はてなキーワード: 思い当たるとは
先日来各所で絶賛されているのを見て小馬鹿にするつもりで映画館に足を運んだ。
馬鹿にするつもりと言ったらなんだが、聞けば主人公は高校生でラブストーリーらしい。良い歳のおっさんが感情移入出来る気はしない。
己の高校時代のことを思い出してみても、当時好きだった子の事など遠い記憶の彼方であるし、今思えばあの頃の自分は他人の事など本当には好きではなかった。ただ己の欲望と願望を他人にぶつけようと踠いていただけだ。大体の高校生はそんなものだろう。
そんな未成熟な感情の発露を崇高なもののように扱われて感情移入出来るわけがない。
実際に鑑賞した感想としても、主人公の瀧くんとヒロインの三葉ちゃんがお互いをなぜ好きになるのかさっぱり理解できなかったし、そもそも二人のパーソナリティもあまり掴めないままだった。喧嘩っ早い、都会に憧れているなど、所謂どこにでもいそうな少年少女と言う程度の描写を逸脱するようなものは皆無。そんな二人がファンタジックな要素による出会いと別れを経て、ずっと想い続けていた、しかし記憶もおぼろげな名前も忘れてしまった相手に五年も経ってから再会を果たすと言う展開になるのだが、高校生時代の好いた惚れたを五年も引き摺る人の気持ちは正直さっぱりである。あと主人公が序盤密かに想いを寄せていたイケてる(死後の世界)お姉さんのイケっぷりも非常に幼稚に思えた。これ見よがしに婚約指輪をチラ見せさせながら「貴方も幸せになりなさいよ」とか就活中のガキに言い出す女、「アイタタタタタ」。
とまあ、実にこんな具合だったのだが、しかし凄く感動させられた。何故か?
主人公たちの相手への想いが茫洋として定かではなく、別れねばならぬ理由も状況に由来するもので、しかし逢いたいという気持ちだけは残っており、ついに巡り会える。この構造により見ている俺は己の人生に於いて別れてしまったがしかし逢いたい気持ちの残っている誰かのことを想起させられてしまった、この映画を見て感動している人の多くは似たような感覚があるのではなかろうか?瀧くんも三葉ちゃんも感情移入しやすいキャラではない、実際俺は先述のように全く感情移入していない。だがこの作品の重要なモチーフになっている組紐が表している"縁"というものは、つまり出会いと別れの結びは、誰もが心に抱えているもので、おっさんおばさんこそ特に思い当たる節がある類の事柄だと思う。
あまりフィクションを見ている時に自分の体験が想起させられることはない、飽くまでフィクションとして、作者の狙いや他の物事と照らし合わせてその作品が持つ意味を読解するのが常だが、今作では見事にしてやられてしまった。
これは作り手の狙い通りなのだろうか?
※リンク間違えてた
ごめん普通に増田が正しいと思いますよ。以下は全部言い訳です。
おれはテーマに絶対不変の価値があるという前提の人に対して、そんなものはないけど逆にだからこそみんながテーマを論じるのは多様性があって面白いし価値があるよって言いたかった。結局うまく説明できてないが。どんな糞ゴミ映画でも人間が制作して人間が観る以上、人間というテーマは最低限あるよ的なそんなやつ。
どのスタンスが正しいかの話をしたかったわけじゃなくて、どれか一方を押し付けられるのがやだってことね。好きに語れるようにしてくれよと。
要はネット上での「娯楽作品なんだから批判禁止」「テーマについて語ると(自分の)作品評価が揺らぐからテーマ禁止」みたいなアホみたいな見方の強制がじわじわ着実に浸透して蔓延ってるのが最悪っていう。そういう感想そのものが悪い訳じゃなくて、それだけに終始してるとか他の人にもそれを強いるのをやめてくれってことね。
そのために「テーマの話をされると他の高尚な映画にゴジラが負けちゃうからテーマの話はそもそも無効にしよう」みたいな考えをそもそもやめれと。テーマに価値なんてないと思った方がいいよと。変な優劣とか考えんなと。
いや本当は考えてもいいんだけど、人に強制するなというか同調圧力かけてくんなというかそういうまともなこと言おうとするとそんなつもりはないとかで簡単に反論されてどんどん泥沼な感じなので、もうテーマに価値はないと言い切っちゃえみたいなそんなやつでした、という言い訳。
いやいや感想なんて好きに語れてんじゃんとか強制なんてないよとかいう意見もあるだろうが、同調圧力がめちゃめちゃ強いでしょうっていう。少しでも批判しようものなら炎上PV狙いとか逆張りとか言われるの、怖すぎるじゃん。ネットに自分の意識を預けるとそんな馬鹿になっちゃうのかって。何言っても通じないんだって。そのレベルの発言が主流になって、なんか書いてもそのレベルの反論ばっかりくるって、語れないのと同じようなもんでしょ。
アナ雪、ガルパン、マッドマックス、ズートピアとか、反論するにも自分は好きなんですけど〜と前置きいれる必要あるとか、みんな思い当たる節はあると思うんだけど。
もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ
何が悲しくて当社に魅力がないことを再確認しなければならないのか
なんかもうどうせ無理なんだろうな、返事来ないならDMオプションとかもったいないなって思っちゃってエントリー増やす気にもならない
なんでこんなにつらいんだ
説明会、最前列で説明受けてにこにこして面接お断りしますってもう何回やったんだ
でも自分なりに反省して今回こそは!って何度も何度も思ってそのたびに来ない
有名じゃないし場所も良くないし思い当たる節がありすぎて何を改善したら良いかもうわからない
心のそこでは誰でもいい、と思っているのがばれているのかもしれない
でも皆そうだよね 学生を選べる会社なんて少数派だよね 無名零細な当社が駄目なんだよね
誰か助けて
もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ
何が悲しくて自分に価値がないことを再確認しなければならないのか
なんかもうどうせ無理なんだろうな、落ちるなら交通費とかもったいないなって思っちゃってエントリー増やす気にもならない
なんでこんなにつらいんだ
説明会、最前列で説明受けてにこにこして面接受けてお祈りってもう何回やったんだ
でも自分なりに反省して今回こそは!って何度も何度も思ってそのたびに落ちた
美人じゃないし頭も良くないし思い当たる節がありすぎて何を改善したら良いかもうわからない
心のそこでは働きたくない、と思っているのがばれているのかもしれない
でも皆そうだよね 働きたい人なんて少数派だよね 世渡り下手な私が駄目人間なんだよね
色々なモノが私を焦らせる つらい 苦しい
誰か助けて
皆さんありがとうございます、一息ついてカイジのアニメを観たらもうちょっとがんばろう!と思えました。
緊張しいなもので面接が苦手なのです。筆記より書類より面接で落ちます。頭が真っ白になるんです。
凄く好きな芸能人がいる。
踊って歌って演技をして、スタイル抜群。びっくりするほど太らなくて、尚且つ良い所にお肉がある。
声も見た目も好みで「性格が良い!」と持ち上げられる事も無ければ某掲示板で「性格が悪い!」と言われることもない。
でも、確実に売れる風に乗っている。(これはファンの贔屓目で見ているからなのかもしれない)
そんないろんなものに味方された彼が大好きでずっと応援しているんだけど、ただひとつだけ不満に思ってるものがある。
彼が「リズム音痴」なこと。
20回パフォーマンスをすれば1回は前ノリになってしまっているような状態で、しかも曲のド頭にズレるものだからとても目立つ。
この曲凄くカッコイイし好きなんだよな、と思ってイントロで期待して歌い出しで大きく転ぶのが辛い。
好きなのに!好きなのに!!
