2015-09-02

さいこ幽霊みたいなものが見えた

厳密に言えば幽霊ではないのだけど、他の人には見えないものが見えていた。それを姉に相談したら、それはきっと霊感だよと言われた。だから、それを漠然霊感だと信じていた。今で言えば共感覚と言われるものかもしれない。だが、そんな言葉も知らない幼少期は、自分には特別能力が備わってしまったのだと思っていた。

ある程度の年齢を重ねてそんなバカバカしい物を信じているのはおかしいと考えるようになり、見えている自分否定するようになった。見えていても見えていないふりをするようにしていたのだ。それを続けることによって見えていないと思い込むことは簡単だった。

だけどつい先日、それは再びわたしの前に現れたのだ。白昼の社内、人一人分の影が室内をウロウロとしていた。誰の影かはよく考えないとわからないが影の形やその動き方の特徴をよく見ていると、なんとなくそれが誰の影かがわかってくる。

今日のそれは部長のものだった。それに気づいて部長の机に目をやるが、部長はいもの様に自分デスクに座って書類に目を落としていた。

その2日後に部長は急な転勤になった。周囲の人間入社して間もないわたしの前では一様に事情を話そうとしないが、どうやら会計不正があったであろうことだけは分かった。

新人のわたしに誠実な態度で丁寧に仕事を教えてくれた人だっただけに、ショックは大きかった。

わたしの両親はわたしが物心がついた頃から自営で雀荘を営んでいた。幸いながら営業が順調だったこともあり母親も深夜まで働いていた。

わたしは小学校が終わると家ではなく両親のお店に直行した。そこでご飯を食べたし漫画も読んだ。暇になれば近くのゲーム屋さんや本屋さんに行っていた。眠くなれば片隅のソファ睡眠をとり、仕事が終わった母親に抱きかかえられながら家に帰った。放課後の大半はそこで過ごしていたのだ。

そんなある日、突然店の中を歩く人の影を見た。はじめは見間違いかと何度も見なおしたが、それは確かにそこにあった。その一部の空間けが暗く、人の形に動いていたのだ。

それが誰かの影かどうかまで考えなかったが、その日の夜に信用していた従業員お金を持ち逃げしたという話を、数日後に両親がしていているのを耳に挟んだ。

それからというもの、度々お店の中で人影を見るようになった。大半は誰の影かわからないままだがその影が現れると従業員が金を持ち逃げしたり、お客が金を借りたまま蒸発したりといったことが起こった。

そのことで親にも相談したことがあるが当然とり合ってもらえることはなかった。それどこか、子供大人の事情に口を挟むんじゃないと強くたしなめられてしまい、それ以降は親に相談することもなかった。5つ年の離れた姉に相談したのはその頃だった。

中学に上がると時折学校でも影が見えることがあった。大抵はその日か数日後に長めのホームルームが開かれた。理由の大半は盗難だ。

クラスはいじめも当然のようにあったために、このことを友達に話すことをしないまま高校に進んだ。

高校と言っても地元公立校である。大半は見知った顔だった。その頃には毎日のように色々な影が見えたが、かと言って毎日学校で何かが起こるかというとそんなことはなかった。

そんな時、影の一つが見知った人のものだとわかってしまったことがあった。仲の良い友達の一人だった。本人に何かしら聞いてみようかと散々迷った挙句気持ち悪るがられるのが嫌であきらめてしまった。

その友達は数日後に学校を退学した。万引というよりも窃盗に近い犯罪だった。

そのことがショックでわたしは影の存在を認めることが怖くなってしまった。友人と話すこともなんとなく避けるようになり、例え誰かと話をしていたとしても足元ばかりを見るようになっていた。当然のようにわたしの周りから人は離れていった。

不思議なことにそうすることで影を見る頻度が減っていくことがわかった。影そのものが減ったのかどうか疑わしく考えていた時に、教室内で音楽プレーヤー盗難が発生した。沈黙が続くホームルームの中、わたしは一人で嬉しさを噛み殺していた。

それからも色々と試してみたが、どうやら普段から下を向いていればたまに顔を上げた程度では影がみえないことがわかった。くだらない事件は相変わらず周囲で発生していたが、影が見えなくなれば別に気に病むような事にはならなかった。

そうして非科学的なことを悩むこと自体バカバカしいと思うようになり、とくに意識しなくても影なんてものは見えなくなっていった。そのうち、見えていたことが自分思い込みだったのではないかと思うようになり、そうしてこの年までそんな話自体も忘れていたのだった。

部長の一件を含めて今になって考えてみれば、どうやら自分に備わっているのはその人の後ろ暗さを見抜く力のようだった。

幼少期から雀荘という特異な環境に身をおいていたことで、何の気なしに人の表情や行動、しぐさなどを見ている間に、その中から誰かから何かを奪おうとしている機微を見抜いていたのかもしれない。

から何かを奪おうとする人間はそれだけ周囲に対する警戒心が強くなるということなのだろう。この歳になってオカルトな話をするようで恥ずかしいが、その相手から感じ取った漠然とした不安が影として見えていたのかもしれないということだ。

先日、社内の男性に食事に誘われた。部長が転勤になってからわたしの教育を買って出てくれた2つ年上の男性だった。こんなこともあって学生時代に満足に人付き合いもしたことのないわたしは、断る理由もなくなく誘いに乗ってしまった。

ところが、その日になってまた現れたのだ。事務所の室内を落ち着かない様子でウロウロとしている影であるしかも、最悪なことによく見ればその影は食事に誘ってくれた男性のものだった。

誘いを断ろうか寸前まで悩んだ。勤務時間内で何か事件でも起こってくれれば自然と食事もなくなってくれるだろうと淡い期待も抱いていた。しかし何事も無く終業時間を迎え、結局断るタイミングもないまま彼との食事に来てしまった。最悪自分身の回りのものだけ肌身離さずにいればいい。食事が終われば用事があるなどと理由をつけてすぐにその場を後にすればいいのだ。

心なしか店に案内する彼から得体のしれぬの緊張が伝わってくるかのようだった。

はじめのうちは仕事はどうか、人間関係問題ないか、そんな当り障りのない会話をしながら食事を楽しんでいた。そうしてある程度お酒も進んできたところでふと顔を上げると、いまだかつて見たこともないような大きさの色濃い影が彼の後ろに迫っているのが見えた。

一瞬で酔いの覚めたわたしは身の回りの所持品に緊張を張り巡らせた。影の存在以前に、彼の表情が見るからに緊張していくのが分かった。

「こんな人の目がある中でまさか

次に起こることが予測できない恐怖から逃げ出そうとした時だった。

次の行動を注意深く見つめるわたしに、突然彼は向き直って口を開いた。

「も、、、もしよければ、また食事に来ませんか?というか付き合ってください!」

しばらくの沈黙の後、やっと状況を理解したわたしは大声を出して笑い転げてしまった。

なんと融通の効かない能力なのだろう。彼が奪おうとしていたものはわたしの所持品ではなく、わたしそのものだったのだ。

そんな違いさえ判断できないなんて、なんて愛おしくもぶきっちょな能力なのだろう。

そんなわたしの気持ちなど知る由もなくあっけにとられている彼の手を握りながらわたしは答えた。

「こちらこそ。「こんなわたし」でよかったら。」

彼の表情が緊張から喜びに変わっていくと同時に、大きな影も姿を消していくのがわかった。

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