はてなキーワード: セラピーとは
夏休みに最終の追い込みをかけている。
この夏が勝負だ。
大学受験並みのスケジュールで朝食後からプリント、体操、制作、過去問題等と親子で向き合っている。
あと1か月の辛抱だ。
■ドラマ■
「名前をなくした女神たち」http://www.fujitv.co.jp/b_hp/megami/
「マザーゲーム」http://www.tbs.co.jp/mothergame/
「スウィート・ホーム」http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0410/
ドラマより壮絶かもしれない。
長文になるが、地獄の内容を箇条書きにしておく。
・幼稚園内すべて監視カメラがあり死角なしで常に職員が園内を監視している
・毎月一週間₍5日間₎の連続参観日がある
参加しているか毎回確認されており、行っていないと電話で叱れる
朝の9時から夜の19時半までみっちり缶詰で幼児教育について語られ洗脳される
参加しないとボロクソにdisられる
ご親切なことに親の分の昼食まで用意しロックオン
酷い月は3日連続で開催される
その場で立たされ、お宅のお子さんが可哀想だ等と叱られる
・小学校受験をしないなら、退園勧奨を促される
我が子は体が小さいから肉体労働は向かないから脳みそに金をかけろと言われる
・夫婦の職業、学歴。乗っている車。戸建てかタワマンかアパートかのマウンティングが当たり前。
年少で隣の席のママの最初の言葉が「ご主人はどちらの会社にお勤め?どちらの大学出身ですの?うちは京大ですの。」
運動会では乗っている車のチェック大会、ご主人のルックス品評会
小学校受験に失敗し、公立に通うことになったら幼稚園併設の幼児教室に通い続けろ
・毎月の教育費が16万 幼稚園と併設する幼児教育教室を含めた代金
金使え。日能研は糞。うちに金使え。
中途半端にやるならやめちまえ。
公立で野生児に育てろ。
・幼稚園、併設の幼児教室以外にお受験専門の教室に土日行かないといけない
担任から会うたびに受験専門のお教室決まりましたか?と聞かれる。
・県内、都内の有名小学校パンフレットがコンプリートセットで渡される。
毎年食育勉強会があり、自宅でも国産無添加指定の砂糖、塩、醤油などを使うよう指導される。
・育児の手抜きの重さを一生背負って生きろ!とかの格言プリントが定期的に届く。
白眼ンゴ
色々ありすぎて書ききれない…
近隣の公立で自殺者が出たニュースを見たのと、義母の勧めもあり2歳からA園へ入園させた。
A幼稚園は関東にある英才教育に特化した幼稚園で、幼稚園に入るのも受験がある。
外車に乗っているため駐車場の場所が優先的という謎のルールもある。
幼稚園に入園するには1~2歳に併設しているA園に入園していなければ入園は出来ない。
幼児教室に通って、就職活動並みの願書を親が書きテストを受ける。
一般で幼稚園から入園希望するなら、願書を受け取るには夜中の3時から並ばなければいけない。
3年間さぼりながらも続けてきた。
名指しで叱られて言い返したこともあった。
ママ友は一人もいない。
孤独だ。
子供は洗脳されているためチックなどは出ていないし楽しんで取り組んでいる。
夫は上の子はこの幼稚園でもう続けるが、下の子は現在通っている保育園にしようと言っている。
頼む!受かってくれ…
コンプレックスを克服するってどうやればゴールなんだ
ただ漫然と自分が劣等感を感じる要因をパテで埋めるように補ってその基準において誰かに承認して貰えば一丁上がりだと思ってたんだけどどうもそれだけじゃ駄目らしい
子どもの頃の私はその価値基準を丸ごと否定してやりたくて自分を追い込んでたのに、なんで今になってそこに乗っかってるんだって自己嫌悪が半端じゃない
この自分で歪めた価値観にセラピーだかで焼入れして正しい形に戻してやらないといけないのか、それともこの子どもの私の価値基準に従って生きてやるのがいいのか
どっちにしろ生きづらそうで自分のアホみたいな願望に真面目に取り合うことがそもそも無益な気がしてくる
しかしまぁダイエットだの美容だの死ぬほど金と労力を使ってこのオチは虚脱感が凄い、もっと実益ある勉強に回してりゃそこそこ良いとこいけたんじゃないのか
Midas これは女体をイヤらしいもの(変態ちっくな)でなくポジティブなもの(健全なお色気)として捉えようとする社会セラピー(依存症断酒会みたいな)なのでむしろ純粋な性欲発散(風俗)よりもっと病んでる(別の意味で批判は的外れ
