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2021-04-16

anond:20210416172150

技術全般がそうじゃん

男が体を鍛えたり稽古格闘技を覚えるより、陸上部女子高生がナタを持った方が強い

2021-04-02

ひんやり冷たくてほよほよでたゆんたゆんのおっぱいの話

成人式で、乳を揉ませてくれた同級生地元に戻ってくるらしい。

トイレで書いてたら興奮のあまり長くなりすぎた。全部読んでも大したことは書いてない、すまない。

彼女同級生の中でも結構金持ちの家の子で、長い髪をお嬢様むすび?(アイマス橘ありすみたいな髪型)にして、授業中はメガネをかけていた。学区は近かったけど俺は野球をやってた上に、彼女はたいていデカ外車に乗ったお母さんが送り迎えをしていたからあまり学校帰りに一緒になることはなかった。

彼女とはただの同級生しかなかったから、思い出が特にたくさんあるわけではない。俺が外で遊んでいる時、彼女教室で本を読んでいた。あんまり、関わりはなかったように思う。

4,5年生の時だ。宿題が終わらないで居残りさせられていたら、見かねた彼女が手伝ってくれたことがあった。それから漢字の書き取りが多すぎると愚痴っている俺に「送り仮名が長い言葉を選べば少し楽じゃない?」と言って、例に挙げられていた「原因」ではなく「因みに」と書けばよいと教えてくれた。「ちなみに」という読み方を、この時知ったのを覚えている。

彼女はいから年賀状をくれるようになった。母ちゃんに「あんたにくれるなんて律儀な子だね〜」とからかわれるのが嫌だったけど、流行ってた丸文字じゃなくて大人っぽい字で、俺の名前と何らかのひとことを添えてくれていた年賀状は未だに捨てられない。

中学生になると、男女の溝がくっきりするようになった。彼女優等生の真面目な女子に、俺は野球部のイジラレ役になって、接点はまた少なくなった。たまに話す機会もあったけど、そのうち俺は彼女敬語を使うようになった。彼女は授業中も眼鏡をかけるようになって、髪型ポニーテールになっていた。彼女は県外の進学校に進み、俺は地元工業高校に行った。大学は知らないけど、多分有名なところだと思う。俺は、地元会社就職した。

成人式の日、着物彼女は遠目にしか見られなかった。黒っぽい高そうな着物を着ていたことだけはわかる。乳を揉ませてくれたのはその日の夜だ。俺の地元では、成人式の日の夜に中学校ごとの二次会が開かれる。

彼女ピンク色のドレスみたいなひらひらの服を着てやってきた。小さなブランドバッグを持っていて、やっぱり金持ちは違うな〜といじられていた。俺は誕生日3月から先生がいる2次会で酒は飲ませてもらえない。もう眼鏡をかけてはいない彼女ビールを美味しそうに流し込んでいて、大人になったんだなあと妙な感想を抱いたりした。

先生達が帰って、三次会居酒屋に移動したあと、彼女と話す機会が訪れた。「久しぶり、変わらないね」という彼女いかにも育ちが良さそうな喋り方は変わっていなかったし、俺は相変わらず「うっす」くらいしか言えなかった。隣に座った彼女は顔色1つ変えずお酒を飲んでは笑い、俺にお代わりをねだってコップを差し出してくる。こき使われているような状況もちょっと心地よかったのだが、彼女高校から付き合っているという恋人の話もしていて、ああ、彼女はもう俺の知っている眼鏡女の子ではないんだなと悲しくなったりした。

そうしているうち、不意に彼女がこう言った。「小学校の時、熱出した私にジャンバー貸してくれたでしょ。あれはときめいた」口ではそう言えばそっすね、なんて言ったけど、彼女が俺との思い出を残していることに驚いた。そう言えばどころではない。俺は、早退する彼女が返してくれた上着を着ずに持ち帰って、抜いた。首にあたっていたあたりからほんのり甘いような、新品の教科書のような匂いがしてしばらく置いておきたかったが、母ちゃんに洗われた。

「なあなあ、おっぱい超でかくなってね?」俺が甘酸っぱい思い出に浸っていたら、野球部のツレに耳打ちされた。

かに、昔から彼女巨乳だった。合唱部だった彼女は外で走ったりしないし、学年いちの巨乳だった陸上部女子ランニングする時ゆさゆさ揺れていたのでゆさパイと呼ばれていた)に隠れていたけど、多分学年で2,3番目にでかかったと思う。

ドレス姿の彼女の胸はだいぶ破壊的で、谷間は見えない清楚な感じのデザインにもかかわらず、その大きさは十分わかった。

「ひと揉みさせてやってよ!こいつ、こんなでっかいおっぱい触る機会なんてないと思うからさ」ツレが彼女にそんなことを言ったから、顔がボッと熱くなった。真面目な彼女から無視するか、不潔!とか言われるだろうと思った。なのに、彼女は笑って「こんなのでよかったらどうぞ?」と言って、胸を差し出してぴったりしたドレスの胸元をぺろんと開けた。

俺は取り敢えずいいっすと断ったけど、耐えきれず触ってしまった。酒に酔ってるはずなのに、彼女の胸はひんやり冷たくて、この世で一番柔らかかったと思う。三次会からは酒を飲んでたし、おっぱいの衝撃でその後の記憶ほとんどないけど、ツレの話だと他の男には揉ませていなかったという。女子は数人もんでいたらしい。

