はてなキーワード: プロモーションとは
ぜんぜんしっくり来ないわw
3-5分の動画をいくつも見ながらコンテクストを蓄積していく文化と1時間40分ドカンと見て終わりの文化が地続き的につながってるとどうしたら思えるんだよ。
観客にアンケート取ってみろよ、『カゲプロ』のようなPV的映像を期待して見に来たんですかって。そんなやつひとりもいねーよw
年号近いものを適当にならべて一席ぶつのってエアプ系のオタクがよくやるけど、元増田はその口だな。
なんでこんなバカみたいにヒットしかっつーと単純でプロモーションを大量投下したから。
内容も『秒速』に代表されるようなネガティブポエミーじゃないからな。モロ大衆向け。そこが合致した。
けっきょく川村元気の手柄が大きいんだよ、お分かり?
映画は観てない。彼氏が映画を観ないので、私も映画に行く機会がない。
新しい映画ができたのは知ってるけど、一日も早く終わって人目に触れなくなって欲しい。
山崎まさよしのファンだった。兄が貸してくれたHOMEというアルバムが刺さった。FAT MAMAって曲が好きで「お、私のテーマソングかな?」って感じで聞きまくった。
で、そうしているうちone more time one more chanceに嵌った。こんなふうに愛されたい。当時好きな人と桜木町でばったり会って告白されるみたいな想像をしまくってた。
だがしかし、世の中の受け止め方が違うことが徐々に分ってきた。その最初がカラオケ。今で言う虚路充が感情込めて謡いやがんの。「はぁぁぁ」って感じ。マジやめて欲しかった。
なんてこったい。男もまさよしを聴くんかい。よりによって、女子が探して欲しくないであろうタイプの男に限って聞いてるらしい。うげえ。でも、まあ、これは仕方が無い。と思ってた。
こうした私のもやもやとした気持ちにトドメを刺したのが新海誠なるクリエイターの秒速5センチメーター。観たよ、一応は。YouTubeだけどね。
キモイ。こんな幼稚な観れんタラタラの小僧の話がいいのか。わおわお。酒の場で額をテカらせながら語るオッサンも目撃した事がある。まったくの他人だけど、そんとき私物凄い嫌悪感を露にしてアンタの顔、つーか生え際、を凝視してたと思う。すまぬ。そんなとこにいるはずもないのに。
ううううう、何しやがんだよ、私のまさやんの名曲に、テメーら何しやがんだ。やめて本当、お前に探して欲しくない。いつでもって、冗談じゃない。あれは女子が自分を追い求める男子を想像するための歌なの。いい、よく聞いて。「お前」じゃないから。お前じゃないんだよおおおお。ぜえぜえぜえ。
と、新海誠とその劣化クローン達にめちゃくちゃにされた私のOMTOMCだが、その後は秒速の話題も消え去り、私の心は平和を取り戻しつつあった。
しかし、しかしだ、奴が帰って来たのだ。ネットでプロモーションされる彼の映画。電車の中吊りに掲げられる「新海誠」という文字。そういえば映画のタイトル忘れたけど、検索するのも嫌だから省略。でさあ、京浜東北線とかでいるわけよ。四五十歳ぐらいのおっさんが。見てんだよ、その中吊り。うわあああ。こいつも秒速観てて、その監督作品だから観ようかとか考えてんのかよって。消え去れ。お前が何を失っても許さねえ。どれだけ痛んでも会わねえ。いいか、テメエの人生no more time no more chanceだ、そいつと向き合え父ちゃんボーヤ。
ごめん、ひどい文章だ。でも、どうか一日も早く消え去って欲しい。受け入れられない、どうしても。
「価値」とはなんでしょうか。
しかし前売りでのこのような市場にて飛び交う価格は、あくまでもタレント看板だけの「タレント価値(ネームバリュー)」であって、
有名著名タレントだからというだけに殆ど依存された状態にあります。実際の中身はここでは完全に度外視された状態にある・・
これが実に不透明であり、不安定であり、実態のない価格になる・・。
とある、何代にも渡り市場の中でステータスを確立して来た、Aという人気ベストセラー自動車が新型をリリースすることになったとします。
「今まで総じてよいデザインだったし、エンジンも作りも他より毎度抜きん出ていたから、今回も良いに違いないだろう」という前評判は生まれやすいでしょう。
