はてなキーワード: スタンプラリーとは
自分たちで無駄にルール増やしてその処理にてんやわんやしてるマッチポンプな業務が多すぎる。
ITのこと微塵もわからないまま「とくにかく怖いから全部駄目🚫」で今時メールもロクに使えずFAX中心で仕事してたりして業務効率がクソすぎる。
偉いおじいちゃん達がデジタル承認をロクに使えないからアナログ押印でスタンプラリー未だにやってたりで本当に気が狂ってるよ。
民間企業だったらとっくに潰れてるような仕事の仕方してるから人がいくら居ても足らないし、人が辞めていく側から「情報流出を防ぐために個人情報は部長しか触れないようにしましょう。必要なときは部長に見せてもらって目コピで覚えようね」みたいなこと言い出してるし。
こんな職場で何頑張っても結局はトップ連中の無意味な保身ごっこに突き合わされるだけで社会に何の貢献もできねえ。
学生時代にしてたスマホ屋のバイトが情弱から金を毟り取るだけで人類に何の価値も産み出してない詐欺師まがいだった反動で「社会に対して何か価値を提供できる仕事につきたい。その確信を持って働きたい」と公務員になったけど、情弱共に使い方教えてその分のサービス料は意味不明なサブスクで補填するって形で社会に食い込んでるスマホ屋の方がまだマシだったかも・・・
自分が毎日頑張ってやってることのうちで何割が社会に対して本当に意味を齎しているのか考え出すと10%も無いんじゃないかって気がしてくる。
やってる仕事の大部分が自縄自縛の保全管理ゴッコでしかないんだよな。
そんでいざなにか起きたら「オラオラ地域住民のためだぞ」と言って民間企業から設備や労力を無償提供させてばかりでヤクザと何も変わらねえし。
技術担当者は技術や知識はなく「この会社の人に頼めば無償でなんかやってくれる」ということだけ知ってるだけだし、事務員達はそういうった担当者の名前を覚えているだけの電話交換手ばかり。
何の能力もなく、何の価値も生み出せず、ただただ公務員という地位を盾にして地域住民から労力を奪ってはそれに税金というブースターを取り付けて再分配してるだけ。
職業としての方向性じゃ女衒あたりと似たようなもんなんだろうね。
悲しくなる。
10年働いたけど、社会人として価値のある技術を身に着けた感覚もなければ、社会人として自慢できるような経歴もない。
本当に大失敗だ。
10年前の自分をぶん殴りたい。
今、就活やってて気の迷いで公務員受けてる子に言いたいんだけど、「今スグ公務員なんて辞めて興味のある分野の小さい会社にでも潜り込めるように就活頑張ったほうがいいよ」
10年後に後悔するから
世の中の自然恋愛してる人達って、一部の陽キャの極みは除いて、「人生経験」と恋愛を交換している気がするんだよな。
人生経験っていうのは別に大層なことじゃなくていい。ただ相手がどんな人間かを端的に知れるエピソードがあって始めて、「惹かれる」ということができるんじゃないかと思うんだよ。
じゃあどうやったら人間的な深みが得られるかというと、「いつもと違うことをしてみる」ということの積み重ねなんじゃないかな。
世の中で知らないことをちょっとずつ減らしていくつもりで、スタンプラリー感覚で今までと違うことに挑戦してみる。
たとえば、期間限定の味に挑戦してみるとか。
お金をかけなくてもいい。通勤時にいつもとちょっとだけ違う道を通ってみるとか。
それは結局、卑屈な考えを少しずつ改めるきっかけにもなる。その「ゆがみの少なさ」は、確実に魅力になるし、相手にも伝わる。
具体的なメリットとしては、相手と話す時に話題に困ることもなくなるだろうね。
度々、旅先でのチェーン店がアリかナシみたいな論争があるので
アリ派のわたしの楽しみ方をまとめてみた
多分、一般的なアリ派とは違う
・方言を楽しむ
地方のチェーン店に行くと同じ見た目同じ品揃えなのに、店員の喋り方が違う。居酒屋チェーンとかなら客も地元民ばかりですごい方言を聞けて楽しい(観光客向けの店では聞けない)。
別に個人店でも方言は楽しめるのだが、見慣れたチェーン店で独特のイントネーションを聞くのが楽しい
個人的には高速バスで早朝の東京駅についたときに、外国人店員(しかもいろんな国籍)しかいないマクドで朝マックを食べるのが東京に来た!って感じで好き。(地方なので近所のマクドは半数は日本人だし外人もベトナム人しかいない)
