はてなキーワード: ブラウン管とは
差別主義とは、私たちが生きている内に消えることも変わることは無いと思う。
この世界は、少しずつの積み重ねた時間により、緩やかに意識が変わっていく。
だれかの鶴の一声で変わるなら、すでにこの世界は争いも差別も何も無いだろう。
本日、ツイッターにて注意喚起のように長文メモのスクショが回ってきた。
オタク界隈なら、よくある事で読み飛ばすが、今回はさっと読んで、じっくりと読み返した。
そして、あまりにもその内容に頭にきた。
簡単に内容を語るなら、とある駅で見知らぬ男に声をかけられ話しながら道案内をした。
その男に渡された飲み物を飲み、意識を失い目が覚めたら性暴力を受けてホテルにいた。
という内容だった。
被害者はあくまでも被害者で、全ては犯罪者が悪い。そこは変わらない。
肉体でも精神でも変わりません。
傷つけたならば、踏みにじったならば、それは犯罪です。
少し、話はそれるが
よくネットで叩かれ答えは出ないまま話が終わってしまう話がある。
夜道でレイプされたなら、「そんな夜道に歩いているのが悪い。」
何故そんなことを言えるのか?を考える。
大多数の人間が犯罪に手を染めないように、大多数の人間は、被害にあったことがない。
ネットという世界で繋がっていても、それは見ず知らずの他人であるから言える事なのであると私は思う。
もし、家族や恋人がその被害者になった時、同じセリフが言えるだろうか。
もし言えるのなら、それはその人間の人間性が何かおかしいので、見切りをつけるべきである。
しかし、もし身近な人間が被害者になった時、「被害者にも非がある」と、言った人間は、
被害者に寄り添うような言葉をかけるだろうと思う。「君は悪くない。全て悪いのは犯罪者である。」と言うだろう。
誰にでも優しくするのは難しいかもしれないが、身近な人間くらいには、優しくあろうとするのが、常だと思っている。
ここで一番初めの話に戻るが、
まず一つ、被害者は悪くはないのだろう。
善良な心を持って道案内をした。そこまでは良いだろう。
しかし、道すがら少し言葉を交わした程度の相手が差し出した飲み物を飲んだのが、間違いである。
まず飲まないだろう。
普通飲まないだろう。
むしろ何故飲んだ?と問いただしたい。
知らない人から貰ったものに口を付けるな。と教育はされなかったのだろうか?と疑問である。
スクショ投稿の利点は、膨大な文字数を数ツイートでまとめられるところにある。
少し見ていくと、警察には言わないと言う内容があった。
それは、やはり周りの職場や友人など、その他大勢の現実世界で会う人間には知られたくないから。と言う。
ここで疑問が生まれるだろう。
「そもそもこんな話は嘘だろう。と言う人間のツイートが見える。」
少し想像をして見ましょう。
まず、警察に行くとする。
同じく、また別の日に何回も警察署へ行くことになるのかも知れない。
そこで、仕事をしている社会人。月曜〜金曜で9時から17時まで仕事をしていると仮定する。
警察署へ赴き、時間を割く行為。仕事を休んで警察署へ行くことにする。
しかし、数日なら誤魔化せるかもしれないが、休みの理由を話せと言われるかも知れない。
上司に休みの理由を話さねばならない状況に陥った時、素直に言う人間と、全てを隠し通せる人間の2種類がいる。
隠し通して、休みをもぎ取ることもできるかも知れない。
そして、休みの理由を、性暴力を受け警察署へ行くためである。と話してみる。
世間一般常識として、「傷付けられた人間には優しくあるべき」と言う無意識化の共通意識がある。
しかし、人の口に戸は立てられない。
そこには、「かわいそう」や「酷い事をされたね」の同情の目。
股を広げられ、犯罪者の性処理を受けたのだ。
世の中のR18ジャンルでそれはあるのだ。
「痴漢」「レイプ・陵辱」そう言うものを、フィクションとして、作品としてこの世にある。
それを悪だと言わない。
表現の自由だろう。しかし許されるのはフィクションである。と言う点である。
しかし、そのフィクションを現実の世界に重ねる人間がこの世界には多いのだ。
ごく普通に生きた一般人(オタクと呼べる人間ではない。と言う意味での一般人)でも
一般人でも、そう言う犯罪紛いを題材にしたジャンルに触れなかった人間などいないだろう。
言葉にしなくとも、その目が語る。
そうして被害者は、そう言う目に晒されたくない。と、泣き寝入りを決め込むのだ。
あなたなら、どう行動をとるか。それを冷静に考えて見ましょう。
許せないと、立ち向かうのも、また良いでしょう。
そして、私は立ち向かうべきだとも思う。
殺されなかった。命は取られなかった。
それだけでいい。
もしそう思うのなら、意識を改めるべきだと思う。
肉体は殺されなくても、精神が殺されているのだ。
けれども、その心は死ぬ。殺されるのだ。
性犯罪とは、被害者が今まで歩いてきた人生を、踏みにじる行為だ。
世界は変わらない。
大多数の人間が、性犯罪者、殺人の犯罪者などにならないように、
無関心である。
いくら、言葉で取り繕うとも、自分がどうにかしよう。など考えない。
現在、生きている人間が死ぬまで、死んだ後でも、この世界は、この世界の認識は差別は、変わらないだろう。
踏みにじる行為を知らなければならない。
踏みにじられない強さを持たなければならない。
抗うすべを、意思を。強さを、一人一人が持たなければならない。
それをやったら、それを言ったら、相手がどう思うか。
誰かがやると言う免罪符は、許されない。
理想を捨てるな。恥を捨てるな。
罪悪を知れ。偽善で取り繕うな。
さて、とっちらかった乱文を失礼した。
別に怒っているわけじゃないけど洋楽を中心として音楽のジャンルが多すぎるぞああn?」っって思ったりするときがあるくない?
いや音楽はすきですよ?でも正直ジャンルについてはあまりわからない。例えばロックって言われたらバンドの感じだし、ヒップホップって聞くとズンズン!って重低音とかイメージするんだけどこれで合ってるんですか?
じゃあポップスってなんだよ?お前らちゃんと説明できるのか?あn・・・
僕ですか?はい説明できませんよ。色々ひっくるめた感じですかね?
まあこのへんまでは良いんですよ?EDMとかR&Bも実はよくわかっていないけど自分が好きだなって思う曲はこのあたりのジャンルに多いんですよ。
ただオルタナティヴなんとかとかポストなんとかとかハウスなんとかとかなってくると本当に和わからない。ハウスとかR&Bとか調味料的なあれですかとかつまんねーから。なめんてんじゃねえぞああnあnあn…
結局俺が言いたいのは音楽を評価するのは自身の心であってジャンルなんてどうでも良いんだなってこととAVのジャンルってはっきりしていてわかりやすいよな~ってこと。そしてこの2つの共通点は鑑賞後に気持ちよくなれるかどうかなんだよ。名作って呼ばれる曲にも作品にもそんな力があるんだよ。
アダルト業界ってどうなってるんだろうな?って考えるときがある。
俺にとってAVは夢と現実をつなぐ架け橋のようなものだった…でもこの橋は信じられないほどに不完全だった。
ブラウン管に映る美竹涼子に匂いは無かった。喘ぎ声はスピーカーから…画面が手垢だらけになるまで触って感じる温度はブラウン管の熱…
でもそれで良かったと思う。
いいか?俺にとって童貞を捨てたあの瞬間は穴埋め問題の答え合わせだったんだ。AVをどれだけ見ても解けなかった疑問のな。
そして夢がかなった瞬間だった…
疑問の穴を1つ1つ埋めていく…
こうなっているのか…
おお…
なんという…
すごい…
感動があったんだ。どうしてかわかるか?
