「直行」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 直行とは

2016-02-28

東北震災で死んだ人は幸せな死後を送っているよな

2011日3月9日は癌を患っていた私の母が安らかに逝った命日なんだが、慌ただしく葬儀の準備契約を済ませたところに大震災が来た。

葬儀社も震災による被害を受けて壊滅、列席予定だった人たちも多く亡くなり、私の母の葬式どころではなくなってしまった。

幸いにも遺体の安置されていた斎場は高台にあったので津波さらわれずに済んだが、生きているものが優先される中で遺体放置せざるを得ず母の遺体はそこに放置された。

ようやく母の遺体を回収したのは一ヶ月も過ぎた頃で、腐敗が進んで酷い状態だったので、葬式もあげずにそのまま県外の火葬場へと直行して、私の手元には小さな骨壷が一つ残っただけだ。

あれから5年が経過しようとしていて、震災で亡くなった沢山の方々を偲ぶ気持ちは私に当然あるし、友人や親戚も数多く亡くなった悲しみはある。

しかし何処か釈然としないのだ。

私の母が癌で死んだことを知っている人間がもう五年も経つのかと話題に上げ線香をあげにきてくれることは無いが、震災で亡くなった人は毎年のように慰霊祭やらで弔ってもらえる。

日航機の件でもそうだが、おそらく今後数十年以上はこの慰霊祭が毎年行われて、テレビ報道され、後世の人達震災で亡くなった方々を偲ぶことだろう。

だがそこに私の母は入っていない。

私は一人息子で、結婚もせず、ただ仕事にだけ生きてきた。

金はあるが数年後に迫った定年退職後の余生を考えると、母の墓を守る人は遠からずいなくなるだろうし、私を弔ってくれる子供家族はもういない。

人は同じように死んでいくが、私の母を弔う人間はいない。

なぜ大震災で亡くなった方々は毎年弔ってもらえるんだろうか。

311が近づいてその話題が毎年のぼるたびに私の心は嫉妬にも似た忸怩たる思いであふれるのだ。

死んだ人間には何の意味もないかもしれないが、すべての人が死ぬことを受け入れた上で指摘するなら、震災で死んだ人は幸せだ。

死んだあとも半永久的に弔ってもらえるし、それが忘れ去られるには相当の年月がいるだろうから、その間はずっと遺族や関係のない国民まで覚えていてくれて弔ってくれる。

私の母は、私は、遠からず誰も弔ってくれない無縁仏になるだろう。

寺に全額遺産寄進して永年供養をお願いしてはあるが、どうしても私の頭からもし母が震災で死んでいたら、と思わずに入られないのだ。

2016-02-27

選択的(ここ強調)夫婦別姓なんであかんの??

遡るけど2015年12月20日選択的夫婦別姓についての判決

合憲』と判断出たよねー

これ・・・原告の主張内容が合憲だったのか?

選択的夫婦別姓 そのもの事態に反対の内容だったのか?

正直よく分からんかった

世相の意見では・・・

そんなの苗字変えたくなかったら結婚しなきゃ良いじゃん!

とか

養子に来てくれる人見つけりゃ良いじゃん(これについては疑問あるからまた別で書く)

とか

日本はそういう国なんだよ、同じ苗字から日本人たるなんだよーーバーーカ

みたいな内容とか

家族の一体感がなくなる 

だとか・・・まあ原告に対する色々な反対ご意見ネットで飛び交った

私は 選択的夫婦別姓に一刻も早くして欲しい派!!

でも正直あの告訴内容では

個人のアイデンティティー喪失

仕事上の不利益を被る

結婚をためらう

この主張で、違憲判決出すの難しいんじゃないかな?

特に原告の主張はメディアに出て話てるご婦人アイデンティティー喪失を強く語ってらっしゃった

元の姓で死にたい等~

これ主張されて、そうですか!お気の毒ですねそれでは別姓とりいれましょうね

なんて思う??

私は思わないなー

それこそ個人の自由ではないか?と思っちゃう

なんとなく、この主張は申し訳ないけどただの気ままにい映ってしまってたと思う

仕事不利益・・・うんうんそれは解る解る

パスポートや個人の識別に関わるモノはね結局戸籍姓なのよ

通称なんて通じない、通称は社内だけの話

これは早急になんとかして欲しいレベル世界に向けて活躍してる女性は沢山いらっしゃる

結婚をためらう・・・

これが意外に一番被害者じゃなかろうか?

日本国民たる者!日本人ならば家族制度をして同姓を名乗るのが当然と

嫁たる者婚家に仕え・・・嫁に来たんだから、嫁のくせに、舅・姑にかしずけだの

この時代に未だ男が誉れ・男産んだら嫁の義理は果たせたなどなど

富国強制制度を模した様な御仁がいらっしゃるバカだね)

なんてね、この日本国民たるはって『家』というもの念頭に置くとさ

家族・跡継ぎ・家名を残す これを大事に思う気持ちは当たり前だよね

それでは・・・

子供姉妹一人っ子女の子 家庭はどうなるの??

もう必然と家名を絶やして、無縁仏直行びーーーん!!

って事なの?

それじゃあ婿養子もらえば良いじゃん!って意見必ず出ます

これについては別で書こうっと

要は・・・

この内容の主張では夫婦お互いが話し合って解決出来るレベルの話でしょ?

そこに明確な差別等は存在しないから同姓憲法違憲ではなく合憲って話ですわ

まあ素人目に見ても・・・上記内容の主張なら

憲法が間違ってはないっしょ の判決になるわなと思ってました

心底ガッカリしましたよ!

長くなっちゃった今日はこの辺で・・・

2016-02-24

爆弾並の凶器をマチナカでドヤ顔して走らせる野蛮など不要

http://anond.hatelabo.jp/20160223181351

人殺し刑務所懲役直行凶器が要らないというのは、善良な人間の通常な精神ですよ。

2016-01-15

何かする、が出来る人

http://anond.hatelabo.jp/20160115094121

こういう問題って、結局回答は「(自発的に)何かする」か「何もしない(流れに任せる)」かの二つに一つなんだよね。細かく選択肢を分割すればそりゃいろいろあるけど、それらはこの大きな2つに分類されるから

んでもって、「何かする」ほうがいいのは、多分増田を含めてみんなわかってる。「何もしない」を選択したせいで、結局親に支配されたままここまで来ちゃったんだから、その選択はどうも幸福につながってらしいぞってのは、薄っすらとわかってるはず。

問題は「何かするって何するんだよ。何すりゃいいんだよ!?」って思うことなんだけど――これについては「それ罠だから」というのが言えるアドバイスだ。

「何かする」決意をするために「何をするか?(すればいいのか?)」っていう情報は、本来必要ない。

そりゃ、その情報があれば決意しやすい。でもそれって、本質的には「攻略Wikiを読んでからゲームを進めたい」と同種の欲求なんだよ。

理不尽で不確実なこの世界では、ある特定の選択が同じ結果を保証しない。それは人によって向き不向きがあるということでもあるし、同じ個人が同じ行為をしたところで結果が安定しないということでもある。

もちろん「結果が良くなりそうな選択肢」はあるけれど(たとえば増田場合大学入学した」がそうで、そこまで間違ってないはずだ)、それだって100%じゃない。大学に入ったのが不幸の始まりだって人もいないじゃない。何をすればいいのか? ってのは完全攻略情報じゃないから、結局、「何かをする」という決意に完全な保証は与えられない。

少しでも良い選択肢を探してから動きたいというのが間違いなのか!? と顔を真赤にして怒る人がいる。お前は俺に間違いを選択させようとしているのか! 俺は賢く生きたいんだ! そんな無責任Take it Easyを礼賛して失敗したらお前責任とってくれるのか!? そんなはてブコメント、たくさんつく。

