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はてなキーワード: 最期とは

2018-04-14

パズドラCM

舌をレロレロしてるのが生理的に無理!

いつまで垂れ流すつもりなんだろう。

小太りヒゲもじゃモヒカン甲高い声、と十分気持ち悪さを集結したようなキャラなのに

最期ダメ押しとばかりにレロレロやられると心底不快になる。

演者さんのせいではなく演出のせい)

あのCMに対して誰もクレーム入れないのか?

放送禁止の多いカップヌードルCMよりよほど酷い。

書きなぐりたくなる稀によくある話。

私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。

父は既に他界した。

記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るとき笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白言葉友達言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分笑顔吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフ家族困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバム家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラ普通に笑うことさえ出来れば普通撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってから家族写真は本当に一枚もない。

両親どちらの祖父祖母も既に他界している。

親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理ときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。

母はまだ元気に笑っているが私は彼女申し訳ない気持ちしかない。

彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女子供が大好きだ、から彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛い子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃん赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。

SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。

どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。

どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子不細工からというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ

明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。

私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的恋愛結婚仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。

両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しかかばない。もしかせずとも我が家家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ

先日母に頼まれ年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないか平均寿命いかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心からまれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。

どこかに書きなぐりたくなった。

2018-04-13

最近おもしろ外国人が下火だと思う

最期に見たのは壺ゲーやってる韓国のおじさん

あれは面白かった

おっさんの素材で視聴者煽りMAD作るあたり

2018-04-10

ポジティブ理由で頑張れない。

今までは「〇〇に復讐してやる/見返してやる」とか絶対に痛い目に合わせてやるとか、そういう所謂ネガティブエネルギー動力源に頑張ってきたんだけど、

もう敵対者とか憎しみとかなくなっちゃったし、何より疲れてしまった。

そこで、「じゃあ自分幸せにするために頑張りましょう」という段階に移行したいのだけれど、イマイチやる気が湧かない。頑張った先に何が待ち受けているのかイメージできないからだ。幸せ状態ってなんだ?

「これまでの生き方が酷すぎる」と言われて3年ほど交際した彼女と別れて以降、幸せにしたい他者自分の周りにはいない。死んでも死にきれんと自殺を取りやめてから十数年頑張ってきたがもうやることやり尽くしてしまった感じだ。人生におけるノルマ達成。

だがそれでも再び死のうと思えないのは、自分自殺を取りやめるよう諭した人物が結局のところ自殺してしまたからだ。

失礼ながら私は彼のように人間であることから逃げたくはない。あんな情けない最期は送りたくない。

さて20代も半ば、今更ながら宛もなく自分探しとかやったほうがいいのだろうか。ポジティブ理由で、自分のために頑張るにはどうすりゃいんだろう。

2018-04-03

夢で見た地球滅亡の日が超平和だった

隕石が百パーセント落ちてくる。地球はもう終わりだ」という、妄想あるあるな夢を見た。

わたしは外出先で一人それを知り、財布の中身千円ちょいをはたいてチョコを買った。コージーコーナーの、現実世界恋人に貰って美味しかったチョコ。また食べたいと思っていた。店員がやたら愛想が良かった。

チョコを持って空港に行った。展望デッキの窓ガラスの向こうは夕焼けだった。ベンチに座ってチョコを一つ食べた。他にも人はいた。みんな、夕焼けを見に来ました、みたいな顔をしていた。

電車の中に一人怖い人がいると、周りに独特の連帯感が生まれる。「あの怖い人を刺激してはいけない」みたいな。まさにそれだった。

私と同じように空を眺める人も、コージーコーナー店員も、隕石を信じていないわけではなかった。隕石をすぐそばに感じていたからこそ、まるでなんとも思っていないように振る舞うしかなかった。

あえて家族恋人に連絡は取らなかった。そんなことをしたら隕石を刺激する。みんなそう思っているようだった。ただどこかで、もしかたらこの場にいるこの人たちが最期を迎えるときの仲間かもしれない、という空気が流れていた。