不完全だったからなんだよ…
それが今、変わろうとしている
より事前体験がリアルに近づき人々の感動は相対的なものになるだろう。
そして実際に食べて思うんだ。
口コミほどじゃなかったな…
答えを知る前に答えを知る…
俺はそいつを殴るだろう
僕達が思っているよりチンギュラリティはそこまで来ているのかもしれない。
「私たちは闘ってるのよ?」
妹はそっぽを向いたまま、振り返りもせず私の言葉を反復する。話を訊いていないのだ。予想通りの反応とは言え、ため息が出てしまう。
彼女の視線は私の肩越しに背後にすり抜け、その先にはテレビがある。その画面には、丁度お気に入りのコマーシャルが流れていた。妹はそのコマーシャルソングを口ずさみながら、私の手を離れ、脱衣所を抜けて、テレビの方へ歩き出す。
「こら、服を着なさい」
「こらふくをきなさい」
妹は振り返りもしない。体から落ちた水滴で畳が濡れる。歩きながら子供っぽい無造作な動作で乳房を掻く彼女の、体の曲線はすでに女性のものだ。心の成長を待たずに大人になってしまうことに、不安な感じを覚える。身長はもう姉の私と変わらない。
私の妹は人と少し違う。
人と同じようにふるまうことが出来ない。人と同じように考えることが出来ない。人と同じように感じることが出来ない。そしておそらく、自分が人と違うことにも、気が付いていない。
たとえば、
「あろえ」
私は妹の名前を呼ぶ。おそらく妹はテレビ画面を眺めたまま返事をしないだろう。上半身をふわふわと前後に揺らしながら、ブラウン管を凝視しているに違いない。
「あろえ」
声を少し大きくして、もう一度繰り返す。妹はそれでもテレビから視線をそらさない。画面には、栄養ドリンクのCMが映し出されている。もしかしたらそのとき妹は、タフビーム、タフビーム、と抑揚のない声で商品名混じりのキャッチフレーズを連呼しているかもしれない。
商品や映像の内容に興味を持っているのではない。めまぐるしく変わる画面、軽快なコマーシャルソングの与える刺激のとりこになっているのだ。妹は小さいときから、点滅する光や繰り返される音へのこだわりが強く、光ったり音の出るものを与えると、いつまでも飽くことなく戯れていた。規則的に繰り返す刺激が好きらしい。
日に何度も同じ内容が流されるテレビコマーシャルは、そんな妹にとってうってつけの娯楽で、テレビ番組そのものよりもずっとお気に入りだ。目を見開き、口を薄く開け、食い入るように画面を見つめている。
「あろえ」
三度呼んで、なお妹は振り向かない。耳には聞こえてはいるはずだ。好きな音、あるいは嫌いな音が、たとえ傍にいる私が気が付かないような小さな音で鳴ったとしても、妹は即座に反応する。耳は悪くないんだ。きっとこの呼びかけだって聞こえてはいるけれど、言い方が悪くて伝わらないんだろう。だから、
「あろえ、こっちを向いて」
と具体的に指示をすれば、妹は振り返ってくれる。と思うけれど、もしかしたらそれでも駄目かもしれない。彼女に意思を伝達させるのは難しい。妹にはコミュニケーションのための能力がほんの僅かしかない。
人は普通、こんなふうにただ名前を呼ばれただけでも、その声の抑揚、言われたときの場面から、そのとき自分が望まれていることをなんとなく想像出来る。もっと小さな子供だって、いたずらをしているときに強い口調でその名前を呼べば、それだけで自分が咎められていることを理解するだろう。だけれど、妹にはそれがない。反応をしないからといって、逆らおうという意図があるわけでもない。本当に、ただわからないだけなのだ。
そして、私の方からしても、妹の気持ちを察することは難しい。目を離すと部屋のなかをぐちゃぐちゃにしてしまったり、意味の通らない言葉を繰り返していたりする。彼女には彼女なりの理屈があるのだろうけれど、私にはその心の論理が理解出来ない。体系が違うのだ。まるで宇宙人の子供みたいだ、と誰かが漏らしていた。
これが妹が人と生きていく上での大きな困難になっている。医者では自閉症と診断されている。この障碍は今のところ本当の意味で完治する方法は見つかっていないのだそうだ。
「それは足を失ってしまった人に、二度と自分の足が生えることがないのと似ています」
診療室で医者は言った。根本的に困難自体をなくすことは出来ないが、車椅子や義足、そして本人や周囲の努力が彼らの生活を改善してゆくように、自閉性障碍者の困難もそのための技術や知識で解決できるものがある。
ただ、障碍は目に見えないものだから、どこまで出来るのか、どうすればいいのか、努力と勉強を積み重ねて手探りで戦ってゆくしかない。
ff8はローソンで予約した。発売日前夜はワクワクしすぎてよく寝れなかった。目覚まし時計を6時にセット。
翌朝、むりやり起きて父さんの車に乗りこんだ。ff8を受け取って、まだ暖まりきらない車内で説明書を読む。
帰宅したら大急ぎでプレステのもとへ。母さんにも見せたくて、リビングの大きなブラウン管テレビにセッティング。オープニングムービーが流れると、ゲームに興味がない母さんも「綺麗だね」と驚いた。
両親が離婚してしばらく経つけど、ゲームの発売日って記憶に鮮明に残ってるもんだ。そういや、ff7のときは父さんにセーブデータを上書きされて号泣。ff8のときはぼくが上書きしちゃってしらばっくれたなあ。よきおもひでだ。
利用しているリコー IPSio PJ X2130Bのランプ使用時間が交換目安時期を超えたため
届いたランプを手順にそって交換しようとしたところ、
まず旧ランプが引っこ抜けない。
何度揺らしたり相当力強く上に引いても抜けなかったが、斜めに引いたところ部品が破損する音とともに抜けた。
コネクタを固定するためと思われる部品(プラスチック)にツメがあり、それが引っかかって折れた様子。
内部損傷はなさそうだったため、そのまま新ランプを入れた。スムーズに入る。
電源を投入したところ、画面に等間隔の縦線(黒色)がはいる。
新ランプのせいかとはずしてもう一度電源をいれてみるものの、縦線は変わらず。
このあたりから焦りだして、ネットを検索するも、縦線は故障だとか叩いてなおせなど、ブラウン管時代を彷彿とさせるコメントしか見つからない。
とりあえず揺らしてみるとカラカラと音がしたので、新ランプを外し、ひっくり返して揺らしてみると、劣化した結束バンドの欠片が出てくる。先程壊れた部品とは違うものが出てきて困惑する。
新ランプを戻し、電源を入れた状態で揺らしたり叩いてみると、縦線の間隔が狭くなったり、横線になったりする現象が現れる。
このあたりですでにあきらめはじめたり、他ごとをしだしたりで1時間ほど経過。
リコーのサイトを見ていると土曜にも電話でのカスタマーサービスが行われているようだったので、とりあえず電話してみるかとあきらめながら、叩いたり揺らしたり褒めたりしていたところ、急に線がぶれはじめ、正常な画面に戻った。
ブラウン管モニタ時代に培った、適度な角度と適度な衝撃の与え方、また機械も褒めたら頑張ってくれるという胡散臭いあれが、このご時世にも通用して驚いたので新品のランプから独特の香りがする中で記録する。
僕は、お面や仮面を被って顔を隠した女性が大好きだ。彼女達を見ていると性的興奮を覚える。
きっかけは幼稚園の頃に牛の被り物を被って踊っている女性のCMを見た時なのか、
片思いをしていた女の子がふざけてお面を被りながら僕に話しかけてきた時なのかどちらかはわからない。
多分どちらかだと思う。
お面(以下、マスクと書く)の種類にも拘りがあって、目や口だけなど一部を隠すものではなく、
顔全体か頭全体をすっぽり覆うものが好きだ(具体的に言うと狐面とかパーティーグッズにあるアニマルマスクなどがツボ)。
頭全体を覆った際に地毛がはみ出ているとなお興奮する。
あとプリキュアとかセーラームーンのショーに使われているような、いわゆる「アニメ風マスク」も好きだ。
あのマスクの中で女性がどんな表情をしているのか考えるとすごくムラムラする。
こんな性癖だから、家にインターネットがなかった頃は飢えて飢えて大変だった。
女性がマスクを被っているCMをVHSにひたすら録画しまくったり、雑誌のグラビアアイドルの頭や顔を修正液で塗り潰して自分好みに書き替えたり、
まだテレビがブラウン管だった頃は好みの女性タレントがバラエティーに出ているのを録画し、
首から上が見切れた瞬間(トーク番組で、他のタレントが話している後ろに画面の上の方で座っているタレントの首から下が写っている所をイメージしてほしい)で一時停止させ、
頭の部分に物を置いてあたかもマスクを被っているようにして興奮していたこともある(異形頭みたいな感じ)。
説明が難しいがこれで伝わっただろうか?
