2016-06-04

クレイジーじゃないジャーニー

日本人集団行動が得意みたいに思っとるけど、政治経済映画ゲームといった、チームや大勢で何かを作ると、似たり寄ったりの無難しょうもない物ばかり作りよる。高い品質の尖った物は何かっつうと、漫画だとか料理人だとかラーメンだとか、個人の裁量で世に出すことが出来るものばかりになるんよね。ノーベル賞とかも、あれ集団の功績じゃないよね、知らんけど。

大企業も結局その創業者個人が凄いだけやしね。なんなんだろうなこれは。大企業に勤めていたとして、創業者の作り出した価値にぶら下がってるだけの、問題を起こさない事しか取り柄のない集団に属しているだけのモブ野郎に、なんかの価値があるのかね。

クレイジージャーニーに出てくる人たちは、何故クレイジージャーニーになったんだろうか。何故集団から出て、この国から出て、一人でクレイジージャーニーをやってるんだう。

これは前々から思っていたのだが、クレイジーでもジャーニーでもないワイやお前らみたいなモブが、しょうもない同調圧力日本国から押し込んでるんだよ。なんかの才能を。

ちょっとだけ出た歪なツクシみたいな奴を、大事にみんなで大量に育てんといかんのじゃないか。変な形だからって叩くんじゃなくて、優しく見守ってさらに育まんと。そして大勢クレイジージャーニーにお前も世界も引っ張っていって貰わんと、モブであるお前らや、お前らのモブ子孫は、この先生き残る事ができんようになるんぞ。

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