はてなキーワード: 陸上部とは
島根大学教育学部に入学。陸上部に所属し、長距離選手だった。しかし、大学は3年で中退した[8]。
中退の理由は、父と同じように教員免許を取っておけば仕事に困らないだろうという考えはあったが、周りの学生たちのように頑張りたい目標が無かった。
2019年3月6日、初の単独ライブ『ブルゾンちえみ本能ライブ~記憶のこたえあわせ~』(東京・赤坂 草月ホール)を開催。この単独ライブが、達成感を得た一方で、こういうエンターテインメントをやりたい、こんな私を見てもらいたいと思って、自分でお金をかけて用意してライブをやったのに、実際にはテレビの仕事中心でお金を稼いでいるので、これじゃ仕事ではなく趣味じゃないか、このままでいいのだろうかと違和感を覚えた
4/15 行列のできる法律相談所に出演
twitterに書くかどこに書くか悩んだけど、こんなところがあったのを思い出したのでここで書きます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b84fcb1580d7cadd4c3564ede34e36c4c3ceb744
民家に侵入して現金を盗んだとして、警視庁捜査3課は、窃盗と住居侵入の疑いで、東京都港区六本木、「虎の門病院」の研修医、○○○○被告(31)=別の窃盗罪などで起訴=を再逮捕した。逮捕は3回目。調べに対し、「以前、登場人物が黒装束で泥棒する映画を見て刺激を受けて、盗みを始めた」などと容疑を認めている。
仲の良かった友人が逮捕されました。
この記事を見て、最初は悲しく、なぜこんなことをやったのか怒りとやるせなさが込み上げてきました。
彼とは京都にある中高時代の同じ部活で知り合い、それ以来仲のいい友人(と少なくとも自分は認識して)でした。
中学時代は陸上部と文化系の部活を掛け持ちしていて、高校時代は文化系の部活に入っていました。当時から医者になりたい!という話を聞いていて、内部進学せずに2浪して金沢大学の医学部に合格したという話を聞いたときはとても嬉しかったのを今でも覚えています。
後に自分が金沢に住むことになったときは金沢の片町でサシ飲みしたり、同じ部活の友人たち一緒に飲んだり旅行したこともあります。
私は次に彼と会ったときに何を話せばいいんでしょうか?
また彼の就職祝いで2017年2月に富山を旅行しましたが、報道によるとそのときにはすでに犯罪者だったようです。
当時彼はどういう心境だったのか、何を考えていたのか、当時に戻れるなら自分は何が出来たのか…
追記1
どちらかというと漫画に対して賛よりのレスが多いのが意外だった。
危険性も緊急性もない借金(奨学金)の返済のために犯罪に走るって全然納得できない。
「相続放棄せずに相続してしまった親の反社組織からの借金がー」とか
「たった一人の肉親である妹が余命1年で手術費用がー」とかならベタだけど納得感はある。
「金金金、とにかく遊ぶ金が欲しー」とか
「社会人になったけど、就職先がブラック企業で心身を壊し退職。奨学金返済だけが残った。返済するためにー」とかもきついけどまだマシ。
現役大学生のうちから「奨学金返済のために犯罪します」っておかしいよ。
anond: 20211217222313
主人公は少なくとも1話の時点では立場が悪い人ではないんだよなー。
続きを読めばそういった背景もあるかもしれないけど、それならそれを最初から出すべき。
anond: 20211217223131
子供の治療費のために身売りする 未亡人の官能小説読んだわ。 なかなかぐっときた。 やっぱね、それなりの理由があるとのめり込み方が違うよね
だね。
自分はその小説を知らないけど、仮に「ホストに貢ぐために身売りする」とか「アイドルの追っかけ費用のために身売りする」とかだったらかなり白けると思う。
今日も元日大生の陸上部が卒業出来なくて奨学金の支払いに追われてオレオレ詐欺に手を出して捕まったみたいなニュースやってなかった?
ニュース見たけど「元日大生」じゃなくて「日大生の元陸上部」だった。つまり現役の大学生。
4年生で24歳だから留年したのかもしれないけど、現役の大学生なら返済猶予ができ、現時点で返済に追われる必要はない。
ニュースには「友人からの借金」ともあるからそちらが本命だろう。
anond: 20211217225740
最近は親が子供にApple Watchをもたせてたりするんだってな。
それってスゲーよ。
Apple Watchって自己管理するためのアプリいっぱいあるしさぁ。
今使ってるやつ知って、自分がいかに無理して走ってたか思い知らされたね。
これでも中高生の頃陸上部だったんだけど、これじゃどうやって長距離走るか分かってなかったって事だよなあ。お恥ずかしい。
こういうアプリ子供も使ってるんでしょ?部活とかで使ってるんでしょ?
