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2021-12-27

26歳既婚女、子供が欲しくないというより子供を産んで無敵の人になっ

タイトルどおり、子供が欲しくないというより、子供を産んだとして育ててその子中学あたりでボロカスいじめられたりしてこの世に絶望したら申し訳ないし色々あって世界憎悪して無敵の人にさせてしまったら子供にも世界にも申し訳ないし、もし優しい子に育っても社会に出てひどいパワハラを受けて自死を選んでしまうほど苦しませたら申し訳ないと思って子供作ろうと思えない 。

多分私の今までの人生がどちらかといえばしんどかったことが原因の一つになってると思う。私自身が中学いじめられてたし容姿悪く言われたし高校も全員から見下されてたしたくさん傷つく事あったし、26歳の今メンタルの薬飲んでるし。

すぐその場で言い返せないヘコヘコしてて舐められやす人間からすぐ馬鹿にされるし雑に扱われるし見た目も良くないし。

人を殺したことないけど(てか殺したことあったらここに書き込んでる場合じゃない)高校の頃に駅で同い年くらいのカップル幸せそうな人達を見かけると妬ましくて、何かが起きてこいつら電車に轢かれますようにと本気で願ってたしその人達が轢かれる姿を想像して何度も気分良くなってたから正直無敵の人気持ちもわかってしまうんだよ。無敵の人ニュースを見るたびに人を殺したことマジで悪いことだとは思うけど同時に犯人のつらさに共感してる自分がいるんだよ。

まれから生きるまで嬉しかたことよりも辛かったことのほうが多い。鬼束ちひろ月光歌詞のこの世界に堕とされたってところすごく共感できるし。

こんな私のクソ舐められやすいブス(でもブスにも舐められやすいブスと舐められにくいブスがいるよね、私は舐められやすいブスだと思う)言い返せない弱気感情高ぶるとすぐ泣く遺伝子を持った子供不憫で仕方ないと思えて子作りできないよ。

でも産まないまま年を取ったら後悔するんだろうなぁと思い現在26歳だよ。

旦那遺伝子もあるけど旦那も優しすぎるしよく泣くから、優しすぎる人はパワハラいじめなどの標的になりやすいか危険だよ。旦那自身特にパワハラ職場いじめは受けてないけど…。

旦那の顔は眉毛が困り眉で目が垂れ目だからこの遺伝子を受け継いでも弱そうに見えてこの世界に生きるゴミどもに標的にされちゃうかもしれない。

でもかといって自分真逆の強そうな男もなんかDVとかしそうだから旦那結婚してよかったとは思うんだけど。

あと私の身長170で旦那身長180で男が生まれ場合は良いとして女の子が生まれ場合はどうしよう絶対身長高いこと気にしちゃうよ。あと旦那の顔は男だといいけど女の子だとかわいい部類に入らないよ。可愛くないだけで女はたくさん苦労するの私知ってるよ。もし女の子が生まれたら幼いうちに整形してあげよう。幼いうちに子供を整形させた親がニュースになって批判されてたけど悪いのは本当に親なのか?と思うよ。ブサイク女なだけで酷く接する世界が悪いんだろ。お前ら一人ひとりの認識問題なんだよ。私はあのニュース親に共感したよ。

男が生まれ場合容姿はまぁ身長あるから大丈夫やろ!!と思っても、学校会社でひどい目にあって無敵の人になって人殺しになってしまったらどうしようという不安があるよ。まぁ無敵の人になるのは女もあるとは思うが…。

あと暴力的引きこもりになったら親の力じゃ男の子はどうしようもできないよ。

こんな汚れたクソ人間共ばかりの世界に産み堕としてひどく心を傷つけて最期自死を選ばせるほど苦しませてしまったら、産んだことを申し訳なく思ってしまうよ。

どうやったら子作りにプラスに考えられる?

みんなそんなに自分人生しかったの?

自分肯定できるの?

だとしたら羨ましいよ。

私は生まれたから仕方なく生きてるよ。長文の遺書を書いたことも人生のうちであったけど私が死んだら旦那が悲しむから生きてるよ。あと死ぬのは痛そうだから。でもそもそもまれなければ痛くないよね。子供自死を選んでしまったとして、死ぬために痛い思いさせちゃうのも可哀想だな。

まだ26歳で旦那も2個上だからあと数年はゆっくり考えられるけど結論が見える気がしないよ。子供に会いたくてもこんな汚れたクズ共が蔓延世界に産み落としたくないよ。こんな世界に産んでごめんってなるよ。じゃあ生むなと??

子供には会いたいよ


聞きたいこと、みんなはどう考えて子供産んでるの??

2021-12-26

死ぬのを延期し続けていたら結婚してた

 今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。

 そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。

 経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。

 

 私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。

 元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛なのだ

 学生時代挫折連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通サラリーマンとなり受験就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。

 私には、生きるのに理由必要だった。

 趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由必要だった。

 そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。

 

 誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。

 婚活出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。

 リスキー投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。

 首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。

 いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。

 法テラスに連絡して弁護士破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。

 「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。

 

 職場上司暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。

 もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。

 そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。

 もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。

 

 そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事親友だ。

 それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。

 

 結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。

 看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。

 私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。

 少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。

 

 そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。

 私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似事件はみんな実刑になっていたからだ。

 しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。

 そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。

 

 警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。

 会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。

 

 昨年2020年年末私自身、満足していた。

 私は友人にとって特別存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。

 ここから先にあるのは、更に苦しく孤独未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。

 

 もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。

 

 早々に死ぬのなら、もう働く必要はない。

 職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。

 そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。

 

 不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。

 東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道反時計回りに一周し、小樽フェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。

 大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。

 そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。

 数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。

 

 本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。

 多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。

 私は罪を背負っていて、債務があって、仕事はない。

 日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。

 旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色しかなかった。

 

 旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。

 私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。

 彼女は、「あなたファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなた人生責任を負う覚悟があります」と言った。

 だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮役満人間である彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。

 しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。

 

 だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまたことに変わりはない。

 人生塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。

 私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。

 死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。

 そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。

 そして妻の人生もまた尋常ものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルピースのように奇跡的に当てはまりネットの海から掬い上げられた。

 自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。

 妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。

 

 私は、希死念慮者として暮らして長い。

 だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。

 一度「死ぬルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことな他人人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。

 私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期孤独にしなくて良かったと今でも思っている。

 

 だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。

 明日マックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。

 その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。

 そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。

 人間人間を救うことは出来ないけれど、それでも人間を救えるのは、人間しかいないので。

追記】2021/12/29

https://anond.hatelabo.jp/20211229194627

2021-12-25

兄が死んだ

(性加害の話を含みます

兄が病死した。私にとって消えて欲しい存在しかなかった兄が本当に消えてくれた。涙はない。

さな頃はごく普通の兄妹の関係だった。7つ離れているから一緒に遊んだ記憶はあまりないけれど、優しかったし、何でも譲ってくれた。私が小学生になると、宿題を手伝ってくれたり、漫画CDを貸してくれたり。高学年になると、おかしなことが起こるようになった。お風呂あがりで裸の私がいる洗面所の扉を「間違えて」開けることが何度かあった。おかしいな、と思い始めた頃、ソファでうとうとしていた私の上にいきなり覆い被さって、私のスカートの中に手を入れてきた。混乱したが、それが、兄が私に対していやらしいことを企んでいると決定的に理解した瞬間だった。私は、ふざけんな、気持ち悪い!くらいの強い言葉を言ったと思う。気の弱い兄は、それ以上何もしなかったし、それからは直接触れてくることはなくなった。

ところが今度は親の目の届かないところで自慰行為を見せつけてくるようになった。ちょっとこっち来て、と呼ばれて兄の部屋に行くと、おもむろにズボンを下ろしそれは始まる。私はバカじゃないの、といいながら去るのだけど、何度か射精するところまで見届けた。私は兄のやっている行為を愚かしいと思いながらも、私の体に直接の被害はないので、まぁいいかと思ってへらへらしながら数分間眺めてたのだ。そんなことが3年くらい続いたが、私が高校生になると、さすがに明確に拒絶するようになった。というか、それなりに女子高生という雰囲気をまとって世の中怖いものなし、という風情を醸し出してきた私と、大学留年しまくってくすぶってた地味で冴えない兄の立場が逆転し始め、兄の方が私に近寄らなくなってきたのだ。

もともと大人しく社交的ではなかった兄は、大学生活で人間関係やら何やらにつまづいたらしい。数年留年しやっと卒業したが就職もせず引きこもりを始めた。毎日兄が家にいてうっとおしかった。兄が私に何かをしてくることはもうなかったが、私の中ではもはや兄は気持ち悪い人でしかなかった。一緒の食卓に座るのも嫌だし、話しかけられるのも見つめられるのも嫌、兄の入った湯船につかるのが嫌で真冬でもシャワーだけだったし、自分洗濯物は自分で洗って自室で干した。家に二人きりでいると何が起こるか怖くて、38度の高熱を出してもフラフラしながら図書館時間潰してた。私は大学生になると、実家を出たくてその資金のためにキャバクラバイトを始めた。それが親にバレて、お堅い父が激怒。半ば飛び出す形で実家を出て、それ以来自活。父も母も兄に甘かった。就職しないで引きこもる兄に3食を用意し、毎月のお小遣いを与えて、息子は繊細だからゆっくり時期を待ちたいと尻を叩くことはなかった。そう、親にとって、兄は「繊細」な息子で、私は「ふしだら」な娘ということらしい。その状況がいらだたしく、何度か兄がしてきたことを暴露してやろうかと思ったこともある。だが、それはしなかった。

大学卒業し、社会人になり、私は自分人生を生きることに一生懸命だった。私だって器用な方ではないからこの社会に馴染むには人一倍時間を要する。失敗したり落ち込んだり遠回りしながら生きてきた。30歳を過ぎた頃、私の中にあるいわゆる「生きづらさ」というのは家庭環境や兄のことがあるのだろうと、心理カウンセリングを受けてみた。でも言語化すればするほど何だか虚しくなり、数回通っただけで行かなくなった。兄や実家と向き合うのはしんどい物理的にも精神的にも可能な限り距離をおく、ということで適当にやりこなして生きてきた。気づけば私も30代後半。

兄が末期のガンだとの知らせが届いたのは半年前。会社勤めではない兄は当然ながら職場の定期健康診断もなく、区の健康診断やガン検診にも寄り付かず、発見が遅れたらしい。両親は自分たちの老後のために実家バリアフリー改装していたので、兄は訪問看護を受けながら在宅で看取ることになった。

電車20分という距離に住んでいながら、2〜3年に一度くらいしか実家に顔を出さなかった私。久々に対面した兄は、痩せてだいぶ老け込んでいたが、何の世間の垢もついていないつるんとした肌と、感性20代前半くらいで止まってるかんじは相変わらずで、当たり前のように父母の手厚いケアを受けていた。私は兄にはごく一般的な見舞いの言葉を、両親には私が手伝えることがあれば可能な限り協力するが、自分看護介護知識がないからその類の行為プロに任せたいと明確に伝えた。指一本、兄の体に触れたくなかったからだ。父母は私の事務的な態度をどう思ったかからないが、既に私は家族の一員として「諦められている」存在だったので、たまには顔を出しなさいよと言われただけで、何かを頼られることはなかった。その後、遠方からおじおばが見舞いに来るというので、その場に立ち会ったくらいで、積極的に兄を見舞うことはしなかった。

兄が死ぬことについては何の悲しみもなかった。むしろ、私にとって恥ずかしい存在がいなくなる、せいせいした、というのが嘘偽らざる気持ちだ。実家を離れたとはいえ引きこもりかつ性犯罪予備軍のような兄の存在は私にとって長年の恥でしかなかった。もともと結婚願望は薄かったが、結婚は完全に諦めた。普段から「お兄さんは何をなさっているの?」といった他人からの無邪気な質問も怖かった。子どもを狙った性犯罪ニュースを見るといつか兄もやるんじゃないかと戦々恐々としてた。引きこもり中年男性が世を恨んで無差別に人を傷つけるニュースも全く人ごとではなかった。兄がいなくなることで、これらの心配が無くなるのであれば、この先の私の人生は心穏やかに過ごせる。