今ではネットでこんな性癖にも対応したAVや動画がそこそこ見つかる。
動画配信してる女性には顔バレを防ぐためにマスクを被る人もたまにいる。いいぞもっとやれ。
自分の性癖が他人とはどこか違うことは子供の頃からなんとなくわかっていたので、家族にも友人にも相談できなかった。
彼女が欲しいとも思ったが、それは「彼女になってくれたら僕の性癖を受け入れてエッチなことをしてくれるだろうから」
というなんともクソみたいな理由で相手に申し訳ないと思っていたし、
もし彼女にこの性癖を暴露して「キモい」と言われたら二度と立ち直れない気がしたので、異性に対してはずっと消極的だった。
というかそもそもオナニーで満足していたので、まぁ別にセックスしなくても平気だと思っていた。
だが社会人になってしばらくして、自分が本当にやりたいことって何だろう?と考えるようになり、
紙とペンを持ってやりたいことをひたすら書き出してみた。
その結果、一番やりたかったことは「マスクを被った女性とセックスをすること」だった。
そうだ。
僕はセックスがしたい。
オナニーではなく、
そうして自分の欲望と向き合った僕は、夢を叶えるために少しずつ行動するようになる。
真性包茎だったので、とりあえず手術した。1ヶ月間性行動は禁止されたが、術後のケアが大変だったのでそれどころではなかった。
あと今まで床オナだったんだけど、もうそれも出来なくなったから新しいオナニーを覚えるのに時間がかかった。
で、その後何をしているかというと。
何もしていない。
相手を見つけなければならないのはわかるのだがどうやって探せばいい?
出会い系も色々調べているが、結局どれを使えばいいかわからないし、恋人作りなんて彼女いない歴=年齢の僕がそう簡単に作れるわけない。
何よりめちゃくちゃ時間かかるし、エッチできなかったらその時間と金が無駄になるし。
クソみたいなこと言って申し訳ないけど。
そう考えると風俗が一番現実的なんだけど、マスク被ってくださいって言ったら被ってくれるのだろうか?
被るほうは苦しいだろうし、その場で無理言って被ってもらってセックスしたとして後々店に苦情を入れられて怖いお兄さんとか出てきたら嫌だし。
もういっそお面をつけた女性がサービスしてくれる店できたらいいのに。毎週通うのに。
挿入しなくてもいいから。
ちなみに単純にセックスしたいだけな気がしてピンサロ行ってみたけど全くダメだった。
嬢の見た目とかテクニックとかの問題ではなくて、マスク被ってないからダメだったと断言できる。
夢に向かって進みたいけど、どうしたらいいかわからない。だって誰にも相談できないんだから。誰にも言ったことないんだから。
だからとりあえずここで、自分の性癖について思いきりぶちまけてみた。誰かに聞いてほしかった。読みづらい部分もあったと思うけどごめんなさい。
昔は絵を描く趣味はイラストか漫画が普通だったが、俺はドット絵や16色CGを描いていた。昔のパソコンはファミコン以下の絵しか描けなかった。使える色も少ないし制限も多い。しかしその制限の中で絵を描くのが面白かった。制限がその機種の個性にもなっていた。使える色は多いけど解像度の低い機種、解像度は高いけど16色をやりくりする都合でセピア風っぽくなりがちな機種、CG性能は良いけどFDDでは役不足な機種、簡易アニメが作りやすい機種などなど。FDDが普及してCGが保存しやすくなり、高級品だったマウスも安売りで買った。
イラストや漫画ではなくドット絵やCGを好んだのは、何度でもやり直しが出来る事と、画材の出費が無いからだ。当時のCGソフトのアンドゥ機能は1回しか後戻りできないものが多かったが、そもそも解像度の低いCGなので時間さえかければ幾らでも描き直せた。実は紙のイラストも練習してカラーインクなどを買ったりもしたが、失敗すれば紙1枚が無駄になる事が大きなプレッシャーに感じた。ホワイトなどで修正するほど仕上がりは汚くなっていく。CGならばやり直せるしゴミも出ない。
就職先もゲーム会社を選んだが技量もなく不採用で、しかしCGをやめるという発想はなく、同人CG集を買うようになり、俺も同人でドット絵やCGを描くようになっていった。
…ここまでインターネットのイの字も無かった頃の話。
90年代の中ごろには「草の根BBS」というものも増えて、電話代を気にしながら上手い絵師のCGをダウンロードした。
恥ずかしながら俺も幾つのサークルさんにお声をかけて頂き、ドット絵やCGや素材を作った。
90年代の同人事情というと、絵柄には個性があって当然という時代だった。絵を見れば作者がわかる。芸風とも言えるほどだ。デッサンの歪みなどはさほど神経質ではなかった大らかな時代で、初心者がしばしば眉毛を描き忘れたアニメ絵を描いているのも微笑ましかった。当時の同人でのアニメ絵は趣味性と個性を主張するアイコンだったように思う。
当時の同人での絵師はまだCGより紙に描くほうが普通で、マウスをカチカチ鳴らして絵を描く人は案外と少なかったようにも思う。上手い人はとんでもなく上手くて真似できないレベルだったのと、俺より下手な絵師も多かったので、俺は落ち込む事もなくCGを続ける事が出来た。
90年代半ば、Windowsが話題となりインターネットも流行し始めた。この頃ようやく現在のCGイラストの元となる環境が世の中に広まったわけだ。解像度の制限が(殆ど)無いフルカラー(最低でも256色)のCGイラストが描ける環境が整った黎明期だった。FDDには圧縮しても10枚程度しか保存できなかった事もHDDが当たり前になった事で解消された。
当時ようやくスキャナが一般的になり始めた頃でもあったが、まだまだ高級品で、アナログ画材の出費も惜しんでいた俺には手が出なかった。ハンディスキャナを買ったが歪んで使い物にならなかった。
この頃からCGイラストを描く事の楽しさが薄れ、苦労が付きまとうようになった。
そもそもWindowsが動くPCが高級品だった。専用ソフトも高いし、フリーソフトは殆どなかった。CGソフトもイラスト専用のものは少なく機能も貧弱だった。
俺の個人的な事情では同人での活動が次々とトラブルに見舞われる事が続いた。参加したゲーム制作の中止が複数重なったり、同人ゴロの被害にあったりした。
しかし一番の苦労のひとつは、理解され難い事だったのかもしれない。
PCで絵を描いてもPCが無ければ見れない。親からは1日中パソコンに向かっているうようにしか見えない。世間ではしばしばアニメやオタク趣味が悪者として魔女狩りが繰り返され、時代もアニメ絵ではなくポリゴン絵に移り変わっていった。…自分以外の何かを言い訳にしたい気持ちも大きいが、理解されない事をする苦痛が結構大きい事も事実だ。