車内の怖い人を気にしつつ車掌アナウンスをいつもより真剣に聞くように、みんなただ夕日を見ていた。

チョコを食べながら「もし隕石が落ちてこなかったらもうお金がない」と思った。

結局夢の隕石がどうなったのかわからない。

2018-04-02

ウマ娘競馬に興味を持った人のための有名馬解説

スペシャルウィーク

エルコンドルパサー

グラスワンダー

セイウンスカイ

オグリキャップから始まる第二次競馬ブームの末期(というか終わったあと)に活躍した世代

98年に日本ダービーに出走した世代のため「98世代」と呼ばれる。

またひっくるめてエルグラスペ、あるいはエルグラスペウンスなどと略される

主人公っぽいスペ。海外活躍したエルコングランプリ最強のグラス。

いずれが強かったのか延々と喧嘩しつつ、ついでに他世代を貶めていく。

「エル基地」「スペ基地」「グラ基地はいまや老害代名詞である基地キチガイの略)。

ちなみに長らく「最強世代」と目されていたが、近年では2012世代のほうが評価が高い(当社調べ)。

サイレンススズカ

「ススズ」と略される。

最初から最後まで圧倒的なスピードで逃げて勝つ、

素人目にもわかりやすレースぶりと悲劇的な最期により、いまなおファンが多い。

いわば初心者ホイホイの立ち位置で、ススズのファンミーハー扱いされることも。

伝説毎日王冠においてエルコン・グラスを一蹴しているため、エルグラスペ最強論争に絡んでくることも多い。

テイエムオペラオー

「オペ」と略される。

年間無敗・王道路線完全制覇の「グランドスラム」を唯一達成した。

しかし、その地味な勝ち方からか、「同世代が弱かっただけ」「運が良かっただけ」と言われ、

先輩である98世代と後輩である2001世代に挟まれ馬鹿にされている可哀想な馬である

シンボリルドルフ

三冠馬。「皇帝」の異名を持つ。

ひとつ年上のミスターシービーと合わせて三冠馬が二年連続であらわれた唯一の例。

その直接対決はルドルフに軍配が上がり、判官贔屓でシービーの人気が確固たるものとなった。

が、さすがに当時のことを知っている人も少なくなったため、さほどファン同士の争いなどはなく、

「最弱の三冠馬は?」という話題になったときにシービーが馬鹿にされる程度である

ディープインパクト

言わずと知れた史上最強馬。「英雄」の異名を持つ。が定着はしなかった。

そのエリート然とした経歴、JRAによるヨイショ、薬物違反による失格という汚点、

引退後も日本競馬支配し続ける圧倒的な種牡馬成績などにより、

最も多くのアンチがついている馬と言っても過言ではない。

特にオルフェーヴル三冠馬となってからは、どちらが強いかでたびたび論争になる。

オルフェーヴル

最新の三冠馬。「暴君」の異名を持つ。

三冠達成の年に東日本大震災が起きて、何となく騒げないムードがあり、ディープほどには世間認知されなかった悲しみ。

ただ、阪神大賞典での逸走は初心者にも凄さがわかりやすレースで、よくネタにされる。

ディープの初年度産駒と同世代だったこともあり、

ディープアンチオルフェーヴルに(というかディープに対抗できる種牡馬としてのステゴに)肩入れする傾向もあった。

ウオッカ

ダイワスカーレット

ブエナビスタ

64年ぶりに牝馬ダービーを制したウオッカ、37年ぶりに牝馬有馬記念を制したダスカ、牝馬の最高獲得賞金を更新したブエナ。

ディープインパクト引退からオルフェーヴル登場までのあいだを支えた「女傑」時代の三頭である

特にウオッカとダスカは同い年で、ファン対立も激しく、「ウオ基地」「ダスカ基地」と呼ばれて忌み嫌われている。

が、ブエナを完全に上回る成績を残したジェンティルドンナの登場で、最強牝馬論争はやや落ち着きを見せている。

2018-03-31

あの金魚電話ボックス撤去

金魚で有名な奈良県大和郡山市の「金魚電話ボックス」について、大和郡山お城まつり終了後の4月9日以降に撤去されることがわかった。

福島県在住の現代美術作家山本伸樹氏の作品そっくりであると各方面から指摘されていた大和郡山金魚電話ボックス4月9日撤去されることになったそうです。設置場所の K COFFEEの森和也さんに確認しました。

https://www.facebook.com/ryomichico/posts/1657682120980786

大和郡山のお城祭り4月8日まで開催されます。それが終了してからとの配慮で、4月9日撤去となる模様です。みなさま、お城祭りに行かれたら、最期にぜひひと目、見てください!

https://www.facebook.com/ryomichico/posts/1657682120980786

撤去されるのは、京都造形芸術大学の銅金裕司教授と1回生6名からなる金魚部が水都大阪フェス2011で「テレ金」として発表したもので、イオンモール大和郡山、第52回大和郡山お城まつりでも展示された後、部材を譲り受けた街おこし団体のK-Pool Projectが第53回大和郡山お城まつりで「テレ金2013」として再度展示。さらに、金魚の会がアートイベントHANARART 2013」で柳町商店街出展したこときっかけに、現在は同商店街カフェ「K COFFEE」が管理している。

いまでは観光名所となっているこの金魚電話ボックスだが、現代美術作家山本伸樹さんが1998年に発表した「メッセージ」に酷似しており、これまで山本さんが抗議し続けていた。

1、京都造形芸術大の「金魚部」が2011年に私の作品と同じものを作り、大阪キャンバスに入選して、出品し、2012年には私の指摘で、それを認め、出品を辞退し、活動を休止した。

2、それによって放置されていた、作品部品を譲り受けた、「金魚会」という別なグループが、私の作品を知りながら、それを使って新たに私の作品と同じもの制作し、2013年に奈良町家HANARART2013に出品した。

3、私の指摘にも関わらず、その後2014年まで常設として設置し続けた。

https://www.facebook.com/nobuki.yamamoto.5/posts/602183623243317

https://www.facebook.com/nobuki.yamamoto.5/posts/603658743095805

https://www.facebook.com/nobuki.yamamoto.5/posts/604104109717935

2017年2月以降ようやく話し合いの場が設けられ、山本さん、K-Pool 、K COFFEE、郡山柳町商店街協同組合理事長の間で「金魚電話ボックスが、山本伸樹の著作物であると認めること」「オリジナル作品である緑の電話機への付け替えを認めること」「山本伸樹は著作権使用料慰謝料、付け替え費用請求しないこと」で一度は合意しかけ、2017年8月21日には「柳町商店街協同組合山本伸樹のコラボレーション作品」と明示されるようになったが、郡山柳町商店街協同組合理事会では一転合意しないことが決定。結局撤去という形で幕引きを図ることとなった。