全国区のチェーン店でも地域によってご当地メニューがあったりする。私はココイチの地域限定メニューが好きで出張で食った長岡の新潟ブラックカレーが好きだった。
・フランチャイズを楽しむ
ご当地メニューみたいなもんだが、フランチャイズ営業のチェーン店はフランチャイジーによってメインのメニュー以外全然違うかったりする。なので他地域の店舗に入ると主要メニュー以外は全然違うメニューがあったりして楽しい。これは飲食店だけでなく、コンビニとかでもオーナーの趣味でガンプラが置いてたりとか酒がアホみたいにあったりとか結構楽しい。
・グローバルに楽しむ
海外でマクドナルドなんか行ってるとなんでわざわざ海外でマクドなんだよと言われたりするんだけど、海外でマクドナルドを食うことで物価感とかが掴みやすくて、初めての国ではマクドに行く。あと、やっぱり国によってメニューが全然違うので楽しい。
・スタンプラリー的に楽しむ
以前スタバが47都道府県フラペチーノとかやってたけど、勝手に47都道府県のチェーンに行きましたキャンペーンをするとただのチェーン店にも目的意識が生まれて楽しめるよ。
全国チェーンといっても、近場にないチェーン店は結構存在する。例えば南九州にはサイゼリヤがなかったり。静岡にさわやかを食べに行く気持ちでサイゼリヤに行く人もいるということ。他にも遠い地域で地元チェーン店に行くのも楽しい。関西では数キロごとにある王将も東北には殆どなかったり、異邦の地で食べる地元の味も良いものです。
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジア、アフリカ、中南米でしばしばみてきた。
かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
アウェイといえば、ドラマ「おしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベースが敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性のエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリ、ホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲でしか外に出歩かないのだ。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。
女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性の故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
嫁ぎ先である日本社会、日本人男性に漠然と失望している場合、希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームから温かい視線を旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師という言葉で表現した。フーテンの寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、さらに時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公の少女時代(1970年代)は、都会の夏休みのラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと=田舎をそもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア)女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。
旅行好きの女性の特徴と男女差
旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。
歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境や文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性が自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。