全部のステージを見に行けている訳でも全部のテレビを見れている訳でもない私が、20回に1回って分かっちゃう位に同じミスをする彼。
優しいんだけどキレのある歌声、激しい踊りなのに爪先まで振り付けの通りに動かす真面目さ、そして地のキャラの良さ。
大好きで大好きで、不安定な時に声をかけたくなるくらい大好きなんだけど、ただひとつ、リズム音痴な所だけが苦手。
本人様がこんな愚痴のような物を書いてる所へ来るとは到底思えないし、周りの人がこれを見て「○○じゃないの?」なんて言う事も無いと思うけれど、もし思い当たる人が居たならメトロノームのアプリを入れてほしい。もしくは、楽器店に並んでるチューナーとメトロノームが一緒になっているようなものを買って、イヤホンを刺してただひたすら120を流してほしい。聞いててつらい。音痴じゃないし、本当に大好きだから、ついこんなことを書いてしまいました。
体験した出来事に対する主観と、憶測を記す。もしよかったら①から読んでほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20160724155200
起床時に銀狐が人型に化けたものに覆いかぶされてキスされそうになっていた。その時はいくらなんでも妄想が過ぎると思い「ハハハ、ご冗談を」と意識から追いやって事無きを得た。が、昼間になっても銀狐の態度がおかしく、まさかの可能性を熟考したその日の夜。
案の定、狐は獣だった。眠いから止めてと言った程度に拒否したものの一応は同意の上で、最後までやらせなかったが、魂だか霊体を犯されて喘がされた。許可したら孕まされるかもしれないという不安で暫く頭が一杯だった。
その後、狐は反省した様子でしゅんとしていたが、翌日も朝晩に襲われた。ガツガツするものだから「交尾したいなら他の狐としてろ」と文句を言ってみたが、聞いちゃくれなかった。さほどよくもない有害指定図書みたいなことを散々されて筋肉痛になった。数回のうち1回は獣姦だったことを特記しておく。
思い当たるふしと言えば、銀狐が初日から犬が匂いをつけるように首筋へ体を擦り付けるような所作を繰り返していたこと、稲荷神社の神様が陽物の石像を見せてくれたことくらいしかない。
都合よく夢に稲荷神社の神様が出たから、襲われたとて絶対妊娠だけはしたくないと全身全霊で必死に訴えた。麗しい女神様は、親指と人差し指で作った輪っかに人差し指を突っ込む所作をしてから「え~?」と残念そうに渋々願いを聞き入れてくれた。
なぜ全力で訴えたかと言うと、民話に残る異類婚の逸話で女が人間である場合は全てろくな結末を迎えていないからだ。女にとって良い結末は1つも見つけられなかった。それに、そうなったとき自分が無事である保証や、損得や状況に対する説明が皆無だったから、どうしても受け入れるわけにはいかなかった。
この1件で銀狐に不信感を抱き、以後はさせつつも一線を引いて様子を窺うようになったり、何だか知らない変なのを怒らせてけしかけられた有象無象に輪姦されたり、白大蛇に犯されたりしたけれど、体は清らかなままで、私は元気です。
後日、別の神社近辺へ最近引越した途端に事業が軌道に乗り始めた友人が、自分にも心当たりがあるとこっそり教えてくれたので、みんな言わないだけで比較的よくある出来事なのかもしれない。
ざっと調べたところによると、色情霊という種類のオカルト現象があるらしい。私の場合、服を脱がされたり手の跡が残るなどの物理的な痕跡は皆無で、腹筋の筋肉痛や寝不足、少し淫乱になった程度の被害しか起きていない。
■【注意喚起】近畿大学で階段から落ちて怪我をする事件発生 近大 #ポケモンGO 【病院GO】 - NAVER まとめ
↓
■ https://mobile.twitter.com/UDUK_TANTO/status/756410527828418560
■ https://mobile.twitter.com/UDUK_TANTO/status/756417229948788736
■「近大学生がポケモンGOで事故のウワサ → 広報「救急車は呼んだが、ポケモンGOによる事故ではない」
ポケモンGOなんぞ全くどうでもいいんだが、こういう風にデマが広まっていくのが本当に気持ちが悪い。
つぶやいたりRTしたりする前にどうして少しでも調べたり自分の頭で考えたり出来ないのか。
いや、いちいち調べるなんてめんどくせえと思うかもしれない。それならせめてその情報本当か?と1mmだけでも疑うくらい出来ないのか。
ネットの情報なんて、嘘・あいまいがほとんどなんだからもっと疑えよ。
情報を広めた奴もいい加減な情報源で噂が一人歩きしたらどうなるかとか、つぶやきボタンだのまとめ投稿ボタンだのポチッと押す前にもう少し考えろよ。
それでもなお速報的に何かを発信したいなら、情報が未確定であることは書けよ。語尾を○○か?って書くとかあるだろ。
あたかも自分の眼の前で直に見聞きしたかのような表現を抵抗なく使う奴、結構いるけど本当に紛らわしくて鬱陶しいから思い当たる人はやめてくれ。
いや、やめろとは言わない、やめて下さい。勘弁して下さい。お願いします。
何かを発信するたびに明確なソースや参考文献をいちいち明示しろとは言わない。
だがせめて一瞬だけ考えてくれ、これは本当にマジなのか?と。
一度、チカが俺のことを忘れた事があった。昼間、彼女が大学にいる時にメールを送ったんだが返事が素っ気ない、というか敬語だ。家に帰ってSkypeで話をしてみると、俺の名前は覚えてはいるんだが、FPSの同じクランのメンバーという以上の認識が無いらしい。チカじゃないんじゃ無いかなとも考えたが、FPSはチカしかやらないし、俺以外の学校生活の記憶とかチカのもので間違いない。今まで俺たちはこんな事があったんだよって説明すると
「ホントですか~!?私を騙そうとしてるんじゃ無いですか?」
と抜かしやがる。どうしたら信じてもらえるかなと思いを巡らせた。そういえば、エリの誕生日に文庫本用のブックカバーをあげた。その色と模様を伝えてみた。
「確かにそのブックカバー持ってます、鞄に入ってますけど、なんで知ってるんですか?」
彼女は明らかに怪訝そうな顔をした。
「私がテンさんに別人格の話をしたんですか?そんな話信じられない。」
俺に似せたテン人形をフェルトで作ってると言ってたのを思い出した。見せるのは恥ずかしいと言ってまだ見たことはなかったんだけど、
「その辺に人形無い?」
キョロキョロと周りを見渡すチカ
「!」
チカの左側を見た後、ものすごくビックリした顔でカメラを見る。
「なんでわかったんですか?そっちのSkypeにここまで映ってるんですか?」
と問いかけてくる。
「いやいやそんなことないよ」
なかなか信じてもらえない。俺の顔も見覚えあるような無いような感じだという。stickamで配信してた時やFPSの中では、俺は「上海」と名乗っていたんだが、その時と同じようにバンダナにサングラスをしてみたところ、
「え?ええ?えええええ…/// 上海さん?なんで上海さんがここにいるの?」
彼女は顔を真っ赤にして照れまくっていた。滅茶滅茶可愛かった。
「どういう事…なの?頭が混乱してきた。」
「いろいろ思い出してきた。テンちゃんごめんなさい。」
上海を見たショックで思い出したようだ。ちょっと複雑な気持ちだったけど、まあ思い出してもらえたので良しとしよう。しかし原因に思い当たるような事はないと言う。
