はてなキーワード: しまとは
男性は長時間残業で健康に気を使う暇がなく寿命が短くなる。対して女性は男性より長時間働かなくてすむから自分の健康に気を使いやすい。
既婚男性は女性に割り振った社会的な健康・医療資源を結婚相手の女性から間接的に受けとることで寿命が長くなる。結婚した女性の寿命が僅かに短くなるのはこのため。
そして独身男性の寿命の中央値が短いのはどのルートからも健康資源を受け取れないせいで短寿命になる。本来であれば独身男性も長時間残業をしないようにさせて健康資源を受け取れるようにしないといけない。
これは別に女性と結婚しろという話ではない。社会を回すために女性にももっと負担してもらう(例えば女性にも残業をもっとしてもらう)か社会全体を効率化させて労働時間を少なくしなきゃならない。
日本では男性を酷使することで健康寿命を無理矢理伸ばしてる。女性に長時間労働してもらって男性の負担を減らす方法を考えないといけない。
「クルド系だから問題視しているわけではない。PKKは分離独立を目指してテロ活動を行っており、
1997年10月8日、米国国務省は、米国改正移民国籍法第219条に基づき、PKKを外国テロ組織に指定した。
その後2001年10月31日、国務省は、改正大統領令第13224号に基づき、PKKを特別指定国際テロリストとして指定した。
tinyurl.com/5ecwdwca
w.wiki/5PDU
亡命トルコ、未成年の子供を持つ家族、男性の姉妹のPKK / YPGの疑い、偽造逮捕状の提出、証明書。
人口は約1300万人を生きています。 最大1500万。トルコのクルド人。
彼らの祖先だけのために。
連邦外務省の現在の状況報告によると、彼らはいかなる国家弾圧の対象にもなりません。
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トルコでの非人道的または品位を傷つける扱いまたは処罰にもつながりません。
https://www.gesetze-bayern.de/Content/Document/Y-300-Z-BECKRS-B-2021-N-35315?hl=true
ドイツの判決「トルコのクルド人迫害を認定しない」【日本語訳】(12,000文字over) - 美桜
2021年、ドイツのミュンヘン行政裁判所は、「トルコ政府によるクルド人迫害は認められない」とする判決を下しました。
出典:
ドイツのメディア |ドイツの裁判所は、デモにおけるPKK指導者オジャランの写真の使用を禁止する判決を下した。
ドイツのクルド人団体「KON-MED」の元会長に対するテロ訴訟がミュンヘン高等地方裁判所で始まった。
日本で何をやってるの?
↓
「オジャランに自由を」
犯罪大家族(クラン)抗争の中心の一つ、独エッセンの裁判所で判決朗読の直後に被告人たちが暴れ、恐らく敵対するクランに属する傍聴人と殴り合い、防弾チョッキ着用の警官20人がようやく抑える。
2007年にドイツの/訴訟で、ク●ド●新●社はドイツで禁止されているテロ組織PKKの子会社であると認定された。/いわゆる援助団体は、救済活動と称した活動、脅迫、脅迫を通じてドイツで資金を集めている。/その後、テロ組織PKK/KCKの資金を集めたとして有罪判決を受けた。
x.com/mildliner2/status/1745444853943767395
www.aa.com.tr/en/middle-east/pkk-front-groups-send-funds-to-terror-organization/1674411?s=09
クルド人密入国者が不法移民に英国の亡命制度を騙す方法を教えた衝撃的な瞬間:
「絶対に」帰国させられないようにアドバイスしていたことが調査で明らかになった。
www.dailymail.co.uk/news/article-12578125/Kurdish-smugglers-cheat-Britain-asylum-system.html
「難民ようこそ政策」で治安が急激に悪化…警官殺害のアフガン移民を毅然と批判できないドイツ政府の大迷走
25秒の間に6人が重軽傷を負う大事件が発生
埼玉では病院周辺にクルド人100人の異常事態。難民受け入れで「ナイフ犯罪」激増のドイツは近未来の日本か?
