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はてなキーワード: 自体とは

2024-08-17

知恵袋で有名になってもたかがしれるのはなぜ?

知恵袋でたくさん投稿して露出度増やして知名度上げても、外部の人に知られるようにはならないと書いている人がいた。

知恵袋いくら有名になってもTwitterInstagramにいるようなインフルエンサーや有名ユーチュバーほどの影響力は持ち得ないのだと。

なぜそう言えるのだろう?

知恵袋は会員登録して人と交流できるというSNS要件を満たしている。

しろ会員登録しなくても書き込めるがSNSとされている5chよりはSNS的とも言える。

また書き込んでいった質問は回答が投稿としてアカウントに紐づけられることで、投稿がそのアカウント所有者の人となりを形成していくものとして積み重なっていくという構造既存ツイッターやインスタといったSNSと比べても抽象的には同一構造と言える。

知恵袋自体情報インフラとしての知名度LINEより少し劣る程度で申し分ないだろう。TikTok知らないジジババでも知恵袋は知っている可能性が高い。

漫画でもキャラネット検索するシーンでは大抵知恵袋パロディが出てくる。質問しているシーンなら100%出てくる。okwaveパロディとかは出てこない。

それだけ知恵袋は一つの情報インフラとして浸透しているわけだ。

それなら他のSNSと同じ感覚知恵袋においても「アカウントを育てて」知名度を上げていけばインフルエンサーのような存在になるのではないか

理由を推測してみるが、知恵袋を見る時人にはその投稿をみるときに誰が言ったこかに関心を払うほどの没入感を持たずのやっているということだろうか?(じゃあTwitterインスタやってる人はそれぐらい没入してるの?ってことになるが)

典型的SNSは見知った人が既に参加しているか同時に参加するという状態で利用し始める場合が多く、インフルエンサーというも見知った人がリツイートなりすることで認知する。

いわば見知った人から紹介される形だから友達の友達という感じで、その投稿アカウントが誰かということについても脳内存在感を持ってくるということになるのだろうか。

対して知恵袋現実人間関係上の利用状況とは独立した動機で見るもので、どの投稿に対してもその投稿したアカウントについて見知った誰かの紹介という形を取り得ないから、たとえ知恵袋内ではどんなに露出度が高かろうが、会員登録もしてないROM専にとっては投稿主にまで関心を払う心理形成され得ないというところなのだろうか

2024-08-16

anond:20240815200300

半身浴自体 はやったけれど

実は効果がないって、きいたけどどうなの?

住民票戸籍、死亡届とかって電子化されないの?

住民票の写しを取得するためにオンライン申請はできるようになったけど

住民票自体電子データでもらうことってまだできないよね?これなんでやらないんだろう。

死亡届がデータ化されたらSNSアカウント削除とかスマホ契約解除とか簡単そうなのにね。

anond:20240816232023

増田さんは、頑張りすぎなんですよ。

前に進むための一歩が全部打ち砕かれたと感じるのは本当に辛いことだと思います。無理をしすぎて、自分を追い詰める必要はありません。どんなに頑張っても、思うように結果が出ないことってありますよね。でも、その頑張り自体無駄だとは限らない。たとえその結果がすぐには見えなくても、それが増田さんの成長や経験の一部になっているんですよ。

それに、少し立ち止まることも大事です。諦めたり、休んだりすることは決して悪いことではありません。人生って、時にはちょっと休憩が必要なんです。無理をせずに自分のペースで進んでいいんですよ。

人生価値は、自分自身がどう感じるかに依存していますお金も、地位も、何かの成功も、結局は一時的ものしかありません。結局のところ、何が本当に価値あるものかは自分で決めるしかないんです。それが大したことじゃなくても、自分が納得できるものであれば、それで十分です。

人生を辞めるのも悪い選択ではないと思いますよ?