16色とかの制限の多い時代には才能の乏しさはあまり目立たなかった。描ける絵には限界があり、その最適解を探し出す事がドット絵だった。カラーパレットをどのように振り分けるか、どの色をタイリングで済ませて色数を増やすか、1ドット未満の線をジャギー消しの手法で描き、ブラウン管の光度差で滲ませる、才能ではなく技術でどうにかできた。しかし色数がフルカラーになった事で俺は途方に暮れた。CGは技術ではなく才能こそが全ての世界になった。インターネットがどんどん一般的になって、上手い絵師だけが評価される世界になった。…それが当たり前だという事を認めるのに何年もかかった。
00年代になると、90年代に人気だった絵師の多くが姿を消した。フルカラーで90年代の彩度の高いイラストは古臭いものとなりつつあったし、個性もさほど求められなくなったからだろうと思っている。90年代に人気だったプロのイラストレーターの苦労も時々目にするので、90年代に人気だった同人絵師が姿を消したのも必然なのだろう。
00年代の俺は才能の無さは自覚していたので、当時流行していた3D-CGを始めた。当時の宣伝文句は概ね「絵の描けない人でも出来る!」だ。貯金を切り崩して六角大王や海外製3Dソフトを買い相当練習したが、結果は失敗だった。数年我慢してMMDを学べばよかった。俺は才能だけでなく時代を読む目もなかった。
2010年代、ドット絵の需要も懐古趣味しか無くなり、CGイラストは毎日毎日物凄く上手い人が出現し、俺はCG-TIPSを検索しては真似をしてなんとか時代に取り残されないよう苦労し続けた。しかしCG-TIPSを学んでいて気付いたのは、CGの塗り方の流行は結構短いスパンで変わってしまうという事だった。俺がなんとか使いこなせるようにあった頃には他の誰もがもっと上手く使いこなしていて、なんとか追いつこうとしているうちに次の流行に変わっている。CGがネット上に溢れかえっているから、目新しいものが求められ、俺のような才能の無い微妙な絵はネットノイズでしかなかった。
最近では長年CGを見続けてきた俺には誰が描いたのかまったく判別できない絵が増えてきてゾッとしている。とてつもなく上手いけど他の上手い人の絵と見分けがつかない絵。これはテレビアニメの多くがそういった傾向なので誰のせいでもない事だが、。
そして物凄く薄く繊細な塗り。フルカラーなのに明度差が微妙にしか違わない繊細なグラデーションは16色のカラーパレットでCGを覚えた俺には到底無理だ。こんな絵を目指さなければ人目を惹かないのかと思うと心が折れそうになる。しかし他人のCGからスポイトでカラーパレット拝借なんて出来ない。絵の才能だけでなく色彩センスもない俺自身が恨めしい。
上手い絵師には嫉妬心もわかず、ただ自分の才能の無さを思い知らされるばかりだ。
本当に絵の上手い人の特徴はとにかく早い事だろう。イメージを迷うことなく描画する才能がある人ほど上手い。
俺はイメージが貧相だしラフを描いている時も悩んで時間がかかる。出来上がるのはピンボケの絵にしかならない。
俺にとってCGは既に同人ではなく個人的趣味でしかなく、楽しいという気持ちも無い。苦労であり苦痛でしかない。しかしいまさらやめるわけにはいかない。色々な事を犠牲にしてきたのに、やめたら本当に何も残らなくなってしまう。同世代の人はみんな趣味はほどほどに、結婚したり出世してしっかりした人生を歩んでいる。いまさらCGやめたって人生で得られなかったものが手に入るわけでもない。歳を取って健康も不安が付きまとうようになってきた。いつ死んでもおかしくないが、死ぬ前に下手糞な絵の制作データは消去したい。
最近は愚直にデッサンの練習をしているが、デッサンに固執すると絵の魅力が薄れる感じもあって苦労している。正直に言うともう絵を描く事が好きではない。そんな底辺中年絵師の俺が誰に向けて描けばいいのか。ネットには上手い絵が溢れすぎていて需要なんてない。上には上がいる世界では下の物は叩かれるだけの存在だ。自分の為に描こうにも、俺が見たい絵さえググれば出てくる時代だ。
じゃあやめろよと言われるだろう。やめたら俺どうすればいい? 他には何もないんだ。
https://twitter.com/shinkai35/status/945771033696509952 へのリプライです。書くところが無いので、ここに書きます。この話は全てフィクションで、実在の人物や組織には一切関係ありません。
その日、文筆家しんかいはPCから出るピピピ・・・と言う異音で目を覚ました。翌日が休日である事に安心しきって、ついついツイッターでリツイートされてきたポストモダニストの著作がいかにおかしい話であるかを語っていたはずなのだが、顔にキーボードの模様をつける結果となっている。実感は沸かないが寄る年瀬には勝てない。相対主義が何を主張しようが、ヒトにはその限界がある。そんな事を思いながら、テレビのスイッチを入れようとしたとき、しんかいは異変に気づいた。
部屋に置いてあるそれは、平面的で画面が大きな液晶テレビではなく、画面は小さいが奥行きのある立方体、昔懐かしいブラウン管のもので、ダイアル式のスイッチでチャンネルを選択するそれだ。電源のオン/オフに金属のトグルスイッチがついており、もしかしたら産まれてから実際に目にしたテレビの中でもっとも古いものかも知れない。背面から出て壁につながっているテレビ線のコードは同軸ケーブルではなく、平たいプラスチックの両端に二本の細い線があるものだ。もう平成も終わろうとしているのに昭和過ぎる。が、昭和であってもテレビの裏の埃は変わらない。くしゃみが出てきた。
パチンと電源を入れる。ヴォンと音を立てた後、数秒の間を置いて粗い絵が映し出された。4Kや8Kのテレビの宣伝をみるたびに、もう走査線の本数を向上させてもと思うが、いやおう無しにでもその重要性を認識せざるを得ない絵だ。北朝鮮のテレビよりひどい。2017年12月27日、朝7時のニュースが始まった。アナウンサーの「おはようございます」は、普段通りの番組だが、他は普段通りとは言い難いものであった。見慣れたコンピュータ・グラフィックスの今日の見出しが、アナウンサーの横の黒板に置き換えられている。ボードですらない。何より、国家放送第一と言っている。
しんかいはチャンネルを回してみた。チャンネルはかくんと90度づつ回転し、四つしかチャンネルが無いことがわかる。ぐるっと一回転させる。四つあるチャンネルのうち、一つは白黒の画素が激しく入れ替わるノイズが流れていたが、三つは使われていた。国家放送第二、国家放送第三、ノイズ、最初の国家放送第一。どうやら、国家放送しかないようだ。第二はこの時間帯なのに正しい文学について解説し、第三は老人が正しい体操を実践している。しんかいは、この時点でテレビの登場人物全員が、カーキ色の上着を着ており、一列に並んだ大きめのボタンをきっちり留めていることに気づいた。