久しぶりに見かけたmidas先生がご健勝でなによりであった。http://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/shojiyuko/entry-12370981085.html
美人女性インストラクターを揃えて男性への個別レッスンは3倍の値段でやりますけど、風俗サービスはしていません。
まぁ、昔懐かしいノーパンしゃぶしゃぶも風俗店じゃなくて飲食店でしたし。
風営法にひっかかりたくないからダンスクラブではありません、みたいなのとか、グレーゾーンなことは世界にはたくさんあるよね。
先日、初めて1人カラオケに行った。デスボイスを出したかったが往来で出すのはいささか気が引けたので、野暮ったいビルの中のカラオケチェーンに入った。
受付をしていると後ろに小学生たちとその親たちの集団が入ってきて、俺を見ないでくれと願った。そして、しばらくの受け答えのあとようやく部屋を案内されたが、受付のすぐ近くで泣きたくなった。
小学生たちに汚い大人の不満やストレスが乗ったデスボイスを聴かせたくはないので、彼らが受付を済ますのをしばらく待ち、そしてマイクを取った。
デスボイスはすばらしい。
泣きたいのを堪えてるときに喉の下の方が詰まった感じになるよね。そこを思いっきり腹筋使って鳴らすんだ。
suicide silence,marylin manson,SlipKnoT,マキシマム ザ ホルモン(半角空く『ザ』の両脇!!!!!)、SiM等を歌っている間、ものすごく気持ちが良かった。横隔膜を動かすことで自律神経がなんちゃらとか聞いたことあるし、それなのかも。
marylin mansonの曲で一旦暗いところに沈んで、suicide silenceの曲調とは裏腹に困難に立ち向かう歌詞に助けられるデスボイスセラピー、みなさんもいかがですか。
映画以前は、単に悪趣味で頭おかしいおっさんと思われてたと思う。
それが、映画のスタイリッシュな映像と音楽と奇跡のような場面で編集された結果、ものすごいクラスチェンジ。
自分も含め、映画を観たのが、彼に対する共感だったり応援のきっかけだったのだろうと思う。
学園祭に呼ばれたり、メディアに出たり。昨年は泡沫候補を取り上げた著作が賞を取ったという。
渋谷でセンスのないパフォーマンスをしている彼の何に励まされていたのだろう。
著書は今になって思えば自己顕示と自慢話ばかりであった。
政策も支持したいと思えるようなものはなかった。一度も投票したことない。
政治活動家である人間に共感はするが投票したくないとは大変おかしなことであるのだが、
おかしさに気づかなかった。
モテについても語ってた気がする。
スマイルセラピーってコミュニケーション能力の向上するんじゃなかったの。
それで相手の同意を得られぬセックスをして口止めに3000万円提示したのか。
ダサすぎてキモい。
一度泣き出してしまうと、しばらく泣き止むことができない。今も泣いてる。部屋のドアを閉めて声押し殺して泣いている。画面は見づらいけど涙がこぼれ落ちるたびに視界が良くなるのが車のワイパーみたいで少し面白い。
昔から学校が苦手だった。友達は少ないし、授業はどうでもいいし、宿題が嫌で嫌でたまらなかった。実質ボイコット状態。当然(得意な2,3教科以外は)成績が悪くて、その得意な教科でもテストで点が取れただけで授業態度は決して良くはなかった。先生達との関係も悪かった。常にクラスから疎外されているような気分で、これはわたしの被害妄想かもしれないが、"かわいそうな子を見る目"で見られていたような気がする。2-3年に一度は親が呼び出されたりわたしがカウンセラーに連れていかれたりしていた。
母は、わたしの教育にたいへん力を入れていたように思える。詳細は割愛するが(実はもう何度かアノニマスダイヤリーに書いた)、現時点で彼女はわたしのことを非常に軽蔑していて、ストレスの捌け口なのかわたしのことを"躾けて"いるのかは分からないが毎日罵倒してくる。唯一得意な美術で何を成し遂げても上には上がいる話を聞かされたりその時間を何故勉強に使わなかったのか問い詰められたりする。
