はてなキーワード: 伝統とは
中学時代、下着の校則違反を数えて、体育祭の得点から減点するという「伝統」があった。
悪質なのは、それを生徒同士で監視するシステムになっていたこと。
違反者は教師にチクられ、その分がのちに体育祭の持ち点から減点されるという決まりなのだ。
赤組・白組それぞれの減点数は日々校内で告知され、連帯責任を煽る構造ができあがっていた。
もちろん、これに反抗する生徒は多かった。
二年生のあるとき、体育祭の出し物を決める学級会のなかで、この制度はおかしいという話になったことがある。
やがて「そうだ、そうだ」という声が教室のあちこちから起こる。
いま思えば、先生自身もこの制度はおかしいと思っていたのだろう。
しかし、新人の立場ゆえ学校の方針に逆らうことはできなかったのだ。
すこし黙って考えたあと、彼女は落ち着いた声でこう言った。
端的にいって、先生は毎日のようにエッチな下着を履いていたのである。
赤、ピンク、紫、Tバック、紐パン、ハイレグなど、色とりどりの大胆な校則違反によって、いままでにない大規模な減点が生み出されていった。
そして私たち生徒は、その集計に追われる日々を送ることとなった。
集計にあたっては、色や形状など要素ごとに配点が決められていたので、その日の下着をよくよく調べる必要がある。
たとえばレースの場合は1ひだ5点の設定なのだが、先生は前後に幾重にもレースの連なったピンクのパンツを履いているときもあって、それを数えなければならない。
このときは最終的に84ひだで420点に決まるかと思ったのだが、その後ピンク色は減点2倍だというルールの存在が判明し、結局840点という結論になった。
こうして、体育祭を迎えるころには、16450点という天文学的な減点が積み上がっていた。
さて、ここで問題になるのが、私たちの先生は赤組・白組のどちらに属すかという問題である。
この中学では、体育祭の当日まで、先生たちの赤・白は決まらないことになっていた。
事前練習中の不公平感をなくすためか、最終種目である「教員リレー」のときにはじめて、赤・白がクジ引きで決定されるのである。
両チームともに熱戦を繰り広げ、お互い一歩も譲らない戦いとなった。
「教員リレー」の時点で、赤542点に対して白551点と、白組が優勢。
この種目ですべてが決まるのだという緊張感があった。
先生はどちらのチームなのか。
入場ゲートに全校生徒の視線が集まる。
そうだ。
それでも私たちは、落胆などしなかった。
「先生、がんばれ!!」
声援がどこからともなく起こり、増えていった。
それはやがて大きな波となり、校庭を包み込んでいく。
そうして積み上げられた16450点の減点。
こうやって先生が私たちに教えてくれようとしたのは、この校則の不条理ではなかっただろうか。
歓声の渦に包まれながら、先生は猛スピードで左コーナーを走る。
まさに瞬足だ。
……こうして赤組は「教員リレー」に勝利し、10点を獲得した。
しかし、不思議と負けた感じはしなかったことを、いまでも覚えている。
それから数十年、私もいまでは大人になり、日々エッチな下着を履くようになった。
復帰49年沖縄の課題にどう取り組むか?河野太郎沖縄相インタビュー全文【WEB限定】 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321874.html
さすがに全文引用したら怒られそうなので、沖縄の貧困解決へ向けての取り組みについて、沖縄タイムスでは触れられなかった部分のみ引用する。
―「子どもの貧困対策事業」については、貧困の連鎖の根本的な解決にならないとの声も上がる。今後の事業存続の可能性と、新たな貧困対策に取り組むべきかどうか。
(河野)「コア(中核)の原因にいかないといけない。対症療法だけではなくて根本をどうするという議論をしていかなければいけない。そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」
―先ほど発言のあった「母子家庭を少なくする」が具体策の一つか。
(河野) 「そういうところがある。コアが何なのかというところにいかないといけない」
(河野) 「それは要するにスタートしているのはそこの部分は相当ある。生活も安定し、親としてしっかりやっていけるという2人が家庭を持つというのは非常にいいことだ。それでも出生率が高いのが喜ばしい」
―新産業ということで、若年層の雇用創出、所得向上で具体策は。
