はてなキーワード: オルタナティヴとは
新アニメの開始で、ブギーポップ懐かしい!原作いまどうなってるの?ていうかまだ続いてるの?という人々も少なからずいると思われるので、シリーズを振り返りつつ現在の大まかな状況を説明する。
今のところ明確にブギーポップシリーズとして刊行されているのは以下の22作。
電子書籍ストアなどでは、作者本人が執筆しイラストレーターも共通しているスピンオフ『ビートのディシプリン』『ヴァルプルギスの後悔』各4巻もブギーポップシリーズとして扱われているが、ここでは除外する。
ブギーポップシリーズは、刊行順の並びで大雑把に三つに区切ることができる。
(12/26追記:この区切りは自分が個人的に勝手にそう思ってるだけの便宜的なものです)
第二期(01年〜13年)
10.ハートレスレッド〜18.さびまみれのバビロン
各時期の特徴を見ていこう。
一見ありふれた現代日本の日常の背後で、巨大な組織が絶えず暗躍し異能者が世界を変革するべく活動する、謀略論的世界観。
思春期の不安定な心と世界の危機がいっとき交差する、叙情的・詩的な青春小説としての側面。
五人の主人公の視点による五つの章で一つの事件を立体的に語る、という第一作の笑わないに代表される、トリッキーな構成。
ごく一部の準レギュラー的な存在を除いて、基本的に新規のキャラクターもしくは既存の脇役が主人公となって毎回半ば独立した物語が展開される、いわば全ての巻がお互いの「外伝」であるようなシリーズの組み立て。
緒方剛志の洗練されたイラストと、鎌部善彦によるシンプルかつ洒脱なブックデザイン。
少女達の間でささやかれる都市伝説であり、普通の女子高生の別人格?として現れ黒づくめの格好で口笛を吹きワイヤーを操る死神もしくは世界の敵の敵……という、その他の世界設定からは遊離しているとしか思えない謎の、しかしビジュアルデザインも含めて圧倒的に魅力的な存在、ブギーポップ。
ラノベの流行をTRPGベースの異世界ファンタジーから現代ものに塗り変えただとか、現在大人気のあの作家やこのゲームライターも影響を受けただとか、当時の存在感については既に色んなところで言われているので各自Wikipediaなどを参照のこと(大げさだったり紛らわしかったりする情報もあるので眉に唾をつけながら)
具体的なデータは分からないが、売り上げ的にも恐らくこの時期が絶頂だったのではないか。今回アニメ化の対象となるエピソードも、ほぼこの範囲からと見ていいだろう。
この時期で注目すべき巻、という話になると、一作目の笑わないはもちろんのこと、それ以外も全部と言うほかない。
王道のボーイミーツガールを軸に、前後編同時発売というボリュームで作品世界が大きく広がった、リターンズ1・2。
予知能力者の少年少女によるささやかなコミュニティがたどる儚い運命を描く、もしかしたら謎部活もの・残念系の先駆と言えるかもしれない?パンドラ。
閉ざされた高層建築というアクション映画を思わせる派手な舞台設定で、最終巻となる可能性もあったためか一旦シリーズを総括するような大団円が心地良い、歪曲王。
笑わないに近い連作短編構成で、シリーズの重要キャラクター「炎の魔女」とブギーポップの誕生を描く、ブギーポップ・オリジンとも言える、夜明け。
ジレンマを抱えた創作者の心をアイスクリームに託した、ペパーミントの魔術師。
屈指の人気キャラクターの登場巻であり、二人の男が巡り会い激突する、シリーズ中では比較的ストレートに「熱い」展開が見られる、エンブリオ二作。
以上の9巻はわずか二年の間に刊行されている。ほとんど月刊ペースで新刊を出すような恐るべき速筆ラノベ作家も存在する現在ではさほど目を引く数字でもないが、当時としては驚異的なスピードだった。それが一世を風靡する大人気シリーズであればなおさらだ。
次に述べる第二期では、複数の他シリーズと平行して執筆していたとはいえ一期と同じ巻数を出すまでに十年以上かかっていることと比べると、初期はどれだけ筆が乗っていたのかよく分かるだろう。
ちょうど一度目のアニメ化、実写映画化の時期を境にして、やや作風に変化が見られた。
能力の存在そのものは以前からさほど珍しいものではなかったが、それまでは物語の中の一つの要素でしかなかった戦闘に、武器として用いるのが半ば当たり前となった。