わたしは学生生活11年間ずっと、自分が得意なこと、好きなことが美術しか無いと思い込んでいた。これはもう絵描きになるしかないとたかをくくっていたところに、何気なくスケジュールに入れた心理学と犯罪学と法医学に恋に落ちてしまった。進路の話をするとぜったい長くなるから今はしないがまあ要するに慣れない「学校」をとても頑張る教科が今年は3つほどできた。成績のためじゃなくて知識のために授業も課題もできるだけ真面目に取り組んだ。
そして、今日父から電話が来た。わたしが国語と経済学を落第しそうだと、落第したら卒業できないということを聞いてわたしの先生に電話をかけて話をしたそうだ。恥ずかしいがわたしもきっと父にとって恥ずかしい娘なのでまあイーブンだと思って話を聞いた。説教は頭を素通りしたがなぜか父はわたしの心理学兼犯罪学の先生とも話をしてわたしがうまくやっていることを聞いたそうだ。「真面目にやっていて授業態度も成績もいい。」「いい生徒だ」と。これを聞いた瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。嗚咽はなんとか堪えた。父との残りの会話はなるべく涙声にならないように頑張ってあまり喋らないようにした。
本題に戻る。わたしは自分が尊敬しているひとやただ単に自分より立場が"上"のひとに能力を肯定してもらうと涙が止まらなくなってしまう。現時点でもう30分は泣いている。だいぶ落ち着いたが目は腫れているし鼻と耳はなんだか変な感じだ。今回もそうだし、カウンセラーに慰めの言葉をかけられると涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。正直困る。笑ってお礼を言いたい場面で相手を困らせてしまうのは嫌だ。
どうすればいいんだろうか。性格と言われればどうしようもないのだけれども、いっそのこと、原因を追求するためのセラピーでも行ってみたいような気もする。最近よく褒められるから、逆に辛い。
35、子宮筋腫あり、子宮内膜症あり、重度の貧血、ガリガリの瘦せ体質、妊娠するのは難しい可能性があるかも、というマイルドな所見をいただき、夫も年齢や激務から立つものも立たず、忸怩たる思いで排卵日を見送る・・・
周囲は子育て真っ盛り、子供は大好きだから、会うたびに動画や写真を見せてもらうのも嬉しいし可愛いなと思うけど、家に帰って一息ついたときに、隙間にふっと入ってくる感じ。仕事終わり、スーパーで夕飯の買い物をしているときに、かわいい盛りの子供をいとおしそうに抱っこする若いお母さんとか見るときの、胸がぎゅっと締め付けられて息苦しくなる感覚。
誰も悪くないし、だから毎日息をするようにしんどい。考えるのが嫌で本を読む。出かける。でもアクティブな趣味もないので近場の神社とか。どんな神様かと検索するとき、どこの神社に行こうかと検索するとき、縁結びとか安産とかを目の端で探してしまうあの感じ。
どこに行っても、何をしてても、誰と話しても、ずっと考えてる。
ゲシュタルトセラピーに興味が出てきた。もう、自分の頭を塗り替えてくれるものなら何でもいい。
今の自分の幸せさに目を向けて、等身大で生きていくことがなんでこんなに難しいんだ。
話し相手マジでほしい。大人になって、新しい友達を作る難しさをひしひしと感じてる。いやまあ学生時代からコミュ障だったけど。
リアルで態々処女カミングアウトする人はいないけど、案外私以外も居るんじゃないかと思ってる。
私の場合は専門職の学校に進学したから、恋愛するより勉強!技術!バイト!に青春を過ごしていたし、
親族も私以外男親兄弟や従兄弟に囲まれていたからか、異性に対してときめき?みたいなのは昔から感じられなかった。
幼少期に一時期好きな子がいたけど、それは同性の女の子で、付き合いたいとかそういう感覚より、誰よりも可愛い彼女が幸せであって欲しい、みたいな。
憧れに近いのかもしれない。
がさつな性格だから?異性として扱われずに普通にゲーセンとか居酒屋誘われて遊んでた。
で、卒業後就職したら10年程社畜の生活で、気づけば三十路を過ぎていた。
何度か職場の先輩に誘われた事はあったけど、男の人が女として自分を誘っているなんて思ってなくて普通に仕事でマズい事したか!?と焦って呼び出しに行ったけど
休日に呼び出されたり夜の家に呼ばれたりした時は鈍い私でも流石におかしいと感じてその後は避けたけど。
性格はさておき、仮にも肉体は女だから出会い系やらセラピーやらで探せばセックスは出来るだろうけど、
そこまで必死になって非処女にならなきゃならないメリットないし。
三十路になったら女は性欲増すってのも、実は嘘なんだろうか?
