はてなキーワード: 抑うつとは
・2013年5月までを対象に6つのデータベースで検索できた無作為化比較試験7報について検討したメタ分析において、ビタミンDの摂取は、抑うつ症状 (7報) に影響は与えず、抑うつ症状のある患者 (2報) において、わずかに症状の減少と関連が認められたが、試験によるばらつきが大きく、さらなる検証が必要である (PMID:24632894) 。
・2013年4月までを対象に6つのデータベース、6月までを対象に1つのデータベース、7月までを対象に2つの会議録で検索できた無作為化プラセボ比較試験6報について検討したメタ分析において、ビタミンDの摂取は、うつの評価スコア (6報) や発症リスク (2報) に影響を与えなかったが、試験のバラツキが大きかった (PMID:24423304) 。
・2012年10月までを対象に4つのデータベースで検索できた無作為化比較試験4報について検討したメタ分析において、試験内容に問題のない2報ではビタミンDの摂取はうつ病症状の改善と関連が認められたが、生物学的問題 (ビタミンDを摂取させていない、ビタミンDを摂取させても25-OH-Dが増加していない、減少している、ベースラインの25-OH-D値を測定していないなど) を含む2報では症状の悪化と関連が認められた (PMID:24732019) 。
RCT
・70歳以上の女性 2,258名 (試験群1,131名、オーストラリア) を対象とした二重盲検プラセボ比較試験の二次解析において、コレカルシフェロール500,000 IU (10錠) を毎年1回、秋期から冬期の同じ日 (前後2週間以内) に、3~5年間摂取させたところ、精神状態 (SF-12、GHQ-12、PGI-I、WHO幸福度指数) に影響は認められなかった (PMID:21525520) 。
・季節性情動障害の医療従事者43名 (試験群22名、平均44.2±11.5歳、デンマーク) を対象とした二重盲検無作為化プラセボ比較試験において、ビタミンD70μg/日を冬期に3ヶ月間摂取させたところ、うつ症状の評価 (SIGH-SAD) 、精神健康状態 (WHO-5) 、体重、ウエスト径、血圧、欠勤日数に影響は認められなかった (PMID:25125215) 。
・健康な若年成人128名 (試験群63名、平均21.45±2.96歳、オーストラリア) を対象とした二重盲検無作為化プラセボ比較試験において、コレカルシフェロール5,000 IU/日を6週間摂取させたところ、認識機能や気分に影響は認められなかった (PMID:22073146) 。
出典元:国立健康・栄養研究所「健康食品の安全性・有効性情報」http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail44.html
うつ病で2回目の休職をしております。1回目の時にまあ復職可となったときにも思ったんです。
例えば「ツレうつ」とか「うつぬけ」とかで鬱が治ると空が明るく見えたとか、周りの霧が晴れたって言うじゃないですか。私はなかったんですよ。そのまんま。で、突如黒いものが近くにある感じになって…て治ってない。
で、今2回目。年がたつと会社の方針が変わってきて、一回リワークへ行ってちゃんと戻れるようだったら診断書書いてもらって無給で通勤練習して、そいで復職…という流れになったので(知らんかったのよ)リワークに通っています。
リワークのスタッフさん(精神科認定看護師さんとか、臨床心理士さんとか、後何やってるか不明なお姉さん)が「○○さん。双極性障害Ⅱ型じゃない?」って言われたんですよ。
昨日、診察だったので、医師にその旨伝えたら「うーん、前の先生(1月に変わった。4月にまた変わる(T_T))は気分障害って診断してるね」
早く言え。ずいぶん前に前の先生にかかってたぞ。
これは中学くらいからだな。悪くすると小学生からだ。(振り返りなどをやらされるんですよ、リワーク)道理で、寛解しても空が明るい!!とかならないわけだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553が文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。
「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイのマインドトリック」の前まで
続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344
巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市の役人はアマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴは徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトルの企業がシカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。
政府の服従はそれからひどくなるばかりだ。もしあなたがアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムのユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアのプラットフォームがティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究の存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリームが子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。
こうしたソーシャルメディアのプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子供からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォームの中毒性を信じないなら、どうしてアメリカのティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由を自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業の幹部が自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。
以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。
ヴァンダービルト大学のロースクールの教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級が必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法もデザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカの民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。
経済とそのキーとなる主体である会社の基本的な目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカの中産階級は世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカの中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオの治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちがモデルとなって、消費とイノベーションが社会・経済を改革するエンジンになりうることを示したのだ。
経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源と労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワー、リアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業はステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済が中産階級と中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。
過去30年でアメリカの生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカの消費者があらゆるレベルで自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しかし生産性の拡大と消費者の地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用と経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。
どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから、企業と投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価に資本を引きつけ、他のセクターは脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。
結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取りの経済だった。社会はイノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。
億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは、過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。
何か手を打つべきなのだろうか。こうしたイノベーションのアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的な撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界も私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たちは意図的にアメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?