toyokeizai.net/articles/-/758850
もはやテロ…「総勢50人の大家族が集まり病院で警察官と乱闘」世界2位の移民大国ドイツで起きていること
しかし、それが裏目に出て、現在ドイツの犯罪の統計を見ると、その頂点にいるのがクルド・マフィアとレバノン・マフィアだ。
彼らの犯罪は多岐にわたり、すでに様々な利権を獲得、暗躍できる法律のグレーゾーンも拡大している。
ドイツを悩ます「大家族犯罪」 法より「一家のおきて」重視で凶行や迷惑行為に関与
「2022年、ノルトライン=ヴェストファーレン州で大家族による犯罪が20.3%増えた」
「大家族犯罪」解決へ 偏見を助長せず歯止めかけられるか スタート地点に立つドイツ
ドイツ全土の組織犯罪のうち10分の1がO●e●r●t氏族の関係者によるものだということがドイツメディアで報道されています。
クルドの狐
Rawa Majid
kurdish fox
Foxtrot (criminal network) - Wikipedia
w.wiki/B8DV
処刑、爆弾テロ、子供の暗殺者 - スウェーデンはいかにして麻薬王が支配するギャングの地獄となったのか クルドの狐&ザ・グリーク
ほんの20年前、スウェーデンはヨーロッパで一人当たりの銃乱射による死者数が最も少ない国のひとつだった。
www.thesun.co.uk/news/24114449/executions-bombs-child-soldiers-sweden-gangland-hell/
スウェーデン政府が増加する移民犯罪に対処する為に、移民政策を変更して移民削減政策を進めています。
スウェーデン国内で麻薬取引・暴力犯罪を増加させているクルドギャングへの対策が移民規制強化する大きな動機の一つ
スウェーデン国内での暴力犯罪増加は、麻薬取引の覇権を巡って2つのギャングが争っている事が関係し、
ギャングの一つは「クルドの狐 」として知られるラワ・マジッドに率いられ、マジッドはトルコから犯罪組織を動かしているとされています。
https://www.youtube.com/watch?v=fISGXTBfJRY
スウェーデンでは特に外国人ギャングを中心に殺人、爆破事件、暴力などが増え続けもはや警察だけでは対応しきれない状態になってしまっている。
政府としても初めて問題の大きさを認め軍隊を入れて対応する事の検討に入っている。
スウェーデンで犯罪が多発し、若者がライフルを持って街を徘徊する
スウェーデン第3の都市マルメのローゼンゴール地区にある聖マリア・カトリック教会の前で、25歳の男がAK47で射殺された。
www.thelocal.se/20171230/one-arrested-after-police-car-explosion-in-malm
スウェーデンの移民の街マルメ、警察署はマシンガンを持った警察官で警備
www.thelocal.se/20180204/officers-with-machine-guns-posted-at-malm-police-stations
「並行社会」を生み出した
川口のクルド人問題「治安上、大いに懸念」 トルコ大使インタビュー
トルコ国内のクルド人は「選挙権もあり、人権は保障されている」と説明し、日本で難民認定申請を繰り返すクルド人の「難民性」を暗に否定した。
日本に滞在するクルド人が自国での差別や迫害などを理由に難民申請していることに関し、「トルコにおいてクルド系が切り離された存在であるかのような印象で物事を語るのは間違いだ。クルド系はトルコであらゆる政治活動の自由を保障されている」と反論した。
ここ数ヶ月ほとんど寝たきりでアマゾンで買ったベースブレッドと缶詰とかだけで過ごしてたんだけど、まずカードが止まって、カードで契約してた電気ガス携帯への支払いが止まって、とりあえず止まったら即死ぬ電気を払って一文無しになり携帯が強制解約。ほとんどのサービスはこの携帯で二段階認証してたものだからほとんどどこのサービスにもアクセスできなくなった。
特にGoogleのアカウントは全滅で、各アカウントの緊急の連絡先もGmailでそのGmailのアカウントも携帯で二段階認証してたので、全部紐づいて全部アクセスできなくなった。
ついでに何故かChromeからもログアウトしていたんだけど、このアカウントも同じ状態でパスワードマネージャーにアクセスできないので二段階認証がないサイトにもログインできない。
はてなだけは大昔に取ったHotmailでアカウント作ってたし、パスワードも誕生日そのままなのでログインできたけど、それ以外のどこにもいけない。
仕事関係のデータやドライブ、メールはGmailで統一してたのでそれらにもアクセスできないから仕事を再開することもできない。詰み、詰みです。終わりです。俺の人生ここで終わりです。や っ た ぜ 。
まぁもう来週には食料もなくなるし、固定回線も止まるのでそのまま餓死して終わり、おしまい。みなさまお世話になりました。また来世でおあいしましょう。アデュー。死にたくねえええええ絵。
女かどうかは関係ない
ですよね。主語の範囲が合ってなかったです。これについては実際そうだと思うのですみません。
Grok2で面白おかしくトランプクソコラ画像を作っていた私は岸田メル先生の生成AIに対する気持ちを知り反省し、今後岸田メル先生の作品を楽しむ権利はないと判断し、サイン色紙を含む同人誌や画集、グッズを駿河屋に下取りに出しました。
結果、サイン色紙が500円、他は値がつきませんでした。送料が差し引かれて買取査定額は-300円、返送の場合は着払いで1500円くらいかかるそうで無料処分を依頼しましたが、多分色紙は3000円くらい、同人誌は100円くらいで店頭で売られるんじゃないでしょうか?あ、今年のマクドの月見バーガーはなんかがたまごがカスカスでイマイチですね。バーガーキングがオススメです。やはりAI広告を採用するマクドなんかは駄目ですよね。
今後は岸田メル先生の画集や同人誌には一切購入せず、SNSはミュートにし、複数のイラストレーターさんが参加する企画やゲームであっても岸田メル先生が看板イラストレーターを担当される作品は可能な限り回避し、岸田メル先生の作品を消費しないよう細心の注意を払ってまいりますので、それに代えて何卒ご容赦頂ければ幸いです。
末筆ながら岸田メルの益々のご発展とご活躍をお祈り申し上げます。
ChatGPTで作成
https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く
それは現代編(1983年~1984年)のことである。おしん83歳。以前、視聴したときに、たのくらスーパーの拡大事業が大手スーパー進出により窮地に立たされ、このままでは借金をして投資したお金が回収できず倒産しかねない状況に陥っていたとき、そのピンチを救ったのはかつてのおしんの初恋の人・並木浩太であるという記憶があった。浩太の息子の代(並木商店)は、大手スーパーが土地買収をかける際のキーとなる場所で商店を営んでいた。並木が大手スーパーに土地を売らなければたのくらは助かる(しかし並木商店はたのくら新店舗に客をとられ売り上げを落とす)。今回、全話を視聴してわかったのは、浩太による救済がなされたこと、それ自体は結論として間違ってはいないが、それは、おしんが浩太を訪問し、たのくら救済を説得し、昔のよしみで浩太が応じ、それに成功したものではなかった。そうだとなんとなく思いこんでいたのだが、実際にはまるで違っていたことだった。
それにしても、なんで今までおしんが浩太を説得しに行ったと思い込んでいたのだろう。仁が失踪から戻ってきた母・おしんに頭を下げて並木に説得に行ってくれと哀願されたからか?