彼女は「明日普通に大学なの、辛い」なんていって、明け方まで飲んでそのまま電車に乗って帰って行った。それっきり、もう10年近く会っていない。そんな彼女が、地元に帰ってくるらしい。在宅勤務が増えたから、骨折してリハビリ中のおばあさんのために月の半分はこっちで暮らすのだとおばあさん本人が言っていた、と母ちゃんづてに聞いた。

俺は、ふうん、そうなん、と言ったけど、ほんの少し浮き足立った。別に、好きとか嫌いとかではない。連絡先も知らないんだし、どうということもない。でも、あのひんやりしてほよんと柔らかいあの乳が、俺の地元にあるということが嬉しくなってしまっただけで。反芻しすぎて食傷気味だったあの柔らかさが、また息を吹き返したみたいだ。今夜は思い出して抜こうと思う。

2021-03-22

スクールカースト後遺症と、エヴァンゲリオン

エヴァを初めて見たのは中学校2年生のころだった。

端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。

穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。

新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生同級生はみんな、自分の居場所リセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。

一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。

それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係階層構造が強まった。

勉強のできる学校地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった

当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。

ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。

プライドが高かったのだと思う。

階層トップの不良グループクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。

イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。

お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。

昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループ所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。

そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。

カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。

こんな感じで、安心できる場所学校には一切なかった毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。

その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器おしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。

学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。

小学校からやっていた陸上部を、中学校に入っても続けていた。

年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。

うちの中学校では、この県大会大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。

僕はどの競技選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。

小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。

知らないメンバーのために、部活からサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。

陸上のもの楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所自分から閉じてしまった。

部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCインターネットを利用した。

Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。

オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。

ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。

それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに場所を求めた。

ここまでがだいたい中学1年生。

2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。

小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。

修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。

僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子から男子からも人気のあったイケてるグループメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。

事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。

そして、ちゃん好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。

好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。

ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。

この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。

小学6年生の遠足の時、移動までのバスカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。

歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。

小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。

中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。

そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有自意識過剰から、まともに話すことができなかった。

そしてそのまま、拒否された。

一方的彼女好意を伝え、呼び出した複数人男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。

個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。

自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループ嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと自分のことが嫌になった。

体育の授業で複数人グループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。

ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族ゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。

結果、見事にハマった。

戦闘シーンやメカニクス描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳シンジや他のキャラ内面描写に、自分を重ね合わせて見ていた。

中でも人類補完計画セカンドインパクトは、思春期想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。

意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループ階層といった構造になると、途端に他人攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしま意識があることを知った。

何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。

他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。

人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。

でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァ世界から抜け出さないようにした。

繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジ人間ひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカ気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?

これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。

その後、県内では進学校だった高校入学し、校内の暴力的上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。

大学第一志望には落ちたけれど、都内学校に進学でき、希望していた地元から脱出は叶った。

だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。

人がいる男子トイレでのおしっこも、出ないままだった。

大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。

また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。

いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。

それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。

この時に身に付けた自信から就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。

今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。

誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。

できることが増えて、自分人生俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。

日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。

そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。

なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失ちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァ対峙することで、確認たかったのだと思う。

今日映画館に見に行くことができた。

僕はとても救われた気持ちになった。

今回の物語では、シンジミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。

第3村のトウジとヒカリレイ田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。

劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。

本当に良かった。ああ、これでいいんだね。

ありがとうさようならエヴァンゲリオン。

2021-01-16

俺の高校可愛い子多かった

 俺の高校普通に可愛い子多かった。ド田舎だが、地元では一番偏差値の高いいわゆる自称進学校。俺はそこにギリギリの成績で入り込んだわけだ。そこで思ったのが可愛い子多いなって話。俺は陰キャ高校彼女で来たことはなかった。成績も下っ端でずっとぼっちからクラスメート担任からバカにされまくり、家庭関係悪化し、普通に地獄の3年間だった。それでも何となく高校が楽しかった。それは可愛い子が多かったからだと思う。やっぱり美人って言うのはそこに居るだけで癒やしになるんだなって思う。無論、嫌なことが圧倒的に多く、もう一度やり直したいかと言われれば答えはノーだが、それでもjkたちのことは今でも覚えてるし、優しくしてくれたわけではないが、居るだけでつらさを和らげてくれてありがとうと思う。

 こんなことして自分でも気持ち悪いとは思うが、高校美人達を振り返っていきたい。

K田R

 ダントツ美人。成績優秀で陸上部所属運動神経抜群という学園ドラマに出てきそうな少女。声も可愛かった。控え目な性格ほとんど男子と話すことのない正に高嶺の花。努力家で勉強部活と頑張ってたから本当に凄い人だと思う。オーラ大人びててとても近寄りがたい。学園祭の時に和服着て、髪をカールにしたとき美人過ぎてビビった。

Y本K

 上記のRの友人。身長170cm以上。スタイル抜群のモデル体型。前見たときに脚の細さに驚いた。Rと一緒に登校してたが、二人並ぶ姿はとても美しかった。学園祭の時にアリスコスプレをしてたが、Rとハグしたとき光景はこの世の物とは思えないほど美しかった。明るい性格陽キャ

