はてなキーワード: ボコとは
NGSを8月→9月までやっていたがやる事がなくなり辞めてしまったのでやらなくなった理由を書いて完全引退する。
おおまかではあるがMMOは以下の手順を踏んで楽しむものと自分は考えている
3.自分だけのスタイルの武器構成を磨く(レベルキャップ解放までのエンドコンテンツ)
NGSの場合2は各職業の7種類、3は近接、遠距離、法撃の3種類が絡む事になる。
自分は全職カンスト、装備は近接、遠距離用を最大攻撃力アップ42%程度まで整えて終わった。
正直、自分はストーリーはフルスキップするタイプの人間なので物語の良し悪しは触れられない。
ただレベルキャップに関しては2日やればカンストできてしまう天井の低さは厳しい。
いやカンストまでは早い方が個人的にはエンドコンテンツに早く触れられるため歓迎はするのだが
だが、いくらなんでも2日は無い。全職カンストまで2週間で終わるのはちょっと・・・薄すぎない?
なお相方も同時期に始めて居たが自分と違い、全ての職業をカンストさせたいとかハスクラをしたい人では無いので
HuFoを2週間掛けてカンストさせてNGSライフは終了した。
本人曰く、やる事が無い。そらそうだ。
さて、レベルキャップを解放すると今度は自分だけのスタイルを作るためのハスクラが始まる訳だがこれも非常に薄い。
ここがしっかり出来ていればここまでNGSは叩かれなかったと思う。まず、他ゲームと違ってこのゲームは武器防具の入手難易度が低すぎる。
最大値を求めなければショップで適当に買うだけで装備は整ってしまうし特殊能力も3パターンしかない。
つまり「俺だけ」のという部分は限りなく薄い、もうほぼ無いに等しい。他人と被りまくる。
誰でも簡単に装備が整ってしまう上にプリセットのLv4→5程度でも0.5%しか能力が上がらないため目に見えたダメージアップが
実感出来ない。
そして雑魚を狩った所で最強武器防具はエンドコンテンツである絶望しか出ないためいわゆる雨乞いと呼ばれる虚無の放置タイムが始まる。
【その上、俺ツエーをちゃんと実感できない】
そのエンドコンテンツの絶望も総勢32人でボッコボコにする訳だが、32人も居れば1人1人の戦力の戦力なんて分散しすぎて誤差になる。
終わった後に皆でお疲れ!となるのは一体感があって良いのだが絶望を回るためにちゃっちゃとワープするので情緒は無い。
結局の所、絶望で俺ツエーとは中々実感が出来ず、じゃあ防衛等の緊急なら?ってこっちは加点方式ではなく、他人が弱いと穴が空くような
減点性にすぎないので自分の戦力が整ってればクリアできる!では無い。俺ツエー・・・とはしづらい微妙である。
唯一実感できるのは雑魚を倒して回る時やPSEバースト時の殲滅速度だろうか、それもホーミングダートに限るような気もするが…
【季節イベントが息してない】
いわゆる半額シールの張替えキャンペーン。これは意識せずやっていなかった。
目玉は属性武器や属性弱点カプセルなんだろうが活用先が一切用意されておらず取る価値が無い。
これは某所でも書いたが本来であれば高難易度が常設で用意されておりそのクリアを楽にするために属性武器や属性弱点のカプセルを取る
どうしても欲しいから季節ラッピーをさがしてドロップさせるなどが考えられるがこのゲームはそのイベント中全ての敵が弱点属性になってしまう。
これが何を意味するかといえば結局どんだけ武器防具に属性弱点を突くカプセルを付けた所で消費期限が「1ヶ月」なのだ。
そのくせ、武器防具は育成コストが高すぎる。ストラーガで充分だ。
「1ヶ月しか」使えない武器防具を作るためにイベントを走るのか、運営はちょっと頭を捻って考えて欲しい。
先程、イベント武器は消費期限が「1ヶ月」と記載したがこれはレベルキャップ解放が決まる事で通常武器にも当てはまる。
12月に35までの大型解放がある、という事は残念ながらストラーガはじめジオントは後「2ヶ月」で死ぬのだ。
そして今回の新クエストの報酬は死が確定しているストラーガだ。当然ながら回る意味は無い。
上述したようにレベルキャップが浅いゲームで2週間もあればだいたい武器も揃うこのゲームで皆既に武器防具は揃ってる訳で。
更にここからレベルキャップ解放によって死ぬような武器を「報酬」と言われても誰が喜ぶのかという話だ。
これが例えば18武器とかだったら、仮に2ヶ月で死ぬと分かっていても明確に火力アップが見込めるならまだ回るモチベにつながったかも知れないけど