ドラマ「おしん」は全297話あるが、その第1話冒頭は、たのくらスーパー第17号店開店祝いに出席せず、一人家出するおしんに家族が騒然とするというシーンから始まっている。その失踪の理由がわかるのはなんとドラマの終盤の終盤、第290話になってからである。おしんの物語にはいたるところに伏線があり、時代を経てそれを回収する、ということがよくある。それがドラマに深みを与えている脚本のすごさなのだが、おしん失踪の理由については、その伏線を最終週でようやく回収するという、おしんに仕込まれた伏線のなかでも最長クラスのものである。しかも、それは二重三重の伏線であり、おしんの人生の総決算のような仕掛けとなっていた。これは橋田壽賀子がすごいのか、演出家がすごいのかわからないが、これが名作と呼ぶに値するドラマなんだと感嘆せざるを得なかった。
おしん佐賀編では、あまりの仕打ちに見るに堪えず、動画再生を倍速でみていたこともあった。しかし、終盤にくると、時折、一時停止をしながら、じっくり次のセリフを想像し、丹念に味わってみるようになっていた。
おしん第1~3話あたりで、おしんが家出した背景には、どうやら昔世話になったおしんの恩人が並木商店の大旦那であり、そのためその土地に迷惑をかけるような新規スーパーの出店におしんが大反対していたことがあったことが示唆されていた。ドラマは現代編の序盤、それ以上のことを伺うことができず、第3話から明治の回想シーンに時代をさかのぼってゆく。なので、視聴者は、おしんは恩知らずなことをして商売拡大に走った息子の所業を恥じて開店祝いにもでずに旅に出た、とそう理解したまま一年近くドラマを見続けることになる。そう思い込まされて大正昭和と一年近くドラマを進めて終盤でようやく、真相はこうでした、と明かされるわけだ。すごいドラマである。
おしんは実は失踪直前、浩太のもとを訪れ、仁の事業拡大で不義理なことしたと詫びた際に、大手スーパーの動きを浩太から聞かされていた。並木の大手への売却は並木商店の生き残り策でもあるし、たのくらへの防衛策でもある。おしんはすべてを承知したうえで、並木に対して大手スーパーへの土地の売却を進めてくださいと話していたのである。そうだったのか。
だからおしんは失踪から戻ってきたら当然、たのくらは事業整理に着手し、自宅も引き払っているかもしれないくらいに想像していた。しかし、旅から戻った一か月たっても並木は売却を逡巡していた。旅行から戻ってきたおしんを待っていたのは仁。仁は土下座して並木説得を母おしんに頼みこむ。今ならまだ間に合うと。
商売は食うか食われるか。そういつも言っていたのは仁である。しかし今や形勢逆転、並木がキャスティングボードを握っている。並木商店が大手スーパーに土地を売れば並木商店は大手スーパーのテナントに入れる。たのくらに売り上げを持っていかれずに済む。しかしそれでは、おしんの一家は破滅する。土地を売らなければ今度は並木商店が危うくなるが、たのくらを救うことができる。浩太は息子世代にすべて契約は委ねられ自分にはどうすることもできないと思い込んでいたが、ひとかけらの小さな土地登記が息子世代ではなく浩太に一部残っていたがために、浩太自身がキャスティングボードを握ることになってしまっていたのである。おしんの訪問を受けた浩太は、これまでの我々の関係を考えても土地を売ることは人としてできないという。それに対しておしんの口から出たのは、売却を進めてくださいという固辞だった。おしんは大手の進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木の土地の大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。
一方、仁は母・おしんが無事に説得に成功するのを待っていた。元恋人としての神通力に一縷の望みをかけていたのである。しかし、おしんが無表情で帰宅すると今度は、母をなじり始めた。お母さんは一体なにしに並木にいったんですかと声を荒げる。仁の妻・道子も、おしんの交渉失敗に絶望し、今度は夫をなじり倒す。いつも母親頼みで能無しとさんざんである。愛想をつかして離婚するとまで言い出す始末。事業もめちゃくちゃだが、いよいよ田倉家本体もしっちゃかめっちゃかに大崩壊である。おしんはその家族の崩壊、そして再生を黙ってみている。これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。
おしんは離婚を受け入れようとしていた仁に再考を促す。その姿は、まるで佐賀で引きこもっていた頃の竜三へ語りかけているようでもあった。本当に大切な家族の価値を思い出した仁は道子を本音で引き留める。思えば、髪結いの亭主になり下がった竜三を立ち直らせるため、仕事をやめ明日食べるコメがなくなるまで放置した大正時代のおしんと、田倉家を再生させるためあえて倒産も辞さないおしん、何一つ変わるところがない。夫や息子が立ち直るのを信じていなければ到底できないことである。竜三と仁には、太い実家をあてにする甘さが共通点であった。仁は最初は妻の実家を頼り最後は母を頼った。その甘さを田倉商店を倒産させてまではねつけたおしんは確かに厳しい人だ。仁から田倉救済を哀願されたのに、崖から突き落とすような行動。いや厳しすぎるだろ、おしん。
事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。
前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしんが商売において大切にしてきた価値観なのである。しかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんのドラマの終盤最終話、終了わずか10分前の出来事である。すごい。
橋田寿賀子はバブル経済前夜の80年代前半、カネもうけに走り大切なものを見失っているのではという思いからおしんの物語を書き始めたという。その思いがよく伝わるラストである。
息子の仁はおしんからみれば甘い人間だった。それは亡くした夫・竜三も同じであった。何かというと佐賀の実家を頼る竜三。
それでも、俺についてこい、命を懸けてデカい仕事をするんだといって前に進もうとするときの竜三の屈託のない笑顔、それをおしんはたまらなく好きだったのだろう。
竜三が自殺したとき、おしんは竜三の死を立派だといった。竜三がドラマの中盤、敗戦時に自殺することは以前から知っていた。しかし、なんでおしんは竜三の死を立派だといったのか、これまでずっと長いことわからなかった。残された家族のことも考えずになんて自分勝手な男なんだろう、情けない奴だと思っていた。しかし、竜三が死んでからのおしんの半生も含め、全編通して視聴して腑に落ちたことがある。
私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しかし戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!
