はてなキーワード: 機構とは
俺は別にIT系にまったく関係してないんで完全に素人の意見なんですけど、
それにしたってどう考えてもキチガイレベルで凄すぎるんですよ、最近のパチンコ筐体に詰め込まれてる技術が。
パチンコっつーとその4文字を見るだけでアレルギー起こす人がネットには多くてどうしても評判が悪いんだけども、まあおれもそれほどパチンコを擁護するつもりはないんだけどもさ、まあどんな娯楽でも限度を知らず依存しすぎて破滅するエンドユーザーがクズである事は、酒だろうがゲームだろうが、おもちゃ、アニメ、アイドル、パソコン、風俗、みんな変わらず別にパチンコに限った話では無いし、なにげに巨大な市場規模だから膨大な雇用も産んでるのは確かなので、まあ今回はどうかその辺りは一旦忘れていただいて。
俺は業界の中の人でもなんでも無いので詳しい事はまったく分からんのだけど、でもどう考えても凄すぎるんだよ、最近のパチンコ筐体の演出と動作、挙動とか、制御とかが。
友人の話で興味をもっていろいろ体験してみたんだが、ギャンブル的な面ではなくて、ハードウエアとソフトウエア、機械としてそこに詰め込まれてる技術がすごすぎて、ほんと狂ってるレベルだと思うんだ。もうアーケードゲームどころじゃないよね、あれ。
あの狭い筐体内で、おもちゃのようなカラクリ、いわゆる “役物”と呼ばれる仕掛け がガコンガコン動き回り、物理的に変形して、合体したりする。変形も1段じゃない、2段、3段とものすごい複雑な変形や合体、挙動をする。
液晶画面の演出もかなり複雑で手の込んだCG映像で、画面の周りにあるものすごい数の電飾と全て同期して制御されてる。
さらに最近のパチンコ台は1台に複数枚のディスプレイが搭載されてるのがあたりまえで、メイン液晶ディスプレイの両脇にサブの小さなディスプレイがある事なんかザラで、しかもそれらのディスプレイ自体が回転したり動きまくったりする。
あの狭い箱の中で、複数の液晶ディスプレイが物理的に上下左右にぐわんぐわん動き回るとか、正気の沙汰じゃない。
全ての画面の表示が時間的に同期してるのはあたりまえ、動く座標と画面の表示が同期してたりして、大きな1枚絵を複数のディスプレイが物理的に移動することで全画面表示したりする。つって言葉で説明できてるかわからんレベルの狂った動きを平気でする。
最近は筐体の外側に役物が飛び出している構造のものもあったり、箱のガラス面に映像がそのまま写ったり、電飾なんかいくつあるのかもわからないくらい無数にあるし、こんなになめらかにいろんな色が出るランプってどういう仕組みなのかわからないようなものも山ほどある。
音と光りと映像と複雑なカラクリが全て時間で同期して制御され、プレーヤーの操作(ボタンを押す、押さない)などによってその挙動が変わったりする。
さらにさらにすごいと思うのは、そういった複雑な機構と制御をバグなどがほとんど無い状態で作られリリースされるってこと。それでもたまにバグがあってニュースになる事もあるけど、あれだけの複雑さと日頃のリリースペースからしたら不思議なくらい、そういう不具合は少ない。
ビデオゲームとおもちゃと電飾と家電と…みたいなのを全部詰め込んでごちゃ混ぜになってるものが、あのサイズに収まっていて、しかも驚異的なスピードで新台が開発されてぞくぞくとリリースされる。
あんな技術、世界中どこを探しても日本にしか無い。まあパチンコなんてもんが日本にしかないんだから当たり前なんだけど、それにしたって技術の無駄遣い、、、セイセイ、 すごいと思うんだよ。
ただ、素人目にはあのすごい技術たちが、他のところでなんかの役に立つ機会があるのかどうかが疑問だね。せっかくだから何かの役にたって欲しいよね。戦争と軍需がオーディオ機器を進化させたようにさ。
あれだけの市場規模があって、開発需要があって、そこで培われたものが他の分野に応用がきけばいいんだけど、実際どうなんですか。なんか他に使いみちないの?