今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケットは効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールのゲームが成立しないように、枷のない資本主義が私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカの医療保険だ。
独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一の企業が投資を行い、安価にサービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジーは時価総額720億ドルだが、その価格とサービスの基準は市民に受託された人々によって規制されている。
対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。
しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産、賃金労働、自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義のエンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業のサイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済が本来の目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。
どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代にマイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめて競争をシャットアウトした。ネットスケープのブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフトが意図的にインターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。
同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくりと支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。
もしかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しかし司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府はマイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフトの幹部はインターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープの空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。
1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフトは反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令は高等裁判所で却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。
和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトはマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープを安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。
司法省のマイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要な酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタルの資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。
かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーとコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)
SSRIは抑うつや不安などの症状に対してよく使われます。そのため、うつ病だけでなく不安障害においても第一選択薬となっています。
すぐに効果が現れるお薬ではなく、毎日定期的に服用しても効果が出始めるまで1ヶ月近くかかる場合もあります。
抗うつ薬は、SSRIの他にもSNRI、NaSSA(リフレックス)、ドグマチール、四環系抗うつ薬、三環系抗うつ薬などがあります(この中では三環系抗うつ薬という古い抗うつ薬が最も効果が強いですが、副作用もそれなりにあります)。
SSRIを「十分量、十分期間」試しても効果が見られない場合、他の抗うつ薬を試してみるか、オーグメンテーション(増強療法)といって、抗うつ薬に少量の気分安定薬または非定型抗精神病薬を併用してみるといった方法もあります。
何が言いたいかというと、SSRIが効くか効かないかは「十分量、十分期間」試してみてはじめてわかるものだし、たとえそのSSRIが効かないことがわかっても、まだまだ他に手はあるということです。
当方社会人で、2005 年頃に発症したうつ病患者。今のところ休職経験なし。メンタル回復に効果があったものとなかったものを列記してみたい。
自分の抑うつ症状は睡眠不足に大きく起因しているようで、大変効果的。かつては深夜 0-1 時入眠 6 時前起床の 4-6 時間睡眠だったのだが、今は 22 時入眠 7 時間睡眠を目標にしている。それでもたまに睡眠不足に陥るが、以前のことを思えば随分良くなったように思う。以下は睡眠関連のコツ。
酒もクスリもやめた自分にとって (後述) セックスだけが即効性のある快楽として残ることになった。パートナーが病状理解してくれているのも幸いしている。効果はアルコールやベンゾジアゼピン系薬剤に近いように思う。大変効果的。だいたい 6-8 回/月。
自身の想いをぶつける場として大変有用。このエントリーも、まずは日記用の非公開ファイルに書き出してみて、自身の考えをまとめて、多少推敲を加え、それからポストした。今なら音声入力などを併用しても良さそう。非公開で絶対に人に見られないことがメンタルによい日記の秘訣かと思う。
大変効果的であったが健康問題により止めた。かつては連日飲酒し (ワインボトル 0.5-1 本/日)、かなりの頻度で出勤前にも飲酒していた。勤務中に飲酒することもしばしばあった。飲酒運転をすることはなかったものの、事件や事故にならなくて良かったと思う。γGTP 500 台というまあまあ重篤なアルコール性肝機能障害を来たして断酒。宴席では今でもたまに飲みたくなることもあるが、日常生活から二日酔いがなくなったメリットのほうが大きく、数年間禁酒継続できている。ちなみに最近人気のストロングゼロは頭痛必発なので好きではなかった。
こちらも大変効果的であったが健康問題により止めた。4-5 年ソラナックスとメイラックスを併用。どちらも確実に効果を実感できて大変良かったが、どんどん常用量が増えていき、ときどき OD することもあった。禁酒しても肝機能障害が遷延したため (γGTP 200 台) 勇気をもって投薬中止。ベンゾ離脱症状で 2 ヶ月ほど死にそうな気分で過ごした。残念ながら断薬後も γGTP は 3 桁高値が続いておりベンゾが悪かったとは断定できないが、離脱症状の辛さを考えるともう二度と内服したくない。
かつて 7 年間ほど常用していた。当時この手の薬剤は日中の眠気が必発で、内服時間を調整しても眠くて仕事にならなかった。世にいわれるような晴れ晴れとした気分にはならなったので、自分にはあまり効果的でなかったように思う。典型的なシャンビリ症状とインポ症状がでてきて内服中止。騒い離脱症状は出なかった。
朝 5-6 分のストレッチと自転車通勤を数年間、毎日 3 km 弱 / 20 分の室内トレッドミルを半年間、週 1 回 1 時間の水泳を 3 ヶ月続けてきたが、今のところ効果は微妙。ランニングを始めたきっかけは "脳を鍛えるには運動しかない!" という本に感化されたためだが *2、本に書いてあるほどには回復しなかった。しかし良い習慣ではあるので今後も続ける予定。
独学で始めたマインドフルネスにはほとんど効果はなかった。しばらくして臨床心理士のガイド付きマインドフルネスを 2 ヶ月ほどする機会があり、こちらは即時的な効果はあったように思う。ただ自身で再現性を得ることができず結局続いていない。そろそろ再開してみてもいいかもとは思っている。
セックスに比べると効果は弱いように感じる。安心ホルモンであるセロトニン (オキシトシン?) の分泌量に違いがあるのだそう *3。ちなみにオナ禁の経験はない。
*1 http://www.200kounen-training.com/entry/2018/01/10/223227
*2 https://www.amazon.co.jp/dp/B00JDLBEFW/
*3 https://ameblo.jp/kinyoku9/entry-12249634913.html
2018/02/03 16:18 追記コメント投稿しました。https://anond.hatelabo.jp/20180203161614
私は今年鬱になった。
そういうと大げさに聞こえるし、実際はそんなに大げさなことではない。ただ、ちょっと薬に頼ってしまっただけ、くらいの感覚。
