彼女と知り合ったのは職場、その病気を患う前の話で、魅力的で頭もキレて、会った時から相性がよくて好意を抱いていたが、付き合うまでにはならなかった。
その後、長期の入院。退院した時には彼女は産めない身体になっていた。
僕は、退院後、時間にゆとりのできた彼女をデートに誘うようになり、やがて交際。結婚することになった。
一つは、僕に子供を育てられる自信がなかいからだ。今現在の経済力もないし、これから稼ごうという野心もない。自分の金は自分のために使いたいし、守るものが増えれば新しいことをチャレンジするにも少なからず制約になる。子供は好きだが、人に教えることが苦手なタイプなので、子育てはしたくなかった。
二つ目は、懺悔だ。大学時代付き合っていた別の女性を妊娠させて堕ろしたことがある。既に別れた直後で、お互い別の道を歩みだしたタイミングでの妊娠発覚だったので、その女性と両家族同意でサヨナラした。自己都合で人を殺したという後悔の念があるので、僕はもう子供を作らないと決めていた。
だから、彼女が大病を患って子供の産めない身体になっても魅力は何も損なわれなかった。
親に結婚の話と彼女の身体の話をしたら泣かれた。それでも「お前が決めた人だから」と最後は許してくれた。向こうの親も少し怪訝そうに、未だに僕のことを「変わった人だ」と言っているが、優しく受け入れてもらえている。
先日ささやかながら結婚式を挙げた。子供のない夫婦だとこれが人生最後の集客イベントになるだろう。あとは葬式くらいだ。
性生活も今のところ順調だ。快楽のためだけの性交渉だと割り切れているから、お互いを楽しませながら夜を続けている。
少子化対策で、子供を持つ家庭の増加が望まれているが、こういう考えて暮らす人たちがいたっていいと思う。
ただ、ふとたまに、老後、自分が生きてきた証をどこかに残せるのかと不安になることがある。
仮に妻に先立たれて、孤独な最期になったとしても覚悟はもうできている。しかし、死んでも誰も気づかないような、その後の影響が何もない、生きてきたことに何も意味がなかったことにならないだろうか。これが不安だ。
芸術家なら後世に残る作品も残せるが、僕は一介のサラリーマンだ。まじめに働きあげた先に、自分という存在の証を何か、もしくは誰かに残せるのだろうか。