T.Y

 K程ではないが高身長。色白で目が大きくて鼻が高い西洋顔の美人上品で清楚な雰囲気。親が金持ちらしく、夏休みにはオーストラリアにいったらしい。

H尾.N

 色黒。やや吊り目、歯並びが少し悪かったがトータルで見れば美人

K折.Y

 色白、スタイル抜群。目が大きく、唇が厚く、鼻が高いハーフ顔。スクールカースト的には陽キャ

T.Y

 目が細いのが玉に瑕。他の人が細身なのに対し、普通の体型。性格大人しい。

K陽.R

 阪大文学部に現役で行ったエリート。色白の上品美人

N川K

 主席高校に入ったエリート。自宅浪一年東大理系に進学した。高身長で恵体。

目が細い

N尾M

 色白・小柄。明るい性格

Y女H

 名古屋大学に現役で受かったエリート。色黒細身。テニス部所属する文武両道才色兼備性格も明るい。

I葉E

 小柄の清楚美人中学からの友人の彼女

K井H

 小柄色白。人形みたいな可愛い見た目だが、性格は冷めてた。成績優秀なのに医学部看護学科に推薦で進学した。

2020-11-20

女子の好き避けの症状を挙げていく


今年で37になる。

恐縮だが、私はモテる方だ。

年に2回は女子から食事に誘われる。飲み屋に行くと女性客に話しかけられるし、タイプの子に「付き合って」と伝えてもフラれたことはない。

若い頃はモテなかった。高校生大学生の頃は、いつもモジモジしていて、おどおどしていて、恋愛受け身だった。今の私が当時の私に抱く感想というのは、正直いいものではない。

どうしたことか、27才の頃から急にモテ始めた。仕事とかで自信がついて、笑顔と余裕が増えたからだろうか。顔つきも若い頃に比べて変化した気がする。目力も強くなった。何よりも心だ。

さて、『好き避け』という言葉を知る機会があった。かぐや様のアニメで知った。

恋する女子ありがちな症状で、意中の人の前で、「あなたが嫌い」みたいな態度を取るらしい。

私の中で稲妻が走った。そういうことだったのかと…

「私のことが苦手なんだな」という態度を取った子でも、なぜかガードが緩い子が何人もいた。

貴重な経験だったのかもしれない。記録として残しておきたい。

印象に残っている子を3人挙げる。特定されたら困るので、ある程度は時系列などをぼかしている。



1人目.カシワギさん

・ある年の春

会社製品一般市民アピールするための行事で一緒になった。

かなり若い子(18か19のはず)だったので、イベントでの動き方がわからず、仕事がなくて泣きそうになっていた。

私がその時にやっていた、くじの引換券を整理する仕事をあげたら、そそくさと仕事を始めた。それから十数分おきにトコトコとやってきて、「もっと」みたいな無言の催促をしてきた覚えがある。

・ある年の夏

当時は、土木コンサルで働いていた。土地の測量や道路設計をする仕事だ。

ある時、公図が必要になって、カシワギさんが働いている部署に行く機会があった。

ブルーマップコピーを渡したら、必要データをすぐに拾ってくれたのだが、様子がおかしい。

公図のコピーをくれる時に、かなり上ずった声で、「個人情報なので気を付けてください!」と言われた。

受け取った直後に目が合ったが、瞬間、凄まじい勢いで真下を向いた。

それからおかし挙動が見られた。

廊下ですれ違った時に挨拶をしたら、真横を向きながら「お疲れ様です」と言う。階段でぶつかりそうになったので謝ったら、口をへの字に結んで何も言わずに上階に向かった。

カシワギさんのいる職場で調べものをさせてもらっている時に、不明な点があったので声をかけたら、ロケット砲みたいな勢いで椅子から飛び上がって、私の前にまっすぐに来た。顔は強張っていた。

・ある年の秋

夜9時頃に退勤して、駐車場の中を歩いている時だった。カシワギさんを追い越したのは。

お疲れ様です」と声をかけると、いきなり携帯の画面を眺め始めた。もちろん無視だ。

「そんなことしたら駄目だ!よくない社員になってしまうぞ」と怒ったら、悲しそうな顔で立ち止まった。

ハラスメントはしたくなかったので、私はそのままマイ自動車の方に向かった…

・ある年の春

カシワギさんから告白を受けた。

いきなりだった。イベントで一緒の受付係になって、話が盛り上がって、そろそろ午前の部の片付けかなというところだった。

やんわりと断った。危うく、若い社員らによるイタズラに違いないと判断するところだった。

今思えば、好きになった理由的なものを聞いておけばよかったのかもしれない。

この時分は、好き避けなる言葉を知らなかった。

これまで私を好きになった女の子は、みんな私の目をキラキラとした瞳で見つめてきた。顔はほころんでいた。隙あらば間近に寄ってくる。

2人目.イイノさん

近所のスーパー店員だった。

会計をして、レシートを受け取って、商品レジ袋に入れに行こうとする時――かなりの確率こちらを見てくる。

私もイイノさんを見返すと、流れるような動きで体ごと視線を逸らす。

とにかく動きのある子だった。例としては…

レジ入り口で、イイノさんの視界に私の姿が入った途端、彼女はクルッとターンをする。ポニーテール空気を弾いて宙をまわるので、見逃したとしてもターンしたことは嫌でもわかる。

