はてなキーワード: じわじわとは
和「映画、SNSの方でじわじわと広がってるみたいだな、おめでとう」
上「ありがとう。もともとは君の作品から着想を得た作品だったのでこの栄光の一部は君のものだと思っている」
和「何を言っているんだ。映画を見たけれども完全に君の作品だよあれは」
上「このまま行けばヒット間違いなしだ。その時には君のあの作品にもスポットがあたるに違いない。そのときに一緒に・・・」
和「そのことなんだが、正直このままヒットするかどうかは疑問だと思う。
映画のヒットは大規模な広告費と豪華出演陣と相場が決まっているからな。
低予算でどこぞの映画賞をとったマニアックな映画がヒットするには、それこそ地道なネット戦略などが必要だろう。
しかし正直ネットには日々新しい情報が流れ込んでいる。じわじわと口コミで大ヒットなんていうのは虫がいい話だと思う」
上「ずいぶん悲観的なんだな」
和「そこでだ、ある程度口コミが広がりきったところで、僕は君を盗作として訴えようと思う」
和「もちろん君は勝つに決まっている。僕たちの作品の関係性を盗作と呼んだら、世の中の映画の半分近くが盗作になってしまうからな。
しかし数週間、うまく行けば1ヶ月は君と僕のニュースがネットで頻繁に上がってくるだろう。
その間に映画は全国で上映され、君の知名度はうなぎのぼりという寸法だ。
なあに、僕の心配はしなくてもいい。もともと自分の好きなように生きているだけの男だ。
なにより新しものが好きなネット民のことだ、決着がついて1ヶ月もしたらみんな僕の名前すら記憶に無いだろうよ。
近い将来、円盤が出た時には対談相手として呼んでくれ。そのときに盛大にネタバラシをしようや」
みたいな展開を期待している
この間実写版の残穢初めて観て、夜トイレに行けなくなるほど怖いやつを期待したんだけど
めちゃくちゃ肩透かしだったので「観なければよかった欲」が満たされずにいる
現代か近代の日本が舞台で直接的な殺人鬼が出てくるとかじゃなく
正体のわからないものがじわじわ背後から迫ってくるみたいな小説ないかな
後味悪くて我が身に置き換えて恐ろしくなるようなのが読みたい
平成も終わろうとしている時に未だに昭和のノスタルジーを引きずっている老害番組に意味はあるのか?子供に付き合って見ている親でさえ知らないような大昔だぞ。
男も女も同じ顔の判子絵。子供は短パンで駆け回り、嫁は働きにも出ず家で家事と育児。携帯電話もパソコンも無い家。娯楽といったらテレビだけ。7人家族で被扶養者5人猫1匹。家族みんなで同じ時間に飯を食べる。これが家族の代表かよ。
大人がノスタルジーに浸りたいならもっと別の作品があるだろ。三丁目の夕日とかNHKが朝やってるドラマとかさ。
子供は見たがっているのか?面白いと感じるのか?バンダイが公開している子供の好きなキャラクターランキングに一度でもこの2作品が入ったことがあるのか?(ちびまる子ちゃんはブーム当時にあったかもしれない)
参考:週間高世帯視聴率番組10
名探偵コナン。グルグル漫画だが昨今ではマンネリを打破すべく新展開を投入しヒット。映画も公開するたび興行収入を更新する異常さ。
クレヨンしんちゃん。時代設定を明確に現代にすることで設定や小道具も時代を反映にした物になり古さを感じない。サザエさんよりはよっぽど現代の家族像に近い。それでも野原ひろしが35歳にして年収650万の商社係長。専業主婦に子供2人犬1匹を養いながらマイホームマイカーを持つ野原一家は十分に勝ち組と言えそうだが…。
ドラえもん。2005年の全面リニューアルは当初こそ否が多かったように思うが今では十分に浸透し、好きなキャラクターランキングでも上位常連。現代の科学力がひみつ道具を凌駕しない限り子供達に夢を与え続ける意義のある番組だろう。
アンパンマン。圧倒的子供人気を放送当初からずっと維持し続けている化物。アンパンマンが嫌いな子供なんていません!世の親御さんにとっても頼りになる味方。
その他ワンピース、ポケモン、プリキュア。戦隊ライダーガンダムもかな?マンネリ化しないよう変化を入れながら継続し続けている。挑戦の結果浮き沈みはするけど何もせず飽きられて終わっていくよりマシだ。
なぜか維持し続ける高視聴率に「国民的アニメ」という驕りから来る感覚のズレ。変化することなく惰性で続くことを良しとする保守的な思考。
ちびまる子ちゃんなどサザエさんの前座でようやく人気を保っているようなものだろ。仮に放送時間を日曜朝9時周辺にしたら誰も見なくなるわ。
初期にはあった毒気も無くなり最近ではどこかで見たような良い話や無難な話ばかりで全く面白くない。ドラ泣きに便乗して作られた「イタリアから来た少年」など留学生が来て別れてお涙頂戴なんだろうなと思ったら本当にその通りすぎて笑えた。過剰な日本美化やステレオタイプな外人描写、多すぎる外人キャラを全く活かせていない展開に脚本家の知性を疑う。テレビスペシャルレベルの作画で劇場のスクリーンに映す意味が本当にあったのだろうか。
23年前の「わたしの好きな歌」の方がストーリーも良く湯浅政明が描く強烈なアニメーションの方がよっぽど凄かった。
視聴者だってバカではない。こんな誰向けかもわからない番組を見ようとは思わない。実際に視聴率も低迷している。
これから先、視聴率が上がることもなくじわじわと下がり続けるだろう。幸い最近のフジテレビは「長く続いているだけ」の番組をどんどんと打ち切っている。この調子で下がれば数年後には打ち切りもあり得る。
空いた枠には現在放送中の鬼太郎を持ってくればいい。こちらは「現代」を反映したストーリーとなっており十分見応えがある。同じ時代、同じ季節ネタを同じキャラクター達が延々と繰り返す毒にも薬にもならない番組などよりずっと面白い。
いやもうこんな事は書くまででもないのかもしれませんけど
見なきゃいいじゃんって話とかじゃなくてさ、
恐らく日本でも最強のバカのバカ見解がバカに持て囃されて持て囃されたバカがバカにドライブをかけて新しいバカを生みそのバカがさらなるアルティメットバカを生み出しているバカ無限増殖プラットフォームじゃないですかね?結構本気で。
匿名掲示板に書いてあるバカ見解なんて、それをまた別のバカが読んでも「匿名のバカが書いてる事だしな・・・、まぁいいや、スイカバー食べて寝よ。」ってなるじゃないですか。
たださ、ヤフーってもはや公共の場じゃないですか。そこのニュースに書いてあるコメントなんて実際は匿名のバカが書いている事だとしてもさ、バカにとってはどこか公っぽさがあるなぁとか無意識に感じられちゃって「ふむふむ、一理あるのでアール」とか思っちゃうでしょ。
さらにそこに5万いいね!なんかついてたら数に飲み込まれるバカはもうダメ。「ふむふむ、確かにこのコメントが世の真理なのであーる、あちきも最初からそう思ってたのでアール!」とかバカが差別バリバリのコメントを正しいものとして受け入れちゃうわけ。
え?そんなことない?