明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした家制度を仮構することで国民国家が成立していた。これは欧米の外敵が迫るなか幕藩体制の藩(家中)同士のいがみ合いをやめるべく転換するために生み出された壮大な仮構である。竜三の言葉のなかに隣組という言葉が出てくる。戦時中は、実態としては社会が不平等であっても、等しく苦労しているフィクションをつくるために、配給制や隣組などの組織体制が機能していた。戦時中の田倉家は軍から委託される工場を経営していることによって軍部から自分たちだけ甘い汁を吸っているといつも陰口を叩かれていた。おしんはそれをいつも心苦しく思っていた。竜三とてそれを知らないはずがなかった。仁が突然、少年航空隊に志願するために家出してしまったのも、そういうことである。ドラマでは動機について明確な説明はないが、仁の学校で田倉家の噂話があれば自分だけ甘い汁を吸っているわけにはいかないと思うようになっても道理である。その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したものと想像していたのである。
日本が壮大なひとつの家と観念された世界線では、家族を守ることも、国を守ることも同義である。
家の観念は、暴走し、やがて肥大化していった。八紘一宇という、大東亜共栄圏のもととなった考えも一つのイエ思想に基づく。
家族が核となっているおしんと異なり、天皇を頂点とした国が核となってしまっていた竜三にとって隣組の子供たちの死に対する思いは異なる。これは戦中派の感覚なのだろう。兵士の生き残りにとって生きる意味は戦友のため。送り出した大人にとって生き残ったことの意味は死んだ者たちの思いを無駄にしない未来をつくるという選択もある。「戦友」という余韻は、組織が一つの家族として動く、戦後の経済成長の原動力ともなった。
しかし、死んで責任をとるという選択肢もまたありうる。家制度における切腹に近い感覚として。
おしんが育った山形の貧困農家では、口減らしが普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性を犠牲にして平気な顔してきた作造も長男の庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組の責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。
しかし、どうだろうか。
竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から竜三は佐賀へ依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあっただろう。
禎の疎開のときですら、佐賀疎開という選択肢は排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。
太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。
しかし、竜三が太い実家という表象の代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という巨大なイエだった。
おしん自身は、国家という家のフィクションを心の底からは信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これからは自由な社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。
敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後の物語では、昭和58年、物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢の海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。
ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代、翻訳、放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。
おしんのドラマは橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略や植民地支配の反省という視点は希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、侵略に手を貸した自画像はみえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体は動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組を他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。
おしんと同時期の昭和時代のドラマや映画作品で「青春の門」(五木寛之)がある。この作品のなかで、筑豊炭田で差別的扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして取り扱われているのだが、石炭鉱業会社の経営し、労働者を管理する日本人の男が朝鮮人工夫たちから待遇改善を訴えられ詰め寄られるシーンがある。その際に突き返す経営者の言葉「ほかの山はしらんばってん、生きるも一緒死ぬるも一緒、炭ば掘り続けてきた家族同然のごと。わしが親でお前たちは子供たい」、これは印象に残る台詞で、日本を親、植民地を子と見立てるのが、当時の日本人の感覚であったことがよく伝わる場面である。
家族になると遠慮がなくなる。苦労を強いても平気になる。これは人生の真理である。
この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である。八紘一宇における植民地と家族制度における養子は入れ子構造なのである。
UNIQLO:C、なに買った?
ワイ、リラックスVネックセーターサイズ違い買っちゃってて、ああしまったと思ってポチり直そうとしたらもう品切れになってたから鬱だよ。
やり終わったあとに、ああこれやり過ぎちゃった、あとから亀頭がメチャクチャ痛くなるやつだ、とすぐ後悔した。
駄目だねえ、俺は。
ロードバイクを手放して以来、すごく早漏になっちゃってセックスが楽しめなくなってしまった。
その対策として亀頭を麻痺させることをしてるんだけど、オナニーでこれやっちゃあいけなかったな。
1時間30分くらいやってた。
もちろん、ずっとシコってたわけじゃあないけどね。
イケないけど。
でも、ああもうすぐイケそうなんだけな、ああイクよな?これイクやつだ、もうグリグリ力入れて前立腺刺激するのがメチャクチャ気持ちよくなってる、ああ絶対このままイク、イク、イクイッちゃうよ!!!!!