でも思い出すべきなのは人生は有限だってことで、特に大学生活なんて砂時計のようにカウント・ダウンされていくってこと。「より良い選択肢を探してさまよう」「良いチャンスを待つ」なんて「不選択」を続けていくうちに、どんどんチャンスは減っていくのが、この理不尽世界なんだよ。確率が低くても、バットを振り回したほうが、出塁のチャンスはある。そんなことよりも「正解を選ばないかぎりひどい目にあう」という親の洗脳によって、全打席棄権するほうが、よほどチャンスを失う、地獄への直行バスだよ。

「何かする」決意をするためには、決意だけでいいんだ。賢い選択肢は、前提じゃない。

しろ「何かする」決意をした後に「じゃあ何をしようか?」だよ。「なにかよい選択肢があれば、それをする」は順番が逆。

自分が役に立たないと思ってる趣味でも、バイトでも、なんでも「何かする」すれば、それでいいんだよ。レポートも、内容の出来不出来じゃなく、とりあえず、書けばいいんだよ。点数が低いなら、二本出せばいいんだよ。二本でダメならもっと書けばいい。「何かする」の本質って、「打席はこれで終わりじゃない」ってことなんだから、いっぱいダメもの作って、そのうち、偶然だろうがなんだろうが、会心のものが生まれれば、それでいいんだよ。

2016-01-10

喪女的外見を脱皮出来た理由

私は変にプライドが高く、黒髪メイクに抵抗があるスッピン喪女だった。外見に関しては世間の人様が私と一緒に歩いてる所を「誰かに見られたくない」と思われない程度の「清潔感」や「小奇麗」なスタイルをしていた程度だった。因みに腫れぼったい一重。コンタクトレンズも怖くて出来ない人間だったから授業中だけ眼鏡

勉強を頑張ったり、何かしらの成果物を残す方向で、皆に認められようと努力し、クサイ言葉だけど「ありのまま自分」の姿で生きてきた。

メイクに抵抗があるのは、中学の頃からずっと。何だか顔に美術を施してるみたいで…何よりもメイクしたら最後。まるっきり自分の顔じゃあない。本来自分はどこ?

正直顔面詐欺だ。詐欺な顔で友達を作っても(釣っても)、この顔で寄ってきた子達と友達になっても真の友達じゃないし、何か仕事をしても正当な評価じゃないから。だから不細工だけど小奇麗にしていて数字を残していれば、私はそれで良いと思い込んでいた。

それは、非常に浅はかな考え方だった。それに気が付いたのは、進学してからだ。

1個上の先輩を好きになった。電車の窓に映ったスッピンの私の顔がどこか「女」の顔になっているのが、自分でも解った。ほっぺたはどこか赤いし、表情が違う。変な言い方をすると、世界中人達を愛せる様な、今なら何でも許せる、そんな大らかな気持ちを抱いてた。体中がポカポカして、無意識スキップでもしちゃうんじゃないかって位。

先輩に告白したい。でも出来ない。しちゃいけないって解ってた。理由は2つ。

好きだったけど、偏差値も人として(既に先輩は大人と対等に会話できる人だった)色々スペックが違い過ぎて。お呼びでない感はもう空気感で伝わった。私は告白なんてする土俵にすら上がれない事は、本能的に悟った。だから告白できなかった。

それから、先輩は煌びやかな造形美な女性が好きだった。北川景子佐々木希滝川クリステル同級生学内に居る女子に対しても、そう言った華やかな女子に対する態度と、素朴な女子に対する態度とはあからさまに違っていた。

私は自分のちっぽけなプライドをへし折って、メイクしたり垢抜ける事は出来なかった。結局は自分個性を、私は取ったんだ。初恋だったのに。今ある自分の素材の範囲内でのオシャレと減量(163cn 46kgになった)。私のプライドと折り合いを付けた努力は、その程度だった。案の定、造形美な華やかな女子や先輩方とは、足元にも及ばなかったし、一緒の空気さえ吸えない程の外見。

そうこうしていると、私は某男子から告白された。外見が太ってて背も低くてキモい男子だった。例えるなら、銀魂の「ハタ皇子」そっくりだ。性格社交辞令を真に受ける様な、それでいてナルシスト男子学校の皆は彼を茶化しちゃいけない相手として接してきた。何か茶化したら、ちょっとした一言自殺ちゃうんじゃないか。そんな様な男子

どこかのブログで「僕は性の対象として観てない女子から、性の対象として見られていたと知った時ゾッとした。好きでも無い女子から告白された時、「死ね」と思った。精神的にもダメージが大きかった。だから不細工自覚している自分から絶対告白しない。正直言って、相手の女性からしてみたらテロ被害者である。」というのを読んだ事がある。

まさにその通りだった。私は彼から告白された時、丸で末期がんを診断されたかのような、奈落の底に突き落とされた。

私の事が好きな事は何となく解ってたけど、クラスメートとして、適度な距離を取りつつ、挨拶をする程度にしていた。私は彼に対して決して誤解を招く様な発言も行動もしてなかったと思う。害はないと、思っていた。だから、ノーガードだった。突然呼び出されて、告白された。

「何で私なの?」

だって、〇〇さんは美人だし、△△さんは可愛いし、僕には到底告白なんて無理だから。でも、貴女は僕とあいさつしてくれるし…」下を向いたまま、何故かコーヒーストローの紙でずっと折り紙?をしている。

まり、私は彼にでさえ「コイツなら嫌とは言わないだろう。素直だから自分意見を持たない良い子だから自分にも手が届きそう。」と思われていた程度の存在だった。

自分市場価値というものを、痛いほど実感した。先輩に好かれたいとか告白なんて、もう絶望的なレベル人間である事も、十分痛感した。

こんな精神的に病む事を、先輩に経験して欲しくない。だから、今の私は、先輩を好きになる事すら迷惑がかかる存在。一方、ハタ皇子気持ちもよく解る。だから丁重お断りした。それでも毎日毎日距離を縮めてきて「友達から、良いよね?」と昼食を同席してきたり、フィールドワークの際もついてきた。終いには、「昨日、忙しそうだったけど、なんのイベントだったの?友達なんだから聞いても良いよね?」とやたら詰め寄ってきた。

友達」という大義名分で、どんどんとハタ皇子が近寄って来て、気持ち悪いという気持ちがやがて、「ウザイ」になった。

「いい加減にしてよ!」と叫びたかった。でも、言えなかった。私も、一歩間違えれば絶対に先輩に盲目になり猛アピールしてたと思う。そうなったら先輩は私を再起不能にするまでに一喝するだろう。それを想像すると、背筋が凍った。だからハタ皇子気持ちも解るし強い口調で「いい加減にしてよ!」だなんて言えなかった。

私は、考えるに考え、笑顔を作りつつも、徐々にフェードアウトして、なるべく同じ授業を取らない様に、気を使いながらニアミスしない様に、学校生活を送った。

そして7年が経った。

私は卒業してからアイプチに手を出し、都内の有名美容院巡りを経て出会った女性スタイリストさんが独立して経営する小さな美容院に通っている。

お堅い仕事柄、スーツだけれども、私服も、シンプルながらも地味すぎない、小物を使ったファッションを採り入れて、無理のない、背伸びをしない、オシャレを楽しむ女性になった。雑誌は買わないけれど、オシャレな女性を見ては真似をしたり、服の配色や自分絶対似合う服を把握。女を楽しんでると思う。

アイプチ効果は偉大だった。周囲の人たちの態度がまるで違った。人扱いから、贔屓扱いしてくれるようになった。「可愛くなったねえ」「お姉さんになっちゃってまあ」。苦手だったコンタクトも克服できた。因みに、つけまカラコン無し。アイメイクアイプチだけ。と言うか出来ないよね、アイプチノリだし。

社会に出てから男性から告白されるようになったし、「美人」とか「班のマドンナ」とか言われるようになったり、視線も多く浴びるようになった。周囲から見返りを求めずチヤホヤされる事も初めてされた。女扱いが初めてばかりので必然的に私は、しどろもどろで腰が低くなる。「調子に乗らない良い子」「付け上がったり高飛車じゃないから良い」とか。