山本氏は「いままでもこれからも、著作物使用料は一切もらわないから、せめて著作権を認めてほしい。オリジナルの緑の電話に付け替えさせてほしい」とほぼ1年前から商店街に申し出ていました。緑の電話への付け替えも自腹とのことでしたが、地元商店街結論は「撤去」でした。大変残念なことです。

https://www.facebook.com/ryomichico/posts/1657682120980786

回 答 書

                     

 前略、当方は、通知人郡山柳町商店街協同組合代理人として、貴殿平成29年12月28日付発送の内容証明郵便に対し,以下のとおり回答します。         

 通知人は、本件「金魚電話ボックス」が貴殿著作権侵害しているとは認識しておりませんが、紛争発生の経緯および現状に鑑み、当該「金魚電話ボックス」を撤去する旨を今般決定しましたので、その旨ご連絡します。


平成30年3月28日

https://www.facebook.com/ryomichico/posts/1660681930680805

2018-03-30

hagexさんの矛盾する日記について

以下の日記を読みました。

映画の鑑賞眼は「クソ映画」を観た数だけ磨かれる

http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/03/30/130000

言いたいことには概ね同感で、わたしもつまらない映画でも最後まで見るべきというスタンスです。

しかし、文章矛盾がすごく気になりましたのでいまはてなダイアリーを書いています

引用・「作品最期まで観た人間のみが、その感想を口する権利を手にいれる」

引用最期まで観た人だけが、クソ映画をクソクソ言えるのだ。

これは言い換えたら「最後まで読んだ人だけがクソ漫画をクソクソ言えるのだ。」ということになりませんか?

まず冒頭に、『インベスターZ』の初期の場面を見て失望し、真剣に読まなくなったとあります

引用最初の15分から30分だけ観た人に、クソ映画と言われても全く信用できない

漫画一場面を見て見限る人と、「最初の15分から30分だけ観た人」に本質的な違いはあるのでしょうか。

もしも映画で「主人公につまらない映画をみせて、何分で出てくるか賭けをしている場面」が出てきても、hagexさんは席を立たないのだと思いますが、一場面で判断して漫画を読まなくなること(そして、読まないことを誇らしげにしていること)はまさにご本人が批判している行為です。

引用・クソ映画は人によって違う

引用自分ダメ映画だと感じても、それを他人適用するのはナンセンスの極みなのである

これは、もちろん同意します。

人によって趣味嗜好が違うことは当然のことだと思います

しかし、それがわかっていてなぜ「映画とのスタンスも人それぞれ」と寛容になれないのでしょうか?

引用自分ダメ映画だと感じても、それを他人適用するのはナンセンスの極みなのである

引用時間無駄を気にして、傑作や名作しか見ない連中は、実は映画の良さをわかっていない。だから、この増田映画ぶっているが、実はまったく映画がわかっていないのである

自分が「クソ映画でも最後まで見るのが映画の良さをわかっている人間だ」と感じても、それを他人適用するのはナンセンスの極みなのである

と、わたしは思います

映画を見た数が少ない人は映画が良いと思ってはいけないんですか?映画の良さがわかってるかわかってないかって、誰が決めるんですか?

もともと、この投稿

https://anond.hatelabo.jp/20180209213614

への反対意見で、わたしもクソ映画最後まで見る派としてhagexさんの気持ちはわかりますが、この人が批判されてしかるべきなのは中退席しない人への暴言だけです。

この人が映画最後まで見ないのはこの人の自由だと思います。(途中退席する人がいると迷惑だというのはおいておきます)

映画を見てどう感じるかは人それぞれですし、その人にとって正視に耐えないレベルだったということに対して、映画最後まで見るべきだという押し付け意味がありません。

わたしの友人に、人の顔は一度見たら忘れないという人がいます電車でいあわせた人を、別の場所で偶然もう一度見かけたらわかるそうです。そして、人の多い場所を苦手にしています

きっとその人は、人の顔から視覚的に受け取る情報の量や質がわたしと違うから、人が多いところにいるストレスわたしより強いんじゃないかなと想像しています

その友人が人の多い場所を苦手としているように、映画最後まで見ない人にも何か事情があるかもしれません。

人それぞれ映画を楽しんでいればそれでいいのに、映画をわかっていないだとかそういう言い方で、映画ファン上下をつけるような記事だったので、矛盾していると思ったところを書いてみました。

他者批判することも多い方ですが、自分客観視できないと説得力がありません。

漫画映画は違いますが、漫画はつまらなかったら途中でやめていいのに、映画はつまらなくても最後まで見なきゃいけないという理屈おかしいです。

一貫性ある主張にするためには、漫画につまらないという感想を抱くためにはその漫画読破するべきだなんてマイルールを設ける必要がありますが、そんなことはhagexさんも不本意だと思うので、映画を途中でやめることを親の敵のように憎まないであげてください。

以上です。

2018-03-11

anond:20180311135451

まぁ、そうだよね。最近男性向けコンテンツも充実、低コスト化してて、一部の男性マッチョロールモデルから離脱してる。その方が良い。

あとは別の人にやってもらいたい訳だが。

でも、子供を4~5人つくっていただきたいけど、女性は何歳から産み始めるべきなんだろうか?