これはいわゆる「期待値」。実車の写真やスペック等、メーカー発表も何もない状態の中、価格だけを先に発表。
それを受けて早くも市場にて、期待値のみで価格が変動、高騰していく・・
中身を全く把握されないのに、定価と過去の実績や経緯から生まれた「期待価格」だけで市場価格が先行していく・・こんなことはあり得ませんね。
ライヴに特化すれば、これがあり得るとし、事前にオークション販売にて価格が釣り上がって行くことが、果たして健全な商法なのか!?と。
「事前価値」はあくまでも「仮の価値」なわけです。決定価値ではない。
もし本当にオークション販売など主催者がやるとすれば、せめてゲネプロのプロモ映像やステージ写真等を参考資料として、事前に揃え明かさなければならないことになります。
ライヴとは、行って初めて分かる、「開けてビックリ玉手箱」の要素が本分でもありますから、それはそぐわない。
だからゆえ、プランに基づいた「制作費」を基礎に定価を定め、なるべく均等広範に売ることが結局はベターなのです。
「高額転売」のみに言及特化しようとするため、その手法のみに知恵を講じようとしますが、それ自体はよいとしても、
その有り様がライヴ興行のあり方や根本的構造、ひいては多くのファンの純然なものまで大きく揺さぶり変えるとすれば、
メリットに対してデメリットの方が勝ってしまう、ということでしょう。
よって、オークション販売などは多くのアーティスト側が望まないことは容易に想像がつきますし、
長いプロモーション活動の中に位置づけられるライヴを、点ではなく線で勘案しているアーティストサイドとしては、
このようなやり方は不健全であると認識するでしょう。無論、時として特別な企画を全面にし、このような方式がとられることは有り得るでしょうし、
またそのような他のアーティストとは一線を画した、特異なアーティストが現れることもあり得るでしょう。
そしてそのアーティストが独自手法で探求していくという活動を行うことも、それはそれとして構わないとは思いますが。
但し、後者の場合そうした「広範な音楽市場から分離した」、「二極化や孤立化された」状態で長く売っていくことはおそらく至難の業であり、
極々狭い領域と特定ファンだけしか対象にしないと端から決め打ちし、僅かの利益で細々と生きていくとするならそれでもいいでしょうが、
そう望むアーティスト等皆無に等しいでしょう。
ライヴにおける本当のWin-Winとは、グッズや付加要素で、小手先だけで埋めるのではなく、多くのファンが一律に目の前のステージにて
アーティストの価値を共有する、ライヴ自体の価値を共有する、そのボルテージや反応によって更にアーティストが昇華する・・
その場その時だけの特別な空間でボールを投げ受けし合う・・ものにも多少よるものの、そこが核であり、それをファンもアーティストも期待します。
その本分を中心に置けば、ファンが二極化してしまうような売り方は受け入れられない、となるでしょう。
なので、高額転売に対する方法論は、諸悪の根源とも言える手法を販売元が公式的に成り代わり行うことではなく、
本人確認等のテクニカルなものを探求し構築、法的な整備、そしてファン側のモラル・・多面的に、同時に回して機能させることが総体的な抑制となるってことでしょう。
先ず、上の方の内容は一部誤解を生むと思いますので、訂正をかねて。
一般世間から観る「主催者」というのは、コンサートを運営している業者・アーティスト事務所・・それらひっくるめられ「全般」として解釈されている場合と
チケット販売やコンサート運営業者・・即ちプロモーターを指して言われる場合と混在していると思われますが、上の方が書かれているように
「主催者=コンサートプロモーター」とするのが正しいでしょう。厳密に言うならば、アーティスト事務所は主催名義ではなく「企画制作」という枠組みに入る場合が多く、
契約内容の如何はあるものの、現場は主にプロモーターが取り仕切り、アーティスト事務所は基本的に前面に立たないので、尚更プロモーターが主催者と捉えるのが適切と思います。
その上で。