一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験を故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性が社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。
故郷と都会の関係性の変化
現代の日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。
この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域で価値を見出し、生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性が旅行を通じて自己実現や自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。
旅行は、日常からの一時的な脱却を提供し、新しい環境や文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行が自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。
電子マネーサービスを「 ミャクぺ!」、ポイントサービスは「ミャクポ!」、NFTサービスを「ミャクーン!」と呼ぶらしい。まず香ばしいのは、2025年に開催される万博に既にオワコンとされているNFTを売りにしていることだ。
万博のNFTにはPLT(Palette Token)というNFT等のデジタルアイテムに強いとされるコンソーシアム型のProof of Authorityブロックチェーンが採用されている。イーサリアムのガス代が高いので安価にNFTを流通させることを目指してるらしい。NFTの流通にはガス代がかからないが、NFTの発行にガス代が取られるモデルになっているらしい。
ブロックチェーンで決済用の電子マネーを実現するとなると、取引所はどうするのだろうかとか、円ペッグするのだろうか、業態やライセンスはどうするのだろうかとか色々気になることがあるのだか、Palette Tokenにはそのような要素が見当たらない。色々調べてみたところ、この資料に答えがあった。
https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/230704_image.pdf
どうやら電子マネーとポイントはオフチェーンらしい。ブロックチェーン関係ない普通の電子マネーを作ることを意味する。2025年に特に新しい技術要素もない、(おそらく)日本国民しか利用できない電子マネーを新規開発するということになる。
インバウンドを考慮するのであればクレジットカードと銀聯、アリペイに対応しておけば十分だろう 。もちろん万博内ではこれらを利用できるようにするらしい。これはAirPay等の決済代行サービスがあれば実現できること。万博の売りにするような要素はない。入札でより安く導入できる事業者を探せばいいだけの話なのだが、なぜか新規電子マネーを作ろうと思ってしまったのだ。理解できない。
さて、ここで気になるのはPalette Tokenの使い道だ。先の資料を見ると、NFTプレゼントや外部事業者との連携に活用するようだ。
実は既に大変素晴らしい分野で活用されているので、その事例をご覧いただきたい。
https://expo2025-wallet.com/events/otoshidama.html
専用アプリをダウンロード・登録した上で、リンクの受け取りボタンを押すと、Palette Tokenがもらえる。
謳い文句の通り、トークンが貰えるだけである。画像が一緒に表示されるが、上のリンクと同じ画像であり、コンテンツ自体に価値があるわけでも所持権利があるわけでもない。
謎度: 星3つ🌟🌟🌟
2. NFT駅スタンプラリー
https://www.jr-odekake.net/navi/nft-stamprally/
駅に置いてある2次元コードを読み取ると(以下同様)
謎度:星3つ🌟🌟🌟