ヤフコメはバカによるバカのための同調圧力最大化プラットフォームなんだよ。
で、だよ。俺が何が言いたいかと言うとさ。
日本ヤベーだろって話ですよ。
こんなのは仮定でしかないんだけどさ、ヤフコメなかったらさ。今の世の中、もうちょっとまともだったんじゃない?って思うんですよ。
ヤフコメが生む毒っていうのは長年かけてじわじわじわじわと我々の生活にバカの圧力を広げつつあると思ってるんですけどそんなことないですかね?
ない?ないですか?なければリセットボタンを押しながら電源を切ってください。ただスーファミの場合はリセット押すと逆効果なのでそのまま電源を切ってください。うるせーよ、俺は自然にこういう駄文を挟みたくなる病気なの!
で、ですね。もう言うまでもなくヤフコメっていうのは典型的な百害あって一利なしサービスだと思うんですよ。
そしてそれをヤフーニュースの中の人たちも気づいてるんじゃないですかね?さすがに。
まさか本気で思ってないですよね?人々が有益な意見を交わすことができる言論プラットフォームだなんて。完全に建前でしょ。
だからこそさ、なんか専門家の意見、みたいなコーナー作ってさ、コメントの最上部に置いてさ、バカのバカ見解を抑止するように動いたりしてるんでしょ?
百害あるところに二利程度のもの置いてガス抜きしてるんじゃねーよ。
結局お前らはさ、世の中に百害を与えてでもお前らだけに与えられる広告収益という百利を得たいだけじゃないですか。
知ってる、良く知ってるよ、ニュースというTOPページ依存のサービスがいかにしてPVを伸ばすかという中で生まれたのがヤフコメだったよね。
生まれた当初から目にあまる部分が無い訳ではなかったけど、今よりは全然マシではあったよ。PV伸ばす策としてはやりおるなー、と思ったもんだよ。
たださ、やっぱり東日本大震災あたりが一つの契機だったように思うんだよ。あの辺から急激に悪化した。
あの時のヤフコメは吐き気がしたよ。いや今だって吐き気しかしないけど。
少なくともあの時は絶対に閉じるべきだったと思うよ。そのぐらいに害しか生んでなかったよヤフコメは。
そしてそれを痛いほどに感じていただろうよヤフーニュースの企画者たちよ。
知ってる。知ってるってば。ヤフーっていう企業は毎期の増収増益が義務づけられていると言って良いレベルだからね。
メディア部門の収益減りましたー、えへへー、で済むような企業じゃないっていうのは知ってるよ。
でもさ、自分のことインフラだと思ってるんでしょヤフー様はさ。
じゃあインフラに毒を流し込むようなサービスはやめようよ。勇気をもってやめようよ。
そうだよそう、社会にどれだけ悪影響を与えているかなんて定量的に測定なんてできない。
だからって目を背けるなよ!明らかな悪だよヤフコメは。何度でも言ってやるよ、お前らのヤフコメとかいうサービスは悪だ。人を殺すサービスだよ。
知ってるだろ?実は知ってるんだろ?でもお役所と化してしまったヤフーの中で生きていくために見ないふりしてるんだろ?
頼むよ、頼む。この毒はヤバい。すぐに浸透するわけじゃないからヤバい。でも確実に広がり続けているんだよ。
止めればよかった。
未だによく後悔するんだよ。
ヤフーニュースに関わる企画者でもいいしエンジニアだっていい。役員ならなおいい。
立ち止まって考えてくれよ。意見してくれよ。お願いだ。ヤフコメはいらない。
この日本を良くするために言論を交わすにふさわしい場所は他にあるよ。
以上
界隈の人間には一発でどのバンドのことかわかりそうだし下手したら個人特定もされそうだけど、念のため固有名詞は伏せます。
あとなぜかはてな記法の通りやっても行空けが出来ないので大変読みにくいです。すみません。
私が追い始めたのはそれからしばらく後なので実際追ってた期間はもう少し短いです。
少し特殊なバンドで、二次元に元ネタがあってそれを麺が役として演じるというスタンス。まあ後半は麺たちも素でやってましたけど。(この辺りでどのバンドかバレそうだ)
活動終了が発表されてからの私はそれはそれは目も当てられない程の荒れっぷりでした。
ツイッターの鍵垢には毎日「死んでやる」と書き込み、そんな折会社もクビになり「どうせファイナルライブが終わったら私は死ぬんだから再就職もしない」と1ヵ月間くらいニートを決め込んでいました。
それくらい大好きなバンドだったんです。全国ツアーは札幌から沖縄まで追いました。地方の小さい箱での対盤ですら遠征しました。
予定が2ケ月空けばもう耐えられなくてギャ友に「会いたくて会いたくて死ぬ」といっては泣きついていました。もはや依存状態ですね。
そんな中、ファイナルライブを終えた後の私なんて想像もつきませんでした。そもそも死ぬつもりでしたし。
でも実際ライブの日が近づいてくるとフラスタの手配やらエステや美容室の予約やら本命さんへのプレ選びやらで気持ちは落ち着いてきて、当日はあまりにも平常心でした。
結果から言います。私は生きていますし、これからも生きるつもりです。
ライブが終わった後、私はもっと号泣して取り乱すと思っていました。
でも普通に会場を出て先に出た友達が席を取ってくれていたファミレスに行って店員さんにドリンクバーをひとつ頼んでいました。
最初は全く実感がなかったんです。また1か月後くらいにぽろっと予定が出てくるような気がして、本当にこれで最後だって思えなかったんです。
しばらくしてやっぱり最後だったんだと気付きました。その時少し泣きました。でも本当に少しでした。というかライブで体力使い果たして泣く体力すらありませんでしたw
そのときの私の気持ちは悲しい、苦しいというよりもどちらかというとすっきりとしていました。
それはきっと私が「やりきった」からなんだと思いました。
追おうと決めてからは9割は追って、最後だからと盛大にフラスタを送り、最後だからと激しく重い愛をぶつけたお手紙をプレボにぶちこんできました。
だからきっと本命盤と一緒に本命盤を追っていた私もきちんと終われたんだと自分では解釈しています。
物販で買ったメモリアルフォトブックなるものもじっくりと読み込みました。
泣きました。でもこの涙は悲しみでも苦しみでもなく「このバンドを好きでいて良かった」という喜びの涙です。
ライブでガンガン出ていた脳内麻薬が切れてじわじわと「終わった」という事実が冷静に私を襲い始めています。
正直、すごく寂しいです。私は間違いなくとてもとても大切なものを失いました。