>コンサートプロモーターと言う会社は、別にチケットが高騰してファンが困ってるかどうかなんて気にする必然性がありません
これは正しくないというか、粗い言い方であり誤解を生んでしまうと思います。
確かに完売が目標にありますから、一枚でも多くのチケットを売りたいし、売れることに尽力するのがプロモーターの仕事です。
プロモーター毎で年間抱えるライヴ興行は異なるものの、多くの催事を擁しており、これも各々異なるものの、全体の中で容易に売り切れるライヴはそんなに多くない・・
多少の程度にかかわらず「残券」が発生するライヴの方が寧ろ大半を占めるだろうと思います。
そんな中で、瞬殺完売のように短時間短期間で売り切れるものは楽ですし、逆に言えば人気のあるとされる代物ほど、何かの関係で売り残しが出てしまうことを避けたい・・
だからこそ、言葉はよくないですが「さっさと売り切ってしまいたい」という潜在的な欲求がある。
その意味では「売り主体」となり、売ってしまった後のチケットの動向など関与していられず、それを込めて「ファンが困るかは気にする必然性がない」、
つまり購入者より自分ら優先・・という言い方や解釈になっていると捉えられます。
しかし、あくまでもそのライヴ一本のみで捉え、極端な話その一本が終わればおしまいといった、個別だけで観れば“売りっぱなし”でいいかもしれませんが、
総じてアーティストの次回以降の開催にまで影響を及ぼすものですし、そのプロモーターは特段の事由がない限り次も仕事を請け負いたい(開催したい)はずなので、
顧客を蔑ろにすることは次回の販売へと影響をもたらすことに繋がり、「ファンが困ることを気にしない」姿勢はプロモーターの評判は勿論、
アーティストサイドの評判や評価、即ちタレント活動そのものに向いてしまい、悪影響を及ぼすこととなります。
なので一本だけ、個別のみに特化して単純に言ってしまえば上の方のような解釈になってしまいますが、実際そんなことはない・・
全国津々浦々大小のプロモーターがいますので、そのような資質にあるプロモーターは存在していて不思議はありません。
ですが、一本のライヴはタレント活動という長いスパンの中の「点」であって、プロモーションという側面で観れば既存ファンを維持しながら
広範の世代や新規ファンへと拡大したいという目的がありますから、「繋いでいく」以上、繋げていく以上プロモーターに拠るファンの動向は、
プロモーションとして請け負うことを本分にしているプロモーターであれば決し無視出来ず、ファンを蔑ろにしていいとは思っていないはずです。
もしそのような質の悪いプロモーターがいたなら、それはプロモーターではなく「イベント屋(請け負った催事をこなすだけの仕事)」の資質、体質にある企業と思います。
よって、多く買ってくれる転売屋は、チケットの売り上げだけ観れば結果的に“助かっている”側面は確かにある。
しかし現在の高騰市場の拡大は、タレントプロモーションを担っているという意識にプロモーターがあるなら、総体的にはやはり問題だと思っている・・
正しくは、益々無視できなくなって来たと認識しているはずです。
尚、意見広告にプロモーター名が入っていないのは、単に協会名に集約しているに過ぎないということで、
「名前を載せていない=各プロモーターが積極的に同意していないから」 とするのはあまりにもミスリードを誘う不適正な解釈でしょう。
正直、そうした話は見たことがない。
それでも、
「おおかみこども」の細田監督という人ならば、
(前者はシン・ゴジラの大成功以降、国民的監督とか言い出す人が出かねない勢いだ)
アニメファンでない私が、漏れ伝わる声からイメージする新海誠の評価って、
「たった一人でアニメを作っていうスゴイことをやった」
「なんか絵がきれいらしい」
という認識だ。
つまり、この人の卓越した実績ってのは『一人で作った』ってところであって、
ひとりでここまで作っちゃうなんてすごい時代だねー、この人は多才だねー
ってことなんじゃないの?乱暴な言い方なんだろうけど。
だから、アニメ界を背負って立つとか、そういう評価じゃないんじゃないの?そもそも。
それとも私が知らないだけで、
プロモーションがあったの?