(河野) 「一つは『沖縄の若者はみんな英語ができるぞ』という、要するに沖縄や日本のどこかで働くだけじゃなくて、行こうと思えば、世界のどこでも行ける。それが一つ大きいと思う。その機会はあるわけだから。やはり、そこに力を入れるというのは沖縄の歴史からしても『万国津梁』という伝統がある。沖縄の若者に「世界を目指せ」というのは歴史に根付いている話だ。東南アジアで仕事したって中東に行ったっていい。そういうやる気のある能力のある子どもがむしろ高校・大学から外に出るのを応援してもいい。海外で成功した人がまた沖縄に戻り、次の世代にバトンを渡していけばいい」
(河野)「教育が大事だ。渋沢栄一の大河ドラマを見てもそうだ。いろんなものがある」
(河野) 「OIST(注:沖縄科学技術大学院大学)並みの教育機関を持ってくると当然、研究者もいるけれども、その機関を支える人も必要になる。そういう所にも雇用の機会は生まれる。外国語の習熟度が高まれば、観光産業だけでなく、いろんな産業にチャンスができる。沖縄の人がみな言語が通じるとなると、海外企業から見ても、進出先にもなり得る」
つまり、ブックマークコメントなどで多数見られた「貧困対策や雇用対策をするのが先だろうー!」というのはお門違いもはなはだしく、
貧困対策はそれはそれでやるよ、と言った上での、若年妊娠を避けるための性教育や、英語教育その他『も』行っていく、が主旨だ。
あと、「若年妊娠率を下げる/母子世帯の発生を抑える」を、勝手に「自民党的家族観の押し付け」と読み替えている者もいるが、真逆だよ。
性教育という科学的知見を広めることによって、個々のカップルの意思を尊重した上で自立させることでそれを回避したいという話は、自民党的家族観の否定に他ならず、
そもそも沖縄タイムスの引用部分にすら「沖縄は家族の支える力が強く、親族らの支援が手厚い部分があるかもしれないが、そこに甘えては駄目だ」との河野自身の発言がある。
なぜマスメディアは、いちいちこういった面倒を生む、恣意的な引用を行うのだろう。
そして情報を受け取る側も、AとBは両立可能なのに「Aだけ言ってBを言わなかったなー!(実は言ってる)」とか、「Aに触れるとは何事だー!」という、議論を硬直させる批判はもうやめようよ。
はてなから、次第にメディアリテラシーが失われていくのを見るのは、長年のユーザーとして悲しいものがある。
沖縄の構造的貧困については、沖縄大学准教授樋口耕太郎氏のこの辺の記事が参考になる。
沖縄から貧困がなくならない本当の理由(7)貧困の合理性(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300288)
「変われない沖縄」が生まれ変わるために(https://politas.jp/features/7/article/406)
性教育が果たしてこの構造的貧困の解決にどれだけ効果があるかは疑問だが、この文脈で言えば、全く正攻法ではあるとは思われる。
【追記】
【識者談話】「母子家庭になるな」は国の責任放棄 上間陽子氏(琉球大教授) - 琉球新報デジタル
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321729.html
沖縄で未婚の出生率が高い歴史的背景には、沖縄は米国の占領地だった時期があり、バースコントロール(産児制限)が効かない中で子どもを産むことが形成されていったことがある。
いやだから性教育を、と河野は言っているのだから、何も間違ってはいないでしょうが。
インタビューの全文を参照するなら、これは言い掛かりに近い。
突っ込むべきは、むしろ母子世帯を減らすために、性教育が果たして有効なのかといった所の方だろう。
あと、b:id:le_cinema 氏やb:id:aya_momo 氏、わざわざ太字にした部分が読めないのかな?
都合のいい解釈とかじゃなくて、河野が普通に「そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」と言ってるだろ。
「母子世帯を支える」貧困対策は、母子世帯を減らすという文脈と全く独立して述べられていることが分からん?
こういう脊髄反射で書き散らかしたコメントに星を付け合うの、ホントはてなを劣化させるからやめようぜ。
【追記2】
1日経って、トラバやコメントの反論見てみたけど、いやー酷いもんだね。
ちゃんと「理」を示して反論しようよ。ていうか、あっちもこっちもほとんど読んでないだろ。
理詰めで反論してくれてんのは、Pgm48p氏だけだよ。これはありがたい指摘。
反論てそうやってするもんだよ。
これホントなの?