えっと2~3年ごとに産むとして、12~15年位かかるかな。

30歳から産み始めると、もう妊娠適齢期逃してるから無理。

20歳くらいで結婚すると、35歳で最期の子供が生まれるか育児、だね。

20歳結婚なんて、今時フェミニズムからしたら噴飯ものじゃないかなー。まぁどっちにしても一部の女性希望を叶えようとすると少子化は確定してるんだよね。

初七日

明日わんこ初七日である

人生の半分くらいを共に過ごしたわんこだ。

ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。

わんこにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。

ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。

でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。

初七日明日に控えて、気分は少し落ち着いてきた。

でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているかなのだと思う。

生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。

途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。

とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。

彼女植物アレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。

朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。

それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。

彼女はとてもやんちゃなのだ

病院帰りには必ず首輪抜けをされた。

調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。

窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。

だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。

これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。

ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。

それがとても頼もしかった。

亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。

毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。

彼女プライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実あの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。

明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。

飛び起きたわたし彼女を抱き上げて、呼吸を確認した。

見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。

これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。

なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。

しかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。

その時点で時刻はもう朝の五時だった。

彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。

急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことわたしパニックになった。

わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。

九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。

大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。

しかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。

丸1日苦しんだ彼女最期は穏やかだったように思う。

家人意向で、火葬はその日の夕方依頼した。

まりくそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉反論ができなかった。

火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態電話した。

確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。

忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。

火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。

生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。

アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。

お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。

わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。

火葬車がきて彼女を炉に入れた。

業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。

お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。

1時間から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。

ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。

ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。

後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。

そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。

お骨、直接拾うかい

本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。

お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。

お尻のほうから拾ってね、という言葉ならい、母と妹が拾う中で、わたし最後頭蓋骨と喉仏を任された。

頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。

頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。

思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識飛ばししまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。

最後に骨壷に喉仏をおさめて、カバーをかけてもらった。

生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。

お位牌におじさんの手書き名前享年が書いてあった。

きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。

話は変わるのだが、わたしペット火葬業者特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。

わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているとき不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。

けれど、わたしは最終的に直感業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。

今、明日初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。

わたしは、わんこの死後2日ほどで現実逃避に走った。

ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。

所謂オタクというもの二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。

アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界想像は難儀だ。

虹の橋お話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分性格を憎らしく思う。

ただ、昔、にちゃんねるで見たお話を思い出した。

VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所お話だ。

ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観世界に行くらしい。

スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。

そこで、これからどうします?と自分過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。

「さて、ここからどうする?」

天国に行く?」

虹の橋に行ってみる?」

「それとも何かにまれ変わってみる?」

「このままゆっくり穏やかに眠り続けてもいいよ」

自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。

うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。

残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。

辛い、悲しい、なにより寂しい。

これはすべてわたし感情で、わたし傲慢だとおもう。

それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ

これからわたし自己満足彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザービーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。

わたしの一番はこれまでもこれからも変わらず、彼女だけだ。

辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。

なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。

断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。

初七日

明日わんこ初七日である

人生の半分くらいを共に過ごしたわんこだ。

ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。

わんこにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。

ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。

でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。

初七日明日に控えて、気分は少し落ち着いてきた。

でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているかなのだと思う。

生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。

途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。

とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。

彼女植物アレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。

朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。

それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。

彼女はとてもやんちゃなのだ

病院帰りには必ず首輪抜けをされた。

調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。

窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。

だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。

これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。

ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。

それがとても頼もしかった。

亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。

毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。

彼女プライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実あの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。

明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。

飛び起きたわたし彼女を抱き上げて、呼吸を確認した。

見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。

これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。

なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。

しかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。

その時点で時刻はもう朝の五時だった。

彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。

急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことわたしパニックになった。

わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。

九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。

大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。

しかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。

丸1日苦しんだ彼女最期は穏やかだったように思う。

家人意向で、火葬はその日の夕方依頼した。

まりくそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉反論ができなかった。

火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態電話した。

確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。

忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。

火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。

生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。

アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。

お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。

わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。

火葬車がきて彼女を炉に入れた。

業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。

お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。

1時間から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。

ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。

ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。

後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。

そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。

お骨、直接拾うかい

本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。

お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。

お尻のほうから拾ってね、という言葉ならい、母と妹が拾う中で、わたし最後頭蓋骨と喉仏を任された。

頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。

頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。

思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識飛ばししまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。

最後に骨壷に喉仏をおさめて、カバーをかけてもらった。

生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。

お位牌におじさんの手書き名前享年が書いてあった。

きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。

話は変わるのだが、わたしペット火葬業者特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。

わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているとき不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。

けれど、わたしは最終的に直感業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。

今、明日初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。

わたしは、わんこの死後2日ほどで現実逃避に走った。

ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。

所謂オタクというもの二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。

アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界想像は難儀だ。

虹の橋お話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分性格を憎らしく思う。

ただ、昔、にちゃんねるで見たお話を思い出した。

VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所お話だ。

ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観世界に行くらしい。

スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。

そこで、これからどうします?と自分過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。

「さて、ここからどうする?」

天国に行く?」

虹の橋に行ってみる?」

「それとも何かにまれ変わってみる?」

「このままゆっくり穏やかに眠り続けてもいいよ」

自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。

うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。

残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。

辛い、悲しい、なにより寂しい。

これはすべてわたし感情で、わたし傲慢だとおもう。

それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ

これからわたし自己満足彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザービーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。

わたしの一番はこれまでもこれからも変わらず、彼女だけだ。

辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。

なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。

断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。

2018-03-09

眠れないか祖母の話をしたい

祖母は優しかった。いつでも私のことを可愛がってくれたし、私も祖母の前では良い子でいられた。怒られたくないというよりは、悲しませたくない気持ちが強かった。自分のことを、いつまでも可愛い孫だと思って欲しかった。