翌日、また昼間にメールしてみた。また素っ気ない。え?いや、まさか。昨日全部思い出したじゃん。うーむ。帰ったらSkypeするようにお願いする。俺に関する記憶はないし、昨日Skypeした覚えもないと言う。
「こういうブックカバー持ってない?」
「なんで知ってるんですか?気味悪い」
「なんでわかったんですか?見えてるんですか?」
「その会話昨日したんだけど」
「全く記憶にないです」
「じゃあこれでどうかな」
「え?ええ?えええええ…/// 上海さん?なんで上海さんがここにいるの?」
彼女が頬を真っ赤に染めて答えた。可愛い。この反応自体は面白いのだが、昨日と全く同じ会話をするというのはだるい。原因はわからないままだったが、他の人格が関係しているのは間違いないだろう。普通こういう事起きないし。ミユキやタダシにも話してみるようにお願いして、その日はSkypeを切った。
さらに翌日、大学にいるチカにメールを送ったが、返事が素っ気ない。はー、またか。帰宅後Skypeをする。
「なんで知ってるんですか?」
「なんでわかるんですか?見えてるんですか?」
サングラスをかける
「え?ええ?えええええ…/// 上海さん?なんで上海さんがここにいるの?」
「サングラスに気をつけろとはこの事だったのか……」
「ん?どういう事?」
「記憶が飛ぶ事が時々あって色々と困るので、今日あった出来事とかをメモに書いて翌日に見直してるんです。今朝のメモに『サングラスに気をつけろ!!』と書いてあって、何の事かさっぱりわからなかったんだけど今わかった。」
「wwwwwwwww」
そのメモをSkype越しに見せてもらった。ノート1枚に色々と出来事が書いてあるが、余白部分に殴り書きでデカデカと「サングラスに気をつけろ!!」と確かに書いてある。
「それだけ書いてあっても絶対伝わらなくない?昨日のチカちゃんは何を思ってそのメモを残したんだろうね」
「いやこれはサングラスに気をつけろって事ですよ」
本人は納得してるようだった。そりゃ本人だもんな。
ミユキと話してみた。彼女が言うには他の人格が記憶を持っていったんじゃないか、とのこと。
「出来る人格もいれば出来ない人格もいるよ。僕らはそれぞれ役割を持って生まれてきてるから。僕には出来ない。」
「テンさんと付き合って欲しくないんだと思う」
「それなら無理矢理記憶を奪っても思い出したら意味ないし、そう思うなら話し合おうってその子に言っておいて」
とお願いした。
その晩、犯人がわかった。チカの人格の中に元彼大好きな子が一人居て、テンなんかと付き合うんじゃない、元彼と寄りを戻すんだ、という思いでチカから俺に関する記憶を奪ったらしい。ミユキが話し合って相手も納得してくれたので、もうこんな事はないだろうとの事だった。翌日からは記憶がなくなる事はなかった。原因解消してよかったけど、これはこれで面白かった。
まとめ
今朝のお通じがあまりにも快適で思わずガッツポーズがでるほど嬉しかった。
と言っても、一日だけなら効果があったとは言えないので、3日連続快便だったら増田に書こうと思っていた。
今日がその3日目だ。
実行したことはたったの2つ。
これでピンときた人は、もしかしたら数日で快便生活に戻れるかもしれない。
子供の頃から軟便だったので半分は体質だと諦めて生活をしていたのだけど、特にこの10年、しかも35を過ぎてからは快便という日がなくなるくらいに悪化の一途だった。
それでも改善に乗り出そうとした理由は、ここ数ヶ月が輪をかけてひどい状況だったから。
・一日に何度も催す
・便の大半は水状
とにかくこの数ヶ月は毎朝のように下痢は当然のこと、日中も夜もお腹が痛くなれば下痢だった。
体でも壊したのかと思って症状を検索してみると出るわ出るわ癌の文字。
とくに細い便がヤバイらしい。
自分の場合は明らかに便が柔らかいことが原因で出口で細まっている自覚があったのでそれは違うだろうと言い聞かせる。
癌という言葉の吸引力に闘いながら、他の記事にも一通り目を通すと、発見したのが水分過多が原因ではないかという情報。
聞くところによると、過剰な水分摂取は腸で吸収しきれずに下痢の原因になるということ。
それで自分の生活を振り返ってみるとずばり思い当たるフシが合った。
水はデトックス効果があるという理由で、少なくとも日中だけで2リットルペットボトルを空けるほどに飲んでいたのだ。
朝起きてコーヒー一杯200ccとヨーグルトドリンク150cc。
日中に水2リットルと、コンビニコーヒー200ccもしくはスポーツドリンク500cc、お味噌汁一杯200cc
家に帰ってからは大体どんなお酒でも500ccは少なくとも飲む。そこにチェイサー200ccも必ず飲む。
明らかに水分と言えるものだけでも約4リットル近く摂取していたことが分かった。
とは言えっても、朝と夜は減らすのが難しいので、主に日中だ。
水は500cc程度に減らし、お味噌汁は変わらずで、コーヒーかスポーツドリンクはどちらかだけにした。
これで大体1.5~2リットルの削減。
それともう一つ、毎朝決まった時間にトイレに入る習慣をやめ、便意をある程度耐えてからトイレに入るようにした。
もともとお腹が弱い自覚があったので、出かける前に済ませないと安心できないからと習慣づけたものだった。
でも、それが逆に出さなきゃいけない強迫観念になっているのかもしれないと思い、”いつまでに出す”から”出したいと感じてから出す”に変えてみようと思った。
この習慣を辞めるのはそれなりに抵抗があったが、通勤時間に余裕を持つことと、通勤途中のトイレをチェックしておくことで挑んでみた。
すると、トイレに行かないと不安だったのは最初のうちで、段々と体から恐怖心がなくなっていくことが分かった。
最初のうちは会社で出たり、夕食後に出たりとタイミングがバラバラだったかが、これが面白いもので、結局は朝のいつもの時間に落ち着くようになった。
今まで、もしかしたら何かのきっかけでサイクルが早まってしまっていたのかもしれない。
それなのに不安だからと無理矢理に出そうとしていたのでしっかりと固まる前に腸は出さざるを得なかったのだろう。
水分のとりすぎによって便が柔らかくなっていたことで、なおさらそう思っていたのかもしれない。
本当に癌とかなら、それはもう仕方がないことだけど、目を背けたいとかそういうことではなくて、ただ単におおごとにしたくなかっただけなのだ。
とにかくあの、病院独特の「その程度で何しに来たの?」という雰囲気が大嫌いだ。
でも、3日連続で味わった快便によって、不安だった気持は吹っ飛び今は体ごと軽くなったような気分だ。
ただ、この一週間で一つ大きく変わったことがある。
今まではとにかく腸内の便が押し出されてた状態だったので、ほとんどおならというものをすることがなかった。
それが今は中に溜まってゆっくりと消化されているので、ガスが作られるようになったのだろう。
書いてみてわかったのは、はてなブックマークで月間1位を取ろうが年間ランキングに入ろうが世の中には何の影響もないということです。あきらめましょう(挨拶)
とは言え、ひさしぶりに参議院選挙前に何か書こうかなーと思いつつモチベーションが上がらずにいたら世界同時株安が起きたので、これにからめつつあれこれ書いてみようかなーと思います。ただ、国内の政治状況は変わってないですし、結論はたいして変わらないと思います。
リンク先のタイトルに書いてある政党がなくなったとか言われても知りません。