クリスマスを前にして、兄は父母に見守られ四十数年の人生を終えた。静かな最期だったらしい。朝方に死去の連絡を受けたが、私はその日も普通仕事に行った。何の心の動揺もなくいくつかの打ち合わせと事務処理を済ませた後、家庭の用事でとだけ伝えて、昼過ぎに早退をした。色々事情を聞かれるのが嫌で忌引きでなく普通有給をとることにした。1日だけ。

兄はたぶん安らかな顔をしていた。あんまり見ていない。父母も最後まで自分たちで世話をしたのだから、まぁすっきりした表情だ。一度も社会に出なかった息子を困ったといいつつも、可愛がっていたのだろう。兄は引きこもりではあったが、家庭内暴力などはなく、父母やごく近しい親戚とは普通コミュニケーションをとっていたし、親の買い出しに付き合って車を出したり重い荷物を運んだりと家の事には協力的であったらしい。家族想いで優しかったが、優しすぎて一般社会には適応できなかった、というのが父母からみた兄だ。

それもまた事実であろう。私だってあの出来事がなければ、兄をそう捉えたかもしれない。でも私は兄がした行為を許すことはしない。許すことはしないが、もう遠い過去となった。あの時の記憶は消えないが、あれから私は自分人生を生きて別の体験をたくさんすることで、あの記憶を隅へ隅へと追いやった。それが正しい対処方法なのかはわからない。もっと周りに助けを求めたり、自分心のケア第一に考えることもできたかもしれない。或いは正面から向き合って本人に謝罪を求めても良かったかもしれない。でももういい。私にとって兄は消えて欲しい存在で、そして今やっとその通りとなった。それだけのことだ。兄の愚かな行為を今後も父母に話すつもりはない。それは兄のためでも父母のためでもない。私がエネルギーを使いたくないから。

補足)

これは愚かな兄をもった、愚かな妹の駄文です。もしこれを読んでいて、今現在家族問題で苦しんでいる未成年の方がいたら、どうか信頼できる大人相談してください。私は自分一人でなんとか対処してしまったように書きましたが、それは20〜30年前の当時はスクールカウンセラーも普及しておらずインターネットも浸透してなかった状況で、子どもに対する権利擁護情報アクセスしづらかったという事情によります。今は適切な機関支援がありますあなたの心を守りながら、一緒に考えてくれる大人はきっといます

2021-12-16

anond:20211216122702

ユーチューバーの生スナッフ配信見たい

ユーチューバーがやる側だと胸糞悪いから、「相手挑発して笑いものにする配信のつもりが自分最期配信なっちゃいました」っていうスカッと系で

2021-12-14

ペルソナ3はもう出ないでくれ

ペルソナ3はもう新作出さないでくれ

新作に出ないでくれ

気持ち悪いんだよ腐女子

マジでイケメンと見るや否や食いついてキタローのケツで咥えさすな気持ち悪い

テオも番長も花村も足立も皆月もジョーカーも祐介も明智キタローにメロメロ発情して蹴落としあってるがそいつら誰だって状態になってるんだが

順平叩いてたくせに花村と番長友情が羨ましくなって急に『魔術師枠』とか起源主張すんなキモ

チドリは復活するのにキタローが復活しないなんて!って鼻息荒くしてたくせに最近になってキタロー関係なくチドリ復活叩かれてたみたいな歴史捏造やめろ

股がけネタキタローだけ本人の意思浮気してませんってキャラ付けなんだよむしろコイツプレイヤー意思無視じゃねえか

最期プレイヤーキタローは別物しておいて浮気だけキタローの意思じゃありませんは草

ヤることしっかりやってペルマガでは浮気バレて逃げてるクズだが

あー気持ち悪い

マジでペルソナ3だけ独立しろ公式の贔屓作

ペルソナ3のせいでペルソナ4の正統続編は接待になりコラボで枠取られるんだが

ペルソナ3のせいでペルソナ5の初の派生ゲーム本来楽曲が増えた頃に出すべきダンシングだったんだが

ペルソナ4格ゲーコレジャナイでもファン買い支えたから次のチャンスがあったんだよ

ペルソナ5は売り上げ伸ばし続けたから色んなとことコラボしてる訳だ

売り上げでしか計れないのかって意見もあるが、公式慈善業でゲーム出してる訳でも趣味ゲーム出してる訳でもなく仕事でこれで飯食ってる訳

売れるもん作って売りたいのが本音

売れるためにサービスしてる訳

ゲーム買わない声だけデカ腐女子さんに無償奉仕する奴隷じゃない訳

それでぐちゃぐちゃリメイクだのリマスターだの出してもらえるほどペルソナ3は結果出せてるの?

仮に出せてなくても出て欲しいと願うことはい

でもなんで暗黒微笑ってつきそうな寒い上から目線なの

面の皮厚過ぎ

後続作のお陰で出してもらってる介護されてる立場って自覚してくれ

限界集落に勤めてた

ドラックストア勤務でした。田舎の。

客のほとんどがお年寄り

店に入ってすぐ、商品場所をすぐ聞いてくる。

「綿棒!」と汚い声で話しかけてくる。私は綿棒じゃないけど。しばいたろか。いろんな感情をこらえて答える「こちらです~」

買うものリストの紙を渡して言う、

「これ揃えて、時間ないの」

日中暇なくせに???私たちと違って時間はいくらでもあるくせに???もうすぐ死ぬから

「あれ、あの青いやつ!」

「青い、何ですか?」

「洗うやつ」

何をやねん。

「これ、無いの?」

「当店では取り扱ってないですねえ」

「なんで?次は置いといて」

う~ん、アマゾンで買えば~!