人間ってここまで私は変われるんだ…プライドをへし折った、それだけで。別世界社会人生活を送っている。

人間ってここまで外見が違うと扱い方が変わるんだ…。人間不信じゃないけれど、人間の心って不思議だな、と思った。同じ「私」なのに。

漸く、軍資金も、経済基盤も、社会人としての生活も、衣食住も、整った。

けれど、卒業から同窓会などには一切出ていない。例の先輩に私が何故か告白しフラれた事になっている様だ。そしてハタ皇子からリベンジをされそうなので(実際FB友達申請が来た)恐いし、正直行けない。先輩の件も、ハタ皇子の件にしても、その二つを考えると、どうにも腰が重くなった。

経済的にも精神的にも女としても、成長したら、先輩に告白するつもりだった。今がその時だと、思ってた。腰が重い…でも、その思いはムダだった。

既に先輩は就職して赴任先で出会った、同業他社女性結婚したみたい。去年から東京に戻ってきたみたいだけれども、もうパパなのかな。

「遅かったか」と思ったけれど、不思議とショックはそこまでなかった。だって、好きならお互い自然にそうなってたはずだし。それに、社会人になってから「人を好きになる事」という事を改めて実感した。身が焦がれるような恋が、この世にこんなにあるんだって事も知ってしまたから。素敵な男性が、沢山いるんだって、知ってしまった。

だったら学生時代に、告白してればよかった?という思いがよぎる度に、ハタ皇子から告白精神ダメージを思い出し「私は正しかったんだ。」と思えた。

何よりも、このプライドの高い私が、メイクに手を出し、自分を変える・捨てる、なんて一新させ、今の生活があるのも、ハタ皇子のおかげなのだ

ハタ皇子が私の市場価値の低さを、結果的には教えてくれた、目を覚まさせてくれたんだ。

いつか、私が好きになる男性に、失礼のない様に、見た目も可愛くなる様に、ほどほどに気を配るつもり。

因みに、二重になったので、今はアイプチ卒業。今は普通に昔の同期と会ったり、先生と会ったり、コミュ障大分なくなったかな。

私にとって、自分を見つめる事は、とても大きな壁だったけれど、強引な形で向き合わざるをえなかった事で、喪女的外見から卒業できました。

でも、矛盾しているけれど、今でもスッピン勝負している女性達にはエールを送りたい。私は負けたけれど、彼女たちの「ありのままの姿」で家族を持ち生活を送る方々には敬意を示したいと思っている。

乱文で御免。ここまで読んでくれて、有難う。

2015-12-21

新聞購読してるんだけどさ

会社命令で実質強制的日経新聞買わされてる

その理由新入社員研修ときに言われたけど

「客も新聞を読んでるから話題を合わせるために」

とのことで

社会人なら新聞くらい読め

とか

情報収集のために

とかよりよっぽど納得できるものだった

でもさ

なんでそれが「新聞」なの?

例えば「客も見てるから増田には毎日目を通せ」ってならわかるよ

何故なら増田に書かれてることは増田だけのものから

でも新聞ってオリジナリティ?みたいなものないよね

ってかあっちゃいけないよね

まり新聞に載ってることは他のメディアでも見れることなんだよね

しろ新聞ってニュースを伝えるメディアとしてはかなり非効率的だよね


結局それって

ネットテレビ話題ニュースより新聞話題ニュースの方が重要

ってことなんだよね

なんかそのへんがどうにも納得できない

実際のところ知らなきゃいけないようなニュース新聞読まなくても自然と入ってくるし

それ以外の記事明日にはどうでもよくなってるようなことなんだよね(あくま仕事上は)

例えば上司に「今日日経新聞の○面読んだ?」といわれて「読んでない」と答えて

「〜〜(新聞記事では読んでないけど既に知ってるニュース)っていう超重要ニュースでてただろうが!!情報収集しとけやゴラァァァ!!」ってなることたまにあったりするけど納得できない

結局新聞全然読んでない

読んでも5分くらいで

土日版なんて目も通さず捨ててる

ポストに入ってるチラシ並の扱いで、部屋に持ち込むことすらなく

ゴミ箱直行

雨の日の靴に突っ込んだりするための新聞紙一年分くらいは溜まってるしね

まり俺は毎月数千円払ってゴミ買ってる

誰か毎朝一部50円くらいで買い取ってくれないかなあ

2015-09-30

ショートした回路の持ち主たち

なんか官房長官の子供に関する話で話題になっているようだけど、あの人たちは何であんなに思考回路が短絡的なのだろう。

国家に貢献」というフレーズに反応していたようだが、すぐに銃剣を持って敵影の前に飛び込み命を捧げろという風に解釈してしまうのだろう。

恐ろしくて震えますね。

普通なら、賢い人に対しては、共同体へ貢献して欲しいと思うものじゃないのか?

その頭脳を持ってして、例えばスポーツ活躍したり良い指導者になって欲しいとか、芸能の分野で活躍してさらなる新たな境地を開いて欲しいだとか、学術分野で優れた研究を行い文明の発展に寄与して欲しいだとか、農産業行政政治などなど、様々な共同体への貢献の仕方があると思うのだ。

確かに「国家」という単語は芳しくなかったかもしれない。別の言葉、例えば「社会」という言葉を使ったほうがよかったのかなと思う。

また、「産む機械発言もあって公人発言に対しては厳しい目が向けられているのは事実である

しかしながらすぐさま先の軍国主義に関する思考へと直行してしまう人があまりにも大勢いたのだった。

これはさすがにミスリーディングであり、恐怖し、嫌悪し、落胆し、哀れみの目で見ざるをえない。

2015-09-02

さいこ幽霊みたいなものが見えた

厳密に言えば幽霊ではないのだけど、他の人には見えないものが見えていた。それを姉に相談したら、それはきっと霊感だよと言われた。だから、それを漠然霊感だと信じていた。今で言えば共感覚と言われるものかもしれない。だが、そんな言葉も知らない幼少期は、自分には特別能力が備わってしまったのだと思っていた。

ある程度の年齢を重ねてそんなバカバカしい物を信じているのはおかしいと考えるようになり、見えている自分否定するようになった。見えていても見えていないふりをするようにしていたのだ。それを続けることによって見えていないと思い込むことは簡単だった。

だけどつい先日、それは再びわたしの前に現れたのだ。白昼の社内、人一人分の影が室内をウロウロとしていた。誰の影かはよく考えないとわからないが影の形やその動き方の特徴をよく見ていると、なんとなくそれが誰の影かがわかってくる。

今日のそれは部長のものだった。それに気づいて部長の机に目をやるが、部長はいもの様に自分デスクに座って書類に目を落としていた。

その2日後に部長は急な転勤になった。周囲の人間入社して間もないわたしの前では一様に事情を話そうとしないが、どうやら会計不正があったであろうことだけは分かった。

新人のわたしに誠実な態度で丁寧に仕事を教えてくれた人だっただけに、ショックは大きかった。

わたしの両親はわたしが物心がついた頃から自営で雀荘を営んでいた。幸いながら営業が順調だったこともあり母親も深夜まで働いていた。

わたしは小学校が終わると家ではなく両親のお店に直行した。そこでご飯を食べたし漫画も読んだ。暇になれば近くのゲーム屋さんや本屋さんに行っていた。眠くなれば片隅のソファ睡眠をとり、仕事が終わった母親に抱きかかえられながら家に帰った。放課後の大半はそこで過ごしていたのだ。

そんなある日、突然店の中を歩く人の影を見た。はじめは見間違いかと何度も見なおしたが、それは確かにそこにあった。その一部の空間けが暗く、人の形に動いていたのだ。

それが誰かの影かどうかまで考えなかったが、その日の夜に信用していた従業員お金を持ち逃げしたという話を、数日後に両親がしていているのを耳に挟んだ。

それからというもの、度々お店の中で人影を見るようになった。大半は誰の影かわからないままだがその影が現れると従業員が金を持ち逃げしたり、お客が金を借りたまま蒸発したりといったことが起こった。