自分が嬉しかたことを伝えたら祖母も嬉しくなると思っていた幼い頃の私は何かある毎にすぐFAXを送ったし、すぐ電話した。手紙もいっぱい書いた。遠方に住んでいたから、とにかく自分存在を忘れられないように一生懸命だった。(今考えたら疎遠でもない孫を忘れるはずがないとは思う)

祖母手料理ほとんど作らなかった。作れなかったのか作らなかったのかは分からない。いつも祖父母に会いに行くときは2.3日しかいれなかったので、外食をすることが多かった。きっと子供から外食を喜ぶだろうと思ってたのだと思うけど、私は祖母の作るご飯が食べたかった。結局祖母手料理は1回だけしか食べられなかった。おにぎり。誰が作っても美味しいのかもしれないけれど、私は今でもあのおにぎりの味を覚えている。

祖母刺繍が上手だった。亡くなってから知ったことだけど、祖父母の家にあるのれんリュックポシェット額縁に入った布の作品すべてが祖母刺繍作品だった。少し大きい象の人形のようなもの祖母刺繍を施していた。本当は色々やりたかった刺繍があったらしいけど、段々と細かいものが見えなくなって諦めたらしい。やりたいのに出来ないってどんなに悲しいことだろう。

私が高校生になってなかなか祖父母に会いに行けなくなっていた。一般家庭におけるFAX文化も廃れ、電話祖父母のお誕生日敬老の日、お正月くらいに減っていた。それでもたまにする電話祖母は私がする話を嬉しそうに聞いてくれた。習い事を続けて頑張っていたことも褒めてくれた。

祖母は段々足が痛いというようになり、歩けなくなった。父と祖父母の3人で旅行した時、祖母はすぐ疲れたといい椅子に座っていることが多かったらしい。せっかくの旅行なのにごめんねと謝る祖母を見て、父は涙が出そうになったと言っていた。私は聞いているだけで胸が詰まり、お風呂で泣いた。

祖母は寝たきりになっていった。動くのがしんどいと言い、会いに行ってもずっとベッドで横になっていた。足の筋肉は衰えて、私の二の腕くらいになっていた。また私はこっそり泣いた。

祖母記憶をなくしていった。電話をした時、私のことを伯父と間違えた。話が噛み合ってないような気がしたけど、訂正することが良いことなのか悪いことなのか分からず誤魔化した。電話を切ってから父に気付かれないように泣いた。

祖母ものを食べることができなくなった。この頃になると祖母祖父以外の人を誰なのか判別できなくなっていた。新幹線に乗り久々に会いに行った祖母は、祖母だけど祖母じゃない別の人のように感じた。いくらしかけてもこっちを見てくれなかった。そりゃそうだ。毎日何も口にしていないから首を動かす力もないのだ。そこで急に祖母がいなくなることが怖くなって家族の前で泣いた。まだ目の前に祖母は生きているのに。

そして祖母は息を引き取った。祖父も父も伯父も家族みんな揃って最期を看取れたらしい。父は仕事柄頻繁に全国出張に行くので本当にタイミングが合った奇跡だったと思う。

通夜は次の日だったので、その日は普通に仕事に行った。上司に報告して、訃報連絡の書類などは自分で作った。みんなに全然悲しくなさそうだねと言われトイレで泣いた。悲しくないわけがない。

棺で寝ている祖母は安らかな顔だった。ガリガリになっていたから綿を詰めていたのがすぐ分かった。祖父が、棺に入れようと言って私がいっぱい書いたFAX手紙を持ってきた。中には祖父宛に書いたものもあったが、祖父は構わず全部入れてしまえと言った。ちょっとそれはないわと思って笑ってしまった。

祖母に送る最後手紙はいつまでも私のことを可愛い孫だと思ってもらえるような内容にした。天国で再会した時に可愛がってもらわなくちゃいけないから。

おばあちゃん、ご飯はいっぱい食べれてますか?私がそっちに行った時は豪華な手料理食べさせてね。

あと、おばあちゃん刺繍の本と糸もらったよ。1年かけてまだほとんど何も作れてないけど、一生の趣味にしたいんだ。おばあちゃんの血が入ってるから才能はあるはず。数十年後、私の棺に作品を入れてもらう予定だからその時にまた見せるね。

一周忌仕事で行けないような孫でごめんね。おばあちゃんいつまでも大好きだよ。

2018-03-07

子供の産めない女性結婚した。

ある病気生殖能力を失った女性結婚した。

彼女と知り合ったのは職場、その病気を患う前の話で、魅力的で頭もキレて、会った時から相性がよくて好意を抱いていたが、付き合うまでにはならなかった。

その後、長期の入院退院した時には彼女は産めない身体になっていた。

僕は、退院後、時間にゆとりのできた彼女デートに誘うようになり、やがて交際結婚することになった。

なぜ僕は彼女結婚したのか。

彼女にも親にも言ってない理由がある。

一つは、僕に子供を育てられる自信がなかいからだ。今現在経済力もないし、これから稼ごうという野心もない。自分の金は自分のために使いたいし、守るものが増えれば新しいことをチャレンジするにも少なからず制約になる。子供は好きだが、人に教えることが苦手なタイプなので、子育てはしたくなかった。