お札を舐めるな~並んでるときに財布とポイントカードは用意しろ~あとエコバック

ジップロックに小銭を入れるな~

前の会計が終わる前にレジ商品置くな~

商品持って行ってお金を払うだけなのに、何がそんなに難しいのか。

最後まで年寄りが好きになれなかった。

自分最期あんな醜く、人に迷惑をかける存在になるのかな。老いるのがめちゃくちゃ怖くなった。

将来は絶対カード電子マネーで支払おう。

さよなら限界集落

2021-12-05

鬼滅の刃」残された三つの謎 最終話谷川俊太郎の詩で読み解く

「過狩り狩り」という「良質なマイナー作品」を、「鬼滅の刃」という「大衆の心をわしづかみにする超メジャーエンターテインメント」へと飛躍させたものは、いったい何だったのか。

私は以前の記事で、「鬼滅の刃」がもたらす感動には、ナショナリズムのもたらす高揚感と共通するものがある、と指摘した。社会学者大澤真幸さんによれば「国民=ネーション」という共同体が、「われわれという一体感=ナショナリズム」を持つためには、「我々の死者」という存在必要になる。

「かつて自分たちのために力を尽くし、死んでいった人々=『我々の死者』がいた。自分たちもその思いを引き継いでみんなのために力を尽くし、後の世代へと引き継いでいく」という時空を超えた連帯感、「我々の死者」の連鎖こそがナショナリズム本質なのだ

「みんなのお陰で命を守れた」「ありがとう最期まで戦ってくれて 自分ではない誰かの為(ため)に」「君たちのような立派な人に いつかきっと俺もなりたい」

「みんなのために戦って命を捨てた『我々の死者』たちを決して裏切らない。彼らの犠牲無駄にはしない」という思いの連鎖、絆の連鎖こそが「鬼滅の刃」のメインテーマ主題)であり、それは作品の中で繰り返し、繰り返し、変奏される。

鬼滅の刃」残された三つの謎 最終話谷川俊太郎の詩で読み解く:朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASPD34JZZPD2UCVL00K.html

さすが、朝日新聞ですね。自分イデオロギー谷川俊太郎という第三者押し付けテクニックも含め。

2021-12-04

anond:20211127231025

長い間寝たきりのままでもう散歩いけずにまずい療養食しか食べさせられんけど介護して大事にしてますとか、苦痛は取り除けないけど天寿全うしてほしいとか死んでしまうのが悲しい、生きてほしい飼い主のエゴやと思う。

わいは病気苦痛治療で抑えられなくなって生活の楽しみを上回る状況になったら安楽死させる覚悟をしている。

もともと一緒に暮らすことすら人間の都合で決められて生活人間に付き合わされてるんや。人間人間責任を果たせよ。

増田は愛犬を殺したんじゃなくて苦しんでるところから助けたんやで。最期までみんなに見送ってもらえたし、わんこの方は今はもう辛くない。あん自分を責めないで。

2021-12-02

日野智貴さんのはてなブログみたら「日本SRGM連盟代表日本アニマルライツ連盟理事日本優生思想研究所研究員」って書いてた。

あとついでにヴィーガン堕胎反対派で

https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2021/12/01/232816

満貫ドラ2くらいの感じがしてすごい

得にすごいと思ったのはこの記事とある科学のレールガンがヒットした理由についてこういう分析をしている。

https://bousouwakoudo.hatenablog.com/entry/2021/02/01/111215

 日本優生思想研究所の所長で「いのちを守る親の会」理事長の大熊良樹先生によると、現在空前の大ヒットをしている『鬼滅の刃』でも、登場人物胎児の形になって最期を迎える場面があるそうです。これにも「集合的無意識」の作用があるのでしょう。

 「科学万能主義」の教師たちが「赤ちゃん」を殺そうとする構図――私には、それが「唯物論教育」「生命軽視の教育」が人工妊娠中絶を増やして「堕胎天国」と呼ばれるようになった、戦後日本象徴しているように感じます

まじで立憲民主党何考えてんのw

2021-11-26

猫を見送ってきた

飼い猫が亡くなった。17歳7ヶ月。

の子が初めての猫で、この猫以降譲り受けたり保護したりで犬猫総勢ギリギリ2桁にならんくらいの大所帯の最年長を突っ走り続けていた。

20歳までいくかな~、とわくわくしていたけど、悪化してからはあっという間だった。2ヶ月前の血液検査では超良好な結果だったのに。

身の回り出産とか色々めでたい出来事が重なっててまだ周りには言うに言えずなので、ここでひとまず書いていく。

近所の公園で、目も開いてない状態で箱にブチ込まれ状態で捨てられてたのがこの猫。三匹のうち一番小さい子猫で、猫風邪特にひどい子だった。

離乳期になってミルク卒業頃になっても哺乳瓶を離そうとしなくて、哺乳瓶の乳首を噛みちぎるまでずっとミルク生活だった。

若いからちょっとトロい子で、高い所へのジャンプはあまり得意じゃなかった。机の上で寝ていて寝ぼけたまま転げ落ちても、気にせず落ちた場所でそのまま寝続けるような子だった。

喧嘩も弱くて、一度しっぽの付け根あたりを縫合したりもした。完全室内飼いしようとしてたのに、二歳までしか続かなかったので私の方が諦めて。以来15年以上、室内と室外を自由に行き来する生活を続けた。

ここ数年は庭からは出なくなって、日当たりの良い場所で微睡むくらいになってた。トイレも庭に置いてある専用のプランターで済ませてた。

後輩猫が来たら、それまで私にべったりだったのに、急にそっけなくなった。かと思えば数年後またべったりになったので、拗ねてたんだと数年越しにやっと理解したりもした。

後輩猫のことが気に食わなくて、徹底的に威嚇して近づけさせなかった。でも、怖いもの知らずの子犬だった同居犬には何故かおおらかだった。よくごはん横取りされてたけど、犬には怒らなくて、いつも私の方を恨みがましそうに見つめてきていた。犬はポッチャリ体型になった。