3. おトクなクーポンNFTをゲットして大阪の食を楽しもう!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000072.000046288.html
お食事割引クーポンが貰える大変お得な活用事例。店舗にある2次元コードを読み込むと、NFTを取得することができ、そのNFTを店員に提示すると割引を受けることができるらしい。
NFTとクーポンに何の関連性があるのかはよくわからないが、主催者曰く改竄がしにくいというメリットがあるようだ。
仮に目の前の人が NFTを所有していると自己主張しているとして、店舗の人間はどのようにNFTを所持していることを確認すれば良いのだろうか。トークンIDやコントラクトアドレスがわかればウォレットアドレスがわかるから、所持していることは確認できるんじゃないかって?ウォレットアドレスが何のNFTを所持しているかは確かにわかる。では、目の前の人間がウォレットアドレスの所有者であることはどうやって確認するのだろうか?ウォレットアドレスや所持しているNFTトークンはグローバルに公開されているため、誰でも正しい情報を知ることができる。これは誰でもなりすましができてしまうことを意味する。NFTは提示しただけでは所持確認をすることがでないため、改竄を防ぐためにはトランザクションで店舗のウォレットにNFTを移動する必要があるが、現状そのようにはなっていないようだ。
謎度: 星5つ🌟🌟🌟🌟🌟
まとめ
2024-01-10
電子マネーサービスを「 ミャクぺ!」、ポイントサービスは「ミャクポ!」、NFTサービスを「ミャクーン!」と呼ぶらしい。まず香ばしいのは、2025年に開催される万博に既にオワコンとされているNFTを売りにしていることだ。
万博のNFTにはPLT(Palette Token)というNFT等のデジタルアイテムに強いとされるコンソーシアム型のProof of Authorityブロックチェーンが採用されている。イーサリアムのガス代が高いので安価にNFTを流通させることを目指してるらしい。NFTの流通にはガス代がかからないが、NFTの発行にガス代が取られるモデルになっているらしい。
ブロックチェーンで決済用の電子マネーを実現するとなると、取引所はどうするのだろうかとか、円ペッグするのだろうか、業態やライセンスはどうするのだろうかとか色々気になることがあるのだか、Palette Tokenにはそのような要素が見当たらない。色々調べてみたところ、この資料に答えがあった。
https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/230704_image.pdf
どうやら電子マネーとポイントはオフチェーンらしい。ブロックチェーン関係ない普通の電子マネーを作ることを意味する。2025年に特に新しい技術要素もない、(おそらく)日本国民しか利用できない電子マネーを新規開発するということになる。
インバウンドを考慮するのであればクレジットカードと銀聯、アリペイに対応しておけば十分だろう 。もちろん万博内ではこれらを利用できるようにするらしい。これはAirPay等の決済代行サービスがあれば実現できること。万博の売りにするような要素はない。入札でより安く導入できる事業者を探せばいいだけの話なのだが、なぜか新規電子マネーを作ろうと思ってしまったのだ。理解できない。
さて、ここで気になるのはPalette Tokenの使い道だ。先の資料を見ると、NFTプレゼントや外部事業者との連携に活用するようだ。
実は既に大変素晴らしい分野で活用されているので、その事例をご覧いただきたい。
https://expo2025-wallet.com/events/otoshidama.html
専用アプリをダウンロード・登録した上で、リンクの受け取りボタンを押すと、Palette Tokenがもらえる。
謳い文句の通り、トークンが貰えるだけである。画像が一緒に表示されるが、上のリンクと同じ画像であり、コンテンツ自体に価値があるわけでも所持権利があるわけでもない。
謎度: 星3つ🌟🌟🌟
2. NFT駅スタンプラリー
https://www.jr-odekake.net/navi/nft-stamprally/