各巻の主人公格にはたいてい非能力者も一人は配されているし、エンブリオのような異能者対異能者の直接的な戦いがそんなに多いわけではないが、それでもいわゆる「能力バトルもの」という印象はかなり強まった。これを理由に作品から離れた読者も多い、らしい
細かい部分だが、能力に(多くの場合洋楽由来の)名前がはっきり設定されることが多くなったのもこのあたりからだ(言うまでもないがブギーポップはジョジョの影響を大いに受けている)
世界の敵、もしくは敵候補側の視点が薄くなり、一期のように主人公の一人として扱われることが少なくなった。これと同時に、世界の敵の動機に世直しというか率直に表現すると「人類補完計画」に類するものがほぼ見られなくなった。
異能バトル化の進行と併せて、表面的には「邪悪な敵役を主人公たちが討ち滅ぼす物語」という単純な構図にやや接近することになる。
多くの場合複数の視点で展開されること自体は変わらないが、各視点をそれぞれ一つの章(短編)にしたり、時間を大きく前後させたりというような凝った構成はあまり見られなくなった。
数少ないレギュラーキャラである霧間凪が、二期半ばの13作目のオルフェの方舟以降、ブギーポップ本編に登場しなくなる。恐らくは、凪が主人公のスピンオフ『ヴァルプルギスの後悔』との兼ね合いによるものだと思われる。この不在は、21作目のラビット・ランで再登場するまで長く続いた。
言葉にしにくい部分だが、一期においてはまだ、各巻が主に何を題材にしているのかが、なんとなくではあるが伝わるという印象だった。それが二期では、テーマ的により込み入った話が多くなり、分かりやすい共感や盛り上がりからは遠ざかった感がある。そのぶん作家性がより強まった、とも言えるが。
第二期の注目作としては、
霧間凪のライバル?的な存在が初登場する(以降の出番はほぼスピンオフ)、ハートレス・レッド。
設定上最大に近い「大物」の登場巻であり、以後、他シリーズも含めて作中世界に大きな影響を及ぼす出来事が語られる、ジンクスショップ。
暗い森の中を延々と歩き回る閉塞感と晦渋さのせいか読者の賛否が極端な、ある意味で二期らしさを象徴する作品といえる、ロスト・メビウス。
本当に大事なことは既に終わっているという、これまでもシリーズに見え隠れしてきたものの見方が改めてテーマとして大きく扱われ、青春とバトルのバランスの良さから?二期の中では読者の評価も高い、沈黙ピラミッド(沈ピラの愛称で親しまれている)
などがある。
現行の作品群。
近刊の最も目立つ特徴として、主に第一期作品で主人公格だったキャラたちが、再びメインを張っていることが挙げられる。
基本的には新規の登場人物もしくは既巻でのサブキャラが主人公となることが多かったものの、かつての主役がメイン級として再登板という展開自体は一期でも二期でも存在した。たとえば、歪曲王の新刻敬、ロスト・メビウスの織機綺、化け猫のフォルテッシモなど。しかし、デカダント・ブラック以降はそのようなキャラクター配置が今のところ全ての巻で一貫して見られる。
三期各巻で主人公格として再登場した既存キャラは以下の通り(カッコ内は過去の主演巻)
これらのキャラは初期作品の評価に比例して人気が高く、シリーズ上でも重要人物と見られているが、彼らが登場しているからといって、いわゆる「本筋」が大きく進展するだとか、シリーズを畳みにかかっているといった気配はあまりない。相変わらず核心の周囲をぐるぐると周るような展開が続いている。
また、こうしたキャラクター配置がテーマから導かれたものなのか、それともある種の商業上の要請によるもの(早い話がテコ入れ)なのかどうかも不明。
それ以外の傾向としては、概ね第二期のそれを継承した形になっている。ただ個人的に一つ気になる点として、新規キャラクターの「格」の低下ということがある。
あくまで作品から受ける印象だが、三期で初登場した新キャラ達には、作者の思い入れというものがあまり感じられない。戦闘能力の強弱などの問題ではなく、良くも悪くも人格的な面で個性が薄く、その内面に寄り添い掘り下げるような視点も弱くなっている。
特に、世界の敵もしくは世界の敵に至らない程度の「悪役」の造形はこの傾向が強い。あからさまに傲慢だったりするいけ好かない人間として登場して、実際にいけ好かない人格のまま説教されたり死んだりして退場する、というケースがほとんどを占めている。