でも、それは最後の手段としてとっておいて、今は少し肩の力を抜いて、自分をいたわってあげてくださいね

どうせ言っても無駄なこと

やす子とフワちゃん

いまさら経緯をまとめると



だが結果はどうでもいいんだ。もとより人気商売だしどうなっても当人責任である

しか外野の反応がどうもね。

「フワは人に死ねと言った!許されざることだ!」

まあ許さないでもいいけど「さすがに字面通りの意図じゃなかった」ってところは汲んであげないと、マジの誹謗中傷といった不法行為相対的に軽いものになる。

やす子は芸人からシャレで返すべきとかいうのはセカンドいじめだ!」

シャレで返せてたらよかったのにね(でもフワが雑すぎたしやす子は器用じゃないし無理だよね)というだけの話だろ。

そこでやっと本題でありどうせ全くわからいであろう話だが、イジメられっ子マインドの奴が勝手に余計なもん投影しすぎなんだよ。「反いじめポーズ」というスカッポルノのいちジャンルなんだよ。いうまでもなくうわべだけの。

ダウンタウンはいじめ芸!」そう表現しうる要素もあったし、そればかりのわけがない。なんでも一色で塗りつぶそうとするのやめない?やめないよな。

戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2 より

https://anond.hatelabo.jp/20240816213820

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義であるしかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分自分家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。

 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである

 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画集団との関係を明らかにする必要を感じる。

 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画集団発起人の某氏から連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟目的は「文化運動」という漠然たる言葉説明されていた以外、具体的な記述ほとんど何一つなされていなかつた。

 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである

現在自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。

 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用容認したことは、某氏手紙示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているかである。この団体仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである

 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである

 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初ボタンをかけちがえたら最後ボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである

 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活擁護のための組合は別である)。

 それが自分意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである

 最近、私は次のような手紙連盟某氏にあてて差ししたことを付記しておく。

「前略、小生は先般自由映画集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画連盟目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います

 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体立場いかにあろうとも、個人々々の思考判断余地は、別に認められなければなるまいと思います

 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめことなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります

 しかし、集団仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。

 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。

 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)

(『映画春秋創刊号昭和二十一年八月)

anond:20240816212406

知らんが何日か、何週間か、はては何か月か……

だが西成セレブにはそんなの関係ねぇ

はいOPD

だって西成セレブたちははその無為時間を買っているのだから

今日世界各国のあらゆる市場から西成流入する有り余るマネーそれ自体意思を持ったかのように自己の吐き出されゆく先を投企した結果としての、「人力車」。

そして「日本一周」。

さらに「琵琶湖一周」。

ついでに「淡路一周」。

今日日本中西成セレブたちはその空虚な眼に流れゆく絶景を映しながら人力車座席で小刻みに左右に揺れている。

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

anond:20240816210135

そんな争いが存在しないということ自体が、自転車日本一周することのバカらしさを証明している。

自転車100m走に出場してウサインボルトに勝ったとしても、誰もそいつを称えないだろ?

しろ会場からつまみだされるほどの存在

自転車に乗るというのは「ズル」ってことなんだ。つまりね。

anond:20240816200627

そうか、レコード等の登場より先にオルゴールがありましたね。

オルゴール発明17世紀頃らしい。

オルゴールって考えてみればDTMの源流って感じがするし誰が演奏したものでもないそれ自体演奏するものからやっぱりplayがふさわしいですね。

playbackについては詳しく調べてないけど1929年ごろに出来た言葉のようです

録音技術により1度鳴った音と全く同じ音が再び鳴る衝撃が新しい言葉を生み出すほどだったのかも。

大人になったらコーラって飲まなくなるね

ジュースというジャンル自体ほとんど手を出さなくなるけどましてやコーラなんて、って感じ。

きらいじゃないんだけどね。

いい大人が飲むには少しハードルが高い。

    裁判官渡辺恵理子の補足意見は次のとおりである

      私も丙5号証のケース記録(板橋区特に採用した証拠から受ける印象はこの世で最も参考にならない記録に該当するものと解する。理由は、平成30年4月24日以降の

   受給者の具体的生活動向の記載が完全に欠落しており、平成31年に入ってからほとんど記載がみられないこと、他方で、令和2年以降になると、記録量が増えているが、起案者が

   自分の話ばかりしており、読む価値はない。なぜこのような悪質な書類が背後でつけられているのか、それ自体について唖然とするばかりという他ない。法廷意見が示す通り、起案者が、自分

   いれずみが新しいかどうか、形式としてしっかりしているかどうか、時間単位時間無駄かどうかといった観点からさら複数の機材も活用して書いている、自分の話ばかりをした性格物件である

   という解釈していることは同様である

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

女子被害者意識

前↓これをかい増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20240815005200

この夢女子から愚痴バンバン届いてて辟易している。

RTA大会?かなんかで、顔グラもないキャラが「夢女子ランキング」にランクインしたことを走者が触れたことが夢女子馬鹿にしていることになるらしい(???