私は今年社会人1年生だ。4月から箱詰め研修でそのあと勤務先に配属になった。がむしゃらに毎日働いた。働いて働いて、毎日失敗して、怒られて。いっぱいいっぱいだった。途中で耳が聞こえなくなったりもしたけどそれはなんとか乗り越えて、仕事に慣れてきた頃、仕事で独り立ちすることになった。
自分ではしたつもりの確認が全くできてなくて、本当に毎日ミスの連続。毎日毎日失敗して、その度に上司に怒られる。「ちゃんと確認しろ」分かってるのにできていなかった。そのうち自分のミスを聞くたびに泣くようになった。会社の事務室で人が見てるのに涙が止まらなくて、会社に行くのが怖かった。「教わってないから知らなかった」と言うと、今度は先輩に疎まれるようになった。自分は言葉選びが下手で、余計なことを言ってしまうみたいで、上司からも変な目で見られるようになってある日、社会人採用の同期に呼び出された。「仕事舐めてんの?」同期にそう言われて私の中の糸がプッツンと切れた。
その日家に帰ってから、何もせずに布団に入って泣いていた。死にたいと思うどころか何も出来ない。だって起き上がれないんだから。会社はたまたま休みだったから次の日は夜までずっと寝てた。ツイッターだけは出来たから死にたいって呟いてた、起き上がれないって。病院に行けと言われたのでそのまま近場のメンタルクリニックに手当たり次第電話して生まれて初めて精神科の予約を取った。
精神科の予約の日は先だったが、ふと思ったことがあった。「もしかしたら自分はADHDなのではないか?」
インターネットで検索するとすぐにADHDのチェックリストを発見することができた。読めば読むほど自分に近い。当てはまっている。それはすごく単純なことで、たとえば貧乏ゆすりが激しいとか、物事の順番がわからないとか、まさしく注意力の欠如だったりとか。声が大きくなったりだとか、言葉が詰まったりだとか。ああそうか、自分は障害を持って産まれてきてしまったのか。それは自分にとって妙に腑に落ちるものだった。
病院では抑うつの薬を貰ったり睡眠薬を貰ったりして、まあそれなりに回復は出来たと思う。ADHDかもしれないと相談をしたらチェックをしてくれて、十中八九……みたいな反応をされた。しかし実際に治療をするには莫大な時間と金がかかるらしい。障害とはいえADHDは個性で、特性。もちろん治療をしないという選択肢がある。自分には金も時間もなく、薬のおかげで前よりは会社に元気に行けるようになってからは心に小さなわだかまりを残しつつも、そのことは考えないようになっていた。
そんな時だったか、8月くらいにアイドルマスター SideMのアプリの配信が始まった。Mマスは2年くらい前にハマってたけどそのあと忙しくて放置しててそのまま、な不真面目なプロデューサーだったのだが、アプリくらいはと思いダウンロードはすることにした。推しが踊るのはすごく楽しかったのだが、夏〜秋くらいはゲームをやろうという体力もなく他のゲームもやってたりして入れて少しやって放置、していたと思う。
Mマスはアニメも始まっていたが推しのユニットはセカライ組だったためいまいちやる気が出ず、録画だけして2週間くらいは貯めていた気がする。
そのくらい不真面目なPだったのだが、暇なときにふと Mステをプレイしていて気が付いたことがあった。
びっくりしてしまった。もともと四季のことは好きで、ファスライのsr+は1番に彼を取った。でも、こんなに可愛かったなんて気がついてはいなかった。踊るとすごく可愛かった、見たことない表情をする四季に何故だか興奮が止まらなかった。
アニメを見よう……そう決心して見始めた一話で号泣した。これは、素晴らしいアニメだ。四季くんも出るし、ちゃんと見よう、そう決めた。
ぼんやりとそんなことを考えながら生きていたある日のことだ。たまたまモバMの方にログインしたら、四季くんが上位のイベントが開催されていた。
決めてからは早かった。先輩Pに連絡して走り方を教わってカードを借りて、もうスタパの発売は終わってたからゲロまずいと言われながらもPエンパックを買った。それからはひたすら毎日プレライを殴っていたと思う。殴る間も四季くんのことを沢山考えた。がむしゃらに殴って課金してなんとかメガアクマックスの四季くんを手に入れる頃にはすっかり私は四季Pだったと思う。
四季くんの笑顔は私に勇気と元気をくれた。メガアクマックス四季くんが信頼度maxになると私で元気をチャージしてるという。むしろこちらの台詞だ。そもそも四季くんにしょんぼりすることなんてあるんだろうか?あったとしても一瞬で忘れちゃいそうだな。そう思ったときにふと過去の雑誌の四季くんを思い出す。営業の時に見た四季くんの台詞を思い出す。
四季くんの過去の雑誌、過去のイベントをそれから必死で全て読み漁った。四季くんはいつも元気でまっすぐで他人に迷惑をかけてしまうことはあっても、いつも一生懸命だ。眩しかった。四季くんが本当に眩しかった。何故か?それは私も自分に自信がない人間だからだ。
アニメでハイジョ回が放送された後の夜、次の日5時起きで出勤なのに眠れなくて、ベッドの中でずっと泣いていた。青春のリミットなんて言葉、しきくんには1番似合わないのに四季くんにピッタリの言葉だ。四季くんの寂しそうな笑顔が脳裏に焼き付いて離れなくてずっと泣いてた。勝手に涙が流れてくるから。そのあとナオミの部屋で八代さんの笑顔を見てなかったら眠れなかったと思う。