また、主人公≒視点人物として再登場している一期のメインキャラ達はたいてい洞察力に優れ、過去の巻で既に何事かを成したいわばひとかどの人物であるため、彼らの視点で描かれる新キャラはいっそう底の浅さが浮き彫りになってしまうというキャラ格差の問題もある。
世界中の誰しもが、たとえ一見取るに足りない存在であっても世界の敵になり得る、というようなテーマの反映なのかとも思うが、それにしてもクソ雑魚ナメクジに過ぎるし、そういう「敵」ばかりではさすがに辟易してしまう。なにより、たとえばあのスプーキーEですら持っていた、人格の複雑さ・意外性というものがほとんど感じられないのは寂しい。
悪役なら悪役でいいので、せめて初登場時点では、恐ろしさや底の知れなさをもう少し演出してくれないものだろうか。あるいはいっそ、無理に毎回新規のキャラを多数登場させることを控えて、ほぼ既存キャラだけで話を回し始めてもいい頃合いではないかと思うのだが……ムーンライトに一度だけ登場したカレー屋など、もっと掘り下げてほしい旧キャラも既に十分以上に存在することだし。
自分の目から見たブギーポップシリーズのこれまでと現状は、こんな感じだ。
結果的に後半はほとんどネガキャンのような書き方になってしまったが、そういう意図は毛頭ない。むしろ、こんな風に不満を持ちながらもなんだかんだで楽しく追い続けている読者もいるぐらいには今も魅力的なシリーズなんだよ、ということが言いたかった。信じてほしい。
今回のアニメ化の影響で原作が売れたり読まれたりするとしても、そのほとんどはアニメ化の範囲であり新装版も出る第一期、それも前半に集中することだろう。だが、これを機会に未読の二期・三期作品にも手を伸ばしてくれる元読者がたとえ一人でも現れてくれるなら、非常に嬉しい。読んだら一緒に文句を言おう(文句言う前提)
別に怒っているわけじゃないけど洋楽を中心として音楽のジャンルが多すぎるぞああn?」っって思ったりするときがあるくない?
いや音楽はすきですよ?でも正直ジャンルについてはあまりわからない。例えばロックって言われたらバンドの感じだし、ヒップホップって聞くとズンズン!って重低音とかイメージするんだけどこれで合ってるんですか?
じゃあポップスってなんだよ?お前らちゃんと説明できるのか?あn・・・
僕ですか?はい説明できませんよ。色々ひっくるめた感じですかね?
まあこのへんまでは良いんですよ?EDMとかR&Bも実はよくわかっていないけど自分が好きだなって思う曲はこのあたりのジャンルに多いんですよ。
ただオルタナティヴなんとかとかポストなんとかとかハウスなんとかとかなってくると本当に和わからない。ハウスとかR&Bとか調味料的なあれですかとかつまんねーから。なめんてんじゃねえぞああnあnあn…
結局俺が言いたいのは音楽を評価するのは自身の心であってジャンルなんてどうでも良いんだなってこととAVのジャンルってはっきりしていてわかりやすいよな~ってこと。そしてこの2つの共通点は鑑賞後に気持ちよくなれるかどうかなんだよ。名作って呼ばれる曲にも作品にもそんな力があるんだよ。
アダルト業界ってどうなってるんだろうな?って考えるときがある。
俺にとってAVは夢と現実をつなぐ架け橋のようなものだった…でもこの橋は信じられないほどに不完全だった。
ブラウン管に映る美竹涼子に匂いは無かった。喘ぎ声はスピーカーから…画面が手垢だらけになるまで触って感じる温度はブラウン管の熱…
でもそれで良かったと思う。
いいか?俺にとって童貞を捨てたあの瞬間は穴埋め問題の答え合わせだったんだ。AVをどれだけ見ても解けなかった疑問のな。
そして夢がかなった瞬間だった…
疑問の穴を1つ1つ埋めていく…
こうなっているのか…
おお…
なんという…
すごい…
感動があったんだ。どうしてかわかるか?
不完全だったからなんだよ…
それが今、変わろうとしている
より事前体験がリアルに近づき人々の感動は相対的なものになるだろう。
そして実際に食べて思うんだ。
口コミほどじゃなかったな…
答えを知る前に答えを知る…
俺はそいつを殴るだろう
僕達が思っているよりチンギュラリティはそこまで来ているのかもしれない。
別に怒っているわけじゃないけど洋楽を中心として音楽のジャンルが多すぎるぞああn?」っって思ったりするときがあるくない?
いや音楽はすきですよ?でも正直ジャンルについてはあまりわからない。例えばロックって言われたらバンドの感じだし、ヒップホップって聞くとズンズン!って重低音とかイメージするんだけどこれで合ってるんですか?