実際にその発言している時の映像をみたわけじゃないけど、「こいつはキャラクターとして顔グラがなくても魅力的だから女のファンもめちゃくちゃいるんすよ」っていうキャラの紹介なんじゃないの?と私は思った。

愚痴を言ってきた夢女子はそのキャラの夢女子でもなく、なんならゲームすら知らないらしいが、「夢女子ランキングという単語自体を公の場で使うことが間違ってる!ありえない!」らしい

「夢女子じゃない人間が夢女子ランキングについて言及すること自体が夢女子馬鹿にしている」

「いままで迫害され続けてきたから過敏になってる自覚はあるけど、普段下に見て馬鹿にしてるくせに自分の好きなキャラランクインしてたら擦り寄ってくるのガチ不愉快


こ、こわ〜〜〜!!!!!!!!!

『公の場』ってなに?!夢女子ランキングに入るくらいあんな人気高いんすよこのキャラっていうのすら言っちゃいけないの?!

女子以外が夢女子になんかいうのも全部ダメなのかよ。馬鹿になんかしてないだろ…

普段下に見て馬鹿にしてるくせに』ってまじで他のジャンルオタクに思ったことも感じたこともないわ

迫害され続けてきた』ってなんだよ。おまえらえたひにん階級なのか?

「夢女子ランキング言及するなんて許せない!!!!!」と大層お怒りだが、

まじで私から何もいえないし、怖い。

落ち着くまで30通ほどLINEきてて愚痴ゴミ箱にされたわ。

仕事が忙しくなるからしばらく連絡できないっていったので、明日にはブロックだな

高校野球チアガール盗撮に見る、性犯罪者認知の歪み

アスリート性的画像問題共同通信運動部によって報じられて以降、被写体性的意図を持って撮影することがやっと問題視されるようになり、そこから盗撮問題について論じられることが増えたと思う。

私が読んだ、高校野球チアガールに対する盗撮問題も、そうしたなかで報じられたものなのだろう。

個人的ちょっと予想外だったのは、その報道に対する反応だった。

主にヤフコメなんだけど、

チアガール経験者に聞いたことありますが、見られてもいいように見せパン履いてるそうなので大丈夫ですよ」

とか

盗撮は良くないけど、彼女たちは可愛い姿で踊っているところを見てほしいはずなのに、最近は遠目に写してるものばかりで残念。ちゃんズームして写してあげてほしい」

とか

チアガールは見てもらうことで成立するものから撮影することを盗撮するというのは間違っている」

とか。

私が記事コメント欄を観たときは、そういうコメントばかりだった。

最初のは、見せパンを履いている=スカートの中を撮影してもいいということにはならないし、

2つ目のやつは、そもそも誰もカメラズームして写すことに反対していないし、問題点は遠目に写すか近寄って写すかではないし、

3つ目も、撮影することそれ自体問題になっていないから、今もマスメディア撮影してる(ちなみに、マスメディア側にも問題はある)

こ、これが認知の歪み……と思った。

ペイネ勃ち

前回:https://anond.hatelabo.jp/20230328202632

前々回:https://anond.hatelabo.jp/20230208195420


宮崎県地震が発生した翌日、震源地に近い場所にさきの冬から越して住んでいる友人と、私の地元で会うことになっていた。

地震発生から時間彼女と連絡が取れずに肝を冷やしていたが、「全然なんともなかったよ。明日も行けそう」という気楽なLINEの返事がきて、翌日には彼女と会うことができた。

