はてなキーワード: 中学生とは
日本維新の会の吉村が0歳児への選挙権付与を公約にと言い出した。
ヘンなことを主張し出したようにもみえるけれども、
基本的に賛成かな。
0歳~小学生くらいはともかくとして、中学生や高校生ともなれば親に対してどういう投票行動をしてほしいかを伝えることができる。
最終決定は親権者だとしても、そういうコミュニケーションができるようになるということそれ自体が大切だと思う。
事実上、世帯としての投票となる傾向が強いと想定されるため、世代間格差など投票のバランス問題の解決に寄与する。
公共インフラ投資、都市計画や保健福祉政策などさまざまな政策決定の受益者の多くは将来世代だ。
これは悪いアイデアではないと思う。
よく男性と女性の性差で議論になるとき「性差よりも個人差の方が大きい」という優れた意見に出会うことがある.同感である.
確かに性差はあるだろうが,個人差の方が大きいのは事実だろう.
東京 vs 地方の話題も同じだと感じる.どちらも都合よく,文化や環境の議論をしているように思う.
そこで,地方の子育て事情(3σ外れた異常値と認識している)として,自分が行った子育ての例を紹介したい.
異常値であると記載した通り,地方の子育てがこれが平均だというつもりは毛頭ない.むしろ,地方においても親が異常者であればこういう子育てが可能であるという例である.
先にバックグラウンド.私は東大卒で,妻も東京の国立大学卒である.二人とも博士号を有している.
仕事の都合で,地方都市(三代都市圏近郊ではない,まさしく地方都市.人口数十万人)で15年間子育てをすることになった.
私は仕事で住んだ地方都市よりもさらに人口の少ない地方都市出身者であり,18歳までその地元で暮らしていた.
まず,毎週末のように,県内及び隣県にある文化施設や大きな公園などに高速を使って出掛けていた.
子供たちが異常に好奇心が旺盛であったため,科学館や天文台,美術館,博物館なんでもOKだったし,
公園には必ず図鑑を持って出かけ,気になる花や虫は図鑑でチェックしながらなるほど〜と家族みんなで確認した.
連休は近隣県でジオパークに出かけたり,温泉旅館に泊まったりした.行く前に図鑑や本で地域の情報や歴史を調べ,
車の中でみんなで披露するというのがお出かけのパターンであった.
中学校くらいからは歴史に出てくる場所や有名建築家が設計した建築物回りなど,社会科学寄りのお出かけも増やしていた.
半年に1度程度の頻度で東京や大阪には出かけ,そこでしか体験できないこと(科博,未来館,キッザニア,鉄博,USJなど.なぜかディズニーには一切興味を示さなかった)
にも出かけた.特に未就学時は鉄道大好き人間だったので,JRの全ての鉄博,地下鉄博物館,京王レールランドなどにも行った記憶がある.
体験格差などという言葉があるが,少なくとも我が家はお出かけという観点において,首都圏での子育てと比べて,劣っているとはあまり思っていない.
それは元々自分も妻もお出かけ大好き人間であり,軽々しく遠出をする人間だったためと考えられる.
上の子,下の子ともにゲームは2-3歳から解禁していたが,1日30分というルールで行っていた.最初は駄々を捏ねていたが,
1週間もすればルールに順応する.小学生からは1日1時間.お休みの日や特別な日(テストが終わった日など)は長時間を許すという柔軟な運用をした.
私自身ゲームが大好きであり,子供の頃も馬鹿みたいにやっていたので,ゲームをすれば頭が悪くなるなんてことは一切考えたことない.
一方で,ゲームは面白すぎるのでやめ時が難しいことが問題で(これはマンガであれ,Youtubeであれ,小説であれ,映画鑑賞であれ他の全ての趣味にも共通する)
そこさえ親がきちんと見守れば,子供がやりたいこと,見たいものは与えて良いと思う.際限ないことが問題なので.
習い事や勉強について.未就学期の習い事は上の子は水泳,ピアノ,造形教室,ダンス教室,下の子は水泳,造形教室だった.
通っていたお絵かき教室が県内で相当有名なところであり,コンクールの賞ゲッターを量産するところだったので,
我が家もそれなりにエフォートを割き,小学生と中学生の際にはいくつかの賞を受賞し,地元の新聞に載った.
