夫婦別姓についても、同性婚についても、芸能人の不倫についても、その他なんかようわからんそういう事柄についても思うことなんだけどさ、なんで特定の人たちはそんなに他人の生き方に干渉したがるのかがそもそも一切全く分からないでいます。
権利とか自由という概念以前に、そもそもなんで干渉したがるのかそのモチベーションから分からない。分かりたくない。自分以外の人間がどう生きようが自分の人生にはなんの関係もねえのに、なんでそんなどうでもいいことに当事者意識が持てるんだろう。自他の壁が消失しているのだろうか。僕の知らない間に地球人の幼年期は終わったのだろうか。そんな形の補完は嫌だ。倫理観とか宗教観とか社会規範とかなんかそういうまぁ要するに信仰心ドリブンな事柄について、他人に強要することはあんまり良いことではないと思うし、そう憲法に書いてあるし、たぶん小学校とかで習っていると思う。知らんけど。
そもそも他人の幸せを決める権利なんて我々は持ち合わせてはいないのだから、どんなに自身の信仰心に照らして愚行と思える行いでもそれを止める権利なんてないし、愚行でないのならなおのこと。愚行権は自由権の本質です。例えば、夫婦が別姓になって何か問題が起きるとしてもそれは当事者が最大限の自助努力のもとで理不尽に相対しながら血反吐を吐いて解決すればいいだけの話です。事前に法が介入するべきではなくて、問題が起きた後に法が介入できる余地を残しておけばいい。それが法にできるギリギリのことです。
例えばそれで不幸になる人がいるにしても、その人から事前に権利を奪ってはならない。自らの自由意志による選択の結果として不幸になる権利をその人から事前に奪うことは悪行に他ならなりません。人は不幸になる権利があるんです。見方を変えて、社会規範の維持や社会制度の維持を願う権利は個々の市民にあるとしてもその権利範囲は強く束縛を与えなきゃいけないはず。個々の姓に関しての束縛はその権利範囲を明らかに逸脱しているし、個々の性事情に関しても踏み込んでいい範囲じゃない。それらは誰がどう考えても個人の自由の範疇です。
そもそも自由主義社会においては当事者同士が限りない自由の中でより良い道を模索するべきで、法律が束縛を与えるのはあまり良いことではない。法律は利益調整のために仕方なくあるものなので、必ずしも必要ではない束縛はそもそも全て破棄すべきなので、夫婦同姓規定も夫婦別性規定もどちらも要らない。というか本質的には私有財産の接続制度以外の何者でもない法律婚制度の形が現行のものだと違和感が凄いとは思っているけど、これは未婚の私が言うことじゃないから言わない。市民は自らの選択で限りなく不幸になる権利すら手中に収めた。それはきっと素晴らしいことなんです。隷従のもとで肥え太ることより遥かに素晴らしいし、それを守りたいと私は思います。私は私が正しいとは思っていません。自由主義なんて最悪だと思っています、もちろん自由主義以外のすべての形態を除けばの話ですが。
集団行動、上下身分、具体的な統治法(同調圧力(KY)+暴力)。これが日本人が義務教育(中学校で教わることの全てだ
ええっと、もう一度推敲してコンパクトにまとめてくれるかな。 今の制度の何を課題と捉えているか、まずは冒頭で問題提起を明示してほしい。
あっ最近いる南極にいけない負け犬くんだ