二つ目は、懺悔だ。大学時代付き合っていた別の女性妊娠させて堕ろしたことがある。既に別れた直後で、お互い別の道を歩みだしたタイミングでの妊娠発覚だったので、その女性と両家族同意でサヨナラした。自己都合で人を殺したという後悔の念があるので、僕はもう子供を作らないと決めていた。

から彼女が大病を患って子供の産めない身体になっても魅力は何も損なわれなかった。

親に結婚の話と彼女身体の話をしたら泣かれた。それでも「お前が決めた人だから」と最後は許してくれた。向こうの親も少し怪訝そうに、未だに僕のことを「変わった人だ」と言っているが、優しく受け入れてもらえている。

先日ささやかながら結婚式を挙げた。子供のない夫婦だとこれが人生最後集客イベントになるだろう。あとは葬式くらいだ。

生活も今のところ順調だ。快楽のためだけの性交渉だと割り切れているから、お互いを楽しませながら夜を続けている。

少子化対策で、子供を持つ家庭の増加が望まれているが、こういう考えて暮らす人たちがいたっていいと思う。

ただ、ふとたまに、老後、自分が生きてきた証をどこかに残せるのかと不安になることがある。

仮に妻に先立たれて、孤独最期になったとしても覚悟はもうできている。しかし、死んでも誰も気づかないような、その後の影響が何もない、生きてきたことに何も意味がなかったことにならないだろうか。これが不安だ。

芸術家なら後世に残る作品も残せるが、僕は一介のサラリーマンだ。まじめに働きあげた先に、自分という存在の証を何か、もしくは誰かに残せるのだろうか。

2018-03-06

anond:20180306190007

いやあ、ジョーカーゲームだと、陸軍の主流派無能、D機関の連中は大局が読めてるけど、まさにそれゆえ戦前日本メインストリームから孤立してて、ろくな最期を迎えないと暗示されてるからなあ。

少なくとも主要キャラは、単純な天皇バンザイ大日本帝国バンザイではない。

親のかたきをうつ

キーボードを強打する癖がある。

特にエンタキーには特別強く叩くくせがある。

タカタカタタカタ、タ、ターン

というやつだ。

ある時、エンタキーにヒビが入ることがあった。

ちょっと誇りに思えた。

キーボード強打音をうざく思う人もいるらしく

たまに役員から指導を受ける。

キーボードもう少しく叩いたら?」

キーボードうるさいわ」

キーボードを思いっきり叩くの何なの?親のかたき?」

そう、キーボードを強く叩くのは親の仇討ちなのだ


わたしがまだ小学生だったころ、うちの両親は自営業

電算写植仕事をやっていた。

電算写植もどんどんあたらしい機械がでてきたが、

特にサザンナは画期的で、サザンナが欲しいというのが父のぼやきでした。

それからMacintoshDTPができるようになり、

アドビフォトショップ(当時使いだし頃は確か2.5)とイラストレーター(ver忘れた)や

クォーク、ページメイカーなどが世に出始めるとあっというまに電算写植駆逐されたのでした。

父は電算写植にこだわりすぎたのだと思います

結局、あたしい時流の波にのれず、最期までサザンナが欲しいとつぶやきながら、

アップル爆弾マークよろしく、突然死してしまいました。

それから2ヶ月後、母も後を追うように亡くなりました。

なんの因果か、わたしDTP生業としておりますが、

いつかは親の仇を撃ちたい。

その一心キーボードを打っているのです。

ソシャゲの死

来週サービス終了予定なのだ

ソシャゲ最期を看取った経験豊富増田たちに問いたい。

サービス終了ってどんな感じなの?

2018-03-03

女を信じられない

大学生ときだが、とても好きな女子がいた。

はじめは友人含めて3~4人程度で遊んでいたが、俺はその子を狙っていたのでなんとか連絡先をゲットし、2人のデートもした。

数回デートし、詳しくは書かないが誰の目にも明らかな「OKサイン」を確認できたにもかかわらず、告白の結果は撃沈。

それも、一旦はOKしたが、翌日になってメールでただ一言「やっぱりあなたじゃない」と手のひら返し

はじめから断ってくれよ。

さすがにそれはないだろうと電話すると、「(デートでいい感じだったからって)期待した?バカじゃないの?」的なことを言われ、奈落の底に一気に突き落とされた。

どうも、「自分いかモテる魅力ある女であるか」を確認するためのダシに俺を使いたかったようである

自分気持ちだけでなく、プライドまでもが著しく傷つけられた。

単にお断りされるだけならまだしも、なぜ普通に告白しただけでここまで貶められなければならないのか。

それまでにも相応の数の女子とかかわってきた(付き合ったというわけではないものも含む)ので、色々なタイプ女子がいることはわかっているつもりだったが、このタイプははじめてで、当時大学生でまだ世の中のことをよく知らなかった自分の心に「女子とはかくもおそろしい生き物だ」ということが刷り込まれしまった。

はじめは自覚がなかったが、常にどこか女を信用できない、信用したくない自分がいることに気付いた。

その後、何人かお付き合いした人はいたが、すべてたまたま相手のほうからアプローチで始まったものである

どんなに気に入った人がいても、アタックするチャンスに恵まれても、またこうやって奈落の底に突き落とされるかも…と思うと恐怖でとても自分からアプローチするなんて考えられなかった。