それでも半年ごとに手持ちの武器の死ぬと分かっていると正直やる気は起きないなと、考えるとこれが引退の決め手だったかも。
仮に復帰して12月→1月で武器揃えても絶対に4-5月には手持ちの武器防具が全部死ぬと分かっているのは耐えられんなって。
一応、やっていた当時エヴォルコートが出たので各地で雑魚を狩っていたが他のオープンワールド系ゲーム異なりLv解放によって
世界全体の強さが変わる訳では無いNGSではLv20以降の狩場は山、森、研究所の3箇所しか巡る所が無いし大して広くもない。
見飽きた3種類のフィールドを周り続ける内に思う。世界の1/3程度しか日常に触れない中でオープンワールドってなんだっけ?となる。
つらい。
【まとめ】
そんなこんなでバウンサーが来ても復帰は難しい。
せめて月1で訪れるイベントが美味しかったり、1ヶ月ごとにエヴォルコートのような異なる武器防具がリリースされたりであればまだ遊べたかも知れない。
もしくはカプセルにランダム要素が追加されるとか、とりあえず「掘る」ことができればまだ遊べたかもなぁと。
まぁ、この後何が来ても、手遅れな訳だが。
*
(ぜんぶ妄想です)
*
そのバンドの名前は「Death, Black, Dark, Blood, Dead」。歴史に深く刻まれる名前ではないが無名でもなかった。
結成は1996年の京都。編成はVo、Gu、Ba、Drの四人組で、ジャンル的に言えばDoom Metal。陰鬱で超自然的で夢幻の酩酊感に浸る暴動のBGM。
手元にある『ロッキン・オフ・京都』って2003年発刊のコピー紙で作られたミニコミにはDeath, Black, Dark, Blood, Dead(以下DBDBD)のインタビューが載っていて、メンバーのフェイバリット・アルバムとして挙げられているのがBlack SabathやCathedralだったりElectric Wizardだったりする。でもそこではCANやPublic Enemyなんかも取り上げられていてメタルだけではない幅広い音楽のバックグラウンドを感じさせたんだ。
ちなみに余談だけど、この『ロッキン・オフ・京都』を発行してた京大軽音楽部の人は百万遍の近くで古本屋をやっていて、ミニコミのことを訊けば喜んで当時の話をしてくれるよ。『DOLL』のバックナンバーもめっちゃ揃ってる。
初めてのライブは、結成したその年の京都市立比叡中学校での文化祭。ヘナヘナでヨレヨレの演奏だったよ。だいたい「何?そのバンド名は?」みたいな失笑だった。中2病が過ぎる、みたいな。でも実際メンバー全員中2だったわけだし一番病状が重い時期じゃない?
私はその頃ガレージ・パンクに恋狂いで、ヘナヘナこそ愛すべきロックンロールだと思ってたしヨレヨレこそ美学だと信じてたから、彼らのその拙い演奏にサバスの遺伝子が宿っているのを感じたんだ。
なんでそんなことを知っているのかと言うと、Drの吉田君は私の同級生だったから。他のメンバーは他校の同い年の子たちで、平日の建築現場での雑工のアルバイトで知り合ったんだって。
吉田君は不良じゃなかったけど学校に時々来ない長髪のいつもイライラしてる人だった。キレたらヤバイ奴。家が金属回収業の仕事だから汚いなんて陰口を叩く子もいたりして、そりゃイライラもするよね。そんなこと言うべきじゃないのに。
一度、西院のツタヤでアダルトコーナーから出てくる吉田君を見つけたことがあって、いけず心が発動した私は「あ、吉田君やん、何借りたの?」って声をかけたんだよ。吉田くんってばドギマギしちゃってさ。まだその頃のレンタルはVHSだったから吉田君が持ってる重ねたテープの一番上は『プリティ・ウーマン』だったことを覚えてる。やっぱり普通の映画でカムフラージュするんだ、と思ったもんね。カウンターのところでお店の人に「こちらとこちらはお貸しできません」って取り上げられてプリティ・ウーマンだけ持って帰る吉田君の後ろ姿には十代の男子だけが背負っている哀愁があった。
後日、いけず心が再起動して「プリティ・ウーマンどうだった?」って訊いた私に吉田君は
「あんなん金持ちが札束ばらまいてるだけの話やないか気に入らん!」って怒ってはった。「お、パンクじゃん」って思ったね。
高校は吉田君とは違う学校になって会うこともなくなったけどバンドをやってるらしいってことは風の噂で聞いてた。中学校の友達と会ったりしたら誰それは学校やめたらしいとか、妊娠したとか、そんな噂話をするでしょう?そんな感じでなんとなくは知っていた。