本当はカニクリームコロッケとかカレーコロッケのようにおかずというよりは主食に近い扱いだったんだね
日本だとどちらかといえば副食でご飯のおかずに食べるから何でそうなったのかよく分からない
大正時代には既に今日もコロッケ、明日もコロッケ、コロッケコロッケ~♪という歌が流行ってたそうだしコロッケが日本食の一つで既に100年か100年以上経つ伝統的なおかずだった
それを踏まえたらおかずとしてのコロッケに対するフランス料理の主食としてのクロケットの違いって何だろうね。
安くて食べ飽きない安心する味わい、コロッケ。皆大好きコロッケ。アレルギーの人や偏食家以外の日本人は皆大好きよね、コロッケ。
グローブボクシングならパンチはガード出来るが、ほぼ素手の状態でパンチはガードできない。
それを見逃すとしても、セスタスの戦い方はボクシングによくある「打たされている」状態で、打ってるほうが圧倒的に疲れる。それであそこまで冷静さを保っているエムデンがこじ開けられるってことはあまりない(といっても井岡一翔×田中恒成で中盤田中恒成は井岡をのけぞらせていたので、例外はある)。
中盤以降はルール無用の喧嘩ならではの首根っこへの危険な骨の殴打。
どちらかと言えば中拳に近いのでこの作者は中国拳法も知ってるとみた(八極拳か太極拳の打撃法)。
実際あれはかなり危険。ハイキックに見せかけて延髄に落とすように蹴り落とすとか。
一回軽くやっただけで「横から来ると思ったら後ろに来たのでびびった」といわれたことがある。
あと後半は作画上(3Dだけど)仕方ないけど、あんな足止めて打ち合うことはない。
最後の首への攻撃は伝統空手の手刀をパウンド風にしたもの。やっぱ研究熱心だと思うこの作者。
あとボクサーで変則的な動きの相手はリズムが作りにくくやりにくいといわれる。
どちらかと言えば自分は男系支持派で、男系の続く旧宮家を復活させて今の女性宮家と結婚させてでも男系は繋いだ方がいいと思っている。
しかし、こんなことを考えるのはタブーなのかもしれないが、これまで男系が繋がっていたという証拠は本当にあるのだろうかと疑問に思うことがある。現代の遺伝子が父方の方で繋がっているという男系の考え方は、言ってみれば19世紀のダーウィン以後の遺伝子というものが生殖を通して個体に継承されるという発見を踏まえた考え方であって、江戸時代やそれ以前にそんな現代的な意味での男系が本当に尊重されていたとは考えにくい。
例えば、戦国時代の立花宗茂とか、大名大友家家臣の立花道雪に息子がいなくて同僚の髙橋紹運から養子として貰われてきて立花家を継いでいる。もちろん実子の娘と結婚して婿養子として家を継いでいるのだが、血が繋がっていなくても養子にすれば家としては存続できる、というのが当時の普通の考え方だったように見える。血の繋がりよりも形式上の家の方を重んじるというのは現代では理解しづらいが、まだダーウィンの発見を知らなかったと考えれば理解できなくもない。
現代でも、政治家とかを見れば例えば安倍晋三の弟の岸信夫とか、岸家を継ぐために母方の岸家に養子に入ったりしている。庶民から見たらめちゃくちゃだが、伝統的な家柄ほど家というものが大事なのかもしれない。戦国時代やそれ以前からの古くさい考え方が今も残っているということだ。
問題は、血の繋がりよりも家、というのがコンセンサスだった長い長い時代の中で、どうやって天皇家だけ現代的な意味での男系という概念が維持できていたと言えるのか、ということだ。一応神道の宗主の形は取りながら室町以降歴史の裏方にいた天皇家で、本当に無垢に男系が維持できていたと言えるのか。権力欲剥き出しの藤原摂家たちが側近にいる中で(しかも母方で見たら既に藤原氏と血縁で混じり合っている中で)、どこかで養子に置き換えられることなく連綿と純粋な男系を維持できてきた、と言えるのだろうか。(陰謀論に踏み込まずにこの論を考えるのは非常に難しい面もあるのだが。)