そしてその思いは時がたつにつれて自然と「元々俺は女性から受け入れられる余地のない無価値無能な男なのだ」というやさぐれ思考に変わり、現在に至る。

無論、なんとか払拭しようとあれこれ試し、多少改善されてはいるが、根本的にはこの出来事があり、大きくは変わっていない。

結果、30代になった今でも恋愛的な意味での成功体験がまったくなく、まともな経験値も稼げず、歳だけとって本当に無価値無能な男に成り下がってしまった。

いざ気になる人ができても、過去悪夢だけでなく年齢的な負い目も重なり、なおのこと自分からアプローチなんてできない。

しかしやはり気に入った人を自分の力でモノにしたい、モノにすることで自分にそれだけの価値と魅力がある男なのだという自信を取り戻したいという欲求は払拭できない。

なぜ自分けがここまで苦しめられなければならないのかとさえ思うときがある。

(他の人たちが実際どうなのかはわからない、隣の芝は青く見えるだけで皆俺と大して変わらないのだろうか)

大袈裟に言えば、学生時代あの日からずっと時間が止まったままであるかのようだ。

毎日がつまらなく、味気ない。

生きることが苦しい。

(他の要因もあるが微々たるもの

想いを寄せてくれた女子はいたが、申し訳ないけれど自分から好きになった人に振り向いてもらえたのでなければ自分欲求は満たされなかった。

自分が最も認めてほしいと願う人から認められたら、どんなに幸福なことだろうか。

その人が認めてくれさえすれば、世界中のすべての人間が敵になっても構わない。

俺はその人を生涯にわたってとことん愛し、相手からも愛され、魂と魂をぶつけ合うほどに激しく求め合い、幸福感に包まれながら最期を迎えたい。

とんねるず

岡村隆史ANN石橋貴明ゲストで出た。

ラジオの貴さんはまったりしつつ饒舌で、とんねるずファンであり尊敬してる岡村の丁寧な対応ともうまく噛み合って最高だった。

自分とんねるず熱狂的なファンとかではないけど、貴さんの最期の締めのセリフ「寝ろ!」を聞いた後音を消して、シーンとした部屋で気がつくと涙がこぼれていた。

たぶんひとつ時代の終わりみたいなのを感じたんだなと思う。

まりそれは、自分時代の終わりを感じているんだ。

若い世代は(当然だが)とんねるず時代の終わりは感じないだろう。

でもどんな人にも自分時代があって、いつかきっと自分時代の終わりを感じる時がやってくる。

本当に終わりはある。頭で考えてるのとは違う実感が湧く。死に向かう感覚

貴さんが、岡村が潔癖で女性のあそこを舐めることができないみたいな話をしている中で、そんな事を感じていた。

2018-03-02

anond:20180302001323

世の中には浮気する人間浮気しない人間の2種類がいる。

浮気する人間過去成功体験からそれをレバレッジにして繰り返す人間。一方、浮気しない人間はそれ以外に大切なものを持っているか、やるだけ無駄から行動に移さな人間

…という見解だった。が、もしかしたらそれは違うのかもしれない。

自分後者の側で過去一度も浮気はしてこなかったし、妻を傷つけるようなことは一生しないと思っていた。でも、最近気になる人が出来た。多分成就しないだろうけど心は彼女のもとにある。好きになる時は好きになるもんで、個人属性なんてものは微々たる要素に過ぎないのだと思う。

先のことは考えず、ただ目の前の人を愛せばいいんじゃないかな。結局どっちに転ぶかは最期まで分からない。

2018-02-24

親の介護

彼氏は週末親の介護をしている。

介護が始まってから、週末に会えるのなんて年に数えるほどになった。

平日の夜に会ったり、たまーに仕事休んで昼から会ったり、週末の深夜に会えたりできるからいいんだけど。

それでも、かなり時間つくってもらって無理させているなと思い申し訳なくなる。

介護っていつか終わりがあるけど、そのいつかがいつなのかは分からなくて果てしないと思う。

私はまだ20代だし、周りの2040代の人たちも介護のど真ん中って人が少なくて理解してもらえることが少ないけど、最近会社の50代社員が続々と介護休職介護休暇を取っているのをみて、社会問題だなと改めて思った。

私は、彼氏の力になりたいし「介護を一緒にしてほしい」って言われたらするつもりでいて、それは本人にも伝えている。

だけど、彼氏は「大変だってわかっているところに引き摺り込めない」と言って断った。

介護はしなくとも、私にできることがもっとあるのかもしれない。

介護で人の生活が丸っ切り変わってしまうのを見る機会が増えていて、もっと楽にというのはおかしいかもしれないけど、生活を大幅に変えずに介護を行うことができれば良いのにと思う。

