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はてなキーワード: 帰属とは

2021-10-01

anond:20211001141931

芸能プロダクション大人の掌の上で踊っているうちは借り物の人格

映画ドラマの中で演じる役柄と似たような架空存在

プロモートされた芸名人格権はプロモーターに帰属する

芸名を捨てて、自分名前仕事をとってこれるようになるまでは人権などないようなもの

2021-09-28

ガチャも反親ガチャ

自己奉仕バイアスという人間特性説明がつく

自己奉仕バイアス(じこほうしバイアス、英: Self-serving bias)は、成功当人内面的または個人的要因に帰属させ、失敗を制御不能な状況的要因に帰属させること。自己奉仕バイアスは、成功自分の手柄とするのに失敗の責任を取らない人間一般的傾向を表している[1]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%A5%89%E4%BB%95%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

2021-09-15

anond:20210915112308

でもカルト関連は、これから時代どこも辛いのよ。

カルトを信じる主なモチベーションだった正義共同体帰属への欲望は、今はSNSネットワークビジネスが全部消化してるから

内容ももはや古くて、新規信者がぜんぜんいない。

メンバーはジジババしかいないから、彼らが死んだら終わり。あと20年ぐらいか

 

それこそ統一教会と、あと創価学会あたりは、子供継続するパターンがあるからもう1世代ぐらいはもつけど、それも時間問題だな。

2021-09-09

中国禁止されるゲーム要素の例>

現実世界法律と照らし合わせ、これに反する行為および法を軽視する描写

未成年恋愛

血液

・Killや殺人といった死を連想する単語

キャラクターの明確な死亡理由描写

女性下着および胸の谷間

性器女性の胸に攻撃接触可能

相手挑発する描写

・ドクロや骸骨

暴力行為人外への”狩り”や”討伐”は合法

・対戦によりポイントアイテムなどの報酬が獲得できる要素

プレイヤーに恐怖心を与える要素

民主主義的な描写

デモ

習近平思想に反する描写

中国への侵略/植民地化に関連した国や人物の美化または喧伝

中国偉人現実とは異なる内容で描写

性器および性器揶揄する表現

・性行為のもの、または性行為揶揄する表現

身体変形、人体改造

毒物麻酔精神侵食などの薬物表現

他人侮辱する表現

帝国主義描写

風俗店反社会的組織描写

占いなど非科学行為テーマとした作品

そのほか

・「英語」が禁止され、既存ゲームアップデートにより修正

オンラインゲームは本人と家族個人情報を国に提供することの義務付け

オンラインゲームは必ず実名登録されていることと共産党が持つ国民データ(顔認証含む)との照合が必要

オンラインゲームにおけるチャット内容は必ず国家監視下に置かれること(ゲーム会社運営義務

ゲームにおける全ての資産/技術およびデータ国家帰属すること

・若年層のボイスチャット違法

・夜間にゲームプレイする場合、顔認証必要

未成年について、オンラインゲーム金曜日/週末/祝日20時~21時のみプレイ可能

2021-09-04

anond:20210904085729

ファイザーアストラゼネカ基本合意安倍政権の時で、モデルナも安倍政権時に協議が始まって菅内閣発足の翌月に締結だから、少なくとも今出回ってるワクチンの大半の成果は前政権帰属じゃね

2021-08-31

土地はなぜポイッと捨てられるようなものではないように決められているのかな

土地簡単放棄できない。また国に返すという手もあるがこれも簡単ではない。

なぜこういうにしているのだろう。国有地(公有地)でなければ私有地の二分法みたいに法で定義しちゃったのはなぜなんだろう。

別に簡単に捨てられるようにして「誰のものでもない土地」が発生したっていいじゃないか

そういう土地でなら食べられる草とか採集しても誰も所有権を主張できない、つまり不法占拠とかの問題が発生する余地がない。その方がホームレスにやさしい社会だ。

多分立法者は、もし国内に誰のものでもない土地があると、他の国の人がそこまで切り込んできて「ただいまよりこの無主地我が国籍の帰属する国の領土だ」みたいに主張しちゃうおそれがあるみたいに考えてたのかもしれない。

でもそんな心配あるのかね。周りが国有地私有地なのにそこをわざわざ超えていってまで領土を奪おうとする人っているのかね。海岸沿いだとやばいかもというぐらいだと思うけどね。