チャンネルを国家放送第一に戻す。国民服のようなものを着たアナウンサーが読み上げるのは交通事故や気象情報と言うところは、公共放送のニュース番組と同じだ。しかし、一つ一つについて解説を丁寧に与えていく。しばらく唖然としながら番組を見つめ、思わず「何だ?」とツイートした。ニュースに解説があるだけであったら、驚かなかったかも知れない。しかし、先々月の災害の被災者の感情を、微分可能多様体と言う単語を持ち出して説明しようとしている。そう、ポストモダンだ。ポストモダンについては日本有数の知識を有すると自認しているが、寒気についてのポストモダン的解釈は初めて聞く。
はっきり認識はできているが、全く理解ができない状況。自らの視覚や聴覚を信じることができない。思わず、「テレビがポストモダンになっている」となっているとツイッターに書き込む。「え、愛知だけでは?」「柄谷行人が死んだりでもした?」「ポストモダンに“なる”はおかしいだろう」とリプライが返って来る。誰もこのポモな国家放送を観てはいないようだ。ブラウザーでポータルサイトのニュースを見ても、特段、テレビ放送に関するものはない。ツイッターやフェイスブックの検索でも、しんかいと同じものを見ている人はいないようだ。
このブラウン管のテレビだけが、ポモな国家放送を流しているのであろうか。アンテナ線は壁につながっているが、これはモックなのであろうか。手の込んだ悪戯としか考えられない状況ではあるのだが、手の込みすぎたところが気になった。目の疲れを感じる。気づくと一時間は国家放送を観ているのだが、同じ内容が繰り返し放送されているわけではない。チャンネルは三つ。ブラウン管のテレビも昭和風ではあるが、チャンネルのスイッチは特製だ。粗雑な出来とは言え、かなりの労力だ。現実とも夢とも断言できない。
しんかいは電器店にいって、他のテレビを観ることに決めた。冷静に考えればテレビを摩り替えられたとしか思えないわけで、窃盗で警察に届出を行なうべきだが、この国家放送が持つリアリティがそれを躊躇わせた。無理な体勢で寝てしまったので二度寝の誘惑もあるが、“ブラウン”管からの一つの連想が心をざわめかしていた。ブラウン管の発明者はフェルディナントだが、ポストモダン思想の批判者にも有名なブラウン、ジェームズ・ロバート・ブラウンがいる。
著作「なぜ科学を語ってすれ違うのか」でブラウンは、国家などの社会的構築物が必然ではなく、人々の考えの偶発的な結果によるものと考えると、社会が人々の考えを統制しだしてファシスト国家に陥る危険性を指摘していた。また、ポストモダンの科学的方法への懐疑は、科学の進展を阻害し、技術的進歩を阻害する事になる。つまり、ブラウン管に映し出される世界は徹頭徹尾、ポストモダンに支配された世界と言える。
ポモの危険性を指摘してきたしんかいにとっては悪夢としか言いようが無いのだが、しんかいは心踊っている自分を自覚していた。日常からにじみ出る不穏な世界の兆候。アニメでは親しんだ別世界がそこにある。「けものフレンズ」は好物だ。このときしんかいは、柄谷行人の『日本近代文学の起源』の結核の話をすっかり忘却していた。ポストモダン思想に支配された世界であれば、繁華街の電器店がいかに危険な場所であるかは、最もしんかいが理解しているはずであるのにである。
テレビに見入っていたので気づかなかったが、家を出る前に、アパートの部屋が狭くなっている事に気づいた。振り返れば玄関が見える狭さなので迷子にはならないが、間取りも見覚えが無い。六畳一間と台所、バス・トイレ付きではあるが、便器は和式である。昨夜、帰宅する家を間違えたのであろうか。しんかいは映画「パトレイバー the Movie」の帆場のアパートでしか、似たような物件を見たことが無い。
机の上のPCの下には、書きかけの原稿用紙が散らばっていた。題は「科学のためのポストモダン思想からの脱却」とある。見覚えのある字ではあるが、自分のものを含めて久しく手書きの文字を読んでいないので、誰のものかは思い出せない。大判の封筒も置いてある。宛名は、自分であった。送り主は「鈴木幸子」とある。中はゲラ刷りで、赤が入っていた。出先で原稿を読もうと封筒を手に取る。
ポストが大きい金属製の重い扉をあけると、アパートの外側の廊下に出た。二階だ。表札は確かに自分の名前が書かれている。鍵がないので施錠できないがやむを得ない。ところでここは一体どこなのか。スマートホンを出して地図アプリで位置検索をかける。すぐに「こんな所でスマホが使えるわけが・・・」と思うが、現在位置はあっさり示された。GPSの電波は届いている。インターネットも使えた。自分の場所が異世界なのか、そうでないのか、明らかになってきた状況を元にしても判断が出来ない。
かなりの資力が必要になるが、古いアパートの部屋に自分を押し込む事は可能だ。しかし、衛星測位システムの電波までは防ぐ事ができなかったのであろう。聖戦士ダンバイン以来、主人公が異世界に飛ばされる娯楽作品に親しんできたしんかいは、密かに期待した状況が否定されて落胆する。まだ十分な確信が持てないが、これは壮大な仕掛けの悪戯だ。街の中心部に向かえばはっきりするであろう。しんかいは、金属の音を響かせながら階段を降りていった。
5分後、しんかいは自分が異世界にいる事を確信した。悪戯とすれば、神の仕業であろう。スマホの地図アプリの位置情報は機能していたが、道路の舗装が汚く、空気が汚れていて、高いビルが無いので空が見上げやすい。そして、旅行先でしか見たことが無い路面電車が走っていた。しんかいの知る名古屋市には市電が無い。しかし、ベージュと赤と緑のカラーリングの路面電車が走っている。地図アプリの位置情報は、間違いなく名古屋だ。
道を歩く人々の服装は、男性は国家放送局のアナウンサーが着ていた国民服、女性はもんぺ姿である。しんかいは人々が自分を凝視するのが気になって仕方が無かった。しんかいの格好はPコートにチノパンである。この世界では明らかに浮いている。この恥ずかしさをツイートして紛らわせたい衝動に駆られたが、文章だけでは何を書いても気がおかしくなったと思われるであろう。国民服ともんぺ女性と市電が映った写真を撮って、「ここはどこ?」とつけてアップロードをした。「戦時中の名古屋市」とリプライがつく。