震度6弱の揺れに見舞われたはずの彼女は、LINEの印象と違わぬあっけらかんとした調子でこう言った。

地震の後さ、防災無線がずっときこえてるんだけど、『○○市です』っていう冒頭んとこしかききとれなくて。あとはずっと何言ってるかわかんなかったわ」

「そんな住民なら誰でも知ってるような部分しか聞き取れないのヤバくない?」

と答えつつ、私は彼女の無事に心から安堵していた。

地震発生時は車に乗っていたという彼女は、

「右折待ちで停止してて。信号変わったから曲がろうってハンドル切ったけど車がびくとも動かなくて。ほんと全然動かなくて、あ、これ溝に嵌ったのかなって焦ったんだけど、周り見たら道路標識とかすっごい揺れてて、それで地震ってわかったんよね。でも歩行者も、きゃーとかわーとかなってなくて、なんかぽかんとした感じだったし、そんなひどい揺れと思ってなくて。宮崎って普段ぜんぜん地震いから、みんな何がおこったかよくわかってなかったのかも」

という、かなり独特の地震体験披露してくれた。

そして今、のっぴきならぬ事情で住んでいる土地について

「海をこよなく愛する人以外はすめないね。海をこよなく愛する人はいいと思う」

と切って捨てた。彼女は海をこよなく愛するどころか泳げもしない。ただ私は「海をこよなく愛する人」という表現がとてもいいなと思っていた。そんな人、絶対友達になれそうにない。

話をしている場所コメダ珈琲だった。彼女の今すむ土地ほどではないが、私の地元田舎なので、夜遅くまであいているといえばコメダ珈琲という具合。

午後遅くに合流した私たちは、カフェ居酒屋はしごし、話したりないかコメダ珈琲に落ち着いていた。

彼女の話がひと段落したタイミングで私は手洗いに立ち、戻ってきたら、彼女彼女の正面の壁、つまり対面で座る私の席の背面に当たる壁を穴の空くほど見つめていた。

「あ、絵?」

と言って私も見上げる。そのリトグラフには、愛おし気な顔をして顔を寄せ合いソファに並んで座る男女の姿がイラストレーション的なタッチで描かれている。その男女の前には追いかけ合う、おそらく雌猫と雄猫。睦まじい恋人たち風景

それだけでは彼女がじっと見つめるには足りないはずだと、さらに注意深く眺めて、私はあることに気づいた。

「……おっぱい丸出しだね」

「そうなんよ。それで見てたわ」

描かれている男女は、ともにきっちりと洋服を着こんでいる。男性に至っては腹のあたりにカマーバンドのぞくタキシード姿にすら見え、その傍らには山高帽。女性も丈の短い長そでワンピースに網タイツというやや煽情的な姿ではあるが、しっかり服は着ている。ただ、胸部分を丸出しにし、傍らの男性に向かって寄せていた。

おっぱいの谷間にハートが挟んであるね」

「そうなんよ」

彼女はまだじっと絵を見ている。女性胸の谷間には、ふくよかなハートモチーフさしこまれ、そのハート男性の手がそっと触れている。それは男性差し出しているものなのか、それとも男性から差しまれたのか、彼女と私の間で意見がわかれた。いずれにせよ、いかにも愛の交歓と言った様子だが、おっぱいは丸出しである

おっぱい丸出しの絵がコメダに飾ってあるね」

「そうなんよね……誰の絵かな。サインがあるけど読めないわ」

Googleレンズでわかるんじゃない?」

「ああそうか」

角度の問題か私の位置からはうまくいかなかったが、彼女の席からはうまくいった。

「うまく出てきた。レイモン・ペイネだって」」

まれてこの方寡聞体現しつづけてここまできた私は、その画家を知らなかった。彼女もまたそうだった。調べてみると、20世紀フランス最大のポップ・アーティスト、くらいの紹介がなされており、軽井沢には画家の絵を蒐集した美術館もあるらしい。大変著名な画家のようだ。コメダに飾られていた絵のタイトルは『ハートプレゼント』。一貫して男女間の愛を、恋人同士の姿を描き続けてきた画家と言うことらしかった。