高校の頃は部活と勉強で忙しかったから無理だったけど、大学に入ってからの私はライブハウスに通うようになった。女同士で集まってバンドも始めた。
2回生の頃にめちゃくちゃヤバイバンドがいるって聞きつけて二条西洞院のライブハウスにバンド仲間と行ったら客層が恐ろしくてさ。町内一番の荒くれ者が選抜されて来たんですか?みたいな感じで長髪やスキンズのごつい男達が集まってた。マッド・マックスの撮影ですか?みたいな。その頃はメタルもパンクもごっちゃでラウドロックって括りでみんな一緒にやってたんだよね。
4バンドが出演していて、最後に出てきたのがDBDBD。ずっと忘れてたけどその名前を聞いて「あ、吉田君のバンドやん」ってすぐ分かった。でもドラムセットセットに陣取った彼を見た時は、違う人かな?と思うくらい凄みを増してたんだ。
スローで陰鬱なパートから始まった演奏は、重く苦しい中間部を経て、死と破滅に聴衆を誘う。ライブはめちゃくちゃ盛り上がってさ、と言うか、荒くれ者たちが最高に荒くれるので私達は身の危険を感じてトイレの入り口に避難してそこから見てたよ。暴れ狂う彼らは、今この瞬間だけに生きていて明日のことに希望なんて持っていないようだった。
帰る道すがら色んなことを思ったよね。あの吉田君のヘナヘナのバンドが男たちを狂わせる音楽をやるまでに成長したんだなとか、それに比べて私はとか、ツタヤでビデオカセットを持つ吉田君の指がとっても白かったこととか。
その後もDBDBDは京都で活動を続けていて、京大西部講堂でのライブがあまりにも盛り上がりすぎて主催者からお叱りを受けたなんてこともあった。吉田君とはライブ会場で顔を合わすようになってからまた話すようになったりして「あれは怒られたよねーホント怒られたよねえ」なんて笑ってたけど。
DBDBDの名前が関西のシーンで大きく浮上してきた背景にはこんな事件があったの。
2005年だったはず。当時DBDBDはメタルやパンク、ハードコアのシーンで活動していて、前述のようにかなり激しいステージングと客層で一部では評判になってた。
一方その頃に大阪では武闘派を名乗ってる「Citizen’s Enemy」(以下CE)ってHipHopクルーがいて、他のグループを威圧したり脅したりしてのし上がってきたあんまり夜露死苦ない評判のその人たちが「DBDBDなんてクソ」みたいなこと言ったらしいの。関西で一番ヤバイのは俺たちだ、みたいな宣戦布告だったと思うんだけれど、それを聞いたDBDBDのメンバーがCEを急襲するって噂が流れて観に行ったんだよね。
その日はCEのライブが始まって会場が温まってきたところにどやどやとDBDBDのメンバーがやってきて「勝負しろ!」って言ってさ。「待て待て待て待てー」みたいなプロレス的なコミカルさがあって、笑いも沸き起こって盛り上がったんだよ。CEのDJに「どけ、俺がやる」みたいな感じでDBDBDのベースがターンテーブルを占拠したりしてさ。
で、フリースタイルのバトルが始まったんだよ。まだフリースタイルダンジョンなんてない頃だよ。でもCE側は武闘派を名乗ってたからDBDBDが面白登場したのが気に入らなかったみたい。なのでシリアスなdisり合いになっちゃったんだけど、言葉のキレとか、disりながらも一抹のリスペクトは失わないDBDBD側のラップが素晴らしくてさ、お客さんもHipHop好きな人だからどっちが巧者かは分かっちゃうじゃない?だからDBDBDの方が上だな、みたいな空気でそこは終わったわけ。DBDBDのVoがさ「何が市民の敵やねん!公権力の敵であれ!俺たちの敵は権力者やろ!」ってアジテーションしてステージを降りたのは格好良かったんだよ。
その時私は「ああ、あのミニコミでPublic Enemyをフェイバリットに挙げてたのはVoの彼だったな」って思い出したんだ。
いけないのはそこからで、それから少し経ってDBDBDのライブが難波のベアーズで行われたんだけど、CEのメンバーがやってきて会場で爆竹に火をつけてライブを妨害したんだ。こっちは向こうの流儀で勝負を挑んだのに(というか、和ませる雰囲気さえ醸し出してお邪魔したのに)向こうはただ邪魔しに来ただけっていう。で、どうなったかというと、そこには町内荒くれ者甲子園を勝ち抜いてきたお客様たちが集結してるじゃない?その人たちにCEのメンバーは捕まってちょっとお叱りを受けたっていう。ライブは盛り上がったらしいよ。