というわけで、まずは上記のエントリー冒頭部分を引用します。とても大事な前提なので。
ここ15年ぐらいずっと言われてきた「デフレ不況」、デフレとは、物価が持続的に下落している状態を指します。
単純に考えればモノの値段が下がることはうれしいはずなのに、なんでデフレが問題なんでしょうか。
そんなことわかってるよと思われるかもしれませんが、順を追って説明するために書いておきます。
物価が下がって企業の売上が減ると、企業収益が減ります。企業は利益を出すためには費用も減らさなければいけません。
今回はこのうち、人件費を抑える、というポイントにしぼって話をします。
物価が下落したのと同じ割合で社員全員の給料を減らせれば何の問題もないのかもしれませんが、そういうふうにはできないですよね。
正社員の給料は、物価が下落する割合ほどには下がりません。これを「賃金の下方硬直性」と言います。
リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をしますが、その分をリストラされて収入が無くなる人がかぶるんです。
結局この被害を一番受けるのは、これから社会に出て仕事をしようとする若い世代です。求人が減って有効求人倍率が下がります。
企業はすでに雇用している人を解雇するよりも先に、新しく入ってくる人を減らすので失業率が高くなります。真っ先にこの影響を受けるのは若者です。
これがデフレを問題視するべき大きな理由です。若年失業者が増え、世代間格差が拡大していきます。
物価上昇率と失業率にははっきりとした相関関係があって、フィリップス曲線と呼ばれていますが、物価上昇率が低いと失業率が高くなります。
==========ここまで引用==========
引用部分から続く2014年のエントリーで私は、現政権の金融政策(世の中に出回るお金の量を調整)を肯定して財政政策(どこから取ってどこに配るのか)と成長戦略(規制政策とか産業政策とか)を批判しました。
当たり前ですが、その内容は今回も変わりません。
まずは、最近よく聞く「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」という話についての議論から始めてみようかなと思います。
引用部分で、「リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をします」と書きました。
収入が変わらずに物価が下がるのでお得です。この状況が、実質賃金が上昇しているということです。
物価より先に賃金が動くことはありません。商品の値段を変えたからといって、会社の給与水準はいちいち変動しないですよね。
ほとんどの企業では多くても年に1回、春闘の時期に給与水準が変わるだけです。
だからデフレ下では短期的には実質賃金が上昇し、失業しなければお得ですが、失業者がその分の割を食います。
長期的には、デフレのせいで給料が上がらないので失業しなくても損するのは皆さんご存知の通りです。デフレスパイラルというやつです。
そして、デフレ下で金融緩和をして世の中に出回るお金の量が増えて利益が上がっても、企業はすぐに給料を上げるわけではないので、物価が上がった分、実質賃金は下がります。
利益が出る前に給与水準を高くする企業なんてあるわけないんだから当然なんですが、でもこれがむちゃくちゃ大事です。物価が上がるのが給与水準よりも先なので、まずは実質賃金が下がります。
下がった分だれが得をしているのかというと、それまで失業していて新しく雇用された人たちです。
失業率が高いうちは、給料を上げなくても新しく雇えるので賃金はなかなか上がりません。失業率が下がり人手不足になり労働市場が売り手市場になってはじめて給料が上がっていきます。
だから「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」とか主張するのは本当にやめたほうがいいです。
マクロ経済をきちんと学んだことがある人間には「デフレに戻せ」と言ってるのと同じに聞こえるんですよ。
じゃあ、どういうふうに現政権の経済政策を批判してどんな主張をすればいいのかについて書いていこうと思います。
クルーグマン、スティグリッツ、ピケティといった名前を聞いたことがある人はそれなりにいるかもしれません。別に知らなくても何の問題もないです。
クルーグマン、スティグリッツはどちらもノーベル賞を受賞した経済学者で、日本では今年3月に安倍首相が相次いで会談を行ったことがニュースになりました。
ピケティは2014年12月に日本語版が出版された「21世紀の資本」の大ブームで日本でも有名になりました。
ちなみに、上記リンク先のエントリーは2014年11月、ピケティブームの直前に書かれたものです。(エッヘン)
そんなことはどうでもいいんですが、この三人のマクロ経済政策に関する主張はかなりの部分でとても似ています。
三人とも主流派経済学の左派に属する人たちなので、まー当たり前っちゃ当たり前です。
どういうものかというと、失業率が高い状況においては、金融緩和と大規模な財政出動をすべきというものです。
金融緩和についてはもう問題ないと思います。世の中に出回るお金の量を増やさないといけません。
その上で、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)については、財政出動(たくさん配ること)を主張しています。
金融緩和によって実質賃金はいったん必ず下がります。この実質賃金低下の影響が大きい層、つまり給与所得者層(中でも特に低所得者層)に配るんです。
必要な段階とはいえ、物価が上がったのに給料が変わってない人は消費を抑えようとしますよね。
せっかく出回るお金の量を増やしたのにうまく循環しないと困るので、実質賃金の低下の影響を財政出動によって和らげるんです。
当然、このタイミングでの消費税増税は、愚策中の愚策です。消費を増やすために財政出動しなければいけないのに、逆にその層からたくさん取ってどうすんだって話です。
現政権の経済政策について批判しなければいけないのはこの財政政策の部分です。
雇用は増やしたけど再分配がまったくできていない、むしろ逆行しているから、低所得者向けの積極的な財政政策をもっとやれという批判の仕方をすべきです。
金融緩和や実質賃金低下を批判しても、雇用を増やしてほしい人たちからの支持を失うだけです。
別にすべての人が経済政策について全体像を理解してなきゃいけないなんて私はまったく思っていません。
ただ、マスコミ、知識人、ジャーナリストなどの、情報や知性のハブになるべき人たちが、必要に応じてその時々できちんと説明できればいいだけです。
そして、経済の話については、ここがものすごく弱いところです。
マスコミに期待するのは無駄だとしても、他の分野の話については専門的・学問的な知見の積み重ねに対して謙虚な人でも、経済の話だとまったくそれを無視するのってなんでなんでしょう(泣)
クルーグマンでもスティグリッツでもいいから入門書を一冊でも読んで全体像を理解して、その全体像の中で個別の論点をそれぞれ掘り下げればいいのにと思うんですが、権威のある経済学者の言葉から、自分の思いつきにあてはまる部分だけでパッチワークを作ってばかりで、知識人とかジャーナリストって勉強嫌いなんですか?
