、近頃は悲しさの方が上回るようになった。
でも、友達もろくにいない僕が、めいっぱい好きに動ける場所だった。
「凍結されちゃいました☆」とのたまって新しいアカウントを作ることは出来るかもしれない。
けれど、いま僕の目の前にあるのは、一つの大切な拠り所を失ったという事実のみ。
もう…ちょっと立ち直れそうにないや。