CEの人たちは武闘派を名乗ってたのにボコボコにされちゃったからメンツ的なものを失って、その後はなんだかフェードアウトしちゃった。CEのメンバーの一人は最近になって大阪維新から市会議員に立候補してたけど、どうなったのか知らない。
DBDBDはそれからも地道に活動を続けて、Napalm DeathのVoだったLee Dorrianが主催している英国のRise Above Recordsからアルバムを出す話もあったんだ。でもその頃ってメンバーも家族を持ったり仕事で責任ある役割を担うことになったりして、なかなか時間がとれなかったからうまくいかなったの。
吉田君曰く「英語でのメールのやりとりも難しかったし、イギリスでの録音っていう条件がネックで実現しなかったんよなあ、あれほどのチャンスはなかったけど」って。
その後はライブの回数も音源の発表も少なくなっていったんだよね。巷では「失速した」なんて言われたりしたけど、そんな言い方ないよ。彼らは中学の時からずっと働きながらバンドやってたんだから。
吉田君は今も京都に住んでいて、休日に近所の公園の砂場で遊んでる娘の相手をしてるのを時折見かける。染織工場で働いていて労働組合の委員長でもあるらしい。この業界はもう価格的に外国とは太刀打ちできないらしくて、いくら京都ブランドだっていっても厳しくて廃業する会社も多いんだって。会社の存続も心配しなくちゃいけないけど労働者の権利と雇用も守らなくちゃいけない立場で悩みは尽きないとのこと。「バンドはどうすんの?」って一度聞いたら、遠くの方を見つめながら「あんな名前のバンド誰も覚えてないやろ。でもやりたいなあ、またぶちかましたい」って言ってたよ。
比叡山の緑を眺めながらね。
*
https://anond.hatelabo.jp/20210929113343
https://anond.hatelabo.jp/20210929113456
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708979924673792418/comment/flirt774
動物はドッグフードやキャットフードだけ食ってればいいじゃん。
人間は他の動物と違って毎日同じ物ばかり食ってるとある日「大変なことになりますよ」といって内蔵や血管がボコボコって泡立って苦しんで死ぬんだろうか?
いつになったらという期限の話をすると、明確に変わるのは親が死んだらです。
オタクに対する抑圧というのは世間から行われるわけですが、往年の全方面から全力殴られ放題の時代に比べれば新聞からの抑圧が減り、ニュース番組からの抑圧が減り、ワイドショーからの抑圧が減り、お笑いからの抑圧が減り、となりました。なった…よね?
まあそうするとリアルの人間関係の抑圧の比率が高まってくるわけです。
40代や50代のオタクはまだ親やおじおばが元気にチクチク毎日言ってきます。まだ結婚しないのかきちんとした職(公務員、銀行、農業、建設、重工業などを指します)に就かないのか家はまだ買わないのか俺たちの若いころはうんぬん。そんな絵なんかにうつつをぬかしているからダメなんだうんぬん。
(35過ぎたら結婚の可能性なんてもうほぼゼロまで激減だっていうのにな!ITだってちゃんとした仕事です!家なんて中学生のころに紙屑になってたじゃん!)
親やおじおば世代はもう職場を離れたりして人間関係が更新されない傾向にあり、歳を取って新たな価値観もインストールされなくなっていき、50歳や60歳ぐらいの常識、世間知から更新されていません。
つまり20年前やら30年前やらぐらいのテンションでずっとずっとチクチクやられておりまして、20代や30代の人が屈託なくオタク活動しているのをうらやましいなーとみることはあってもアラフィフの気持ちがそこまできれいに晴れることは難しいのです。
20年近く上級はてな民で無敵の人だったはてサ、これまではてサに敵認定されたはてな民が戦おうとしてもはてサが集団で攻撃することで数の力で勝ったことにされてた。
はてサの誹謗中傷を指摘するアカウントがあっても、ネトウヨ連呼で誤魔化したりしてたし。
それが突然、なぜ今になって批判されるようになったのか?
それとも、はてサも高齢化でクソみたいなことしか言わなくなったり、陰謀論に走るようになってパブリックエネミーになってしまったからなのか?