好意的に見るならば、そうした科学的な男系の立証は不可能だが、たとえどこかで置き換わっていたとしても同じく歴史上重みがあり天皇家の親戚でもある藤原氏(近衛家、一条家など)の子孫だから問題なし、ということだろうか。たぶん、現代においてどこの馬の骨とも知れない庶民から男系を奪われるのとは較べるべくもない、ということだろうか。
ふざけるな、自分が何を言っているかわかっているのか、犯罪行為を助長するな、人殺しめ、とあなたは言う。
そりゃそうだ。だが、実際には道端にゴミを捨て、自治体の要請に従ってテレワークなどせずに出勤したほうが得られる利得が多いから、そうしている人が多いだけの話だ。
道端に電子レンジが捨ててある。清掃事務所が見つけてシール貼っていったらしい。「これは粗大ゴミです。申し込みをして廃棄を云々」の文字が虚しい。しばらくして同じ道を通りかかると、電子レンジが消えている。結局、清掃事務所が持って行ったからだ。
誰が電子レンジの処分費用を負担したか? 回収コストは税金から充填された。つまり、あなたが住民税を払っているなら、処分費用を払ったのはあなただ。一方で、粗大ごみの回収券を買わずに無料で電子レンジの処分に成功した人もどこかにいる。
不法投棄は法律で罰せられ、罰金または懲役が待っているとしても、捨てているところを見つからなければよいだけの話だ。そして不法投棄は実際に起こる。不法投棄をつねに監視するコストよりも、不法投棄にその都度自治体が対応し、税金で処分費用を充てんするほうが、トータルで見て安いからだ。
不法投棄を完全になくす方法がある。それは、いつでもだれでも無料でゴミを捨てられるようにすることだ。もちろん、そのゴミの処分費用は、あなたが払う税金で負担することになる。そうすると、毎年の住民税は上がるかもしれない。
そんなことは認められない? それなら、日本伝統のよい方法がある。『ゴミをめったやたらにそこらじゅうに捨てないようにしましょう』という市民道徳で市民を縛っておいて、自治体に余計なカネを出させないことだ。もちろん、電子レンジを道端に捨ててしまう人も出てくる。そういう逸脱行為には、こっそりと税金から処分費用を負担しておいたほうが、おおっぴらにタダでごみを捨て放題にするシステムよりも、トータルで見て低コストだ。
一般市民が善意を持っていると想定して、それによりかかるシステム下では、「ルール」を破ったほうが得なのだ。
テレワークをしないほうが得になる状況も、ゴミと同じ論理だ。出勤を控えてテレワークをするようにと自治体が要請している時に、朝の通勤電車は相変わらず満員だ。なぜか。テレワークを無理にしなくても会社は潰れないし、家でじっとしていたところで誰かが補償金をくれるわけでもない。
世の中の誰かが出勤を控え、その社会的費用を負担してくれるに違いない。誰もがそう思って電車に乗ると、いつも通り混んでいる。
秋になる前には三峡ダムが決壊して中国は滅ぶってあれだけウッキウキだったのに、あの話はどうなったの?ねえ?
ダムが歪んでるだの、すでに放水して沈んだ村が1つや2つじゃないだの、あんだけ陰謀論垂れ流してたのにもうダンマリなの?
ネトウヨなんだから「本当は三峡ダムは決壊しているが中国共産党が隠蔽している」くらいのことは主張しなくちゃ駄目じゃない。
中国のコロナ対策だって、共産党が隠蔽しているんでしょ?ネトウヨ的には。
経済成長も中国共産党が全部改竄してたことになってるんでしょ?