公文は個人的に否定派だったので,未就学時は自宅でこぐま会をやっていた.もちろん小学校受験などするつもりはないので,あくまで頭のパズルと基礎力をつけるという程度.
自宅で先取り学習は絶対にしないようにした(ここでいう先取り学習とは学年よりも先の内容をやること)
小学校(公立)では,全く勉強に困ることはなかった.これは首都圏のようなレベルの高い競争がないため,当然と思われる.
そのため,自宅では,首都圏の中学受験用の教材を4年生くらいから利用した.また,その地元の進学塾にも通っていた.
大学時代の友人(首都圏在住)を通して,勉強法を聞いたり,首都圏と地方での勉強の違いなどを埋めようと親が努力した.
(が,友人とも話したが結局は個人差の方が大きいというオチだった)
中学受験期には,本人も同意の上で,通えないこと前提で首都圏の学校をいくつか受けた.本人にとっては力試しという意味が大きく,通えないことは理解していたし,前向きだった.
上の子は開成に受かり,下の子も渋幕に受かった.上の子は中学は地元の公立中学に進学した.下の子は後述.
上の子が開成に受かった時は親としても非常に悩ましく,妻と子供たちだけ首都圏で暮らすことも考えた.
が,家族みんなで暮らす方が楽しいだろうということで,これはあくまで力試しが目的だったはず,本来の目的に戻ろうということになった.
ただし合格は本人の自信になったようだ.
それから数年後に私の転職があり,首都圏で暮らすことになった.
上の子は高校受験で開成に,下の子はちょうど引越しタイミングと受験タイミングが重なり,渋幕に無事合格した.
子供達二人とも首都圏に引越してから,学校でついていけないこともなかったし,特段の文化的な劣等感も感じることはなかったと話していた.
この後,我が子が殺人鬼になったり,オレオレ詐欺の主犯として捕まる可能性もあるので,手放しで自分たちの子育てが成功例であるとは言わないが,
少なくとも人口数十万レベルの地方都市においても,首都圏と同レベルの子育てはできるという実例になると思う.
もちろん親は二人ともめちゃくちゃ努力したと思う.そりゃ週末はイオンに行って1日過ごせば親もフードコートやゲームセンターで休めて楽だけど,
妻がお弁当を作り,大きな公園で遊ぶ,子供達が疲れてきたら近くのイオンに行き,買い物をして帰るという生活は体力的にも根性的にも辛い.
ただ,あの時の自分たちは私の仕事の都合で地方都市で暮らしていたこともあり,親の都合で子供達の住む場所が決まってしまっていることへの罪悪感からか,
過剰に,それこそ首都圏での子育て以上に様々な体験をさせてやるんだという気概があったように思う
その意味では,首都圏がどんなに文化や環境に恵まれていたとしても,1日中switchを与えて親が子供を放置していた家庭よりは地方の我が家の方が多くの体験をしていただろうし,
かといって周りを見渡した時に,周りのご家庭が我が家のようにある意味で狂気的な子育てをしていたかというとそんなことはないと思う
よって「地域差よりも家庭差の方が大きい」という面もあることを伝えたい.
「東大卒博士号の経歴をドブに捨てて田舎の専業主婦で終わった奥さん可哀想という感想しかない 」
というトラバ,まず妻は東大卒じゃないし,専業主婦とも書いてないんだが,エスパーか?
妻は専門職なので,地方都市でも東京でも育休中以外ずっと働いてたんだが…というのが1点目.
次に,仮に東大卒博士号持ちが専業主婦をすることの何がおかしいのか,可哀想なのかがわからないというのが2点目.
もしかして博士号のような生産性の高い人物が子育てという非生産的な行動を行うのが勿体無いと言いたいのか?
世の中で博士号持ちの女性,たくさん子育てしてるよ.日本だけじゃなくて海外でも.
それに,君,働いたことある?会社の仕事取ってくる営業や開発だけが生産的で,人事はコストセンターで生産性が低いまたはゼロと思ってる?
目の前でお金を稼ぐことだけが生産性じゃないんだよ.世帯内や社会全体で役割が分担されていて,その寄与度は複雑な関係になってるよ.
それに君が好きな生産性で言えば,うちの子供達が2000億ドルくらいのイーロンマスク並の資産を形成したら
うちの妻が仮に東大卒博士号持ちの専業主婦で20年子育てしたとしても,100億ドル/年のリターンがあるわけで,めっちゃその優秀な能力を発揮したことにならない?そんなこと求めてないけど.