ある仕事を進めるための社内会議で、他課の課長を相手に議論した。
その課長が関連部門や取引先に要求しようとしていることがどれだけ手順から逸れているか、不適切であるかを、仕事の推進責任やコンプラを後ろ盾にぐうの音も出ないように論破してしまった。
相手の身分がどれだけ高かろうと違うものは違うと主張するのは間違っていないと思うが、課長もより良いアウトプットを出そうと考えてくれているわけで、売り言葉に買い言葉は止めて穏便に諭すべきだったなと反省。
https://anond.hatelabo.jp/20211004080408
注意。自分語りです。
上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。
結論から言っちゃうと、上の26歳増田はオタクではないと感じている。
俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。
当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。
小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、
子供の性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である。
小学生の自分は爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョのスレ、エロ関係のスレを食い入るように見ていた。
確か11歳か12歳のころ、ジャンプ・サンデー・マガジンを購読するようになる。
2ちゃん的価値観を刷り込まれた俺は「ドラマやバラエティは下らない」という結論に至り、
高校生くらいまでSMAPのメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。
ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。
映画になるまでフレディってクロマティ高校のキャラという認識しかなかった。
ちなみに当時好きだった漫画は日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。
だが、オカズはドラゴンボールのブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~やこち亀のエロシーンであったことが記録されている。死にたい。
本屋の立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌、クリムゾン先生の存在を知り、自分の性癖がソフト陵辱であることに気がつく。
だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。
早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。
また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、
同時期にハヤテのごとく!のSSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントでボコボコにされたらしい。
今となっては恥ずかしいが、アニメはほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋(TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。
日記の落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースターの武器にやたら憧れていたらしい。
とにかくそんなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。
情報の授業の時間にFLASHを見て喜んでいる層に「やれやれ…もっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分もFLASHにハマっていた。
オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板で長門×キョンのSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァとナデシコとGS美神にSS経由でハマった)
だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。
中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSSを乱造して、
パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。
ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。
あと『スクールランブル』の八雲と播磨、『Dグレイマン』のリナリーとアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったか、おにぎり派だったか。記憶が定かでなくなってしまったが。
というか、日記を見るにリア友の情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
「ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨は死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。
大体この世代のネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。
AKBやジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたかえ応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。
ボカロは何か合わなかった。
同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分を演出したかったからで、エロゲはシコるためである。
帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリアか乱菊の同人誌をレジまで持って行ったのだが、
「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。
だが、その後、代引きでAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。
俺が人生で初めてセックスというものを理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンのエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックスを理解していなかったのだなあ)
そこから2ちゃんのエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレに毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。
名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。
また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。
古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版全シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。
「やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプのゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。
また、無駄にガンダムSEEDを叩き、無印のガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、
ひぐらしとスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書が日記に残されており、今、ダメージを受けている。
小~中の時代にこじらせすぎて、Mステも人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。
ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。
一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。
パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手なものである。
(デレマスと呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)
200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?
まどマギやSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。
だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものだから、
「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、
やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。
そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞に投稿した。
『文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFate丸パクリの会心のネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。
「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。
この頃には、同世代でそれこそボカロで成功したり、ラノベ作家にデビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。
その後、なんだかんだあって、大学を卒業し、今はアニメ業界にいる。
有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲームや出版関係の人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。
ネット上の文字列、雑誌の写真のインクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。
仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。
周りでも海外への配信権を売るビジネスが好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。
以上が、大体の俺の人生である。オタクの人生であると言っていいんじゃないだろうか。
引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。
君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。
そして、結論を書こう。
この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。
アニメは間違いだった。
漫画も間違いだった。
ゲームは間違いだった。
ラノベは間違いだった。
この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。
オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。
オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。
仮面ライダーは孤独に戦う等身大のヒーローだって?いつの話をしているんだい?たしかに今YouTubeで絶賛配信中の仮面ライダーBLACKなんかは確かに孤独に戦う等身大のヒーローだ。なんがしかの組織に属していたり多人数だったりする平成令和に比べると南光太郎はびっくりするほど一人で戦っている。彼が仮面ライダーだって知る人はほとんどいないし、南光太郎はあくまで仮面ライダーの友達で通してて、バックアップしてくれる組織もない。だが平成令和とくだっていくにつれて、孤独でもなければ「職業、仮面ライダー」みたいな仮面ライダーはゴロゴロ出てくる。当然私はこれら全部を書き明かすほど知識も文章力もあるわけじゃないが、コレコレ!コレだよ!っていう仮面ライダーをつらつらあげていこうと思う。
巨大化する仮面ライダーといえばJがあまりにも有名だが、個人的に好きなのはやはり「お前たちの平成って醜くないか?」でお馴染みの「仮面ライダージオウ Over Quartzer」だろう。
回を重ねるごとに昆虫ベースの改造人間からかけ離れていく仮面ライダー。毎年出てくる仮面ライダーは最早改造人間ですらなく改造人間設定はオマージュの対象となり、改造人間よりも怪人の方が強いライダー作品まで出てくる始末。年々ふざけていく見た目、毎年ガラリと変わる作風。あまりにもおふざけが過ぎる仮面ライダーのなかでもジオウはとくにふざけてた。なんだ!顔に!!「ライダー」って!!!2号は平仮名で「らいだー」って書いてあるぞ!ふざけているのか!と思って1年間見てたらもう顔に「ライダー」って書いてないと物足りなくなってしまった!