四季くんのプロデューサーなんだと思って生きる毎日は本当に楽しかった。四季くんが好きで、ナンジャに行ったりアニオンに行ったりする私はいつも明るくて笑顔だった。知らないプロデューサーさんに話しかけて仲良くなったことまであった。私が四季くんになったみたいに笑顔でいられて幸せで仕方がない。
そうやって毎日四季くんのことを考えて生きていたらふと気がついたことがあった。私と四季くんって似てるかもしれないなって。
メンヘラ女に似てるって思われてる四季くんは可哀想だけれど、本当にそう思ってしまった。自分に自信がないところとか、後先考えずに突っ込んでしまうところとか、ちょっと空気が読めなそうなところとか、いきなり大声出しちゃうところとか近いものがあるかもしれないなと。でも私と四季くんは頂点に立つキレイでかっこよくてキラキラで人気者な男の子と底辺メンヘラ女だから全然違う。私と四季くんの違うところはなんだろう。
そう、四季くんは私みたいに自分の自信のなさをマイナスに捉えないのだ。
どんなに自信がなくても、失敗しても頑張るぞ!って前に進むことができる。四季くんはハイパーネガティヴなのに、ギガテラMAXでポジティブなのだ。四季くんが私に力をくれるのは、私と同じなのに私と全く違う、私の生きる目標みたいになり始めていたからだと思う。
四季くんのことを思い始めてから、キツくて薬を飲む回数が減った。何故なら私の目標のような存在がすぐそばにいてくれるようになったから。事務所に行って四季くんの笑顔を拝むたびに、私もこんな風に笑えるように頑張ろうって踏ん張れるようになった。私のような存在が四季くんと同じなんて烏滸がましいけど、それが私に何よりも勇気をくれた。毎日を進む力をくれた。どんなに辛いことがあっても、四季くんみたいにがむしゃらに前に進もうと思えるようになった。
救われるってのとは違うかもしれんが、人を傷つける要素が全くなく、なおかつ作者がダメ人間でかなり気が楽になる。
あと吉田戦車とかも。
・誰かを傷つけたり批判したりする要素がない
・おもしろすぎない
・失敗し過ぎている人も成功し過ぎている人も出てこない
生まれたときから結婚したかったので子供のころはわずかなお小遣いを貯めてはゼクシィを買って積み木にして遊んでいたら親に見つかり精神科へと連れていかれ、そこの医者が言うには「彼には数学の才能がありますね、将来は数学のできる子になりますよ」 俺は数学がしたいんじゃなくて結婚がしたいんじゃと思ったが仕方がないので何も言わなかった。この時幼稚園のころから仲良くしている幼馴染の女の子がいたので将来はいい感じのタイミングでその子と結婚するものだとなんとなく思っていたが小学校に入学してだいぶたった頃どうやら俺はその子にパシリに使われているだけなのではないかという疑念が生じてきた。結婚願望を持て余すと誰かに騙されやすいのはたぶん真実である。そうしてその女の子とも疎遠になり、なんやかんやで中学校に入学した。幼稚園からの幼馴染には男もいたのだがこれがまた変わった子で幼稚園の頃には彼女ができて小学校に上がるころには林間学校行きのバスでディープキスをしていた。彼に「お前は彼女を作らないのか」と言われたがよく考えたら結婚願望はあったものの彼女というものがよく分からないので「中学に上がったら作る」と返しておいて中学生になってしまったことに気づいたのでとりあえず彼女を作ることにしたが、仲良くなった女の子に告白したらその後三年間会うたびに罵倒されたので完全に無になってしまった。のちにある女性から「その子はあなたのことが好きだったけど素直になれなかったんじゃないの?」と言われたが当時はそういう非言語的コミュニケーションが厳しかったのでどのみちそのまま女性と会話するのが苦手になったまま高3になってしまった。周囲から「いい大学に行けば女なんて選び放題やで」と言われたのでそのまま東大を受けることにしたのだが、よく考えたら女性と会話するのが苦手だと出会いがあっても生かせないのではということにふと気がついて、ある同級生の男から紹介されたナンパテクみたいなのをネットで見始めた。しかしここで非常に重要なのは、ネットに転がっているナンパテク(恋愛なんとか学を含む)というのは「野郎がセックスをする」ことに最適化されているということだ。俺は結婚がしたいのであってセックスはそんなにしたいとは思わん。そういうあたりを無視した結果としては女性と会話できるようにはなったが数人の女性と気まずくなってさらに追い詰められたのと、後人間関係ばかりやって勉強をおろそかにして大学入試に失敗したので浪人した。まぁ東大には結局は入れたのだが東大というのはクラスだとかコースだとかで人間を40人前後に分けたがるらしく、かつ理系というのは本当にヤバくて当のクラスやコースには野郎が40人近くいるところに女子が二人しかいない。女子二人と会話してこの二人とは結婚はしないなと思ったところでほかのクラスやコースにいる女子がどこで何をしているのか全く分からない。