例えばこれからの戦争はどんどん電子化、ロボ化されていくと思うんだけど、遠隔操作でロボ兵を操縦して敵のロボ兵をぶち倒すと
「キュインキュイン!MAX HIT!(←虹色」 とか演出して殺伐とした戦争を楽しく演出するとかさ。
なんかねーのかよ。もったいなさすぎだろ。 mn3
追記:
俺はごく少年的な好奇心でカラクリの仕組みなどが知りたいんだけど、ネット上にもほとんど書かれない印象があるのは業界内で暗黙の了解的な箝口令な空気があるのかな。
語った時点で即、身バレしちゃうような感じかもしれんし、ゴトの参考にされても困るってのはあるか。面白そうな話がいっぱいありそうなんだけど。
現代のコンピュータは電気信号で動いているけど、電気信号であることが本質ではないよね。化学的機構だろうが機械的機構だろうが、状態の表現と基本演算さえできれば、そこから論理回路が作れてその上にプログラムを走らせることができる(物理的な大きさや速度は全然変わってくるだろうけど)。プログラムやそれが実現するアルゴリズムを「単なる電気信号」というのは異なる層をごっちゃにしている。
この世に起きる全てはある意味物理世界を演算回路として並列計算をやっているとみなせるけれど、だからといって全ては単なる素粒子の相互作用だと言ってみたところで、そりゃ間違ってないけどその言明だけから何か意味のある結論が導けるわけじゃない。
意識は実装レベルでは脳内の電気信号の時間的パターンかもしれないが、高次の役割は「単なる電気信号」だけを見ててもわからんよ。CPUやOSやアプリケーションの知識が無い状態でバスに流れる信号を見たって何もわからないのと同じにね。
いやーどうすっかな
半額でも厳しいわ
当然のように猶予申請してるんだけど、毎度毎度書類がクッソめんどい
個人情報や家庭事情とかは前回までのをデータベース化して手間を省くくらいの努力はしてもいいんじゃないの
あと問い合わせにはすぐに出ろ、一回混み合っておりますって挟むんじゃねえ
途中で身体壊すとデッドエンドだよな
壊れ切ったらなんかの保証もあるんだろうけど
半端に壊れるのを繰り返すとマジで生き地獄っていうか死が見えるね
ちょっと年上の先輩に
ああいう無茶苦茶な大盤振る舞いしといて立ち行かなくなったから
落差激しすぎんだろ
しかも3年でD取れなかったら奨学金は切れるわ免除申請の資格もなくなるわ
あーー
まあ借金は借りてる方が強いって言うしな
いざとなったら踏み倒そう
残念ながら人間という喩えのそれは現象でありモーターのそれは機構だ。
人間という機構で喩えれば食べ物を取得する代わりに排泄物を廃棄する。排泄物を取得しようとすれば食べ物を廃棄するという機能構造になる。
モーターという現象を逆転させれば運動エネルギーを電気に変えるのを逆転させれば電気で運動をするが
運動させて電気エネルギーを発生させその電気エネルギーを使って運動させる、という事もその現象に含まれる。
モーターという現象での可逆性でいうならば、人間の場合排泄物に含まれる摂食可能な要素を抽出して人間に与えその人間によって食物を作成させる労働をさせることができるということになる。
モーターが生み出した電力を、モーターに供給するのはモーターの機構ではなくモーターを動作させるために構築された現象という事例になるからだ。
モーターを動かす電力はモーターのために供給された電力でありそれがあればモーターは動くが、モーターが動いた動力はモーターが動いたという事実だけのためであり捻出したモーター自体に再利用が可能な結果物ではない。
またモーターに与えられた動力は電気を生むがその電力はそのモーターを動かすための電力ではない。
お金といえばお金でありどこでもだれでも使えるように思えるが、あなたのお金はわたしのものではない。わたしのお金もあなたのものではない。表現が同じだからそれ自体が可逆性を含んでいるように錯覚するだけ。
それ自体を自身への動力に変えても永久機関は製造できない。成果物のなかから自身の摂取可能・利用可能なものを抽出すると消費量より下回るからだ。
転じて、他人に親切にすると親切が帰ってくる、他人にとっては排泄廃棄したい事象を変わって担当する(親切)と、自分にとって摂取したい事象(親切)を得る事が可能ということを知れれば良いが
他人がゴミと思っている物を共通意識としてゴミだと共感している人が、そのゴミを利用して自分たちへの有益なものへ変化させよう、またはゴミ要素から再生可能な抽出分を探そうというのであれば、あまりに不毛であろう。
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部陽一郎先生だった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
偉大な仕事がたくさんありすぎて何に対してノーベル賞を与えれば良いかわからない。
「南部は10年先を行く」