3点目として,別にうちの子供がイーロンマスクにならなかったとしても,うちの妻的には人生が楽しければ良くないか?
上にも書いた通り,私はゲームが好きなんだけど,ゲームした時間って別に新自由主義的な意味で生産的な時間じゃないだろうけど,面白ければ良いのでは?
我々夫婦が「大変なこともあったけど,色々二人で頑張って面白かったな.子どもたちも育って勝手に好きなように生きてるし,なかなか我々がんばったね」って思えたら御の字で子育てでそれ以上を求めても仕方ない気がする
2500万部「パタリロ」花とゆめ ※国王、男性 /テレビアニメ化、劇場アニメ化、舞台、実写映画化
2160万部「動物のお医者さん」花とゆめ ※獣医学部の学生、男性/テレビドラマ化
1800万部「赤ちゃんと僕」花とゆめ ※長男/テレビアニメ化
1700万部「夏目友人帳」LaLa ※15~17才少年/テレビアニメ化(7期)、劇場アニメ化(2作)
1200万部「BANANA FISH」別冊少女コミック ※イケメン天才不良少年/テレビアニメ化、舞台化
1100万部「っポイ!」LaLa ※男子中学生/テレビドラマ化
1000万部「天使禁猟区」花とゆめ ※高校生少年/ドラマCD、OVA化
800万部「八雲立つ」LaLa ※美少年&教員志望男子大学生/ドラマCD、OVA化
800万部「エロイカより愛をこめて」 月刊プリンセス ※男色の美術品窃盗犯、男性
610万部「となりの怪物くん」デザート ※男子高校生/テレビアニメ化、実写映画化
600万部「僕は妹に恋をする」少女コミック /OVA化、ドラマ化、実写映画化
500万部「学園ベビーシッターズ」LaLa ※少年/テレビアニメ化
500万部「風と木の詩」 週刊少女コミック ※BL/OVA化
400万部「ここはグリーン・ウッド」 花とゆめ ※男子高校生/OVA化、テレビドラマ化
350万部「オトメン」別冊花とゆめ ※男子高校生/テレビドラマ化
200万部「恋に無駄口」花とゆめ ※男子高校生/テレビドラマ化
180万部「消えた初恋」別冊マーガレット ※男子高校生/テレビドラマ化
150万部「3D彼女」デザート ※高校生男子/テレビアニメ化
子供の成長は凄まじいと思う。
毎日顔を合わせているから細かい変化に気が付きにくいが、新しいおもちゃを買った時などすぐに順応するところを見ると驚くことが多い。
人間は何かしら悩みを持っていたほうが人間らしくて良いと考えている、おれでさえ自身の成長感がないことに頭を抱えている。
恐らくこのまま普通に頑張って、耐えて、適度に力を抜きながら過ごしていくと定年になるだろうと思っているからだ。
もちろん、世の中の情勢によっては急に解雇されたり、会社そのものがなくなったりするかもしれないが、その時はその時で別のことを仕事にする覚悟ができている。
そもそも、自分の成長を実感できた経験が中学生の時の受験勉強と高校の部活と大学の部活だけで、どれも明確な指標をクリアできていたからだった。
社会人になって何も結果を出していないものだが、いつのまにやら何事も【運】で片付けることが多くなった気がする。
上記の成長でさえ運が噛み合っただけだと。
せめて自分の【運】だけでも【成長感】が持てるように日々を過ごしたいものだ。
次は自分の【運】について書いていきたいと思う。
「刃向かう」って中学生っぽい語彙だよね
いやホントに
オタク趣味が一般化した弊害だと思うけど普通の身なりをしたイケメンが普通に同人誌作って売ってたりするのを見るにつけ心の中で「キエェェェェェェェ!!!」って叫んでるよ
アニメや漫画は社会不適合者が最後に逃げ込むオアシスだったんだよ
それが最近「経験人数?俺そんなにモテないですよ!普通に2〜3人くらいです(笑)(本当は10人)(うち7人はセフレ)(初体験は中学生)」みたいな顔した爽やかな連中が増えてきていてマジでうざい
腹立つのは最近は男性向けジャンルにも女性が増えてきたから普通にオフ会だの打ち上げだの称してパコパコしまくってるらしいってこと
俺個人の経験としてはドぎつい陵辱系エロ同人誌を描いている相互フォロワーと即売会の場で会ったことがある
そしたら案の定ネットで歌い手でもやってそうな風貌のイケメンだったよ
普通にネット上では仲が良かったから流れで打ち上げに行くことになったんだけどそこでこいつは「今付き合ってる彼女とはオフ会で会ったんですよねー(笑)」とかほざいたからな
「俺の描いた漫画のファンなんですって言ってくれたんですよ(笑)」
「で、お互いどんな外見なんですかーっていうから写真を見せたりして(笑)」
「しかも描いている漫画がエロ漫画だからやっぱりシモの話になったりもするじゃないですか(笑)」
「リアでもああいう性癖なんですか?とか言われて流れでえっちすることになったんですよ(笑)」
「肉体関係先行だったんですけど俺も本気で好きになっちゃってそのまま付き合いました(笑)」
「いま付き合ってちょうど1年くらいです(笑)可愛い子ですよ(笑)」
こういう話を酔った勢いでしてくれましたからね死ね!!!!!!!!!!