いちおう私について言っておくと、学者でもエコノミストでもなんでもなく、ただの経済学部出身者です。むかしひととおり学部で全体像を学んだことがあるだけです。
知識のハブになる人たちは、「経済学者にはわからないだろうが」みたいなマクラのポエムを書く暇があったら現代の主流派の通説ぐらいは知っといてほしいです。(偏見まみれ)
さて、イギリスが国民投票の結果、EU離脱派が勝利しました。イギリス人が移民に雇用を奪われたことが原因だと言われたり、でも実際に移民が多い地域では残留派のほうが多かったりといった状況で、いろんな人が理由を分析しています。
私も、私なりに思い当たる理由を書いてみようと思います。というか小見出しにもう書いています。
財政赤字削減を公約に掲げて2010年に首相になった英保守党キャメロン首相の「改革」が、間違いなく理由のひとつになっていると考えています。
名誉白人様ことめいろまさんがEU離脱を解説した一連のツイートを読むとわかりやすいんですが、都市部のインテリ(気取り?)は、失業率増加や公共サービスの低下を移民増加と直接的に結びつけて理解していることがよくわかります。
移民が多い地域でむしろEU残留支持が多かったことからもわかるように、緊縮財政政策(政府がなるべくお金をつかわない政策)による不景気、公共サービスの低下が、なんとなくのイメージとしての排外主義を加速させるという意味で、経済学の視点からも学ぶことの多い出来事だったと思います。
クルーグマンの言葉を借りれば「欧米が日本の失策から学ばずに、日本よりひどい失策をしたことに対する反省と皮肉」というやつです。今度は日本が失策からきちんと学べるといいですね。
ここはちょっと箸休めです。あんまり関係ないから読まなくてもいいです。
よくニュースなんかでも使われる「財政再建派」という言葉があります。財政再建派という言葉は、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)において、増税(特に消費増税)による税収増と緊縮財政を主張する人たちに使われる言葉ですが、すごく誤解を招きやすい言葉だなーと思っています。
消費税を増税すれば、増税した年の財政赤字を減らすことはできますが、消費を落ち込ませることにより不況の原因になります。
15年以上にわたるデフレ不況によって増え続けた国の借金を、単年だけの税収増でどうにかできると考えるなんて無理があって、好景気による税収増を続けていくことでしか財政再建は成功しないと私は考えているので、せめて「増税優先派」とかにしてくれないかなと思ってしまいます。
財政再建すべきという目的は変わらないのに、片方を「バラマキ派」、もう片方を「財政再建派」と呼ぶのはいくらなんでもなぁとよく思います。
さて、リベラルが主張すべき経済政策です。ここまで読んでくれた方はもうわかりきってるとは思いますが、「金融緩和と低所得者層や子育て世帯への財政出動の組み合わせ」です。
現政権の経済政策のアキレス腱は財政政策です。2014年のエントリーにも書きましたが、
雇用を増やして失業者を減らしたけど、それでもまだ失業している人や低所得者層への再分配だったり世代間格差の是正には興味がないのが現政権で、
再分配に興味はあるけどその原資のために景気を良くしたり失業率を下げるための政策を最後まで採らなかったのが前政権です。
金融緩和を継続するということを大声で主張しましょう。投票先のない経済左派が泣いて喜びます。
そーですね!(やけくそ)
私はリベラリズムが好きなので、候補者や政党が何をどう言おうが、候補者や政党が争点を決めることはできないと思っています。
それぞれの有権者が勝手に優先順位の高い争点を決めて、それぞれの優先順位にしたがって投票してしまいます。それでいいと思います。
その結果、全体としては、これまで有権者にとっての優先順位が高い政策は、雇用や福祉、経済でした。これからも変わらないでしょう。
このことは、本来ならリベラル政党にとってはありがたいことのはずなんです!だって雇用を増やして失業率を下げる政策を主張すれば勝てるんですから!!
なんで勝てないんだろう!?雇用を増やす政策を主張してないからですね!!!
雇用が争点になったら困るリベラルって斬新ですね!!!!新しい!!!!!
本当に情けない、悲しいです。経済左派が雇用を最優先に投票先を選んだら、自民党に投票するのがもっとも合理的になってしまうんです。
相対的に一番ロジカルな経済政策を主張してるのが自民党だからです。
しかも、ここまでに書いたように、よりロジカルな主張が存在するのに、私はそれを主張してほしくてしょうがないのに、リベラルなはずの政党たちは逆方向に全力疾走してます。
自民党一強の状況を、右傾化とかそういう言葉に回収して馬鹿にすることに意味があるとはまったく思いません。
自民党も安倍首相以外の執行部は緊縮財政派がずらりと並んでますし、次の総理が経済で失政したら政権交代のチャンスも生まれるかもしれませんね。
それまで寝て待ちましょうか。そのときにはどんな党名になってるんでしょうね、すごく楽しみですね(棒)
典型的なアスペですねとか、お前アスペかよとかはリアルでもネットでも言われたことなかったんだ。
どうにも内面的に他の人とアルゴリズムが根本的に違うような違和感があって自分で診断受けに行った時も、
妻や周囲からは、いやお前は確かにちょっと変わってるけどアスペとかあーいうのとは違うだろって言われてたし。
多分家族や周囲にそのテの知識が皆無だったんだと思う。アスペ=意思疎通できないレベルで電波受信してる宇宙人、みたいな認識だったっぽいし。
そういうのに少し詳しい人が見れば、多分一目瞭然なぐらい俺の挙動にはぎこちなさとか違和感があるだろうと自分では思うんだけど。
医者も話してる途中から「あー、アスペですねー」とか言ってくれるのもいるみたいだけど、そういうのはなかった。
色々検査した後、医者から診断名だけは傾向があるとか濁さずにハッキリ言われたから、それが唯一「お前マジアスペ」的なことを言われた経験かも。
だから本読んで、なにこれすげぇ俺の頭の中が書いてある、っていうか当てはまりすぎて怖っ!って思ったんだ。
関係ないけど、最初は「いやいやちょっと変わってるだけで全然普通だから、色々やる気ないだけだから」って言ってた妻だけど、
医者のヒアリングの途中くらいから、言われてみれば思い当たる節が多すぎたらしくて、診断自体は異を唱えるでもなく受け入れてくれた。
本買って付箋ペタペタして渡してきたってことは、旦那がアスペくさいっていう現実を今なんとか受けとめようとしてくれてる最中なのかなー?と思う。
ところで、茶化してるトラバにこうやってマジレスしちゃう感じとかも空気読めてなくてアスペ感ありそうだなーとか書いてて不安になる。
というより、人生を間違ったのかもしれない。つらい。もう限界。
教授からは過度な期待と課題を押し付けられ、同期や後輩の大半は使いものにならない。信頼できる同期もデスマーチを強いられていてあてにはできない。自分より上の学年はいない。八方塞がりだ。どうして自分達だけがこんなことになっているのか、と思う。突然体調不良や事故なんかが起こって、研究室に行けなくなったらいいのに、と常に考えてしまう。