そんなジオウの劇場版、ISSAが演じる敵ボスは、そんな毎年毎年作風が変わりまくってデコボコな平成ライダーに一石を投じるべく仮面ライダージオウに戦いを挑む男である。それゆえの「お前たちの平成って醜くないか?」というパワーワードだ。彼も仮面ライダーに変身するが、仮面ライダーBLACKがベースの仮面ライダーバールクスに変身してジオウと戦う。平成の力を無効化する能力。忠臣だと思っていた男が実は敵方の人間だった衝撃の事実。囚われの身となったジオウを励ましにサプライズ出演する仮面ノリダー。憲武が!仮面ライダーの映画に!出てくるのだ!パロディライダーが本家の劇場版に出てくる!劇場で見た時、これはもう青天の霹靂であった。最後は巨大化して戦うISSAことバールクス。小渕の平成のパロディまでやってくれる!エピソードファイナルやパラダイスロストも名作だが、ジオウたちが巨大化したバールクスとどう戦うのか、是非とも見てほしい!
特定組織に属した仮面ライダーが増えていくのは先ほど書いたとおりだが、もはや書くことがいっぱいありすぎる!まず組織とは!というところから始めないといけないが、巨大組織との軋轢、という面でいうと、ショッカーから始まりゴルゴム、スマートブレイン、BOARD、ZECT、ユグドラシル、野座間製薬、果ては警察まで出てくる。
クウガに出てくる仮面ライダーは平成にしては珍しくたった一人である。どこの組織にも属さない。一応警察と協力して戦っているが、あくまで協力であり言ってしまえば業務委託のようなものだ。OPでも「英雄はただ一人でいい」と歌われているが、敵の暴力に暴力で対抗できる人間は自分一人だけでいいのだ。ある時、芝居の先生を敵に殺されたヒロイン(奈々がヒロインかどうかは民意に委ねる)に暴力の虚しさを説くクウガ。日夜暴力を振るっていることなどつゆ知らず「あんたの言ってることは綺麗事ばっかりやんか!」と言われ悲しい顔をするも「そうだよ、本当は綺麗事が良いんだもん。暴力でしか解決できないなんて悲しすぎるから!」と悲痛な返答をするクウガ。警察や世間からは「未確認生命体第4号」と呼ばれ他の怪人と同じく当初は射殺対象となるも、日々の戦いのなかで警察と協力して戦うようになっていく。少しずつ警察や世間の信頼を勝ち得ていく流れを、敵の暴力を暴力でしか解決出来ない最終バトルまでの悲哀を、是非とも見てほしい。
そのほかにも、所属している組織が1話でいきなり壊滅して、「オンドゥルルラギッタンディスカ」と叫ばざるを得ないなか、訳の分からないストーリーや勝手気ままに敵対して回る先輩ライダーなど、滑舌しかネタにすることのなかったのに、いざというときしか役に立たない男、肝心な時にしか役に立たない男、平成の善逸、強敵にしか勝てない男、などさまざまな異名を持つ男や、最終回の自己犠牲が後続のライダーの最終回に大きな影響を与えた男など、信じられる組織が初回で消滅してしまった男たちの生き様を、ぜひ見てほしい。
アギトのG3は未確認生命体第4号を模した警察のパワードスーツで、G3ユニットを巡って警察内部でずっと争いと諍いがあったのは見ての通りだ。なんなら最終回までずっと揉めてたからな、あいつら。イヤミなエリート刑事北條さんにずっと付け狙われるG3ユニット、あかつき号事件をネタにG3に変身するも敵前逃亡キャストオフでクビになり、めげずにギャバンみたいなシステムで対抗するもG3Xとの模擬戦でボコボコにされ、最終的にアギトは人類の敵認定されて怪人活動保護組織に成り下がりかける警察。これもぜひ見てほしい。
他にも555、剣、カブト、鎧武など、ベルトが組織の持ち物、ライダー対組織、という構図が年々強めになっていく。シンゴジラほどじゃないにしても組織描写は多いわけだ。賛否両論激しいゼロワンのお仕事五番勝負も会社対会社の争いで、あれも組織対組織の争いと言える。幹部同士の諍い、組織の中の揉め事、そういうの俊樹の十八番だな。組織描写が庵野の十八番なら、より面白いストーリーにしてくれることは期待できるだろう。
そんなわけで仮面ライダーのコンテンツはとても膨大なので私の知識と文章力では書ききれない。みなさん是非とも仮面ライダーの面白さをブコメなりトラバなりで語っていってほしいと思う。
なんかないかな。
コロナと自宅保育で気持ちが滅入ってるからゲームでくらい高笑いしたい。
オセロは初級でも負ける。
穴に建物落とすゲームと竜巻で街をめちゃくちゃにするゲームはだいぶやった。
傾向としてパズルゲームは割と好き。
聞きたいんだが、いまだに高容量電池が作れずに、作れたとしても希少資源ボンボコぶち込むタイプしか作れてないことについてはどう思う?