レジを受けてもらって、商品を袋に入れて、さあ帰ろうかというタイミングで、イイノさんは必ず私に背を向けている。ほかの店員さんは、レジカウンターに向かってまっすぐ(客から見て垂直の方法、または斜め)を見ているのに、あの子だけは私に向かって背中を向けている。それで、いつも買い物袋をワシャワシャと掴んで離してを繰り返している。

③ある時、イイノさんが髪型を変えていた。千円札を渡したところで、「髪の感じ変わった?パーマかけたんだね」と聞いたら、「ハイ、変えました……」とだけ答えた。お釣りを握っている手が震えていた。10円玉が零れ落ちそうになった。このご時世だというのに、イイノさんは直でお釣りを渡してくる。ほかの店員さんは、お客さんに直接手渡しせずに、四角い入れ物みたいなやつにお釣りを置くのだが…

3人目.フジワラさん

いま勤めている会社の後輩だった。

の子最初から様子がおかしかった。

1週間に一度は廊下で会うのだが、いつも私から逃げていく。

挨拶する時は割と普通なのだが、距離が近づくと一気に駆け足になる。

ある時、逃げようとするのを片手でブロックして、「フジワラさんは陸上部だったの?」って聞いたら、「ごめんなさい」と言って俯いた。笑んでいた。

朝、出勤する時に廊下を歩いていて、その子がいるオフィスを通りかかるのだが――私の姿を認めると、掃除をやめてこちらに歩いてくる。そのままずっと、私の部署まで数十メートルを一緒に歩くことになる。そんな体験を二十回はした。

ある時、仕事で一緒のチームになった。会社のものをPRするための行事だった。どんな記念品がいいとか、会場の導線はどうすべきとか、いろいろ打ち合わせをした。

の子も、私と目を合わせなかった。合うといえば合うけど、まずいものでも見たかのように視線を下げる。2人でいる時に複数選択肢があった時に意見を聞くと、必ずと言っていいほど「どっちでもいいですよ」というフレーズが出てくる。

ふふっと笑いながら言うので、ムカついてしまうこともあるけど、私がどちらかを選ぶと、その後は必ず言うことを聞いてくれる。

なんだかんだで賢い子だった。仕事の内容に注文をつけまくっていたら、いつの間にかレベルの高い成果品が仕上がっていた。

一か月後に私から告白した時は、「わたしでいいんですか?」とドラマみたいな台詞を返してくれた。

それからも色々と世話になった。今の私のポジションがあるのは、はっきりいってフジワラさんのお陰だ。感謝している。でも、当時の私は感謝言葉を述べなかった。

今は、感謝を伝えたくてもできない。神様が許さない。

今でも夢に見る。

の子のお墓に行って、目を閉じると、あの子の姿をした何かが私の方に降りてきて、「ありがとう」「ごめんね」と呟く。それで、私は「よい旅を」とだけ告げてお墓を離れる。そういう夢を見る。

ありがとう。今ここでこんなことを書いてもしょうがないけど、とにかく私はフジワラさんに感謝しているし、尊敬している。来世で会いたい。



長くなった。

三千字以上も書く事ではなかった。不快になった人がいたらごめん。

読んでくれた人に感謝する。

2020-10-06

非モテナンパ

なんか非モテ流行ってるみたいだね

俺はナンパ10代の頃からしてるんだけど、モテるモテないってのは勉強スポーツ以上に才能が明確に出るものと思う

努力でどうこうできるものではなくて、生まれながらの見た目や雰囲気などが占める要素が大きい

太った人が陸上部へ入って短距離頑張っても無駄なのと一緒

中高でモテ経験ない人は恋愛は諦めて研究仕事を頑張るべきと思う

モテるようになりたい!とかでナンパ始めても上手く行かずにみんな脱落する

2020-09-09

不登校理由はいらない

私は中2の11月から不登校でした。(今は大学生

家族にも先生にも不登校になった理由を何度も何度も聞かれました。

でも答えることは出来ませんでした。

学校を行かない理由にならない気がして

怒られるんじゃないか不安で。

私が不登校になったのは世間想像するいじめではなく

さな事の積み重なりでした。

私は自分で笑いをとりに行くことが好きで

結構体も張る方でした笑

すると周りもいじっていいみたいな空気になるので

いじられることが多かったのですが

シンプル人権侵害みたいな発言をする輩が

そこそこいたのが嫌だった事

休む日が増えてしまった時にサークル(30分くらいの畑仕事でたまに食べ物が食べれる)で

部活も一緒だった野郎に「食い逃げ」呼ばわりされた事

(休んでない時以外は絶対行ってた)

部活がキツかったけど休めなかった事

陸上部

生理痛マジでエグい人種から生理の時いつも死んでた)

