はてなキーワード: 課題とは
今年も無事に開催されてよかったよかったのF1ですが
先日のテストではレッドブルが非常に高いマシンポテンシャルを見せており
王者メルセデスはパフォーマンスが低い、問題があるなどと三味線を弾いていましたが
最終的にはメルセデスのハミルトンが優勝という結果になりました
本当にマシンに問題を抱えていたが、ハミルトンの腕で勝ててしまった、という所ではないでしょうか
ハミルトンはレース内外グレーを最大限に利用するのが上手いですね(皮肉)
レッドブルも開幕ペレスにマシントラブルが起こっていなければボッタスと戦えていたのではないかと思いますが
その分角田がきちんとコンスト5位でポイントを持ち帰って仕事を果たしました
F2ではF3から昇格してきたピアストリがかなりの速さを見せていて
今年多くいる新人の中ではこれから目立ってきそうな気配が感じられます
なんかはてなのサービスでは大喜利をしたがる人が多いみたいなので。
単体で面白いネタの定番はあるあるネタ。boketeの殿堂入りネタもあるあるネタが多い。
“目が覚めたら体感で遅刻を察する”とか“周りが自分の知らない課題を提出してる”とか。
ウケの取れるあるあるネタをどれだけストックしているか?が笑いを起こす基本になる。
お題と答えを合わせてはじめて笑える、というのをやる人が多いけどこっちのほうが高難度。
それでもやるとするならお題に対してとにかく何かしらの単語を片っ端から結びつけてイメージを広げていく。
お題からすぐに連想される単語であれば安直で寒いダジャレになりかねないし、お題からかけ離れていると意味のわからないネタになってしまう。
たとえば犬の写真がお題だとして散歩だとまんまだしセーラー服だと意味不明。
桃太郎ならどうだろう?きびだんご、鬼、猿キジ…なにか落ちに使えそうに思える。
お笑いの瞬発力や語彙と言葉のセンスが試されるので上級者向け。
最後に大喜利に答えるのは良いけど「あのひと面白いね」と思われたいなら面白くない事は言わないというのが一番有効。投稿する前にちょっと考えることを大切にして欲しい。
新卒ヤバいランキングを競いたいとかそういうわけじゃないんだが、一日寝てるとかいうレベルじゃないヤバさで死にたくなる。
まず職種からして、自己不信から来る逆張りスパルタ精神が災いしてド陰キャなのに営業を選んでしまった。謎に内定者グループにも参加してるけど同期zoom飲みとかおぞましすぎて招待すら直視できない。
そもそも就活でコロナを利用しまくってリモートで猫かぶりまくって得た分不相応な内定だから、この猫かぶりをこれから毎日続けられるわけがない。
つい最近でも、サークルの引継ぎも研究室の論文のポスターもギリギリまで放置して期日当日にゴミみたいなクオリティで投げ付けてきた始末だし
会社に関しても内定者課題?とかいうのも一応簡単に設定されてるけどそれすらほぼやってなくて、今からどう誤魔化すかしか考えてない。
クライアントにも自社の開発者の方々にも迷惑を掛ける未来しか見えない。そして今も増田を見ている。
先に謝っておこうと思う。本当にごめんなさい。
井上氏は「航空一本足からの脱却が必要」と強調し、非航空事業の収入をコロナ前の約2000億円から5年後に4000億円へ増やす目標を掲げた。また、航空・旅行だけでなく、マイルを利用できる日常の機会を広げ、「マイルで生活ができる世界を実現させたい」と述べた。移動、宿泊、買い物、体験などの消費活動がアプリ1つで完結する「TaaS(Travel as a Service)」も目指すとした。当面はコロナで航空・旅行からの収入は見込みにくいが、人気となっている遊覧飛行のサービスはコロナ禍にある顧客の要望で始まったこともあり、新しい発想に基づくサービスを検討していきたいという。
高橋氏は「リアルの課題はやはりリアルでないと解決できない」といい、地域とともに暮らし、課題解決に動く「コンシェルジュ」を目指すと語った。コロナ収束後には訪日客を地方に招く仕組みづくりも築きたいとした。
https://jp.reuters.com/article/ana-new-business-idJPKBN2BI0UE
こういうのみると本当に飛行機しかしらないひとたちが、困ってパワポで考えました、みたいな感じがすごい
作り手の理屈乙。
あのCMが「どう読めるか」という意味では、ツイッターの多くの人の理解の方が正確だよ。