もっと静かな最期を迎えられるのかと思ってたけど、最期苦しそうで見ている方もつらかった。

なんて声かければ正解だったのかわからない。無理に延命させてよけいに苦しい思いをさせてしまったのかもしれない。

長丁場になるかも、と思って短い犬の散歩に出たほんの数分の間に亡くなった。

火葬は私と飼い犬、一人と一頭で見送った。添えた花は若い頃よくつけてた首輪の色と同じ紫系。

あんまりにも何度も落としてくるから5歳過ぎくらいか首輪しなくなってたけど、飼い猫に合う色といえば紫だったので。

動物の供養って形式自由だし、と思って、お供え物としてお刺身をあげて、お供えの後は私と犬で分けて食べた。

悲しくないわけじゃないけど、涙が止まらない訳でもない。でも、ちょっと思い出すと涙が出る。

仕事はなんとか出来る。全く手につかない訳じゃない。気が紛れるみたいな感じかもしれない。

とにかく別れがつらいしお金もすごいかかるけど、でもやっぱ犬や猫と暮らすのはやめられないんだよな。今、悲しくて辛いけど、もう飼うのやめようとは思わない。

思い出すたびにちょいちょい泣いてるけど、目の開いてなかった状態で捨てられてた子猫ちゃんと成猫になって、17年半くらい生き抜いたのだから、頑張った方じゃないかな、と思うようにしてる。

でもやっぱ、20歳のお祝いしたかったなぁ。

あのときああしとけばこうしとけば、とか色々考えてしまう。後悔してばかりじゃどうしようもないのわかってるけど、心を落ち着けプロセスなんだろうけど、どうしてもなんか色々考えちゃうなあ。

今朝も、定位置だったソファ一角確認してしまうし、猫がよくいた場所にはどうしても座れない。

老いからはずっとブランケットだの毛布だのを重ねたところで微睡んでることが多い猫だったから、ブランケットがないすっきりしたソファを見てるとぽっかり何かが抜けた気分。

猫、老いて動くのが億劫からか、ブランケットかけ直せってよく要求してきてたけど、かけ直す必要はもうないし、使ってたブランケット、一部は一緒に火葬して、残りはそのまま廃棄になる。

洗えば使えるのもたくさんあるけど、さすがに他の猫にさっと再利用出来るほど気持ちが切り替えられない。

思い出として平常心で語るまでにはもう少し時間必要だなという感じ。

2021-11-23

もしかしてこういうのがはてなー理想最期

https://nordot.app/835829416504623104?c=110564226228225532

 23日午後3時半ごろ、神戸市北区道場町生野山中で、登山客の男性(25)が、木に結んだロープで首をつった状態ミイラ化した遺体を見つけた。兵庫県警有馬署によると、遺体は頭髪などから高齢男性とみられるという。目立った外傷は確認されていない。