たまに殴ってきたり容姿馬鹿にしてくる男子がいた事

それを先生に言うとあいつはそういうやつなんだと

笑って流された事

学校に行かなくなって別室登校でもいいから来てほしい

何があったは聞かないからって先生に言われて行ったのに何時間も聞き出そうとした事

そんなイジメとはとれない小さなさな出来事の積み重なりで私は学校に行かなくなりました。

でも辛さなんて人それぞれでしかないし

私はこれだけで結構メンタルにきたか

不登校になっただけ

正直そのまま行ってたら爆発してとんでもないことに

なってた気がするから

今少しでも辛いと感じているのなら

学校でも会社でも

休めばいいと思う

周りの理解を得れない人も居ると思う

そんな人はこっちから切った方が良いと思うけど

切れないのもすごく分かる

学生だと親みたいに切れない関係にいる人も居るし

でも自分が少しでも楽になる方に動いて欲しい

なんか辛いか学校に行かない

なんか辛いか会社に行かない

それでいい

2020-09-07

追記anond:20200907075225

shields-pikes 近年、陸上距離女子選手露出度が高過ぎるのは謎。空気抵抗を減らすためと言う理由はわからなくもないが、それなら大会本番だけで良くない? そもそも、なんで男子は腹出してないのに女子だけ腹出してるの?

中高が陸上部だった30代半ばのおっさんです。

元の文章はよく読んでいないけど、ブコメの疑問に回答します。

俺が学生だった頃は女子のセパレートは一般的ではなかったし(少なくとも周囲では)し、種目が中長距離競歩だった俺は(セパレートの恩恵が大きいと思われる)短距離のことはあまりからないので想像も多分に混じってますが。


そもそも、なんで男子は腹出してないのに女子だけ腹出してるの?

女子は胸があるので、その分だけ胸~腰にかけてシャツの中に隙間ができます

風を受けるとその隙間のせいでシャツの布がバタついて余計な空気抵抗が生じてしまうのでセパレートになっていると思われます

(そういう意味では、短距離はセパレートが合理的な一方で中長距離はセパレートである必要性はないのでは?と個人的には思います。後述の涼しいというのはあると思いますが。)

[追記]

女子用のウェアを調べてみたところ、セパレートの上にはパッドが入っていて1枚で着用できるみたいです。

普通ユニフォーム(男子みたいなやつ)だと下着 + ユニフォームの2枚になって暑い & 洗濯物が増えるので、女子だと種目に限らずセパレートの需要が高そうです。

[追記ここまで]


それなら大会本番だけで良くない?

ユニフォーム = 本番の勝負服」というイメージがあるのかもしれませんが、ユニフォーム勝負服ではなく陸上競技に取り組む際の専用服です。

基本的に本番だから着る(or 練習から着ない)、とかそういう理由で着る(or 着ない)ものではなく、可能なら練習時もユニフォーム着用が望ましいです。

練習の時点で本番と同じ格好をしていないと体の感覚が狂います

例えば、ハーフパンツとランパンでは脚の可動域が変わるので、フォーム微妙に変わります(特に距離だと影響が大きいと思います)。

本番は間違いなくユニフォームなのだから、本番に合わせてユニフォーム練習するのはおかしい話ではありません。

(もちろん気温等の状況に応じて適切な格好はあると思いますが、Tシャツハーフパンツよりはユニフォームが極力望ましいという話です。)

[追記]

競泳選手練習から競泳水着を着ているのと同じです。

海パンビキニ練習する人は多分いないはずです。

[追記ここまで]

また、陸上競技(というかスポーツ全般)は現在の実力から目標までの距離を埋めるために練習します。

可能な限り本番と同条件で練習をしないと現在の実力と目標までの距離を正確に測れないので、最適な目標練習メニューを立てられません。

ユニフォームからは話が逸れますが、トラック種目に出場予定なら土のトラックではなく全天候型のタータントラックで練習した方が良いのも同じ理由です(土とタータンだとタイムがかなり変わるので正確な実力が測れません)。

あと、ユニフォーム涼しいです。

Tシャツ & ハーフパンツでも大差なくない?」と思うかもしれませんが全然違います

肌の露出が少しでも多い方が(布と体の間に)熱がこもらない & 肌に風が直接当たって体を冷やしやすいので、特に夏は練習時でもユニフォームが良いです(日焼けによる体力の消耗との兼ね合い等は当然あります)。

[追記]

冒頭の追記の通り、女子用は1枚で着られる(下着不要)なのでセパレートの上は圧倒的に涼しいと思われます

[追記ここまで]


その他

下半身男子女子で大差ない(少なくとも胸のような大きな突起はない)はずなのに女子だけランパンの形状がブルマになっている理由はよく分かりません。

・「涼しい」という観点では男子もセパレートの方が良いと思いますが、女子と違って「胸による空気抵抗」があまり問題にならないのでセパレートに移行する動機が薄い(& 需要が低い)のだと思います

2020-08-17

anond:20200817045042

少女小説が好きな増田に読んでほしい本がある。MF文庫J清水マリコ著「ゼロヨンイチロク」。少年向けラブコメレーベルから出てるけど、高校1年生の女の子同級生男子コンビを組んで(恋愛宇要素なし)謎の女の子SFすこしふしぎ)に挑む青春ものです。

あらすじは次のとおり。「岸本めぐみは、陸上部所属する元気な高校1年生。ごく平和毎日を過ごしているはずが・・・・・・TVドラマ脚本家のお母さんが突然失踪しちゃった! 頼りにならない「専業主夫」のお父さんに代わってめぐみミステリー好きの級友・通称明智」とともにお母さんを捜し始める。そんなめぐみの前に、なぜかめぐみを憎んでいるらしい謎の美少女が現れ、ふたり邪魔をする。いったいこの娘は誰!? お母さんはどこへ行ったの!? 清水マリコtoi8コンビが贈る新たな都市伝説ミステリー!」

私はこの著者の作品少女小説ぽさを感じている。少女小説は、「平凡な(あるいは自分が平凡だと思い込んでいる)少女が、すこしふしぎ世界を通じて自身内面対峙し、少しずつ変化していく」話だと私は思っている。ゼロヨンイチロクはまさにそんな話なので、よければ読んでほしい。

2020-07-24

母の一周忌を迎え、私を取り戻す。

母の一周忌が来た。


一人称としての「私」は、母に奪われたものだった。

幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、

見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。

『私ってだあれ?』

…誰?確かに誰なんだ?