イメージ検索うつると、わたし彼女共通感想を抱いた。

「女がおっぱい丸出しの絵、多くない?」

「そうだし、おっぱいの出し方個性的じゃない?」

女性衣服の胸の部分が観音開きになっており、その布を小鳥が両側からついばむことでおっぱいを御開帳的に露出させていたり、おっぱいの上に小鳥がとまっていたり、まるだしにしたおっぱいの先の乳首から開いた傘が出ているように見える絵もあった。なんなら両のおっぱい自体小鳥、という絵もあった。おっぱい露出バリエーションが豊かだし、どれも真顔だ。

私はこの画家のことが一発で好きになり、「ポストカードとか会社デスクに飾りたいな。いちばんおっぱい丸出しのやつ。それ見て元気出しながら嫌な電話とか乗り切りたい」と言った。すると彼女は「そんなのやめなよ。何がセクハラって言われるかわからない世の中だから増田ちゃんのことを貶めてやりたい人に、おっぱい丸出しの絵のせいで足元をすくわれるかもしれないよ。おっぱい丸出しの絵をデスクに飾って風紀を乱しているとかさ」という、令和という時代の空気感そのままのことを言ってよこし、私はなるほどそれもそうだなと思った。

「じゃあやめとくわ」

言いながら、私はこの絵、男性も好きだろうなと思った。男性とは5年前から恒常的にセックスをしている相手のことで、 https://anond.hatelabo.jp/20230208195420 この話に出てくる。

大学の頃は美術部にいたらしいので、もしかすると画家のことを知っているかもしれない。

友人は、「なんかそもそも、女ばっか恥ずかしいところ露出してるの微妙だよね。男もどっか出せばいいのに」と言った。

「出すところ限られすぎてて無理じゃない? わいせつすぎて絵の趣旨がブレない?」

と答えると

「いや、それ言ったらそもそもおっぱい丸出しにする趣旨からよくわかんないから」

彼女はきっぱり言った。私はそんな彼女のことをこよなく愛する人だ。


盆の帰省を終え、私は男性の家に行くと、レイモン・ペイネの話をした。概ね上に書いたようなことを告げると、彼はすぐ自分スマホイメージ検索をはじめ、美術をたしなんでいたことがあるとは思えないほど爆笑していた。

「ほんまにおっぱい丸出しやんか!!」

「そう、だから好きだろうと思って……」

「大好きや」

男性臆面もなくおっぱい丸出しに受けていると宣って、おっぱい丸出しの絵をスマホで見つけ出してはげらげら笑い、しまいには「メルカリに皿が出てる、600円くらいやし欲しいかも」などと言い始めた。

「でもグッズはどれもおっぱい丸出しではないよ」

「どうせならおっぱい丸出しのグッズがほしいよな」

ペイネ美術館にはオリジナルグッズがいっぱいあるっていってた。そこにおっぱい丸出しのグッズがあるなら行きたいね

などと我々は知性のかけらもないことをベッドに寝ころびながら言い交わし、おっぱい丸出しのためだけにに軽井沢に行くのはどうなのか、というような結論でその話は結ばれた。

そのうち話題は別のことに移ろった。

阪神大震災のあとタクシーに乗ったら、ドライバーが、道路こんにゃくみたいになりましたわと言っていた、ああ多分私の友達が右折できなかったのも、道路こんにゃくみたいだったからかもね、こんにゃくの上は右折できないわと、そんな具合に。やがて雰囲気セックスという感じにうつろい、彼は私のパジャマボタンの一番上に手をかけた。そして不意に「ペイネ小鳥やな」と言った。

ついさきほどまで二人で見て爆笑していたおっぱい丸出し画家の名である。我々は本当に学習しない。私はもうどうしようもなくげらげら笑ってしまい、笑い上戸で釣られ笑いが多い男性ももちろん笑いだした。

まりセックス雰囲気はそこで雲散霧消した。我々がセックスレスになるなら、笑いすぎて雰囲気消失しがちなことが原因となるだろう、おそらくまれな原因なのではないか、などと真剣に言い交わしたあと、私は男性に「でもちょっとまだ勃ってるね」と言った。実際にそうだった。盆の帰省はながかったので、久々のセックスの機会だった。