じゃあポップスってなんだよ?お前らちゃんと説明できるのか?あn・・・
僕ですか?はい説明できませんよ。色々ひっくるめた感じですかね?
まあこのへんまでは良いんですよ?EDMとかR&Bも実はよくわかっていないけど自分が好きだなって思う曲はこのあたりのジャンルに多いんですよ。
ただオルタナティヴなんとかとかポストなんとかとかハウスなんとかとかなってくると本当に和わからない。ハウスとかR&Bとか調味料的なあれですかとかつまんねーから。なめんてんじゃねえぞああnあnあn…
結局俺が言いたいのは音楽を評価するのは自身の心であってジャンルなんてどうでも良いんだなってこととAVのジャンルってはっきりしていてわかりやすいよな~ってこと。そしてこの2つの共通点は鑑賞後に気持ちよくなれるかどうかなんだよ。名作って呼ばれる曲にも作品にもそんな力があるんだよ。
アダルト業界ってどうなってるんだろうな?って考えるときがある。
俺にとってAVは夢と現実をつなぐ架け橋のようなものだった…でもこの橋は信じられないほどに不完全だった。
ブラウン管に映る美竹涼子に匂いは無かった。喘ぎ声はスピーカーから…画面が手垢だらけになるまで触って感じる温度はブラウン管の熱…
でもそれで良かったと思う。
いいか?俺にとって童貞を捨てたあの瞬間は穴埋め問題の答え合わせだったんだ。AVをどれだけ見ても解けなかった疑問のな。
そして夢がかなった瞬間だった…
疑問の穴を1つ1つ埋めていく…
こうなっているのか…
おお…
なんという…
すごい…
感動があったんだ。どうしてかわかるか?
不完全だったからなんだよ…
それが今、変わろうとしている
より事前体験がリアルに近づき人々の感動は相対的なものになるだろう。
そして実際に食べて思うんだ。
口コミほどじゃなかったな…
答えを知る前に答えを知る…
「うーん…VRの方が良かったかな?」
俺はそいつを殴るだろう
僕達が思っているよりチンギュラリティはそこまで来ているのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20150305021937
増田と同じく就活で憂鬱になり、自分で言っていることなのに自信を持てなくなって、
それからしばらくして完全に開き直り、オルタナティヴな就職活動をしたり、
会いたい人に会いまくりやりたいことをやりまくった結果、就職せずとも飯を食べていけることになった。
そんな立場から言えば、増田の持っている悩みは至極まっとうなもの。
ブコメで「仕事できなさそう」とかいう誹謗中傷が飛んでいるけど、その人らは増田のことなんて全く理解できていない。
もしくはとってもつまらない大人たちだ。話を聞いてもいいけど、絶対に聞き入れちゃいけない。
もし増田が本当に(ガチで)現在の状況が不満で、どうにかこうにかしたいと思っているなら、
ガチで一度連絡してみてほしい。何かしら力になれるはずだ。
ただ愚痴を聞くこともできるし、具体的な解決案を提案することも、そのための機会を作ることもできると思う。
信用できないなら、いい。
しょせん増田、ありふれた匿名カキコミのうちの一つに過ぎないからだ。
信用しろって言えば言うほど怪しい。
ただ、何もしないよりは絶対に行動すべきだ。
KIM625 マンガ, アニメ, 文化 アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。 2010/09/08
はてな表現規制反対派の重鎮KIM625のこの問い、一見素朴なギモンに思えるが違うんだよね。
表現規制反対派の間では、出来合いの答えがある。
「コミックス・コードによる規制のため子供向けのものしか許されなかった」という答えがそれだ。
KIM625の問いはこの答えを念頭においたものだろう。だが、この表現規制批判派史観はどこまで正しいのか?
田中秀臣氏がブログで調べ続けているようにアメリカン・コミックスの不人気の主犯がコミックス・コードだという説は実証的に否定されつつあるという。
それ以前の問題がある。大人向けコミックがないというのは果たして事実なのか?