リモートワーク自体は推進してもよい。しかし、その背後ににじむのは、「働き手」側の主体的な選択ではなく、DX推進すべしという社会的経済界的な要請のみである。リモートワークが進展する中で、特に女性の自殺率が増加しているといったことが何度も報じられたのに、どうして「一働き手」の感想がこんな風になるのだろう? 少し気持ち悪さを感じる部分。
「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」
少子高齢化は社会の課題であるが、今多くの「働き手」が生で感じているのは、産休を自由に取ることが難しい社会だとか、男女で取得率に差が出ることであるとか、保育体制の不備だとか、育児、教育にかかる重い自己負担であるとかであって、ことさらに「産休あけの先輩がー」「赤ちゃんかわいくてー」ではないように思う。この感想はやはり上記同様「経済界の方々がこういう風であったらいいな」と都合よく想像する働き手の姿ではないのか、という疑念が湧いてくる。一体誰目線のCMなのだろうと疑問が生じ始める。
この流れで「ジェンダー平等」をスローガンに掲げるのは時代遅れ、という発言が続けばどう聞こえるか、もはや自明だろう。ああ、経済界の方々はもう「十分ジェンダーに配慮しているだろう」「これ以上ジェンダーがとか言う政治家など時代遅れの野党の議員どもだろう」と思っているのだろうな、と思わせる発言。これを「一働き手(若い女性)の発言」として語らせる演出は非常に悪質だと思われる。だが、ここからさらにひどくなる。
ジェンダー平等をdisった後、彼女が述べるのは「ちょっといい化粧水を買ったこと」である。化粧に関心をもつことは別に悪いことではない。だが、ジェンダー平等を腐した後で「私は化粧水を買ったのよ」と発言することが、文脈的にどう聞こえるかは自明だろう。つまり、たとえば「この職場はジェンダー平等ができていないと思います」と発言するオンナでなく、「ちょっといい化粧水を買ってオッサンの気に入られる」黙るオンナになるべし、と言っているわけだ。その方がウマく生きていけるよ、と。これを(おそらく)オッサンが企画し、若い女性俳優に演じさせているわけだ。全方位的にダメすぎて言葉を失いそうになる。
似たような発言でも、たとえば次のような流れにしたら、化粧水の話も全然意味が違って聞こえるだろう。だが、このCMの作り手はこれと真逆な文脈で語ったのだ。
(逆転メッセージ例)
「会社の先輩、産休あけて戻ってきたんだけど、旦那さんと交互に休みとって乗り切ったって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガンに掲げてたけど、やっぱりまだまだだなあ、って感じ」
「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。私もいろいろ頑張らないとだなー。」
強引なまでに割り込んでくるこの発言も地味に最悪で、消費税が高い「でも」財政は赤字、という逆接は、当然ながらその後に「だから仕方ない」という結論を予測させる。(仮に、消費税が高い「確かに」財政は赤字、なら、「しかし、それは言い訳にならない」など、真逆のメッセージを予測させることになる。だが、作り手はまたも前者の文脈を選択したのだ。結論を隠しつつ、相手に予想させるというのは、相手の思考を誘導する悪質なプロパガンダの手法である。)そもそも国は「消費税の引き上げは社会保障財源のため」と主張している。(https://www.mof.go.jp/consumption_tax/)だが、実際には法人税減税の進行とともに消費税が増税され、赤字の補填に使われているのは衆人の知るところであり、つまり彼女は政権の「本音」を過剰に慮って、つまり「忖度」しているのである。なぜ「一働き手」の代表のような顔をして彼女は政権に忖度するのか。それは、「政権に忖度すること」こそ「ニュースをしっかり見ている正しい一国民のあり方」であるという作り手の主張に他ならない。
つまり、あのCM(プロパガンダ)が述べていることは、簡単明瞭かつグロテスクな次の6つの声明である。
・リモートワークを受け入れてDXを進めろ。
・プライマリーバランスのため消費税増税は当然。
そして
・黙って政権に忖度するものが正しい「国民」であり、うまく生きていく方法である。