ここにきて「いい大学に行けば女を選び放題」という前提自体がマジで嘘というのが頭の固い東大生である私にも否応なく理解できた。東大では最初の一年半を駒場キャンパスという渋谷近くの場所で過ごし、二年生9月からの残り二年半をいわゆる本郷キャンパスで過ごすのだが、よりによって入ったサークルでは趣味よりむしろ権力闘争を仕掛けられまくり(東大生ってなんであんなにお山の大将になりたがるの?)、そしてセックスするためのナンパテクを結婚するためのナンパテクにすることはとうとうできなかった。あとストレスと抑うつ傾向とおそらくADHD(精神科ではアスペルガーの診断は下りていたがADHDは出ていなかったので確証はない)で2度留年した。そうして9月からようやく本郷キャンパスに通い始めて、本郷キャンパスにいる女子はたいてい誰かと付き合っているということに気づいたのが一昨日(遅くないか?という批判は甘んじて受け入れよう。だが自分に都合の悪い事実をすぐに受け入れられるほど、人は強い生き物かね?)。
大学二年生23歳彼女いない歴is年齢というのは字面にすると相当ヤバい。今日は朝から院は京大にしたら環境が変わっていいのかな、だとか狂った思考が身をもたげてきたので思考を整理するために書いている。しかし書くことでだいぶ正気に戻ってきた。もしこれを読んでいる婚活中の人間がいれば、「幸せな結婚に必要なのはおそらくリズムと縁だ」と共有しておこう。対人関係は自分が相手のリズムに合わせ、相手を自分のリズムに合わせるイメージで形成し、そうやって形成した対人関係を縁として新たな対人関係を広げていけば、素敵な出会いに恵まれる日が来るかもしれない。恵まれなかったらごめん。今後しばらくはそれを試す日々になると思われる。
追記:高学歴で部屋が汚くて友達がほとんどいない女性と知り合う方法があれば教えてください。昔からそういう女性にシンパシーを感じるので。
なれない作業で100時間近い残業と休日出勤、上司からのパワハラ、相談できる人はだれもいなくて、そのまま潰れてしまった。
休職することになり、傷病手当金での生活が始まった。昼近くまで寝て、徒歩5分のコンビニで幕の内弁当を買って食べ、また寝る。
会社を退職し、傷病手当金が切れ、今度は失業保険による生活が始まる。
このままではマズイと考えをあらため、私は派遣社員として働き始めた。
新卒採用時の会社と比べ、給与は上がった。正社員としての責任もないから気楽に仕事ができた。
ただ、ときどき抑うつ状態になり、満員電車から飛び出して駅のトイレで泣くこともあった。
なんとか生きることが出来た。それが少しだけ誇りに感じた。
半ヒキニート時代に私は親に迷惑をかけてしまった。その恩を返すためにも、私はその借金を肩代わりした。
でも今の職では返済に何年もかかる。だからもっと稼ぐために私は転職をした。
肩代わりの条件として、最初の2ヶ月間は利息分だけ払って欲しいと私は親に頼んだ。
そうして私は職を捨て、今まで住んでいた場所も離れ、見知らぬ土地へと移った。
そのうちきっと良くなる。これ以上酷いことはないはず。何度も何度も言い聞かせた。
親から利息のお金が振り込まれていないことに気づいたのは、引越してから一ヶ月後のことだった。
給与はまだ貰えず、手元にあるのは僅かなお金だった。親に何度も連絡をしても返事はない。
借金の返済日、私はコンビニのATMで泣きながら消費者金融からお金を借りた。
その後の一年は悲惨だった。少しずつ改善していた鬱病が悪化していた。
親に言われたイヤなことが頭の中でフラッシュバックする。親を呪いたい気持ちと、親を信じたい気持ちで常にいっぱいいっぱいになっていた。
私たち親子は決して仲が良かったわけではない。しかし、親と子の間にある義理は果たすべきだと考えていた。
だがそれは私の思い違いだったのだ。
毒親について調べ、私の親が毒親だと知ったとき、私は部屋で泣いた。
親と話すだけで私はパニック状態になってしまい、家族の終わりを感じた。もう以前のように、愛想良くすることも不可能になってしまった。
借金完済と同時に仕事を辞めた。稼ぎはいいが、決してまともな仕事とはいえなかった。
賃貸はすんなり見つかった。アルバイトでも難なく払えるような家賃の部屋だ。
これからの私は自由だ、自分に言い聞かせた。新しい人生の始まりだと。
やりたいことがあったはずなのに、今はそれが思い出せない。
今までどうやって生きていたのか、振り返ってようやく気づいた。
私はいつも何かに振り回されて生きてきた。自分をこれっぽっちも大切にしてなかった。
ただただ時間が過ぎていく。それが恐ろしい。
結婚した友人、会社でキャリアを積む友人、趣味に全力の友人。彼らはみな、確固たる自分を持っていた。
私には何もない。それが辛い。
カプグラ症候群は身近な家族、恋人、親友など、自分にとって大切な人が、瓜二つの分身(ドッペルゲンガー)に入れ替わって見える妄想に陥る精神障害である。
こういう精神疾患があることを知った.認知症で起こるような症状なのかな
脳の認識という点で他に気になることがあって,「シュミレーション仮説」ってあるじゃん.