それでもやっぱり生きていこうと思えたのはそのバンドがたくさんの幸せと希望をくれたからだと思っています(あと本命さんのソロ活動決定のお知らせもあったので)。
「その日」は必ずやってきます。仕事やお金や距離の都合で私のように現場に通いまくる訳にもいかない人もいると思います。
それでもあなたの推しをあなたの出来る範囲で応援できるだけ応援してください。推しのためではなく自分のためにです。
だってそうでしょう?現場に行くこと、円盤を積むことは確かに推しのためにもなるけど何よりそれをしている自分が幸せだからそうしているはずです。
先に言うと別にフェミニズム批判じゃなくてただの文章下手の自分語りだから、そういうのがほしい人の期待には添えない。一方でフェミニストの人たちの気分も害すかもしれない。
自分は体が女のXジェンダーというやつで、簡単に言えば「心が男にも女にもなりきれない」という中途半端でLGBTの中でも批判する人がいるような人種である。そんな自分がかつてなぜ女性の権利拡張であるフェミニズムに興味を持ったかというと、ネットで「フェミニズムに出会って救われた」というXジェンダーの人を見たからだった。
Xジェンダーというのはとても定義が難しく、自覚する原因なども人それぞれであるが、Xを自覚する理由の一つに「社会的性規範と自分が合わない」というのがある。要するに「女性はこうあるべき」「男性はこうあるべき」という規範と自分を合わせることができずジェンダーを疑ってしまうということである。フェミニズムは「女性はこうあるべき」という概念から解放するものであり、それに救われるXジェンダーも多いという。当時はとにかく自分を救ってくれる何かが欲しくて、フェミニズムのコミュニティーに足を踏み入れたのだった。
フェミニズムという概念は今でも好きだ。フェミニズムの歴史がなければ自分は今以上に生きにくさを感じていただろうし、女性が解放されればもっと自分も楽になれると思う。けれど、フェミニストのコミュニティーの中で自分はどんどん神経をすり減らしていた。「男性」への批判を見るたび自分が非難されているように感じてしまったのである(自分はXジェンダーの中でも「両性型」というもので、女性であると同時に男性であるとも感じている)。ミサンドリストといわれる彼女らが男性を憎む理由があり、彼女らがそれを叫ぶことが解決へとつながる、彼女らが感じる不快感も含めて声を挙げなければ世界は変わらない。頭では分かっていたけれど、彼女らの文字は自分の心をじわじわと蝕んでいく。自分は彼女らにとっての悪である、しかも体は女のくせに。彼女らの批判するものに「男性の性的まなざし」というのがあって、それがあることで女性が対等にみられないという彼女らの理屈は分かっても、男性としての自分は本能を捨てられない。彼女らの敵の思想を捨てられない、体は女のくせに。
この中にいても自分は足を引っ張ることしかできない、どんなに理屈を理解したところで「わざわざ敵に回った人間」にしかなれない。そう思ったとき、いったん離れようと思った。作ったアカウントは放置したままである。
結局、自分は古い価値観においても新しい価値観においても省かれ、誰かの敵となってしまう人間なのだと思う。せめて新しい価値観の中に入れてほしかった、なんで普通の女の子になれなかったんだろうな。思えばかつてXジェンダーを自覚するきっかけになったのはクラスメイトの「男子」というものへの批判に深く傷ついてる自分に気づいたからで、二の舞になると事前に予測できなかった自分がバカなだけだったのかもしれない。
彼女らの理想はとても美しくて、それに自分は入れない。普通になりたかった、誰かの、そして自分がかつて描いた理想を目指す活動のせいで傷つく人間になんてなりたくなかった。
先に結論を言っておく。女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪いせいで、ミソジニーじみて見えるというのが私の見解だ。設定と描写のバランスが悪い。それに尽きる。それが悪いとか良いとかそういうことを言う気は全くない。
この見解にいたるまでの経緯は下に書いた。気になる人が以下の長く枝葉の伸びた文章を読んでくれ。いや、クソ読みづらい文章だから読む必要がない。自分が納得するためだけに書いた。言いたいことは上に述べた通りだ。
ヒプノシスマイクを知ったのは春。独歩という語をタイムラインで見かけ、「国木田独歩のことか。文ストか、文アルか。いや、一二三って誰だ。寂雷って誰だ。ヒプマイってなんだ。雰囲気的にソシャゲか。まあソシャゲはいいや」と調べることなく初夏を迎え、「ジャニオタがヒプマイにハマる」というような名前の記事を見かけて「ソシャゲじゃないのか。ラップか。面白そうだな」と調べた結果、見事にハマった。
ヒプノシスマイクにハマった要因は、シンプルに「人間の声ってすげぇな」という感動と、「さらっと面白いことを言っていて面白いな」という感動である。二重の感動。感動に感動が私の首に輪をかけて括ってきた。(輪をかけてを使いたいがために発生したクソみたいな誤用)
これは単なる私の好みでしかなく羅列すればキリがないが、突っ込みどころのある言葉や音がよい。いわゆる音MADで遊ばれていそうなコンテンツ(概念)が好きなので、ラップで人が死ぬ世界観やさらっと繰り出される面白リリックとかがたまらない。
あらゆる人が言及している通り、「俺のベロ見ろ俺はミケランジェロ」に「お前は次郎だ」と突っ込んだし、「君がくれた愛の形」が月収の「12345600円」という生々しさにも笑った。「ガチャーンドゥルルルチリンチリンチリン」で笑ったし、「泣けど泣けどnekkidフルモンティ」の完成度に感動したし、「ハマのしきたり」や「男ならラップができる」などの主語のデカさにも突っ込んだし、どことなく山寺宏一に似た入間銃兎のテンションの高さも気に入っている。ついでに言えば、観音坂独歩がキレると笑ってしまうし、一二三が麻天狼のローテンション曲の中で一人高テンションなのも面白い。何でお前だけ動画で輝いてんだよ。
決してバカにしているわけではない。むしろ、この突き抜けた感じを清々しく思う。かっこよいだけではない絶妙に耳に残る言葉に引っかかってハマった人は多いのではないだろうか。人間の声のすごさも相まってこの言葉たちはハマった人間の頭蓋骨の中で反響していることと思う。中毒性がすごいよね。