何かの形で支えられたらいいのに、そういう環境をつくれたらいいのにと思う。

思うだけで、なかなか行動できてないのだけど。

お金があれば、運が良ければ、施設に入れられるし色々なサービスも使えるけど、全ての人がそうではない。

もっと平和介護して、人の最期を看取れる世の中になればいいな。

彼氏のこと、なんらかの方法で支えられたらいいな。

2018-02-21

いまさらだけど、年末年始に観た映画

シン・ゴジラ ★★★★★

 超絶おもしろかった。内閣総辞職ビーム意味がわかった。エバンゲリオンを観たくなったんだけどプライムになくて諦めた。

君の名は ★☆☆☆☆

 どこがおもしろいのかわからなかった。おれも歳をとっちまったのかなぁ。

転校生 ★★★★★

 男女入れ替わりものならこっちのがおもしろかったので改めて観かえしたたけど、やっぱり面白かった。ふたり中学生の名演が光る。あのわざとらしい演技がなんかクセになる。

■グッド・ウィルハンティング ★★★★★

 高等教育無償化の是非を問う。

ライフ・イズ・ビューティフル★★★★★

 すごくいい!あんな陽気なお父さんになりたいなぁ。最期撃たれちゃっても構わない。

フォレスト・ガンプ ★★★★★

 20年ぶりくらいに観た。観おわってすぐ後楽園のババガンプにエビ喰いにいった。

ヒトラー ★★☆☆☆

 晩年よりも若いころの話のほうが気になる。

ショーシャンクの空に ☆☆☆☆☆

 5回くらい観ようと思ったのに、いつも最後までたどり着けずに寝ちゃう。たぶんつまんないんだと思う。

カーズ1〜3 、トイ・ストーリー1〜3 、モンスターズ・インク1・2 ★★★★★

 ピクサー基本的にぜんぶ好き。なんども観てる。飽きない。


こんな嗜好性なんだけど、オススメ映画とかある?

2018-02-14

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは元増田記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

2018-02-13

愛猫最期は考えない

だってそれ以上に今が大切で愛おしくて大好きだから

2018-02-12

猫を看取った話

昨日。

晩ご飯の買い物から買って帰ってきたら、ベッドの下から「にゃあ」って声がした。

昨日まではちゃんと玄関まで迎えに来れてたのに。

ベッドの下を見ると横たわってて顔だけこっちにむけて「にゃあ〜…」って、力無い声が。抱きかかえると力無くぐったりしてる。

餌場に連れて行ってもその場でへたり込んでしまって、立ち上がる力がないらしい。確か16時頃。

仕事中の奥さんに「そろそろだよ」とLINEしたら、「撫でてあげてて。晩ごはんは買って帰るね」と返信があった。

それからはずっとソファに座って抱えて撫でてて。名前を呼ぶと顔は動かせないけど、尻尾けがタンと動いてしっかりお返事していた。

しばらくこのままだったので、今夜がヤマかなーって何となく思ってた。

18時過ぎ。

奥さんから「そろそろ帰るね」とLINEが来た頃、呼吸が荒くなって舌根が震えるイビキみたいな息遣いになってきて。胸元に手をやって鼓動を確かめると、まだしっかり、人間よりも早い猫のペースで動いていた。

奥さん帰宅

コートを脱いで猫を撫でてた。「どうかな?」って聞かれた時、鼓動が人間くらいのペースになってて「まだ動いてるけど、あかんわ」と答えたと思う。この時は瞼に手をかざしたら反応があったからまだ意識があったのかな?

その後、ふいに猫がぐぐーっと手足を伸ばしてあくびっぽい動きがあった。同じ体勢が疲れたのかなって思って、体の向きを変えてやると、もう全身に力が入っていなかった。

瞼に手をかざしても無反応。腕を持ち上げても無反応。呼びかけても当然無反応。

が、胸元に手をやるとまだ微かな鼓動があった。奥さんに「もう最期だよ」って話しかけたら、その時は鼓動が止まってた。

奥さんが帰ってから15分くらい。

奥さんの顔を見て安心したのかな、あっと言う間。

自分の腕の中で最期を看取れて良かった。

伸びをした時、その後の脱力最期の鼓動の感触は鮮明に覚えてるし、忘れる事はないと思う。

朝方に顔ペロして起こしてくる奴も居なくなったし、トイレへのドアも閉じて平気になるし、床に服を置いても毛まみれにする奴も居なくなる。

生活が変わるね」って奥さんの言葉

猫を気にした生活スタイルが、これからは気にしなくても良くなる。ただ、これから生活でそのギャップにふと気づいた時、奴の存在を思い出して悲しくなるんだろうな。

まぁとりあえず、癌の辛い闘病生活を闘い抜いた奴にお疲れさまと言いたい。

anond:20180117204956

2018-02-09

最期は苦しんでいただろうか

2月8日に、わたしと血の繋がっているクソマザコン野郎ママが亡くなったらしい。

もっと嬉しいと思っていた。清々しい気分になると思っていた。なんだかもやもやする。

わたしは、確かにあの女とその息子が大嫌いだった。ときどき血の繋がりがあるのかと思うと、どうしようもなく、死んでしまいたくなる。

まぁ、こうして生きているのだけど。

あのクソババアは、母がわたしを授かった時もわたしが生まれたことにも喜ばなかったらしい。わたしが、女だったことと出産予定日ミカンの収穫の時期だったからだ。迷惑だったらしい。

いとこが生まれときは喜んでいた。男の子だったから。

弟が生まれときも喜んでいた。男の子だったから。

わたし暴力を振るわれたけど、いとこと弟は振るわれなかった。お菓子お小遣いもいとこと弟は貰えたけどわたしはもらえなかった。わたしも孫のはずだったけど、女だから

母も暴力を振るわれてた。風邪ときでも肺炎でも畑仕事をさせられてた。

仕事で得た収入は、全部ババアの金だった。てめぇは何もしないくせに、母にだけやらせておいて、びた一文も母には渡さなかった。

マザコン野郎マザコン野郎で、給料が出てもうちには一切入れなかった。(マザコン野郎農業は手伝わず工場で働いていた)

生活費ももらえないから、母は農業の他に外で働くしかなかった。

母は、完全にあのクソ親子の奴隷だった。

思い出すだけで腹が立つし、頭痛くなってきた。

あのババアを好きになる要素も許す気持ちにも欠片もならないのになんでこんなにもやもやするんだろう。言葉にしたらわかるかと思ったけど腹が立つだけだった。

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