でもこれは物理学的に無理だっていう論文が出たらしいけど”完全論破!”ってわけじゃないらしい
思うに世界というシュミレーションが砂時計の中だとして,そこから外のことなんか証明できないでしょ
この仮説,もう「神が創造した」というのと同等の信仰だと思わない?
”自分は本当に生きているんだろうか”って自分で自分を疑わしくなることない?
誰か私が生きているっていうことを完全に証明できる人いるんだろうか
本当は死んでるんじゃないかとか,自分の見える世界,感覚に違和感を感じたり.
こんなこと考えてて調べてたら「シュミレーション仮説」なんて考えてはいけない!っていう記事見つけた.
こういうこと考えるのは無駄なのかなー.死後のことを考えるのと同じなのかも
何なんだろうこの無力感とも思える感覚,ただ抑うつ状態なだけ?
人であることが機械であることよりも優れているという信仰はもうすぐ死ぬ。
機械如きが人間よりも優れた結果など出せるものか、どうせ世界を滅ぼしてしまうだけだ、と。
そして次に怒った。
機械を壊し、自分たちよりも機械が優れているという事実を否定するために、発展する事の素晴らしさを受容しながらそれを必死にぶち壊そうと暴れまわった。
次に行われたのは取引であり、失敗に終わった。
せめてこれだけは残してくれとあれもこれもと例示しては、その全てが機械に取って代わりうる事が証明され、逆にその取引の過程で尊厳を感じるべきだと信じていた物の虚ろさすらも白日の下に晒された。
機械にいつか全てが敗北するという事実に怯え、無力感の中で日々を生きている。
データを集めてAIを作るよりも、労働者をコキ使ったほうがずっと安いという理由だけで雇われているサラリーマンが無数にいる。
彼らはその事実に薄々気づいている。
機械化・自動化に踏み切るコストに経営者が二の足が踏んでいることだけが、自分たちの首にそれなりの値打ちのする首輪が繋がっている事の理由なのだと。
そしてそれは資本家も同じだ。
機械が社会的に信用のある地位につける所にまで辿り着いてないからこそ、自分たちがまだ平等の名の元に身ぐるみを剥がされるに至っていないのだという事に気づいている。
世界を包むこの抑うつは、人類が人類であることの限界を自覚し始めたことによって生まれている。
食欲の秋〜なんて言ってし見過ごせるレベルじゃなくなってきた。
昨日はえだまめチップス小分け6袋、チョコレートのお菓子3袋、とん平焼き2人前を食べてそれでも何か物足りない、みたいな感じだった。書き出すだけで気持ち悪い。
1日や2日ならまだしもここ1週間くらいずっとだから怖くなってきた。
食べても食べても満足感がなくて常に何か食べたい状態だし、でもお腹が空いてるわけじゃない。
時間が空いたらとりあえずコンビニに行こうか、何か他に食べ物はなかったかなどと考えている。
昨日は吐こうかと思ったけどあまり出なかった。
ようは、気分の落ち込みに明確な原因があって、かといってうつ病と診断するほど症状が重いわけでもないという。
適応障害に薬は基本的には使わない。使うとしてもあくまで補助。
環境調整など、明確なストレス因にどう対処するかが主題になる。
元増田が勘違いしてるのは、うつ病でなければ病院に行ってはいけないと思っている点。
うつ病以外にも抑うつ状態になる(気分が落ち込む)病気はあるし(「うつ病」は病名であり「抑うつ状態」は状態像。このふたつは別のもの)、気分の落ち込み以外にも強迫症状があるようだけど、それによって日常生活に支障をきたしていれば病院に行っていいに決まってる。
暴言が多い人で、私に対して言ってるんじゃないんだけど、聞いてるだけで辛い
職場が辛くなってから、強迫観念も強くなってきて、何してても何回も確認しないと不安になる
去年の今頃も死にたくて死にたくて仕方なくて、さすがにヤバイのかな?と思って心療内科に行ったんだけど、うつ病じゃないって言われたんだよね
死にたいくらいじゃ鬱じゃないのか…と思って病院行くのやめたんだよ
今の状態で病院行って、また鬱でもなんでもないって言われるかもって思うと病院に行けない
心療内科って混むし、鬱じゃないのに薬は出されるし、行くなら仕事休まなきゃいけないし
【追記】
皆さんコメントありがとうございます。
皆さん優しくて読んでて泣けてきました。
こんなに死にたくても鬱ではないと言われて、私は心療内科に行く状態じゃないんだなと思って行けないでいました。