から杞憂に感じる。それより弱者にやさしい社会として土地所有権もっと緩いものにしてほしく思う。立法者には柔軟な思考が足りない。

2021-08-23

anond:20210818140524

進学で上京して仕事東京で見つけてずっと暮らしてる自分みたいなのだと、俺は日本人という帰属意識はあっても、出身地への帰属意識ほとんど消えたな。都民であることにもあまり帰属意識無いので。

年代でも、地元に残って昔からの繋がりで生きてる人だと随分違うのだろうな。

だって日本なんて明治時代に突然できた国じゃん

地域ごとのまとまりのほうが本来強い

富国強兵軍隊作るために標準語国家帰属してるんだの洗脳をしてただけで無理強いされたものであって俺は日本人だなんて思ってる人はもともと居ない

2021-08-18

anond:20210818140237

だって日本なんて明治時代に突然できた国じゃん

地域ごとのまとまりのほうが本来強い

富国強兵軍隊作るために標準語国家帰属してるんだの洗脳をしてただけで無理強いされたものであって俺は日本人だなんて思ってる人はもともと居ない

2021-08-15

女子スポーツに興味なくてもトランス出場に意見はするやろ

だって金メダル云々とかは国策でやってるとこも多いやろ?だからそのレギュレーション大事じゃん。「女子スポーツに興味ないくせにトランスにごちゃごちゃ言うな」は的外れやろ(ただし「棍棒に使うな」は分かる)。

オリパラでは表彰台に上がった人物所属する国地域の旗が掲揚されるよね。このために税金を投入している国もあるわけで、「国の威信をかけて」とよく言うでしょ?五輪憲章はよく知らんけど「平和喧嘩する」みたいな意義もあるんじゃね?知らんけど。

という事情から女子スポーツにもトランスにもなんなら五輪にも興味なくても、アンフェアだと思えば声を上げるのはおかしくないよ、納税してるし、自分とこの「国の威信」に関わるんだから

旗の掲揚に功罪があるのは確か。功としてスポーツ振興への寄与国家宣伝、罪として個人の手柄を国地域帰属させるのってどうなの?と(なんで金逃して謝るのとか金取って感謝言葉言えとか)。でもやっぱり功の部分ってすごく大きくて、それはマイナースポーツにとっては日の目を浴びるまたとないチャンスなんだよね。そうしてその競技自体が広がれば競技者の地位名誉金にも直結してくる。そこはアスリートは目を瞑ってはいけないと思うよ。

そういうごちゃごちゃがあって、「興味ないくせに口出すな」はちょっとちがくね?と。「棍棒に使うな!」の一点を強調した方がいいよ。そしてそうでない批判ちゃん議論の種にせんと。会費制で勝手にやってるスポーツなら誰が出るかとか全然口出さんよ、それこそ興味ないから。

2021-07-28

国民一般的宗教的感情」はしゃーない

[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース

 この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民一般的宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。

 誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決のもの妥当だと言ってるわけではない。「国民一般的宗教的感情」の中身や適用範囲には議論余地があるが、「国民一般的宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち

2021/7/29 18:30追記

Q. 「国民一般的宗教感情概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックおかしいのでは?

A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリ死体遺棄罪の保護法益は「国民一般的宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人傷害致死か過失致死か、正当防衛緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。

2023/3/24 20:30追記

ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件

 最高裁逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったか愚考しますが個人的には良かったと思いますNHKのこの記事論点網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠出産に関しての不適切言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。

 制度に関する有識者会議現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣社会的議論が行われることを切に望みます技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。

死体損壊・遺棄罪は宗教項にある

刑法

24章 礼拝所及び墳墓に関する罪

第188条

1 神祠し、仏堂墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。

2 説教礼拝又は葬式妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。

第189条

 墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。

第190条

 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。

第191条

 第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

第192条

 検視を経ないで変死者を葬った者は、十万円以下の罰金又は科料に処する。

 まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益保護社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。

墓地、埋葬等に関する法律

第1条

この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉見地から、支障なく行われることを目的とする。

 関連して墓地埋葬法では宗教的感情理由墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。

感情保護

 しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情保護法益にできるのかという話をしなければならない。

 確かに刑法において感情保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易感情理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民一般的宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力垣間見られる。

 しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁判例を見てみよう。

……思うに、同条は、国民宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬感情を害する行為処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般感情としては、特に清浄を保つべ場所たる墓所区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所神聖を穢すもの観念されるのであつて、このことからさら推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……

東京高判昭和27・8・5

 いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教妨害罪(188条2項)についてはあくま宗教的自由保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。

 しか果たして死体遺棄損壊他人宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。

 これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体法益帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前火葬拒否していた人間火葬したら人格権否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれしまう。

 実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。

 まあネットでは「お気持ちカード切ればゲームに勝てる感じだしまネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事名誉毀損では「名誉感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ち保護されるべきかみたいな方が喫緊課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブAPIも非建設的なコメント建設的と認識してる気もするからまあヨシ。

一般的

 「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。

 最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ概念定義を見てみよう。

……徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの……

最判昭和26・5・10

 「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。

 もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。

 それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法時代社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。

 ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉のものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。




余談:外国人技能実習生に対する妊娠禁止規定違法です

 これはもう労働法妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法技能実習生適用されるよう法改正した時点で自明ことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境から日本人が来なくて技能実習生代替せざるをえないのか分からんけど。

 裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。

(事例)

 中国人技能実習生女性中国の送り出し機関妊娠禁止規定を結んでいた。ところが来日食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。

 すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠理由強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港連行した。なおも女性抵抗空港保護される。

 こののち女性流産女性はこのことで記者会見を開いたため会社解雇された。

結論

 ・妊娠禁止規定不適切解雇無効

 ・帰国強制流産には因果関係がある

 ・会社団体は未払い賃金損害賠償を払え

参考:妊娠を理由に帰国迫られ「流産」 元実習生が勝訴した「裁判のポイント」は? - 弁護士ドットコム

 技能実習生に対しては非人道的行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例公共の場限定してることが多いか会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃん法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ち技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。

2021-07-25

業務制作したものは特段の取り決めがないかぎり著作権会社帰属する

こんな当たり前の事を知らない愚民が多いってマ?

虹はLGBTの専用カラーではない

国際協同組合同盟

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88%E5%90%8C%E7%9B%9F

1925年から1995年まで用いられた「虹の旗」


平和の旗

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E6%97%97

平和の旗(へいわのはた、伊:la bandiera della pace)は、戦争に反対し、平和を求める意思を表示する旗。特定組織や団体を代表したり帰属を示したりする旗ではない。

1960年代イタリアで考案され、2003年イラク戦争開始に前後して世界各地で使われるようになった。


レインボーフラッグ (LGBT)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0_(LGBT)

このフラッグアメリカ合衆国カリフォルニア州発祥を持つが、今では世界中で使われている。1978年サンフランシスコアーティストギルバート・ベイカーがデザインし、最初の改良で広く調達可能な布の色への変更を行った後に数度の修正が行われた[1][2]。 2008年の時点で、最も広く使われているのは 6 色構成(赤、橙、黄、緑、青、紫)のものである

2021-07-22

anond:20210722181254

第三者として面白そうなトラバリー見つけたらまず一つ一つのトラバがどっちの党派に属してるのか確定させないの話の流れがつかめない。

それには確かに「交互に敵対する党派人間がツリートラバをぶらさげていっている」という原則はある程度役立つんだけど、

あらかじめ党派を決めておくと、そういう前提ではどうしても浮いてしまトラバがあったりする。

そもそも意図が分かりにくいトラバ党派性をあてはめて意図推定するための原則なのに、

逆に帰属を前提としてる党派との整合性というか共通の軸が見いだせなくって混乱してくるというか。

2021-07-20

小山田圭吾氏と「公正世界信念」と「防衛帰属」(7/19 Session #ss954)

荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547

荻上チキ氏)

この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。

1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回インタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。

そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピックパラリンピック楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難さらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。

90年代音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。

この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。

今回のは、過去いじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。

そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去インタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめ手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。

そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。

過去いじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所データなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。

やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的あだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。

ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。

ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめ文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。

インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。

他にも様々なダウン症児童などに対する侮蔑的発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。

こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。

なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります

これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。

内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。

逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。

良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。

そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。

その不安感は、要は「もしかしたら自分努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。

その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害非難被害者が悪いというんですね。

どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。

こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。

でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。

要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。

この感覚のものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。

一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要動機づけを与えるし、社会適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。

ただ、こうしたような「被害非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。

加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果かいうのを社会拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。

今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。

ではその回復手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復手段ほとんど難しいんですね。

例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪たからといって回復できるとは限らない、つまり加害者被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。

一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。

少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。

一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。

そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています

から今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントひとつになるわけなんですよね。

で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさら助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。

から今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。

ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。

これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。

例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。

それを見ると、結構典型的な「防衛帰属」だなって思うわけです。

どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしま可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分防衛するために、責任所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。

そういうふうに、どこに責任帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。

からネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というもの擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分メディアの振る舞いとか、90年代表現かいものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。

そういうような「防衛帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。

そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね

ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。

それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。

それが行われてない現段階においては、このオリパラテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。

ではその後どうするのか。

これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識かいろんなことが必要になりますよね。

どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います

いろんなものを浮き彫りにした一件でもありますよね。

80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。

今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います

2021-07-13

anond:20210713164727

なるほどね

pixivプレゼン資料投稿してるやつ嫌い

🔺しょうもないプレゼン資料投稿する女のせいで、人気作品検索するとプレゼン資料が私の目について嫌い

⭕️嫌いなプレゼン資料がみんなに評価されてるおかげで人気作品検索する私の目について嫌


ただのプレゼンでそんだけ評価されてんなら凄いでしょ 作品咀嚼理解を深める能力も実力のうちだし、その能力大事さがわかってるから周りの絵描きは褒めてんじゃないの その上で「私すごい!」って自意識持ってるなら(まあ元増田の決めつけだけど)、自意識過剰じゃないし恥ずかしくもない 実際大勢評価されて凄いんだから

規約違反だと思うなら捨て垢ででも直接言えばいいのに、それも出来ない 通報もしない

そもそも別にプレゼン資料あげる事自体規約違反じゃないと思うけどね ガイドラインの実写禁止のあたり斜め読みしちゃったの?背景に使うとかちょっと加工するだけで写真使えちゃうんですよ ガイドラインで明確にノーとされてるのは実写主体画像投稿エログロ倫理思想系、権利関係と免責系のもの プログラムノウハウ等も含めた知的財産権、それが投稿したユーザー作品である場合にはユーザー帰属しますと利用規約に書いてあるのよ つまりプログラム記述書いて投稿してても別にいいのよ ならプレゼン資料自体違反にならんでしょ


パワポ作者の内面を決めつけて卑屈な言葉並べ立てる元増田……醜くない?

2021-07-08

anond:20210708182637

北海道で無記名アンケしてみろって

道民みんな北方領土ロシア帰属するというし北海道クマさんの住処だから人間が出ていくべきだと答えるから

2021-06-21

anond:20210621100037

従業員の法定検診の結果は会社帰属する情報から会社担当者が把握してるのは当たり前だぞ

そうやって脅し文句のように使うのはコンプラ違反と言えるとは思うが

2021-06-18

ウマ娘警察には主権概念すら知らない奴が混じっているらしい

ウマ娘警察外人絵師にまで注意してるのがいるが頭悪すぎるんだよね。

海外警察権(捜査権)や司法権はその国々に帰属するのに日本著作権準拠したガイドラインに従わせられるわけないだろ。

ヤクザでたとえるなら「俺のシマ人間勝手ルール押し付けようとしてんじゃねえ」ってなる。

少し極端なたとえだけど、ある国で殺人合法だったとしてそこで旅行中の日本人が殺されても日本は為す術ないわけ。

それに口出ししようものなら統治権侵害だしそこの為政者にとっても面白くないからね。

外務省あたりが自衛的に「この国には行くな」と注意することぐらいしかできない。もしかしたら遺憾砲で茶々ぐらいは入れられるか?というぐらいだろう。

まして著作権とき他国干渉できるはずがない。

下手な真似しないでほしいよね。所詮著作権個人レベルの損得だけど国際問題に発展すれば国益に関わってくるんだから

2021-06-11

結婚

 ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。

 本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。

 ただあまりにも「結婚幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。

 結婚にはメリットデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります

 まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間タイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

子どもを産み育てることがスムーズになる

 …あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。

 強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?