それ以降、どうしても使わなければならない時以降、

一人称としての「私」は使わなくなった。

一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内こだまするからだ。


ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。

母にミロを飲まされていたのを思い出す。

小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。

父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたこから母方の祖父暮らしていた)

それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。

母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。

恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。

それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。

怒鳴るしかしなかったのだろうか。

しかも、祖父料理がとてもうまかった。


母については、他人愚痴を言っているか、怒鳴られているか記憶しかない。

しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。

こうはなりたくないな、しか思っていなかった。


そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、

私が中学生になった頃から母の様子がおかしくなってきた。


母が笑うようになった。


正直、何に笑っているかからない。


話は戻るが、

私が小学生の頃から聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。

私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。

父と祖父が、黒服女性が来るたびに何度も何度も追い返した。

ある時から、本当に来なくなった。


黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。

父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。

そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。


笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。

座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。

笑う、泣く、ツイッターbotのように出てくる支離滅裂言葉


こんなのずっと見てたらこっちがおかしくなる

一人暮らし金銭的にできない

からできるだけ家にいないようにしよう


中学陸上部を始めた頃だった。

友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。

インドア派なのに帰りが遅くなる矛盾人生が始まった。

陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。

運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。

ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲーム難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。

気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。

そして、聴く音楽自分メンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。

これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。


そうやって私が我が家から現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。

つの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。


デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って

「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。

「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。


目の前にいるのに。

大学生になって、もう陸上は辞めてしまっているのに。


その時、珍しく母は笑顔だった。


その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、

昨年ようやく亡くなった。


申し訳ないが、「ようやく」という気持ちのほうが強かった。

死因は若年性アルツハイマー認知症、病歴20年。

病歴を見たとき人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。

妹なんて、元気だった母の記憶が無いレベルだ。


母の一周忌が来た。

これから取り戻せるものがあるのかどうか正直わからない。

今までいろいろな物事を諦めたような気がする。


結婚なんてできる気がしない。

母と同じような結末を迎える気がしてならない。

祖母も脳縮症で40代に亡くなっているからだ。

母も40代からボケ始めている。

そもそも、今更相手がいない。


この先どうやって生きていくべきか分からない。

でもまだ生きていたいから生きている。

ただそれだけ。


言い方はよくないが、母が亡くなったことで

一人称としての私は、取り戻し始めている。

そこから先をこれから見つけていかねばいけない。

2020-04-01

anond:20200401125535

それを表すのに特定符丁つける必要ないだろ?

しろプロフィールムービーなんて出席者に見せるんだから

陸上部メンバー」「テニスサークル」とかでいいはず。

そもそもそういうことじゃなくて、

本人たちにしかからない名前を、その集団につけてるんだよ。

7人組だったから「SEVEN」とか、

サイゼリヤでいつもだべってたから「フォカッチャ族」みたいな、

正直本人たち以外が見ても?ってなる名前がついてるんだよ。

2020-03-25

いやなことを思い出したので書く

anond:20200320173115

↑こいつのおかげでいやなことを思い出したので書く



俺の幼なじみ。俺を見事にオタクにした張本人なんだけどさ、こいつ、すげえ美人非オタ奥さん結婚して子ども4人いるんだよね。

で、奥さんすげえオタ趣味理解あってさ。今でも家族旅行冬コミに併せてくれたりとかすげえ家族仲いいんだよな。

同中つうか同級生

彼女陸上部、俺らは美術部という名のオタサーで、同級生という以外に特に接点も何にもなかったんだけど、そんな俺らにも気さくに話しかけてくれるみたいなすごいひとで、同時に当時は苦手だった。

成人式にも出なかった俺なのに、何故か彼女は覚えてたんだよなあ。バスタ新宿でいきなり話しかけてきてさ。

俺は正直記憶になかったのに、彼女は覚えててさ。ヒマだしとかいって隣に席移ってきて話して、メルアド交換して…。

久しぶりに帰省するからみんな集まるし、俺も友達誘えって言われて奴も誘ったのさ。

なんかすげえ気遣いができて、ボッチの俺らにも話しかけてくれて、なんかこう。ほら、アレだよアレ。女性と話した経験がない奴はちょっと優しくされただけで惚れちゃうっていうアレ。アレよ。



で、見事にバウムクーヘンエンド(笑)

(↑この言葉はじめて聞いたとき笑いが止まらなかったwww)

奴ら、私たちを引き合わせてくれたキューピットとか言いやがるのでキューピットコスプレして場をあらしてやったわ(笑)

仕事蹴って時間作って、仕事なら100万ぐらいもらわないと駄目ぐらい金と時間かけて動画作ってやったわ。本人の次ぐらいに頑張って結婚式盛り上げてやったぜ。



何の話だっけ?