また、池袋→横浜→渋谷→新宿にいたるまでにキャラクターが奇抜になっていくのも面白い。アンセムやバトルでは歌う順番を考慮しているんだろうなと思う。人の目を引く(耳を引くか?)方法を熟知しているんだなと思いながら楽しんでいる。だって寂雷先生のときだけ曲調が変わるの面白すぎません? 一二三の合いの手も相まってじわじわきますよね。
さて、ここまで長々と書いたのは、私がどのような観点でヒプノシスマイクを楽しんでいるのかを表明し、立ち位置を設定した方がよいと思ったからだ。これを踏まえて、最近話題になっている「ヒプマイってミソジニー要素があるのでは問題」に入る。
私はドラマCDを聞かない人生を送ってきたので、ヒプノシスマイクで初めてのドラマCD体験をした。曲をから感じられるキャラクターの印象とは違った面が見られて面白く感じた。特に、観音坂独歩に関しては話し方が穏やかだったので意外だった。正直、もっとクソ早口でボソボソしている印象があった。話し方が早くてもキモがられるけど、ゆっくりはゆっくりでイラつかれる現象に見舞われてんのか? 観音坂独歩は。一二三のテンションというか話し方のギャップもよかったし、池袋の兄弟が仕事できていてすごいなあと思ったし、食事のアレで横浜は関係性のできた人間に対しては気遣いを持てるいい人たちだったというのも確認できた。渋谷に関しては夢野幻太郎の剽軽さや有栖川帝統のコミカルなキャラクターに親しみを抱いたし、飴村乱数が人の臓器を売ることに躊躇しない鮮烈さを持っていることに妙な興奮を覚えた。キャラクターに厚みができていく感覚が面白い。渋谷VS新宿のドラマトラックも面白かったですね。ヨコハマの血の気がある人たち「クソボケ」ってワード大好きですね。左馬刻様はチャラチャラしてたり口で自己紹介できない奴嫌いなんだなってのが分かって面白い。多分左馬刻様はメールしたら電話しろってキレるだろうし、電話したら直接会いに来いとか言いそう。あと、一二三はツイッターとかで定期的に礼節欠いて炎上しそう。あと飴村乱数の先生への話し方から「私あなたのこと嫌いだけど気遣って話しかけてあげてますよ」感が滲み出ていて好きです。
では、本題に入る。私はこのドラマトラックにミソジニーを感じてしまった。正直、女尊男卑という設定は読んでいなかった。言葉で戦うという設定に目がいっていた。気付いたのは池袋VS横浜のドラマトラックで山田兄弟が壁に対して税金の話をした辺りだ。その後登場する左馬刻様の件の発言は「そんなキャラなのかな」程度に流していた(乱暴なキャラクターは女をゴミかゴミ箱のように扱うという偏見がある。雑な一般化をしてすまない乱暴なキャラクターたち。)ため、件のはてなブログで確かにと思った。
で、税金の話。男が女の十倍の税金を払っている。その金でこの壁が作られた。この内容に引っかかった。リアルに考えれば、男の方が高い所得であるためにバランスを取っているんだろうなあ(さすがに十倍は現実味がない気もするが)という見解が妥当に思う。それゆえに、ここで税金に言及している山田三郎と観音坂独歩については、彼らは他の男性よりも所得が低いのかもしれない(三郎はまだ中学生なので、一郎の苦労を見てきたのか、大人の話を聞いて知識を得ていたのか、その辺だと思うので、除外してよい気がする。社畜は休む暇がないから金が貯まるというが、このパターンだとより地獄じみてきて観音坂独歩がより幸の薄い(といっても、幼馴染の手厚い保護があるので悲壮感は薄れるもののそういう感じの)人間になりますね。ストロングゼロ飲んでそう)。(ついでに、山田一郎と左馬刻様と寂雷先生も壁について言及しているが、金というよりも権力への言及に感じるので、彼らに関しては所得的に不満があるわけではないような印象を覚えます。)
なぜ、男の方が納税額が多いのかがよく分からないが、男にとっては不条理な税負担なのかもしれない。しかし、その割には観音坂が愚痴る人物はハゲ課長のみであり、女性から不当な扱いを受けているような表現は見当たらない。一二三に関しては特殊なケースのように扱われているため、女性が日常的に男性を虐げることはないように思える。何より、左馬刻様が女に対して直接普通に「クソ女」って言えているというのは、安定して女を罵倒してよい環境にいるってことだもんな。ここぞというときの「クソ女」ではなく日常的な「クソ女」でしょアレは。山田一郎も無花果に対して好戦的に話しているし、(野蛮とか低能みたいな侮蔑は受けているものの、)言葉遣いであれこれ言われて抑圧される描写ではない。言われても反骨するヤンキー的な描写なんだろうか。そういう理由からキャラクター的には不自然ではない感じがして受け入れてしまうよね。
頭に残る女の話は税金の話とヒステリーなストーカーと高圧的な無花果さんくらいである。後は普通の印象があって女尊男卑感はあまりない(私は鈍い人間なんでその辺りは鋭い人が指摘してくれ)。だから、「女という強者によって不当な扱いを受けていることへの反発」というより「女によって搾取されている」というより「女を大事にしなくてはならないせいで要らない負担を強いられている」という感じがある。もっと適切な表現があるかもしれない。なんだろう語彙力がないから分からない。あと、三郎の「ホスト風情」という表現から女性に奉仕する職業は馬鹿にされるものなのかもしれない感じもある。男を支配する女に媚売る裏切者って感じなんだろうか。
何というか、女尊男卑の世界なのに優位な側(女)からの一方的な蹂躙がないのが不思議なんだよ。それが見たいというわけではなく、わざわざ設定を付ける必要があったのかという疑問。だって、税金と壁と可視化されているのって中王区(政治)からの疎外くらいじゃないか。いや、政治から疎外されるって結構な痛手だよね。しかし、入間が結構な権力を持っているのを見ると、そこまで疎外されてなくないかと思ってしまう。いや、あれも男だけの世界だから自由が利くだけだろうか。女子高や女子大にいる女はのびのびと生きているみたいなものと解釈すべきか。しかし、横領したあの人が女である可能性も否定できない。語られていないことは推測しかできず、語りえない。
話の枝葉が分かれすぎてしまってアレだが、要するに、女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪くって、ミソジニーじみて見える。これは最初に言った。ここに来るまでアホみたいに長い文章を書いてしまった。以上。