そのことで親にも相談したことがあるが当然とり合ってもらえることはなかった。それどこか、子供大人の事情に口を挟むんじゃないと強くたしなめられてしまい、それ以降は親に相談することもなかった。5つ年の離れた姉に相談したのはその頃だった。

中学に上がると時折学校でも影が見えることがあった。大抵はその日か数日後に長めのホームルームが開かれた。理由の大半は盗難だ。

クラスはいじめも当然のようにあったために、このことを友達に話すことをしないまま高校に進んだ。

高校と言っても地元公立校である。大半は見知った顔だった。その頃には毎日のように色々な影が見えたが、かと言って毎日学校で何かが起こるかというとそんなことはなかった。

そんな時、影の一つが見知った人のものだとわかってしまったことがあった。仲の良い友達の一人だった。本人に何かしら聞いてみようかと散々迷った挙句気持ち悪るがられるのが嫌であきらめてしまった。

その友達は数日後に学校を退学した。万引というよりも窃盗に近い犯罪だった。

そのことがショックでわたしは影の存在を認めることが怖くなってしまった。友人と話すこともなんとなく避けるようになり、例え誰かと話をしていたとしても足元ばかりを見るようになっていた。当然のようにわたしの周りから人は離れていった。

不思議なことにそうすることで影を見る頻度が減っていくことがわかった。影そのものが減ったのかどうか疑わしく考えていた時に、教室内で音楽プレーヤー盗難が発生した。沈黙が続くホームルームの中、わたしは一人で嬉しさを噛み殺していた。

それからも色々と試してみたが、どうやら普段から下を向いていればたまに顔を上げた程度では影がみえないことがわかった。くだらない事件は相変わらず周囲で発生していたが、影が見えなくなれば別に気に病むような事にはならなかった。

そうして非科学的なことを悩むこと自体バカバカしいと思うようになり、とくに意識しなくても影なんてものは見えなくなっていった。そのうち、見えていたことが自分思い込みだったのではないかと思うようになり、そうしてこの年までそんな話自体も忘れていたのだった。

部長の一件を含めて今になって考えてみれば、どうやら自分に備わっているのはその人の後ろ暗さを見抜く力のようだった。

幼少期から雀荘という特異な環境に身をおいていたことで、何の気なしに人の表情や行動、しぐさなどを見ている間に、その中から誰かから何かを奪おうとしている機微を見抜いていたのかもしれない。

から何かを奪おうとする人間はそれだけ周囲に対する警戒心が強くなるということなのだろう。この歳になってオカルトな話をするようで恥ずかしいが、その相手から感じ取った漠然とした不安が影として見えていたのかもしれないということだ。

先日、社内の男性に食事に誘われた。部長が転勤になってからわたしの教育を買って出てくれた2つ年上の男性だった。こんなこともあって学生時代に満足に人付き合いもしたことのないわたしは、断る理由もなくなく誘いに乗ってしまった。

ところが、その日になってまた現れたのだ。事務所の室内を落ち着かない様子でウロウロとしている影であるしかも、最悪なことによく見ればその影は食事に誘ってくれた男性のものだった。

誘いを断ろうか寸前まで悩んだ。勤務時間内で何か事件でも起こってくれれば自然と食事もなくなってくれるだろうと淡い期待も抱いていた。しかし何事も無く終業時間を迎え、結局断るタイミングもないまま彼との食事に来てしまった。最悪自分身の回りのものだけ肌身離さずにいればいい。食事が終われば用事があるなどと理由をつけてすぐにその場を後にすればいいのだ。

心なしか店に案内する彼から得体のしれぬの緊張が伝わってくるかのようだった。

はじめのうちは仕事はどうか、人間関係問題ないか、そんな当り障りのない会話をしながら食事を楽しんでいた。そうしてある程度お酒も進んできたところでふと顔を上げると、いまだかつて見たこともないような大きさの色濃い影が彼の後ろに迫っているのが見えた。

一瞬で酔いの覚めたわたしは身の回りの所持品に緊張を張り巡らせた。影の存在以前に、彼の表情が見るからに緊張していくのが分かった。

「こんな人の目がある中でまさか

次に起こることが予測できない恐怖から逃げ出そうとした時だった。

次の行動を注意深く見つめるわたしに、突然彼は向き直って口を開いた。

「も、、、もしよければ、また食事に来ませんか?というか付き合ってください!」

しばらくの沈黙の後、やっと状況を理解したわたしは大声を出して笑い転げてしまった。

なんと融通の効かない能力なのだろう。彼が奪おうとしていたものはわたしの所持品ではなく、わたしそのものだったのだ。

そんな違いさえ判断できないなんて、なんて愛おしくもぶきっちょな能力なのだろう。

そんなわたしの気持ちなど知る由もなくあっけにとられている彼の手を握りながらわたしは答えた。

「こちらこそ。「こんなわたし」でよかったら。」

彼の表情が緊張から喜びに変わっていくと同時に、大きな影も姿を消していくのがわかった。

2015-08-29

彼女より増田

料理屋で程よく酔わせ、隣のビル6階の隠れ家バーで二次会

終電もなくなったころに、手際よく会計を済ませ、

エレベーターに乗り込んだ勢いで、壁に押し付け、両手をつかみ、キス

1Fに着くまでお互いの気持ちを確かめ合ったところで、有無をいわさずタクシーホテル直行

という予定だったが、高学歴低学歴増田に反応するために、帰ってきてあげた。

2015-08-21

二十歳の誕生日の事

これはただの日記だけれど誰かに読んでもらいたくて書いているようなものからそのつもりで書く

20になる前の日だった 何かと影響を受けやす自分の性として誕生日に何かと意味を持たせようと上の空で考えていた

フェイスブックでは友達と肩を組み居酒屋かどっかで騒ぐ画像 自分にはそんな友達はいない

あとこんな比喩を幾つか続けるつもりだったけれど思いつかないからここら辺にしておく だいたいの感じだけわかればいい

そこで前々から気になっていたピンサロに行く事にした

バイトを終えてからふと思いついた事なのでとりあえず銀行直行 家賃サイトで見た代金、余分なお金を引き落とす

いつもタバコを買っているコンビニ氷結を買ってとりあえず近くのゲーセン一服しながら飲む

自分は思いつき第一で動いている人間なのでここでちょっとだけ冷静になって考えてみたけれど頭に浮かぶ事はどうでもいいことばかりではっきりと何を考えているのかわからなかった 良心の呵責とか社会勉強という言い訳とか自分についてとか 考えているフリをしているだけで何も考えてなかったのかもしれない というか何も考えたくなかったのかもしれない

ゆっくりタバコを吸い終えて、酔いも回ってきた

結局何の感慨もなくピンサロに向かって歩き始めた

その途中で駅の近くのスタジアムサッカー試合がある事を知った

相手実家のある県のチームだった

何となく気になるけれどそこまで肩入れはしていない程度のものだった

スタジアムに向かって歩く人たちを見てピンサロ行ったあとに行こうかななんて事を考えながら歩いた

サイトにあったマップ通りに歩くとちゃんとお店はそこにあった

しかしやはりここは童貞

1度目はチラ見スルーをかます

落ち着くために近くのコンビニでもう一度タバコを吸う

ビクビクしながらタバコを吸っている間に今までにあったこういう場面を思い出してみるとたった20年でこれだけかとも思うし20年なんだかんだでいろいろあったなとも思う

どちらにしろ色々影響を受けすぎているなという結論に至りながら黒光りする壁をマジマジと見つめる

という訳で入店 いつも通りのぼそぼそとした小さな声で絞り出すようにしてフリーで とだけ言った

店員さんが若干引き気味だ 今更なんだってんだ

番号札を渡され15分ほど待つように言われた

順番待ちの席に着く 隣には無表情のバイタリティが溢れ出そうなサラリーマン バイタリティが溢れ出そうなサラリーマンはやっぱり風俗に行くのかと妙に納得

座って待っている間 恥ずかしまぎれの言い訳のように俺はなんでここにいるんだと心の中で繰り返していた

なんだか何においてもまともに考えていなかった気がする そんな中でうずくまって傍目から見れば何とも言えない 言い難いような格好をしているなら

いっそいつか笑い話にできるほど意味のわからないようにしてやろうと自分時間を持て余している 実際に面白いかは別として

次の日 誕生日は一日家で寝て過ごしました

2015-07-29

ああもう2時だ

寝ないと。また起きられない。

今日も起きたら12時だった。また、現場直行してますと嘘をついた。

現場直行、してないこと、課長は知っている。でも見逃してくれている。我々の仕事柄そういうこともある、って見逃してくれている。自分に関して言えば全くもってただの寝坊なのに。