男性は「ほんのり勃ってんな」と、自分勃起状態をそう表現した。

「ほんのり」と私は笑った。ペイネの絵にも、露骨過ぎないほんのりとした色気がある、そのような評をどこかで読んだなと思ったので、私は彼に「ペイネ勃ちだね」と言った。

すると、もはやセックス雰囲気雲散霧消を通り越して爆発四散という様相になった。男性はひとしきり笑った後、さんざん「なんやペイネ勃ちって!!」と私を叱り、わたしはもう開き直って「そのほんのりとした勃起状態にぴったりかなと思って」と答えた。

つかこ男性との間に肉体関係がなくなり、会わなくなるという日がないとは言えない。先のことは誰にもわからない。

しかし私はやっぱり直一の名前と同じで、この先男性と会わなくなり、彼の名前を忘れる日がきたとしても、レイモン・ペイネという画家の名を忘れることはないと思う。

久々すぎてむらむらがまさったので、なんとかセックスしました。

コロナやっちまった

お盆休みに入ったら翌日に発熱してしまい、バッチリお盆を寝て過ごしてしまった。

休み初日に急に親から帰省してこない?」と言われ、やれやれLCC航空券を取った矢先に発症して、航空券代も光速無駄になってしまい。

ワクチン打っとけよ」とかそういうツッコミは「まあまあ」として、実際2024年度夏版コロナどうだったかというところで。

発症だったんだけど、発症してすぐ38.7度まで上がって、翌日に下がり、この時はコロナかどうかわからなかったんで、「搭乗の日まで発熱あったら飛行機のれないな」くらいに思ってたのだが、翌日一旦平熱近くまで下がって判断に迷っていたところ、夜にはまた38.6度まで上がり、「コロナかもしれない、いやコロナでもただの風邪でもこの熱ではもう明日の搭乗には間に合わん」と断腸の思い航空券キャンセル

この時点で熱が下がる→38度台まで上がるを2回ループしてて、「なんか嫌になってきたな」と思ってたが、このループをもう2回繰り返し、計4回この登り降りして、体はクタクタパジャマはぐっしょりで、何回も洗濯して着替えるのを繰り返してた。

咳はというと、出るけど、15分に1回くらいで、大した咳き込み具合でもなく、前回やった時みたいな、喉が痛くて何も食えない、苦しい、唾も飲み込めない、というレベルとは程遠かった。

熱が下がった翌日にぴったりお盆休みが終わり「このしつこさはコロナかもしれない、出社したら迷惑かも」と検査に行ったらコロナでした、っていう。

コロナで体力やられてたのか、単純に暑かったのか、病院まで20分くらい歩いたら「あ、これダメかも、コロナでもコロナじゃなくても出社無理だ」ってくらい消耗してた。

5類になったとか政治的なこと色々あるけど、コロナ自体は超しつこいっす。

からないのが一番だね。

anond:20240816045740

個人的には、第二外国語自体必要だと思うけども、ドイツ語がそのリストに入っている必要はないと思う。

いやだってドイツ語、そんな重要ですか? 西洋史専攻で履修させるならともかく、全学で履修が必要ですか?

このへんはわかるよ? 政治的経済的にも、あるいは語学的にも必修にする意味はわかるよ? でもドイツ語ってさぁ……

ってなるじゃん! 明治時代の名残で残ってるだけで、現代日本には別に要らないじゃん!

全学の必修からは外して、トルコ語とかウクライナ語とかアイスランド語とかと同列の選択科目にすればよくないですか???

普通にドイツ語を外して他のアジア言語を必修にすべきなんだよな。特に東南アジアドイツよりも日本との交流が多いわけだし。フィリピン語とかインドネシア語とかベトナム語とかヒンディー語とかを必修に入れてドイツ語を必修の二外から外そう(提案)。

頭のいい人間でも全てにおいて通じてるわけではないんだから愚問を発したりする場合も当然あるのだしなんなら体調や勘違いや変動的な要因によって質の低い事物を発する場合もあるのだから質が低くとも相手ではなく発っせられた事物自体を焦点に当てて評価するのが理想なんやろな。

まあ当然頭のいい人の方が質の高い事物を出力する傾向が強いのであろうから平均的に考えて発してる人自体評価するのも間違いってるわけではないのだろうけど。

anond:20240816113304

インプット自体は枷にならないけど

そういう価値観強要だとか同調圧力のある界隈はそれ自体害悪

SFとか正統ファンタジーとか

anond:20240816112133

長い!