駅に置いてある2次元コードを読み取ると(以下同様)
謎度:星3つ🌟🌟🌟
3. おトクなクーポンNFTをゲットして大阪の食を楽しもう!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000072.000046288.html
お食事割引クーポンが貰える大変お得な活用事例。店舗にある2次元コードを読み込むと、NFTを取得することができ、そのNFTを店員に提示すると割引を受けることができるらしい。
NFTとクーポンに何の関連性があるのかはよくわからないが、主催者曰く改竄がしにくいというメリットがあるようだ。
仮に目の前の人が NFTを所有していると自己主張しているとして、店舗の人間はどのようにNFTを所持していることを確認すれば良いのだろうか。トークンIDやコントラクトアドレスがわかればウォレットアドレスがわかるから、所持していることは確認できるんじゃないかって?ウォレットアドレスが何のNFTを所持しているかは確かにわかる。では、目の前の人間がウォレットアドレスの所有者であることはどうやって確認するのだろうか?ウォレットアドレスや所持しているNFTトークンはグローバルに公開されているため、誰でも正しい情報を知ることができる。これは誰でもなりすましができてしまうことを意味する。NFTは提示しただけでは所持確認をすることがでないため、改竄を防ぐためにはトランザクションで店舗のウォレットにNFTを移動する必要があるが、現状そのようにはなっていないようだ。
謎度: 星5つ🌟🌟🌟🌟🌟
まとめ
俺が体験したのは「とにかくその時たまたま正解ルートに進めた所を伸ばしていくしかない迷路式のスタンプラリー」だ。
ジャンプアクションの突破において手段が間違っているのか、道が間違っているのか、自分が下手なだけなのか分からない場面が多々ある。
行く必要のない幽霊物質の先を必死に進んでから何もないはずがないと残り時間必死に探索して、結局そこは別の入口から入るしか無い場所を遠くから眺めるだけのマジックミラーの外側だったと気づいたことさえある。
バラバラのピースが最後に一気に繋がる快感と言ってしまえば聞こえはいいが、本当にバラバラにピースを拾わされるので、次のピースがどこに落ちているのかさえ分からなくなる。
正解のはずの道の前で引き換えしたせいで次へ進む鍵が揃わなくなったことも何度もあるし、何もないただの雰囲気要素に光を見出したことも何度もある。
もしクリア前にDLCを購入していたら、きっと自分はそれぞれを中途半端に進んだ果てに全くなにをどうしたらいいのか分からなくなっていただろう。OuterWildsは攻略順を自由に選べるゲームなんかじゃない。
断じて違う。
攻略できる所から必死に手探りで答えを探し、どうしても道が分からなくなってからダメ元で世界を0からめぐり直すのを何度も繰り返すゲームだ。
ヒントと答の順番が逆転してしまったせいで探索が逆走を始めることさえ何度もあった。
このゲームでキレイにピースが順番通りにはまったと感じたのなんて、あの星をカメラに収めたその瞬間ぐらいだ。
それ以外はバラバラの導線を後になってから手作業で繋ぎ直して「こういう風に辿らせたかったのかな?俺は無理だったけど」と想像してやることぐらいしかできなかったよ。
今年は本当に特典が多かった印象。
もはや、映画を観せているのか特典を配っているのか良く分からない状況。しんどい。
まず、シンプルに滅茶苦茶めんどくさい。
仕事なのにめんどくさいとか言ってすまん。
でも聞いてくれ。
配布期間
配布方法
・在庫が無くなるまで配り続ける
・週替わり
配布対象
・全員プレゼント
・中学生以下のみ
配布後の対応
・劇場にて廃棄
・返却(元払いにて返送)
これが、作品Aは土曜日より配布・週替わり・全員・返送/作品Bは金曜日から配布・在庫が無くなるなで配り続ける・全員・廃棄/作品Cは~/作品Dは~
みたいな感じで作品ごとに違って、複数の組み合わせが同時期に進行したりする。
その上「在庫が無くなるまで配り続け~」の場合、配り続けている間に、ハイ!第2弾!ハイ!第3弾!と畳みかけてきたりする。
頼んでもないにのにどんどん送ってくる。
もはや置く場所さえ困るレベル。そして余った場合、捨てるにも返すにもお金がかかる。