……これを「一働き手」の代表然とした若い女性の口を借りて語らせる。政府広報でもさすがにここまでやらないだろう(恥ずかしくて)。
これは誤解とかそういうものではない。このCMの作り手は、特に上の6番目のメッセージを正しいものと信じそれを内面化しているのだろうと思わざるを得ない。それは、自由主義国の「報道」に関わる人間としては最もあってはならない態度であり資質である。更に言えば、こんなたやすくそれが読み取られる作り方をした時点で、宣伝広告者としても極めて能力が低い。
というわけで、あのCMを、誰が企画し構成し放映にGOサイン出したのか。あれがどのような「視聴者」に寄り添うと考えたのか、テレビ朝日の関係者にはぜひ本音ベースで聞かせてもらいたい。そして、そんなことをした方々が二度と報道に関わらないようにするためにどうすべきかを、真摯に説明する必要があるだろう。それができないなら、もう「報道」機関ではない。
昔から絵描くの好きだったけど学生の時点で漫画家とかフリーランスで勝負できないだろうなって思ってて、
そこでデザイン知ってじゃあ正社員でデザイナーになろって思って今まで進んできた。デザインの課題に追われたり、
ブラック広告会社で病んだりもしたけど、転職して今は安定しててそれなりにデザインの仕事も楽しい。
あなたは別に間違っていないし差別者でもない。むしろ「相手と自分の違いをみとめ」て「自分に関係ないところで相手に利益があることを喜ぶ」ことができている。それで全く何も問題はなく、あなたを批判する人の方がおかしい。異性愛、あるいは愛自体を認められない、異様だと感じる人さえいる。特に同性愛だけがそういう対象なのではない。「異性愛も同性愛も同じ」というのは、そういう場合に言うのだ。
納豆が好きな人もいれば嫌いな人もいる。A「僕は納豆が嫌いだ」というのは差別でもなんでもなくある嗜好の表明にすぎない。B「納豆が好きな人のことが嫌いだ」「納豆が好きな人は頭がおかしい」と言えば差別になる。偏見やそれに基づく他者の権利侵害になっているからだ。
「誰かが納豆を食べているシーンを見ると正直気持ちが悪い」というのも、内心で感じているだけであれば差別ではない。共感力が豊かなだけだ。
だが、それを公言する、すなわち「私の前で納豆を食うな」といった主張をする段階になると、これは他者の権利侵害となる。この場合、あなたの心の平穏と他者の生活権利が社会的に衝突していることになるが、納豆が食品として認められ販売されている以上、食品を食品として公的な場で使用する権利を制限することには妥当性が無い。従って、この場合は「心の平穏」派が我慢すべきである。なお、納豆を普及したい人が納豆を全身に塗りたくって納豆が嫌いな人に見せつけたりして相手が吐き気を押さえられなかったとしたら、この場合は「心の平穏」派の主張を尊重すべきだろう。この場合権利侵害をしているのは納豆派ということになる。
つまり、「○○が好き/嫌いだから差別」というような理解の仕方をすべきではないということだ。個人の嗜好それ自体を差別として糾弾するのは間違いである。多くの社会課題における問題は、複数の権利が衝突している場面において、特定の価値観を特別視することで他の人の権利が侵害されることにある。必要なのは権利間の適切な調整である。「だれが一番正義か」ゲームには何の価値も無い。
都内の小学校でPTAの会長をしています。仕事ではIT系のプリセールスをやっているSEです。
今年度はGIGA構想、プログラミングの必修化、コロナに伴うオンライン授業対応とかIT系の話題が多かったので、学校関係者や教職員・PTA関係者・教育委員会とも学校のIT化の話をすることが多かったのでちょっと思う事を書いてみます。
個人的に思うことはたくさんあったのですが、お互いにちゃんと理解されていないと思う事が特に多かった校内LAN(校務LANと言う方が一般的かもしれません)の話を書いてみます。
一部不正確なところはあると思いますが、詳しい方のご指摘があれば適宜追記していきたいので教えてもらえると助かります。
こんなことを書いています。
・ 校内LANの最大の問題は過剰なURLフィルター。このような構成になっている意義はあった
・ ZOOMによる保護者会開催は保護者が思っているより画期的だったのではないか
・ 結果としてインターネット分離は無くなっていくのでは?
