「○○大学が、××の実験に成功」とか「□□大学が、世界で初めて△△を開発」みたいな記事の見出しを頻繁に見かけるけれど、こういうフレーズを目にするたびに複雑な気持ちになる。
私の知っているかぎりでは、大学という組織は、××の実験や△△の開発についてほとんどなにも関知していないし、大した支援もしてくれない。大学教員の業務は、教育と研究にざっくりと分けられるが、それらのうち大学が支援してくれるのは教育業務が大半だ。教育業務というのは、学部と大学院での授業や、研究室学生の指導に加え、入試関連業務や教室会議など多岐に渡る。
大学での研究活動は、これらの教育業務に追われるなか、各教員が自分で時間を確保して進めていくことになる。まったく研究が進まなくても大学から咎められることはない一方で、研究業績の多寡は教員の査定に関わってくる。最近の若手教員には3年から5年の任期が付いていることが普通だから、その間に十分な業績を出すことができなければ高学歴無職コース直行となる。任期終了後は、他大学での職に応募することになるが、その際に見られるのはほぼ研究業績だけだ。そのため、研究業績を積まなければ、大学教員としてのキャリア (あるいは人生) が詰んでしまう。
研究を行うにはある程度の資金が必要となるが、大学が援助してくれる額はとても少ない。良識のある教員ならば、研究室の学生に学会出張の旅費を支給したり、必要な機器を買い与えたりするが、大学から渡される研究費だけではそれらを行うのにも十分でない。
そのため、普通に研究活動を送っている大学教員は皆、自分で外部から資金を獲得してきている。最も一般的なのは、国が募集している競争的資金に応募することだろう。競争的資金というのは、その名の通り、同分野の研究者間で取り合いをする資金のことだ。大体は3年間の研究計画を立てて申請を行い、分野の近い研究者らがそれを審査することで採択者が決まる。競争倍率は分野や額にもよるが3倍〜10倍程度あり、競争に敗れる研究者のほうが多いということは簡単に想像がつく。
自分で資金を獲得してこなければ活動もままならないという点では、大学に居る研究者 (教員) は個人事業主に似ていると思う。研究活動という観点では、大学組織は研究者に対してとても冷淡だ。ちなみに、研究のために獲得した競争的資金のうち3割は間接経費という名目で大学組織に上納させられるが、これは支援とは正反対だろう。
つまり言いたかったことは、××の実験や△△の開発を支援しているのは、科学研究のために資金提供をしている日本国そのものであり、ひいては納税者たる国民だということだ。普段はたいした支援もしないくせに、世間受けする成果が出た途端、○○大学とか□□大学とかが出しゃばってくるのを見るとなんとも言えない気持ちになってしまう。