頼れない方の同期はそもそも研究室に来ない。来たところで自分の研究しかしない。研究室としての活動や後輩指導などは、たぶん興味がないのだろう。肝心な時に研究室にいないから、必然的に雑務や指導がこちらに回ってくる。
後輩たちも就活とはいえ研究室にほぼまったく顔を出さないので、仕事の割り振りもできない。来ないことには教えることもできないし。
こうした状況からか、教授は頼れる相手に積極的に仕事を割り振るようになった。来ないことには仕方ないのは分かる。でも、自分達の負担も考えてほしい。
おまけに、頼れると判断した自分達には研究、学会発表などを積極的に勧める。経験を積んでさらに成長して欲しいのだろう、と思う。でもオーバーワークしている人にばかり学会発表などを勧めて、研究室に来ないような同期には信頼出来ないから割り振らない、ではますます忙しさに差が開くだけだ。学会も後輩指導も雑務もせず自分の研究と授業だけやっている同期を見ると、自分は何をしているのか分からなくなる。そんな同期に「俺だって忙しいんだから」と言われたが、怒る気力もなかった。
どうしてこんな状況になったのかを考えてみると、いくつか思い当たることはある。
キャパオーバーになるほど仕事を任されるようになったのは、「まじめで、やる気があって、言われたらはいと答える人間だったから」なのだろう。
はっきり言って教授からの信頼を勝ち取りすぎた気がする。もっと不真面目で、言われても嫌ですと断り、自分の気が楽なように生きたかった。何に対しても「はい、分かりました、頑張ります」などと言っていては自分の限界を超えて、心身共におかしくしてしまう。これくらい大丈夫だろう、彼ならやってくれる、安心して任せられる、などと相手は思うのだろう。サボる人間がいる環境だと真面目な人間ほど損をする。真面目な人間に生まれたくなかった。
思い返せば学部時代からそうだった。誰もやりたがらない研究室内の役職を志願し、中間発表やその他研究も自ら進んで行い、とりあえず期日には収めてきた。そうした結果から、後輩指導の際に「この役職は責任のある人に任せたいから」とリーダー職を任されたことがあった。もうその時点から自分の研究室奴隷生活は始まっていたようなものだ。
教授のことは嫌いではない。関係は良好だと思う。自分と同じようにオーバーワークしている同期とも、関係は悪くない。後輩とも仲はいい、はずだ。
けれども研究室として考えると、全く調和もなにもしていない。表向きには体裁を保っていても、内部は最悪だ。研究室運営は成り立っていないに等しい。
もう研究室にいたくない。そう思っても、吐き気や頭痛や目眩が起こって研究室に行けなくなる訳でもない。体が研究室に向かってしまう。そして任された仕事を、たとえ期日が無茶苦茶であって、間に合う可能性がなくても、とりあえずどうにかしようとするのだろう。
逃げても、教授や同期に何かを言っても、誰かに相談しても、助けを求めても、何も変わらないように思う自分がどこかにいる。この状況を抜け出す方法は目の前の仕事を片付けるしかないと心の何処かで思っている。それに、自分が常に逃げることのメリットよりもデメリットを考えていることも分かっている。人の目を見て生きていることに気付いたけれども、それはまだ治っていない。研究や学会発表ができなくて、教授に何を言われるのかが怖いと心の何処かで考えている。
だから、もう、駄目なんだと思っている。何をしたって無駄、逃げ出す勇気も死ぬ勇気もないから、限界だろうと研究室に行って終わりもしない仕事をするしかない。
先日人事課にお呼び出しをくらい、自分がセクハラをしていると他の部署でクレームがあったらしい。
全く思い当たる節がないので、具体的な事情を尋ねたところ、複数の女子社員が「視線がいやらしい」と言ったとか。
こういうとき、大抵の場合、「お前の見た目がキモいからー」とご指摘を受けるものだが、
そういう点を慎重過ぎるくらい気にして、日頃から妻の助力を得て外見適正化は図ってきたつもりだ。
事実、これまで自分の働く部署でセクハラ被害を訴える声はなかった。
そもそも、具体的な部署名は出なかったが、他部署の女性社員と問題が起きるほど頻繁に関わることもないし、
他部署の女性を口説いたり、デートに誘ったり、身体的接触をしたこともない。
そういうわけで、どうしてセクハラ被害が訴えられたのか理解に苦しむ。
社内で恨まれることと言えば、しいて言えば、デザイン部の若手(ただし男性)の暴走を諌めた件くらいだろうか。
そもそも、「視線がいやらしい」って…。
妻に相談したら、「同僚女性は1.5秒以上は直視しない方がいいわね」とのアドバイス。
正論かもしれないが、その日以来、自分の女性部下と会話するときも視線を合わせられず、
http://anond.hatelabo.jp/20160526082201
もう過ぎ去ったはなしだが、うちの妹が突如として俺に対して異常に甘くなった時期があった
母曰く「あんたを見るときだけあの子の目がハートの形になってる」「あんたのことを話すときだけ語尾にハートマークがついてる」「あの子は好意を抱いてる相手を前にすると両手を後ろ手に組む癖があって、あんたと話すときは殆どそうしている」と
思い当たる節がなくて不思議に思っていたが、当時妹と友人達との間で交換日記みたいなものが流行っていて、壮絶な女の見栄の張り合いが繰り広げられていることは母を経由して知っていた
ここからは俺の推測だが、たぶん、そこで妹が友人達にハッタリをきかせられる唯一の存在が兄である俺で、友人達に「自慢の兄」を吹聴するうちに、自分で自分のついた嘘に騙されてしまっていたんじゃなかろうか
少しでも自分のでまかせが現実になるよう暗示をかけ続け、ついには現実の俺と理想の兄の境目が曖昧になり、あの気色悪い猫なで声の発生源となってしまったんだろう
昔から特撮ヒーローとか好きだったからか、わりと人のためとか、自己犠牲とか、そういうものがいいものだっていう認識はあった気がする。でもそれが最近もうやってられなくなった。
私は目の前にいる人を思いやろうとか、楽しい時間を過ごそうとか、有意義な時間を過ごそうとか、誰にでも思うタイプだった。飲み会なら積極的に盛り上げるし、仕事なら自分と相手とで最大限の成果が出せるよう努力するし、泣いている人がいたら一緒に泣きさえする。その人のためになると思ったら時間も金も使えるだけ使う。でもそれは自分のしたことが相手のためになって、それで相手が喜んでくれると思ってたからそうしていた。見返りを本当に全く求めていなかったかと言えば嘘になるが、相手のことを優先して考えていたし、それでも独りよがりにならないよう相手との確認は怠らなかったし、相手が感謝の念すら抱かないくらい水面下で事を完了させることもあった。とにかく人のために何かをすることに迷いがなかった。というかそうありたかった。その理由は前述の通りヒーロー的正義感にあこがれていたからで、それがかっこいいと思っていたから。そのナルシズムが気持ち悪いと指摘されたら返す言葉もないけれど、そんな自分へのネガティブなイメージすらどうでもよかった。