なぜ校内LANはインターネットに繋げないのか?と言う話は日本年金機構の大規模なサイバー攻撃の被害の話にまで遡ります。この話の再発防止策として総務省は2017年までに省内LANとインターネットLANを分離するようなインターネット分離を実施することになりました。文科省もこれを受けてインターネット接続は都道府県の教育委員会の管理する代理サーバーからインターネットに繋ぎ、校内LANはインターネットに繋げないような環境になっていきました。
詳しい話が気になる人はこの辺の文書を読んでみてください。
自分はそれ以前がどう言う状態だったのか逆にあまり知らないのですが、ここでの大事な話としてIT技術者をそれなりの規模で抱えておけないような公共の組織で標的型攻撃や高度な攻撃から守る手段としてこのようにしたことは一定の意義があったのではないかと思います。
この辺の話をしていると、教職員もなぜこうなったのか理解していないまま不満を述べていることも多いようにも思えます。
学校のIT化の問題は最近は教職員の対応などが課題に上がることが多い気がしますが、次に多いのは学校のネットワークについての不満です。校内LANが上記のような感じなのでWi-Fiも飛ばせないし、URLフィルターが過剰すぎて教職員は文科省が出したオンライン教材にもつなげないような状態になりました(YouTubeが禁止リストに入っているため)。当然ZoomやTeamsで会議を開くこともできませんでした。(インターネットLANから開催すると大変。禁止されていたのではないかと思います。)
Wi-Fi の話はともかくとしてここで問題なのは元々のインターネット分離を実施する上で今回のような過剰なURLフィルターは必須では無かった事ではないかと思います。
これは代理サーバーからインターネットを閲覧する(プロキシーとは違います。詳細は割愛。)、という仕組みであったため教職員が動画サイトなどを常時閲覧されるとサーバーのスペックが過剰になるため、市民の税金でそんなぜいたくな環境を立てるわけにもいかない、とか本来教職員のインターネット閲覧は節度を持った最低限のものであるべきだ、というような考え方によるものであったのではないかと推測しています。本来のITセキュリティとは関係が無い話ですが、政府系や学校系のIT投資では一般的な考え方なので当時のその発想を批判することも個人的には難しいのではないかと思います。
昨年の緊急事態宣言下では学校が閉鎖された際に上記の問題が大きくクローズアップされました。文科省が矢継ぎ早に出したオンライン教材を教職員は全く見れないし、リモート授業やオンライン授業を無理やりでも暫定でもいいからやろうとしても教職員のインターネット閲覧は非常に限定的だったためほぼ検討の余地がありませんでした。
ここで着目されたのはGIGA構想で配布が始まっていた端末でした。この端末は回線が無い家でもネットにつなげるようにSIMカードが入っていたため、この端末を使ってZOOM会議などを急遽実施できるようになりました。Zoomが教育機関向けに無償解放したのも大きかったと思います。SIMカードが入っていたのはおそらく授業の際に使う学習系のシステムにはインターネット接続が必要ですし、回線の無い家からも使えるようにするためにこのようになっていたのではないかと思います。
ここで重要なのは教職員がSIMカードを使った直接のインターネット接続を行って保護者会などの校務を行うのは当初のインターネット分離の考え方から言うと完全に抜け道になる手段になる可能性があったのですが、文科省も含めてこのような方法によるオンライン会議の実施をこのタイミングで容認したことでした。配布端末にはSkySeaなどでURLフィルターを配布しているようで当然閲覧制限はあるのですが、「端末をある程度教育委員会で管理しているならインターネットLANを経由したインターネット接続には拘らない」と言う暗黙のルールがこのタイミングで生まれたように思えます。文科省からも「これまでのITセキュリティに縛られることなく早急な実現方法を検討してほしい」と言うような主旨の通達を出しています。
>>文部科学省としては、全国的な長期休業というこれまで類を見ない緊急時であること、各学校や家庭で ICT 環境が様々であることを鑑みると、平常時における学校設置者や各学校の一律の ICT 活用ルールにとらわれることなく、家庭環境や情報セキュリティに十分留意しながらも、まずはその積極的な活用に向け、現場を最もよく知る教員が家庭とともにあらゆる工夫を行えるよう対応いただきたいと考えています。 <<
このような意味でZoomによる保護者会実現はやや硬直化しつつあった校内LANの仕組みに風穴を開けるきっかけになりました。
多くの保護者は対応の早い私立校などとの比較で、オンライン授業やリモート授業が実施されない状況に不満を持っていたと思うのですが、個人的には画期的なことだったと思います。これにより、PTAのオンライン会議などでも校長先生などがオンライン参加出来るようになりました。