さらに昨今は「この特典のビジュアルは●月●日●時からの解禁となりますので取り扱いには十分ご注意ください。管理の徹底をお願いします。」とか責任重大なことを言われたり、
「最近、特典の売買行為が見受けられるので、劇場におかれましても在庫管理の徹底をお願いいたします」とか、スタッフによる転売疑惑までかけられたりする。
昔(もはや太古の昔のように感じる)は余った特典はアルバイトスタッフにあげたり、
個数管理にもそこまで神経質になることは無かったが、特典に妙な価値を与えてしまった現在、
無料で配るものにも関わらず管理にやたら労力と神経を使うことになっている。疲れる。
次に、特典目当てで来場したお客さんたちの様子を見るのが結構つらい。
特典でお客さんを集めること自体は今に始まったわけではないが、
数量限定やら週替わりやらブラインド・ランダム配布やら最近やりすぎ。
そんなんで煽りまくって釣りまくった結果、かつては考えられなかったお客さんが増えた。
例えばブラインド・ランダム配布の特典をなるべく多く入手する為に、映画を観ずに複数の劇場をはしごする方。
それも転売ヤーとかじゃなくて、トレーディング目的の一般のお客さん。
特典だけ貰って次の劇場へ移動って、スタンプラリーじゃないんだから…
最近、劇場サイトに一定の時間を超えると入場できないルールを明記したり、
「入場者特典はチケット購入特典ではございません」とかわざわざ書く映画館が増えているように感じるが、
たぶん上映終了間際(場合によっては終了後)とかにやってきて特典だけくれという人が激増したからだと思う。
本当に上映終了後に来る人がいるんですよ。びっくりするわ。
また、自分がチケットを買っていた回より前の回で特典の配布が終了してしまった場合、
「貰えないないと分かっていたらチケットを買わなかった。払い戻して欲しい。」などとと言ってくる方もいる。
特典が終了するタイミングの告知は非常に難しい上に、あくまでも本体は「映画」なんじゃないの?と思うのだが、
転売ヤーじゃない一般のお客さんの中にも、あからさまに「映画の方に用は無い」という態度をとる方が増えた。
一般の方がSNSで、さも事情通のように好き勝手書き込んでいる様を見てモヤモヤすることもしばしばだ。
「A劇場は3日間配布できるのに、B劇場は初日で無くなるなんておかしい」とかはよく見かけるが、
上映回数とキャパ数が違う劇場を単純に日数で比較されても困る。
そのあたりも計算して入荷数を推測して比較している方もいるが、
配布数は前週までの実績など加味して割り振られる為、同じキャパの劇場でも数はまちまちである。
大前提として映画館が決めている訳ではないので「入荷数少なすぎ!」とか文句言われても困る。
この間の週末は「こんなに早く配布が終了してしまったのは映画館のスタッフが転売して配布数が少なくなっているからでは?」
配布できる上映回数に影響するほどの量を抜くとかできるわけないでしょ…
映画会社の側が特典を餌にオタクにお金を使わせまくった結果に他ならず、
映画館とは言え業界の片隅で働いている者としては本当に忸怩たる思いと言うか、罪悪感すらある。
綺麗ごと言うなと怒られそうだから職場では言えないが、ほんと特典商法やめて欲しい。
でも映画会社の人は「こちらもビジネスなので」とか言いそうだよな。てか、たぶん言ってるだろうな。
まあ映画館で働いている人でも「客が入ればなんでもいい」って言う人もいるもんな。
そんな「運営」にあえて騙されているふりをしているオタクたちは
(その「あえて」というところに自分の客観性を見出しているつもりで、自尊心を守っているのかもしれないが、
というか、そうでも思わないと馬鹿馬鹿しくてやってらんないのかもしれないが)ちょっと冷静になってくれ。
配っている張本人が言うのも変な話だが、特典が貰えたり貰えなかったりすることがそんなに人生の一大事みたいな事か?
映画のおまけで大の大人が激怒したり狂喜したり異常に悲しんだり、正直ちょっと怖い。
日本の映画業界(もちろん全部じゃないけど。主に一部の大手映画会社)は、
一定の人たちに餌を供給し続けて1人に100回観てもらうスタイルで行くんかな。
配りきれずに捨てられた特典の山に埋もれて死ぬ。
【追記】
深夜に書いた愚痴が予想外に広まってしまって正直ちょっと焦ったので追記する。
