はてなキーワード: 伝統とは
もう少し、「日本の都市部」で「労働環境改善」だけ考えると3案ぐらいあると思った
1.日本の器に見合っていない寿命を70歳になるように、高齢者の保険負担を3割、介護保険廃止にして若者や就労側にお金が渡るようにする
→日本が性別で区別しないといけないほど「貧しくなったのであれば」→墓場までとか、お墓というのはあきらめる
2.「働く都市部」における「現役としての役割年齢を終えたご年齢」
→田舎への引っ越しを国で促す→消費税を「社会福祉」として使っている「半共産状態の日本」なら「65歳以上引っ越し可能なはず」
3.外資をすごく稼いで「別に要らないけど..」でも「伝統的な余剰人員」までもっていけるようにする
→ただ、こいつは微妙
経済学の用語であり、大きく二つの分野で用いられている。一つはサーチ理論とも呼ばれ、求人が多いのにも関わらず就職が決まらない人が少なくない労働市場のミスマッチ状況に関して、需給関係以外の賃金、雇用条件、労働者の技能や質など様々な摩擦要因(サーチコスト)を考慮して解明した理論。2010年のノーベル経済学賞の対象となった。もう一つは個々人の要望と社会のニーズをうまくマッチングさせながら、安定的な組み合わせを決める理論であり、例えば、複数の男女の間で希望する求婚相手を効率的に見つけたり、研修医が働く病院を一定のルールに従って決めたり、生徒が望ましい学校を選択する際の仕組みでの有効性を示した。既存の社会制度や市場を分析する伝統的な経済学とは異なり、現実的な制約の下で参加者の希望が最大限かなうような社会市場の制度設計自体を行う「マーケットデザイン」という分野を切り開いたことで、2012年のノーベル経済学賞を受賞している。
コロナのおかげで会社の飲み会が無くなり、陰キャの私としては最高の社会人生活を送れていたが、
お偉いさんが、「横のつながりが消えている!リモート飲み会だ!」などとふざけたことを言い出した。
別にリモート飲み会とやらでお前ら好き勝手飲んでしゃべっとけや、という感じなら楽なのだが、
日本社会伝統の「余興」を毎回やらねばならない(なお、リモート飲み会は毎月開催される)
さらに、リモート飲み会の立ち上げを社内の会議で宣言するらしく、「幹事のみなさん、なんか面白話を各自5分くらいで話してください。趣味の話でいいので。」ときた。
会社を辞めるレベルでやりたくないしマジでやめようか悩んでいるが、とりあえず面白話とやらを乗り切らなきゃいけない。
趣味はパチスロとスマホゲーのガチャでお金を溶かすことだが、割とお堅い会社なので話せるわけがない。
何をしゃべればいいんだ。誰か助けてくれ。
キレイだし数も多すぎる。
あらゆるところにほぼ誰でも使えるトイレがあって、しかもその大半がキレイで最新型。
最近、車椅子ユーザーの公共交通を巡る論争が巻き起こったが、ハッキリ言ってトイレに関してはここまで多機能のトイレがあらゆる施設に充実し設置されている国は日本くらいしかない。
欧米だと国の威信がかかった最新設備の空港や高級ホテル・高級レストランでしか出会えないクオリティーのキレイなトイレが、日本ではその辺の公共施設やファストフード店にある。
恐らくマクドナルドやケンタッキーフライドチキンで世界一トイレがキレイで機能的なのは日本だろう。
日本すごいって言いたいのではない。
どう考えてもこれは異常だと言いたいのだ。
どこの国においても清掃という仕事は常に人手不足で募集が繰り返される労働集約産業の典型であり、一般的には知的労働や激しい肉体労働に従事できない高齢者や諸事情のある労働者が行う仕事だ。
一部のテーマパークや高級商業施設を除きそもそもその仕事自体に高いモチベーションを持つ事を想定していない仕事であり、利用者もその背景を理解した上で用を足すのが当たり前の認識である。
他の先進国における一般的な公共トイレの風景は、ホースの水圧でバーッと汚れを流して床も壁もとにかく水でびしゃびしゃのまま。
便器や洗面台や鏡面の細かい汚れやカビもそのままで、トイレットペーパーはそもそもないか日本とは比べ物にならない低品質なモノばかり。
それなりの値段を取るホテルでもロビーのトイレなんかはこのクオリティーの国も沢山ある。
何故ならトイレの清掃に高い人件費や費用がかけられてるなんて思っていないし、そもそもそうするべきなどと思わないからだ。
現実的に安い賃金に対して様々な理由や意味合いを強引に関連付けて正当性を持たせようとする圧力こそが日本の異常性の正体である。
割りに合わないことをしないのはヒトの本能だ。
ところが日本ではこの本能に素直に生きる事をよしとしない伝統があるのだろう。
日本に遊びに行きたい外国人は沢山いるが、日本で働きたい外国人はほとんどいない。
安くて品質の良いモノ・サービスを提供し続けてくれる「おもてなし」は受ける側としては素直に嬉しいが、こんな事をいつまでやっても自分自身が豊かになれる事はないのにと思う。
大学に入って、伝統芸能系のサークルに入ったら、その男尊女卑さに愕然としたことがある。
男子には許される装束が女子には許されなかったり、女性の師範代が虐められてるのを目の当たりにしたり、サークルの役員になっても業界の人達に無視されたり、OBの来る飲み会ではとにかくお酌役やらされたり、男子たちがとにかく女性の外見についてとやかく言ってきたり。