でも最近ひどくやりきれなさを感じる。上記の考えがまとまったのは大学に入るあたりなんだけど、それ以来なんだかあんまりいいことが無いのだ。大学で好きになった同期の女性がいたのだが、傍から見れば仲良くやれていたと思う。でもなんだかよくわからない理由でいきなり会うことを拒絶された。こう書くと鈍感なやつみたいだが、思い当たる節は全くない。彼女のことを精一杯考えて、彼女の現在や近い将来がどうやったら楽しくて幸せなものになるかを考えては実行していた。それがあまりに唐突に、一方的な形で拒絶された。意味が分からなかった。
その後母がガンになった。女性特有のガンで、発見が早かったから完治するレベルのものではあった。でも母の中では死につながる病とこれから一生付き合わなければならないことがショックだったのか、いきなり人生への後悔を吐露された。曰く「人生がつまらなかった」と。どうやら、当時の女性としては恵まれた学歴を持ちながら折悪く就職ができず、結婚して専業主婦になったものの何も成し遂げられなかったことを後悔していたらしい。私はそれまで自分の人生がそれなりに楽しいものだと思っていて、それはすべて育ててくれた母のおかげだと思っていた。浪人はしたものの有名な大学にも入り、私は母の作品のひとつとして完成されたような気になっていて、母もそれにいくらか満足してくれていると思っていた。それが母は人生に後悔していたと聞いてショックだった。自分より30年以上長い母の人生をこれから幸福なものにすることができないのではないか、そんなことを考え、つらかった。
そんな折に別の女性と出会う。年上で、でもどこか抜けたところがあって、それでも夢に向かって頑張ろうとしている女性だった。まあ好きになって、これまた彼女を応援しようと色々やった。結果的にすごく彼女は喜んでいて、「今までの人生で一番うれしい」とまで言ってくれた。母の件で落ち込んでいた私にとってすごく励みになったし、彼女も私にある程度の好意はあるものと思っていた。だがいざ付き合ってほしいと告げたところ、「年下は嫌だ」という身も蓋もない理由で断られてしまった。ひょっとすると体よく振られただけなのかもしれない。ただこれまでやってきたことを踏まえて、もう少しちゃんとした振り方をしてくれてもよかったんじゃないのかと思う。
色々うまくいかない、ならば学問だ!とばかりに大学での研究に打ち込もうとした。専攻分野を学ぶのは大好きだったので、できれば修士課程、もっといけるなら海外の大学院にすら行きたいと思っていた。しかし研究テーマに行き詰まり指導教官に相談に行ったところ、教官は私が自分で考えようとしていないと感じたらしく、人格否定の言葉を混ぜつつ説教してきた。以来教官との仲が険悪になり、学問への興味も失せてしまった。彼のことは非常に尊敬していたし、研究室の仲間たちとも、互いの勉強がうまくいくようにと様々なことに気を払ってきた。それなのにたった一度のことで人格を否定されてはたまったものではない。そんな感じで納得のいかないまま就活などしてしまったものだから、これまたノイローゼっぽくなるわで大変だった。
就職してからの一件では、一緒に将来の夢を語り合った同期があっさり退職してしまった。互いの家で夜中まで語り合い、彼とならおもしろい仕事ができるのではないかという期待があった。彼と私の目標は違ったものの、彼の目指す分野について勉強して自分がどうかかわっていけるか考え、伝えてきた。少なくともこちらは励まし合いながら互いを高め合える存在だと思っていた。でも彼と職場の色が合わなかったらしく、あるときあっさり退職してしまった。私には別れの言葉のひとつもなかった。
繰り返しになるが、常に下心ありきで動いてきたわけではない。自分のできることで、相手の幸福につながると思われるものをひたすら選択してきたのだ。だからその結果に関しても不満はないと私の理性は言っている。でも、そろそろ何かあってもいいことがあってもいいんじゃないか。ほら、『嫌われる勇気』でも報われたいとか思わずに相手のためになると思うことをやり続けろって書いてなかったか。自分ではもう、そっくりそのまま生きてるつもりなんだよ。その本を読む前から。それは自分が幸福に生きるためであって、それで誰かが何かをしてくれるわけではないってことは頭ではもちろん理解しているつもりだ。でも、もうそろそろ何かいいことあってもいいんじゃないか。頑張ってきたことがそろそろ報われてもいいんじゃないか。最近疲れているのか、そんなことばかり思う。
あと、特に女性なのだが、私に向かって「君は大丈夫だよ」「きっといいことあるよ」とみんな言うのだ。でもこの頃大丈夫だった時期はないし、いいこともここ数年あった気がしない。女性と付き合えなくてもそれまでに過ごした時間は楽しかったのは間違いはないが、でもそこがゴールじゃないだろう。などと、最近好きになった女性に上記の2つを言われたうえ、結局うまくいかない気がして不安になって長々と書いてしまった。彼女に対してももちろん見返りを期待しているわけではない。でも、そんなスタンスではもうやっていけない気がしている。
男性への関わり方として女性から嫌われる2大女というものがある
世に言ういわゆる「相談女」とは、
頃合いをみて
と体を摺り寄せてくる女のことである
ネット上には相談女に泣かされた人々による書き込みがいくつも見られ、
だがしかしここで声を大にして言いたいことがある
果たしてその相談女には異性を落とすだけの実力が本当に備わっていたのか?
否
むしろ相談女に成り下がっている事実が、その実力の無さを体現しているのである、と
一見、相談女は男性から見れば、悩み事を抱えた可哀想な女性に思えるだろう
しかし女性から見れば、おきまりの手口を使ってまた男を落としにかかってる、
そもそも悩み事があるのならば親しい同性の友達や身近な家族に相談すれば良いのに、
あえてパートナーのいるターゲットを選んで相談をもちかけるのだから、その不自然さたるや傍目には明らか
なのにも関わらず、だ
わざわざ同性から後ろ指を指されながら、可哀想な困ってる自分を演出し、
相談事を持ちかけるという面倒くさい手順を踏み、
挙句プライドのかけらもないかのようにいとも簡単に自分の体を差し出すのはなぜなのか
それはずばり
魅力も実力も自信も無い崖っぷち女がなりふり構わず選択する手段にほかならないからなのである
辛い思いに支配され、身動き取れなくなっている方もいるでしょう
消えない憎しみに精神を侵されている方もいるでしょう
しかし前述したように、
そんな女が実力では手に入れることができないものを手に入れるために、
こんなにも惨めで哀れなことがあろうか?
相談女の実態を知る事で、傷ついたみなさんの胸のうちが少しでも楽になればと、
今回書き記させてもらった次第である
さて、ここで今一度問いたい
話を聞いてと困り顔であなたに近づき、執拗に依存・執着してくる女と、
問題を自己解決しようと一人耐え忍びつつもそんなことはおくびにも出さず、
どちらが本当にいい女だと言えるだろうか?
聡いあなたならば既に答えは明白であろう
しかし実際、この相談女に引っかかる男性が多いこともまた事実なのである
あなたの目の前にいる悩みを抱えた女性は、果たして本当に"いい女"なのだろうか?