早く、内容の全容が知りたい。全て知ってからまた判断したい。飴村乱数さんが何かしてくれそうな感じあるので、どうなっていくか気になるところだ。
ごちゃついたことを考えるのも、何も考えずに享受するのも楽しめるので、特にヒプマイというコンテンツを批判する意図はない。書いてすっきりした。よかった。
愚痴というか呪というか晴れることのない胸の内を整理させてほしい。
それまでも観劇していたが、演目を楽しんでいるだけで他の舞台や映画の趣味と変わらずに見れる時に見る。その程度だった。それが1年ちょっと前にAllforOneという公演がはじまりよくわからないまま惹きつけられ複数回見るファンになった。組ファンになりスカステに加入しぐんぐん知識を蓄えて地方ツアーも複数回見た。本拠地の小箱公演はチケットが取れないので行けなかったけれど、ポスターは素敵だなと思った。
2月からの本公演は芝居はともかくショーが熱かった。まだ終わって数か月なのに、万が一タイムマシンが発明される瞬間まで長生きしていたら預金も年金もねじこんであの時間に帰りたいと思うくらいに重症ではある。
AllforOneも鳳凰伝もBADDYも、真ん中のふたりが大好きだった。
群衆芝居でも真ん中にすっと立ち、努力の跡が芸事の極みとして上塗りされて洗練されたたまきさんと
孤高の存在のようでいて、血が通って暖かく、時に激しく、あふれる涙をたまきさんにぬぐわれて笑うちゃぴさんが
書いてて泣くくらい今も大好きだ。
有難いことに1月からその事情は発表され、演目も発表になり、製作会見もあり、こちらが冷静になる時間は存分にあった。ただ冷静になるのと実際その時が近づくのは人間が出来てないせいもあって乖離しがちではあるが。
今は組子にもたくさん好きな子がいるので、組ファンとしてトップコンビを愛せることのありがたさを漢字で書いて丸めて飲み込みたいくらいではある。有難い。そう、有難い。
難しいことなのだ。トップコンビが大好きというのは。宝塚という組織の人事と自分の好みが合致するというのは並大抵のことではないのだ。
特に、路線と言われる分野にあまりひかれない自分のようなファンにとっては。
じわじわと、そうじゃないのかなと噂されていたとおり、組内からの抜擢となった。
自分が関与できることではないので、比較的冷静に受け止めつつも軽く貧血になったりもして、この件に関する大喜利を見て笑って心を落ち着かせたりしつつ、あぁでもしんどいな。というのが今も晴れない心の底の本音である。
ごめん。
なんか、ごめん。
応援するとか組ファンとか自称しといて一度の人事で打ちのめされるとか100年以上続く宝塚舐めてんのか、ってなる。うん。
なので、ごめん。
AllforOneでは、複数回見るうちに姪っ子ーズの中で面白い顔芸の子がいるなぁっていう程度でまぁ面白がって見ることもあった。
小箱公演は見てないのでわからないけど、特に気にすることもなかった。
因みにそれ以前の公演については全然把握していなかった。
もちろん新人公演というのがあることも1年前に知ったくらいなので見ていない。
2月からの本公演の芝居で、彼女の役はアイドル的アスリートだった。演出の指示なんだろうが相当アホっぽくて見ているのがつらかった。なのに子供ができて引退を決意するところではじっとり重い雰囲気芝居で、あれ?二重人格???え?なんか怖い。とうっすら思った。別に見なくても芝居は進むので見ないことにした。相手役のまないくんが見れないのは非常に残念だったしなるべくかぶらないところで見るように心がけたけれどほぼ見ていなかった。他に見るべきところもあったので仕方ないと思っていた。
ショーでは、悪役チームの二大美女であった。こちらもほかに見るところがあったのであまり見なかった。ショーは本当に観客それぞれで見ている視点が違いすぎるそれもまた面白いみたいな感じだったので、気にしないようにした。だが実はちょっと気にしていた。
なんかしんどい。
けど、好きな人もいるしわざわざ言い立てることでもない。心に仕舞った。
梅雨時に、季節柄というか雨をモチーフにしたミュージカル公演があった。
退団を発表しているちゃぴさん(現娘トップ)は本拠地小箱で主演をされるので、たまきさんを単独で見るのははじめてになる。
(スカステや映像ではちゃぴさん以外の娘役と組んでるものもたくさん見た)
相手役が、ちょっとしんどいなと思っていた彼女だったので内心ドキドキしていた。
予想は悪い意味で的中した。
真ん中が見れなかった。
彼女に思いを寄せるたまきさんが信じられなかった。笑。
複数回見ても、何も変わらず、たまきさんを見れないのがしんどいな。。。ということに気づきつつも、相手役を脚立に見立ててみたりするのもしんどかった。脚立って。無機物。
ひたすら彼女じゃありませんようにと願った。できることならあの子がいいという対抗馬も特に掲げず、彼女じゃなければ誰でもいいと思った。
脚立再び。
別組の子でもいいし、路線じゃない子だっていい、なんだっていいから彼女じゃありませんようにという非常に失礼で勝手なことを思う自分が嫌で疲れた。
しんどいと思いながら見ていると、自分自身がしんどくなってくる。
だったら見なきゃいいじゃん。正論です。
真ん中で輝く(んだろう)彼女を見て「うちのナンバーワンですよ!かわいいでしょ!」って言える日が来るのだろうか。
今んとこ難しい。
でもいつかなってるかもしれない。
その日にこのエントリーを思い出して笑えるといい。
前向きになるには一度吐き出さないとならない、面倒なファンで申し訳ない。1年目だから一喜一憂の高低差についていけてないのか、いやたぶん宝塚のファンに向いてないんだよねってことはうっすら自分でも気づいている。
舞台に出ているそれが全て。
その舞台を見てムリだったらたぶん全部ムリ。
(戻っちゃった)
ショック療法でたくさん見たら慣れるかと思って
おめでとう!なツイをいろいろ見てみたけど、ニュースに使われてるおとめの写真の耳たぶが気になり過ぎてもうダメだと気付いた。
やっと気づいた。
目指すは解脱。これっきゃナイ☆
前から思ってたんだけど、ハッカ油のような実際には冷えてないのに冷えた気がするグッズって
最近の命に関わるような猛暑下では、実際命に関わるんじゃないの?