今なら「伝統芸能なら尚更そういうもんだよ」って思えるけど、当時は何も知らずに、ただ「やってみたい」っていう純粋な気持ちで入ったから本当にしんどかった。
世の中には男尊女卑の傾向が強い「伝統」があって、そういう決まり事はある程度、傷つく人が少ない範囲で守られていいと思ってる。例えば聖火リレーの途中であった女人禁制エリアとか。
でもそういうコミュニティって、大体前もって「うちは男尊女卑です」って教えてくれない。「男女平等ですよ〜」って顔してて、調べても中々出てこなくて、いざ内部に入って初めてその不文律に殴られたりする。就活の時も、募集要項にはないけど女子はこの職種になれない、みたいな情報が先輩伝いにわかったりしたことも何度かある。
せめて男尊女卑の体制を維持したいなら、こっちも避けて歩きたいから、それを大っぴらにして欲しい。そういうのを守りたい人達だけでやりゃいいのに、変に隠すから、私みたいに入って勝手に傷ついてしまう人が出る。そういう人が「ここに行ったら差別を受けました!」って対外的にアピールするの、内部の人もめんどくさいでしょ?ほっといて欲しいでしょ?
ならせめてもっとわかるようにして欲しい。こっちはこっちで、別のところを探すから。どうか表面だけの男女平等を騙らないでほしい。
男女雇用機会均等法(1986)で「女性の社会進出」というフェミニズムの具体的課題が一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズムの売れっ子研究者達は社会における女性表象の批評や男性性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性の貧困というリアルなテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗(彼女はフェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このときも専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇・給与で)働く女性になれば、女性の生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃんと評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的にバカにしてる、みたいな。
「女性の貧困」というテーマについて地道に調査・研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達が上野千鶴子や小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブなフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌(模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム』栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。
あと、もうひとつ女性の貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカーの問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASHの要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方の女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。
いまは働く女性、専業主婦、セックスワーカー、みんなを支えるような「お金と労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治生まれで、山川均の妻で、戦後は労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子と平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性の労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前に家事と育児の社会化を主張し、60年代に日本の高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代に北欧の福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。
その彼女の名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場の女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム/女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄の精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性の生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。