私の区では今年度の端末配布で10億円近い投資をした(区の負担が10億だったかどうかは知りません)と聞いており、来年度には一人一台を実現し、6月くらいには配布物のオンライン化を進めると聞いています。(教職員は全く詳細を聞いていない状態なので本当に実現できるかは微妙ですが。。)私の区は渋谷区のような先行した地域ではないのでこれでもかなり頑張ったのではないかと思います。
当初はすでにプログラミングが必修化されているのに端末配布は2025年くらいまでにやろうかと言っていた事を考えるとコロナ禍でGIGA構想は大幅に進んだのではないかと思います。
これからはG SuiteやO365も使うことになり保護者会のオンライン開催は今後も続くであろうことを考えると、残念ながらそれなりの投資が無駄にはなりますがインターネット分離は廃れていくのでは無いかと思います。多少の調整をしても今のインターネット分離の仕組みのママ積極的なSaaS利用や頻繁なオンライン会議の開催を想定することは難しい、と考えるのが自然なためです。
文科省のインターネット分離の期限が2017年だったので2022〜2024年を契機にどんどん廃止されていくのでは無いかな、と予測しています。おそらくら総務省や文科省もこのくらいのタイミング、もしくはもっと早い段階でこの辺の指針を出すのではないでしょうか。
業界的な用語で言うなら、なんでも隔離して守るのではなく、いわゆるゼロトラスト的な発想による端末運用を目指していく、と言う方向を目指すことになると思います。結果として時代に合わせた形に軌道修正されていくことになったのではないかと思います。
#で、何が言いたいの?と言われると困ってしまうのですが。。
授業をサボってるわけじゃない
というか興味ある授業しか取ってないからほとんど出席するし真面目に話聞くし課題もやってた
でも提出を忘れる
遅れて出すのもなんか駄目な気がするから、
この授業の単位は落としちゃったけど他の授業は気を付けよう!→また忘れる の繰り返し
去年オンラインで巻き返そうと思ったけど今度は授業自体を忘れることが多くなった
必修の授業は仲いい子が多いから流石にすっぽかすことはなかった
でも一人で受けてる授業は自分でも引くぐらい忘れる
Twitterで落単!wwってツイートしてる同級生見て惨めな気分になる
あと昨日心療内科受診したらほぼ間違いなくADHDですって言われた
あなたがあなた自身の気持ちに対して本心とかなんとか言うのって勝手なんですよ。
あなたが思ってることを、あなたが解釈する。それは普通ですね。それは別にいいんですよ。
でもね。僕の行動をあなたが見てですね、僕の行動に大して「本心が~」とか言うのはちょっと無理があるんですよ。
別に僕じゃなくてもね、 A さんが Bさんの行為を見て、Aさんが「 B さんの本心が~」とか言うのは無理無理なんですよ。だめなんですよ。そんなことしちゃ。本心って当人しか測りえないものですよ。基本的に。
だから、例えば、Aさんが謝罪して、Bさんが「本心からの謝罪じゃない」って言ったとするじゃないですか。でもそれってAさんの問題じゃないんですよね。
Bさんの問題なんですよ。
Aさんが誠心誠意謝罪したとしても、B さんの本心の解釈と違いがあったら、それはBさんにとって本心じゃないわけじゃないですか。
これって、B さんが本心をどういう解釈で運用してるか、どういう意味で「本心」って言葉を使ってるかという問題ですよね。
だから、これはBさんが具体的にその本心って何?みたいなのを具体的な、客観的な言葉にするべきなんですよ。
だからBさんの問題なんですね。本心は何かっていうのを定義するのは。だってBさんが何を本心と感じるかはBさんしか知り得ない事だから。
レストランに行って「俺が旨いと感じるものを出せ!」っていうようなもんなんですよ。お前が何を旨いと感じるかはお前しか分からんだろ、って話なんですよ。
だからちゃんと「ステーキが食べたい」なり、「寿司が食べたい」なり、ちゃんと注文が分かる形で言語化しましょうよ。
「ステーキが食べたい」って言って食べたら、「やっぱ寿司が良かった」ってなった時にクレーム付けられないからって「旨いものをだせ!」っていうのやめましょうよ。
ステーキ注文してやっぱり寿司だなってなる事を「お前が本心じゃないからだ!」っていうのはズルですよ。恥すべき行為ですよ。
ちゃんと自分の問題や課題を自分の問題として捉えましょうよ。本心って言葉を使って逃げたり、自分の心がどう感じて、どういう行為なら満足かっていう自分の感情を自分で解釈するのを他人に押し付けたりするのをやめましょうよ。
自分の問題、課題を他人に押し付ける。そういうずるいことをやりませんか。そういうその姑息で卑怯で自分自身でしか解決しない問題を他人に押し付けて自分自身から逃げるの辞めませんか。
長すぎるのか俺のやり方がまずいのか追記がうまくできなかった。またエントリ立てちゃってごめん。
ようやく時間が取れたので、がーっと読んだ限りを書く。拙速ですらないけど。