ってところまでいくだけど、逝かないんだよなあ、、、これが。
でも、だいぶん開発してこれたわ。
刺激が問題なんだよね。
あるやり方で、すごく気持ちよくなるんだけど、何が原因かわからないけど同じ刺激をやってるのに
スッと、何かが抜けるかのように全然気持ちよさがなくなったりする。
正しい刺激の与え方の範囲がすごく狭い感じがする。
でも、これ開発が進んでくると、その範囲がどんどんと拡張していく感じなんだよな。
多少の間違いにも対応してくれるっていうんかな?
亀頭の場合って、基本シコシコしてたら何でも気持ちいいじゃん?
そういうのに近くなってきてるような気はしてる。
まあ、どちらにしても前立腺を弄り始める最初のほうが慎重さがいるけどね。
そこは相変わらずセンシティブ。
一旦、エンジンが掛かって気持ちよくなり始めると多少雑な刺激にも快感を感じるんだけど、
エンジンを上手く掛けれないと、どんだけ弄ってもウンともスンとも反応してくれなくなる。
こういう感覚ってひょっとしたら女性の中の感覚とちょっと似てるのかもしれない。
キチンと前戯して感度を上げてからじゃないと女の人ってチンチン入れても全然気持ち良がってくれない所あるじゃない?
そういうのに似てるかもしれない。
それはともかくウチもそろそろ男性の人とやってみようかな?
中がこれだけ気持ちよくなってくるとオチンチン入れられたくなってきてる。
それか風俗でお尻攻めてくれるところ行ってみようかな?
うちの県にそんなところあるのかな?
とにかく一度お尻でキチンとイッてみたい。
というか本当にイケるのかな?
何となくこれがお尻でイクということなのかな?みたいな身体が熱くなる感覚とかは体験してるんだけどね。
もっと本格的にああ!!きた!!きた!!おっっきいのきた!!イクイクイク!!ああああああ!!!
みたいな感じにプロの人だとさせてくれるんかなあ?
懐疑的。
Xで高齢出産叩きをするポストを見た。それに対して「余計なお世話」って意見が大半だった。
確かに余計なお世話だろうけど、個人的な経験から自分も冷ややかな目で見てしまってる。
他所様のことだから詳細伏せるけど身近に母親40代、父親50代後半で子どもを授かった例を知ってる。
本人たちも自分たちが普通の夫婦像からは外れてる自覚があるのか、ごく一部の人間を除いて子どもいることを完全に隠してた。特別子どもがいることを話さないというより、子なしのフリしてた。
だったら子どもなんてつくるなよ。存在を消された子どもがかわいそう。
自分は高齢出産夫婦のお手伝いをしてたんだけど、知り合いに子どもを知られたらまずいからって自分が母親のふりしたこともあった。
いい歳した親なのに常識に欠けるところがあって、これが若い親だったら「パパママも最初はわからないことも多いから」って言ってもらえただろうに、なんかもう見れたらなかった。
パパなんて完全に見た目おじいちゃんだったし、ママも保育園で浮くだろうなーって思ったよ。
子どもが20代になるときに父親が80近いのはきついだろうなー。
自分は20代後半、おそらく適齢期であろう年齢で子どもを産んだ。あの夫婦のことを知ってると今のうちに産めてよかったと心から思う。
たとえば
の197ページの図2と図3を比べれば、男性も女性も未婚者死亡率より有配偶者死亡率の方が傾きが緩やかだ(大体の年齢において死亡率が低い)。これは、有配偶者の方が高齢まで死ににくい、長生きだということを表している。
図の読み取りよりも直接数字が欲しいのであれば、少し古くなるが次を見ればいい。
https://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/14472103.pdf
39ページ以降の表から、男女ともに未婚より有配偶の方が各年齢階層において余命(expectancy、e°)が長いことが分かる。
孤独が(食生活の違いなどを制御した上でなお)健康状態を悪化させるということは医学系の論文でいくつか出ているし、男女ともに配偶者がいた方が長生きということは何も驚くような内容ではない。生命表のような各年齢での死亡率をちゃんと考えるものではなく、死んだ人の年齢の中央値を見るような不適切な方法で未婚と有配偶の寿命を捉えると、女性は未婚の方が長生きなのに、と誤解してしまうから変に思うだけだ。実際は男女関係なく人間、結婚すれば孤独の解消、生活習慣の改善、モチベーションなどの理由で平均的には長生きになる。それだけのこと。なお、健康状態が悪い人は結婚できないというセレクションの効果が働いているのも事実であろうが、未婚と有配偶の死亡率の違いが大きく出てくるのは50歳以降であり、セレクションよりは寿命が伸びる効果の方が大きいと思われる。
セックスレス問題は度々話題になる。その度にレスり側が悪い、レスられ側が悪い、しょうがない、とか色々な意見が集まる。でもセックスレスというのは人の問題ではなく構造的な問題なのだ。