なんで起きられないんだろう。目覚ましは何度もかけている。しかし起きられない。

間違いなく気持ち問題。「よし今日はこれをやらねば」と思っているときは起きれる。

それがないと起きれない。仕事にいきたくない。

いやいや、もしかして本当にただのなまけ病だ。

他の人間は同じ条件できちんと朝起きて仕事をしている。

朝おそいやつもいるけど、それなりに遅い時間まで働いているので勤務的にはこなしている。

俺はなにもしていない。

朝起きれない。その分勤務しているわけでもない。実績も出していない。

なんの言い訳余地もない。

せめて朝起きて勤務さえしていれば、実績がなくとも許されそうなものを。

せめて実績があれば多少寝坊しても許されそうなものを。

どうしても起きられない。

はてなのせいでは、と最近は思う。

2015-07-23

ぼっちの軌跡

幼稚園

建物のなかで1人で遊んでた。だれかに外で遊ぶように誘われたこともあったが恐怖でしかなかった。

早く家に帰りたかった。

小学校

低学年

後にも先にも”友達”と呼べる存在がいたのはこの時だけだった。ただし5人ぐらいのグループで4人が盛り上がっているなかでつられて笑っているようなだけだった。当時の小学生話題といえば漫画ゲームテレビぐらいしかなかったが、そのどれもが親の教育方針で禁止されていたので会話に参加することができなかった。放課後遊びに誘われることもあったが楽しくなく、嫌で仕方がなかった。

中・高学年

前述のグループからハブられる。ぼっちの道をいくことに。グループ(ペア)を作りましょうというのが苦痛だった。自意識過剰だった自分はその際に1人だけ余って注目されることや、先生と組むことになって初めに皆の前で例を見せるのが嫌だった。

通信簿(勉強以外)や3者面談(家庭訪問)も嫌だった。常に自分否定されるだけだった。そのせいで親から怒られることが特に。普段周りから貶されてることが明確に承認されることを感じた。自分が間違ってるんだ、自分おかしいだという思いが強く心に刻まれた。

中学校

ぼっちは相変わらずなんだが、強制参加の部活動が何よりも敵だった。部内では暴力を伴うはっきりとしたいじめにあった。それでも誰かに相談することはしなかった。変なプライドから親に知られることは恐れていた。顧問は知っていたが見てみぬふりをしていた。

辞めることもできなかった。辞める際の顧問・親等から精神的な攻撃を酷く恐れたからだ。幽霊部員になるなど到底許されざる雰囲気であるし、ここを辞めてもまた別の部活に参加しないといけなかったことも一因だった。結局毎日行きたくない行きたくない辞めたい辞めたいと思いながら3年間通った。

高校

ここでも強制参加の部活動が(以下略

ただある一瞬で耐え切れなくなった。絶対に辞めてやると決意した。ものすごくハイになってこういうときいじめられっ子殺人を犯すんだなと思った。それから顧問から半年近くに渡る執拗攻撃や、親の説教を耐え晴れて幽霊部員地位を獲得することができた。

大学

奨学金を借り家から出て誰も知らないところへ行った。大学生活は快適そのものだった。誰から強制されず自分責任において1人で完結することがこれほどまで素晴らしいものかと思った。講義を受け、家に直行しひきこもるだけの生活をした。もちろん話し相手などできなかった。バイトサークルもしなかった。

就活鬼門だった。何よりまともな会話と呼べるものをした経験がこれまでの人生で数えるほどしかないからだ。面接試験の結果はひどいものだった。初めは一次面接10連続で落ちた。だが落ち込みはしなかった。客観的に見て自分価値が低いということは、何よりも自分が一番わかっていたことだったからだ。1から自分の設定をつくりトライアンドエラーを繰り返した。面接35社目にして奇跡的に内定を得ることができた。節穴の面接官もいるものだ。

社会人

自分社会性というものを信頼していなかったので1年ともたないと思っていたが、意外とそうではなかった。

割りと当り(ホワイト)の会社だったというのもあるが、会社での会話は目的動機、力関係がはっきりしているで案外楽なのだ。ただ場を持たせるだけの会話でも、仕事(お金)だと思うと割り切れる。なにより人に興味があるふりをしていても、本質的には無関心なことが心地いい。

大きめの会社で頻繁(3〜4年)に全国転勤があるのもよかった。終わりが見えてると精神的にだいぶ楽。

そして今に至る。

以上何の変哲もないぼっちの軌跡。

2015-07-20

とりあえず皆一通り味見してからメインヒロインルート行くアニメ嫌い

エロゲ原作アニメには特に顕著なんだけど、

特定ヒロインルートを行くのに、周りのヒロインを一通り味見して何も解決しないまま

そのままメインヒロインに行くのは迷惑から辞めて欲しい。

星架とあかね色と恋チョコ特に酷かった。

まだ比較的マシなましろ色も友人Aが滑り台しなくちゃいけなくなったし端折り方がいい加減だ。

特定ヒロインルートに突き進むのなら大事キャラ以外のヒロインは紹介程度に留めてくれ。

でなければ、無駄に期待して嫌な思いをする。

その点じゃヨスガ(やエロゲじゃないけどアマガミ)はヒロイン毎にルートを作っただけ遙かに良心的な設計だった。

また、オマンツェも割と最初から主人公ピンクに固定してたからジョストとかいロックユー!のパクリみたいな事やらかしても充分許容できた。

とにかく特定ヒロインに固定してくれ。

でなければ、皆一通り味見してからメイン直行なんてされたらそのアニメ絶対失敗するから、とにかく俺は嫌いだから辞めてくれ

2015-07-14

http://anond.hatelabo.jp/2015071421345

増田は、風呂場でクソするんか?

オレはクソしてそのまま風呂直行。一回分ウォシュレットの水が浮く。

2015-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20150701235639

私、したことあります

わりと田舎のほうなんですが、塾から帰る途中にお腹が痛くなっちゃって。

まわりには公衆トイレがあるような公園、お寺も無ければ、最寄りの民家も数百メートルあるような場所で。

さすがに数十歩ぐらいしか耐え切れないなと思ったので、すぐ近くの茂みに入り、

その・・・お花を、摘んだんです。

誰もいない、虫の声が良く聞こえるような場所で、モノがドスッと落ちる音がしました。

そのときはもらさずに済んだ事と、腹痛から逃れられた事で安堵の気持ちで一杯でした。

しかし、地獄はそこからでした。

自然にはおしりを拭くような紙はありませんので、手頃な葉っぱをさがすのですが、見当たりませんでした。

観念した私は、下着にモノがつかないよう、背筋と足をピンと張るような歩き方で、歩みをすすめることを決意しました。

自宅はそこからキロ程離れていましたし、そのような歩き方ですとすごく時間がかかりました。

夜遅く帰宅し、親にこっぴどく叱られ、泣きながら風呂場に直行し、下着とチンコを洗った記憶があります

今となっては良い思い出です。

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150627102222

独身男性だけど、ご想像のとおり何ら用が無い優待ばかりだから会報ポストからゴミ箱直行だわw

疎外感までは感じ無いし、セブンATMなんかまで手数料無料なのがちょっとお得気分あるからそれだけで十分w

2015-06-26

アレルギーと猫のハナ

私が小学生から高校生の間、黒猫を飼っていた。名前はハナ。近所の神社に捨てられていた3匹の子猫のうちの1匹だった。従兄弟可愛いからと連れて帰って来たものの、彼はマンション暮らしペットを飼えなかった。そのため、我が家と祖父母の家のある敷地で飼うことになったのだ。成り行きでなぜかうちで飼われるようになったハナだったけれど、わりと私の家族や祖父母は歓迎した。