あと「弱者女性と弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性と弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
良い分類と整理だと思う。
「弱者の男性」問題は、議論が深まり社会の認識がされていくことを期待する。
だが、今、はてぶで吹き上がっているのは「弱者の男性」問題ではなく「強者ではない男性」問題。
たとえ社会的成功を収め、人間関係に恵まれていても、その自意識に自分は弱者であるという意識があれば弱者男性になれてしまうのだ。 |
「強者ではない男性」問題で当事者の不満をブコメを参考に分類した。
2.恋愛強者または高所得の女の方が社会的弱者とされることへの不満
3.強者男性や恋愛強者または高所得女に比べ、社会的な承認が得られていない不満
1は、自由競争を基本原理とする資本主義社会を前提にすれば、女はともかく、金は仕方がないのだ。
(女の問題は3で後述する。)
この社会で「人権」として認められるのは「健康で文化的な最低限の生活」までで、俺の知っている強者男性と同じだけよこせといっても認められない。
この不満を解消したいなら、資本主義を否定し新たな社会主義革命を目指すしかない。
(一方、伝統的な社会主義国でもこの不満は解決しないことは歴史が証明しており、新たな社会主義でも同様だろうという私見を持ってはいる。)
2だが、そもそも「特定の属性」を持つ個人を、その属性を理由に冷遇することを差別といい、被差別属性を持つものが社会的弱者である。
元増田が整理したように「強者ではない男性」の属性は特定不可能なので、「強者ではない男性」全体を被差別集団には認められない。
一方、女性は、女性であるという属性を理由に、入試問題やセクハラ問題などの冷遇を受けていることが明らかになっている。
いや、自分は貧困属性があるという「強者ではない男性」には、「貧困属性は男女問わない。貧困男性と貧困女性は等しく扱う」という回答になる。
(恋愛については3で後述する)
3だが。
社会的承認や尊敬、周囲からの愛情や好意。異性からの恋愛感情といった物は、社会資産として分配出来ない。
社会は各々人権を持つ個人の集合体で、各個人は自分の幸福な人生を追求する権利がある。
人権の衝突と主張をする増田もあったが、異性を女と固定して男への世話役を要求するのなら、そもそも衝突ではなく一方的な女の幸福追求権の侵害だ。
かつ、社会でうまく他者と関われない個人はいるが、その属性は男女を問わない。また、男だから、女より社会的承認や異性からの愛情が多く必要だという事実はない。
対人スキルが平均より著しく低い個人に対し、社会的な支援は用意されるべきだが、それは、対人スキルのトレーニングといったものになるだろう。
/*追記
朝起きたらブクマがいっぱい付いててびっくりした。これは、素人増田の素人論考です。増田本人は無宗教、消極的な無神論で、円滑なコミュニケーションのために宗教行事に喜んで参加します。身近には浄土真宗、浄土宗、日本のプロテスタント福音派、ゆるふわユダヤ人などがいます。
追記*/
無神論と無宗教(≒特定の宗教に強くコミットしていない)は違います。
無神論は、神はいないという"積極的な"主張であり、ひねくれた言い方をすれば「無神論教」と言えます。
ちなみに、「カトリックが自由な感じではなく、プロテスタントが自由な感じ」というのも偏見のように思います。
(おそらく、自分自身はカトリックの教会に行ったことがなく、周囲のプロテスタントからそう聞かされているだけでは?)
仏教について
仏教は、立場にもよるが、本来的には神のような超越存在はいないと考えていると思います。哲学に近い。
神道について
ご存じ八百万の神なので、多神教。そもそも1人(1柱?)ではないし、「私"だけ"を信仰しない者、異教の神を信じる者は滅びる」という嫉妬深い神はいません(or少ない)。そもそも、日本語の「カミ」というものは、本居宣長の古事記伝第3巻によれば「すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさを)しきことなどの優れたるのみを云ふに非(あら)ず、悪しきもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神とは云ふなり」となっていて、今っぽく要約すると「SUGEE存在全般」という意味でしょうか。アブラハム系の神とは大きく違います。
特定の一宗教にコミットすることを求める一神教に対して、上記の通り仏教は厳密・本来的には教義の無神論であり、神道は八百万である点が大きく異なると思います。神社に行って賽銭を投げても、仏教葬式に参列しても、そこにいる超越存在"のみ"にコミットすることにはならないのだと思います。