 同署によると、遺体の周辺にはリュックサックが残されていたが、身元の特定につながる身分証などは見つかっていないという。現場は千刈浄水場の北西約200メートル付近

家族とか作らなくても気ままに生きて最期自分で決めるとかいうのが盛り上がってたよね

東大進振りのしくじり

私が進振りでしくじった時の経緯と反省を残しておく。

いろいろしくじってきたが、その後のことも考えると、人生で一番大きなしくじりだったと思う。

未来東大生進振りで悩んだ時に役に立ってくれると嬉しい。

進振り選択まで

東大では2年前期に、所属学科を決める進振りがある。

当初情報系での進学を考えていた。候補として、

検討していた。

コンピュータ人工知能に関心があったということが候補を選んだ理由だった。

当時、LinuxFirefoxなどのオープンソース活動に興味を持っていた。

また、脳科学認知科学人工知能など人間の知能に関する分野にも興味を持っていた。

進学先検討

理学部情報学科についてガイダンスを受けた際、

研究分野としてはOSコンパイラなどのコンピュータの基礎研究という印象を受け、

工学の方が自分の嗜好に近いと考えて工学部学科検討することにした。

工学部機械情報学科はロボティクスを中心とした情報を扱っていて、

ロボットハードウェアへの興味が低かったこから優先順位を下げた。

そして、

候補として考えた。

この2つの学科ではシステム工学を扱っていた。

当時、システム創成学科現在の精密工学科が合併しており、

機械系のカリキュラム研究も含まれていて、2つの学科が扱っている分野が共通していた。

違いとしては、システム情報工学では応用物理系の内容を中心に扱い、

知能社会システムでは機械から社会工学経済工学まで扱っているという違いがあった。

定理

そして、次の理由から知能社会システムコース候補として考えた。

私は教養学部での講義からゲーム理論シェリングの分居モデルなどの話題に触れ、

また、当時行動経済学経済への物理学の応用などの書籍を読み社会科学系にも興味を持っていた。

人工知能マルチエージェント進化計算などの複雑系にも興味を持っていた。

また、自分の関心がある講義が他学科にも分散していたこから

講義を取りやすいことも良いと考え、自立して科目を選択できると考えた。

また、製造業や電器メーカーの不調から従来の工学学科に進んでよいのかと悩んでいた。

できて数年の学科だということで新しいことができるのではないかと無根拠に考えていた。

そうして工学部システム創成学科知能社会システムコースに進むことにした。

進学先での失敗

そうして、システム創成学科知能社会システムコース(PSI)に進学したが、

思うようにはいかなかった。

講義

幅広い分野を扱いつつ、講義数が少ないということで全体的に内容が薄く、未消化気味だった。

また、講義間の関連性が薄く、体系的に学べることが少なかった。

などの工学の基礎となりうることは扱うのだが、基礎に留まっていた。

また、講義を受けてのレポートが中心で理工学の演習は少なかった。

工学部から機械電気ではなくても理数系を基礎として扱うのだろうと考えていたが、

予想とは違い少なかった。

統計理工系でも社会系でも重要ものからもっと力を入れて欲しいと思う。

実習

いわゆる工学部での実験のようなものではなく、

プロジェクトを進めるという形で行うものであった。

そのため、ディスカッションプレゼンテーションなどの機会があったが、

工学部での実験を求めている人には合わなかったと思う。

上記で述べた工学的な内容を実践する機会は少なかった。

同級生

幅広い分野を扱っているということもあり、学生層が広かった。

その分、興味が合いそうな同級生を見つけにくかった。

カリキュラムが少ない分、就職活動を頑張って学部外資などに就職しようという

学生も多かった。

全員が全員そうだということはなく、修士も進むことを考えている学生もいた。

学科聴講

学科聴講は思ったよりもできなかった。

受けたいと思った講義時間が被っていたり、前提知識が不足していたりして、受講が難しい場合があった。

学科での講義に関心が持てず、モチベーションが下がっていたということもあった。

進振り時点では自分モチベーション過大評価していた。

研究

研究室には学部3年後期に配属される。カリキュラムの少ない分をそこで補う想定らしい。

しかし、私が所属していた研究室では、学部就職する学生が多く、

大学から院生ポスドクが中心であまり教育が受けられなかった。

大学

システム創成は機械情報学科計数工学科と違い、情報理工学研究科ではない。

進振り時点ではそこまで差を考えていなかったが、講義の内容やPCなどの設備が違っていた。

大学院でより専門性を高めたいと考えて情報理工学研究科に進んだが、

実力の不足から、大した実績を上げることができなかった。

学部では幅広い内容を身に着けて、大学院で専門性を高めるということを考えていたが、

学部での専門性を補うことは十分に準備しないと難しかった。

他の研究室に進学するならば、その研究室と密に連絡を取って、院進学前から

必要勉強研究計画作成をしないと、講義就活研究必要時間が取れなくなる。

このようなことから大学院では成果を出せず、就職活動もあまりうまくいかなかった。

反省

初めての意思決定での失敗

振り返ると、それまでの人生で初めて大きな意思決定をする機会だったが、そのことを十分に認識できていなかった。

取捨選択するということができず、幅広いカリキュラムがあるということから選択肢がありそうな道を選んでしまった。

安易に考えず、具体的にメリットデメリットを書き出して、検討すべきだった。

それまでどれかができるということではなく、どれもできるようになろうとしてきたことがあり、

専門性を持つことから逃げてしまっていた。

立花隆さんの影響を受けていて、文理ともに学ぶことに憧れていたが、

その難しさを分かっていなかった。

意思決定をするために必要情報を集めて、裏を取るということができていなかった。

同級生サークルの先輩ともっと相談するべきだった。

まあ、サークル工学部の先輩がほぼいないという事情もあった。(普通工学部は忙しいからな。)

進振り後の2年後期の学生相談するのがよかっただろう。

もう少し聞けていれば、進学先を再検討していたと思う。

進むべきだった学科

自分が目指すような幅広い分野を学ぶということを行うのであれば、基礎を幅広く身に着けることを

念頭において進学先を選ぶべきであった。

そう考えると、情報学科計数工学科に進むことを考えるべきだったと思う。

理学部情報学科については小中高からプログラミングを扱っている人が多いと聞いていて気遅れしていた面もあった。

独学で学ぶようにはしていたが、学科に進学した方が教育同級生など成長できる機会は多かった。

学部情報系の基礎を身に着けて、大学院で応用に広げることも十分考えられたが、当時はその想定ができなかった。

あと、当時情報学科電子情報学科進振りの最低点(底点)が非常に低く、避けた方がよいかなと思っていたところもあった。

進振りで高い点のところを目指していたわけではないが、つい点数に左右されてしまった。

やりたかたこ

今の機械学習やディープラーニング自分が当初やりたかたことに非常に近かった。

大学院でそちらに進もうとしたが、実力不足から挫折してしまった。

情報学科計数工学科に進学していれば、その分野に進むチャンスが大きかったと思う。

教養学部時代自分がやりたいことについて、教授相談したり、一般書籍ではなく学会誌を読むなどしていれば、

進路を明確に決めて、進振りでの失敗も避けられたのではないかと思う。

進振りでは点が足りなくて進学できなくて失敗したという話を良く聞くが、

これは進学先の選択を誤ったという話である。その分、あの時選んでいればという後悔が大きい。

最期

システム創成について

システム創成について、自分の失敗から悪い面ばかり記載してしまった。

この文章システム創成の悪い面を書くことが目的ではなく、

私の進振りのしくじりを具体的に書くことで何か参考になればということで書いたものである

自由度が高い分、自分計画を立てて行動できる人にとっては良い面もあると思う。

私自身は進路・キャリアを良く決めないまま進学してしまったため、うまくいかなかった。

など学科の色がはっきりしてきて、その方面に目指す人にとっては良い学科と思う。

(カリキュラムはあまり変わっていないらしいという話も聞くが。)

