というより、人生を間違ったのかもしれない。つらい。もう限界。
教授からは過度な期待と課題を押し付けられ、同期や後輩の大半は使いものにならない。信頼できる同期もデスマーチを強いられていてあてにはできない。自分より上の学年はいない。八方塞がりだ。どうして自分達だけがこんなことになっているのか、と思う。突然体調不良や事故なんかが起こって、研究室に行けなくなったらいいのに、と常に考えてしまう。
頼れない方の同期はそもそも研究室に来ない。来たところで自分の研究しかしない。研究室としての活動や後輩指導などは、たぶん興味がないのだろう。肝心な時に研究室にいないから、必然的に雑務や指導がこちらに回ってくる。
後輩たちも就活とはいえ研究室にほぼまったく顔を出さないので、仕事の割り振りもできない。来ないことには教えることもできないし。
こうした状況からか、教授は頼れる相手に積極的に仕事を割り振るようになった。来ないことには仕方ないのは分かる。でも、自分達の負担も考えてほしい。
おまけに、頼れると判断した自分達には研究、学会発表などを積極的に勧める。経験を積んでさらに成長して欲しいのだろう、と思う。でもオーバーワークしている人にばかり学会発表などを勧めて、研究室に来ないような同期には信頼出来ないから割り振らない、ではますます忙しさに差が開くだけだ。学会も後輩指導も雑務もせず自分の研究と授業だけやっている同期を見ると、自分は何をしているのか分からなくなる。そんな同期に「俺だって忙しいんだから」と言われたが、怒る気力もなかった。
どうしてこんな状況になったのかを考えてみると、いくつか思い当たることはある。
キャパオーバーになるほど仕事を任されるようになったのは、「まじめで、やる気があって、言われたらはいと答える人間だったから」なのだろう。
はっきり言って教授からの信頼を勝ち取りすぎた気がする。もっと不真面目で、言われても嫌ですと断り、自分の気が楽なように生きたかった。何に対しても「はい、分かりました、頑張ります」などと言っていては自分の限界を超えて、心身共におかしくしてしまう。これくらい大丈夫だろう、彼ならやってくれる、安心して任せられる、などと相手は思うのだろう。サボる人間がいる環境だと真面目な人間ほど損をする。真面目な人間に生まれたくなかった。
思い返せば学部時代からそうだった。誰もやりたがらない研究室内の役職を志願し、中間発表やその他研究も自ら進んで行い、とりあえず期日には収めてきた。そうした結果から、後輩指導の際に「この役職は責任のある人に任せたいから」とリーダー職を任されたことがあった。もうその時点から自分の研究室奴隷生活は始まっていたようなものだ。
教授のことは嫌いではない。関係は良好だと思う。自分と同じようにオーバーワークしている同期とも、関係は悪くない。後輩とも仲はいい、はずだ。
けれども研究室として考えると、全く調和もなにもしていない。表向きには体裁を保っていても、内部は最悪だ。研究室運営は成り立っていないに等しい。
もう研究室にいたくない。そう思っても、吐き気や頭痛や目眩が起こって研究室に行けなくなる訳でもない。体が研究室に向かってしまう。そして任された仕事を、たとえ期日が無茶苦茶であって、間に合う可能性がなくても、とりあえずどうにかしようとするのだろう。
逃げても、教授や同期に何かを言っても、誰かに相談しても、助けを求めても、何も変わらないように思う自分がどこかにいる。この状況を抜け出す方法は目の前の仕事を片付けるしかないと心の何処かで思っている。それに、自分が常に逃げることのメリットよりもデメリットを考えていることも分かっている。人の目を見て生きていることに気付いたけれども、それはまだ治っていない。研究や学会発表ができなくて、教授に何を言われるのかが怖いと心の何処かで考えている。
だから、もう、駄目なんだと思っている。何をしたって無駄、逃げ出す勇気も死ぬ勇気もないから、限界だろうと研究室に行って終わりもしない仕事をするしかない。