結論から言うと、セックスレスの大きな原因はセックスが割り込みタスクになってしまうことにある。同棲する前は”週末のデートの時にセックスする”というようにセックスは計画されたタスクだが、同棲すると基本的にセックスは今日するのかどうかが確定しない突発的に発生する割り込みタスクになる。
はてなにいる人たちはテック系とかビジネス系とかの話題をよく見てる人が多いだろうから、割り込みタスクがどれだけ大きな負荷を作業者にかけるのかは説明するまでもないだろう。
夫婦生活は毎日のことだから、夫婦は毎日この割り込みタスクによるストレスを受け続けることになる。例えセックスがない日でも、割り込みタスクの可能性があるだけでこのストレスは発生し続ける。そしてある時このストレスに耐えられなくなり、この割り込みタスクの発生可能性をゼロにしてストレスから解放される。これがセックスレスだ。
また、一旦セックスレスになるとその後どうしてもセックスがしたくなくなるのは、パートナーに対する生理的な問題ではなく、一度セックスしてしまうと(せっかく解放された)割り込みタスクの可能性のある日々がまた復活してしまうことへの不安が理由なのだ。この不安がパートナーに直接的に紐付くので、パートナーへの生理的な問題だと錯覚する。
ワイ「変わりないです。薬の処方だけいつも通りお願いします」
医者「分かりました。いつものお薬出しておきます、お大事になさってください」
この間2分
ちな精神科
薬は発達関係で飲み続けている限りはすこぶる調子が良くもう年単位で安定している
もちろん歯だの皮膚だのは実際にいないと処置できないから仕方ないだろうけどオンライン診療がもっとメジャーになればいいのにな
金銭的に依存してる内は、親の意に沿わないことを要望するのは甘えなんですよね。
親世代の厳しい書き込みからはそう読み取れるし、少なくとも私はそう思って、学生時代は極端で古風で過干渉な親の下、従順に過ごしてきた。別に納得していたわけでも、割り切れていたわけでもない。言いつけの多くは世間様と乖離していたように思うが、反発すると衣食住やインフラを盾にとって蓋をしようとするので議論ができなかっただけだ。反抗期を自分で押し殺し、不満を熟成させた結果、こんなところでしんどさを噴出させている今の私がある。
子育て中の上司らがおおらかで柔軟に考えている様子を見ると、就職し自立した今も、よその子に対して妬みを覚える。
一方、親を要領よくあしらえず、言うことを聞きすぎた私が馬鹿を見ただけとも思う(子が多少好き勝手しても、結局見離せないのが親なんだな、という周囲の例を見ているとなおさら)。
いつまでも親はいない。この先、自分を導いてくれるのは他人。誰であれ他人と協力し合って生きていかねばならない。
そうもっともらしく説いたのは、ほかでもない親なのだが、ならば一般的な交友関係に支障がない程度には周囲と足並みを揃えさせてくれよ、と思うのは過ぎた願いだったのだろうか。
親だからといって絶対的に正しくないことは承知の上で、それでも立てるべきと従ってきた。リベラルな世の中では、不満を口にしようものなら自己責任と責められる。真面目であることはここまで報われないものかとびっくりする。
わかってますよ。アラサーにもなって理屈捏ねて、他責思考で悲観するのって精神的に幼いよね。過去は忘れて自分の人生を生きなよって言うんでしょ。
でも、私が成熟していくための段取りを邪魔したのは誰なの。抑圧されなければ、もう少し気を抜いて生きられたら、よその子に混ざって屈託なく楽しめたら、こんなに捻くれることもなかったかもしれない。生きづらくなかったかもしれない。
どうしてもそう思って病んでしまう。割り切るには失った時間が長すぎる気がするから。皆んなが当たり前に得てきた経験値が無いことが、自信を喪失させる。呪いを解くのは簡単ではない。
愛情は免罪符じゃないと思う。飼い殺しにしかならないこともある。間違った努力はどんなに頑張っても間違っている。うちはうち、も行き過ぎては無知による罪になる。分かり合えない親子は存在する。大の大人が夜な夜な一人泣いてしまうほど、相手の存在がストレッサーにしかならないことも。一緒に過ごすと常に緊張を強いられることも。こういう不満も言っちゃいけないと思ってたよ。罰当たりで、親不孝だと自分を嗜めていた。ずっと。
離れて暮らしているので、親に会うのは年に数回ほどだ。この先もなるべく親の顔を見ない毎日を望んでいる。病や不慮の事故で自活ができなくなるのが一番怖い。介護問題だって今から恐怖だ。介護疲れの心中は偶にニュースになるが、責任感の強さにむしろ感心する。私だったら、親を見捨てて自分だけ死ぬ。
学生のうちは親に従え、っていうじゃない。
だったら、将来的に親ガチャ失敗ってことで逆に切り捨てられても、それはそれでしょうがないよね?