戦時中なのであろうか。朝のニュースではそのような事は一切言っていなかったし、テレビは戦後で、カラー化は高度成長期の最中だ。昭和40年代ぐらいが相場に思える。状況を把握するために、一日中テレビを観ていた方が良かったかも知れない。古くて小さな家電店が目に付く。中に入ると、期待通りテレビが置いてあり、放送を見ることが出来た。店主は商売っ気の無い老人で、都合が良いことに客に関心がないようであった。テレビの出演者は全員、国民服ともんぺであり、ドラマですらそうであった。アパートの部屋のテレビだけがおかしいと言うのは否定された。
しばらくテレビに見入っていたが、空腹を感じてきた。何かを食べたいと思うが、この世界で食事をとる方法が思いつかない。飲食店はあるようだが、市電で使われている硬貨は見かけないものだった。この世界で使える金を持ち合わせていない。このままでは行き倒れ、帰宅をしても孤独死になってしまう。途方に暮れたところで、家電店に若い痩せた男が入ってきた。肌が白い。「単一の電池を・・・」と言ったところで、ゴホゴホと口を押さえて倒れこむ。指の隙間から見える、鮮血。小説の中でしか知らないが、即座に結核と言う単語が思いつく。店主は男の様子を気にせず、「ろうがいかい。向かいの店のホメオパシーが効くよ」と電池を出してくる。これは、不味い。
しんかいは、危機を感じて慌てて電器店の外に出た。ドンと人とぶつかる。「ごらぁ、前を見て歩け!」と旭日章のついた帽子をかぶってサーベルをつけたおっさん、明らかに警官に怒鳴られる。反射的に「すいません」と謝るが、警官はしんかいを上から下まで舐めるように見ると、「おまいさん、なんちゅー格好をしている。ちょっと署まで来い。三日はぶち込んでやる」と言い出した。その瞬間、中で物が落ちて割れる音がした。「お客さん、ちょっと、しっかり」と言う店主の声がする。警官はそちらが気になったのか、店の中に入った。
しんかいは、その隙を見逃さず走り出した。一瞬「逮捕されれば食事は出るかも知れない」とも思ったが、この体制国家的な異世界では逮捕されれば拷問を受ける可能性もある。どこにも行く宛てが無いと言うわけでもない。持って来た封筒の裏側には、住所が書いてあった。何者かは分からないが、「鈴木幸子」を頼る事にしよう。少なくとも、この世界のしんかいを知っている人物である事は確かだ。
「やだい!手術なんか受けないんだい!」
独特の消毒臭に混じって大きな金切り声が白い廊下に響いた。ここが病院であることを忘れるほどの元気な声、わたしは深くため息をついた。8歳になる我が息子は生まれつきの難病を抱えている。治療法もなく、担当医曰く10歳まで生きられれば奇跡らしい。それ以上延命できた例がないそうだ。助かる助からない以前の問題だ。
「病気なんだから治さないとダメよ、お外で遊べなくなるんだから」
手術をしてもいくばくかの延命にしかならない。儚い命をいくらか繋ぎ止めるだけの手術。それだけのために息子の体にメスを入れ痛みを与えることになる。本心ではそんなことしないで欲しい、そう思ったが少しでも長生きして欲しいという思いもあった。
少しでもこの子の笑顔を見ていたい。元気に叫ぶ姿を見ていたい。できることなら外を走り回る姿だって見たい、そう思った。もう、手術をしてもらうことしか選択肢はなかった。しかし、息子にとって手術は恐ろしいものらしく、頑としてこれを受け入れなかった。
「僕ね、病気じゃないよ。元気だよ。お外でも遊べるよ」
屈託のない笑顔でそう言う息子は元気そのもので、本当に病気じゃないかもしれない、そう思えるほどだった。けれども病魔は着実に息子の体を蝕んでいる。そう思えば思うほど涙を堪えることしかできなかった。それしかできない自分を心の底から情けないと思った。
この笑顔をいつまで見ることができるのだろうか。
苦痛に歪み、そのまま消えてしまうであろうこの笑顔、私には守ることのできないこの笑顔、正直言って私は迷っていた。このまま何もせず、ただ息子の笑顔が消えていくのをジッと待つべきか、それとも成功率が低く、成功したとしても気休め程度の延命にしかならない手術を、そんな無意味ともいえる手術を息子に受けさせるべきなのか。どちらが親として正しい選択なのか……。いくら考えても答えが出なかった。
「やあやあ、俊夫君、体調はどうかな?」
主治医が看護師を伴い、満面の笑みで病室に入ってきた。息子の余命が幾許もないこと、手術は困難を極めること、成功しても気休め程度にしかならないこと、それらを私に告げた時の深刻な表情がまるで幻であったかのような快活な笑顔だった。
「どうかな? 俊夫君。手術を受ける気になったかな?」
医師は俊夫の顔を覗き込んだ。すぐに俊夫が顔をそむける。
「手術なんて受けないよ! だって怖いもん。痛いのだって嫌だよ。手術を受けても受けなくても僕、死んじゃうんでしょ、知ってるよ。それなら受けない方がいい」
なんてことだろう。息子は自分の命が残り少ないことも、成功率が低いことも全て知っていた。もう先が長くないことを知りつつも、私たちを悲しませないよう精一杯の笑顔で振舞っていたのだ。息子の前では泣かないと決めていたのに大粒の涙が零れ落ちた。
辛いのは私たち夫婦だけじゃなかった。息子だってそれ以上に辛かったのだ。こんないい子を死なせてはいけない。こんないい子を失いたくない。もうどしたらいいのか分からなくなっていた。
病室に静寂が訪れた。その空気を破るかのように医師が切り出す。
「今日はね、俊夫君に会わせたい人がいるんだ。俊夫君も良く知ってる人だよ」
ドアを開けると廊下の窓から漏れる西日が病室に入り込んできた。その眩い光を遮るかのように大きな人影が躍り出る。
「やあ、俊夫君、元気かな」
大柄の男性はそう言った。逆光で姿が見えなくとも優しい表情をしているであろう柔らかな声だった。
眩しさに目を細めていた俊夫がまじまじと影を見る。次第に顔が見えたのか目を見開いて驚きだした。
そこには、息子が大ファンのプロオナニー選手、スペルマズの松井選手が立っていた。ブラウン管越しに見るのとは違い、体も大きく、なにより漂うプロオナニー選手独特のイカ臭い匂いが印象的な人だった。
「実は私、松井選手の後援会の会長をしてましてね、俊夫君が大ファンだということを伝えたら是非会ってみたいと言われたんですよ」
「すげーすげー! お母さん、松井選手だよ! サインもらおうよ!」
あまりの息子のはしゃぎっぷりに照れ笑いを浮かべた松井選手。息子が差し出したプロオナニーカードにも快くサインをしてくれた。サイン入りのカードを渡しながら松井選手が切り出す。ちゃんと俊夫の目線まで屈んで話してくれる姿が印象的だった。
「俊夫君、手術受けるのが怖いんだって?」
途端に俊夫の表情が曇る。