今回は少年ジャンプ+
そもそも「漫画の面白さ」ってのが抽象的なテーマなので、作中で説得力のある説明をどのように表現するか。
かつ本作の内容自体をエンターテイメントとして良質なものに昇華させなきゃいけない。
といったことを踏まえて今回の感想を書くなら、その課題はクリアできていると感じた。
展開される理屈は「分かってる感」のくすぐり方が丁度良いと感じたし、絵もテーマに合わせて演出をきかせることで飽きさせないようにしている。
投球による駆け引きと、野球漫画のテーマ選びについてちゃんとこじつけているしね。
こじつけっていい方はアレかもしれないけれども、漫画とかではそのこじつけは結構大事。
明らかに自覚的であろう不自然なプロット、それを前提にしたギャグ。
一応、のっぴきならない状況に対して説明はあるんだけれども、その上で「いや、おかしいだろ!」ってツッコませる感じ。
ジャンプ+には他にもエロコメがあるけれども、本作はよりバカバカしい方向に振り切っているね。
客観的にみれば、あの事件は誰が悪いだとかそういう話ではない。
それがかえって罪悪感を募らせ、たらればを考えずにはいられない。
トーマの涙は試合結果に対する諸々もあるだろうけれども、太一に業を背負わせてしまった申し訳なさとかもあるんだろうかね。
創作におけるアイデアは随分と前から出尽くしていて、後はその組み合わせや、それらをどう表現するかが大事ってのはよく言われるけれども、こういうのを読んでいると改めてそう感じるね。
「中小企業のドラマ」という、別の媒体ではちょくちょく見られるものをテーマに、ファンタジー要素を突っ込んで漫画にしたっていうのが惹かれる。
ファンタジー要素がくっついてはいるけれども、あくまで価値観は現実に則っていて、茶化したりもせず大真面目に話を描いているのが良い。
※あまりURLを張ると色々だるいので、各自勝手に検索して欲しい
何のつもりか知らないが、最近、ジャンプ+でお色気枠(候補)の連載あるいは読み切りが時々見られる。
通常のブラウザではなくスマートデバイス用の専用のアプリでジャンプ+を見ると、upvoteのできるコメント一覧を見ることができる。そして、コメントの傾向を見ると、直近では以下のお色気枠の漫画の評判が悪い。
一方、本日始まった "ハイリスクミッションセラピー" は今のところ好評である。この差は何か? 色々考えられるが、おそらく大きなウェイトを占めているのは "ヒロインの積極性" である。
雑に言うと、不評だった漫画のヒロインは、自覚してる・してないを問わず、みんなエロいことに対して積極的である。一方、ハイリスクミッションセラピーのヒロインはエロいことに対して原則消極的である。
つまり、ジャンプ+を読んでる奴らのほとんどは「女性本位で性を楽しむこと」についてなんやかんや理屈をつけて拒絶反応を示す。「女は性に対して恥じらっておけ」というドレスコードでないと不快に感じるのだ。
結局これが、ジャンプ+を読んでるような奴らの正体である。「エロには(女の)恥じらいがないと」という男主体の価値観。自発的に性へ向き合おうとする女の自主性を認めない、勘違いした男どもである。
終わったいじめ、つまり卒業や就職で環境を離れ、実質いじめから解放された状況のことである。
多くの人が理解しているように、そのいじめが精神的・物理的なものにかかわらず、
一度いじめられた記憶やトラウマはその後のキャリアや人間関係にも多大な影響を与える。
対人恐怖症、依存症、各種のコンプレックス…それによって恋愛や結婚、進学や就職といった規定のライフイベントが妨げられるのは、これを読む全ての人が分かっていることだろう。
確かに、未来が不確定である子どもたちのほうが、事実上終わってしまった問題を抱えた僕たちよりもずっと重要だ。
だが。
一見健全に社会人をやっていたとしても、上にあるように、本来のライフイベントや想定していたプランから大きく外れてしまった人は多い。
そういった人々をどうやって救済すればいいのだろうか。
言い換えれば、「どうやって元いじめっ子を法の日の元に引きずり出して脳天に鉄槌を下すか?」という問題だ。
レコーダーが子供でも気軽に持てるようになったのはごく最近の話だし、10年以上経った場合は物的証拠も証言も曖昧になってしまう。
仮に証拠があったとしても、「現状やっていけているのなら、問題はないのでは?」で終わってしまう。煽り代わりにセラピーを勧められて終わりだろう。
朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZのボーカルとして知られている。現在は俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。
今期のNHK朝の連続ドラマ小説「ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男は茨城の片田舎でマッシュルームヘアーでバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。
だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男が上京し過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。
***
時は2005年、中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZのアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。
北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?
それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生のときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。
当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドをラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオとカセットテープのプレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。
中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。
友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。
***
「カラオケで銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」
と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。
その時は正直
「は?」
と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から「銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。
肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。
自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手に銀杏BOYZの話をしていただき、ライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき、朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。
***
そんな折、先々月の銀杏BOYZのライブ「東京のロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアーは実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。
わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。
でももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちでライブを楽しむことができると信じていた。
***
峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュとダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ。対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和な西海岸か熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。
峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団の様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。
峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活で無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ちが10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。
***
思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち、自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ちが擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。
峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己のコントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。
峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山のシャレオツなカフェで静かにギターの弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。
客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったときに銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手に肯定された気持ちを手放したくないのだ。
もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dのホログラムが投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去そのものであり、みじめで変えようがない過去の自分そのものでもあった。
だから皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的で個人的な存在だった。
***
そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちではいられなかった。
でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近は映画に舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたしが過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。
そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生のわたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。
宗男はイギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴がビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものにしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である。
わたしが勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたしが勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。
「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロの俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。
***
そんなこんなで銀杏BOYZの武道館公演のチケットも当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。
元増田じゃないが、ADHDって似た症状の別の病気があったりして、医者でも判断難しかったりすることもあるらしい。
その上で、俺は「医者も選択肢のひとつだけど、壊滅的に困ってないなら医者にかからないのもまた選択肢」だと思うぞ。
リタリンやコンサータがあったほうがいろいろうまく運ぶ場合があったり、ADHDに起因する生育歴に苦難があって心に問題を抱えてしまった場合、セラピーやカウンセリングが必要な場合はある。人によっては、それらがないと社会生活が破綻してしまう人もいるので、そういう人について、医者は必要だとは思う。
ただ、ADHDというのは結局単なる脳処理に癖があるというだけの話で単なる特性だから、「特性を知った上で、活かす道を模索する」という選択肢も、まぁある。そのための、正しい基準を得るために確定診断を受けておくのもひとつの手だが、そんなもんは別に生きる上で必須ではない。