あなたたちネトウヨの大好きなウツクシイ国ニッポンを超えて中国が世界2位の経済大国にのし上がって世界中に影響力を持つようになっても、
中国共産党が経済成長を捏造してるってことにして明日にも中国は滅ぶ、って陰謀論を頑張らきゃ。
古い伝統が大好きなんでしょ?もう20年以上続いている由緒正しい中国すぐ滅ぶ論をしっかり守ってくれなきゃ困るよ。
しっかりしてよ、ネトウヨさん。
https://anond.hatelabo.jp/20210118163826
これ、書いたもんです。書いて投げっぱなしてすっかり忘れてて、やたらと反応をいただいてて驚きました。
この時の私は、とにかくこの出来事による苦痛をどこかに吐き出したくて、でも卓メンバーや人の目に留まるところで吐露するのもはばかられて、匿名になるここに必死に吐き出したのでした。
おかげでそこそこにすっきりして、また卓メンバーも気さくに一緒に卓を囲んでくれて、本当に救われました。
ブクコメで「GMが悪いのでは」みたいな事を書いている人がいますが、それは断じて違います。むしろGMは、私の出目による処理をとてもしっかり考えて描写をしてくれて、せめて無駄にならないようにと最大限の努力をしてくれました。
その判定、ご丁寧にシナリオに「振り直しは認めないものとする」って書き込みがあったんです。7版のプッシュも認められてないようで、要するに一発勝負なんですよね。だからGMは降り直しはさせず、出目に従いながらも最善の手段を取ってくれました。
ゆえに、今回のGMさんに何の非もありません。むしろ、とても素晴らしいGMさんです。私も見習わなきゃ行けない。
ですが、最終的にはこの衝撃的な出目に私も頭が真っ白になってて、RPどころじゃなくなってたのは事実です。そればっかりは、今思い返せば本当に申し訳ない。
「それ幻聴だよ」ってコメント、全くその通りです。私を弾劾する言葉なんて一つもなくて、みんな気遣って声をかけてくれていたのに、当時の私にはそれを判断する冷静さが全くありませんでした。
それに、その後の卓内で「あいつは大事なところでファンブルするから…」みたいな事を冗談まじりに言われてたのも、それなりに効いてたのかな〜なんて思います。
私は、CoCにおいてロストは当たり前の事と思ってます。別にロストする事に文句があるわけじゃない。
この出来事を通して私は、何の価値もないロストってのも存在するんだなと噛み締めちゃったわけです。それまではなんだかんだ、みんなで作る空気感によって必ずドラマが生まれるようなロストばかり経験していたから。
TRPG歴、浅いんです。経験がひたすらに足りなかったんだと実感してます。むしろそこでとびきりドラマチックに物語作りできなきゃ、まるで意味がない。
CoCやらなきゃいいだろという声もあります。それもごもっともですが、卓は1人ではできないものです。周りは皆CoC、私だってまだまだCoCが楽しみたい。
だからせめて、自分なりにその中でできる自由な、最大限の遊びを……と思っていたんですけど、本当に経験不足甚だしいってとこですね。
そう、まさに「経験不足」。
今、自分で書いたものを読み返してみれば、問題があることはよくわかります。
TRPGは、ゲームだ。確率に委ねるゲーム。ダイスはゲームの幅を豊かにしてくれる。ただの声劇をやってるわけじゃない、ゲームなんだから。失敗することもある。それをこんな風に言っちゃいけない。認識が甘すぎる。
私は、まだまだこのゲームが楽しみたい。底が見えないこの遊びには無限の可能性があると思ってるんです。しっかりとルールに則ったクラシカルなものから、柔軟な発想が光る真新しいものまで。大昔から遊ばれる伝統あるルールから、現代に生み出される斬新なスタイルまで。
TRPG、楽しい。楽しすぎるんです。こんな楽しい遊びを、出目のひとつやふたつで痛い思いをしたからってこんなふうに書いちゃうのはあまりにもったいない。
大した期間ではありませんが、この記事を書いてから今に至るまでには多くの反省と成長がありました。生まれて初めて書いた匿名記事で、これがその続きで、今後また同じようなものを書くことはないでしょう。
ですが、コメントも全てきちんと読み通し、自分が感じた反省点と照らし合わせて、全てちゃんと、受け取りました。それだけはこうして書き記しておきたかった。私が間違っていました。
ですのですみません、もう少しこのゲームを遊ぶ事をお許しください。細々とではありますが、またダイスの出目にでも委ねた先でお会いできたら嬉しいです。