思い当たる節がある諸君におかれては、今一度己の審美眼を見直す時なのであろう
なおこの相談女だが、遊びたい独身男性にはうってつけの相手のように思えるだろうが、
前述したように相談女はパートナーのいる男性をターゲットにする傾向にあるのであまり期待できない旨お伝えしておく
それでも突撃する猛者の貴君にはこれをお伝えしておこう。
繰り返す、
身の破滅に注意されたし
御免
数年前に成人式で実家帰ったときに少し話した同級生が「同窓会?行かないよ、私あの子ら大嫌いだもん」と言い出してびっくりした。
似たようなことを言う人は他にも何人もいて、それどころか「やぁー、ひさしぶりぃー」と目の前でキャッキャした後、
相手が去ると「チッ、昔っからウッゼーんだよなーアイツ」などと豹変したりして、なにこの人たち怖い!って感じだった。
俺はみんな仲良しなクラスだなあとしか思ってなかったのだけれど、
当時から教室内では女子内にはやたらたくさん派閥があったり、男子も実はグループ間の確執があったり、
親同士のイザコザが子に波及してたり、クラス内で公認カップルが3組くらい存在してたり、
誰が誰を好きだったのに取った取られただの、成績で妬み合いや蔑み合いがあっただの、
実は色々とドロドロした人間関係が展開されていたことを、その時教えてもらって初めて知った。
そんな、ウソでしょう?中坊の頃なんか、ヘビ捕まえたり、トンボの眼と飛行能力すげぇぇぇぇ!ってはしゃいだり、
タンポポの花はセイヨウタンポポの方が天ぷらにしたときカラッと揚がって美味しいとか、
ウンコ漏らした時にブリーフを外で凍らせてカチカチにしてから投げ捨てたらよく飛んで隠蔽できるかも、と思って予行演習してみたら、
思いのほか飛びすぎて畑飛び越えて隣の家の窓が割れたとか、そんなことしかやってなかったよ?
そんな、クラスメイツと愛し合うとか憎み合うとか、本気で、全然、これっぽっちも知らなくて、思い当たるフシみたいなものすらなくてびっくりしてたら、
「いやー、あの頃から変わってるとは思ってたけど、増田君は本物だったんだね」
「道理でお前だけあの頃と何にも変わってないと思ったわ、身長も止まってるし」
などと口々に言われて、あれこれもしかしてちょっとバカにされてないか?とモヤモヤした。
……ということを今日ふと思い出したのだけれど、そういえば会社でも、
「みんな仲が良くて、こんな会社珍しいってくらいいい会社だなあ」と思ってるけど、
もしかして単に俺がまったく気づいてないだけでなんか色々あるのか……?と急に不安になってきた。
確かに大勢いるんだから嫌いだとか合わないとか、色々あるのが普通だろうとは思うんだけど、観察してても全然わからなさすぎて怖い。
そういえば入社してから社内恋愛で10組ぐらい結婚したけど、どのカップルも正式に報告されるまでカケラほどもそんな気配に気づかなかったゾ……?
みんな表面上うまくやりすぎだろ……。周りが俺の知らないドロドロした人間関係を抱えながら日々過ごしている可能性とかを考えだすと、
金曜日のこと、朝から熱があったが祝日を返上しての補習に律儀にも出席し、吐き気と喉の痛みに音を上げて早退した。
休日診療をしている病院は多くなく、私は初めてその病院へ行った。内装も綺麗で一見安心できそうだった。
受付の紙には症状を書く欄があったので鼻水吐き気喉の痛み咳など思い当たる症状にチェックを入れて熱を測って待っていた。
名前を呼ばれ、2番の診察室に入り、聞かれたので病状を伝えた。1番酷かった吐き気と喉の痛みを訴えると、そのとおりにパソコンに入力されていた。
咽頭痛
の二行のみ。聴診器も当てず他の症状も聞かず次に口から出た言葉が
「あなたくらいの年齢になると、妊娠の可能性も考えなければいけませんね…」
は?である。ちなみに処女だし彼氏も居ないし高校生三年の受験生だ。もう判断能力0だったので言われるがまま最後に来た生理日を教えて、
ちなみに食欲はあるから点滴はしなくてもいいと伝えたが針がどうのこうのと言われする事になった。(採血のついでというニュアンス)
検尿を終えて点滴しながら結果を待っている時不安で不安で仕方無かった。もし、妊娠しているという結果が出てしまったら、私はどう説明しよう、彼氏も居ないのに今年は受検なのにまだ高校生なのに。不安が高じて「想像妊娠 検査」「性交なし 妊娠」で検索かけたくらい。それくらい、不安が襲っていた。
そもそも、私が子供を産む事に対し抵抗を感じていた。身体の中に違う生命体が存在する事を想像し違和感とも恐怖ともとれない感情に苛まれたからだ。上手に説明できないが、とにかく怖かった。
点滴をしながら聞いた結果は、妊娠はしていなかったし(当然だ)、ただし妊娠の可能性は0ではない、妊娠でなければ吐き気の原因はストレスと言われた。ストレスなら説明もつくしどうして検査をする前に考えなかったのだろうか。本当に意味が分からなかった。
結局、妊娠の可能性が0ではない私は薬さえ貰えず、点滴に吐き気止めを混ぜてそれで終わり。
付き合って三年も経つのだけど、一年くらいしたあたりから彼女から当たり散らされることが多くなったと思う。勿論、こちらも相手の怒りに引っかかってしまったかなと思える微かな心当たりはあるのだが、だからといってそれでそこまで語気を荒げなくても、と思ってしまう。ラインしてて急に口調が変わるのが怖すぎる。
そういう風になった時はいつもこっちから、その思い当たる節について謝罪して、彼女が落ち着いたあたりでなぜ怒り出したのかについて原因をたずねる、というパターンなのだけど、彼女としては「なぜいつも先に謝るの?私だって自分が八つ当たりしてるの分かってるんだから、ちゃんと反論してよ。手ごたえなさすぎる。」と思っているらしい。
でも、そういう風に言われたとしても彼女は八つ当たりをしている(しかも自分で自覚している)わけだから、お互いに反論しあったところで怒りが収まるようには到底思えない。だから先に謝って気持ちを落ちつけてもらおうとしているのだけど、こういう風に理由を説明しても納得してくれない。二・三か月前に同じようなことがあって話し合った時には「察するのが下手すぎていつもイライラする。センスがない。要領悪すぎる。屁理屈で逃げないで。」と言われてしまって、本当に困った。
今、テレビを見ていたら、インターネット赤ちゃんポストについての記事を見た。
私は、これについては、非常にいい取り組みだと考えている。
たまたま1件、養母が詐欺容疑で逮捕されたとしても、その大きな流れを止める必要はない、と考える。
私が、2004年に釈尊から、「至碧金剛如来」という法号を与えられ、仏陀として認められた時に、釈尊から、
私が地蔵菩薩の魂である、と明かされた。私も、それについては、思い当たる節が沢山あった。
地蔵菩薩は、子供や水子の守り神であり、お釈迦さまから、釈尊亡き後の後事を託された。
その観点からして、中絶される命をどのような形かにせよ、救うことは、社会として認めるべきだと思う。
たとえ、里親が詐欺で捕まえられようとも、途中で育てられなくなって、施設に引き取られる運命を辿るにせよ、
とにかく、生まれて来たことを評価するべきである。その里親がいい人ばかりでなくても、子供を欲しいと願っている
家族の下に、一度でも行くことは、その子の運命として、喜ぶべきことである。現在は、無責任に妊娠するケースも沢山ある。
そして、生まれた結果、いじめや虐待に会う子供もいる。それでも、私は、産んで育てる方が良い、と思うのである。
これは、仏陀の視点であり、反対も沢山あると思うのであるが、宇宙創造主の御心からすれば、そういうことである。
赤ちゃんポストに、寄付するように心がければ良いと思う。私も、生活に余裕ができたら、ぜひ、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に