なぁ、おかしいだろ
なんで陵辱系エロ同人誌を描いていたらドMの可愛い女の子と付き合えるんだよ
俺はかれこれ20年弱この趣味やってるけど浮いた話の一欠片もありはしねーぞ
とにかく最近増田で議論になっている「オタクにもまともな容貌は必要なのか」論に関してははっきり「必要ない」と言いたいね
なんでアニメ見たり漫画読んだりましてや同人誌描いているような人間がセックスしてるんだよ
チャンピン最新号の浦安で中田さんのお姉さん(すげえかわいい)が出てきたんだけど、寝転がってる小鉄の玉金がはみ出てるのを見ようとしてたのがドン引きだったわ
まあその前にトイレのぞかれてるってのもあるけど
中学生にしては胸でかすぎなんだよなあ
これはピクシブでおねショタ おねーさんのエロイラストが増えますわ
ふふん
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
親になると子供だけで川遊びや釣りに行くとかマンションや校舎の屋上に行くとか屋根に登るとか、どんだけ危ないことしてたんやってなる。自転車で遊びに行くのすら怖い
ひっかけ橋の方行ったらちょっと怖い見た目の人いたりさ 中学生に声かけてくるおっさんとかもいて「キモかったねー」って帰り道みんなでバカにしてた
それと同時にそれまであった推しへの愛情がするすると消え去っててしまった。
ピアスがきらいなわけじゃない。
なのになぜ。
それを聞いて、まじでふざけんな。
とイライラしたけどそういうやつだから仕方ないとなかったことにした。
なのに、突然ピアスを開けた。
好きなキャラに憧れて。
中学生でもねーのに。
あんなにも好きだったのに。
顔はタイプじゃないし、アホな子きらいなはずなのにワードセンスと笑顔とダンススキルに惚れ込んでダメなところにイライラもしながら好きという感情だけで全部が愛おしくてたまらなかったのに。
ピアスを開けた。
ただそれだけで好きじゃなくなるなんて。
冷める時って一瞬すぎるね。
好きじゃなくなったら、色々許せなくなって、みるだけでイライラしちゃったりして。
君を推す生活とはお別れするよ。
君を全力で推せて楽しかったよ。
三十も後半にさしかかった。もう自分を構成する全ては変わらないと思っていた。
爪噛みもその一つだった。
幼稚園の頃から爪噛みをする癖があったけれど、人前ではしないから放置をしていた。
それが最近治った。
ちなみに爪を噛むと言っても、私の程度は爪を噛むだけではなく、幼い頃など母の爪も噛んでみたり、ささくれをむいたり、足の爪さえ手でいじってむいてしまうぐらいの程度だった。
自分の爪噛みは専門家の人に診断してもらった事はないけれど、多分精神的な事に由来してるのではと思っている。一種の自傷行為的な。
中学生ぐらいから死にたいとはっきり思っていた。社会人になって自殺しようとして失敗した。
それでもなんとかギリギリ周りに助けられつつ生きてきたけれど、数年前ついにメンタルクリニックのお世話になって安定剤を飲み始めた。
(正直もっと早く行っていれば良かったと思う。)
ちょっと持ち直してきた、と思ったら、今度は職場の人間関係やパワハラで休職して、更に異動先でも上司と合わず、今も安定剤と一緒に生きている。
このままこうやって生きていくのかな、と思ってたし、今もそう変わらない。
ただ、うっすら張り付いていた希死念慮が最近意識しないで済むようになった。死にたいと言わなくなった。それと爪噛みの癖がなくなった時がほぼ同時だと気づいた時、凄く感動した。
自分は死んだ方がいい。生きている価値などないし、友人や姉も私以外の大事な人がいるので、たかが私が死んだところで別にどうでもいい。悲しんでくれるだろうけれど、悲しみなんて一生続かないし。と思っていて、また死ねるタイミングがあったら今度こそ死のうと思っていた。
でも数ヶ月前のある日ふと、本当に何故か分からないけれど、そんなに自分は価値のない人間なのか?と思った。だって誰にも迷惑をかけてないじゃないか、と。諸々のルールを守ってるし、職場の人に意地悪なんてしてないし、ちゃんと親切をする。それなのになんで、生きてちゃいけないのか?と思った。
そして、今まで自分は無価値というベースの上に生きていたけれど、立ち位置を変えて、自分の良いところに立ってみようと思った。
良いところなんて分からないけれど、多分あると思って、ぼんやりとした良いところに立って生きてみようと。
そして、それと同時に考え方を変えた、というか、気付いた、という事がもう一つあって、それは自分が今まであってきた辛い経験や精神の不安定さ、生きづらさを宝物のように思っている事だった。
こんなに辛い経験を何もなかった事にしたくない、この不安定さ生きづらさこそが私で、だからこそ私は他の人と違うのだと思っていた。
痛みを手放さず、痛いまま、その痛みこそ自分だ、と思い込んでいたのだ。
でも、そんな事はない。頭が痛いとき、頭痛薬を飲むのは治す為で、本来痛みとは治すものだ。
それを私の人生だ、と思い込んでいたのだから、生きづらいし、死にたくもなる。
痛みを取り除いた私、例えば好きな事をしてたり、大好きな友達と話してる時の自分が本来の自分であって、それは誰かに傷つけられ、嫌な目にあったとしても、何も変えられない、侵される事はないはずだ。
今思えば、メンタルクリニックに行って良かったと思う。というか、もっと早く病院へ行くべきだったと思う。
メンタルクリニックで言えなかった様々な事、希死念慮や自殺未遂、家族や会社の問題、コンプレックスを吐き出せた。勇気がいったし、二人目の先生で、それでも早いと思うけれど、言うことができた。
それが変わるきっかけの一つだったと今思う。
でも、随分マシになった。
それだけで楽になった。生きていたいと体はどうしても動くから、体と心がバラバラなのは本当に苦しかった。