ハナは気性の荒い猫だった。撫でれば嫌な顔をするし、気に入らないことがあるとすぐに引っ掻いた。それでも私は猫が好きだったので、小学校高学年くらいまでわりとたくさん構った方だと思う。黒い毛のしたに、灰色の柔らかい毛が生えていた。ハナのお腹の下の柔らかい部分が特に好きで、幾度となく触ろうとしては蹴られたり引っ掻かれたりしていた。私はハナを手なづけようと必死だったし、ハナは適当にあしらってくれていた。

話は変わるけど私が小学生の頃、悩み事があった。ひじの裏やひざの裏、首元や耳の後ろ等、皮膚の柔らかい部分に赤い湿疹ができていたことだ。なぜできるか分からないそれが好きじゃなくて、いつも肌を隠すことばかり考えていた。

でも、転機が訪れた。その発疹が、中学生になり、家に居ることが少なくなるとピタッと止んだ。私は猫アレルギーだった。中学生になって、部活がすごく忙しくて、家に帰るとベッドに直行していた。当然ハナと接する機会が減ったので、私のアレルギーは止んだという訳である。それが分かったその日から、ハナは大分肩身の狭い思いをしたと思う。とにかく、家に入れてあげなくなったし、私もハナを抱かなくなった。もちろん、ハナを触りたい気持ちもあったけれど、あの湿疹と決別できたことが私にとって何よりも重要だった。

最初ハナは若干戸惑っていた。いつも構ってくれる人間が「ちょっと、こないで!湿疹が出るじゃない!」「あっちにいって!ハナちゃん触ると痒くなっちゃうの」と言い始めたから当然のことだ。でも、ハナもクールもので、あっという間にで慣れてくれた。私を見ても「あ、いるな」くらいの間隔の距離を保ってくれた。私を見ると、ハナは少し尻尾を振った。

そのうちハナもおばあちゃんになり、祖父母の家から出なくなった。ますます、私はハナを構わなくなって、そのうちハナのことを考える時間ほとんどなくなった。ハナはいつの間にか年老いていて、静かに天に旅立った。12年生きてくれた。でも、そのうち、6年間はほとんど接していない。最後に触ったのは、多分高校生1年生の冬。祖父母の家のこたつに足を突っ込んだらハナがこたつの中にいたのだ。私はびっくりしたけれど、これぐらいでは湿疹が出ることはないだろうと思って放っておいた。その時、ハナはこたつの中でそっと私の足に寄りそった。本当に、遠慮がちにそっと。

ハナが死んだ時、大学受験の真っ最中だった。私は、ハナが死んだことすら1週間気付かず、母の「ハナちゃんがいなくてさみしいね」という一言でようやく知った。悲しみはなくて、淡々としていた。もう6年も適度な距離感があったペットに、私は特に心を動かされたりはしないと思っていた。でも、やっぱりふとした瞬間にハナが恋しかった。庭先のツバキの下や、祖父母の家の縁の下、陽のあたる畳の上、こたつの中に、ハナがいないのは違和感があった。あるいは、庭先で何かを追い掛けて軽やかに駆け回るハナがいないことに、喪失感を覚えた。だんだん、ハナがいない違和感は消えたけれど、誰も猫を飼おうと言い始めはしなかった。猫アレルギーの私が就職して一人暮らしを始めてもなお、猫を飼い始めようという話はない。ハナであれば、あの気性の荒い、でも本当は優しい猫でなければ、私たち家族は嫌なのだ、結局。

命は切ない。一瞬で、消え去ってしまう。

ハナが死んであっという間に5年経った。早いものだなぁと思う。私はもうハナの目の色や、耳の形を覚えていない。写真も、あまり残っていない。

でも、時々思う。あの、遠慮がちにそっと身体を寄せた、暖かいからだを。あの時、ぎゅっと抱けばよかった。アレルギーなんて気にせずに、なりふり構わず、あの瞬間を生きていた小さな命をぎゅっと抱き締めたらよかった。

**

アレルギーの件:皮膚のアレルギー症状…発赤(ほっせき)・かゆみ で、私はこれに該当するアレルギーだと思います皮膚科血液検査しました。

いぬうさぎチンチラ等の毛もNGで、未だに治っていません。恋人の飼っている犬にも触れず、つらい思いをしています。なおせるものならなおしたい。

2015-06-24

初恋は笹舟にのって

漏らしたうんことともに流れていった。

小学校の時に七夕まつりに参加した。

仲の良い母親同士が集まって、となり町に住む友人の家まで出かけていったんだ。

その中には初恋のあの娘もいた。

彼女はそんなぼくの恋心を知ってか知らずか、とても無邪気な様子で祭りを楽しんでいた。

夕暮れの縁日をめぐる中、そいつは突然襲ってきたんだ。

わたあめか?りんごあめか?それともお昼に食べた冷やし中華か?

目の前には憧れのあの娘がいるのだ。

流れていく笹舟を眺めながら、「うんちがしたい」の一言だけは口が裂けても言えなかった。

今の自分くらいのベテランになれば、腹痛の種類と波長で緊急度が判断できたであろう。

しかし当時はまだ毛も生えていないこどもだ。

それがどの類の便がもたらす便意かの判断をすることはできなかった。

幾度なく襲いかかる腹痛と便意。

その度に立ち止まっては括約筋を限界まで締め付けた。

友人の家まで行ければなんとかなる。

そう言い聞かせながらも、友人たちが縁日の奥へと進んでいくことに絶望を予感していた。

短くなる腹痛の周波数。遠のいていく友人たちの背中意識

わたしは自分の括約筋に限界があることを間もなく知ることとなった。

幸か不幸か。漏れ出たそれは形を伴うようなものではなかった。

最も緊急度とお漏らしリスクは高いながら個体を伴わない液便だったのだ。

抑えきれなかった一緩みを感じた後、腸に集まっていた血液が身体に戻っていくことを感じた。

この様子ならまだいけるかも知れない。

その後は友人グループと付かず離れずの距離を保ちつつ、ひと通り祭り会場を回るまで緊急を伴う便意に襲われることはなかった。

ミッションは最低限のダメージで切り抜けられたと思われていたのだ。

そんな帰り道、突然イタズラっぽい表情を浮かべながらで初恋のあの娘が近づいてきた。

「なんか、さっきから臭うけど、○○くん漏らしたりなんかしてないよね(笑)

しかし、その直後の表情から彼女が全てを察したことがわかった。

その一言で青ざめたぼくの顔と、近づくことでいっそう強くなった臭いが合わされば当然だろう。

何かをごまかすようにあの娘がぼくの元を離れていったのは、友人の家の玄関まで30mのところだった。

真っ先にトイレ直行したぼくはズボンをみて驚愕することになる。

ほんの一緩みと思われた液便は、尻からももにかけて激しくズボンの色を変えていた。

もちろんわかっていたのだ。

ももが湿ったような感覚が、夏の湿気と汗によるものではなかったことを。

その事実もっと早くに認めて、一人勝手にでも離脱してしまえばよかったのだ。

どこかで自分には特別な力があると信じたい年ごろだったのだ。

そこから記憶曖昧だが、おそらく一向にトイレから出てこない息子を心配した母親発見され、ろくに挨拶もせず家に帰ったと記憶している。

梅雨が始まると七夕を思い出すのだ。

この雨が続けば織姫彦星の逢引はまた一年持ち越されてしまうからだ。

その日の夜、母親から電話だと受話器を渡された。

受話器から初恋のあの娘の声が響いた。

「さっきは変なこと言ってごめんね。増田くんは漏らしたりしてないし、誰にも言ったりしないからね。」

そう言い放ち、こちらの返答も待たずして受話器の置かれる音が響いた。

もういいんだ。一番知られたくない人に知られているのだから

空よ。なぜあの日織姫彦星が会うことを許したのだ。祭りを中止させてくれなかったのだ。

頼むから今年の七夕もいやってほどの雨を降らしてくれ。人の気も知らずいちゃいちゃしてるあいつらを思うとどうにも許せん。

2015-05-27

これって毒親ですか?