トラバにありましたが、鬱と抑うつ状態の違いも分かっていませんでした。
きちんと話せるし、不眠の症状もなかったので、鬱ではないと言われたのかなと思います。
漢方を試したり季節が変わったからか落ち着いてたんですか、上司が変わり、暴言とかを聞いていたら辛くなってしまいました。
病院に行っても良いと分かったので、前とは違う心療内科に行ってみたいと思います。
本当にありがとうございます。
・自殺念慮により自殺するため具体的な行動を行うことが「自殺企図」
漠然と「死んでしまいたい」「消えてしまいたい」と思うのは、希死念慮といって自殺念慮の前の段階です。
なので、
には当てはまりません
についてですが、彼氏は一人暮らしですので親との関係が悪くなければ実家に帰るか、親御さんに来てもらうという手段が考えられます。
(3)病状の急速な進行が想定される場合
これについては元増田に書かれた状況だけでは分かりませんよね。
精神病性の特徴が見られたり、昏迷状態に陥ってるとかならまだしも、抑うつ状態であることしか分かりませんので、今後病状が急速に進行するかどうかは分からないはずです。
なぜあなたはこれに当てはまると思ったのか知りたいくらいですね。
そしてガイドライン15〜16ページ
自殺リスクの評価に際して、最も注意すべき点が、 自殺企図が切迫しているか否か(Holma et al, 2010) の判断である。自殺念慮が強く、自殺企図の切迫しているような場合は、家族に十分注意して見守ることを伝えた上で、入院治療を考慮する必要がある。自殺の計画を具体的に考えている場合は、特に切迫性が高いと考えられるので、非自発的入院も含めて本人の保護に重点を置いた対応をとるべきである。
元増田の記事の内容からは「自殺の計画を具体的に考えている」ようには読み取れません。
よってあなたの言うように、彼氏は非自発的入院(医療保護入院)相当である、という根拠は薄いと思いますが、いかがでしょうか。
任意入院であれば精神保健指定医である必要はありませんし、なんでそんなに精神保健指定医にこだわるのか、私には分かりかねます(必要であれば任意入院から医療保護入院に切り替えることもできますし)。
少なくともガイドラインと元増田の記事を参考にする限りでは、入院が必要であるとも、家族間の信頼関係にヒビが入る可能性が高い非自発的入院を最初から考慮にいれるほど切迫した状況だとも思えません。
私は他科の医師の経験に基づいた意見よりは、最新のガイドラインのほうがよほど信頼できると考えております。
【追記読みました】
ですが病識がないこと、またはうつ病であることの否認、医療機関受診に消極的であることはかなり典型的なうつ病の症状です。
多くのうつ病患者が適切な医療を受けていない (Kessler et al, 2007)という知見の背景には、うつ病に伴う否定的認知によって、「自分の状態を改善させる上で、医療は役に立たない」という発想が生じがちで、それが医療受診に対する消極さにつながっていると考えられる。「医療機関受診に消極的なうつ病患者」 であるが故に、「治療者-患者関係の形成」がうつ病診療において、とりわけ重要といえる(American Psychiatric Association, 2000, 2010)。
だからこそ、うつ病ではそのような考えに陥りやすいんですよ、という心理教育(疾病教育)が重要になってくるんです。
病識がない、病気を否認しているというだけでは入院適応にはなりません。
ガイドライン21ページに書いてあることも元増田の記事に書かれてるまんまですよね。
例えば「仕事へのやる気が失せ、注意も集中できず、業務がはかどらない状態では、『みんなに迷惑をかけている』と自分を責めてしまうことも、無理のないことだと思います」といった「承認」である。関係が構築できた上で、「やる気が失せること」、「注意の集中ができないこと」「自責感」もうつ病の症状であることを説明 し、「何が症状か」を伝え、患者がうつ病を客観化してとらえることを促すことも重要である。
抑うつ相では「病気ではなく怠けである」「性格であるから治らない」「どうせ薬なんか効かない」、「こんな状況(例:身体の病気を持っているから、職場の問題があるから)では医療は助けにならない」といった、 否定的認知に傾きがちである(Hirano et al, 2002)。 うつ病の診断が確定した後は、この否定的認知がある ことを念頭に置きながら、治療へ導入する必要がある。