「違うのかな?」
俊夫が重い口を開く。
「うん、怖いよ……。だって体を切っちゃうんでしょ、それに成功しないって看護婦さんが言ってた。僕知ってるんだ。僕もうすぐ死んじゃうんだもん……」
「僕らプロオナニー選手はね、常に怪我との戦いなんだ。僕も俊夫君くらいの頃に酷使しすぎでペニスの靭帯が裂傷してね、アメリカの有名な先生に手術してもらった。あの時は怖かったなあ」
俊夫が頷く。
「今でも怖いよ。ペニスに爆弾を抱えてプレイしているようなものだから、オナニーボックスに立つたびに怖くなる。逃げ出したくなる。またあの痛みが再発するんじゃないかって」
「やっぱり……痛いのは怖いよ……」
「でもね、それは違うんだ。痛いのは確かに怖い、手術だって怖い。でも本当に怖いのは、恐怖のあまり挑戦することを放棄する、そんな逃げ腰な自分になってしまうのが怖いんだ」
「ああ、そうだ。挑戦することを忘れ、嫌なことから逃げ出してしまう。それは確かに楽かもしれない、怖くないかもしれない。けれども、そこから一歩も進めなくなってしまうんだ。動けなくなってしまうんだ。痛みや手術なんかより僕はそっちのほうがずっと怖いな。あの時逃げなかったから今の自分があるわけだしね」
「そんなの良く分からないよ。やっぱり僕、手術するの怖いもん。一人で死んじゃうの怖いもん」
今度は俊夫が首を横に振った。
最愛の息子に「一人で死ぬのが怖い」とまで言わしめた自分の無力さを呪った。悔しかった。また大粒の涙が流れ落ちた。それに気づいたのか気づかなかったのか、松井選手はこちらを一瞥した後、俊夫の両肩に手を置いてさらに続けた。
「じゃあこうしよう。今夜のナイターで僕がホームシャセイ打つことができたら俊夫君も手術を受ける。これでどうだい?」
松井選手はまっすぐ俊夫の瞳を見ていた。また俊夫は首を振った。
「無理だよ、松井選手は確かに2012年にシャセイ王のタイトルを取ったけど、最近じゃスタメンからも外れて、たまに代打で出てくる程度、今シーズンなんて一本も打ってないじゃないか。そんなの絶対に無理だよ」
「俊夫……! なんて失礼なことを!」
一歩前に出たわたしを松井選手は右手で制した。そして変わらず俊夫の瞳を見ながら続けた。
「無理だからこそ挑戦するんだ。僕の挑戦と君の挑戦、賭ける価値はあるんじゃないかな? それとも怖いかい?」
「……わかった。僕、松井選手が今夜ホームシャセイ打ったら手術を受けるよ、絶対受ける。約束するよ」
「男と男の約束だ」
「俊夫……」
あの子が手術を受ける気になってくれた。立ち止まらず、前に向かって歩く気になってくれた。
病室を出た松井選手を見送り、病院の玄関で深々と頭を下げた。すると、松井選手は車に乗りながらこう言った。
「お母さん、プロオナニーの世界では常に挑戦です。相手ピッチャーの放るエロネタがとても抜けないようなものでも必死で抜く、それでホームシャセイを狙うんです。俊夫君もそうだけど、お母さんにも挑戦する気概を忘れないで欲しい。大丈夫ですよ、今夜、僕は打ちますから」
私の心を見透かされたかのようだった。成功率の低い手術に怯え、息子の笑顔を失うのを怖がっていた。ずっとずっとその場に立ち止まり、ただ漠然と病魔が進行していくのを見ていた。それじゃあダメなんだ、挑戦しなきゃいけない、俊夫だけじゃない、私だって。もう迷いはなくなっていた。
走り去る松井選手のポルシェのテールランプを見つめながら、私は何度何度も深々と頭を下げた。
その夜、特別に病室でテレビを観る事を許された。看護師がやってきていそいそとテレビのセッティングを始めていた。いよいよ、松井選手の挑戦、息子の挑戦、そして私の挑戦が始まるのだ。
試合は1-0の投手戦だった。松井選手の所属するスペルマズは、今シーズン首位を独走するオナホールズの大型ルーキー投手に完璧に抑え込まれていた。オナホールズの犠牲シャセイで1点が入ったのみ、スペルマズは負けていた。もちろん、松井選手はスタメンから外れ、未だ出番がない。
「いやー、ちょっと今日は両投手状態が良いですね、白熱の投手戦の様相を呈してきました。これはちょっとホームシャセイ打てないんじゃないかな」
解説者が白熱の投手戦にご満悦といった調子で解説する。試合は9回裏、いよいよスペルマズ最後の攻撃となった。
そんな言葉も空しく2アウト、いよいよ最後のバッターがオナニーボックスに立った。もうダメだ、この投手なら抑えてしまうだろう、そして試合は終了、松井選手が出るまでもなくスペルマズは負けてしまう。
「あーっと、ボークですね、ボークです。山田投手、エロネタを投げる前にチラッと見せてしまいました。見た感じフォークのような、40代熟女のセミヌードですね、これは痛い、ボークです。打者は無条件に1塁まで進みます」
奇跡が起こった。好投を続けていた山田投手がボーク、同点のランナーが一塁へと出た。
「あー、ここで監督出ますね、どうやら代打のようです。代打ですね、今ゆっくりと主審にかけより代打を告げました、場内放送にご注目ください」
一斉に場内がどよめく。それと同時に病室でもどよめきが起こった。いつの間にか医師や看護師だけでなく、他の入院患者までテレビに駆け寄り松井選手と息子の挑戦を見守っていた。
「ここで松井とは驚きですね。左投手山田に対して左曲がりの松井が代打です。松井選手は今シーズンはまだホームシャセイはありません。これは思い切った起用ですね。さあ、一打出れば逆転サヨナラ、注目の打席です。」
松井選手はゆっくりとオナニーボックスに立つと、おもむろにズボンを脱ぎ始めた。そして血管を浮き立たせた逞しすぎる男根を誇らしげに素振りする。全盛期の松井選手独特のオナニースタイルだ。そそり立つ男根が相手投手を威嚇しているかのように思えた。
「ストライク! 今のはスライダーですかね、女子プロレスラーのヌードコラージュでしたね」
「今のはちょっと抜けないでしょう、厳しい球投げるなー」
ピンと張った糸が部屋中に縦横無尽に張り巡らされているかと思うほど緊迫した空気が病室に流れた。いつの間にか誰も声をあげなくなっていた。固唾を飲んで小さなブラウン管を見守っている。
松井選手の男根はまたも空しく虚空を切り裂いた。これでツーストライクだ。もう目を覆いたくなる気持ちだった。
「解説の権藤さん、またスライダーですね。二球続けて女子プロコラ、これには松井、全く手が出ません」
「決め球は何できますかね」
「恐らく得意のカーブ、それもYAWARAちゃんのコラージュあたりでしょう」
テレビを観ていた誰もが息を呑む瞬間。いよいよ最後の球が放たれる時が来た。目を逸らしてはいけない。そう思った。わたしが逃げてる場合じゃない。
ドピュ!
