2020-02-17

仮病のためのライフハック見つけた

 6日前、慢性化している扁桃炎を半年ぶりに発症し、いつものように40℃まで熱が上がった。扁桃炎とは、喉にある扁桃腺という組織病原体によって腫れ上がり、様々な症状が引き起こされる病気だ。そもそも免疫役割を担う部位なので、その症状は正しい反応ではあるが、僕のそれは大きすぎて、過敏に反応してしまうらしい。

 扁桃炎を初めて発症したのは大学2年生の夏頃で、それから2年半が経つ。合計で6回ぐらいは発症しているだろうか。今までの発症時期から推測すると、台風が近づく等の理由で気圧が変化したときと、気が抜けたとき発症するらしく、今回はおそらく後者だ。大学最後テストが終わり、バイト先の塾で担当していた生徒の受験が終わったことは、今までの緊張を一気に和らげたのだろう。

 そんなわけで発症した扁桃炎だが、これがめちゃくちゃつらい。基本的に40℃前後の熱が3日ほど続いて、そのあと2、3日かけて徐々に熱が下がっていく。その間、なんの生産活動知的活動もできないのでストレスは溜まるし、何より体力的に厳しい。今回も5日目まではこのルートを辿っていったのだが、6日目の今日、初めてそこから逸れた出来事が起こった。

 体温が40℃になっていた。「あれ?」と思って再度測り直しても同じ体温を示す。全く意味がわからなかった。いまだに体調は優れないものの、明らかに症状は軽くなっている。もしかしたら、高熱に対して自分感覚がマヒしてるのかもしれない。とりあえず長期戦に備え、後輩に買い物を頼む。冷蔵庫おかゆポカリでいっぱいだ。新型コロナも疑った。厚労省相談窓口に電話すると、「3つの条件のうち1つでも当てはまったら各自治体の相談センターに連絡しろ」とのことだった。全く当てはまらなかったので、相談対象者ではないらしい。

 やることがなくなり、落ち着きを取り戻してきたので、一旦ゆっくり考えてみる。なぜ体温計は体調に見合わない高熱を示すのか。体温計の故障をまず疑ったが、実際に脇を触るとめちゃくちゃ熱い。というか、脇だけがやけに熱を発しているようだ。「なんか変なことしたかな…?」と思い今日1日の行動を振り返ると、一つだけ心当たりがあった。

 朝、脇にデオナチュレを塗ったのだ。恥ずかしながら私はワキガ体質で、ワキガ用の手術はしたものの、今でも臭いが少し残っている。デオナチュレはミョウバンを主原料とした消臭剤で、良く効くので愛用していた。「ミョウバンって発熱反応なかったっけ?」と思い、調べてみると、水を加えると発熱するらしい。そこで左脇を丹念に洗い、水気を良く拭き取り、再度体温を測ってみる。

 ビンゴだった。体温計は37.8℃を示し、それは今の症状の度合いとちょうど釣り合っていた。4日後の旅行に行ける安堵感と、たくさんの買い物をさせてしまった後輩に対する若干の罪悪感を覚えながら、こんなことを思いついた。

 「これ仮病に使えるやん!」

最高の名案だと思った。ネットを調べてもこのライフハックを知る人はいない。この度が過ぎた情報社会で、こんな有用ライフハック自分が発案したという事実に震えた。ただ、よく考えてみると「高熱を示す体温計を提示することによって、休むことが認められる」という状況は実は少ないのかもしれない。社会人が会社を休むとき、わざわざ体温計を見せるのだろうか?色々と考えた結果、上記の状況が確実に成立するのは、「小中学生時代において学校習い事等を休むとき」だと考えた。

 そしてそれを考えついたとき自分中学校時代が頭に浮かんで離れなくなった。あのときに使えたなあ…と考えだすと止まらなくなってしまった。


 私の生まれ育った町は、地理的孤立しており、独自に発展を遂げたタイプ田舎だった。いわゆるムラ社会だったので、うまく周りと同調する必要があり、地理的特性故に逃げ道が全く見えない環境だった。

 小学校とき、少しいじめられた。いじめっ子に同調した言動に変えることでいじめはなくなった。3年生から野球を始めた。理由ひとつ上の兄がやっていたからという一点。家系的に代々運動神経は良かった。私だけ少し悪く、特に足は遅かったが、世間の平均と比べれば明らかに上だった。実際、高校の体育の成績は3年間続けて10点満点だった。ただ、レギュラーには一度もなれなかった。ミスが多発する少年野球性質的に、足が速くてかき回せる選手が好まれからだ。一度レギュラーの一人が怪我離脱したとき代理で2週間ファーストを務めた。めちゃくちゃ活躍した。打率は5割を超えてたと思う。でもその子怪我が治った途端、すぐベンチに座らされて、たまに代打で出る程度に戻った。ここまで層の厚いチームはめずらしいと言われたが、どうすることもできず、ただ悔しいだけだった。

 地元公立中に進んだ。Fランではない大学に進んだ人が200人中20人くらいの、いわゆる低学歴の世界だった。続けて当然、という雰囲気に合わせて野球部に入部した。同級生がグレ始めるだけでなく、既にグレている先輩との付き合いも始まった。部活顧問勝利至上主義者だった。教育的な観点は全く持っておらず、ただ自分の願望を叶えるためにやっていたような人だった。そのために、最初の段階で完全にレギュラーを固定し、補欠には何の機会も与えない。公式戦はおろか、練習試合にもまともに出さない。出すとしても2軍試合のような形だったので、相手がかなり弱く、活躍しても何の評価もされない。ただ恥をかかされているだけだった。平日全てに朝練と午後練があるだけでなく、土日も休み基本的に無いため、疲労はかなり溜まっていた。当然、授業は睡眠時間となる。

 公式戦には1秒たりとも出させてくれなかった。練習試合でも、他の上手いメンバーと一緒にプレーをしたり強い相手と対戦することはなかった。一生懸命に見える、という理由で明らかに自分より下手な奴の出場機会が多かった。片道4時間をかけて泊まりがけで遠征したとき、たくさんの練習試合が組まれていたにも関わらず、自分だけ出場機会がなかった。チームは結局、最後大会で全国まで進んだが、ずっと「早く負けろ」と思っていた。最後全国大会背番号さえもらえず、観客席に放り込まれた。やる気がないように見えるからと言われた。全国大会なので色んな人が見に来ていた。チームメイト保護者はもちろん、先生同級生も来ていた。ベンチにも入れなかったことを悟られないよう1番前の席に陣取り、一切振り向かないようにした。

 

 ずっと辞めたかった。でも辞められなかった。裏切り者烙印を押されたくなかった。唯一の社会であった学校が、自分の居てはいけない場所になってしまう。

 月に1日だけでいいから、憂鬱気持ちを抱かなくていい日が欲しかった。周りを納得させられる、部活から逃げる術が欲しかった。

 たまにズル休みをするだけなら、根本的には何も解決されてないかもしれない。現代感覚から言えば、さっさと部活をやめて他のコミュニティ持て、という解決策になると思う。でも、やっぱり中学生当時の自分にそれは難しい。あのとき、目の前で高熱を示す体温計を見せることができたら、どれだけ気分が楽になっただろうか。

 

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