こんな形ではてブロとかダイアリーデビューするとは思わなんだなんですけど
以下に書く通りめちゃくちゃ時間があるし、
ウン年オタクをやってきた自分の中で今まで無い感情だと思うから半分愚痴というかぼやきなんだけど残しておきます。
いやある、あるんだけど。
なんかこうその作品に対するパッション?みたいなのが全く底をついてしまった。
今まではなんかこうパッションがある時に
また別の作品に出会って新たなパッションを得て……みたいな自然な?ループ?をしてたんだよね。
今まではインターネットオンリーお絵かきマンってやつだったけど最近は同人誌作ってイベント出たりもしてた。
・作品に動きが無い(ユーザー間ではサービス終了が囁かれている(…))
が主だと思う。
自分で諸々の情報アーカイブを作るなどしてもうゆるやかに身を固めている。
終わるってそれお金落とさないからでしょ?って思った人いると思う。
お金落とすところを公式が作ってくれないと落とせないんですよね…。
私はこの作品の半生ほども共に歩めていない
全く金を落とさねえのに何言ってんだコイツ……みたいなファンではない。(と思う)
二つ目はもう理不尽な粘着にあったりしてる(恐らく未だ現在進行形)けど
その他のことは界隈に同調することができなかっためんどくさいオタクの私が悪いと思うので割愛。
でも悪いことを悪くないよ~なんて擁護するのはおかしいと思ったし、
身内、という言葉とグループがじわじわと悪性?を持ち始めていたとも感じるから
抜けてきて良かったとも思うし悪かった面が7対3くらいかな。
まあそんなことが続いてなんというか心がとても擦り切れた。
作品のことだってキャラクターのことだってこんなにこんなに大好きなのに。
大好きなのに、こんなことで擦り切れてしまうのが切なくて悲しいし自分に苛立ちを感じる。
そしてここにしがみつくみたいにどこにもいけないことにも整理できない感情がある。
離れてしまえば大好きという気持ちが無くなってしまうように感じている。
今までは「好きな作品は二次創作をしなくても呟かなくなってもちゃんと大好きなまま」って
とここまでこんな風に書いておいて、他に夢中になれる作品もないから漠然と立ち尽くしている。
同時にもうこのジャンルで底をついたパッションが戻ることは無いとも感じる。
そんなこんなでアホほど描いていた絵も全く描けなくなり
ボーッとTwitterを眺める日々を過ごしてる。から今こうしてこれを書いてます。
まあ私の好きなジャンルの状況諸々は置いておいて、
私は作った人間とファンに愛されていると感じる作品のことがその作品をよく知らなくても好きだ。
ST☆RISHがデビューCD「マジLOVE1000%」の発売から7周年を迎えたそうで、
Twitterで公式やファンの方々がおめでとうと祝っているのを見て勝手に泣いた。
たまにはてブロなどで「この作品や人に出会って人生が変わった」という記事を読むと胸がぎゅうっとなる。
文章から伝わってくるくらいとても眩しくてその作品のことを大切にしているんだな~と感じる。
羨ましいとかそういう感情以前に何かに対して大好きだって叫べる人のことが大好きなオタクなので。
だから今の自分が大好きなものに対して大好きと叫べなくなってしまっているのが苦しい。
私も今まで出会ってきた全ての作品やキャラに人生を変えてきてもらっていると思うけれど、
今はまたそんな作品と新たに巡り会う機会があるかなと期待してしまう。
また時間と腕が足りね~~~~~!!!!!!なんて言いながら絵を描いたり呟いたりする日が来るといいな。
しっちゃかめっちゃかなオタクの愚痴ぼやきをここまで読んでくれた人ありがとうございました。
なにやら杏botを巡る一連のデレぽが物議を醸しているようだが私は正直これは素晴らしいデレぽであったと思う!
なにしろシンデレラガールズの顔役である大正義島村卯月様がじきじきに正しい私刑のやり方を実践形式で教えてくれたのである!
故に私刑を行う際は独断で突っ走るのではなく、まず周囲の人間(特に声が聞こえる程度には大きく、総選挙の順位が高い人間)と相談し、連携をとりながらじわじわとターゲットを追い詰めて〆ることが重要なのである!!
権謀術数渦巻く芸能界ではこのぐらいの政治的ムーブをできなければ生き残れない!!!!
冴島はここで島村様方に〆られていなければまた独断で突っ走り冗談では済まされない相手に突っかかった挙句今回のように返り討ちに会っていたであろう!!
そう考えるとこの一連の流れは「いじめ」ではなく「教育的指導」、つまり「愛の鞭」といえる!!
やはり島村卯月は天使であった!!!ありがとう島村卯月!!!サンキュー島村卯月!!!やっぱり5代目シンデレラガール様は格が違った!!!!!!!!!
1、請求書に新幹線代が載ってたら領収書の現物orコピーを添付して処理
2、領収書を受け取ったらその場でお金渡して領収書を社内で精算
って毎回聞かれたらその都度説明してるんだが毎回説明するたびに
この前はそんなこと言ってなかったじゃないかとか責め気味に言われるんで注意しておかないとなーと思ってたんだが
「領収書一緒に送られてきてませんか?コピーでもいいので欲しいんですが…」(言われなくってもいい加減添付してこいよ)
「領収書あるよ。精算するよ」
「いや、請求書に乗せてきてるのでこちらにください。社内で精算はしないで…」
「前回はそう言ってなかったじゃない!俺は言われた通りにしてるんだけど」(めっちゃ優しく言ってるのにすでにキレてる)
「前回はどうだったか覚えてませんが(言ってねーし)今回のは多分前回とは違うパターンなので領収書をこっちに渡してください」
「いや前回そうだって言われたから俺はそうしてるだけなんだけど」
「前回ってどのことでしたっけ。とりあえず前回は前回で置いといて、今回は今回で。
請求書に載ってるのでそちらで精算されると二重に支払うことになるので」
「俺は言われた通りにしてるだけなんだけど!?前回と言ってる事違うんだもんなぁ!
毎回聞くたびに言う事変わってるのそっちじゃない!」
「いや、毎回同じこと言ってるつもりなんですが、もう前回間違ったこと言ってたんだったらすみません。
とりあえず今回のことは今回のこととして聞いてもらっていいですか?請求書に載ってきてるんで領収書はこっちに下さい」
「でも前回これでやってるんだけど?」
「…いや、あれ、っていうか前回これでやってたらダブってるってことですよね?請求書でも処理して領収書も精算してるって…」
「いやいや知らないよじゃなく。それ確実にダブってますよね?」
「そうだよ!だから俺は聞いてるんだよ!君がそれでいいって言ったんだから!俺は言われた通りにしてるんだから!」
「いや、こっちが言ってる事が間違ってるってわかってるなら指摘してくださいよ」
「だから俺は聞いてるのに!それでいいって言ったのは君だろ!俺は君が言った通りにしてるだけだから!君の説明が悪いんだよ!!」
「(埒があかん…)わかりました、前回のはすみません、この後確認しますんで、
とりあえずまずは今回の分いいですか。領収書こっちに下さい」
つって長い戦いが終わって自分の席に戻って前回の確認したら前回のは請求書に数字乗っけてきてて領収書の処理はしていなかった。
(今回と同じ)のでそれを持って行って「前回こうだったんですけど、さっき言ってた前回ってどれのことですか」
と確認、もしかしたらその前のことかもと言われその前のもその前の前のものも照らし合わせたけど結局この人の言う「前回」は見つからず。
最後に「もしかしたら他にもあったかもしれないので、また思い出したら教えてください。ダブりがあったら大問題なので」と言って終わらせた。
一瞬小さく「これは俺がごめんだけど、」ととりあえずでも話の流れの中ででも言ったのでとりあえずはすっきりしたけど
また席に戻ったらじわじわと暑くなってきて落ち着くために今これ書いた
ワールド……GO……パクリ……みたいの見てちょっと悲しくなったから書いてる ワールドは触ってない というかスシテンプラもやってないし元祖本家の記憶も曖昧だ……
無印のゲームの話します これもぼんやりとした記憶なんですが 許せ ぼんやり共感したりぼんやり読み流したりしろ
無印のゲーム、妖怪ウォッチが馬鹿みたいに(馬鹿みたいに)流行る前にプレイしてた。何年前のゲームか忘れたけど、なんかショボそうだけどプレイしてやっかwwwくらいの気分でプレイし始めて、当時も既にじゅうぶんいい大人だった自分があ〜〜おもしろいな……とじわじわ感動してハマったゲームだった。
妖怪ウォッチ、世界観が素晴らしいゲームだった。うーーん、世界観と言ってしまうと通常イメージされるものと違いがあるかもしれないが……うーーん、世界がとにかく丁寧に作ってあった。リアリティとワクワクがギリギリ共存できる最高のラインを丁寧に作っていた。
一旦妖怪の存在置いていい? 家とか街。家とか街が本当にしっかり作ってあるんですよ。ゲームプレイしたことがある人は分かると思う。ただ探検するだけで楽しい。一般的な住宅地があって、道路を車が走ってて信号や横断歩道があって(信号無視しまくってくると妖怪に怒られて追いかけ回されたりする)(横断歩道が近くに無いところで渡れば問題ない)(ストレスフリー)、いくつかの家は中に入って間取りや何が置いてあるかまで見ることができて、学校の中も探検できて、学校のそばには裏山があって虫捕りとかできて、主人公の友人には高級住宅街に住んでる子も居て博物館とかまである地域がある一方で、しょうもない商店街の店とか、寂れた寺とか、団地らしい団地の雰囲気があるマップがあったりとか……実際こんなにしっかり個性ある街並みが近くに同居してる街ってのは無いと思うんだけど、こういうもの全てが「あったら楽しい、行けたら楽しい」そして「非現実的でない、有り得る」レベルで同居してる。異国情緒ある町を次から次に旅するゲームもいいんだけど、丁寧に作られたあり得そうなありふれた街の中でちょっと間の抜けた妖怪を探して、仲良くなって……てのがめちゃくちゃ心地よくて楽しかったんですよね。妖怪もだいたい「ちょっと面白いな……」と「くだらね〜……」の中間あたりのやつばっか。褒めてる。案外バトルは楽しい。本当に夏に良いゲーム。今から無印買ってきて夏の思い出にしていいぞ。
話が進むとばーちゃんの住む田舎までお出かけもできた。ひとり(妖怪はいっしょだ!)で電車で移動する。これまた「ちょっとした冒険」感があってわくわくする。一回行って帰って来れば妖怪のパワーでワープもできる。ストレスフリー。また電車でガタゴト乗りついでも行ける。やった。ばーちゃんの田舎もこれまた趣がある良きクソ田舎で夏休みに遊びに行くには理想的すぎる。みんな遊びに行け。
あーー面白かったなあ。またやりたい。無印はウィスパーも馬鹿じゃなかったんだ。あの馬鹿じゃないウィスパーが好きだったんだ。
アニメが先かマンガが先か知らんけど、ウィスパーが大口叩く無能とかケータくんが普通に悩むとか子供向けっぽくギャグが目立つ設定や展開になっていって、まあそれはそれで爆裂ヒットしてたようなので良いんだと思うんですが。マジでそれだけではなかったんですよ。ゲームはもっと良いところがいっぱいあった。ちょっとアニメ見て「ジバニャンジバニャンジバニャンばっかりのやつ」くらいの認識でいる人間は超多いと思うんですが、それは残念なので……ゲームが好きな人間はぜひ妖怪ウォッチをプレイしてください……自分もとりあえずワールドをやる……。
高校に入学したばかりの頃、毎日が楽しかった。関西でそこそこ有名な進学校に受かり、高等教育を受けなかった親が泣いて喜んでくれたことが誇らしかったのを覚えている。
部活は小学校から続けてきたこともあり、サッカー部に迷わず入った。中々ハードな高校の部活にも少しずつ慣れ、試合にも出れるようになってきた秋頃から、じわじわと部活の同級生の態度が変わってきた。
部活が終わると皆で日課のように立ち寄っていたコンビニも、皆俺を置いていくようになった。急いで着替えて走って追いかけると例のコンビニの前に皆いて、少したむろして解散すると、いつも同じ電車で帰っていた同級生は俺と話そうともせず、スタスタと先に歩いて行ってしまうようになった。最初は話しかければ素っ気なくも会話があったが、気づいた時にはすっかりスルーをされるようになっていた。休み時間に話しかけても部活の同級生は俺の言葉に反応をしなくなった。自分でもいよいよこれは無視されている、と気付いた。
この頃から世の中の景色が一変した。あれだけ毎日通うのが誇らしく、楽しかった校舎も見るだけで気分が沈むようになった。それでも通学の自転車の時間は一瞬で過ぎ、家を出て次の瞬間には学校の前に着いているように感じることがよくあった。
同級生と会うのが怖くなり、学校も休みがちになった。胃が痛くなったり、身体が鉛のように重くなった。
世の中には殴られたりカツアゲされたり、物を隠されたり、もっと卑劣ないじめをされる人が沢山いることは知っているが、人からこんなにもあからさまに嫌われることが生まれて初めてで、辛かった。
なんとか部活に出た日は、それでも練習が終わるとひとりぼっちになるのが嫌で、真っ先に着替えて日課のコンビニに置いていかれないようにもした。無視されることに変わりはなかったし、思考回路がもう萎縮していた。
もうこんな生活は続けられないと思い、小学校から続けていた大好きなサッカーを辞めようと思った。顧問に部活を辞めたいと切り出すと、
と突き放された。
「部活辞めてどうするんだ、どうせ髪染めて煙草でも吸うようになるんだろう」
と言われた。この時顧問は部内の1年生に何が起きているか、把握していなかった。
中々主将に切り出せず、1ヶ月経ってようやく辞めたい旨伝えることができた。この1ヶ月毎日「言わなきゃ」と頭に渦巻き、それでも言い出せず、意識が朦朧としていた。
そのあと駆け足で顧問に
「主将に言いました、もういいですか」
と言った。顧問は
「そうか、元気でな」
とあっけらかんとしていた。
体調は少しずつ回復し、学校でも違う方面の友達と付き合うようになった。今まで怯えて過ごしていたことが嘘のように思えるようにまでなり、日常を一応は取り戻すことができた。
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辛い思い出だが、何故こんな目に遭ったのか、20年近く経った今でも考えることがある。この件、自分に原因があったと思っている。
原因は、自分の話ばかりしていたこと。人の話に自分の話をすぐに被せていたこと。どんな話題にも返しは「俺はー」だったこと。これに尽きると思う。理由もなく嫌われた訳ではないのだ。高校1年生といえど面倒くさい奴と思われたのだろう。
しかし、集団で無視はきつい。どうか嫌いな人にもそういう罰は与えないでほしい。一生のトラウマになってしまうこともある。俺が今もし部活で一緒だった彼らに道端で会ったら、間違いなく物陰に隠れると思う。
そして、理由は様々あれど、部活を辞めることは決して恥ではないと思う。長い人生で部活辞めたことなんてほんの些細なことです。本当に些細なこと。
部活を辞めてしまった学生の皆さん、どうか負い目を感じずに興味の持てることを探したり、一生懸命勉強したりして楽しく過ごしてください。
6月18日に死ぬと言っていた増田はもう死んでしまったんだろうか。増田が僕の気持ちを代弁するようなエントリを書いてくれたおかげで僕もこのエントリを書けた。スッキリした。どうもありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20180408192629
https://anond.hatelabo.jp/20180618024944
曲がりなりにも働いている僕は増田よりはまだマシな状況に置かれていると思う。でも増田と同じように「もう戻ることができないルート」のことをうじうじと考えながら生きている。
僕は国立大の中でも上から数えた方が早い大学を出た。その前は進学校に通っていた。高校や大学の同級生たちはエリート官僚、医者、大手マスコミ、研究者として働いている。
翻って僕はしがない会社員だ。自分の勤務先を「〇〇(会社名)の△△(名前)です」と名乗るたびにじわじわと自尊心が蝕まれる。
そもそも「まともなルート」に乗れない人からすれば恵まれているのだろうけれども、最初から持っていないよりも、途中で失った方が心情的には辛い。
なぜ「ルート」から外れたのか。僕自身のせいでもあるが、それだけじゃない。おかしなことに巻き込まれたからだ。そのせいで鬱になり何年も留年した。適当に働き始めた会社もすぐに辞めた。今は転職先の小さな会社で働いている。
経歴に"汚点"が付いたせいで、まともな会社への転職は絶望的だ。少し前にも面接を受けに言ったが、「なんで留年したの」とか「なんで最初の会社を辞めたの」とかさんざん突っ込まれて撃沈した。
過去は変えられない。一生この経歴に足を引っ張られるならもう死のうと毎日目が覚めた瞬間に思う。面接を受けに行った日の夜も本気で睡眠薬をODして死のうかと思った。
でもこうやって書いてみると随分と下らないな。プライドなんて満たせなくても給料があれば腹は膨れる。「あなたはきっと有名になる」「いつになったら〇〇賞を取るんだ」と言ってくれていた友人には合わせる顔がないけれど、社会的地位なんて1mmも気にしない友人もいる。そいつらと飲んで馬鹿騒ぎしてる時はやっぱり楽しい。
増田、ありがとう。増田のおかけで自分の感情を客観視することができたよ。できれば増田にも生き延びて開き直ってほしい。無理に頑張る必要なんてない。人に見下されるようなくだらない人生でいいんだ。
死にたがりの「構ってちゃん」でいいから、生き延びて俺のエントリに返信してくれ。増田が生きてこれを読んでくれることを祈る。