「抜いた抜いた! これは大きい! グングン伸びているーーー!」
松井選手の抜いた白濁液は大きく漆黒の空に飛んでいった。まるで星空と一体化したかのように白い液滴がフワリフワリと宙を舞った。
「ライトバック、必死にバック、それでも追いつかない。入ったー入ったー! ホームシャセーイ!」
「やはりYAWARAコラでしたね、それを見事に抜きました。あれはピッチャーを責められないですよ」
「渾身のYAWARAコラを抜き返した松井の白濁液! ライトスタンドに飛び込みました!」
「あーあ、最前列のスペルマズファンがドロドロになっちゃってるな」
「いま、松井はゆっくりとベースを回ります。たくましいですね、あれだけのホームシャセイの後にまだ勃起してますよ。そして今、ゆっくりとホームイン! サヨナラです、サヨナラ2ランシャセイです!」
ワッと病室でも歓声が上がった。医師も看護師も入院患者も、まるで自分のことのように手を取り合って喜んでいた。
「今日のヒーローインタビューは、見事な逆転サヨナラシャセイを打ちました松井選手です! どうでしたか、最後の1球はカーブだったようですが」
そんな質問はお構いなしに、松井選手はマイクを奪い、カメラに向かって呼びかけた。
「俊夫君、見たか! 約束は守ったぞ! 今度は君が約束を守る番だ!」
それをベッドの上で見ていた息子は、ふっと私のほうを見てこう言った。
「お母さん、僕、手術受けるよ、手術受けて病気を治して松井選手みたいなプロオナニー選手になるんだ!」
私はもう、涙で何も見えなかった。
「そうだね、頑張ろうね」
そう言うのが精一杯だった。
「よし、俊夫君も松井選手との約束を守ろう。そして完治したらオナニーの練習だな!」
医師がそう言うと息子はニッコリと笑って
「大丈夫、オナニーの練習ならいつもしてるよ! 看護師さんでいつも抜いてたんだから!」
ポークビッツのような男根を差し出し、必死でしごいて見せたのだった。その手つきは素人とは思えず、また病人とも思えないほど逞しくて頼もしいものだった。
「こいつは頼もしいや! ははははは!」
いつまでもいつまでも、息子が喘ぐ声と共に医師と看護師、そして私の笑い声が病室に響いていた。
―あれから10年、ブラウン管の向こうに我が息子の逞しい男根が映し出されている。そしてそのテレビの横には、あの日、松井選手にサインしてもらったプロオナニーカードに並んで、息子のプロオナニーカードが寄り添うように置かれている。
何故かっていうと、同じ部活に入っていた友人と、いつも冬場の電線に並んでコロコロしてる雀みたいにいちゃいちゃしていたからである。その姿が異常だとかいう事で、ある男子(仮にA男とする)が私に「レズ子」とあだ名をつけた。
けど友人の方はレズだという中傷はされず、攻撃されていたのはもっぱら私だった。友人はめちゃめちゃ腕っぷしが強くて男子でも殆どの子が敵わなかったから、弱い私だけが狙われていたのかもしれない。
しかし私は弱かったしA男はやたら執拗だったが、それでイジメを受ける事にはならなかった。
というのも私本人がレズ子と言われる事を気にしていなかったし、友人も「A男はしつけーな」位の感想しか懐いていなかったし、他の生徒達もだから何なんだって感じで、いくらA男が私を罵りまくり皆を煽動しようとしても、誰もノッて来なかったのだ。
別にイジメの全く無い清らかな環境ではなかったのだが、それはイジメのネタになる様なものではなかったらしい。
私が思うに、当時レズビアンやレズビアン的なもののイメージが良かったからなのではないかと思う。主に宝塚とセーラーウラヌス・ネプチューンのおかげで。
ま、そもそも女同士で冬の雀みたいに距離感ゼロで群れている光景なぞ、珍しくもなんともないのだ。
もしあの頃、保毛尾田保毛男みたいな、ヘンテコなレズビアンっぽいキャラクターが笑っていい者としてテレビに登場していたら、状況は違ったのかもしれないなぁ。
などという事を考えていてふと思ったのだけれども、保毛尾田保毛男って私も昔テレビで見てたが、あのキャラ本人は飄々として超然としており、どんな好奇や嘲りの目で見られていようがゴーイングマイウエイで生きている、一種の強かさのあるキャラクターなのだな。
強かだから、どこまで叩いたら折れるのかっていう好奇心でもって人々は保毛尾田に残酷な視線を向けていたのではないか。
しかし保毛尾田は柳に風とばかりに受け流す。
その姿は、あの頃執拗にA男から絡まれていた私にも通ずるものがある。
A男の私への攻撃は日増しに酷くなる一方だったが、最悪の事態にならなかったのは、幸運だったかもしれない。ブラウン管の向こう側の存在の保毛尾田は撲れないが、生身の私の事はやろうと思えばおもいっきりブッ飛ばす事が出来た筈だ。A男のなけなしの良心や自制心によって私は無傷でいられただけだ。
と、遠い昔の中学時代に思いを馳せたのは、保毛尾田復活騒動がきっかけではなくて、うちの娘の友人B子ちゃんのお母さんの一言のためなのだった。
B子ちゃんはうちの娘の事が熱烈に好きで、どれくらい好きなのかっていうと、ノー娘ノーライフ、それくらいに好きなのだとB子ちゃん本人談。
娘とB子ちゃんは、かつての私と親友の様に、電線の上で身を寄せる雀の様にコロコロといちゃついている。
そんな様子を見ながら、B子ちゃんのお母さんは言ったのである。
「あらぬ方向へ進まないといいんだけど」
そんな事が気になるのか。
別にいいじゃねーかあらぬ方だろうがなんだろうが。
しかし私の中学時代、いっくら私と親友がいちゃこらしていたって、同級生の多くは私達をあらぬ方向へ行っているなどとは言わなかったし、むしろ女子ってそんなもん、くらいの受け止めかたしかしていなかったのに、今は、「あらぬ方向」か。
単にB子ちゃんのお母さんが気にしすぎなだけかもしれないが。
なんだかなー。
ディスクシステムの発売は、カセットを買えない自分には夢のような話だった。
当時数千円が当たり前だったゲームカセットに比べて、500円あれば好きなゲームに書き換えができるというのだ。
しかし、残念ながらディスクシステム本体の価格がとてもじゃないが手の届くものではなかった。
目の前のカセットを取るか、それともカセット数本文を我慢してディスクシステムを買うか。
CMが流れる度に、ブラウン管の前で苦悩する日々が続いていた。
メロディ一つに対して何パターンかのキャッチコピーが入るのだが、そのうちの一つにいつも違和感があった。
それが、「ゆめがおくれる ディスクシステム」というコピーだ。
はじめに聞いたときは、ディスクシステムを手に入れたい一心だったために早く手に入らないと「夢が遅れる」と急かされているのだと思った。
しかし冷静に考えてみればそれは変だ。
当時のファミコンカセットはロムのメガ数の大きさを競う傾向にあった。
だから「2メガをくれる」などメガ数の話と聞き間違えているかもしれないとCMが流れる度に耳をそばだててみたが、そうではなかった。
結局その当時は、「夢ガ(ユメ+メガ)をくれる」という造語か、「夢顔くれる」くらいなのかなと思って解決したつもりになっていた。
それが、ここにきて突然フラッシュバックするかのように思い出された。
岩田氏の訃報やミニファミコン発売のニュースなどを聞いているうちに、自然とそのサウンドロゴを口ずさんでいたのだ。
今になって考えてみてもしっくりくる解釈が思いつかなかった。
そう思って「ゆめがおくれる」でも「夢がおくれる」でも検索を書けてみたがスッキリする答えは見つけることができなかった。
当時、子供たちもそのサウンドロゴを普通に口ずさんでいたが、誰ひとりとしてその意味を疑うものはいなかった。
これが日本語としてもCMのキャッチコピーとしてもおかしいと感じた人はいなかったのだろうか。
当時のことを覚えている人がいたらぜひ話を聞いてみたい。
謎が解けてすっきりしたいものだが。
電気釜は時刻を毎回セットしなければタイマーが使えないような状況だったが、
米を炊くことはできていた。でも、つい先日逝った。
次が、風呂釜、正確には給湯器なのだが、風呂が沸かせなくなった。
給湯はできたのでシャワーを浴びることはできたし、シャワーヘッドから水を溜めて、
追い焚きで風呂に入ることもできたけど、給湯器を交換せざるを得なくなった。
「取付に一週間以上は掛かるから、待ってろ」との事だった。
エアコンの買い替え、付いていない部屋への追加等で、施工業者は大忙しらしい。
もう既に1週間、早く復旧して欲しい。
風呂釜も、エアコンもあまりにも古いため、修理の検討は無駄だった。
がっくり来ているところへ、とどめのパンチと思しき事態が発生した。
ガスコンロが逝ってしまった。3口+グリルが有るので、何とか使えなくは無いのだが、
メインだったところが使えないので非常に不便。
以前のフラットブラウン管のテレビは短命だったな。4、5年位のもんだった。
風呂釜、エアコン、ガスコンロは19年。長寿だった。安らかに眠ってくれ。
ただ、俺はこの夏休み、どこにも行けないことが決定した。
あ、冬もどこもいけないんだった。ちっくしょー。