人であることが機械であることよりも優れているという信仰はもうすぐ死ぬ。
機械如きが人間よりも優れた結果など出せるものか、どうせ世界を滅ぼしてしまうだけだ、と。
そして次に怒った。
機械を壊し、自分たちよりも機械が優れているという事実を否定するために、発展する事の素晴らしさを受容しながらそれを必死にぶち壊そうと暴れまわった。
次に行われたのは取引であり、失敗に終わった。
せめてこれだけは残してくれとあれもこれもと例示しては、その全てが機械に取って代わりうる事が証明され、逆にその取引の過程で尊厳を感じるべきだと信じていた物の虚ろさすらも白日の下に晒された。
機械にいつか全てが敗北するという事実に怯え、無力感の中で日々を生きている。
データを集めてAIを作るよりも、労働者をコキ使ったほうがずっと安いという理由だけで雇われているサラリーマンが無数にいる。
彼らはその事実に薄々気づいている。
機械化・自動化に踏み切るコストに経営者が二の足が踏んでいることだけが、自分たちの首にそれなりの値打ちのする首輪が繋がっている事の理由なのだと。
そしてそれは資本家も同じだ。
機械が社会的に信用のある地位につける所にまで辿り着いてないからこそ、自分たちがまだ平等の名の元に身ぐるみを剥がされるに至っていないのだという事に気づいている。
世界を包むこの抑うつは、人類が人類であることの限界を自覚し始めたことによって生まれている。