進振りに失敗したと思っている学生

若い大学生がこれから失敗しないようにということで書いたが、

進振り失敗しても、人生の失敗だと思わず頑張って欲しい。

転科や降年して他学科に進む手段もある。

失敗したと思っても、将来どうなるかは分からない。

現に情報学科過去は非常に底点が低かったが、今は高騰している。

システム創成ではないが、大学院で他分野に進んで研究者として業績を上げている知り合いもいるので、

まり後悔せず、前を向いて進んで欲しい。

2021-11-22

引きこもっていたおじさんが亡くなっていた

知らなかった。おじさんがすでに亡くなっていたなんて。

そのおじさんというのは、私の父の兄にあたる人だ。

父は4人の兄弟姉妹がいて、その一番上の兄が引きこもっていたのだ。

そのおじさんが亡くなっていたことを今日から知らされた。

今年、病気で70歳を手前にして亡くなったとのこと。

知らせなくてもいいかと思って話さなかったんだと父は言った。葬式も済ませたという。

おじさんはずっと引きこもっていたので、私は会ったことがない。だからからの話でしかいたことがない。

というか、私はそのおじさんのことを成人するまで知らなかった。成人して、初めて父親から存在を知らされた。

父の話によると、そのおじさんは口だけは一人前で、色々と屁理屈を述べて、働かないのだという。

何度か働いたことはあるのだが、長続きせず、最終的に引きこもってしまったらしい。

引きこもりがいると、普通は親が面倒を見ることが多い。

ただ、父の両親はずっと前に亡くなっていた。

から兄弟で面倒を見ていたそうだ。生活保護は受けずに、兄弟みんなでお金を出し合っていたらしい。

そんな人がいるとは。私はショックだった。

それは引きこもりのおじさんがいることにではなく、ずっとおじさんの存在を私に隠していたことに対してだ。

昔、よく親戚同士で正月に一堂に集まっていた。それは子供ながらにとてもとても楽しい時間だった。

だがその中にそのおじさんはいなかった。しかも、一言話題にのぼることすらなかった。

ずっと、ずっと、隠された存在

口に出してはいけない存在

私は怖かった。そのおじさんの存在をずっと隠されていたということが。

忌み嫌われているというか、他言してはならない存在のようで。

私もそうなるのではないかと思うと、怖くて怖くてならなかった。

私は今なんとか働いて生きている。でも、そんな立派な稼ぎはない。

いつ、おじさんみたいになるか分からないと思って働いている。

両親は、そんな父の兄のようにならないでほしい、そんな思いで私を育てていたらしい。

その言葉もなんだかショックで、心に残っている。

引きこもってはいけない。立派な人間にならないと、私は認められない存在なんだ。

そういう思いがふと自分の中に住み着いてしまっている。

私もおじさんみたいになっちゃうのかな。引きこもり最期って、こんな感じで終わっちゃうのかな。

そんな恐怖が、おじさんの訃報を聞いて湧き上がってしまった。

ダメだ、こんな思いに浸っていては。深呼吸しよう。

私は、今、生きている。曲がりなりにも、一人で生きていけている。

まずはおじさんのご冥福を祈ろう。そして、希望を持って、前に進もう。

日記も書いた。これで一区切りつけよう。

読んでくださりありがとうございました。

2021-11-19

anond:20211113142849

ソープディスペンサー氏、結局あの増田書いた時の1回だけで絶命した

あの最期の泡、なんだったんだろうな

今までありがとう

2021-11-12

老い捨て犬のことが忘れられない

一週間前、行きつけのラーメン屋に行ったら警察が止まっていた。

何かの事件かと思ってよく見たら、1匹の老犬を囲んで警察家族が話をしていた。

足がガタガタ震えていて、鼻には大きな傷。首輪が付いていた。

そして痛々しいほど肥大化したキンタマ

痩せ細っていたので飼い主とはぐれてから2ヶ月は経っているはず。

するとラーメン屋のおばちゃんが声をかけてきた。

捨て犬だよ、可哀想に。あれはもうダメだ」

うちの地域では野犬は珍しくなかった。むしろ捨て犬なんて言葉最近知ったくらい、それくらい野犬が多かった。

から自分殺処分させるくらいならその辺でのびのびさせとけって思ってたんだけど。

捨て犬に会うのは生まれて初めてだった。

大きい犬だったが近づくとすごく怖がって、でもお利口にしてくれた。

他の犬と喧嘩したのか、鼻の傷が痛々しい。(流れ星銀みたいな戦いを想像した)

怖かっただろうな。

まもなくして店主が「ラーメンできたよ」というので一旦店に入った。ラーメンの味がわからなかった。マジで何しにきたんだ。

店を出てからもまだいたのでもう一度近づいてみる。

すると私の顔を見るや否や、ロープを持った警察官を引きずってまで

ずんずんこちらに近づいてきた。

助けてくれと言わんばかりの目に見えた。

もしくは、ずっと待ってたよ。というような…安心した目をしていた。

勝手思い込みなのかもしれないけど、最初の怯えた目ではなかった。

きっと人間にたくさん愛されて育てられたのだろう。

私はこの犬を二度も裏切ってしまった。

もしくは、警察第一発見者家族ラーメン屋の店主。

何度も何度もこの犬は裏切られた。

そう思うと今も悲しくて涙がこぼれ落ちてくる。

ごめん。保護できなくて…

飼い主のこと殴れなくて、何もしてやれなくてごめん。

その場を立ち去ってからも、あの犬のことが頭から離れなくて

サイトSNSで探してみたりした。

するとあの犬の写真が…

あの家族撮影したものだった。

まあまあ拡散されていたものの、いまだに見つかっていないようだ。

警察家族ラーメン屋の店主もかれこれ5時間はそこに留まっていたようだけど

きっとあの子はもうこの世にはいない。

犬は忠実だなんて人間思い込みなんていうけど、

それなら人間もっと責任持って飼育するべきなんだよ。

とか思い耽っていたら、近所の小学生最近犬飼ったんだよね〜なんて軽々しく話してきた。

ちゃん注射した?マイクロチップとか登録とかした?」と聞くと

「何もしてない」と知らん顔。

犬は無邪気に私の顔をペロペロ舐めたり、飛びついてきたり。挙げ句の果てに嬉しょんされた。

正直複雑だった。

なぜなら、その小学生は「これから散歩に行く」というのにビニールも何も持ってないからだ。

しかもその子ひとりで行くようだった。

これから子供が大きくなって面倒が見れなくなったら、この犬もあの捨て犬のようになるのでは。という不安が頭をよぎった。

今はありえないと思うかもしれないが、いつかその日がきてしまうのかもしれない。

あれから近くの保護NPO法人寄付した。

あの犬のおかげで、自分で世話できなくてもこういう団体がいるということを知れた。

それからというもの

少し前まで辺りをのびのびと彷徨っていた野犬に似た犬が、知らない人とルンルンで散歩しているのを見かけるようになった。

今まで自分が気付かなかっただけなのかもしれないけど。

でもそれだけで勝手に救われた気持ちになった。あの捨て犬最期まで悲しかたかもしれないのに。

明日あのラーメン屋に行く。でもあの犬のことを聞こうか迷うな。

2021-11-09

タバコ吸わなかったらベンツ買えたコピペすき

A:煙草吸ってもよろしいですか?

B:どうぞ。ところで一日に何本くらいお吸いに?

A:ふた箱くらいですね。

B:喫煙年数はどれくらいですか?