結婚して実家を出てからもしかして私の親は毒親だったんではないか?と思い始めたのでここで話させてください

三十路、既婚、子無しです。

実家にいた頃はとにかく親の言うことをよく聞いていました。

24結婚したのですが、それまで実家にいました。

実家では大学生社会人になっても、

土日両方遊びに行くと怒られる(家で休みなさいと言われる)

一度学校とかから帰宅したら徒歩5分のコンビニとかに行くのも許されない

家の中にあるタオルなどのルールが決まっていて、間違えると怒鳴られる

から帰ってきた時一度でも外で床においたものをを床に置くと汚いと怒られる

海外旅行(特に東南アジア)から帰ってくると汚物扱い。荷物は新聞紙の上にしか置けない。服は玄関で全てぬがされ、新聞紙の上しか歩けず、風呂場に直行させられる

こんな感じで息苦しかったです。

あんまりにも息苦しいので結婚してさっさと家を出ました。

家を出てからは束縛されることもなく自由暮らしているのですが、

たまに土日に実家にモノをとりに来なさいと言われたりします。

仕方がないので予定を合わせたりするのですが、

土日はほとんど旦那と遊びに出掛けているので予定が合いません。

それがバレると前記の理由罵倒されます

土日両方遊ぶなんて許されない、とか。

それが嫌なので実家から連絡が来ても無視したり、と疎遠にしています

実家の超近くに住んでいますが、年に一度正月しか合わなくなりました。

年に二回は海外旅行10回は国内旅行に行きますが、

行ったことがバレると遊びすぎたと怒鳴られます

遊ぶために共働きして頑張っているのに、なぜ怒られなくてはいけないのか。

そんな感じなので、旅行に行っても親にはおみやげは買わないし、そもそも旅行に行くことすら伝えなくなりました。

その結果旅行中に気がついたら祖母が死んでいたこともあり、通夜葬式も出ませんでした(帰国したら山のような着信履歴)

これって、親は毒親なんですかね。過干渉なんですかね。

めんどくさいので交流してないのですが、実際こんな親いたらどうなんでしょう。

2015-05-04

うんこ漏らした

体調不良で、お腹がゆるくなってるとはいえ、

ほんの数分前までは普通のガス漏れくらいの状態だったんだよ。

なんで最後の一発だけそれを許してくれなかったのか。

子供たちがリビングWiiやってる横を、

パパはウンコ漏らしてトイレ直行

嫁にLINEパンツ持ってきてって指示。

崩れゆく自尊心と、体調悪いからしょうがないよという自らを慰める気持ち

ああ、これが自慰行為か。すでに賢者タイムだけどな。

2015-03-10

科学報道についてモヤモヤすること

「○○大学が、××の実験成功」とか「□□大学が、世界で初めて△△を開発」みたいな記事見出しを頻繁に見かけるけれど、こういうフレーズを目にするたびに複雑な気持ちになる。

私の知っているかぎりでは、大学という組織は、××の実験や△△の開発についてほとんどなにも関知していないし、大した支援もしてくれない。大学教員の業務は、教育研究にざっくりと分けられるが、それらのうち大学支援してくれるのは教育業務が大半だ。教育業務というのは、学部大学院での授業や、研究室学生指導に加え、入試関連業務や教室会議など多岐に渡る。

大学での研究活動は、これらの教育業務に追われるなか、各教員自分時間を確保して進めていくことになる。まったく研究が進まなくても大学から咎められることはない一方で、研究業績の多寡教員査定に関わってくる。最近の若手教員には3年から5年の任期が付いていることが普通から、その間に十分な業績を出すことができなければ高学歴無職コース直行となる。任期終了後は、他大学での職に応募することになるが、その際に見られるのはほぼ研究業績だけだ。そのため、研究業績を積まなければ、大学教員としてのキャリア (あるいは人生) が詰んでしまう。

研究を行うにはある程度の資金必要となるが、大学が援助してくれる額はとても少ない。良識のある教員ならば、研究室学生学会出張の旅費を支給したり、必要機器を買い与えたりするが、大学から渡される研究費だけではそれらを行うのにも十分でない。

そのため、普通に研究活動を送っている大学教員は皆、自分で外部から資金を獲得してきている。最も一般的なのは、国が募集している競争資金に応募することだろう。競争資金というのは、その名の通り、同分野の研究者間で取り合いをする資金のことだ。大体は3年間の研究計画を立てて申請を行い、分野の近い研究者らがそれを審査することで採択者が決まる。競争倍率は分野や額にもよるが3倍〜10倍程度あり、競争に敗れる研究者のほうが多いということは簡単に想像がつく。

自分資金を獲得してこなければ活動もままならないという点では、大学に居る研究者 (教員) は個人事業主に似ていると思う。研究活動という観点では、大学組織研究者に対してとても冷淡だ。ちなみに、研究のために獲得した競争資金のうち3割は間接経費という名目大学組織に上納させられるが、これは支援とは正反対だろう。

まり言いたかったことは、××の実験や△△の開発を支援しているのは、科学研究のために資金提供をしている日本国のものであり、ひいては納税者たる国民だということだ。普段はたいした支援もしないくせに、世間受けする成果が出た途端、○○大学とか□□大学とかが出しゃばってくるのを見るとなんとも言えない気持ちになってしまう。

2015-02-17

夫の風俗通いが発覚したものの…

結婚前、私はわりと遊んでいた時期もあり、対して夫は私が初めての相手だったのではないかというほど不慣れで、

直行自体とても上手とは言えませんでした。

まぁ結婚するなら真面目に限ると思い、今まで平和にやってきました。

私自身、もし自分が男だったらちょっと位の浮気とか遊びはするだろうな、その方が人生に張りあいが出るし。と思うので

お金無意味にたくさんつぎ込むとかでなければ多少の風俗通いは、まぁいいかな、と思っています

不倫に酔った面倒な本気アピールしてくる素人浮気されるよりプロ相手の方が安心だという気持ちもあります

ついでに結婚してからも夜は比較的たんぱくでテクニックも向上せずましてや本当の三擦り半劇場ってあるんだwってセックスに不満を持っていたもの事実です。

でも「下手だからこうして。ああして。そこ違う」とかは私の口からは流石に言えずにいたので、

どこかでプロの人に優しく教えてもらってそれを私にはバレてないと思って得意げに披露してくるぐらいでちょうどいいと思いました。

デビューしたのはおそらく一年ほど前で、職場が変わった時に今の上司に連れて行かれたのだと思います

それから特に家庭をないがしろにするでもなく、でも元々うかつな人なので「うわwこれ絶対風俗で覚えてきたプレイだなww早速披露とかww」とかわかるようなこともしばしばあるのですが

以前よりもセックスに前向きだし上達もしていると思うのでまぁかまいません。

先日も休日出勤だ、と言って朝から出かけ、昼には帰ってきたのですがなにしろうかつな人なのでPC検索履歴に思いっきりそこの店の閲覧履歴が残っていたし、そのあと風俗嬢ブログ

本日ご指名の●様朝からありがとうございました!とか夫のイニシャルが入っていて笑いました。

携帯も放りっぱなしで時には「メール何着てた?」とか私に確認させることでやましいことはないと余裕を見せているのかもしれませんが、「●●さん」とあたかも取引先の相手のように登録された番号がその風俗店