そりゃー良いわ。良いなあ。俺も中高生の頃こんなの欲しかったよ。
今30代だけど、俺の練習中はドラゴンボールや刃牙みたいなエクストリームなものばかりイメージして励んでたよ。
俺の頃にApple Watchがあればなあ。今頃オリンピック出られたのに。
同じサイゲでも、まだプリコネやデレマスの方が面白いだろ。ただ擬人化された馬がエイトマンや009みたく光の速さでダッシュしてるだけやん。中身も何もなくスカスカ。「うまぴょい」とかふざけてんのか。そもそも競馬自体に何の魅力も感じない。俺は周囲の人間に影響されやすいから、今までは数々の流行にも乗ってきたがウマ娘だけは無理。言い方悪いがグラブルみたいにひっそりと消えてほしい。ウマ娘ユーザーには申し訳ないが、俺の感覚だとクソだから。まだ中身のない深夜枠の萌え系豚アニメの方がマシ
余談ですが俺は高校の時に陸上部で50m走りも6秒代後半を更新した記録があり、年を食った今も速度が衰えてない。ウマ娘に、わざわざ走らせなくても俺が走れるから問題ない
今31歳。
高校の頃ウィダーのを試したのが初プロテインだったが、美味しくないのであまり続かなかった。
あとドラゴンボールかイチローの影響か、プロテインなんかやって筋肉モリモリになったらスピードが落ちてしまうとか思ってた。
田舎の弱小陸上部で短距離やってた少年に知識なんてなかった。家にはネットもなかった。
1年前からまた摂り始めた。
どこのとは言わないが最近のプロテインは美味しくて続けやすい。
トレーニングはほどほどにしかしてないが、筋肉を維持しやすくなったと感じる。
便利だなあと思う。
特にプロテインの重要性は若い頃もっと知ってれば、俺ももっといい成績出せたかも知れないよなあとか思う。
スパイクとかそんなもんばっかこだわってたよ。
成人式で、乳を揉ませてくれた同級生が地元に戻ってくるらしい。
※トイレで書いてたら興奮のあまり長くなりすぎた。全部読んでも大したことは書いてない、すまない。
彼女は同級生の中でも結構な金持ちの家の子で、長い髪をお嬢様むすび?(アイマスの橘ありすみたいな髪型)にして、授業中はメガネをかけていた。学区は近かったけど俺は野球をやってた上に、彼女はたいていデカい外車に乗ったお母さんが送り迎えをしていたからあまり学校帰りに一緒になることはなかった。
彼女とはただの同級生でしかなかったから、思い出が特にたくさんあるわけではない。俺が外で遊んでいる時、彼女は教室で本を読んでいた。あんまり、関わりはなかったように思う。
4,5年生の時だ。宿題が終わらないで居残りさせられていたら、見かねた彼女が手伝ってくれたことがあった。それから、漢字の書き取りが多すぎると愚痴っている俺に「送り仮名が長い言葉を選べば少し楽じゃない?」と言って、例に挙げられていた「原因」ではなく「因みに」と書けばよいと教えてくれた。「ちなみに」という読み方を、この時知ったのを覚えている。
彼女はいつからか年賀状をくれるようになった。母ちゃんに「あんたにくれるなんて律儀な子だね〜」とからかわれるのが嫌だったけど、流行ってた丸文字じゃなくて大人っぽい字で、俺の名前と何らかのひとことを添えてくれていた年賀状は未だに捨てられない。
中学生になると、男女の溝がくっきりするようになった。彼女は優等生の真面目な女子に、俺は野球部のイジラレ役になって、接点はまた少なくなった。たまに話す機会もあったけど、そのうち俺は彼女に敬語を使うようになった。彼女は授業中も眼鏡をかけるようになって、髪型はポニーテールになっていた。彼女は県外の進学校に進み、俺は地元の工業高校に行った。大学は知らないけど、多分有名なところだと思う。俺は、地元の会社に就職した。
成人式の日、着物の彼女は遠目にしか見られなかった。黒っぽい高そうな着物を着ていたことだけはわかる。乳を揉ませてくれたのはその日の夜だ。俺の地元では、成人式の日の夜に中学校ごとの二次会が開かれる。
彼女はピンク色のドレスみたいなひらひらの服を着てやってきた。小さなブランドバッグを持っていて、やっぱり金持ちは違うな〜といじられていた。俺は誕生日が3月だから、先生がいる2次会で酒は飲ませてもらえない。もう眼鏡をかけてはいない彼女はビールを美味しそうに流し込んでいて、大人になったんだなあと妙な感想を抱いたりした。
先生達が帰って、三次会の居酒屋に移動したあと、彼女と話す機会が訪れた。「久しぶり、変わらないね」という彼女のいかにも育ちが良さそうな喋り方は変わっていなかったし、俺は相変わらず「うっす」くらいしか言えなかった。隣に座った彼女は顔色1つ変えずお酒を飲んでは笑い、俺にお代わりをねだってコップを差し出してくる。こき使われているような状況もちょっと心地よかったのだが、彼女は高校から付き合っているという恋人の話もしていて、ああ、彼女はもう俺の知っている眼鏡の女の子ではないんだなと悲しくなったりした。
そうしているうち、不意に彼女がこう言った。「小学校の時、熱出した私にジャンバー貸してくれたでしょ。あれはときめいた」口ではそう言えばそっすね、なんて言ったけど、彼女が俺との思い出を残していることに驚いた。そう言えばどころではない。俺は、早退する彼女が返してくれた上着を着ずに持ち帰って、抜いた。首にあたっていたあたりからほんのり甘いような、新品の教科書のような匂いがしてしばらく置いておきたかったが、母ちゃんに洗われた。
「なあなあ、おっぱい超でかくなってね?」俺が甘酸っぱい思い出に浸っていたら、野球部のツレに耳打ちされた。
確かに、昔から彼女は巨乳だった。合唱部だった彼女は外で走ったりしないし、学年いちの巨乳だった陸上部の女子(ランニングする時ゆさゆさ揺れていたのでゆさパイと呼ばれていた)に隠れていたけど、多分学年で2,3番目にでかかったと思う。
ドレス姿の彼女の胸はだいぶ破壊的で、谷間は見えない清楚な感じのデザインにもかかわらず、その大きさは十分わかった。
「ひと揉みさせてやってよ!こいつ、こんなでっかいおっぱい触る機会なんてないと思うからさ」ツレが彼女にそんなことを言ったから、顔がボッと熱くなった。真面目な彼女だから、無視するか、不潔!とか言われるだろうと思った。なのに、彼女は笑って「こんなのでよかったらどうぞ?」と言って、胸を差し出してぴったりしたドレスの胸元をぺろんと開けた。
俺は取り敢えずいいっすと断ったけど、耐えきれず触ってしまった。酒に酔ってるはずなのに、彼女の胸はひんやり冷たくて、この世で一番柔らかかったと思う。三次会からは酒を飲んでたし、おっぱいの衝撃でその後の記憶はほとんどないけど、ツレの話だと他の男には揉ませていなかったという。女子は数人もんでいたらしい。
彼女は「明日普通に大学なの、辛い」なんていって、明け方まで飲んでそのまま電車に乗って帰って行った。それっきり、もう10年近く会っていない。そんな彼女が、地元に帰ってくるらしい。在宅勤務が増えたから、骨折してリハビリ中のおばあさんのために月の半分はこっちで暮らすのだとおばあさん本人が言っていた、と母ちゃんづてに聞いた。
俺は、ふうん、そうなん、と言ったけど、ほんの少し浮き足立った。別に、好きとか嫌いとかではない。連絡先も知らないんだし、どうということもない。でも、あのひんやりしてほよんと柔らかいあの乳が、俺の地元にあるということが嬉しくなってしまっただけで。反芻しすぎて食傷気味だったあの柔らかさが、また息を吹き返したみたいだ。今夜は思い出して抜こうと思う。
端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。
穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。
新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生。同級生はみんな、自分の居場所がリセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。
一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。
それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係の階層構造が強まった。
勉強のできる学校、地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識の豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった
当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。
ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。
プライドが高かったのだと思う。
階層トップの不良グループはクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。
イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。
お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。
昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループに所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。
そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。
カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。
こんな感じで、安心できる場所は学校には一切なかった。毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。
その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器でおしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。