A:30年くらいですね。

B:なるほど。あそこにベンツが停まってますね。

A:停まってますね。

B:もしあなた煙草を吸わなければ、あれくらい買えたんですよ。

A:あれは私のベンツですけど。

 

アメリカ版だと車がフェラーリになってるのと、最期

 

A:あなたタバコを吸わないんですか?

B:ええ、一切吸いません。

A:ではあなたフェラーリはどこですか?

 

になってるのも国民性が出ていていい。

2021-11-05

ジェンダー平等セミナー強制参加したがありゃ駄目だ

もうね、最初から最期まで同じ話が続く。

女性男性と同じように働くことは出来ないし、休みも多く欲しいのに給料が少ない

これは差別から短い時間でも同じ給料を払いなさい

休んだらその分男が仕事を引き受けて安い給料我慢しなさい

これを2時間も聞かされたらアンチフェミニストにもなるわ

2021-11-04

なぜ団塊刹那的に生きるのか

母が脳腫瘍に倒れた。父は警備のアルバイトを辞めて、母の看病というか、介護に尽くすつもりらしい。がん保険にも入っておらず、両親とも大した貯蓄もない。

彼らを眺めていて気になるのは、この世代の備えるチカラの無さだ。車椅子のことすら想像していない階段だらけの家、ローンははおろか、車検代、消耗品代、ひいては燃料代さえ払えるか疑問なハイオク車。

自分の家庭だけかと思っていたが、両親が怪しくなってから注意するようになってみると、何処の家庭にもある。これらは高度経済成長からバブル景気の頃に社会人経験した世代負の遺産だ。

とうぜん彼らが健康を損ねれば、それを支えるのはその子ども達だ。

彼らは、自分未来永劫健康で、最期の瞬間まで矍鑠(かくしゃく)と生活できるものと信じている。

から、車のローンを子供が肩代わりするだとか、通院の毎に子供仕事を休んで階段上り下りを補助するだとか言った将来をまったく想像していない。

彼らのような世代を生んだのは、高度経済成長、そして退職前に味わったバブル経済雰囲気にほかならない。

当時は高卒ですら入社して一年から賃金支給され、驚くことに賞与まで支給される者もいたらしい。

その後も常に右肩上がり経済経験、かれらの両親は常に健康で、ある日突然に亡くなり、退職金だけで住宅ローンの相当量の返済が終わっていたのだ。

あなた方のような世代、つまり借金まみれで大学院を修了して、ようやく職に就き、そこから耐えること2年目頃にやっと賃金支給が始まり博士号がなければ賞与はなし、博士号があれば今度は職がなし、退職金など夢のまた夢の人々からすれば、団塊世代は正に黄金世代であった。

当然、このような時代を過ごした団塊世代に、将来に備えるという習慣などない。更に運の悪いことに、彼らの過ごした時代女性社会進出もどきが進み、企業女性をどう扱っていいかからないまま雇入れ、もてあそんだ時期に当たる。

企業若い女性にどのように働かせてよいか解らず、簡素仕事を割り当てて男性比肩する賃金を払い続けた。しかし、女性は重責を負う立場まで昇進することなく家庭に入る。

すると彼女らは、世間男性自分たちと同じように、お茶くみや領収書検算、社内郵便係をして一日過ごしていると勘違いし始める。このなまじ中途半端に働いていた団塊世代女性は、たちが悪い。

家庭に入った元・社会人もどき女性たちは、自分世間並みの苦労をしてきたと勘違いしたまま、家計を握る。暴君誕生だ。

彼女らは、夫が健康に稼ぎ続け、夫は大した苦労もなく稼いでると思い込み、65歳を超えても同じ待遇再就職すると信じ込んで、夫の僅かな稼ぎを使い込む。

挙げ句海外旅行、高額な(自称)無農薬有機野菜通販階段だらけのうさぎ小屋、年をとったら使いこなせない分不相応な高級乗用車……次々と浪費をし続ける。

そう、団塊の浪費はこの主婦らによって行われ、右肩上がりの将来を妄想する団塊会社員どもが放置したものなのだ

2021-11-03

anond:20211103231126

安楽死施設があったとして施設の人に「説得」されたり「上から目線の嫌な言葉」とか「侮辱」もありうるね

静かな最期ではないと思う

その点、飛び込み台と死刑執行機械があるだけの鉄道クリーン

設備人員クリーンのみならず、人の生死や人生の在り方を呼び掛ける余計な情報がない

生きるか死ぬかだけに集中できる、心に何も残らない本当に静かな場所

大勢から選ばれるだけの信頼と実績が鉄道にはある

2021-10-27

○○したいけど○○したくない

これまで飼ったイヌは、みんな、俺の見ているところで死んでいった。

最期はもうよぼよぼなのに俺の後をくっついて歩いて、いよいよというタイミングになるともうべったりくっついて、「ちゃんとそこで見ていてね」という感じで何度も俺がそこで見ていることを確認しながら、おとなしく死んでいった。

気持ちはよくわかる。

だって最期の瞬間は信頼する人が見てくれているときに迎えたい。

ちょっとカップ焼きそばのお湯を捨てに行っている間に死ぬ」とかは嫌だ。

 

でも、実際に自分死ぬ瞬間に一緒にいて欲しい人がいるかというと、そんなのはいない。

死ぬのは、絶対に一人がいい。

できることなら、死自体を知られたくない。

デスノートで言ったら南空ナオミ現実で言ったら風船おじさんみたいに、死んでないのではないかと思われたまま忘れ去られたい。

増田最期はこうだった」と知られたくない。

本当はそんな死に方は嫌だけど、でも、そうやって死にたい

2021-10-19

村上福寿郎さんって最期めっちゃ苦しんだんだってね…

穏やかな顔してるけど

すげぇ地獄の苦しみだったらしいよ…

自業自得w

村上福寿郎「鳥、うまくやれよ…」

変態一家家長最期言葉…😭感涙!

村上福寿郎「ギャルパンティーおくれーww」

村上福寿郎、最期言葉…😭

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