そして10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
例えば「南部-ヨナラシニオ模型(1961年)」。
量子色力学どころかクォークすらなかった時代に書かれた論文である。
まったく僕には理解ができない。
南部さんの仕事はまるで「全てを知っている未来人が当時の人にわかる言葉で説明したような」研究なのだ。
南部さんはそれだけ超越した天才だった、ということなのだろう。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。
あの様子は例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
といったところだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
アインシュタインの名も、相対論も、僕らが忘れる事はないように。
南部先生の訃報のあとはてなであまり話題になっていないようで寂しいので書きました。
(本来僕なんかよりもっと詳しい人が書いた方が良いと思うのですが皆 twitter に移行してしまったのか・・・)
この記事を読んで解りにくい、読みにくい、誤解を招く表現などありましたら
それは全て僕の低い文章力や知識の少なさが原因です。申し訳ありません。
http://jodo.sci.u-toyama.ac.jp/theory/Nobelsympo2009jpssp/NobelSymposium-files/PDFS1/Eguchi.pdf
今回は貼るだけにしておく。
真善美の探究【真善美育維】
【真理と自然観】
《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのか, と。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。
我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。
《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。
《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。
《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』
生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。
*己と自の発展
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
然の理・然性
然の理・然性(第1法則)
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。
【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。
善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。
美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。
《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。
【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。
真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。
比較的あとになってから登録した新人審神者の立場から、長々と述べます。
すいません、ほんと長いです。文章が下手ですいません。
A. 盗用が残っている状況を放置してはならない(状況放置はすなわち運営の責任逃れであり、ユーザーも糾弾しなければ暗黙的に追認したことになるユーザー側からの糾弾がそれを是正しうる手段として強力だと思われる(7月17日修正))というのは大前提だと思ってます。ただし、一度やらかしてしまったことだけを理由に、その後の対応を一切斟酌せず、何もかも完全に撤収しなければならない、と強行に主張するのもまた違うかな、と思っています。
現時点での公式発表では、法的観点からの修正指示がDMMから、それをさらに拡張した道義的観点からの自主的修正がニトロプラスから出ているという状況で、とりあえず現時点での状況はクリーンらしい、と認識しています。つまり、現状の「刀剣乱舞」に関しては「盗用が明らかなものの修正ないしは修正指示は完了していて」、つまりブラックの状態を脱し、グレーにはなっている、という認識です。また、DMMのお知らせにも、『現時点における法的問題については、必要な対応が出来ているものと弊社では判断しておりますが、仮に法的問題の払拭が出来ていないと判断されうる事象が別途確認された場合には、改めて当該問題に誠実に対応をさせていただく所存です』とあり、継続的な対応をすることが明言されています。