「特典が無くなったら、むしろ映画館が死ぬのでは」みたいな意見を読んで、確かに興行の側が配給に対してかける圧もあるよなと思った。
特典だって興行の方から配給にもっとよこせと言ってるケースもあるかもしれんし。
きっと配給の側にも「特典、作りたくて作ってるわけじゃない」って人もいるよな。
あと、返却が元払いの件に対しての意見も多かったけど、中には着払いでも構わないところもあるのでそれも追記しておきます。
なんか先週末あたりあまりにも配るものが多すぎて、ふと「自分何やってるんだろ…」とか思っちゃったんだよな。
授業中、ふとスマホを覗くとラインの通知には「卒業する先輩方に渡した花束代として、一人500円徴収いたします」という文章があった。二年生の先輩のものだ。次の集まりで渡さなければいけないらしい。
学園祭終幕後の集会にて、今年の学園祭を中心として引っ張ってきた三年生の先輩方が皆に挨拶をする。委員長は泣きながら「一年間ありがとうございました」などと言っていた。来年この委員会を引っ張っていく2年生が花束を渡して一緒に泣き始める。
一年生の自分はただ、「いいな」と思った。暖かかった。一緒に困難を乗り越えたというだけなのに。
中学高校と不登校だった自分は、人との交流を知らない。大学に入って、見た目を垢抜けさせたら、一緒に授業を受けている人たちに話しかけるうちに10人くらい、友達と言える人達はできた。彼らとは放課後にご飯に行ったり、夏休みに小さな旅行に行ったりした。いい感じの関係で、付き合えそうな女の子もいる。
でも、彼らとは利益のために繋がっているだけに過ぎない。勉強を教えてもらったり、小さな社会的承認を得たり、寂しさを紛らわせたり。彼ら自体には興味はない。人生のスタンプラリーを機械的に押している感じだ。いくら人間関係をこなせても、自分は本質的に孤独な人間なんだと思っていた。
けど学園祭終了後のそのひと時、人と人との繋がりが、それだけで価値があるように思えた。
サプライズでもらった花束は、嬉しいだろうな。花を渡すなんて行動は物語の中だけのものだと思っていた。花には渡す人が相手を大切に思っていることを強く実感させる力がある。そして、もらった人をとても幸せにしてくれる。
now インターネット使用禁止(エクセルやadobeのヘルプも見れねえ)
→ 破廉恥サイトをブロックしてネット解禁。迂回して破廉恥サイトを見たやつは懲戒処分。
now 大臣「GPTとかでーなんかーいい感じでーやれたらいいよねー」
各省庁の偉い人「手作業の方が正確で温かみがある。AIを使うのはサボりだから駄目」
now 各省庁の偉い人「うちに休日出勤はないよ。勝手に出て来てるアホがいるだけ。出退勤管理?自己申告だよ」
→ IDカードによる完全な出退勤管理。部下が60時間移動働いた場合は上司の給料から残業代は払う。
now 偉い人「明日現場見に行こっかなー」現場の上司「今日は一日掃除をする!机をピカピカにして書類はしまえ!仕事のことは忘れていい!」
→ 大名行列のために清掃することを禁止。清掃させてしまった場合は大名行列をした人間を懲戒処分。
これでかなりマシになる!
間違いないで!
ほんまもうアホらしい!
自分で言うのもなんやが、こーんな時間の無駄遣いばかりのカスどもに税金払わされてるのがマジでクソ!
でもな、もし本当に「公務員は時間の無駄使いのカスばかりなので給料下げまーす」られたら俺はもう辞めるで!
でもいい加減もう無理や!
一番無理なのが管理職の連中から「残業減らせ」と口先だけ言われることや!
アホか!
ならまずはマトモなPCぐらい配れ!
やることやれや管理職!
逆やからな順番が?
俺らが早く仕事を終わらせられる環境を整える、っていう管理者の権力がなきゃ出来ないような仕事をちゃんとやってから言う言葉やぞ?
それもせんでゴミみたいな環境押し付けおったまでま俺ら下っ端に「はやせや!給料泥棒!」としばきに来るの、ホンマにアホやからな?
スタンプラリーを電子化するとか、書類の体裁を偉い人の趣味への忖度やなくて処理効率中心に考えるとか、そういう手段をちーーっともやらずにイキナリ来るのマジでおかしいからな?
マジでアホ。
もう一度言うが、こんなアホが税金として給料貰っとんのおかしいやろ?
それもその根本的な原因である管理職がたんまり貰ってるのマジで意味不明やぞ。
お前のポケットマネーで!
あのな、ココ、笑う所やぞ!?
笑っとるか?