びびったのは、他業界も、というか他業界こそ「そういうのあるよねぇ」って感じで同情気味に読んでくれてること。コンサル嫌われがちだし。むしろ生半可に事情を知った(つもりの)やつの方が偉そうにしてくるのは世の常ですね。
あと、俺がその苦しんでる真っ最中の若手だと思う人の多いことにも驚いた。長くてわかりづらかったろうから仕方ないね。俺はようやくそういう時期を抜けて少し経つ、若手からしたら羨ましい老害で、シニマネ・パートナークラスからすれば未熟なガキです。
というか、本気でキツい時期は「ようし自分事の何がキツいか文字に起こしてキレてやろう」…みたいな余裕はないですよ。大抵の大人は身に覚えがあるだろうけど。
余裕で本人バレとのことで界隈ごと見てきたけど、なんというか悪い意味で期待以上だった。
お友達と冷笑した挙句、即「直接来いよ^^」とか脅し半分の茶化しとか、本当もうね…。せめて完全無視か、ぼかしてるとこを突いてよその会社の弊社アンチかしら?とかすっとぼけといてほしかった。絶望感に近い。
有料のやつも読んでないけど、ツイートからしてご指摘を真摯に受け止めて頑張っていきます~とか書いてあるんかな。いじめを怒られて人権作文発表しとくガキかよと。
しつこいと思うから前のやつ読んでくれた人はもう以下読まなくていい。
なんで元ツイみたいなこと言えるのか、
・会社知らん人 →そういう会社・業界だぜブランディング?「うぜえ若手を華麗なる指導で導いてやったぜ」ならデキるマネジメントの自慢としてまだわかるが
・同業若手 →(そうか俺の努力不足か)と思い「やりゃいい」には特に得るものもなく辛いだけ
・同業シニア →「あーそういう若手いるよねえw」って共感期待、というかそれが普通になっている。これじゃねえの
よって、Twitterで「若手がわかってねーw」ってイキることは同世代で(プレイヤーとして)よすよすされる以外のメリットが何もない。
その界隈はまぁ甘えだよねえって空気だし、芯食った反論もないのは俺が的を得て書けてないからだろう。
だからこれは自己満足で頭の中を整理したもの、つまりやっぱり愚痴かもしれない。
1.なんで元ツイがマジ無理なのか
前提として、仕事しない若手がぬるぬる生き残れる会社ではないので、「○○やりたいマン」は一応仕事で結果を出していて、かつやる気が余っており、かつその志向性が現状とズレている時に観測できる。
(無駄なやる気はないけど淡々と仕事出来る奴は「○○やりたい(できない)」時点で黙って移るか辞める。どこもそうだろうけど)
つまり、やる気をわざわざ表明してくれた(けどできてない)以上、必然的に上による助けが必要な状況。今の若手は俺よりよっぽど賢い(地頭って言葉嫌いだけど)、それでもだよ。
つーか、今のマネ層以上にはそこも含めて任せられると期待したから会社はそっちに舵を切ったんだと勝手に思ってるけど。下の人間のせいにして楽しようとしてるってだけならまだ理解できてシンプルに引くって話。
たまたまこの世には人様の問題解決を手伝うのが仕事の業種もあるけど、誰もが自分ひとりじゃ解決できない問題や事情を抱えていて、問題解決と押しつけをはき違えないよう接し方を意識すべきなのがフツーじゃん。
お前もしくはあなたにとって、この世には「甘え」とか鼻で笑って一生○○だと踏みにじっていい人間がゴロゴロいんの?俺は自分の子供だろうがアウトだと思うけど。
一体、どこの業界が、どの職種が、自分より下の立場にイキっていいんだよ。コンサルでも金融でも広告でも医者でも官僚でも、過労死100回しても部下殴っちゃダメなのは変わらないだろう。
このままじゃ一生出来ないなら10年以内にできるようにすりゃいいだけやん。
〇 そして、下に『向いてない』とか言えるのがありえない
客に「ん~~ちょっと御社にDXは向いてないですね!諦めましょう!」と言わないのなら、客にできることが部下にできないということで、それこそ「甘え」ではないのかよ。
知識がなさげなら本でもPJT資料でも俺の人脈で誰かでも紹介する、そもそも何もわかってなさそうなら時間と頭の使い方おかしくないか何か行き詰ってんのか、、、
『そういうカテゴリの仕事やってるイケてる自分になって安心したいだけ』程度の解像度で夢を語っちゃう若手ってそんないるもんかな。若い奴こそ、自分のやりたくて出来てないなら時間と頭振り絞るのに。
なぜ会社様が信用して採った人間に自分目線で不向き判定できるのか全く分からない。
むしろ、下にロクに物も教えず転職もせず「そういうカテゴリの仕事やってるイケてる自分になって安心したい」同輩のマネ層の多さならわかるけど。
自分より弱い立場には「○○なんだから(文句言うな・努力しろ)」の矢印が向かうけど、自分には向かないってのが気持ち悪くて仕方ない。
2.なんでこんなキレ散らかすのか
おこがましくも俺自身が下との関わり方(かっこつければマネジメント)というものに対してどこかで努力してるつもりでいるからだと思う。