最近は必ず、仕事に対しての対価が云々、自分の仕事をただでやれと言われてみろ云々を脊髄反射的に喚き出す情けないクリエイターきどりが増えた。
そういうこっちゃないだろ…
確かに、エンタメってのはたいてい「一度見たらお終い」だから金をとりっぱぐれればそのままだ。
バッグを売れば、それを街中で使ってる人間が同時に宣伝にもなってくれる。
店頭で手に取って触れてそれを持ち歩く自分を想像して、殆どそれを買ったときと同じ体験をフルで味わいながら、なお金をとりっぱぐれないなんてことが別に難しくも何ともない。
見られたら終わり、遊ばれたら終わりでありながら、見て遊んで得られるものを売らなきゃいけない。
しかし、どこの誰が、そもそも面白いかもわからない、どこぞの馬の骨が書いた落書きにひとまず金を出してくれるんだ?
中身も見せないで落書きを売りつけて、それが本当に金の無駄でしかなかったときに、逆にお前はちゃんとその金銭への「対価」を補償出来るのか?
お前のその中二からずっと温めてきた陳腐で中身のない妄想は「亜書」と何が違うんだ?
エンタメってのは、「労働力」を買ってもらえる生温い商売じゃない。
つまらないものを売りつけたら、今度はお前が詐欺師呼ばわりされる覚悟をしなきゃいけない。
社会を舐めてるのは、そんな時間給がきっちり貰えるアルバイトかなんかの気分でエンタメなんて水商売をやってるお利口ちゃんたちの方だ。
そして、そんなお利口ちゃんが作るセセコマしい「エンタメ」に、いつまで人が興味を持ってくれるだろう…
「エンタメ」が不便なだけで面白くもなんともないものになったら、誰もそれを求めなくなるだけだ。
対価が欲しけりゃアルバイトでもやってれば良い。
クリエイターになるということは、自分という資産を育て、その名声だけできっちり回収出来るビジネスモデルをつくりあげると言う事だ。
お金の発生する仕組みについて一ミリも考えたことのないおバカボン以外は普通知ってると思うが、いわゆる芸能の世界はこういう意識でみんなやっている。
準備にかける手間や時間も入れると時給換算でも決して高くない上に、番組の枠というのは物理的に限られる。
ラジオに至っては、2時間番組(もちろん準備を入れるともっと)で数千円なんてまさにアルバイトの時給以下の金で一生懸命プロの仕事をこなしている。
ミュージシャンがCDを出しても、歌唱印税はたったの1%。作詞作曲を入れてもせいぜい数%。
こちらはテレビに出てもそもそも「プロモーション」だからギャラも貰えないなんてことも少なくない。
普通の人が「芸能人の仕事」だと思っていることだけで稼げる額は、超大御所でも微々たるものだ。
ではどこで稼ぐのか。
テレビでラジオで売った「顔」を、直接見せるという体験を買ってもらう。気軽に買え、日常の中でも邪魔にならないようなものに「変換」して売る。
彼らに比べて、「コンテンツ」制作を生業にしているつもりの「クリエイター」きどりの連中のなんと甘ったれたことか。
そこまでとやかく言って気軽に作品に触れる機会を奪っても、てめーごときの落書きを誰もが進んで金出して読んでくれると本気で思ってるのか?