今後、完全にホワイトになるかどうかは分からず、疑いはいつまでも消えないかもしれないけれど、その代わり、これからも注意深く見ていこうと思っています。特に、キャラ画像のトレスが疑われている加州清光、大和守安定、キャラクターデザインの模倣が疑われている明石国行などは注視の対象です(ただし、現状、著作権侵害は親告罪ですから、第三者としては法的観点からこれに対してコメントすることはできないでしょうし、するつもりもありません)。
※7月17日追記:加州清光についてはでじたろう氏からのコメントがあり、クリーンに近い状況であると知りました。
DMMとニトロプラスのお知らせからは一定の誠実さを読み取ったので、今後も同様の、より強固な誠実さでもって法的に、かつ倫理的にもクリーンなコンテンツを提供してくれるよう期待しています。
また、「せめて一言でも、ゲームに苦言を呈してくれれば、まだよかった。」とおっしゃっていますが、これに関しては「発言する/しない」は本人のTwitter運用に任されているのであって、政治的とも言えるスタンスの表明の有無については個々人によるとしか言えないところかと思います。少なくとも私は、その種の問題についてはTwitter上では発言するつもりはない人間なので、そういう人間もいるということで、Twitter上での苦言の有無によって内心をすべて決めつけないでいただけると嬉しいです。
A. すいません、ここ本筋じゃないんですが、ちょっと言いたいんです。「刀剣乱舞」について、「声優は豪華だけど話らしい話はない」「正直クリックしているだけ」というご友人の発言から「まったく魅力的に聞こえなかった」とおっしゃり、「素材を多く盗用している」とセットで「この程度のもの」と評しておられますが、それはもったいない、と思う程度には楽しめているので。
なぜなら、各刀剣男子の持つ物語駆動力、言い換えれば創作余地の多彩さが並ではなく、それは明らかに意図的だと思われるからです。
ひとつには、元の主、という存在に対する思い入れや無念が存在すること。ふたつには、その無念を覆してしまうかもしれない歴史修正主義者、時間遡行軍がいます。一例として、土方歳三の戦死を阻止すべく函館にやってくる時間遡行軍がおり、ここに「正しく土方を戦死させるべく」出陣する彼の愛刀・和泉守兼定を配置することができます。これだけで物語が駆動するには十分すぎます。さらに加えて、歴史の修正を阻み、歴史を守ろうとする自分たちをも「歴史の異物」と見なして敵対してくる検非違使がいます。つまり、自分たちは絶対正義として担保されているわけでもない。以上の事柄によって、「自分がしていることは本当に正しいのか?」を問うてくる機構が世界観そのものに組み込まれているので、刀剣男子への思い入れやその心情の想像などもたいへん捗るのです。
ニトロプラス芝村氏は、「キャラのお話としては克服すべき欠損(課題)がないといけない」という主旨の発言をしたことがある方で(ログホライズンTRPGリプレイ2巻より)、その点から見ても、刀剣男子たちが「克服すべき課題を与えられている」という設計になっていることはほぼ間違いないと思っています。
※さらに言えば、「刀剣男子は刀剣の付喪神」という設定も、各審神者が元の刀剣から複製して連れてきたよ!(だから「うちの○○はこう」というぶれはあっても当然)というギミックになっており、キャラぶれ上等、という設計なのだと思います。うまいなあ、とつくづく感心しています。
つまり、「話らしい話はない」のではなく、物語は読み取るものである、という設計なのだと思います。
ゲーム性という点でも、「ランダムが物語に読み替えられる」という特徴があり、これはTRPGのダイス等に近いものです。私の例で恐縮ですが、プレイを開始して初めてやってきた脇差が、とある太刀の刀剣男子と結びつきが強いキャラクターでした。そこで、いい機会だと思い、太刀を狙って鍛刀(投入するコストの設定によって結果を多少変動させられるガチャ)をしたところ、その所縁の深い太刀の刀剣男子がすぐにやってきた、という経験をしました。これを「呼んできた!」と受け止めたときに、そこに「私の個人的な」物語が発生している。これはとても楽しいことでした。
例えばラスボス戦で勇者の必殺技がラスボスにとどめを刺したとか、そんな偶然にだってプレイヤーはイマジネーションを刺激され、情景を思い描き、感動したりするわけで、ゲーム操作それ自体がクリックのみで構築されていて、話が語られないからといって、そこに物語やゲーム性がないことにはならないと私は思います。むしろ、ランダムをねじ伏せるためのデッキ編成や装備調整、それでも抗えないダイス目と、試行回数での突破要素などは、各個人の「固有の物語」を強化するように機能していると感じます。
