これまで飼ったイヌは、みんな、俺の見ているところで死んでいった。
最期はもうよぼよぼなのに俺の後をくっついて歩いて、いよいよというタイミングになるともうべったりくっついて、「ちゃんとそこで見ていてね」という感じで何度も俺がそこで見ていることを確認しながら、おとなしく死んでいった。
気持ちはよくわかる。
俺だって、最期の瞬間は信頼する人が見てくれているときに迎えたい。
「ちょっとカップ焼きそばのお湯を捨てに行っている間に死ぬ」とかは嫌だ。
でも、実際に自分が死ぬ瞬間に一緒にいて欲しい人がいるかというと、そんなのはいない。
デスノートで言ったら南空ナオミ、現実で言ったら風船おじさんみたいに、死んでないのではないかと思われたまま忘れ去られたい。
本当はそんな死に方は嫌だけど、でも、そうやって死にたい。
力作のよく考えさせられる文だけど。 ねぇ、せっかく今生きているのに 自分が死んだ時の事考えてばかりって勿体なくない?