学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。
年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。
うちの中学校では、この県大会の大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。
僕はどの競技の選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。
小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。
知らないメンバーのために、部活だからとサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事な大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。
陸上そのものを楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所を自分から閉じてしまった。
部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCでインターネットを利用した。
Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。
オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド(所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。
ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームにお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。
それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに居場所を求めた。
ここまでがだいたい中学1年生。
2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。
小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。
修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子を暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。
僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子からも男子からも人気のあったイケてるグループのメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。
事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。
そして、ちゃんと好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。
好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。
ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。
この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。
小学6年生の遠足の時、移動までのバスでカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。
歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。
小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。
中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。
そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有の自意識過剰から、まともに話すことができなかった。
そしてそのまま、拒否された。
一方的に彼女に好意を伝え、呼び出した複数人の男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。
個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。
自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループに嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと、自分のことが嫌になった。
体育の授業で複数人でグループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。
ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族でゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。
結果、見事にハマった。
戦闘シーンやメカニクスの描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳のシンジや他のキャラの内面の描写に、自分を重ね合わせて見ていた。
中でも人類補完計画やセカンドインパクトは、思春期の想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。
意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループや階層といった構造になると、途端に他人に攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしまう意識があることを知った。
何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。
他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。
人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。
でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァの世界から抜け出さないようにした。
繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジは人間がひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカは気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?
これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。
その後、県内では進学校だった高校に入学し、校内の暴力的な上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。
大学は第一志望には落ちたけれど、都内の学校に進学でき、希望していた地元からの脱出は叶った。
だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。
大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。
また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。
いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。
それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。
この時に身に付けた自信から、就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。
今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。
誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。
できることが増えて、自分の人生も俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。
日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。
そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。
なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去に集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失をちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァと対峙することで、確認したかったのだと思う。
僕はとても救われた気持ちになった。
今回の物語では、シンジ、ミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。
第3村のトウジとヒカリ、レイの田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。
劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。
本当に良かった。ああ、これでいいんだね。