というわけで、「刀剣乱舞」はちゃんと面白いゲームだと思いますよ! 操作にゲーム性はないですけど、「ランダムで発生する事象を脳内で物語化して読み取る」ゲームだと思えば、すごくよく出来たゲームなんじゃないでしょうか。
A. 「私はオタクとして腐女子として、常に自分が楽しめるコンテンツに触れたいと思っている。刀剣乱舞の盗用を無視し、プレイし、金を使うひとたちによって、その楽しみが潰される可能性があることが、私はどうしても許せない。」という部分へのアンサーとして書きます。
正直、「刀剣乱舞の盗用を無視し、プレイし、金を使うひとたちによって、その楽しみが潰される可能性がある」というのは個人的にはまだちょっと想像しにくい未来というか、そこまで一気に話を進めますか、という印象で受け取ってしまいました。
第一にまず、刀剣乱舞の盗用は無視されていません。ちゃんと(かどうかはこれからも検証されるべきですが)是正の方向に向かっていますし、盗用を問題視し、その行方を注視しているプレイヤーはたくさんいます。このような「是正」の動きそのものがもっと一般化し、その予防や対処などの事例が積み重なることによって、むしろ盗用発生頻度の減少、問題発生時の回復がスピーディーになることを期待してもよいとさえ思ってます。事実、DMMもニトロプラスも、発生の原因を一個人の人為的ミスとしながらも、システム面での不備を認識し、組織的なチェック体制を強化すると明言しています。ならば、盗用チェックの体制作り等のノウハウが蓄積され、それらの知見が共有されていくことを願いたいです。
第二に、これは私の希望的な観測ですが、作る人々の大多数は自分の仕事にプライドを持って取り組んでいます。自分は出版業界の端っこで多くの作り手の方と直接・間接に話をしますが、会う人会う人みんな、誰に紹介しても胸を張れるもので戦いたいと思っていると感じています(そもそも、法的にブラックなもので儲けることはとてもリスキーで、単に「金を稼ぐ」というだけに特化したとしても、盗用上等、売り抜け逃走前提での開発・リリースが割に合うかは疑問です)。
なんせ国連でも「人道に対する罪」に匹敵すると糾弾された拉致問題について、北朝鮮が「1年間で調べられませんでした」なんて言って、調査期間の延期を通告してきたのに、共産党などは赤旗で批判すらしないからな。
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「拉致」も「北朝鮮」も、影も形も見当たりません。ある意味、徹底しておりますな。
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「どんな情報が流出した」はまだいいとして、「年間○○万円の予算を使ってます」「こんな管理でした」なんて情報よりも優先度が高い話がある。
“この件に関して年金機構が電話や訪問などで直接 連絡することはありません。”
さらに、どんな団体も企業も情報流出があっても個別に連絡するなんてことはない、ってことを毎回報道するべきなんだ(謝罪も含めて、個別に連絡してはいけないと法律で決めてしまえ)。
一般にセキュリティに関する情報は積極的に公開するということが求められているけど、情報漏洩に関しては、規制をするべき。正直、詐欺のネタにしかなってない。
どれだけ漏洩したか、どんな情報が漏洩したかなんて関係ない。漏洩したという事実があればいい。100件だって別に構わない。何かのIDだけでも構わない。とにかく、漏洩したという事実だけがあれば(いや、もう事実じゃなくても、事件をでっちあげればいいのだけど)、それだけで詐欺は可能だ。
漏洩した情報を使って詐欺をするなら、年金機構の場合は50万人程度しか対象にならないけど、漏洩したという事実を使えば、1億人が対象になる。技術知識もいらない、エクセルを立ち上げる必要もない、適当なところに公衆電話で電話すればいいだけだ。マスコミがどんな情報が漏洩したかを懇切丁寧に解説してくれるので、ネタには困らない。今頃、オレオレ詐欺の関係者なんて、高笑いしているだろうね。
実は、個人的に詐欺にあったことがある。あいつらは、本当に狡猾で、それ相応に適当なことをでっち上げるのがうまい。そして、ひとつ被害にあってわかったのは、あいつらは、金を取るだけが目的じゃない。弱い人をいたぶるのが目的なのだ。あいつらはレイピストと同じだと考えている。
なので、今、政府、マスコミに近い人は、早急に対策を立ててもらいたい。注意喚起なんて生ぬるいことを言ってないで、国民の財産をきちんと守ってくれ。セキュリティ対策を立てるときにクラッカーの心理を読みながら対策を立てるように、漏洩したという事実がどう悪用されるのかを考えながら対策を立ててほしい。
そんなん知ってるよ、東京のひどいとこだけだろ。
なあ、知ってるか?遅延は駆け込み乗車や車輛の乗り換えが主なんだぜ?
そういうのを事前に食い止められる機構がありゃもう少し増本できると思わねえのか?