電池が普及の隘路になるだろう点についてはどう思うね。内燃機関の1/4も置き換えたら電池用の希少金属が枯渇するとも言われているが。
「内燃機関に先がない」というのは、電池がここをクリヤーできないかぎりは言い切れないと思うのだね。
従来型鉛蓄電池の延長線で資源の制約の少ない代替電池ができたとしても、今度はこっちは航続距離問題がネックになってくるのでは。
悪いことをした人間になら、何をしてもいいの?
しかもはんつの罪状って、現状、「文章がキモい」ってことでしょ?
それで、キモくて時代遅れでセクハラしてるオッサン相手になら何言ってもいいわけ?
「人間がもっとも残酷になるのは悪に染まった時ではない!真偽どうあれ『正義の側に立った』と思った時にブレーキが壊れるんだ!」
とかいう画像をしたり顔で貼ってる人間ほどこういう時に叩くよね。
俺はラーメンなんて下賎な食い物だと思ってるから、ラーメンオタクがキモかろうがどうでもいいんだよ。
ラーメンなんて高尚な食い物じゃねえんだから関係者がキモいくらい許してやれや。
みんなでラーメン評論家を叩いて盛り上がってる時に水差してごめんね。
でも、お前ら最悪だと思うよ??
便乗して正義棒で他人ぶん殴ってる著名人たちにもガッカリだわ。
自分が古い人間になった時に、同じやり方で新世代にボコボコにされないといいね。
ラーメン評論家叩きはとっくにやりすぎの域に入ってるわ。
異常だよアンタら。
なんかもう絵に描いたようなフルボッコですよね、ラーメン評論家。
そして、いわゆるラヲタと呼ばれる人々もキモいウザいと散々な叩かれようですけど、ラーメン業界に少々関わっていて一般人が知らないような話も多少は耳にしている私のような人間からすると、今のラーメン評論家やラヲタの叩かれ方や、梅澤愛優香という人物の言動や擁護のされ方が、どうもしっくりいかないところがあってこの文章を書いています。
私は批評されるのが嫌なのではなく
皮肉、嫌味、難癖、茶化しなどのパワハラとなるマウンティングや言葉や行動を含むセクハラが嫌なので壁を作りたかったんです。
確かに、一部ラーメン評論家・ラヲタの彼女に対する態度・言動は、はたから見ると彼女が主張するとおりに見られても仕方ないところはあったんだとは思うんですけど、それは彼女が若い女だからとか、アイドルがラーメンを作ってるとか、そういうところからくる分かりやすいマウンティングをしたわけじゃないんですよ。
まず事の発端というのは、梅澤氏自身が自分の経営するラーメン店について、「誰の力も借りずに一人で起ち上げた」と吹聴したところにあるんです。
もちろん彼女がラーメン店開店にあたって相当の苦労や努力をしたであろうことを否定するつもりはありません。
でも、それまでこれといった飲食業経験を積んでいなかった人が、ごくごく短期間に、誰の力も借りずにあのレベルの味を作り出して、あのレベルの造作の店舗を次々と開店させるというのは、普通に考えてありえないんですよ。
梅澤氏には技術的なサポート、金銭的なサポートをしている人間が裏に存在する。
このことは、ちょっと飲食系の食べ歩きをしている者ならばすぐに分かる話でした。
実際、あそこが関わっていそうだという話も耳にするようになる。
でも梅澤氏は、そのことを認めない。
認めないもなにも、そういった意見はまるで存在しないかのように無視する。
親切心から、そんなつまらない嘘はつかないほうがいいと忠告しても、無視する。
そしてまた、偽りの成功譚を吹聴する。
さて、ここでラーメン評論家にご登場願いましょう。
今回の騒動で、ラーメン評論家不要論が沸き上がっていますが、本当に不要なんでしょうか?