ああ、そうだ。

奴にさっき、奥さんにオタ趣味の事どうやって言ったの?ってLINEした。

なんか奥さんにはライトなやつから見せたらしい、普通に分かってくれたらしいぞ。すごいすごいって大げさにリアクションする姿が目に浮かぶわ。



お前も彼女できたの?とか言われたわ。ははは…。んなわけねーじゃんな。はは。



ちょっと横になるわ…。

夕飯はカレー鍋にする。できるだけ辛い奴

2020-03-22

ゴリさんと言われていた同級生女子中学生

 いい大人になると急に中学の頃を思い出したりすることがある。

 なので、中学時代に隣の席にいたゴリさんというあだ名が定着してしまった女子中学生の話をしよう。

 ゴリさんというのは勿論、あだ名である

 ゴリさんは成績優秀、スポーツ万能、陸上部エースである。足はすごい太い短距離走者だった。

 しかし、身体がごつくてゴリラっぽい顔した女子だった......。

 そういう女子クラス男子がいつからゴリさんと呼び始め、そのあだ名は定着してしまった。

 ゴリさんはきちんとした女子である人間である。心優しい人であった。

 そういうあだ名をつけられて、女子から男子からゴリさんと呼ばれても平気な顔をしていた。

 自然にふるまっていた。

 中学1年の途中から卒業までずっとゴリさんと呼ばれていた。

 卒業式ですら、ゴリさん卒業おめでとうー ゴリ先輩って言われてた。

 女子なのに。。。

 ゴリさん地元で一番レベルの高い公立高校受験して見事に受かっていた。私も同じく受かっていた。

 そして、京大に見事に現役で受かっていた。

 そこからは、あんまりしらない。。。

 でも、いっつも気になるのは、女子中学生ゴリさんというあだ名をつけるのはどうなんだ?

 しかも、それが定着して 毎日毎日 ゴリさんと呼ばれる女子中学生

 もしも、自分の娘がそういう目にあっていると思うと、胸が痛む。

 でも、そういうことが平気で起こるのが中学校という魔窟である

 4月から中学に通うであろう 小学6年生。

 変なあだ名をつけるんじゃない!

 きっと、その子は傷つくぞ!

 と、そんなことを思った今日でした。

2020-02-02

陸上部女子出会いたい

ただし短距離に限る。

やっぱ競技場に紛れ込むしかない?

筋肉質な脚を1日中デッサンしてみたい。

顔はどうでも良い。

2019-12-11

こういうの好き

2019-11-21

息子が永遠にホモ拷問でヤられる小説架空)を書くんだ!

会社でパワハラしてくる社員のインスタ見つけて息子の学校まで特定した

有効悪用法とか物騒な事書いてあるがちょと待て欲しい。ヤル気が無くても日常に考える事がフッとしたタイミングで爆破し警察のお世話になるとかニュースでよく見られるかも知れない。

それと法律屋などに相談した方がいいが、それでも法的に復讐が難しいのであれば、すまんが堪え欲しい。

奥さん宛に郵送やらインスタ印刷して郵便受けにうんたらもちょと待てって欲しい。

そいつから離れるべきだが、生活上難しいかもしれんし離れたタイミングで怒りが暴走する恐れもある(自分の機嫌は自分で取れ)

あとお怒りすまんが、息子さんに攻撃もあとパワハラ会社攻撃も(訴訟など合法的攻撃は良し)絶対ダメ申し訳無いがNGだ。堪えてくれ。

そのかわりフィクション世界復讐してやれ!もちろん架空人間でな。

相手増田太郎という息子で部活陸上部なら『減畑二郎部活水泳部』などモデルが分からいくらいの架空人物を作り出すんや。

そんな架空人間の息子が永遠にホモ拷問される小説をどっかのネット小説投稿に出すんや。章の終わりにホモセ受けた息子がホモ死させるのも良しまホモ化した息子を見て親(これも架空キャラ作れ!)が発狂憤死させるも良し。そして次の章には何故か復活でまた死ぬ復讐小説ダメか?異世界レベル架空世界架空人間を殺しても罪にはならん。(だと思う…)

あと足の付かない方法なら小説作品コメントなどで(たとえば現実は『沖縄会社員で働いてる』場合など)「北海道ニートしながら小説書いてます!」な作者特定避けのウソコメントを書いてもう作者すらも架空存在しろ

そんな個人ヲチして楽しむくらいにすぐらいはどうか?