東大の教養学部英語コースに合格した海外の学生の7割近くが東大入学を蹴ったそうですね
http://www.47news.jp/smp/CN/201503/CN2015032801001115.html
しかし東大の滑り止め化は2007年度にはすでに始まっています
京大が2007年度に保健学科以外の後期入学試験を廃止して以来、一部の京大生は東大後期を滑り止めにしました
「自宅から通える」
「東京が嫌い」
「京大の方が楽しそう」
という意見が返ってきました
私は権威が好きだったので、親が下宿を許すなら間違い無く東大を目指していました
しかし京大に入学してなんとか卒業し、就職して東大生出身者と交流するうちに、東大よりも京大を選ぶ人間の気持ちがわかりました
私が見てきた範囲なので偏っていることを前提にしますが、京大は次の点で圧倒的に東大よりも勝っていると思います
フェルミ推定はできても分析哲学や認識論の話はできない、ハイカルチャーなどの教養がない学生の割合が京大より高い気がします
東大には受験と就職に関係ないことはわからない学生が多い印象があります
しかし官僚や東京の有力者や名家の子息がごろごろいるのが東大で、そういう人は教養あることが多いです
吉田寮など家賃が月々千円未満の安い寮に入れば、かなり金銭的負担は小さくなります
思修館の院生だと専用の寮にタダで、しかも奨学金付きで住めます
また、授業料申請も半額免除までなら通りやすく、うまくいけば学生支援機構で借金しなくて済みます
それに図書館では名作と言われるクラシック音楽、映画、文学がほとんど揃っています
学生証を見せると入館料がタダの美術館・博物館も近隣にあります
お金がないけどハイカルチャーに飢えている人は是非来てください
なお、東京の某芸大の教授のご子息が「東京には文化がないけど京都は文化でできている。だから僕は京大に来た。」といっていました
そもそも東京より京都の方がのんびり暮らせますが、京大は特に時の流れがまったりした、おおらかさのある独特の空間だと思います
変人が多いのではなく、変人がのびのび暮らせるから自分を抑えない、もしくは普通の人が普段は隠している個性を発揮しやすい環境なだけです
東大はよくも悪くも真面目で、アンチコスプレ卒業式派の私からしたら「安田講堂に入れなくてもこんなに姿勢を正して粛々と式辞を聞いている東大生は真のエリートだなあ」と惚れ惚れします
メールのウィルスを踏む。というあまりにも古典的で分かりやすいものがトリガーになってしまったせいで
無能お役所のヒューマンエラー案件にされそうなので、少し書く。
ちょうど概要をまとめた絵があるので、これを見ほしい。
http://f.hatena.ne.jp/Kango/20150601230350
確かに直接的原因は、赤の矢印であり、アホの子職員のミスである。
が、本当に注意しなければいけないのは、青の矢印である。
ニュース等では、パスワードをかけていなかったため内規違反の可能性がある。
もちろんそれは正しいのだが、それだけではない問題が発生している可能性がある。
そして、それが重大な問題の可能性があるのだ。
では、青の矢印の「ある業務で一部データを抽出」が必要になった理由を考えてみよう。
これは大別して二つのケースが考えられる。
①急で特殊な業務が発生して、基幹システムでは対応できないので一時的な運用がされた。
②基幹システムで対応できない通常(またはそれに近い)業務があり、現場でそういう運用が常習化している。
①ならば、ヒューマンエラーと重なった不運という見方も確かにある。
そうではない。
これはもはや、基幹システムの形骸化であり、いくら基幹システムをセキュアに保ったところで
インターネットに接続可能な社内LANのファイル共有サーバーにおかれてるのと同義である。
設計や運用を含んだシステム化方針そのものを見直すべき事態である。
末端のアホのせいとか笑ってる場合じゃない。
なぜかと言えば、これがシステム化方針が起因とした問題である限り
この方針は、このまま別のシステムにも適用されている可能性があるからだ。
ここからは推測の話であるが、陰謀論をここで披露するのはちょうど良いかと思うので続けよう。
①か②、どちらの可能性が高いか。
それを考慮する材料は、ニュースによって情報が色々とあるので並べておく。
では、今回のケースが急な業務の割り込み対応だったとして考えてみよう。
もし急な業務だったら抽出したデータは、長期保管されていないはずである。
長期保管が起きていたのなら、それは既に常習化と変わらないため、内規的にありえないからだ。