「プロモーション」を貴重な時間を使ってしっかり見てもらって、この上必ず買わなきゃ泥棒扱いとか何さまのつもりだ?
「プロモーション」で満足を与えられないようなものにどこのアホが金を払う?
てめーの資産をてめーで育てる戦略も立てられねー、労働者気分のボンクラが手を出していい商売じゃねーんだ。
しかし、ヤフージャパンのセンスには心底がっかりさせられるし、はっきり言って業界のイメージを損なっている。
ヤフーは言うまでもなく、日本最大のページビューを誇るポータルサイト。
ヤフーはアカウント作り放題だから延々とネトウヨの罵倒コメントが続く。
理由を考えてみるとおそらく、
「やめるとページビューが減る」という事に尽きるのではないか?
ヤフコメ欄の連中は何度もしつこく書き込む&見に来るので見かけ上のアクセス数が稼ぎやすい。
これをやめると突然、見かけ上のアクセス数が減り(ユニークアクセスは変わらんだろう)成長が至上命題の私企業としては、株主に説明しずらい。
しかし、これでは広告を出稿する側(Yahoo!プロモーション広告という)も広告の表示数を信用できないではないか。
あるいは「やめるとアカウント数が減る」という事もあるかも知れない。
ヤフコメ欄のユーザーはせっせとアカウントを乱造してくれるから、アカウント数の水増しには好都合なのかも知れない。
特に「みんなの政治」という参加型コンテンツ()は、投票の為にガンガンアカウントを乱造してくれるので、アカウントの水増しにはもってこいではないか。
しかし、名誉棄損や侮辱罪が簡単に成立するコメントをガンガン書かせる企業とはいったいどういう企業かと思う。
もちろんヤフーは違法性の疑われるコメントは「後から」消しているらしいが、「後から」では違法コメントが最低でも一度は表示されるわけだ。
ヤフーのような企業態度の事をページビュー至上主義というのだろうが、ネット黎明期ならまだしも2010年代超えてもまだこれかい!、と思わざるを得ないのだ。
それ古いですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=2r0_F-_ClcQ
https://www.youtube.com/watch?v=TyIkvadJU1Q
これらなんだけど
PVの中で示されているのはまさにポケットモンスターのコンセプトといえるものだろう。
野を駆け、虫を捕まえた少年時代の一夏の冒険。そんな普遍的な体験が詰まったゲーム。
さらにゲームを通じて、現実の子どもたちの人間関係も拡張していき、遊びが広がっていく。
それはいいんだけど、このPVはいささかノスタルジーに溢れすぎていないか。
タイトルでは「ジブンを越えよう」「キミの毎日が」と、子どもたちに向けたPVであるように示しているが、
初めの動画で少年がプレイしているのはVC版とは言え初代の赤緑だし、
PVに登場するモンスターも新ポケモンの他は、初代のポケモンが目立つ。
夕暮れでセピアがかった田舎の風景や、大家族の食事風景なども、サマーウォーズなんかにあるような「都会の大人が憧れる田舎」のテンプレである。
スマホやPCが全く出てこないのも違和感がある。今の子供達の毎日にネット回線は日用品だろう。
当然、実は大人に向けたプロモーションなんですと言われれば、それはそれで理解できる。
理解できるが、やはりポケモンの主役は子供たちだと思うし、事実子どもたちをメインターゲットに商品展開をしているだろう。
これらのPVを見て子どもたちはこのゲームを自分たちのものだと思えるのだろうか?