2019-11-13

anond:20191113121325

生理が止まるレベルガリガリにしてると、胸はほぼ無くなるのは事実なんですが、

例えば中高生陸上部マラソン選手レベルになるとお胸はそれなりにあります

ただ、その胸の揺れは専用のスポーツブラでがっちり止まります

スポーツブラか普通のブラかどうかで、走行時の揺れ具合はまったく変わるので、

揺れて痛くて困ってる人はマジブお勧め

2019-11-02

数学オリンピック日本代表6人中5人が筑駒だったときの、そのうちのひとりと同級生だったけど、あのなかでも陸上部のやつとかい運動部やってなおかつ数オリに出てたわけで、

いっぽうでぼくはハンドボール部で開成との練習試合ですら太刀打ちできなくてヒーヒーいってて、しか数学もよくわかんねえなあ、鉄緑いってる奴ら出木杉くんでこええなあ、とか思ってて

どっちも筑駒から東大理系に行って、という点だけみれば外から見ればおんなじなんだけどさ、中からみるとトップボトムの差があまりに大きすぎるんよ、あれはやべえよ

たぶん日本で一番卒業生バリエーションやばい学校だよあそこ、東大数学教授とか官房長官かいるとおもえば、ドラえもんレギュラー声優とか人気AV男優とかもいるんだもん

2019-10-29

借り物競争であの憧れの彼と手を繋いで、やだときめくどうしよう、心

先日SPOTさん主催罵詈雑言運動会に行ったのですね。

埼玉VS千葉で私は埼玉軍。

いくつか競技があって借り人競争があったのですよ。

めくったカード指定してカードワードに書かれている人を手を繋いで連れて行く

(例、キティちゃんグッズを付けている人)

一番最初の回でヨッピーさん含め4人で走ったのですが

いきなりヨッピーさんが私の元に来て手を引いて走ったのですね

身長155cm、ヨッピーさん180over

歩幅が違うから私はヒィヒィ言いながら走るんです

一瞬でしたが怒涛の動きでした

それでワードは(すみません、SPOTさんレポートが書かれてからここは書きます

だったのですが

審判の方に「これはたしかにXXXですー」と言われても

(ふぁぃ、そーれぇぇすrねねねねんえええええええ)



みたいにしてラリって私はまともに返せないんですよ

走った距離トラック半周ですよ


まぁそれで

(コレ、少女漫画にある借り物競争で偶然彼と手を繋いで…とか死ぬじゃん

彼が同じ位の身長じゃないと死ぬじゃん

もしくは彼女陸上部スポーツ関連で相当で走り込んでないと死ぬじゃん)

と思いました


その後

埼玉軍で(XXXをしている人)というカードを引いた方がいらっしゃったので

もう一度私は走ったのですが、同じくらいの身長の方だと全然違います

ガンガン走れます





そして帰宅してから気がついたのですが、博多座前の鈴懸の牛タンシチュー

福岡に行くならオススメですよー!とヨッピーさんにお伝えするの忘れました

多分もう1000人位が言っていると思います

来年に向けてさらジム身体を鍛えます

2019-09-07

女子校時代に出来なかった片思いの恋バナを5年経った今だから

私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意

中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。

中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん体育祭の時に疲れた愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み家族ハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別ものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。

高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私からしかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。

高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。

しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。

高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラス私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験純粋心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校キリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。

ある日の放課後雑談をしながら謝恩会作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。

冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。

それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。

謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。

バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作り学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族キモいと叱られた。

その後、彼女第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。

合格者発表から日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験ストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。

卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラス打ち上げ解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。

本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方自分は行くのに、Dが大学彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。

2019-09-02

anond:20190902091044

俺にもあんな頃があったなぁって懐かしくなってさあ

ほら俺昔陸上部だったか

2019-08-31

小学生の時のこと

小学生の3年生くらいから仲良くなった友達がいた。

お互いの家を行き来したり、駄菓子屋行ったり、他の友達も交えてたくさん遊んだし、一番の親友だった。

5年生だったか6年生のころ、いつものように一緒に学校から帰っている時、

増田くんの真似してやろっか?

と言って、変な顔をされた。そんな顔してないと言ったが、よくしてるよ、ほらっ。と、しつこくそ変顔をされた。

まりにもしつこかったので、思わず頭をひっぱたいてしまった。友達は泣き出した。痛かったのではなく、いきなり叩かれたことを避難された。

もう、増田くんとは友達やめた、絶交だ。

と言われ、その子は去っていった。

親友に手を上げてしまたことが悲しく、その後泣きながら家に帰った。

絶交だといった時のその子の恨めしそうな目が、脳裏から離れなかった。多分、人生で感じた初めての罪悪感だったのだと思う。

次の日学校でその子にすぐに謝りに行ったけど、無視された。それでもしつこく謝り続けたけど無視された。それでも謝っていると、だんだんの子もニヤニヤし始めた。

あぁ、許してもらえたんだと、とても嬉しかった。

ただ、その変顔理由が分からなかったので、冷静に確認してみると、

増田くんはよく鼻の下をすごく伸ばしてる顔してるんだよ、変だよすごく、

と言われた。自分では気がついていなかったけど、鼻炎持ちだったので鼻がむず痒いときにしていたクセだったようだ。

後で鏡を見て確認したら、確かに変な顔だったので、意識してクセを直すようにした。

その友人とは中学卒業するまで、ずっと仲良しだった。部活陸上部で一緒になり、自分は長距離、友人はハードルを得意にしていて、共に切磋琢磨した。

中学卒業後、別々の高校に進んでからは、全く会わなくなったし、その後その友達がどうなったのかは今でも分からない。

ただ、自分にとっては、もう会うこともないかもしれないけど、一生忘れることのない、かけがえのない友達と思ってる。

2019-06-24

いじめ被害者はどうしてイジメに反撃しないの?

野球部員に自転車体当たりしたり陸上部員の頭をステンレスボトルで殴るのがどうして難しいの?

anond:20190623200513

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