自分が何も"見えない"クソ雑魚の間、助けてくれた上司も正直しんどかった上司もいて、前者になるために心理的コストを払っているんだろう。小金持ちほど貧乏人に厳しいしがんばった自覚ある奴ほど若手に冷たくなりがち、そういう原理が俺にも当てはまってるだけのこと。俺はいい上司になりたくて仕方ないんだと思う。この会社に勤める若い子にとって俺の経験やスキルに価値はあっても俺自身に価値はないし。
恐ろしいことに手の遅い若手を見るたびに俺は最初からもっとデキる人間だったと記憶が改竄されそうでヒヤヒヤする。クソ野郎がええ上司に拾ってもらって仕事漬けになってなんとかなっただけなのに。下の人間のマインド否定せず指導するとか上の人間に嚙みつくよりよっぽど難しい。人間なんて放っときゃみんな老害になるじゃん。そこを友達なり同僚なりと自浄してなんとかやってくしかないじゃん。冷笑は理解から一番遠いし。必死な人間をせせら笑っても絶対誰も傷つけないクールな完璧人格上司マンがよかったけどなれないままなんとか後輩を潰してない・潰されずに自分もまた仕事の面白さを知れている、これはもう運です。だからこうして暑苦しくやっている。
どうせリーマンやるならいい上司になりたいじゃん。若い子のラッキーを増やしたいじゃん。格下っぽい奴をいったん冷笑しとくってそん時は楽だけどめちゃくちゃ怖いじゃん。無知と無神経は相性がいいから。そんだけだよ。
あのツイだって、当時も今も誰もツッコミ入れていない。それはあの界隈じゃ「これマジで誰も指摘しないの??」ってツイばっかなのが通常運転だからだよ。俺にとってはガッツリ閾値越えてただけで。ビジネスイキりパーソン、クチャラーは気持ちいいよね、クチャラー同士では。
自分が会社が好きで(なんとかまだ)残ってる以上、会社を(できれば好きで)頑張ってくれてる若手にああやってイキり散らかす奴がいたらムカつくでしょ。それが見ず知らずの子でも。
つーかシンプルに教えてほしいよ。本当に一体どういう了見で、『やりゃいい』『向いてない』『一生できない』は他人に対して言えるのか。
-長い →ごめんて。でも、誰かにムカついた理由と自論について、冷笑せず・一応門外漢でもわけわからなくならないように本気で書くとこんくらいならん?ならんか。
-ITコンサルSIer論議 →もうネットで5億回くらいされてるからよそで頼む。ちなみに俺はIT入りの事業課題解決が好きだよ。
-要約とエグゼクティブサマリがない。お前は二流 →さすがに笑った
-なんか褒めてくれる人 →わざわざ言うもんでもないと思うがありがとう。君はきっと職場でも誰かを救っている。
-ぼかしたところを「コンサルってのは!もっと!こう!」って謎に教えてくれる勢は一体何なんだ。
とりあえず、ずっと俺一人の頭の中でモヤモヤしてたことを吐き出してみたらそこまでぶっ叩かれるものではないとわかってほっとしたのが一番かもしれない。ままなるわけじゃないけどね。
以上、やっぱ長くなっちゃったけど読んでくれて・コメくれてありがとう。これの方が冗長に感じるのが不思議だね。仕事に戻ります。
さて、今年度の7月に適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。
この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。
【読んでくれると嬉しいなーという人】
1、診断の効用と注意点
診断が下ったことで、自身の状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。
(これについてはあとで詳しく書きますね)
一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います。
そうなったときに、一点不安だったことが、自分のアイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり「病気だ」というラベルを自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットもデメリットもあることだと思います。
例えば、症状がひどかった当時は、診断書をかばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分は病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分の価値がない」という精神的シャカリキさから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。
また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分の認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人の言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要な課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います。
③別の病気への移行
適応障害はストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています。
この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまりに病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分の状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分の不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます。
2、波とうまく付き合うためのあれこれ
①感情を記録する
「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリのデザインがかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。
もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリのデザインもあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。
②依存先について
どっかの大学の熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所は分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります。
ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンター、こころの相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織のリソースはガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談のハードルを元気なときに下げておくことも大事です。
個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去の大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンラインの手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。
あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています。
③過敏さとの向き合い方
今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます。
【音】
音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレやキッチンの換気扇や冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています。
最近耳栓が役に立ったのは、水族館のイルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近は電車ですね、地下鉄とJR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。
【光】
これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだから、しんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。
【睡眠】
ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいています。キャパシティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態で睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています。自分はまだ眠剤は使用していないですが、場合によっては。
【教えて】
スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。
【その他】
鬱の状態のときの衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だから「ホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います。
3、最後に
新年度が始まり、社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。
こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法や環境をゆるゆる作っていきたいものです。
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。