笑わなやっとられんぞ。
こんなアホに金払うために納税しとるとかな。
ホンマ。
ゆるっと昼ぐらいに岩手を出て、秋田に行って用事を済ませて夜帰るみたいな事はよくやってるけど、朝から行くのは初めてだった
折角だし観光してきた
反対車線だから面倒臭かった
用事の相手曰く、(相手は埼玉出身らしいが)今年は埼玉より秋田の方が暑いらしい
おっきくてかわいい
どうやら「北斎漫画」をやっているらしい
…
すごい面白かった
特段美味しくはないがそういうチープな味は嫌いじゃない
「天王温泉くらら」という公共銭湯が隣接していたので眠気覚ましに立ち寄る
すごいリーズナブル
風力発電が大量に設置されていて圧巻だった
シヴィライゼーションの終盤を思い出しながら移動する
ちょうど、「山下達郎 サンデーソングブック」が流れていて夫婦放談の回だった
着いたが秋田犬は居なかった…
道の駅で秋田犬に会える場所が載っているパンフレットを見つける
どうやら時間制らしい
他の施設でもやってるらしいが、どこも時間ギリギリだったので諦める
また次来よう
近くでダイビングをやっているらしい
値段もそこまで高くないからいつかやってみたいと思いパンフレットだけもらう
温室があったけど、外の方が暑いしな…
ただ、植物に囲まれたところにテーブルがあって時期によってはいいかもしれない
ドンキホーテやら、ブックオフやら色々回ってめぼしい物を見つける
以下、ダイジェスト
かなり遅い時間なので、後はどこにも立ち寄らず帰る
自治体がパンフレットや、展示にコストをかけている恩恵をフルで得られた気がして楽しかった
ただ、独りの長時間ドライブって運転の時間とガソリン代って無駄だよな…とも思ってしまう
尚、まんまる焼きは1個も見つからなかった…
みんな独り占めしすぎだよ…
ttps://www.jleague.jp/news/article/14147/
ttps://www.jleague.jp/news/article/16995/
参加クラブ:2019シーズンおよび2020シーズンのJ1 20クラブ
ttps://www.jleague.jp/news/article/19162/
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ttps://www.jleague.jp/news/article/20438/
参加クラブ:NPB・Jリーグ・B.LEAGUEあわせて105クラブ
『転生したらスライムだった件』コラボ(FUJIFILM SUPER CUP 2022)
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施策:アニメのEDにてJリーガーが出演する実写コーナーを放映
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施策:試合会場にてゲーム内で利用できるクラブオリジナル列車を配布
『ラブライブ!シリーズ』コラボ(FUJIFILM SUPER CUP 2023)
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参加クラブ:川崎F、FC東京(アニメ内にクラブ・選手が登場)
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施策:コラボグッズ発売、J1公式戦6試合にてコラボ試合実施(声優が来場)
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参加クラブ:J1 18クラブ、J2 16クラブ、J3 11クラブ
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ttps://www.jleague.jp/news/article/25739/
その店は某有名グルメドラマにも出てきた店で、すごく有名なんですよ。
そこで仲間と一杯やっていたんだけど、一息ついて店内を見ると周りが若い男女で溢れていることに気がついた。
ラー油をとりながら隣のカップルをチラ見したら、二人とも名物料理を半分だけ食べて一言も喋らずにひとすらスマホを見ているんだよね。
たぶん二人は料理の写真を「あの店に来たよ!」というコメントとともに、各々のグループのグルチャにアップして反応を見て仲間とやりとりしていたのかなと。
その店は若い人の間でも有名で、ちょっとしたデートスポットになっているのかもしれない。
そして、こういうデートスポットとされている場所がいくつかあって、それらの場所をスタンプラリーのように回っているのかなと想像してみたり。
喋らずにひたすら有名でキラキラした場所を巡って、グルチャにアップして、反応を楽しんで、でも隣にいる人とはあまり喋らずに・・・そういうことをやるのが今風のデートのひとつなのかなと。
絵画展とかね。
最近、これは写真オッケーですって展示が混ざってたりとかすることが多いし、
後者はもちろん駄目だけど、許可されてるんだったらまあいいことだと思うよ。
思い出をスマホに仕舞い込むというのは一種の創作だとも言えなくもないし。
でもさ、それはそれとして、目の前に有名絵画のオリジナルがあるんだぜ?
やっぱね、アートがものとして眼前にある、っていうのは凄いことだ。
なのに、スタンプラリー、(結局、スマホで写真撮るってスタンプラリーでしょ?)
そういうことに夢中になって眼の前の絵画が目に入っていない、
人生の中で得難い貴重な経験をスルーしてるのはもったいなさすぎるような気もする。