弱者男性差別はそもそも「弱者男性」が「被害を受けた」という主観的な主張をベースにしている以上、どれだけ議論してもまともな対策に繋がり得ないし、「みんな相手の気持ちを考えて発言しましょう」以上の道徳的な結論にしかたどり着かない。
なぜか
例えば女性差別や黒人差別などの伝統的に議論されている差別を考えてみよう
女性、黒人などの属性は誰がみてもわかるし、その属性は不変である
この本人の努力ではどうしようもない属性に対して、社会や集団が構造的に差別を行っているのであれば、それを制度として是正していくべきだ、というように議論が発展していく
一方「弱者男性」というのは、その名称からもわかるように相対的な「弱者」という属性がついている
この強者↔弱者という関係性において、当然弱者には不当な扱いを受けているという観念が内在している
極論を言えば「おれは差別されているから弱者男性だ」というところにしか行き着かない
そして弱者男性を自称している以上、どんな処方箋を提示されたとしても
なんの知識も経験のない素人が日本画に手を出そうとすると、古来より連綿と受け継がれてきた天然の鉱石を粉末状に砕いた顔料を買いそろえないといけないところでまずめんどくさいと思う
水干絵具を乳鉢で溶いたり、絵皿の上で膠液を練り混ぜるのも面倒くさい
日本画調絵具という角皿に入れられた固形の絵の具なら手軽に使える
日本画に使える和紙は高いだろうし、筆も洋画を書くような筆じゃなくて日本画用の絵筆があるし、もちろん日本画用の絵筆を買いそろえるのも面倒くさい。通販は良し悪しがわからないし
本格的な日本画について調べれば調べるほどなんの知識もない経験のない素人にはハードルが高いと感じる
日本画教室というものがあればいいけれどそんなものは近所で見たことはない
定年退職して暇な老人なら、それなりに時間やお金をかけて本格的に始めてもいいかと思えるけど
働き盛りの社会人はあまり余裕がなく美大生レベルで日本画制作にお金や時間なんてかけられないのである。
そうやって、若い人は普通のポップなイラスト制作や水彩画やデジタル画に流れてゆく
日本画は美しい。素晴らしい。
しかし、一般人にとって日本画を始めるにはハードルが高過ぎ。長い伝統を持つ日本画の技法を受け継げるのは美大生か暇な高齢者くらいのものだろう
2021年東京オリンピック、ついに開幕!代表選手たちの入場です!
コウモリ殺しは生きていた!! 更なる研鑚を積み人間凶器が甦った!!!
中国四千年の変異が今ベールを脱ぐ!! 武漢!! 中国株だァ――――!!!!!!
抗体の効かないケンカがしたいからスパイクを変異させたのだ!!
達人の奥義が今 実戦でバクハツする!! 英国流変異 英国株先生だ―――!!!
コロナの本場は今やブラジルにある!! オレを驚かせる奴はいないのか!!
ブラジル株だ!
デカァァァァァいッ説明不要!! 34万人(一日の感染者数) 2600人(1日の死者数)!!!
超一流ウイルスの超一流の感染だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ
若き王者が帰ってきたッ
どこへ行っていたンだッ チャンピオンッッ
俺達は君を待っていたッッッ 東京オリンピック株の登場だ――――――――ッ
端的に申し上げるのならば私は狩人である。
北海道の片田舎の漁業と狩猟を生業とする家に生まれた。
突然だがご存知だろうか。鹿は、強い。
北海道に生息する鹿はエゾシカと呼ばれ、本州へ生息する鹿よりも体躯は大きく力がある。
通常であれば猟銃で仕留めるところを仕留め損ね、猟銃禁止区へエゾシカが逃げてしまった場合はアイヌの伝統に習って槍での戦闘が始まるのだ。
筆者は奈良公園の鹿と対面したときには唖然としたものだ。
眼にまるで生き汚さはなく、体躯はたるみ、あまつさえ我々人間に媚を売る始末。
更に仔鹿などは創作物の影響からか愛玩動物のような印象を持っている人だって少なくない様子であった。
私の眼の前には鹿なぞ居らず、私が見たものはどこぞのお貴族様だったのだ。
エゾシカに向かって槍を構える。
穂先を決して上げてはならず地面すれすれを維持する。エゾシカはそれに呼応するように頭を下げて立派な角を向けてくる。
創作物などでは槍を高々と掲げる描写がよくある。映える場面にはなるのだろうが実際の戦闘では悪手だ。
槍を掲げ、そして振り下ろすという動作が遅れた場合を想定して欲しい。
エゾシカの突進は非常に強力で、もしも振り下ろしが遅れたのならば突進をモロに受けてしまい狩人の腹には風穴が開くであろう。
だからこそ地面すれすれに穂先を構え、そして突く。