番号で、休日出勤の朝に掛けられていたことも把握済みです。

今のところ家庭に問題はないのでスルーしていますが万が一の時の証拠にその画面は撮って残してあることも知らずに。

男性がこういったところに求めているのが単に性欲だけでなく、癒しであるというのもなんとなく理解はできます

世の奥さんは家事育児に手一杯でまず子供優先になるし、自分容姿の衰えや相手に対する思いやりを忘れて旦那自分の所有物だと思い、旦那の働いたお金ごと自分の所有物なのです。

嫁と子供世界で一番高い買い物なのです。家で大きい顔をされて、帰宅して邪魔とか言われても子供の成長が嬉しい、なんだかんだで奥さんと一緒に居たい、そう思っているのが多くのお父さんなんです。

夫も今のところその一人であることは明白なので、私も出来るだけ仕事帰りには褒めてみたり、あったかご飯とお弁当で頑張ってみたり、まぁ普通に幸せだと思います

世の夫の中には生活費を入れず遊ぶ人、暴力を振るう人もたくさんいることを考えれば、今の生活特に不満はありません。

私はもし自分が男なら多分結婚してないまま遊んでるだろうな…と本気で思うので、癒しを求めて月に一度程度通うなら今のところ文句はありません。

家庭はうまくいっていますし、会話も多いです。夜も毎日一緒に寝ているs、最近の方がセックスも増えましたし、早漏も治ってきました。

行為に関しては私も夫に対して下手だなとか早いなとか今まで言い出せず演技してたりまぁこんなもんでいいか子供さえできれば…くらいに抑えていたので。

バレてないと思っているところが馬鹿だな、とかうかつだなって思うことはあるけど我侭で変わり者でマイペースでもある私に笑顔で合わせてくれる男性は他に巡り会えないと思うので

私なりに努力必要なところは努力をしてこの先の人生も夫を家庭を自分大事にしようと思っています

風俗に通っていることは気づかないふりをしたまま、「早く帰って来てね」とか「お疲れ様」とか甘える回数を増やしていけばいいのかな、と思っています

ただ、単純に疑問に思ったことがあります

夫の通っている相手というのが、ものすごくぽっちゃりした人なのです。顔も、「好み変わった?(´・ω・`)」というような相手なのです。

私も結婚して10年以上、若い頃より容姿はるかに衰えましたし、身体のライン若い頃とは比べるまでもなくえらいこっちゃになってます

から若い子の肌のハリや素敵な身体を!ならわかるのですが、ぶっちゃけ今の私よりもダルダルンで顔もおいぃぃぃぃぃ!!!な相手をわざわざ指名してお金を払ってとはこやいかに?!

そこに納得がいかないのです…同じ浮気(?)なら相手の方が美しかったらもう少し私も頑張らなきゃ!!復活しなきゃ!みたいなのもあるのかもなんですが、

まりにもあまりなので友達にもどういうことなのかね!?とか言い出せません。

癒し系とは一体?!しかも夫はもともとガリガリよりは多少ぽっちゃりの方が好きだとは言ってましたが、ぽっちゃりの域を超えていいなら私だってまだまだ楽するぞオイ。

ぐらいの感じです。でも多分私はこれ以上太らないほうがいいんですよね?!

2015-02-12

牛丼屋でビールを飲んだ

出張先で久しぶりに牛丼屋に立ち寄り、ビールを飲んだんだ。

牛丼の並を一杯、唐揚げ四個に瓶ビールを一本。それから生卵を付けて千円くらい。

それなりに満足してしまったので、20分ほどで食べ終わるとホテル直行してすぐに寝てしまった。

ちなみに、牛丼屋では皆、何をつまみにしているんだろう。

牛皿、キムチ豆腐、いろいろあるけど好みが出るよね。

2015-02-07

ツイッターで逆ナンされまくり一ヶ月で5人と関係を持った具体的な方

ツイッターを使って女食いまくった話書く。

最近ツイッターセフレを作ることを

「ツイセフ」と呼ぶらしいが、

ネットを使って女を即日いただく方法は昔から決まっている。

mixiでも出会い系でも、

その他のサイトでも同じだ。

そのパターンを知っている人間が、

おいしい思いを独り占めする。

無知人間は、出会い系サイト

課金にはまり出会えるわけもなくお金だけで吸い取られる。

ツイッターアカウントを取得する

適当ヤフーアドレスを取得して、

ツイッターアカウントを作る。

このアカウント存在が知人にバレてはまずいので、

その辺りの設定は忘れないように。

ここをミスると、

あいツイッターセフレ作ろうとしてるけど大丈夫か?』

と、周りの知人にバレて恥ずかしい思いをするぞ。

プロフィールを作る

プロフ画像エロとは無縁の物にする。

ツイッターを見ていると、

チンコ丸出しの画像を載せてるやつがいるが、

女にどん引きされていることに気がついていいないから痛すぎるww

チンコ写メなんぞ載せたら、

絶対出会えない。

自己紹介文には、

住んでいる地域と年齢は必須

どこに住んでいるのか、

年齢もわからない男とセックスしたいと感じる女は皆無だ。

エロ垢女は完全無視する

ツイッターで「セフレ」と検索するとわかるが、

セフレ募集している女が大量にいる。

応募しても採用なんてされないので、

完全に無視すること。

自分からアプローチしない

ネットで誰とも出会えない男は、

自分から手当たりしだいに女にアプローチしている。

まず、これが出会えない男の特徴。

本当に出会いまくっている男は、

自分からアプローチしない。

から声をかけていくるような仕掛けを設置する。

エロ体験をひたすらツイート

過激なセックス経験をひたすらツイートしていく。

自分にそんな体験があるかどうかは、

この際どうでもいい。

ネットで「エロ体験」とか検索すれば、

元ネタはいくらでも出てくる。

それを参考にしてツイートしまくる。

女のフォロワーを増やしまくる

女のフォロワーが増えれば、

エロ体験ツイートを読んでくれ。

いわば官能小説のようなものだ。

女は俺のツイートを読んで興奮してしまい、

パンツをびちょびちょにする。

そして、自分のこんな風にされてみたいと

思い出してしまうのだ。

ポイントは、フォロワーの女と

セックスした体験談としてツイートすることだ。

これが絶大な効果を発揮する。

ツイートを読んだ女が誘ってくる

信じられないだろうが、

エロ体験をツイートしまくることで、

それを読んだ女が誘ってくるようになる。

「私ともしてください!」

と誘ってくる。

誘われたら、あとは簡単だ。

会う日程を決めて当日はホテル直行

まとめ

絶対に誰も信じないだろうが、

たったこれだけで女からナンされまくりハーレムを築ける。

ツイッターはどんなに使い倒しても

1円もかからない。無料だ。

それでいながら複数の女から誘われる。

からネット出会うには、

エロ体験を書くのが有効なのは

マニアの間では当たり前すぎる常識

最近はツイセフとか呼ばれて、

攻略指南サイトも出てきているらしいが、

そんなもの必要ない。

エロ体験をツイートしまくり、

淫乱女をひたすらフォローしていくそれだけでOK!

どうせ誰も信じないと思うが。。

実際に調べればわかるが、

この人(anond:20150110001952)みたいに

ツイッターで女を喰いまくってる人は多数存在している。

2015-02-01

女性はもう少し「男性トイレでの手洗い率」について関心を持つべ

中年男性ほど手を洗わない

たまにアンケート調査記事みたいなのが出るけど、手を洗わない男性って本当に本当に多い。

しかも洗わない率は男性の年齢が上がるにつれて高くなり、50代超えると7割以上の人が便器からトイレの出口に直行。鏡の前で止まったりもしない。

(東京の駅内のトイレで見る限り)

女性が関心を持つべ理由

駅のトイレで手を洗わないオッサンがドンドン量産されて、それがみんな電車に乗ったり会社に行ったりする。

電車に乗るということは吊り革とか柱?に触るわけで、間接的だけどそういうことになる。

で、さら下品な話をしてしまうと電車といえば痴漢がつきものになるわけで……。

(50代以上の痴漢の数とかはよくわからないけれど)

余談

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん