はてなキーワード: 裁量とは
わたしには、大っ嫌いな女がいる。
そいつは、わたしと同じ部署に働いている。ここでは、仮に「A」と呼ぼう。
Aはわたしより6歳ほど年上の女で、30歳になっても彼氏がいない、かわいそうな奴だ。
同じ班ではないから、毎日仕事場で顔を合わすわけではないけれど、週に何日かは近くで仕事をすることがある。
どれだけ調子が上向いていたとしても、わたしはたった数日Aの近くにいるだけで、睡眠薬を過剰摂取しなければならないぐらい精神的に追いやられてしまう。
少し言葉が汚くなるし、あまり倫理上適切ではない表現があるかもしれない、不愉快になる方がいたら謝罪したい。
「容姿が醜くて仕方がない」
Aはデブだ、後姿はクマに似ている、頬はパンパンに膨らみ、太ももは丸太のように太い。
足には斑点状のアザがなぜか浮かんでいる、のにも関わらず、彼女はストッキングをはいていない、気持ちが悪い足をさらしている。
尻は軽くぶつかっただけでわたしが少し飛ばされるほどでかいのに、なぜかタイトスカートばかり履いている、なぜ自分の太さを大声で喧伝するような服装をするのか理解に苦しむ。
顔がパンパンしているのにも関わらず、いわゆる「オフェロ系」のチークを強調したメイクをする、ただのひょっとこにしか見えない。
すっぴんで出社したと思えば、朝の忙しい時間に「トイレ」と嘘をついて、彼女は長時間鏡とにらめっこをしながら、必死に顔を作り変えているが、悲しいかな、どれだけメイクを重ねてもその小さな目は、パンパンの頬は、低い鼻は変わらない、ブスが「いっちょ前に勘違いな化粧をしたブス」に変わるだけだ。
「言葉が汚い、育ちが悪すぎる」
みなさんは会社で「てめえ」「ふざけんな」「うぜえ」「~しろよ」などの言葉を使うだろうか?
この記事をお読みの紳士・淑女の皆さんは、この質問に「NO」と応えてくれると、わたしは信じている。
まともな会社員であれば、たとえ自分の仲の良い同僚に対してでも、大勢の、自分の部下や上司がいる前でこういった汚い言葉遣いはしないだろう。
でも、Aは違う、毎日のように、心臓が弱い人が聞いたら一瞬心臓が止まるぐらいの大声で、周りの人々を、特にわたしを含めた後輩たちを罵倒する。
「おまえ、これやるって言ったよな、なんでやってねぇんだよ」
やくざの発言ではない、プリンターのインクを入れ替え忘れた20そこらの娘にあてた、三十路手前のお局様のお言葉である。
これをボソッと小さな声でつぶやいただけなら、まだ「怖い先輩だね」で終わる気がする、女は意外と口が悪い。
でも、わたしはこの言葉を、50人はゆうに超える人々がいるフロアが1分間静寂に包まれる程度の怒声でもって言い渡された。
あまりの大声という、か気迫というか、飛んできた唾に、わたしは泣くことも言い返すこともせず、ただ呆然と「申し訳ございません」と乾いた声で返事をする他なかった。
「一般職のくせに顔の面が厚い」
読者の皆様の中に、一般職の方がいたら申し訳ないが、わたしの会社では一般職は総合職より下に見られているし、彼女たちも自分の立ち位置を理解している。
わたしは総合職入社だから、自分の立場を考えて、一般職の子が定時を越えて仕事をしていれば「先に帰っていいよ」と残業を肩代わりしているし、彼女たちもそれが当たり前だと思っている。
その代わり、彼女たちのお給料はわたしより低いし、仕事での裁量もわたしの方が幾分か大きい。
彼女たちは、上司やわたしへの少なくない文句をすべて笑顔の下に隠して、やさしく接してくれるし、それがわが社の一般職社員の在り方だ。
ただ、Aは違う、上司に対しても上記のような汚い言葉でもって喰いつく、「なんで先に言わねえんだ」、この言葉を全社員が背筋を伸ばしながら接する会社いち厳しい上司に向けて大声で吐く。
その上司に一度、「なぜ彼女を注意しないのか」聞いたことがある、上司はいつもの厳しい表情を消し、悲しそうな笑顔で「怒鳴られたのが怖かった」と言った。
彼女の図体と態度のでかさは、そこにいるだけで他の人を畏怖させる。あのきつい声を聴くたびに、フロアの誰もが辛そうな顔になることが、わたしは悲しい。
わたしは、彼女のことを一目見た時から嫌いだった、わたしにとっての「美」の意識と真逆に位置する彼女の容姿を見ているだけで不愉快だった。
でも、最初の方は、まだ彼女とわたしは「ただの同じ部署の人間」の間柄で収まっていた、わたしは嫌いな人間に対しては徹底して無関心に徹するからだ。
いつから、Aがわたしのことを目の敵にし始めたのだろう、そう考えると浮かぶのは「わたしの元彼氏」の存在だった。
わたしには、入社以来付き合っている彼氏がいた。彼とは同じ部署で、ふつうに仲の良い友達同期から、普通に寝て、すんなり彼氏彼女になった。
会社ではポーカーフェイスを貫いていたつもりだったけど、彼氏のほうは無駄にデレデレしていた、わたしはそんな馬鹿な男がすこし嫌だった。
彼の性格と仕事の出来は最悪だったが顔だけはよかったから、ハーフであるわたしと並ぶと絵になるカップルだったらしい。
わたしは、周囲の人々の羨望の眼差しには気付いていたけれど、別にこの男は良い男でもなく「限りなくダメ男」だったから、あまり自慢に思えなかった。
彼女が、彼に対してお菓子を差し入れたり、仕事を珍しく肩代わりしているのは知っていた、でもそれは「イケメンに優しくしたわたし♡」っていう一種の自己満足だと思っていた。
わたしの考えは割と離れていて、彼女は純粋に彼のことを好きだったらしい、かわいい片想いだ、ブスだけど、デブだけど。
Aは、わたしと彼が付き合っていることを、わたしたちの仲が続いている間は知らなかった。
彼が異動になるタイミングで、わたしはなんとなく他に好きな人ができて、別れようとしたのだが、事件が起きる、彼が「別れたくない」と暴れた。
会社でも、私生活でも、少しでも暇になると、彼は「やり直そう?」と声をかけてきた、すべてに無視をきめていたけれど、嫌でも目立つ、わたしたちの仲はあっという間に社内に広まった。
もう終わりかけていた関係だし、会社にほかに好きになりそうな人もいなかったから、わたしは噂話を広がるままにしていた。
絶対に自分から話しかけてこなかったAが、わたしに聞いてきた。「○○くんと付き合っているの?」
わたしは軽く頷いて「もう別れましたけど」と告げた、彼女の目は恐ろしいほど爛々と、憎しみの炎を燃やしていた。
のちに、彼がリベンジポルノのような形で、わたしとの性生活を公言しまくっていたことを風のうわさで聞いた。
わたしはこの事件に知らんぷりをして毎日過ごしているが、おそらく大勢の人が彼の話を聞いたし、そこにAも含まれているはずだ。
自分の好きな人と、セックスをしている女について思いをはせて、憎しみを抱かないわけがない。
彼女は、自分がブスなことに気付いているような言動をたまにする。だったら整形しろよとかわたしは思ってしまうが。
大切な片想いの相手のセックスの相手に自分はなれっこないから、だから、そのセックスの相手を恨む。
なんて向上心がないんだろう、あなたが必死に安月給をためたお金で、顔をいじれば?脂肪吸引すれば?
わたしは向上心がなく、妬みだけで生きているようなデブが、ブスが大っ嫌いだ。
妬んだところで何も起きない、その妬む活力を使ってダイエットでも整形でもなんでもすればいい。
「見返してやる」ってぐらい頑張れよ、なめてんのか、だからお前はブスなんだよ。
彼女は、今もなお去っていった、わたしの元カレのことを愛している。
彼がたまにオフィスに現れると、少女のような笑顔で近付いていく、仕事をほっぽり出して、わたしの机に置いて。
最近、罵倒することよりも、わたしのことを無視することにはまっているらしいAは、時折仕事の引継ぎをしてくれなくなった。
「引き継いでいいですか?」と聞いても、無視してくる、そういう時はAのすぐ上の上司に引き継ぐ、上司は苦い顔をしている。
だれも彼女に文句が言えない、このフロアの多くの人々が、わたしと同じように睡眠薬を片手にしないと眠りにつけなくなった。
「あんなやつ死んだ方がマシ」って言葉がある、あんまり好きな言葉ではないけれど、Aに関してはたぶんこれだと思う。
彼女ひとりのせいで、50人以上の人が、まいにち苦しい思いをしている。
彼女の暴れっぷりは、時折、自閉症など発達障碍者を想起させる、でも、彼女の行動は彼らと違って悪意に満ちている。
わたしは彼女のことが大嫌いだ、無理して笑顔を作ろうとはしなくなって、露骨に嫌いな態度を取るようになった。
そうすることで、彼女が距離を開いてくれると思ったから、無関心を選んでくれる頭の悪くない人間だと思っていた。
Aは毎日わたしを罵倒する、わたしの目の前で、わたしのいないところで、大声で、小声で。
わたしは、もうこの罵倒が日常になってきて、最近は表情一つ動かさなくなった、Aはつまらないのか、まるで壊れたおもちゃを叩くみたいに、金切り声でわたしを罵倒する。
時々おもしろくなる、彼女は叫び続けている、その叫ぶ労力でもって、自分磨きのひとつでもすればいいのに。
お前が罵倒している小娘は、お前が愛している男とセフレですって言いたい。
Aの話をすると元彼はよく笑う、その笑顔がかわいいから、わたしはよく彼女の話をする、ベッドの上で、体を繋げながら。
「デブは無理だよ、100万もらえるなら考えるけど」元カレは笑う
Aさん、100万あげたら抱いてもらえるって、安くない?
わたしはタダだけど、むしろお金もらえるけど、100万あげたら片想い叶うよ、虚構だけど。
きょうのわたしは睫毛のカールが上手にいったから、たぶん彼女は「まつエクをする女って勘違い野郎だよね」という話をわたしの後ろでし始めるだろう。
わたしは心の中で、きょうもAの発言にツッコミをいれる機械と化す「お前の小さな目だったら、まつエクしても誰も気づかねえよ」
DARPA予算もらってる研究者と共同研究してる関係で,間接的に軍事予算使って軍事研究してる日本の大学教員だ.さあ軍事アレルギーの皆様は存分に叩いてくれ.
だがな,大学は増え大学教員も増え,文科省から降りてくる研究費は減り,そのくせ社会から大学への要求が増えている今,軍事予算でももらわねぇとやってられねぇんだよ.時間も金もない.金で時間を節約するためにも金がいる.そんな底辺大学は知らんって?タイムズの世界大学ランキングで日本国内第10位くらいのうちが底辺だってならそれもいいだろう.それにだ,自分で言うのもなんだが俺がやってる研究なんざ,どう軍事的に役に立つのかわからん.
ワイ「よっしゃ無人爆撃機に指示を出すための音声認識ソフト作るわ」
DARPA「ええで」
ワイ「ええんか」
ってぐらい目的とずれた研究テーマが許されてる(研究テーマは架空のものです).所詮共同研究者だってのもあるが,科研費なら確実に怒られるくらい研究者に広い裁量が委ねられてた.防衛省予算がどんな形で使われるか知らんが,NHKが特集したのが船の抵抗を減らす研究だっけ?NHKが総力を上げて一番軍事に使えそうな技術を選んだ結果がそれか?普通に民間の役に立つ研究じゃねぇか.積極的に支援されて然るべきだ.お前らそんなに科学技術の足引っ張りたいのか.だったら裸に腰蓑付けて日本アルプスの奥地で猪でも狩ってろ.
それでも嫌なら科研費増やしてくれ.なんなら民間の財団法人作って助成金配ってくれても良い.そうだな,年200億くらいくれるなら防衛省予算を選択する人間は減るんじゃないか?なんだかんだ言ってもやっぱり防衛省予算にはそれなりに規則や縛りってのはあるから,研究者の裁量で使いやすい助成金があったら飛びつくぞ.
あと逆に,「軍事や戦争が科学技術の発展に貢献した」とかいう軍国主義者だか歴史修正主義者だか「軍事アレルギー」アレルギーだかも黙っててくれ.そりゃまあ確かに,コンピュータもインターネットもスペースシャトルも大量の軍関連予算が投入されて今日の発展を遂げたよ.それは間違ってねぇ.だが,それは軍関連予算なしでは成し遂げられなかったのか?コンピュータもインターネットもスペースシャトルも,アイデアや試作品は大学とかの研究者がすでに持っていたものだ.だったらそこに金と人を投入しさえすれば進歩はしただろうし,別にそれが軍関連予算である必要なんかない.別に軍事研究の副産物として生まれたわけじゃねぇ(電子レンジは軍事の副産物と言ってもいいが).黙って金だけ出してろ.手柄を横取りするんじゃねぇ.
そりゃ原子力爆弾を作るためのマンハッタン計画で得られた膨大な研究データは原子力発電所を作るために活用されたよ.でもだったら最初から原子力発電所を作るために研究費とマンパワーを投入したらもっといいものが出来てたんじゃないか?V2ロケットをロンドンにぶち込む手間を考えたら,最初からサターンロケットの試作機作ってたほうが良かったんじゃねぇか?そもそもマンハッタン計画もアポロ計画もその予算捻出のために,他の科学技術関連予算削ってたんだぞ.お陰でどれだけのプロジェクトが潰れたことか.全体で見れば明らかに科学技術の発展の足を引っ張ったじゃねぇか.
科学技術を発展させたいなら何も言わずに金をくれ.縛りを付けたり歪な選択と集中をやった上に,科学技術はわしが育てた,とか手柄の横取りすんじゃねぇ.
つっても国防が必要で,そのための研究開発が必要だってところに異論はないよ.そのためにそれなりの予算を割くことも仕方ない.そのお溢れに与れるなら僥倖だ.デュアルユースってが落とし所として妥当だってのはわかる.分かるんで,今の流れに異論はねぇ.だが財務省はしっかり文科省に予算つけろ.これで良いとか思うな.
軍関連という色の付いた1000万と民間財団の助成金のような色のない1000万なら,色のない方が研究者の目的に沿った研究ができて科学技術は発展するよ.軍事研究が科学技術の発展に貢献したなんて寝言は寝て言え.
だが色の付いた1000万と色のない100万なら,色があっても1000万のほうが科学技術は発展するんだよ.だから軍事研究が嫌なら金をくれ.それだけだ.
今回はガンガンオンライン
ここ最近の活躍だけみるとマサトの主人公気質は中々だけれども、群像劇だからあくまで主人公の一人っていう扱いなんだよね。
彼以上の活躍のシーンが、他の人たちにもちゃんと用意されていることを期待したいところだが、できるのかなあ。
後半、如何にもな感じの横暴な領主が出てきたな。
なんかすごい制度だなと思ったが、現実でも「初夜権」みたいなのが昔あったらしいね。
こう、普段おちゃらけた奴が、ちょっとカッコイイとこ見せるっていうのは嫌いじゃない。
けれども、そのキャラならやりそうな範疇での意外さっていうか、「らしさ」を残したままの言動かってのは裁量が難しいところだよなあ。
部活が嫌いで、それに携わる暑苦しい感性の奴が嫌いな西野だから、違和感はあるけれどもその範疇とはいえるか。
結果としては、うやむやにすることで部活に小森は戻れたわけだけれども、客観的にみたとき西野のやったことは余計なことかもしれないっていうのがモブキャラのセリフで提示されるってのが興味深いね。
顧問のスタンスって、まああーいうのがいるし、そういうやり方が正しいとも間違っているとも必ずしもいえないが、いきすぎた情熱によって、そういうのが合わない子が割を食わされたり、無用に心を痛めているのは事実なわけで。
結果論といえばそれまでかもしれないが、あえての選択にちゃんと理由を説明して、それを納得させたってのはよかったと思う。
総括。
語りすぎず、説明不足過ぎず、エピソードごとにちゃんとした答えを作中で提示する構成が読みやすかった。
ただ、まあ、それがテーマの割に、ストーリー全体にただよう凡庸感を与えていたり、面白さに直結しているとは限らなかったのかもしれない。
高校の部活ではいじられキャラだった。(クラスでは目立たないように普通の人を演じてました)まあこれは中学校くらいからなんだけど。でも中学の頃は一言で言うと「愛のあるイジり」だった。部活の子も、クラスの子も、これを言ったりやったりしたらダメだなっていう裁量がちゃんと分かってた様な気がする。しょっちゅういじられてたわけじゃないから私も嫌な気分はしなかった。
でも高校は、そういうのをきちんと理解してくれない人がいた。いきなり距離感を詰めすぎたり、行きすぎたイジり方をしたり。私はいじられキャラだから、こいつならいつでもどうイジっても良いと思ってた人いたんじゃねって思う。
具体的に言うと、同じ部活の可愛い女の子と喋ってると「〇〇に近づくなーっ!」て跳び蹴りしてきたり。同じ部活のちょっと変わった男子と話をしているだけで「〇〇のこと好きなの?」ってしつこく言われたり、私とその男子のことをCP名みたいな言い方したり。
私が精神的に参ったのは部活紹介でパンフレットを作る時に、部活で〇〇な人みたいなコーナーを作ろう!となった。パンフ作る係の人がが、その中で「部活内でMな人」といういかにも私な項目を作った。当然結果はダントツで私が一位だった。流石に私は「本当に嫌だからパンフレットに載せるのは辞めてくれないか」とお願いした。ところがその係の人は全然理解してくれなかった。中には私が嫌がってるんだから載せるの辞めたらと言う人もいたけど、結局は多数決で「いじられキャラ」みたいな優しい表現に変えて私の名前が載ることになってしまったのだ。
あれだけ嫌だと言ったのに、意見が通らなかったこと。そして、同じ部活の友人Bに「どんな項目でもランクインしない影の薄い私より良いじゃん。いじられキャラって皆に愛されてるってことだよ」っていう訳のわからん慰め方をされたりしたことで私は限界が来てその日の帰り道マンションの駐輪場で人知れず泣いた。
なんで?なんであんないじられ方が愛されてるってなるの?あんたも私が蹴られたりしたの知ってるくせに。行きすぎたいじりは嫌だってこと話したはずなのに。他の子は練習熱心な人、とか憧れの人、とかでランクインしているのに私だけこんなことで、しかも後輩からも票を集めててとても情けなくなった。だってこれ、親に見られたり、クラスの人に見られたりすることもあるのに。こんな恥ずかしい思いしたくないのに。ていうか私だって人並みに羞恥心だってあるし年頃の女の子なんですけど。なんでこんな汚れ役みたいなのみんなの分まで買ってやらないといけないの?
(今考えれば「言えば面倒くさい奴だと思われる」と思い普段からちょっといじられすぎてても嫌だと皆の前ではっきり言えなかったから、皆に自分がどれだけ嫌な思いしてるか伝わってなかったんだろうなと思う。)
たぶん私はBが普通の女の子として周りを気にせずに恋愛を出来ていることに心のどこかで羨ましさがあったと思う。だってさー、ブスで、しかも部活で酷くいじられてる女子と話ししても一緒に帰ってもなんの得にもならんじゃん。あとは、さっきあんな風に慰めてたけど心の中では女としての立場は上と思ってるんだろうなと勝手に想像したりした。心がとても荒んでいた。
あ、ちなみにこの事未だに根に持ってます。土下座して謝られても絶対に許さない自信あります。おそらく一生許すことはないでしょうね。
「この記事は確かに一見トンデモだが色々と考えさせられる。中国を馬鹿にしている人、中国と国交を切れとか、一発ぶちかましてやれ、という短絡的な発言をすぐに言う人をコメントではよく見かけるが、中国がなぜここまで執拗に挑発してくるのか。深く考えたほうがいい。中国と戦争しても余裕で勝てると考えている人は頭がお花畑だろう。」
火花がまだ出ていない今のうちに、国内をなるべく良い状況にしておくこった。大手マスコミが送る塩水をうっかり飲んで、日本国民・国土が世界レベルの金融ブローカーの餌食にされないよう。
日本国民ひとりひとり、中国人民よりも裁量を大きく持っている・持つことが法律上保証されている(社会でそう動くべきである)点で、現状十分に「勝っている」ことを認識すれば、多くの社会問題にも、連中の挑発にも、効果的かつ理性的に対処可能と思われます。
まずは、ご高齢者から青少年少女まで広い立場にまずは聞き耳をもち、一方で社会と経済停滞の元凶である腐敗した政界・マスコミ界の老害は引退してもらいましょう。
そりゃ金はないよりあったほうがいいし、容姿はよければそれに越したことはないし、仕事ができればかっこいいだろう
でもそういうのって過剰に持っていてもしょうがなくて、自分のキャパ以上のものを持っていても無駄だし下手すると害もあったりする
こういうのはミニマリストの思想にも近いんだけど、維持管理の能力・スキルを越えるものはたとえ金やモテであっても捨てたほうが楽なんだ
例えば金であれば預貯金・株債権・不動産含めて億以上の資産を持っていればおおよそ金持ちのレベルに入るだろう
ただその資産を運用し続ける気力はあるか?運用だけじゃない、賢く消費できるかと言われれば多くの人間には無理
金は単なる選択肢を増やす手段でしかなく、効用を得るにはその選択肢を正しく使うスキルがいるのにそっちを軽視する人間が多すぎる
そういったスキルがないのであれば選択肢なんてないほうが幸せだ
選択肢といえば容姿・モテも同じ。どんだけ女にモテても交際とは最終的には一人の妻を選ぶプロセスにしかすぎず
モテはその一人の選択肢を増やすのみ。結婚してしまえば後は無駄な交友コストがかかるだけの重荷だ
何もしてないのに勝手に異性から好意を寄せられたり、それが理由で他の異性と人間関係がギクシャクしたり、
なるべく相手にダメージを与えないようにやんわりと好意を拒絶したり、こういう本来不要な精神的コストは結婚期間が長いほどマイナスの影響を受ける
上2つに比べると仕事ができることの弊害はわかりやすいかと思う
組織に適切な制度設計がなされていなければ、できる奴に仕事が大量に降ってくるだけで何も得しない
うまく設計されていれば責任に比例して裁量も与えられるようになるはずなんだけど
そうなると今度は抜擢されることによる嫉妬が発生したり派閥争いに巻き込まれたりして人間関係で疲弊する
とはいえ、こういうことはまず金も容姿も仕事能力も持っている人間が言わなきゃ説得力がないわけで
そういうものに
私はなりたい
乳飲み子がいる、休む前に精神的にバランスを取るため旅行で散財して蓄えがない、なのに傷病手当金が翌月しか出なくキャッシュフローが辛い。
僕と同じ状況だ。
何をやったかというと、頭を下げた。
弟に頭を下げた。
口うるさい親には言えなかった。
弟は人生で一度も頼みごとをされたことがないから、と驚いて快くかしてくれた。
兄弟とはいえ、いや兄弟だからこそ揉め事にしないために借用書をバッチリ書いて借りた。
借用書は、ネットで調べたフォーマットを元に金額と返済期間、サインぐらいのものを使った。
妻に頭を下げた。
既に職をやめていたので、パートで働きに行ってもらった。
完全な専業主夫をやることにした。
乳飲み子を世話するのは大変だったが、数日経てば人間慣れるもので案外どうにかなった。
乳飲み子を見ていて、ノイローゼ気味になっていた妻の気分転換になったのは良かった。
世の中、イクメンと呼ばれる人は多数いても案外専業主夫をした人は少ないので貴重な経験かもしれない。
やってみると、主婦がどちらかといえば、全裁量を与えられた個人事業主のようなものだと気付く。
妻の大変さが分かると、何かと付き合いやすくなった。
とりあえず何かの参考になれば。
(女性向け同人の)寄稿に対する謝礼について、少し思うことがあったので書いてみる。
アンソロ寄稿とかゲスト寄稿の御礼って、本とノベルティが一般的って言うじゃないですか。
主催の裁量でそこに菓子折りとか、金券の「謝礼」がつくみたいな。
でも赤字のアンソロもあるし、謝礼はなきゃ絶対駄目! ってもんじゃない。
謝礼がなくて文句言うやつが逆に卑しい。謝礼目当てなら受けなきゃいい。
その風潮に、私は「え?」て思うんです。
ゲームやる時間とか本読む時間とか寝る時間とか削って描いて(書いて)もらうわけでしょ?
その人が個人誌に使える時間や労力を、自分が出す本のために貰うわけでしょ?
それで御礼しないの? マジ? って思うんです。
だって例えば、結婚式で受付したり、余興したりスピーチしたら、普通、謝礼もらいません?
私のために時間をとって準備してくれてありがとうって、貰うでしょ? 渡すでしょ?
あと、ドライブとかで誰かが車出してくれたら、ガソリン代は持つよ、とか
お茶代は出すね、とかそういうのあるでしょ。それと同じじゃありませんか?
自分のために時間割いてもらって、素晴らしい原稿を受け取っておいて、
何も御礼しない、本とノベルティだけって、私ならちょっと引きます。
黒が出るから御礼、とかじゃなくない?
自分のために動いてくれたひとに、何かしたいと思わない?
そんなのお金が出て行く一方だ、そんなに余裕ないって言うなら、本出すのやめたほうがいい。
みんなが自分の本のために割いてくれた時間分バイトしたら、謝礼くらい用意できるでしょ。
だから謝礼なくて当たり前って風潮が嫌です。
君を店長に命じる。
こんな指示が当たり前なので、
自分だけ土日休むとか後の事は知らぬ存ぜぬで通せばいいんじゃないのか。
それとも飲食業界やアパレル業界っていう所の店長さんは皆意思が弱いのかしら。
少なくともそこんじょそこらの店員やバイトよりずっと偉い立場なんだから上手く立ち回れるはずなんだけどね。
結局ブラックだ何だと叫ぶ店長って自分で意思決定も出来ないグズなだけでしょ。
俺がすき家やユニクロの店長ならまず自分のライフワークバランスを徹底改善するよ。
そしてバイトはイケメンか美少女を雇い入れて時給高めに設定するわ。
良い人材を得ようと思うなら身を切らないと、
それで上がおかしいと言って来るもんなら、俺を店長から遠ざければ良いだけの話。
収入、世帯構成、健康状態についての質問があり、回答を調査票に記入する。全部で10ページほど。
封筒は調査員から手渡しされ、その際に調査についての説明がある。
連絡票には、厚生労働省が実施している調査であること、指定の期日に調査票を受け取りに再訪する旨が書かれている。
隣家も調査対象となっていたので、地域ごとにある一帯を調査の標本として選んでいるようだ。
記入した調査票は、回答期日に調査員に直接手渡さないといけない。
インターネットまたは郵送での回答は不可。こういう時のためのマイナンバーでは無いのか?
夜7時に受け取りに来ると書いてあったのだが、チャイムが鳴ったのは何故か午前中。
たまたま在宅中だったので無事提出できたが、不在の時はどうするつもりだったのか。
日本人は集団行動が得意みたいに思っとるけど、政治や経済、映画やゲームといった、チームや大勢で何かを作ると、似たり寄ったりの無難なしょうもない物ばかり作りよる。高い品質の尖った物は何かっつうと、漫画だとか料理人だとかラーメンだとか、個人の裁量で世に出すことが出来るものばかりになるんよね。ノーベル賞とかも、あれ集団の功績じゃないよね、知らんけど。
大企業も結局その創業者個人が凄いだけやしね。なんなんだろうなこれは。大企業に勤めていたとして、創業者の作り出した価値にぶら下がってるだけの、問題を起こさない事しか取り柄のない集団に属しているだけのモブ野郎に、なんかの価値があるのかね。
クレイジージャーニーに出てくる人たちは、何故クレイジージャーニーになったんだろうか。何故集団から出て、この国から出て、一人でクレイジージャーニーをやってるんだう。
これは前々から思っていたのだが、クレイジーでもジャーニーでもないワイやお前らみたいなモブが、しょうもない同調圧力で日本国中から押し込んでるんだよ。なんかの才能を。
ちょっとだけ出た歪なツクシみたいな奴を、大事にみんなで大量に育てんといかんのじゃないか。変な形だからって叩くんじゃなくて、優しく見守ってさらに育まんと。そして大勢のクレイジージャーニーにお前も世界も引っ張っていって貰わんと、モブであるお前らや、お前らのモブ子孫は、この先生き残る事ができんようになるんぞ。
表現で剥離と使うと乖離と言い間違えたと指摘され誤用と扱われる。
しかし乖離という表現が一般的だと知った後でも、どうも剥離の方がしっくりくる時がある。
剥離は無惨にベリベリ剥がれ堕ちていったイメージで、そんなイメージから剥離を選びたいような気がしてきたりする。
(追記)
上記の文章を書く前に調べたら知恵袋で似たようなことを質問してる人がいてそこでも大体一般常識だから~という論調でボコボコにされていた。
トラバの概念か物理的かの違いは分かりやすく納得がいったが、ブコメは大体一般的だから~とかいう物言いばかりで、そういう話をしているのではないのになと思った。
某選手の延々と永遠も、自分はやっぱり延々派だけど所詮はツイッターだし本当に「永遠」と言いたかった可能性もあるなと思うし、それが悪かというと悪ではないよなと思う。
彼の場合は普段から色々と突っ込まれやすい発言が多かったから強く言われてしまうんだろうなと思う。
そもそも言葉というものは元来変化していく前提の下にあるものだ。歴史がそれを証明してもいる。
文化や言葉はいつでも発展途上にあるもので、だからといって古いものが悪いわけでもないが新しいものが悪いわけでもない。
古いものもかつては新しかったものだし、似ている意味の諺や慣用句がいくつがあるものもあったりする。
延々と永遠みたいなのも意味は容易に想像がつくし結果大半がほぼ同じ意味だととることができるだろうから片方が100点でもう片方を0点とするまでの差はないだろと思う。
正式で厳格な論文とかならともかく呟きや日記程度で堅苦しい言葉の使い方や使い分けを強要するのはつまらないなと思う。
(そもそも論文とかの方が一般的に分かりにくい表現や文章になっていたりもするが)
果物を普通の包丁で切っている人に対して果物を切るときは果物ナイフしか使っちゃダメだというようなものだ。
文章を書いた者があえてその言葉や表現を選んだ意図や意味を想像するのも一つの価値となるはずだ。
知り合いの英語教師から聞いた話だが、正しい日本語や言葉の使い方だなんだとうるさく文科省が指定したりするのは日本くらいで、
海外では野放しなので、日本が教える外国語と実際現地で一般的に使われる外国語に大きな差が生まれてしまっているとか。
そんな中でも漢字や語句の読み方というのは語句の表現や比喩の用法よりも明確に正しいか間違ってるかが分かりやすく決めやすいものだと思う。
しかし現実には明らかな読み間違いですら常識化されて、それが一般的になってしまった例がいくつもある。
それに比べると表現や語句の用法というのは厳格でなくてもよく、個々の好みや裁量が広めに許されるべきだろうと思うが…。
ブコメでも文学的表現であればしっくりくる方を使えばいいというコメントがあったが、表現の話なんだからそういうことを言いたかった。
あとキャラクターとシナリオの剥離の記事は書いてないし読んでもいないが、その場合にも意図によっては剥離使うのもありかと思う。
剥離はくっついてたものが離れるという意味というコメントもあったが、だからこそそっちが合うように思える時があるって話をしていた。
まあトラバの概念と物理の話が本当なら乖離が正しいと思うが、既に結構よくある誤用例らしいし後に使用許可される範囲が広がっていくのかもしれない。
免許証の住所には字(あざ)と印字してあるが送られてきた封筒には字(あざ)が入っていない。
なのでまったく同じ住所でなければお渡しできないので一度返却しますのでもう一度正しい住所で送ってもらってくださいとのこと。
嘘でしょ。ねぇ!嘘と言ってよ!!こんなバカな話ある?
よっしゃ分かった。配達員さんの立場上そういう決まりならしょうがない。そういう教育を受けてて馬鹿らしいのが分かっててもそれを忠実に守ってるんだね。君は偉い!!
だったら字(あざ)があったか無かったかなんて今ここにいる僕たち二人以外誰も知るよしもないじゃないか。
君の裁量でオッケーしてくれれば誰にもバレることなくすんなり終わる話だよ。な。そうだろ~。
おぉ~そうか、そうか。あぁ分かった分かった。馬鹿は君じゃなくてきっとその上司なんだな?君はその馬鹿な教えに忠実にしたがってる真面目な配達員。そう。君は何も悪くない。
だったら俺が直接その上司と話すりゃ簡単に終わる話だ。
が、話せばすぐに分かってもらえると思って行ってみたのだが「決まりは決まりなので・・・・」みたいなかんじで、俺がただのクレーマーみたいになってもうたのです。
あまりにもお話にならんので日本郵政に直接電話でお問い合わせてみることにした。
日本郵政としてそんな馬鹿な事を決まり事としてやってるのかと問いただしてみたところ。
答えは
「字(あざ)が無いからと言って配達しないということはない。ちなみにそれはどこの郵便局ですか?」
ですって。
そりゃそうだ。
「しっかり教育しとけ馬鹿野郎!!」とは言わないが、今後はよろしく頼みまっせという事で貴重なご意見をお伝えしてやったわけです。
それにしても配達員はかなり優秀だ。どんなに馬鹿げていると分かってても上からの教えを最後まで忠実に貫き通す忠誠心は素晴らしいと思う。
彼らは彼らの仕事を全うしたまで。それには敬意を表する。
退職から一年が経過し、新しい職場(WEBベンチャー企業)での仕事に慣れたこと、
また、富士通の同期入社の友人から頻繁に転職の相談を受けるようになったこともあり、本エントリを執筆する。
はじめに、筆者の退職理由を簡単に述べると、富士通という会社に未来を感じなかったことと、やりたい仕事はできないだろうと判断したためである。
参考までに、筆者は公共機関向けのシステム開発部門に所属していた。
担当していた業務は様々で、小規模なシステム開発や、子会社・下請企業の管理であった。
富士通には、人材キャリアフレームワークという社員評価制度があり、現場には、入社何年目はこのレベルの仕事、といった暗黙の了解がある。
本人の能力や意欲とは全く無関係に、入社後の経過年数で、仕事の裁量の幅が大きく制限される。
このことはいわば、学習指導要領ならぬ、業務指導要領があるようなものだ。
このような枠組みや暗黙の了解が存在すること自体が問題なのではなく、その枠組から逸脱した人材を想定しない・評価しないことが問題なのである。
筆者がお世話になった優秀な先輩方は、この業務指導要領の要件を満たして手に余った人、
いわば天井にぶつかった人から先に、より大きな仕事がしたいという理由で辞めていった。
筆者もその一人である。
既存産業の大きな成長が望めなく、社員個々の多様性が重要視される昨今の経済情勢において、
高度成長期における横並び思想をもとの作られたやり方が未だに社内を謳歌しているのは時代錯誤というほかない。
富士通への提言として、これからの時代は、年齢も在籍年数も関係ない人材評価制度を作っていくべきである。
そして重要なのは、会社の既存事業でいかに利益を上げたかについての評価ウェイトを下げ、
いかに新しい発想で新しい事業を提案したか・実現したかという評価項目を設立するべきである。
なお、富士通には社内ベンチャー制度があるが、これはうまくいかない可能性が高い。
なぜなら、社内ベンチャーを承認するのは旧式の人材の典型例である高齢な経営層であるからだ。
いままで数十の社内ベンチャーの審査結果を見てきたが、彼ら経営層に事業の将来性を判断する能力はないと痛感した。
また、他の理由としては、富士通の既存事業と衝突すると社内ベンチャーが潰されるということがある。
将来性のない既存事業を残して、将来を託すべき社内ベンチャーを潰すという企業風土なのだ。
富士通という会社には多数の既得権益集団がいる。そして、社内のルールは彼らが決して不利にならないように作られている。
なぜなら、ルールを作る権限は、先頭を走る集団、1980年代に大成功を収めた既得権益層がガッチリ握っているからだ。
いわば、前を走る人を抜かしてはいけないレースのようなものだ。
このような出来レースで若手社員のモチベーションが続くはずはないことは明らかだ。
筆者は、決して年功序列主義を批判したいのではない。
既得権益層が年功序列を悪用して、部下の手柄を自分の手柄にし、部下の失敗を部下に押し付けている実態に対する批判である。
ノブレスオブリージュ、権利を有するものには義務がある、という思想がある。
富士通の既得権益集団には会社の技術力や社員を率先することで、企業としての地位を向上させていく義務がある。
実態は、社内の後進に抜かされることを恐れるあまり、後進の他社に抜かされている。
ちなみに、この既得権益集団に有利なルールが生み出した現状については、
同じく富士通OBである城繁幸氏の著書「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(光文社新書)が詳しい。
経営学において「ヴィジョナリーカンパニー」という名著がある。
この本によると、会社が永続的に成長・発展していくためには企業理念(ビジョン)を社員ひとりひとりが持つことが必要不可欠であると指摘している。
富士通の企業理念は、変革に挑戦し続ける姿勢や、よりよいICT社会づくりに貢献することを掲げている。
しかし、富士通という会社の現状として、このヴィジョンを失っている社員、とくに管理職がとても多い。
30代を過ぎて会社に定住することを決めた社員に変革に挑戦しようという熱意ある人物はひとりもいなかった、
そういう人々にとってICTで社会づくりなどどうでもいいのだ。
ただ顧客の要求を聞いて、それを子会社や下請けに作らせて予算や利益を達成することにしか興味がない管理職が大半であった。
元GEのCEOであるジャック・ウェルチ氏は、たとえ成果を出していようと企業ビジョンを共有しないものはクビにしろと自著で語っている。
このポリシーを導入したら、富士通の管理職の80%はクビになるであろう。そのくらいに富士通の管理職は夢や熱意のない人物ばかりであった。
そのような人材が将来的に会社を破壊する、というウェルチ氏の指摘の正当性を、富士通という会社の惨状が示しているのは皮肉という他ない。
富士通への提言として、ウェルチ氏のやり方を実行すればよいのだ。
成果によって管理職のクビを決めるのではなく、ヴィジョンを共有できているかでクビを決めるのだ。
このやり方を実行すると既得権益を握って離さない経営層や管理職が一掃される。
既得権益にしがみつくだけの人物こそ、ヴィジョンを持たない人物である割合がとても多かったことを付け加えておく。
経営コンサルタントの大前研一氏は、日本の生産性がアメリカの半分しかなく、もはや発展途上国にすら負けていると指摘している。
その原因について、日本では業務標準化が全く進んでいないためであると述べている。
自分の住む自治体と異なる自治体のマイナンバーのITシステムを比較してみてほしい。
ここで、自治体が異なればITシステムも異なることに気づくはずである。
はたして自治体ごとに個別のマイナンバーシステムを作る必要があるのだろうか?
答えはもちろんノーである。全国どこでも一律の業務であるべきであり、同じITシステムを導入するべきである。
自治体ごとに業務フローが異なるために、別のITシステムを使用した時に業務がこなせないという事態が発生する。
そのため各自治体が個別にITシステムをITベンダーに発注することになる。
そこでITベンダーは各自治体ごとに個別のITシステムを作ることになる。
ITベンダー側からすると一度作ったことがあるものをカスタマイズして、業務の順番を入れ替えたり、扱うデータを多少変更するだけで済む。
それなのに膨大な金額を請求するわけだ、ITベンダーとしてはボロ儲けである。
(なお、主要ITベンダー決算書を見ていただくとわかるが、ITベンダーの利益率が高いわけではない)
特に自治体のITシステムは国民の税金で作られているわけである。
各自治体は、このような現状を放置していて、国民に申し訳ないと思わないのであろうか?
このことは、決してITベンダーにのみ責任があるわけではない。
総務省が陣頭指揮をとって各自治体の業務標準化・統一化を進めなくてはいけないのに、それが全くなされていないのは監督官庁としての責任放棄である。
このように業務標準化が全く進んでいない現状は自治体に限らず、民間企業においても同様である。
会計パッケージにおいて、世界のデファクトスタンダードになりつつあるSAP導入に失敗する事例を数多く見てきた。
失敗する理由は、個々の企業の業務に合わせてSAPをカスタマイズしており、そのカスタマイズでは対応できない業務フローが存在するからである。
問題なのは、そのような業務フローは、決して必然的な業務ではなく、過去の慣習から存在しているだけであることがとても多い。
ここにおいて、ITシステムが業務に合わせるのではなく、ITシステムに合わせて業務の方を変えていかなくてはいけないのだ。
このことは、サービス・流通業の顧客からSAPのカスタマイズで無理難題があがってくることが特に多いことと無関係ではないであろう。
富士通は、既存顧客の業務標準化およびデファクト・スタンダードとなるITシステムの開発の陣頭指揮をとる役割を果たすべきだが、その望みは期待できない。
なぜなら関係が深い企業において、業務が効率化すると大量の社内失業者を出すことになるからだ。
そのような"顧客との良い関係"を崩すようなことはやらない会社である。
日本という国のあるべき姿を長期的に考えた際に必然的なことであるにもかかわらずである。
富士通の企業理念である、よりよい社会づくりに貢献するとは、まさにこの業務標準化を推し進めることなのではないのか。
富士通には外国籍の社員が相当数在籍している。しかし、彼らに求められる日本人への"帰化圧力"がとても強い。
同期入社の中国籍の友人は、対外発表会のために完璧な日本語の発音の練習をさせられていた。
完璧な日本語の発音は日本人に任せるべきで、中国に精通しているというメリットを活かせる部署に配置転換するべきである。
なお、残った外国籍社員をみると、小学生から日本にいるなど、生まれたのが海外というだけのほぼ日本人だったりする。
外国籍社員の離職率が高いことに対して、本部長が提示した対策が、
長く働きたい会社とはどのような会社か、というテーマで外国籍社員を集めランチタイムにディスカッションさせるというものだった。
この席で「無能な人が本部長にならない会社で長く働きたい」という大喜利でもすればいいのだろうか。
富士通はグローバル企業を表明しているが、このような組織で海外進出などできるはずもない。
なぜならば富士通の利益構造では、海外において利益を上げられないからだ。
このカラクリの解説は大前研一氏が詳解されているので、参考にしていただきたい。※1
6.富士通の良いところ
ここまで富士通に対する批判と改善の提言を述べてきたが、富士通の良いところについても触れておきたい。
まず、個々の社員の仕事力や組織力といった点では、他の大企業と比較して遜色ない。ただし、富士通の主要グループ企業に限るが。
数十を超える大企業および中小企業と仕事をしたが、やはり大企業は個々の社員のレベルが高く、組織力も高い傾向にある。
顧客として他社と仕事を進めていくうえで、大企業の方が優秀な担当者に遭遇することが多く、仕事がとても進みやすかった。
この理由について、大企業の社員育成能力が高いことはもちろん、社内チェック体制が整っているからではないかと思う。
社内で質の悪いものは弾いており、社外に出さないようにしているのだろう。
また、富士通は顧客主義がきちんと徹底されている会社であると感じた。
筆者と富士通の顧客主義が異なっていた点はあるものの、顧客起点に立つという考え方は大事なことである。
柔らかい人が多く、職場の雰囲気はとても良かった。お世話になった直属の上司や先輩方は、優しく丁寧なご指導をいただいたことに感謝している。
7.おわりに
最後に、立花隆氏の著書「東大生はバカになったか」(文春文庫)から名文を引用したい。※2
「いま、この辞めたい気持ちを逃したら、この会社に骨を埋めて、あそこにいる連中と同じになってしまうと思った。」
結局、筆者の退職理由は、偉そうな顔をしているがロクなビジョンも打ち出せない富士通の上層部のような人間になりたくなかったからである。
富士通という会社に必要なのは、優秀な若手の育成などではなく、無用な老害の排除である。
筆者には、富士通という会社は、沈みゆく泥船にしか思えなかった。
※1「産業突然死」の時代の人生論、第44回 談合をなくす二つの妙案-"便利なゼネコン"はいじめの温床
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/46/
(この記事のゼネコンをITゼネコン(ITベンダー)に置き換えていただきたい。)
※2 引用にあたり、語尾を改めた。
補足1.城繁幸氏の著書「内側から見た富士通」(光文社)についてのコメント
この本は富士通が先んじて導入した成果主義が、名ばかりで社員のやる気を奪う結果に終わったという実態を告発した本である。
この本について、いくつか述べたい。
まず、本題である、成果主義が経営層のご都合で導入されて、社員のモチベーションを奪うという最悪の結果に終わったという指摘はまさにその通りである。
また、この本が出版されてから10年以上経つが、実態は改善されていないし、する気もないのだろう。
(そもそも経営者のご都合成果主義の導入を失敗だと気づく能力が欠如しているのかも知れない)
管理職の仕事は、部下の成果を評価することではなく、予算内におさまるように部下の評価を調整することであった。
なお、成果主義の導入を評価している現場社員は誰もいなかった。
(成果主義を批判する幹部社員はいなかった。おそらく批判すると何らかのペナルティがあるのではないかと邪推している。)
補足2.転職について
筆者の転職について、考慮したことをいくつか述べる。
まず、次の会社・仕事の選び方および交渉の進め方については、山崎元氏の著書「会社は二年で辞めていい」(幻冬舎新書)を大いに参考にした。
転職は考えていなくとも、今の時代を働く考え方、人材価値のセルフマネジメントなどは一読の価値がある。
富士通という大手を辞めたはいいが、次の会社で苦労している人が多いという意見についてコメントしたい。
筆者に言わせれば、それは転職のツメが甘いのだ。
現職のどこに不満を持っていて、そのうち、どこが改善の余地があり、妥協するべきであり、次の職で改善を期待するのか、についての思慮が浅い。
社会のルールをわかっていないで転職したとしか思えないケースもある。
そもそも富士通という会社に勤めているにもかかわらずITゼネコンの生態系を理解していない社員がとても多い。
下請け企業にいけばもっとやりがいのある仕事ができる、などという浅い考えで転職する人はいる。
ITゼネコンの下請けを生業とする会社の社長は、中間管理職と何一つ違いはない。
上の指示(元請けの発注)を受けて下に伝達するだけであって、自身で新しい事業を生み出す能力のない企業である。
新しい会社は、自社で新しい事業を生み出す能力があり、きちんと利益を上げている。
転職において改善したかったこと、専門的な業務ができること、自分のアイディアを事業に活かすことができること、それらがすべて達成できた。
続きです
私はZ君指名にしてO子ちゃんはフリー客ってことにしたので、いろんなホストさんがまわってくる。私はもう永久指名が決まってるので、名刺貰えなーい(笑)
永久指名ってなんだかすごいよね。結婚ですらいつまで持つかわからないのに、ホストさんを永久に指名するって。
口座とも呼ばれて、その人の裁量でツケにしてもらうことも可能らしい。私は「いつもニコニコ現金払い」をモットーにしてるのでツケで遊ぶのはあり得ないです。
☆他のホストさん
Z君が居なくなって最初に来てくれた子、S君がすごかった。顔は並(あとで見たら表に飾ってあるパネルの子だったんだけど、写真修正し過ぎて誰だかわかんない)で、若すぎるし好みでも何でもないって思ったんだけど、すぐに引き込まれた。物腰が柔らかで、騒音の中で酔っぱらって無茶苦茶な私の話をきちんと聞いて受け答えできて、発声が良いのか非常に話が聞き取りやすい。この人はどんな職業についても成功するんじゃないかと思った。っていうかまずは今やってるホストで大儲けだね!
そして目が普通の人と全然違う。カラコンのせいだけじゃないですよ。じーっと見つめる、清らかな赤ちゃんのような目だと思った。なんだか非常にやばかった。
なんで赤ちゃんを連想したのか、あとで気づいた。オキシトシンが分泌されたんだよ。母性本能、愛情、信頼が湧いてしまったのですね。うひゃ~
彼は指名ナンバー1の人だったようです。O子ちゃんが見せてくれた名刺、名前が筆ペンで手書きでめっちゃ達筆だった。S君、恐ろしい子!
こんな人が次から次へと来たらえらいことになる!と思ったのですが、あとは想定内に楽しいイケメン陣と、あまりお話もできない新人さんの玉石混合状態でした。ほっとした(笑)
他の賑やかなテーブルでシャンパンオーダー。「もう一本いっちゃう?よっしゃー2本!あともう一本?」とかマイクでわーわー騒いでて、結局女の子二人で5本はオーダーしてた。すごく楽しそうだったから良いのだけど、払えるのかなーと心配になりました。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20160421233307
旧来型の大企業は若手新人にいきなり責任のある業務を負わせない。
最初の数年はバイトでもできるような仕事をやらせて、社内・社外に馴染ませる。
そのあとバイトリーダーのような仕事をやらせて、人の上に立つ経験をさせる。
今は、この辺りの仕事は非正規人材に丸投げしてしまうことが多い。
30代になって、これまでの仕事が認められたら、ようやくイメージしていた「正社員」の仕事をやらせてもらえる。
給料も一気に上がり始める。
40代になれば自分の裁量で責任のある業務ができるようになる。
ここまで来ると仕事が楽しくなる。脂の乗り切った時期と言われる。
30手前で独立してしまった自分としては、今となっては、この仕組みは素晴らしいものだと思う。
自分もこの仕組みに乗っていたら、と思う。
でも、当時、この仕組みが何時までもつか疑問を持っていた。
あとは、自分の仕事が認められなかったら、30代になっても、いつまでもバイトのような仕事をし続けることになる。
そういう先輩を沢山見てきたのも事実であり、自分がどのコースに乗るか不安があった。
認められる認められないは数字の成果ではなく、その時の景気状況の影響が一番大きいのも怖かった。
40近くになり、空になったウォーターサーバの補填をする仕事だけをして1日過ごしている先輩もいた(社内が広いので何箇所もある)。
20代を過ごした部署が不景気でなくなり、当時の上司はいなくなり、総務という名の雑務に転属させられ、プリンタのトナーの交換やら紙の補充やら発注やら。
年齢的にも給料的にも辞めるに辞められず。
本人に能力がないのだと言われたらそこまでだが、20代にバイトでもできるエクセルいじりの仕事だけをやらされ続けてきたツケでもある。