http://anond.hatelabo.jp/20160622100234
この記事を書いた者です。
年間アクセス7位になっているのに気付き、久しぶりに記事作成をしようかなと思い立ったのでこれを記しています。あとゴールデンウイークに突入し、暇なのもあります(笑)
本文、追記共に当時の自分の心の澱と人には中々主張出来なかった故の断定的かつ鬱屈した感情がみっしりと記されていて、書いた当人ですら読んでて疲れました。
ただ、この記事で自分の気持ちを発散したことで実に穏やかな気持ちになれたのは確かです。
この匿名ダイアリーという場で、多くの人に自分の実際に感じたこと、体験したことの一部を『わたし』という人間が見えない場所から発信し、意見を貰う。カウンセリングに行くよりもずっと効き目の高いセラピーになりました。
発信して初めてわかったことがありました。それは、私みたいな生き方をしている人間は思っているよりもいなかったことです。
自分が多数派だなんて考えは当然ありませんでしたが、「私と同じ悩みを抱えて、苦しんでいる人は多いのかもしれない。そういう人がいるんだよって発信したら、私みたいな人間は救われるのではないか」くらいのことは思っていました。
ただ、反応を見る限りだとそうではなかったみたいです。共感以上に、私や周囲の異常性、読み物としての感想が多く、もしかしたら私自身の考えや生きてきた人生というのは、自分が思ってた以上に異常なのかもしれないということにお恥ずかしながら初めて気付かされたのです。
もしかすると、普通は越えないような轍を何個も何個も越えてきてしまい、引っ込みすらつかないのが私の人生なのかもしれない。
そう考えると、ここに記した殆どのことは、実生活の私の「墓場まで持って行く秘密」にしないと、あまりにも受け入れがたい事実なのだなぁと感じました。その位、人には理解しがたい人生を歩んできてしまったのだと。
これはとてもさみしいことです。だからこそ、インターネットで発散できてよかった。もしそうでなければ、私はこの澱んだ感情をずっと抱えたまま死んでいかなければならなかった。誰も私を理解できないと、自分だけが思ったまま。
そんなことすら、人に認められないと自認できない。
承認欲求の底知れなさを思い知りました。そして、私は、そういうことと一生をかけて向き合うのかもしれないと。
そういう性質の性格なのだから、仕方ないですよね。今はそうやって自分と向き合えるようになりました。
同人活動なのですが、Twitter中心で細々と続けています。
エントリーに関するRTが流れてくるたびにドキドキしていましたが、誰もそれを書いたのが私だとは気づいていないみたいです。今では誰も話題にしていません。インターネットなんて、そんなものです。
二次創作を描けば1000を超えるRTを頂けることもありますが、そのことに関して前よりは落ち着いていられるようになりました。というよりも、RTされるネタの書き方みたいなものを感覚で掴みました。
完全に記事を脱線するので詳しくは書きませんが(そもそも感覚なので説明も難しい)、別に絵が上手いとか特別な技量がなくても伸びるときは延びるのだから、一喜一憂していたらキリがないなぁと。
即売会は、行く回数は減りましたが参加しています。ただ、もう新刊を作ることはないかもしれません。キャラクター愛やそれを人と共有したいという感情が前よりも薄れました。
創作が楽しくなくなったわけではないのですが(これに関しては後述します)、なんでしょう。これが年をとるということなのかな。自分の中で「思い出」になりつつあるんです。
好きなキャラやCPをきっかけにして、Twitterでつながったり、Skypeをしたり、自分で本を書き、人の書いた本を読み、萌えて転げて、アフターや日常でも仲間同士で集まって、そのキャラの話で花を咲かせて。
そういう光景を見かけると、楽しそうだなという感情にはなるのですが、参加したいなという気持ちにはならなくなってしまいました。
でも、気の合う子とのおしゃべりは今でもとても楽しいです。みんな会ったときは10代でしたが、今では大人になりました。結婚している人は多くないですが、会うとキャラの萌えを語るより、近況を話すことのほうが増えました。
そんな私をつまんない人だと感じる人は、どんなに仲良くしていたとしても離れていきます。でも、それでいいんだよなと。
今、一緒にいて楽しい人だけが「オタク友達」なんです、きっと。そこから先の「普通の友達」になるためには、それだけじゃ足りない何かが絶対必要になってくる。そしてそれは、誰とでも芽生えるものじゃない。だからこそ、オタクの友達はあまりにも即物的。でも真の友情が芽生える可能性もあるから、バカに出来ないなって思います。
Twitterのフォロワー数だって同じです。繋がるのに何の不自由もないからフォローされてるだけであって、共通項がなくなればそこで終わりです。だからこそ、数に拘るのは無意味なんだと思います。ずっと見てくれる人や、たまの落書きを何年も変わらずにいいねしてくれる人こそ、大切にしなきゃいけない人なんだと思います。相互片道関係なく。
ここまで書いてきて、また自分の「●●でなければいけない」癖が文章に反映されていて、苦笑しました。
誰かに伝える文章は、例えそれが自分に課している制限だろうと断定的に書くことで人を不快にさせるみたいです。それもここで知ったことです。
難しいですよね。でも「私はこう思うけど、あなたはどう考えても自由だよ」とその度に書くのはくどいと思うのでここで一回書いたことで許されようと思います。許して下さい(笑)
二次創作への情熱が薄れるかわりに、最近は一次創作が楽しいです。
まだ公表していません。それなのにこんなに楽しいことがあったのかとびっくりしています。
物語という形にすることで、自分の意志を表に出すことができる。そこには何の制限もありません。もちろん物語としての整合性を整えるのもひとつの楽しみですが、どうしても自分の主張したいことがあるなら、オリジナルのキャラクターにやらせる分には誰も文句は言えないのではないかと気付きました。
悪い部分もあってこその人間。仲のいい友人に見せると、とても生き生きと動くキャラクターだねと言われ、お世辞でも嬉しいです。
ここで数人が「実録としてエッセイマンガにしたらどうか」とコメントされてましたが、いまでもそれをする気はありません。やはり私は、事実をそのままマンガにするのは好きじゃないみたいで、だったら一次創作のキャラクターに、何らかの形で搭載したいです。
主人とは、つかず離れず上手くやっています。私も多少ちょろまかすという事を覚え、小遣い以外に稼いだ分から少し抜いた分で友達とランチへ行ったりしています。意外と気付かれません(笑)
私の場合、ささやかな幸せを幸せとも感じてなかったことがそもそもの間違いだったので、今はそこを目標に生活水準を下げています。意外となんとかなります。
一年経った今、自分のことを牙を抜かれてチワワになった狂犬みたいだなと思いますが、それでこのままチワワになれたらもうけもんです。
尖って尖って、非難されるような自分だったからこそ、なれるものがある。
それを誰かにバカにされたり情けないだなんて言われる権利なんてきっとない。
他人の人生を私が生きることが出来ないように、私の人生は私にしか生きることができなかった。
それがどんなに汚い生き方でも、一般的には努力の足りない人生でも、誇りに思っていいことだ。
そんな風に、思います。
そう思えるようになったきっかけは、間違いなくあのエントリー。
なんてステマ臭の強い記事なんだろうと思うけど、本当にステマじゃないです。最後まで読んでくれてありがとうございました!面白みがなくてごめんなさい!相変わらず長い!ただの感謝の気持ちです!
※11/21 追記
聴いてください。
昨日書いた「結婚をする人の気持ちがわからない。」を書いた者だけども。にも、予想以上にたくさんのはてブ・コメントが付きました。
はてブのコメントは全て読ませていただいています。仕事がヒマなので。
昨日の夜から布団にくるまりながらずっと考えていた(ウソ)のですが、皆さんが結婚したい理由が少しわかった気がします。
社会保障制度があり、結婚した方が金銭面でお得というコメントを頂いたので1に関してはまだわかります。
まあ正味な話、他人が何を理由に結婚しようが僕には関係ないのでどうでもいいのですが、
1以外の理由で結婚しようとする人の気持ちがまだわからないですし、それは知りたいとも思っています。
既婚者からのコメントで「なぜ結婚したかわからない」というものもいくつか見られました。
皆さんアホみたいに特に何も考えずに取りあえずで結婚しているのでしょうか?