でも、今は心と体が一緒というか、心が体を傷つけなくなったというか、やっと2つが私のものになった気がする。
気分の波は今もあるし、今日こそ死んでやる、と思う日も、少なくなってきたとはいえ、なくはない。そういう自分も、自分だから、ただその都度癒して行く方向で、いつまで続くか分からない人生を過ごしていこうと思う。
約12年前、中学1年生の時の話だ。落ち着いたので書いてみる。
表現上「お兄さん」と呼んでいるが、そんな呼び方をしたくないほど嫌悪感のある相手だ。
相手は当時確か22だか23歳だかそのくらいだった。妹の同級生の兄である。アニメやゲームなどのオタクで、私ともその辺りの趣味が合った。
一時期は週に2,3回ほど話していて、正直当時は楽しかった。だが当時13歳の私にとっては、あくまで近所の話しやすいお兄さんであり、全く恋愛対象ではなかった。
子供とはいえ男性と遊ぶ際に気を付けなければいけないことはわかっていたため、「2人っきりで一目につかないところにいかない」「相手の家に行かない」などはしていた。
ちなみに一個下の妹もこのお兄さんと仲が良かったのだが、部屋に遊びに行ったり一緒にカラオケに行ったりを普通にしていた。これについては当時から「小学生と2人でカラオケ行って楽しいか……?」とちょっと引いていた。
私は複数人でもこのお兄さんとカラオケに行ったことはない。妹にはあまり2人でカラオケとかに行かない方がいいと話はしていたが、小学生にそんなこと言っても目の前に娯楽があったら姉の注意なんて無視されるものだった。一応妹はこの先も何の被害も受けていない。
お兄さんには「部活のあの先輩が好き」などと、中学生らしい片思いの話をすることもあった。私からしたら本当に仲の良い近所のお兄さんだった。
だが、ある日。
2人でマンションの部屋の前で話していたら告白された。「◯◯、好き」というシンプルな言葉で、一瞬意味がわからなかったが、しばらくして告白されているのだとわかった。
普通に驚いた。だってそんなつもりなかったし、人から告白されたのが当時は初めてだった。
だから、「え?私中学生だよ?」「いや、ごめん、ちょっと……」「あと前に先輩が好きって話したよね?」などと、こちらがドン引きしているのが伝わってしまう振り方をした。当時は13歳だ、大人の対応なんてできない。
相手はそれを聞くと「ごめん」と謝ってきて、その日は解散になった。
それから直接会うのはやめた。振った相手と以前のように仲良くできないとはわかっていた。
だが、ある日お兄さんの方からLINEが届いた。「ゲーセンで3DSが取れたんだけど、いる?」という内容だった。
3DSは当時発売されたばかりのゲーム機で、欲しいなーという話をしていた。当時の子供であれば誰もが欲しがるゲーム機だった。
発売されたばかりのゲーム機がゲームの景品になっていることがあるか?と疑問に思った私は正直にお兄さんにそう聞いたら、「ごめん、本当は買った」と自白した。
お兄さんは私に3DSを渡すために、悪く言えば貢ぐために買ったのだと知った。一度告白された以上、3DSを受け取れば代わりに何を求められるか分からないので受け取りを拒んだ。それからお兄さんのLINEはブロックした。
すっぱり縁を切った後は普通に過ごしていた。
お兄さんと会うこともなかった。
そんなある日、体調を崩して学校を休んだ。
布団で横になっていると、仕事に向かう母の「なんかあったら連絡してねー」という言葉と扉の閉まる音が聞こえた。それからしばらく寝ていたら、またバタンと扉の閉まる音がした。いつもは鍵がガチャガチャ回る音も聞こえるのに聞こえなかったなとか、お母さん忘れ物でもして帰ってきたのかなとか思っていると、私の部屋の扉が開く音がした。
え?何の用?と思って振り返ると、そこにはお兄さんが立っていた。
驚いたが、当時の私は何故かやけに冷静で「え?不法侵入だよね?」と言っていた。するとお兄さんは「そんなつもりじゃなかった!」と言ってその場に膝を着いて土下座した。今思うと、一言目で犯罪行為であると指摘されて多分怖くなったんだと思う。
どうしようかと考えたあと、その日休んでいた高校生の兄を呼ぶことにした。兄は隣の部屋だったので声を張り上げれば聞こえるため、「お兄ちゃん!ちょっと来て!」と呼んだ。
こちらに来てくれた兄は、近所のお兄さんがいることにすごく驚いた後、「そこから動かないで」と言って親に電話してくれた。
母は家の鍵を閉め忘れたことを私に謝っていた。
最初は冷静に対処していた私も、もしお兄ちゃんがいなかったら? お兄さんに変な気があったら?などと後から考えて怖くて泣いた。そのためあまり鮮明な記憶がない。
警察署で話をすることになったが、私が警察の人と直接話すことはあんまりなくて、私が母に全てを話して、それを母が警察の人に話していた。警察の人と話した時に、ストーカーなんたらかんたらと書かれた被害者向けの説明資料?を広げていたので、あぁお兄さんって私のストーカーだったんだ…とその場でわかった。
他にどんな処置があったのか詳しくは知らないが、お兄さんは私の居るマンションに住むことが禁じられたらしい。
親にはこの件は言いふらさないように言われた。理由は「変なことされたと思われるかもしれないから」だった。変なことの意味は当時もわかっていた。されなくて良かったと思った。
私はそれからしばらく家に一人でいることが怖くなり過呼吸を起こすようにしまって、両親の仕事が終わるまで保健室で待機するようになった。
私の身に起きたことは以上。
今も男性には苦手意識がある。特に一方的に好意を向けられるのが苦手だ。そこから生まれる恋愛もあるとわかっているのに。