 結果としてついてくる分には勝手しろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。

 てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

 それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。

安心感

 安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。

 文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。

 つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。

 それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。

 これは交際前と交際後という比較的浅い次元関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。

 言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。

 言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分勝手な期待を相手押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。

 言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップル破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。

 浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。

 人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。

 付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。

 交際から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というもの法的拘束力を持つからだ。

 これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。

義務

 さっきの安心感に比べればこちらはシンプルもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事モチベーション向上に繋がる良い面がある。

 その代わりに、義務感という言葉強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。

 人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。

子どもを産み育てることがスムーズになる

 できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。

 とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。

 まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意から必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。

 子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれ子どもとしての役割、というこの二つ。

家族の一員としての役割

 これはやはり一般的幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。

 正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵から攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ

 ただ、現実問題そのように理想的機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界

 そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。

 それに、世間一般家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。

 ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。

 それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というもの基本的孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。

 世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。

 もし自分父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。

 まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。

 子どもにとっては母である自分パートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。

夫婦の間に生まれ子どもとしての役割

 「子は鎹」という言葉がある。

 こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。

 けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。

 子どもができることによって夫婦関係は父母という関係にもなって、彼氏彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児教育家計問題でやっかみ合うようになり、関係悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである

 これを果たして幸せと呼ぶことができるのか。

 …とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。

 あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。

 という記録。

2021-06-09

ロック」を「69」って書くの やめよう

 

日本では「ロックンロール」を略して「ロック」と言う。それを語呂合わせにして「69」と書くことがある。

音楽シーン「69」を見たら、大抵は『ロック』と読んで、特に言及することなく過ぎ去る事が多いと思う。

 

さて、日本語を知らない西洋人がこれを見たら何と思うか。








日本バンドHentai色が強い文化デスネ!」




























Oh...チンポ

日本人は何も疑問に思わないで当然のように「69」表記してしまう。立ち止まらず振り向かない様がまさにロックである

当然ながら外国人日本語の語呂合わせができない。けどもロック文化を輸入している日本が、そこだけ「知らなかった」と言うのも選り好みである

ポケモンをしているアメリカ人相手に「ポケットモンスター」と言うぐらい同じことをしているのである






と、ここまで書いたが

ロックの元であるロックンロール」の意味を調べてみると、

語源については、古くからアメリカ英語黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味もあり、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。

ロックンロール - Wikipedia

「69」ある意味2つの意味を包括して かつ、文化帰属しているように見える。

まり、たったの2文字で、アメリカ音楽文化からスラングまで仄めかしているのだ!





小型化が得意な日本、恐るべし。





しかし、「『ロックンロール』に本来『69』という意味は無いから厳密には違うだろ」と思うかもしれない。

 

かにそうかもしれない

ただ、ここはそれぞれの国でお互いさまのような所がある。

 

変態」という言葉西洋が輸入した際「Hentai 」となり、西洋でのその意味が「エロアニメエロ2次絵」を示す言葉となってしまったのである

そう、股間けが萌えたのである

 

 

ここまで、「69って書くのやめよう」と書いたものの、別に国内向けなら問題は無く、

その「69」という表記をすることの影響・海外の人から見られるような事が多い場合、そういう考慮が頭に入っていればいい話である

外国人にそういうイヤらしい目で見られないように見られたくないなら、「69」表記を避ければいい話である

(あえて「69」表記にした結果、外国人にとってファンキーに見えて注目を浴びるとか、偶然それが良い方向に転がるかもしれないが。)

 

 

ここまで「69」に「ロック」以外の読み方があることを知らないよい子はお母さんに聞いてゲンコツ(Rock)を貰おうね。

2021-06-06

働けるけど働きたくない

転職を何度か繰り返しているけどブラックパワハラ給料激安等々で

働けるんだけど会社帰属することが嫌にはなってきた。

フリーランスにでもなればいいんかな。多分やれるスキルは持ってる。

色々やってきたけどweb周りがいいかと思っている。

フリーランスは厳しいという話しか聞かないため勇気が出ない部分もある。

フリーランスの人いる?実際どうなのか聞きたい。

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