そこんとこ正味な話どうなんですか?
なぜ結婚したいと思っているのですか?
あっ、ちなみに寂しいからとか一緒に居たいからとか意味不明な理由はやめてくださいね。
ここからは「結婚をする人の気持ちがわからない。」を書いた者だけども。についたブコメに返信していきます。
そんなこともわからないのか。
赤信号でも皆が横断歩道渡ってたら左右も確認せずにスマホ見ながら渡るのかって話。
近道を教えたまで。
インドカレーの作り方をプロに教えてもらってから作るのと、自分であれこれ考えながら作るのでは、前者の方が美味しく作れるのに時間がかからないというお話。
何のためとか思っている時点で自分本意であり、恐らく結婚は向かない人だ。損得なんて考えずにしたいからするのだ。人を好きなるのに理屈なんてない。
理由になってないな。好きになるのに理屈はないというのは同意できるが、そこからなぜ結婚になるのかが理解できない。
じゃあ結婚という制度がこの世になかったとしたら、お前は好きになった人と何をするんだ?
そもそもメリットのために結婚しているわけではない。移り気な気持ちを留める家族になるためには結婚するのが手っ取り早い。次は家族になりたくない理由を綴ってくれませんか?あとただの責任逃れに見えますよ。
結婚しないと移り気な気持ちを留められないということは、単にあなたに魅力がないだけでは?
そうなんだよ。結婚しないと一人って考えが古いんだよ。
私は一人の人生がつまんなかったので結婚してみた。別にみんなが結婚する必要ないし、結婚する理由を理解する必要も全くないと思う。
なぜ結婚をしないと"一人の人生"という考えになるのか理解できない。
こわっ。
同意です。でも僕はそこまで抵抗しないな。偉いと思います。結婚はネクタイみたいなもんじゃないっすか?意味わからない慣習だけど、しないと社会が許さないみたいな。今後変わっていくといいなと思う。
良い例えだ。君にはネクタイ1年分あげよう。
逃げ恥見過ぎやで。
前の記事でもいいましたが、僕はドラマに全く興味ないので一切見ません。
結婚しなくても一緒に居られるし、子供も作れる。育てることもできる。それなのに何故結婚と言う契約をするのか?答えになって無いコメントが多い。
ホントその通りだ。
恋愛に割けるリソースがある人生が羨ましい。私は、低学歴雑魚労働者という低スペ以前に、労働・趣味・学習セラピーに人生が食われてほぼ何も残らないので、余力がない。
損得で結婚して正解なの。日本の婚姻制度は戸籍管理の一環であり、例えば非嫡出子より嫡出子が優遇されてるのも、届け出て籍を管理させた人々への特典なわけ。届出させたら国民がどんな感情で結婚しようがご勝手。
認知すればいいだけの話。
多分この増田は仮にブコメを全て論破出来たとしても目の前に一組の幸せな夫婦を見ただけで自分の価値観に自信が持てなくなって揺らぐだろうから、相手のことを考える前に自分を見つめなおした方がいいですよ
一組の幸せな夫婦を見ても「ああ幸せそうだな」くらいにしか思わないが。
核家族化(イエの衰退)・避妊技術の発達で、今の婚姻制度とその倫理観(キリスト教的な性愛の相互独占)が実情に合わなくなった感はある。結婚のメリットが減ればフランスみたいに事実婚増えるだろうね。/逃げ恥はいいぞ
ガッキーに「一緒に見よう?」と言われたら見るが。
オレが言いたいのは、腹割って「童貞なので女性の扱い方・セックスを教えてください!」って言えってことだよ。
子供の頃の夢はプロ野球選手になることだったから。オレ肩はいいぜ。
実際フランスのように婚外子の権利が認められて事実婚でも税制、待遇が変わらない社会になったら結婚は減るだろな。今の日本では「夫婦も子もおトクだから結婚する」でいいじゃないか。
例えば今の日本で、ベーシックインカムが上手いこと成立して、年齢関わらず一人頭無条件に15万円ぐらい支給されるようになれば、結婚制度など崩壊しても、第二次ベビーブームが到来すると思う。
ベーシックインカムは早く導入してくれと思ってる。
仕事ヒマなノ・デ。。。
永遠は誓わず、今一緒にいたいから結婚という形を取ったわ。パートナーという関係がありなら結婚という関係でもいいだろ。それが多様性。離婚が面倒とかそれこそメリットデメリットで判断してるじゃろ。知らんけど
気が合うね!一緒に子作りしよう!オレ、勃ちはいいよ!