Xで何度も言われていることではあるが、基本的に子供は大人を好きにならないし、なったとしても一時的な思春期の幻想だ。だから大人が子供に恋愛感情を抱くこと自体あってはならないことだと思ってほしい。
抑えてほしい。告白しないでほしい。物を渡されても家に来られても困る。本当にやめてほしい。気持ちが悪い。と、当時も今も思っている。
私ははっきりした子供で、相手のお兄さんもそこまで気の強い人ではなかった。だから私への被害も精神的なものと住居侵入だけで済んだが、気の弱い子が気の強い大人に狙われて取り返しのつかないことになっていた場合もあるだろう。
親の立場で言わせてもらうと「どうにか逃げ切れた」て感じ
まともに買えるようになる頃には息子は中学生になっており、ゲーム機への興味自体が大きく削がれている状態だった
子供の玩具の入手に奔走し、その結果大きな出費を強いられる、子供のためとはいえ本当に無為な行為だと思っていた
しかしその直後にPS5が発売、当然ながら品薄状態が長らく続き、普通に買える頃には息子は高校受験シーズン突入
欲しそうなそぶりはあったが、子供が私たちに直接伝える事はしなかった
高校生になった子供は週に2、3日、短時間のアルバイトをしている
ゲームのためのパソコンを買うつもりらしいが、本人が欲しがっているやつは30万円を優に超える
高校生が目の前の欲望に抗えるはずもなく、その月に稼いだバイト代を友人達との遊びに使い切る事もちょくちょくある
半年近く働いて溜まった額はおそらく5万円にも届いていないだろう
おそらく目標額が貯まる頃には大学生か、下手をすれば社会人になっているかもしれない
そして、つい先日任天堂が次世代ゲーム機の存在を始めて正式に発表した
おそらく早くても年末、噂通りならば来春あたりになるのだろう
どうにか逃げ切れたと、夫と一緒に胸をなでおろしている
趣味で長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた
(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)
ワイが他人を意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギーの限界。このページ数はとても長編とは言えない
50ページ以上書き進めるには、外部からのガソリンが必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある
他人を意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる
趣味なのに自分の技量を無視して無駄な見栄を張ろうとする問題は・・・まぁさておき、他人を意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、
ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・。ドラゴンボールは鳥山明の超画力でなければ成り立たない
ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルものは空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない
ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンスや新体操を見て、人間は本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画・時代劇・ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実の格闘技・武術・剣術には微塵も興味はない
じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間の身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いからである
クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか?自分が3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ
強いて言えば、人がそれぞれの自然な姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、
スポーツをテーマにしたマンガ・小説・映画で好きな作品はひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記・エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)
鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写そのもの以外がメインになっているが、ワンパンマンは村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・
というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・
なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だからだ
主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすいストーリーだ
結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやかな魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる
追記:読み直したら、主人公はド派手な綺麗な虹魔法使ってた(効果は謎。綺麗なだけかも)し、書き下ろしで物凄い質量の杖を魔法で持ち上げられるようになってたので、すごい魔法使いになる夢は叶ったっぽい
(ただ、『魔法のスターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)
『マッシュル』もワンパンスタイルの作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界でフィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している
ボーボボ を彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート/差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢/ボースティング、これらはワイも超好き
ただ、主人公のマッシュがワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあんま面白いとは思えんのよな・・・・
週刊少年ジャンプの作家なので、一定のクオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)
結局のところ、ワンパンやギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ
小説でも多分同じだわね。ワンパンやギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派の戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・
とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクションの描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる
でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品はひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定のフェチを推したいという情熱も無い
バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチも特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる
何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品(2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・
なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうからだ
ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味で長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)
ちなみに、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代の日本映画や小津安二郎の作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画、アキ・カウリスマキ、ケン・ローチ、フィリップ・K・ディック、川端康成、遠藤周作、いがらしみきお(sink/かむろば村へ/Iなど)、海外のヤングアダルト作品や児童文学、名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き
いわゆる巨匠/大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ、岡部閏、明智抄、奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家の作品が好き
ワイがこれらの作家の作品をそのままなぞったら誰かとの文通になりますわ・・・
ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、
なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイト・ワールド』、対象者が絞られまくっている作品だから、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本、パトレイバーの横手美智子なのよ。『ネトゲ・SFがギミックになってるサバイバーの再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい
グッド・ナイト・ワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットやAIの幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんのプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった
クソのクソの解説の演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった
横道にそれたところでおわる・・・