普通に暮らしてて他人の脳の活動は見えない。なので厳密には死と生を判別できない。そもそも、判別する必要があるだろうか?
現代人は小賢しくも自然科学の手法により脳死は人の死であると定義し、脳の活動を測定し、死を診断できる仕組みを作った(目がfMRIになってる医師免許保有者は本論において論外とさせていただきます。ごめんなさい(_ _;))。
意味ないよそんなの!昔の人は(現代で言う)死んだ人ともお話できたんだよ!(自然科学的な見地からすると)実際には死んだ人の意思なんてないし、死んだ人は喋ってないんだけども。
数百年におよぶ長大な浅知恵が我々の領分から死者を取り上げたのだとすると、やはり、知恵の実なぞ口にするべきではなかった。口は災いの元、口を塞げ!自然言語を廃止せよ!社会を中止!書物はすべて234℃で保管せよ!
皆さん、お喋りは禁止です。やめましょう成長、対話、生産。リソースを食べていきましょう。盆ぐらい、死者の国に住みましょう。
世界から不可視化される基準が科学によって前進してしまったという話