ラーメン評論家の最も大事な役目は、ラーメンに関する情報の確かさを担保すること、かもしれません。
テレビや新聞雑誌でラーメン特集を組む場合、実際に画面や紙面に出ていなくても、そこには必ずといっていいほどラーメン評論家が介在しています。
なぜなら、メディアが情報を発信するにあたっては、その情報の正確さに責任を負う必要があるからです。
ラーメン評論家が自らの膨大な知識を用いて発信すべき情報を吟味し、その確かさを担保することによって、メディアは責任をもってその情報を発信できるのです。
もちろん、ネット上に溢れるラーメンの情報は、そんな責任など負ってはいないですし、そこにラーメン評論家など介在していないものがほとんどですが、それらの情報にどれだけの品質と信ぴょう性があるか。
それはそれとして、情報の確かさを担保する立場のラーメン評論家にとって、ラーメン店主が発するいい加減な発言というのは、なかなかに面倒くさいものだったりします。
年配の店主が昔のことをけむに巻く、なんていうのは冗談としてありでしょうが、いかにも真実のような顔をして大マジで嘘つかれたら、本当に困りますよ。
間違いなく裏に援助者がいる店なのに、店主がそう言っているからと「店主の梅澤愛優香さんは、この店を自分だけの力で起ち上げた。本当に凄いですね!」なんて、言えないじゃないですか。
なので手を変え品を変え、梅澤氏に確認すると、無視されたり次第に嫌がられたり。
つまり彼女は、ラヲタや評論家連中にとって「自分を現実よりも大きく見せようとして、つかなくてもいい嘘をつき、不確かな情報を流布させている、かなり面倒くさくて残念な人」だったわけです。
彼女がツイートで「皮肉、嫌味、難癖、茶化しなど」と言っているものも、実際は彼女のそういった姿勢に対するリアクションなのです。
ただし、彼女にそういう残念なところがあったからといって、何を言っても、どんな態度をとってもいいというわけではないし、人として問題のある言動・行動をとった人も少なからずいるのは確かでしょう。
そういう人は正しく糾弾されるべきだと思いますが、ただ、このような経緯があった上での梅澤氏とラヲタ・評論家との関係性を知らないまま、この後の騒動について「ラヲタも評論家も最低、まゆかちゃんかわいそう」と憤るのは、ちょっと安直すぎるのではないかと思うわけです。
そんなこんなでラヲタ界隈が梅澤氏に辟易している状況下に、ついにあのバカラヲタが登場します。
なにをとち狂ったか、梅澤氏が反社と関わっていると言い出し、営業を妨害。
彼女が関わっているラーメン関係の業者の中には、多少ガラの悪い人もいるでしょう。
そんな人のことを冗談半分に反社などと言っていたのを真に受けたんでしょうかねえ。
この件については、バカラヲタに100%非があり、別に擁護する気もありません。
ただ、この騒動によって梅澤氏が自分の嘘をうやむやにする絶好のチャンスを得たのは間違いのないところです。
バカラヲタの100%アウトな行動をあげつらいながら、これまでもラヲタ連中にはひどい目に遭わされてきたきたと訴えれば、何も知らない人はころりと騙されますよ。
そうやって自分に都合の良い空気を作り上げたところで、ラーメン評論家出入り禁止を発表。
もちろんセクハラもアウトですよ。
でもこの一連の動きによって、ラヲタやラーメン評論家が梅澤氏に向かって、彼女に都合の悪い話を振ることは、ほぼ不可能になってしまいました。
梅澤氏が一人で店を起ち上げた疑惑は、こうして闇に葬られたのです。
私は別に、ラヲタやラーメン評論家は悪くないなんて思ってないです。
これまで関わってきた人の中には、人間的に残念な人もかなり多いです。
でも、今回の件について、ラヲタやラーメン評論家がここまで一方的にボッコボコにされるような話ではないと思っているし、梅澤氏にもそれなりに非があるとは思っているので、拙い文章をまとめてみました。