では、そのような一時的なファイルを作るだけのために、内規違反であるパスワード未設定にしたのはなぜだろう。
メールを踏むような、バカ社員なら、そんなことをしかねがない。
急で一時的データでも怠慢でパスワードをしてないという運用だったのかもしれない。
それはそれであれだが。。。。
しかし、思い出してほしい。
パスワードは、あくまでも「一部だけ」されていなかったのである。
では、なぜパスワードありのファイルと、無しのファイルが存在するのか。
これは、データ抽出されたタイミングが違う可能性を示唆している。
担当者が異なる。何度も繰り返して手を抜く。等によって、運用が変わった可能性だ。
抽出れたデータが一定期間残されていた可能性も同時に示唆している。
さらに、今回の事件は、攻撃してから流出の期間が10日しかない。
たまたま、5月に新しい業務の割り込みがおきて、たまたま、その期間にハッカーが攻撃して
たまたま、データが残されていて、流出した。そんな、悲劇だったのだろうか。
そう考えるより、全てをブチ壊した運用が、組織的に常習化していたと考える方が
日本年金機構の情報漏えいについてまとめてみた - piyolog http://d.hatena.ne.jp/Kango/20150601/1433166675
おれ役人なんだけど,今回の年金情報流出ってどうしとけばよかったの http://anond.hatelabo.jp/20150602075341
株式会社トラストリッジ(東京都渋谷区)は嘘・デマ・噂等を提供するサイト「macaroni」を運営する日本の企業。
商号 :株式会社トラストリッジ(英文社名 TRUSTRIDGE Inc.)
資本金 :3,000,000円
macaroni は(本来の意味とはずれた)「キュレーター」と呼ばれる、記事を書く人がいる。この「キュレーター」は社員かどうかは不明だ。
「キュレーター」の書く記事をいくつか精査したところ、明らかに虚偽の情報が記載されている。つまり検閲機構が働いていない。にも関わらずその注意書きが書かれていないのは問題である。
macaroni の利用規約2条1項には次のように書かれている。
1. 利用者は、本サービスの利用に際して利用者ご本人に関する情報を当社に対して提供する場合、真実、正確かつ完全な情報を提供しなければなりません。
利用者(ウェブサイト、ソフトウェア、アプリケーション、プロダクト、ドキュメントその他一切の製品およびサービスを利用する客のこと)には「真実、正確かつ完全な情報」を要求しながら、自らは「真実、正確かつ完全な情報」とは真逆のものを提供している。
結構、重大な局面だと思うのだよ、これ。むしろ「勝った勝った」とはしゃいでる左翼的な陣営こそ、次にちゃんとした手を打たないと取り返しのつかないことになる可能性がある。
橋下の引退により、おそらく「維新の党」は求心力を失う。解党するかどうかはわからないが、もともと個人商店であった以上、以前のような影響力は持ち得ない。やはり去年に解党した「みんなの党」も、もはや跡地すら残ってない惨状。こちらも個人商店だったし。
で、重大なのは、どちらも一定の支持層を持っていたこと。たぶん都市部のホワイトカラー層が中心。20代〜40代が多いはず。
この層の受け皿が完全に崩壊した。
この志向性を持った層が支持する先が安部自民一党になることの危険性。
民主党はデフレ推進してきた反省が見られないし、共産党は「大企業=悪」なテーゼが根強い。
公明党は「安定は希望」というキャッチフレーズである時点で論外。
リバタリアニズム的な志向性を持った層が支持する先がなくなってしまった。
つまり「経済成長歓迎・インフレターゲット支持」と「歴史修正主義・ナショナリズム」
のパッケージか
のパッケージか
個人的にはレイシズムも歴史修正主義もうんざりなのに、それに対抗する軸がまともな経済政策を打ち出さずにげんなり、というのがここ最近の印象。
ピケティがブームになったときも「成長か、再配分か」みたいな二者択一にしたがる人たちが多くて本当に辟易した。
再配分を重視することと経済成長は両立する、というかむしろ両輪として機能するはずなのにね。
というわけで。
・LGBTなどマイノリティー人権擁護(「伝統的な家族観」とか言わない)
・「歴史戦」とか言わない
少なくとも、従来の「左翼」とか「リベラル」とか言ってる人たちは「勝った勝った」じゃなくて
ちゃんとビジョンを示してくれよ、と思う。
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