ってなんでこの話題多いのかと思ったらはてブホッテントリになってんのね。

でも本屋自体が取次にキレてんじゃん。

もう廃業すべき。

ブラック企業をささえるブラック社員と同じで、

街の本屋が苦しい苦しい言いながら取次会社を養ってるだけじゃん。

客に迷惑をかけてまで。

潰れた方が良いよ。

不幸になれ、という意味ではなく、元気なウチに潰して別の業態にした方が良い。

特攻平和会館とか靖国問題って、根本的には彼らは”かわいそう”って価値観を認めるかなんだよ

一部の右翼の人々からすれば彼が”かわいそう”っていう価値観は受け入れられないし、靖国なんかはかわいそうっていうスタンスを拒絶してる。

そして、それこそが韓国中国靖国神社への参拝に反発する理由だし、日本人でも一定数の人が批判する理由なわけ。

ここが理解できないとなぜ、亡くなった人に慰霊気持ちを表明することに反発するのかっていう疑問が生まれる。

あの方は戦争で亡くなった、かわいそうにっていう感情を持った人が集まって慰霊を行う限りだれも批判しないし、中韓別に批判はしない。

ではなぜこのかわいそうって立場を受け入れられない人がいるかっていうと、かわいそうって言ったときにはその死が避けられるべきものであり、亡くなった人は不幸であるという含意がある。

他方それを拒絶するって事は戦死者たちの死は有意義であるって事であり、また戦争自体有意義だったという評価につながるわけでそれ故に他国一定数の日本人もまた批判するわけ。

anond:20240816010726

から性器呼び自体駄目なんだからそれを前提とした議論自体無駄なんですよ

スペースホルダー的に「マンコ」を用いたのは間違いでした。それについては誠に申し訳ないです

後半については良く分かりません男性中心に作られた法律に反発してはいけないのですか?家父長制の洗脳から解放されてください

ディズニーの件で雑にブコメ書いてる人、違和感覚えたら普通調べないか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/business/35222768.html

なんで糞高い弁護士雇ってるディズニーが「ディズニー+入ってただろ。仲裁合意あるよね?」なんて苦しい主張するのか不思議に思わないか

高卒底辺でも10分調べたらだいたい事情が分かったんだけど、ブコメしてる人は一読して「?」ってならんもんなの?


死亡した人が会食してたのは Disney Spring (https://www.disneysprings.com/)って呼ばれる、パーク外でディズニー以外の事業者ディズニーの皮かぶせてやってるお店がある場所

そこのレストラン飲食してアレルギー食品食って死んだっぽいんだけど、そうなると書いた通りパーク外なんでチケットは買わずに利用してる(パークのチケット自体は買っているが、パーク外での飲食だとチケット利用してないので微妙)。おそらくレストランの予約サイトとかも使ってない。となると、被害者ディズニーサービスを利用するときは必ず同意させられるディズニー利用規約には同意してなくて、正攻法では仲裁合意を使えない状況だったのだろう。


そんな中とりあえず訴訟回避したいディズニー側の弁護士無理筋でも主張したのが「以前ディズニー契約してましたよね?あ、パークのチケットも買ってますね?そのときディズニー利用規約にも同意しましたよね?」だったんだと思うよ。

すでにDisney側は訴訟回避あきらめてるので、これから普通に訴訟になると思う。


こんな無理筋な主張すぎてイメージダウンまあまああったと思うし、弁護士チョンボだろうなとは思うし、Disney下手すぎだなとは思うけど、それはそうとして偉そうにブコメするなら10分でも調べてから書けよって思うわ。

ディズニープラス契約してると危ない!」みたいな極端な話ではなく「弁護士無理筋に出してきた戦術なんでどうせ訴訟になる」なんて緩いこと書くと、耳目が集められずはてなスター()が集まらいからですかね。

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