いわゆるリベラルとされるグループでは都合良く「ゆるふわ」で通るかもしれませんが、福音派とかであればそうもいかなそう、と思うのは私の偏見、、でしょうか。
以下、追記
watchcat
まったくその通りですね。「強くコミット」っていうのが違うのかな。特定の宗教を信仰している意識があるかどうか?多神教&掛け持ちOKの宗教だと話がややこしい。
cameraojisan
無宗教≒特定の宗教に強くコミットしていない、って広く共有されてる感覚なの?元増田は「それゼロじゃないじゃん」という主張だと思ってた
ごめんなさい、適当にレスポンスしただけです。こんなへぼいテキストに反応が集まってしまい申し訳ない。
ak248
多神教的考えや習慣を一神教の人は理解できないってことかな。あとカトリックの方がプロテスタントより厳しいルールが多く、信者以外は行事に参加できないと思ってたのですが違います?教えて詳しい人
カトリックの方が伝統や慣習を重視していると言う点で、厳しいルールが多く見えると言うことかも?プロテスタントにその種のルールはないが、ゴリゴリの福音派だと聖書に従って生きるという(別の種類の)厳しいルールがあると感じる。
私はクリスチャンです。といってもカトリックのような懺悔だとかミサがあるわけではなく、割と自由な感じのプロテスタントの教会のクリスチャンです。日曜礼拝とかあるけど、サボってもそんなに怒られないし、私自身日曜礼拝サボりまくりのダメダメクリスチャンなんですが。だいたい神様を信じたら、だいたいの「やってしまった!でも悔い改めるわ!」で神様は許してくれるのでな?ゆるいぜキリスト教プロテスタント。
こういう感じで、ゆるふわに神様を信仰しています。教会や宗派によっては厳しいとこもあるみたいですが。
で、なんとなく、増田にでも書いて、すっきりしようと思って書くのです。それは、日本人の宗教観についてです。日本人は無宗教だといわれますが、私にとっては違和感しかありません。
というのも日本人って、なんとなく神を信じていてなんとなく信じていいないだけなんじゃないかって思っていて、それは無宗教でもないよねというか。
たしかに私のように一つの宗教を信じているって日本人は少ないと思います(一つの宗教を信じている中にも私のようにゆるゆるふわふわ信仰している人もいれば、ガチ信仰している人もいるんですが)。
でも全く宗教を信じていないってわけでもないなって感じます。それはよく言われるように「初詣で神社に行ったり、お葬式に出席したり、結婚式をチャペル」みたいなことをするけど、「宗教を信じていない」というのから来ています。
私にとっては意味が分かりません。矛盾しているのです。本当に宗教を信じていないならば、神社に行ったりなんかしないはずです。
また、アニメや漫画を見ていても、「神様」みたいなキャラクターが出てきたり、神話みたいなものも抵抗なく受け入れているのを見て、それって無神論者であれば受け入れられないと思います。
それが古くからの伝統だから?慣習だから?みんなやっているから?と答えられますが、それこそ私にとっては「宗教の信仰」なんですよ。
私の家も古くからキリスト教を信仰しているから家の慣習で私もクリスチャンやっているだけなんですよね。
神様も「ぜったいいる!!」みたいな感覚というか「ああ、なんかいるよね~」って気分で信仰しています。
ずっと解消されない疑問で、つまり、「無宗教」「なんの信仰もしていない」ってのになんで、みんな神社言ったり、お寺言ったりしてるでしょうか?という疑問が未だに解消されないので、ここに書いてすっきりしたいと思っていますがすっきりしないな。と。誰かすっきりさせてください...
※追記
みなさんのコメントを見て、なんとなく理由が分かってきました。ありがとうございます。ですが、同時に私の疑問をもうすこしはっきり言語化すると、
例えば、みなさん、神社にお参りに行きますよね?その時に、手水で手を洗って、2回お辞儀して、2回拍手するらしいですね? それでお賽銭?というお金を投げ込んで、なにかお祈り(願いごと)をするらしいですよね?(実際には私は一度もお参りをしたことがないので実態が分かりませんが、人から聞いた話によるんですが)
これって、まさに何か信仰していないとできないことだと思うんです。でも、日本人は「無宗教」だというのがよく分からないのです。無宗教なのに、お祈りしてしきたり守って挙句の果てに献金(お賽銭)までしてる。
お葬式なんて、仏教の行事で、なにかお坊さんがお経を唱えるのを訳も分からず、ずっと聞いているらしいのですが、僕らからすると牧師さんのわけのわからない説教を聞くのと同じようなもんじゃないかと。(ちなみに、余談ですが「教会に行くと洗脳されそうで怖い」って言われたりするんですが、「お経を聞いて洗脳されないの?」というのと似たような疑問を持ったりします。あと話が逸れますが、お坊さんのお経って日本語じゃないらしいのですが、なんで日本語で唱えてくれないのでしょうかね?だれも文句いわないんですか?)
でもコメントをみる限りそういうのを信仰と思っていないとか、「信仰に自覚的ではない」んだなと理解しました。もしくは、「他の熱心な信者に比べると、信仰していないので無宗教」という感じですかね?