実際には、MADやアート・スピーゲルマン、映画にもなったロバート・クラム作品やアメリカン・スプレンダーのような先鋭的な大人向け作品の流れが、ほそぼそとながら、六十年代から続いていた。
アンダーグラウンド・コミックスと呼ばれるこれらの流れは、80年代頃からスピーゲルマンが自らの父の体験と緻密な調査を元にアウシュビッツの悲劇を描いた「マウス」などのヒットにより日のあたるところに現れ、スーパーヒーローなどの商業的コミックスに対向するものとして「オルタナティヴ・コミックス」と呼ばれるジャンルが成立する。
一方の商業的コミックスもだんだんと大人向け路線になり八十年代には映画化したウォッチメンなどの大人向け作品がヒット、90年代には大手コミックス社からスーパーヒーローにとらわれないやや文芸路線のmature reader向作品レーベルVertigoが現れるなどの流れが起きる。
この流れとオルタナティヴ・コミックスの二つの流れ、そしてスーパーヒーローなどの旧来型の流れは、未だ別々に流れているが、だんだんと中間的作品も現れ、現在ではかなり曖昧な区別しかなくなっている。
では、"旧来型"のアメコミが子供向けというのは事実なのだろうか?成熟した真っ当な大人向けと見なされていないのはたしかに事実だろう。
だが、それと実際の年齢層は別の問題だ。
なんと”アメコミ”の主要な読者はずっと昔から「男の子」ではなく「キモオタ」なのだ。
むしろコミックス業界は将来の投資のため子供にコミックスを手に取らせる方策を考えているくらいだ。
田中秀臣氏推薦の『戦争はいかにマンガを変えるか』から引用しよう。
この極度にマニア層に依存した構造の市場から、書店での一般読者の獲得から、書店での一般読者の獲得と映画展開などによるライセンスビジネスによって突破口を開いたのが現在のグラフィックノベルブームに沸くアメリカのコミックス界であるわけだが、以上からわかるようにそれ以前からすでにコミックブックは子供向けのものなどではなくなっていた。
(ながいので中略)
つまり当のアメリカ人にとってすら「コミックブック=子供向け」という神話の影響が強すぎるために、実際に子供に読まれているマンガが「マンガ」としては見えなくなってしまっているのである。(p38-39)
なお、此処でいうマンガと見なされていないが「実際に子供に読まれているマンガ」は日本マンガをさしているのではなく、ディズニーやニコロデオンなどのアニメや名作文学のコミカライズなどを指している。小田切氏の意見によると、ジャンプなどのマンガとアメリカの市場で競合しているのはスーパーヒーローなどではなくこちらだろうと述べている。
小田切氏に従うなら、「アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。」ではなく「アメリカにはなぜ子供向けコミックが衰退したのか、なぜ日本にでは盛況なのか。」と問うべきだ。
なぜこうも転倒した問いになるか。
それは何でも規制反対に結び付けたいという心性があるんではあにか?
こう思うのは邪推だろうか?
lisagasu 日本の名作少女漫画は繊細すぎてウケない予感…トワイライトが売れてるなら、乙女ゲームのコミカライズとかのがいいんじゃ?なんにしても少年漫画以上の市場になるイメージがないんだけど 2010/09/08
24年組が受けてないというかそもそも今まで翻訳が出てなかった(出版予定)のは事実だが、従来のオルタナティヴコミックスのファン層には注目されてるようだ。
うーん、まあ、それも一案だとは思うけれども、
そのタイプの全学年統一テスト<だけ>ということになると、いろいろと面倒かもなぁ。あと、ちょっと無駄が多すぎる。
おっしゃられている通り、試験時間が長くなったり、カバーする範囲が広くなりすぎたりする。
あと、低学年の子が、「小さな成功体験」を積み重ねるというきっかけを奪ってしまう可能性も考えた方がいいかもしれない。学校のテストでいい点をとって、自信を持って、そこからどんどんと勉強をし続ける子供、みたいのが作りにくくなるかも、という話。
あと、勉強していない範囲について半日も問題用紙を眺めている時間に意味があるのか?ということもやはり問われてしまうと思う。(まったく意味がない、とまでは言わないけれど、2年に1回とか、1年に1回ぐらいなら意味があるかもしれない)
範囲全体を知ることができて、学年無関係、という意味では、英語で言えば、英検/TOEIC/TOEFLみたいな資格制度だとか、数学で言えば数学検定みたいな資格制度みたいのがあるけれど、
ああいう制度をもうちょっとオフィシャルな学校制度のなかに強く導入していく、みたいな方法はあるかもしれないね。
ああいった制度であれば自分の能力に合わせてある程度まで順を追ってクリアーしていくことができるし、わかっている範囲で抑えていくこともできる。
今のところ日本は学年別テストがあまりに強すぎるので飛び級とかが難しかったり、簡単すぎる内容を延々と授業をうけざるをえないという「無駄」とかから逃れることができない、というのはあるので、
そういうオルタナティヴを入れていくのは一案ではある、とはおもう。ただし、あくまで様々な試験制度の中のワンオブゼム、という形にするぐらなのがいいかな、と。