オレ、マンガも興味ないんだ。
オレはこの先も一生結婚することはないと現時点で思ってるけど1年後、自分の考えがどうなっているかは予測できないので、その可能性は0ではないですね。
結婚すればお互いが別の相手と結婚していないかどうかを役所通じて確認できて少し安心できる。最大のメリットは死んで資産を残すときに贈与税がかからないことか。
大好きで一緒にいたいけど、国際恋愛で相手がいる国で一緒に暮らすには結婚しないとほぼ100%一緒に暮らせないから絶対結婚しなきゃいけないんだけど
それならいいんじゃない?
こんだけ長々ぐだぐだ書くんだから結局のところ結婚願望あるんでしょ。プロポーズ断られたばっかとか??(長すぎてほぼ読んでないし、前回記事も読んでないけど)
一切ないですし、プロポーズしたこともないです。
あれ?もっとプラスの方向のブコメあったよね?チョイスのセンスが君の偏った思考を物語ってるとは思わない?「愛してるから」といわずに損得で教えてくれるのは、恥じらいと、君に分かりやすくしてくれてるだけさ
プラスのブコメ載せても「ああそうだよね、同意見」としか言いようがないからほとんど載せなかった。
結婚契約で自分の実力以上の奥さんに逃げられずにすんでいる。恋人以上に特別な感覚があって嬉しい。幻想はなく夢がある。誰がどう思うかは関係なく結婚して10年以上、楽しいこと多し。逆だけど増田の信念と同じ位
こわっ。
待って待って!私そんなことのために結婚してないから!!いっしょくたにすんなー!ただ相手がいとおしくてずっと一緒にいたいから結婚したんだってば!!縛ってる気なんてビタ一ないから!
相手がいとおしくてずっと一緒にいたいから結婚した?意味がわからない。
一緒に居たければ一緒に居ればいいだけの話であって、なぜ結婚までするのかが理解できない。
結婚しなくても一緒に居れるが。
元増田は結婚が嫌だけどせがまれてる立場なのではないかと思う 責任とれとか言われてるのではないかなあ 責任は取った方がいいよウン
結婚をせがまれたことは一度もないですし、責任を取れと言われたことも一度もないです。
ゴムする派なので。
どうでもいいけどこの人は結婚できなさそう。
できないのではなく、しません。
恋愛はいつか終わるので、社会的に結びついておかないと刹那的に関係が終わりがち。結婚しとけば恋愛後の人間関係が作れる。その良し悪しは個人の価値観。あまり他人の見解を見下さないほうがいいとは言っておく
幻想です。
"社会的に結びついておかないと刹那的に関係が終わりがち"というのは自分がそれだけの関係性を作れていなかっただけの話。
こういう考え方があってもいいし、結婚という概念になんの疑問ももたないほうがおかしいのかも。フランスのパクスのこととか調べるとそう思う。
一昨日しました。
それも一つある。
そう言えば小さい頃、癖で自分のハナクソ食べてたな。何であんなことしてたんだろう。
他の方も言っているが、実用性を説かれるとやけにエモい反論をするのは何なのか。結婚制度反対の割には結婚制度に夢を見過ぎでは? そんな夢を見てる人が奥さん、彼女に二股かけられたら悲しくないのかなぁ?と疑問
なぜ悲しいと思うのか疑問。友達が他の友達と遊んでたら悲しくなるのか?自分の知らない所で誰と会おうが何しようがオレには関係のないことだが。
ここでうんこ撒き散らして満足かね?
そろそろ休憩に入るのでこの辺で終わりにします。
整った顔立ちも、僕に会うときだけ見せるハーフアップも、"平均的な20代女性"みたいな感じで教科書に載ってそうな身体も、すべて世界一だ。
高学歴なところも、人一倍優しいところも、実はプライドが高いところも、全部だ。
僕の中では。
いままでいろんな料理を食べてきた。
ミシュランがどうだとか、海外の最高級ホテルが出してるやつとか、そういうのもたくさん食べてきた。
どんな高級セラピーも、死ぬほどエロいAVも、彼女には勝てない。
僕はこの世に愛なんてないんじゃないかと思ってた。
今の僕を昔の僕が見たらお花畑野郎と罵るだろう。歳になって平和を歌うようになったロック歌手を卑下するように。
彼女のおかげで僕は圧倒的に成長できた。人生どうなるかわからないけど。
一週間後、このクサい文章を見て恥ずかしくなっているかもしれない。
でもこれからもずっと大切にしたいということだけは変わらない。
僕を好きでいてくれてありがとう。
愛しています。