先手を取る筆者の突きへエゾシカは素早く反応し突進を繰り出す、かに見えた。フェイントだ。
一撃必殺を狙った突きは重い。であるからこそ空を突いた場合の隙きは筆者へ重くのしかかる。
危機を感じた筆者は直ぐさま穂先を下げ、その瞬間にエゾシカは突進を繰り出した。
エゾシカの突進は槍が受ける。高く掲げればこうはいかない。
エゾシカは槍に触れた瞬間に頭を振り回し槍を絡め取ろうとするが、筆者は身体を回して突進を受け流し距離を取る。
穂先を下げて牽制の再開だ。
エゾシカはこちらの様子を伺う。エゾシカの眼が生き汚く睨みつけてくる。
悪いが死んでやるつもりはない。お前が死ね。
見解の一致を交差する視線から悟り、槍と角が交差する。
若鹿にあるような突進一辺倒でない。
一度の突進で押しきれないと理解するや角を振り回して小突く、小突く、小突く。
太い首に支えられつつ、いくつにも分岐した角は捌ききるには厄介だ。
こちらの嫌な表情を見逃さず、小突き、一歩、小突き、一歩と前へ出て圧力を加えてくる。
強い、鹿は強い。
体重差2倍以上、筋力差膨大、スタミナ差途方もない。
突いて、捌いて、下げてを繰り返す筆者の腕は痺れ、悲鳴を上げ、じりじりと追い詰められていく。
鹿は強い、そんなことは知っている。
堪えて、堪えて、堪えて、それでも堪えた終わりは突然やってくる。エゾシカのスタミナが切れたのだ。
銃弾を受けた足の出血が想定よりも早くエゾシカのスタミナを奪い続けていた。
エゾシカの猛攻は止まり、二歩三歩と下がったのちエゾシカはその場に座り込んだ。
エゾシカと筆者の視線が交差する。そして筆者は槍の構えを解く。
競馬ファンは、ウマという動物をそれぞれの名前で呼び、その容姿・性格・能力などの個性を愛で、感情移入し、それぞれの毎回の競走や生涯の物語を熱く語る。その一方で、同じウマという動物が調教試験や能力試験で合格できなかったり、競走成績が奮わなかったりしたときにはセリにかけられて食用に屠畜される、という運命もリアリストっぽく擁護する(何なら「それが彼らにとって一番の幸せだ」ぐらいなことまで言っちゃったりする)。「華やかなステージに登壇できたウマ」は賞揚して「できなかったウマ」については関知しない、その割り切りっぷりというか、情熱と冷静の温度差に、おれは戸惑ってしまったりする。
これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠畜という一番血なまぐさいところは徹底的に隠蔽されてるし、食肉として流通・陳列される段階では「生きた動物の痕跡」は徹底的に消されてる。とにかく「動物を殺して食う」ということへの罪の意識なり、後ろめたさなり、「かわいそう」という感情なりを初手から持たなくていいような仕組みになってるじゃん。
でも競馬ファンにとってウマという動物はそうじゃないでしょ。オートレースの競走車やボートレースのエンジンやペラとはわけが違うわけでしょ。人と同じように知能があり、感情があり、性格があり、人馬一体のアスリートであり、そこにみんなは思い入れを持つんでしょ。JRAだって何だってそれぞれのウマにフォーカスして物語を紡ぎ、感情移入させまくるわけでしょ。だからこそウマを擬人化した「ウマ娘」という企画が成立して人気を博したりもするんでしょ。でもその背後で、競走馬としての能力を満たさなかったことで屠畜されるウマたちがたくさんいるし、むしろそういう運命にあるウマたちの存在によって競馬業界が成立してるという陰惨な現実(とおれには思える)は、競馬ファンの頭のなかでどう処理されてんのかな〜とおれは思うわけよ。だって走るのが遅いウマには知能や感情がない、ってわけじゃないじゃん。それは競馬ファン自身が一番よく知ってることでしょ。
たとえばこれがイルカの話だったとして、おれは「イルカは賢くて愛らしいから食べるなんてかわいそう」という人の気持ちはわかるし、「イルカは昔から食用にされてきた伝統的な水産資源だ」という人の気持ちもわかる。でも「イルカは賢くて愛らしい、人と同じような感情があり、人と心を通わせられる、自分もこれまで何度感動させられたことか」って言いながらイルカを食うやつがいたら、それはちょっとサイコパスじみてるじゃん。愛でられるに値しないイルカが食堂で「イルカ定食」として出される水族館で「イルカはやっぱり賢くてかわいいよね」ってうっとりしてるやつがいたら怖いじゃん。と思ったけど、牧場で羊を見た後にジンギスカン食えるとこって結構あるな。んで女の子がワンワン泣いてたりするな。そっかそっか。
以上この話おしまい。