JRの車椅子乗車拒否の記事を見て、内容的にはあまり関係ないが思うことがあった。
私が入学した高校の1年生のクラス、出席番号後ろの子が車椅子ユーザーだった。先生からはその子の身体障害についての説明と、高校生活での関わり方をクラス全員に話された。
その子にはヘルパーさんが付いており着替えやトイレの補助はヘルパーさんがしてくれる。だか常にヘルパーさんがいる訳ではなく、移動教室などは生徒が手伝う必要があった。
入学して1週間後、クラス内のグループもある程度できた頃、先生に移動教室の補助を手伝うよう言われた。出席番号が前後で授業で関わることも多かったからだろう。グループの友達2人も着いてきてくれて、4人で話しながら移動教室へと向かった。
それから自然とヘルパーさんのいない時の手伝い=私となった。最初のうちは嫌でもなく、むしろ他の生徒とは違う選ばれた私、のように愚かにも優越感を抱いたりしていた。しかし、それも1ヶ月、2ヶ月、半年と続いていくと次第に疲れというか面倒くささが湧いてくるようになった。初めは一緒に居てくれた友達も、「先行っとくね」と言うようになった。移動教室にはエレベーターを使うのだが、東棟の奥にしかないため移動に時間がかかるのだ。予習や課題を授業前に慌ててするタイプの友達にとっては煩わしい時間だっただろう。もちろん私だってそういった時間が欲しかったが、他の子に頼もうにも厄介者を押し付けるようで気まずかった。その子は私以外にあまり話す人がいなかったのも一因ではあるが。
担任との面談の機会も何回かあったが、その子の補助係については何も触れられなかった。大変だね、ともいつもありがとう、とも。逆にそう言う事でその子を差別している事になると思ったのだろうか。そういえば担任は、健常者が障害者を補うことが当たり前になって欲しいと入学当初語っていた。私がその子の補助をすることを、喜んでまでとはいかないが、まさか嫌がっては無いだろうと思っていたのだろう。面談で補助係嫌です。疲れました。と言えたらよかった。言えなかった。言ったら差別になるから?不親切不道徳?わからないけど、他者からの評価は悪くなるだろうという事は悪い頭なりに理解していた。別の日に、周りの子に手伝い大変だね、と言われたことがあった。そこでもそうなの!本当はやりたくないのに押し付けられてるの!と言ってはいけないこともわかっていた。愚痴る事すら憚られた。相手が社会的弱者でこっちは強者だから。
私の高校は3年間クラス替えが無かったので、結局私の補助係は3年続いた。
文化祭で、3年生は体育館で出し物をするという伝統があった。私たちのクラスはダンスがしたいという話になった。しかし、出し物は全員参加のため、ダンスだと車椅子の子が参加出来ないという事で却下され、結局舞台劇をする事になった。
これには本人も申し訳なさそうにしていた。決してその子の存在が悪いんじゃない。けれど、結果としてその子がクラスの足枷になってしまった。
私だって移動教室の前に購買に駆け込んでパンを買いたかった。友達とだらだら話しながら歩きたかった。小テストの勉強をしたかった。高校のこともその子のことも嫌いではないが、どうしても私は3年間"貧乏くじ"を引かされたような気がしてならない。きっとその"貧乏くじ"を引くのは誰でもよかった。健常者なら。それが今の社会である。
最近は社会が"差別"に非常に敏感になっていると感じる。障害者差別、性差別、人種差別…etc 弱者側に目を向けるのはいい事だと思う。差別を無くそうとするのも。けれど、その差別に敏感になるあまり、"強者側"の権利が虐げられるのはどうなんだろうか。
(自分の書いた文を読んで思ったが、1番差別に囚われてたのは私かもしれない。思い切って補助係を断ってもよかったのかも。てへ)
追記 4/6
沢山の反応があってびっくりしてます。私は障害者の否定や差別がしたいわけじゃないです。ただ高校でこの様な経験があって、障害者の存在を疎ましく感じてしまったことも事実で、これ以上このような出来事が増えないといいなと思っています。綺麗事じゃない、経験した人にしかわからないことを伝えたくて書きました。今思うと高校かなりクソだな。学校のあり方社会のあり方個々人の意識を変えてかなくちゃならないよね〜〜
一つ訂正すると、その子は一応自分でも車椅子は漕げました。けど万一こけた時とかの為に誰かが傍にいる必要があったんです。坂道や段差もあるし。実際その子が漕ぐのと私が押すのは半々くらいだったかな、これについては私の書き方が悪かったです。その子が漕いでる時は周りからしたらよくある友達同士の移動中の風景に見えたかもね。。。