子は親を選べないけれど、愛想をつかす自由くらいはありますし。
もし同じようなことで悩んでいる学生さんがいたら、子供の内は別に聞き分けなんて良くなくていいよと言いたい。この手の悩みは無数にあると思うけど、ここにも知恵袋にもある厳しい言葉はただの建前なので。
人の顔色読んでたら我は通せないし損をするっぽいよ、この世界は。何やかんや既成事実を作れる奴が強い。まあ、偉そうに言ってる私は何の責任も負わない、他人でしかないんだけどさ。
この漫画のかーちゃんは悪気なく、娘が進路を考えてる様子もないと判断して、頼り無い娘の為に良かれと就職率など調べたり、やってあげている気持ちでいる。
娘がするべき選択や決断に真剣に付き合ってこなかったから、親の顔色見て決断から逃げる娘に育った訳だけど、やっと自分の進路を口にした時に、普段興味なさげな父親はさっと娘の味方について、自分は悪役的になってしまった。
本人決めてる所に悪役として就職率の良い学部をゴリ押すほどの強い気持ちもない。
大学行くのは就職の為って価値観のかーちゃん的に、文学部の就職率の悪さは懸念事項で、この教授のもとで学びたい、これについて研究したいなどの理由もなく、ふわふわした理由に見えるため、選択できた娘を認める所にいけてない。
小・中学生の頃も、歴史やニュースでなんとなく、中東の方では紛争というものがあるらしい、くらいのことを知った。それでも「平和」だと思ってた。戦争は過去のものだと思っていた。信じていた。
人が人を殺すということは、後ろめたくやるものだとシンジでいた。
堂々とやることなんて、ないと思っていた。
人が人を殺すことを、堂々とやったとしたら、それはもう平和ではないことだと思っていたから。
でも、戦争じゃなくてもそういうことが起こっていた。
歴史の授業で習った、社会の資料集で少しだけ載ってて知った関東大震災の時に起きた韓国人朝鮮人、中国人、そして沖縄出身や吃りなどをもつ日本人の虐殺。私はそれは過去のものだと思ってた。
「酷いことだ」と思ったけど、自分の生活に繋げて考えることをしなかった。するという発想がなかった。
でも、今、後悔してる。その歴史を自分の生活と、自分の人生と、今の社会と結びつけて考えないから、10年後こんなことになってしまっているよって思うから。
「中東のどこか遠いところで起きている」って漠然とした、近づかなければいいってなんとなく思ってるその自分の考えが、意識が、今の世界を作ってると思うから。
もっと早く考えてれば、もっと早く気がついていれば、もだと早く意識をもって働きかけていれば。
本当にこの場所で、ここで、101年前、証言にのこっていることが、虐殺が行われたんだと思うと、足がすくんだ。この周辺をどんな思いで逃げ、隠れていたんだろう。あまりに惨い、あまりにも、、、言葉にならないやるせなさで心が重い。
2度と、そんな状況をつくらないことが、自分のすべきことだと思う。今、世界で起きている虐殺を止めること。2度とこの世界で虐殺を起こさないこと。戦争をさせないこと。
風物(パンムル)を見ながら、気がついたら涙が出ていた。
鳴り物と太鼓の音がこんなに心地よく草の上に響いている。この景色がどうして101年前には、見られなかったのだろう。本当に悲しくて。今の、この景色がずっと続けばいいのにと願う。続けていかなきゃいけない。踊っていたい。恒久の平和を願って、守って、踊って、みんなで生きていきたい。
小・中学生の頃も、歴史やニュースでなんとなく、中東の方では紛争というものがあるらしい、くらいのことを知った。それでも「平和」だと思ってた。戦争は過去のものだと思っていた。信じていた。
人が人を殺すということは、後ろめたくやるものだとシンジでいた。
堂々とやることなんて、ないと思っていた。
人が人を殺すことを、堂々とやったとしたら、それはもう平和ではないことだと思っていたから。
でも、戦争じゃなくてもそういうことが起こっていた。
歴史の授業で習った、社会の資料集で少しだけ載ってて知った関東大震災の時に起きた韓国人朝鮮人、中国人、そして沖縄出身や吃りなどをもつ日本人の虐殺。私はそれは過去のものだと思ってた。
「酷いことだ」と思ったけど、自分の生活に繋げて考えることをしなかった。するという発想がなかった。
でも、今、後悔してる。その歴史を自分の生活と、自分の人生と、今の社会と結びつけて考えないから、10年後こんなことになってしまっているよって思うから。
「中東のどこか遠いところで起きている」って漠然とした、近づかなければいいってなんとなく思ってるその自分の考えが、意識が、今の世界を作ってると思うから。
もっと早く考えてれば、もっと早く気がついていれば、もだと早く意識をもって働きかけていれば。
本当にこの場所で、ここで、101年前、証言にのこっていることが、虐殺が行われたんだと思うと、足がすくんだ。この周辺をどんな思いで逃げ、隠れていたんだろう。あまりに惨い、あまりにも、、、言葉にならないやるせなさで心が重い。
2度と、そんな状況をつくらないことが、自分のすべきことだと思う。今、世界で起きている虐殺を止めること。2度とこの世界で虐殺を起こさないこと。戦争をさせないこと。
風物(パンムル)を見ながら、気がついたら涙が出ていた。
鳴り物と太鼓の音がこんなに心地よく草の上に響いている。この景色がどうして101年前には、見られなかったのだろう。本当に悲しくて。今の、この景色がずっと続けばいいのにと願う。続けていかなきゃいけない。踊っていたい。恒久の平和を願って、守って、踊って、みんなで生きていきたい。
小・中学生の頃も、歴史やニュースでなんとなく、中東の方では紛争というものがあるらしい、くらいのことを知った。それでも「平和」だと思ってた。戦争は過去のものだと思っていた。信じていた。
人が人を殺すということは、後ろめたくやるものだとシンジでいた。
堂々とやることなんて、ないと思っていた。
人が人を殺すことを、堂々とやったとしたら、それはもう平和ではないことだと思っていたから。
でも、戦争じゃなくてもそういうことが起こっていた。
歴史の授業で習った、社会の資料集で少しだけ載ってて知った関東大震災の時に起きた韓国人朝鮮人、中国人、そして沖縄出身や吃りなどをもつ日本人の虐殺。私はそれは過去のものだと思ってた。
「酷いことだ」と思ったけど、自分の生活に繋げて考えることをしなかった。するという発想がなかった。
でも、今、後悔してる。その歴史を自分の生活と、自分の人生と、今の社会と結びつけて考えないから、10年後こんなことになってしまっているよって思うから。
「中東のどこか遠いところで起きている」って漠然とした、近づかなければいいってなんとなく思ってるその自分の考えが、意識が、今の世界を作ってると思うから。
もっと早く考えてれば、もっと早く気がついていれば、もだと早く意識をもって働きかけていれば。
本当にこの場所で、ここで、101年前、証言にのこっていることが、虐殺が行われたんだと思うと、足がすくんだ。この周辺をどんな思いで逃げ、隠れていたんだろう。あまりに惨い、あまりにも、、、言葉にならないやるせなさで心が重い。
2度と、そんな状況をつくらないことが、自分のすべきことだと思う。今、世界で起きている虐殺を止めること。2度とこの世界で虐殺を起こさないこと。戦争をさせないこと。
風物(パンムル)を見ながら、気がついたら涙が出ていた。
鳴り物と太鼓の音がこんなに心地よく草の上に響いている。この景色がどうして101年前には、見られなかったのだろう。本当に悲しくて。今の、この景色がずっと続けばいいのにと願う。続けていかなきゃいけない。踊っていたい。恒久の平和を願って、守って、踊って、みんなで生きていきたい。
ストラテラを服用するようになって4年半、気がついたら短期記憶の弱さは大きく改善されていたし、
おまけに弱腰のビビリな所もなくなり、ちょっとやそっとの注意や叱責も必要以上に凹まず…ということで、
あとはこのまま残りの人生もやっていくつもりだったが、今春諸事情により転院(もちろん円満に)した結果、
新しい主治医が3ヶ月目の問診で、インチュニブという薬を追加で服用してみないかと勧めてきた。
この3ヶ月診てきて、生活に支障が出るレベルの衝動性があると見なされたようだ。
一番の問題点は「待つ」という選択肢が取れず、それが色々と人生に悪影響してそうであると。
それでお盆休みになったタイミングで飲み始めたのだが…これがかつてのストラテラを上回る効果を発揮してしまった。
列挙するとこんな感じ。
そして何より決定打だったのが、趣味で幼少から続けている楽器で、今取り組んでいる曲(一応、音大受験レベル)を
さらい始めた初期からずーっと注意され、それでも身につかなかったスキルが、突然体得できてしまったこと。
これはもう、落ち着いたまま静かに集中しないとできないことが、薬の効果でできるようになったとしか思えない。
最低処方の2mgでこれだけ物凄い変化なのだから、これから量を増やしたらどうなることやら。
本当に、冗談抜きで薬ってすげーというか、努力でどうにもならないことも可能になる現実に言葉がない。
まあ、自分が努力でカバーできるほどは頭が良くないといえばそれまでなのかもしれない。
実際大昔測ったIQは112、一応お利口さんの仲間には入れてもらえるが、間違っても天才や秀才ではないレベル。
その意味で、こうした薬の副作用が強く出なかったのは運が良かったと思う。
もちろん、20年30年経って何かとんでもない問題が起きる可能性は否定できないが、そんなのどの薬も一緒だろう。
これは暴論かもしれないが、その分良い思いできたんだからそれでいいんじゃね?っていう。
妻も被害者なんだろうなって思った。
多分、妻のお母さんの構文なんだと思う。
色々とお母さんがよかれと思ったことをやって、まあ、そういうのは子供は疎ましいわけで、疎んじられると、もういいってなる。
自分がまさにそういう母親に育てられたので、ともすれば、やるんだよね、「もういい」構文。
気を付けておかないと、自分が一番嫌だったお母さん行為を自分がリピートしてしまうんだよね。呪いとしか言いようがないよね。
多分、母のそれもおそらくだれかからの呪いなんだろうなって邪推する。
母は呪いの言葉をかけられて進路選択の変更を余儀なくされたらしいんだよね。
幸い自分は妻がいろいろとチャレンジさせてくれる親に育てられたらしく、もういい構文はあんまりない方だと思う。
関連記事見つけたよ。
独身男性の死因は糖尿病や高血圧性疾患や心疾患など生活習慣に関わる病気が多いそう。
うちには猫が二匹いて、基本的には仲良し。
なんだけど、たまーに本気でやり合うときがある。
最初はただのじゃれ合いで、遊んでるだけだなーって思って見てるんだけど、ある瞬間から「ㇷ~!シャー!」って、本気モードに突入してしまう。
で、そうなったら私の出番。
デーデデ、デーデ!
曲に乗って、私は猫たちの前に颯爽と登場するわけだ。
続けて腕をくるくる回して耳に添え、猫たちのご機嫌を伺う。
すると猫たちは、「なにこいつ…?」って感じでこっちをじっと見つめてくるんだ。
大体これで喧嘩はストップするんだけど、たまーに、それでも喧嘩を続けることがある。
その時は最終手段。私が「ンアァアアーーっ!!」って叫んで全力でTシャツを破くんだ。
これでたいてい、猫たちは「え、やばっ」ってなって、ピタッと喧嘩をやめる。
こういったことを繰り返していると、最近はBGMが鳴り始めた瞬間から猫たちがそわそわしだすんだよ。
「あ、また来るな」みたいな顔してさ。すぐに喧嘩を止める。