もっと素直に、ゲームそのものの楽しさやカッコよさをプロモーションをしなければ、子どもたちの心は離れていってしまうんじゃないだろうか……
藤島が自分の子供より年の離れた31年下レイヤーと出来ちゃった結婚
十代の頃からTwitterで赤ちゃん言葉でソーセージをしゃぶるのどうのイチャイチャしていた
等々ネットを騒がせている
それでそのゲームのプロモーションを見たのだけど、何か気持ち悪くて見てられなかった
https://www.youtube.com/watch?v=Vw2OsFJMprg
私は声優じゃない人がやる声優結構好きで、スターは声に華があるし独特の味があっていいと思ってた、特にどうしようもないほど下手なスポーツ選手声優もゲスト出演て感じで普通に聞ける
下手すぎて見るのが辛いって思ったの結界師のクラスメイトの女の子くらいしかなかった
だから声豚が声優以外を執拗に叩いたり、耳に精液どうのう騒ぐのがバカみたいで気持ち悪いと思っていた
でもなんかこの、素人が声優臭い声で下手な棒演技をしてるの、枕で勝ち取ったのはっきりしてるし気持ち悪くて
耳に精液がかかるだっけ?そんな気分になり途中で閉じた
はてな見てると、作家やデザイナーやライターにとって版元編集者は
「強者」に見えるんだろうなと思う。
でも、そんな人は上澄み数パーセントだ。
ネットで著者を血眼で探し、新人にはとことんディレクションし、
社内内部調整に駆けずり回り、デザイナーやライターに頭を下げまくり
ようやく本ができて、プロモーションも全部仕込んで、PR記事を書きまくり、
で、売れない。
1年がかりで作り上げた本も、3週間目には「存在しなかったこと」のように扱われ、
まあそれでも半年後くらいに、ノルマ未達成率とともに赤字額が提示される。
これを年間15回くらい繰り返す。
それを何年も、繰り返す。
やがて社内での立場もどんどん弱くなっていき
やばいと思って転職しようとしても、ヒットコンテンツがなければ他社にはそうそう入れない。
「紙の編集者はプライドだけ高くて使いにくい」みたいな雰囲気になってる。
つぶし効かないから、20代前半ならともかく、異業種への転職はかなり厳しい。
どこにも行けない。
自分の担当作は売れない、という事は痛すぎるほど分かっているのに
新人作家は、編集者はなんでも正解を知ってると思ってる。言う通りにしますと頼ってくれる。
私についてきちゃだめなんだよ。
漫画家さん、デザイナーさん、ライターさん、編プロさん安心してください。
版元編集者にも逃げ道なんてどこにもないですよ。
ブコメしてもらった「担当される作家が被害者」これは本当にそうです。
自分には力がなかったなんて、思わないでください。
私のように編集者がポンコツだったのかも。
同日発売が多すぎて書店で埋もれたのかも。
とにかく本が売れなかったのは、あなたのせいじゃない。
それでも出版したのは決裁する全員がきらめきに賭けたからです。
重版しようがしまいが著書はかなり強い名刺になるから、がんがん使ってください。
どうか作るのをやめないでください。
音楽で評価されたいから、テレビでバラエティタレントみたいなマネはしない、
みたいな姿勢、テレビに出る、出ないというバンドのプロモーション戦略って、
ずっと昔からあると思うけどな。
例えば、大槻ケンヂが「サブカルで食う」って本の中で、80年代のバンドブーム当時、
ストリートスライダースとか、本物のロックバンドはテレビには出ない。
自分は、メディア出演に積極的だったし、キャラ的にもお茶の間に出しても大丈夫なので、
みたいな話をしてる。
探せばもっと昔の70年代、60年代くらいから、そういう話は出てくるんじゃないだろうか。
連絡手段は、従来のメールに変わり様々なチャットやメッセージツールが使用されてきている
ビジネス用途でも例外ではなく、クライアントが特定のツールでのやり取りを希望することは多い
特にチャットワークはB向けのプロモーションに力を入れており、その傾向が強い
チャットやメッセージツールを使用することで、以前よりもコミュニケーションの敷居が下がったことは確かだ
ただ、「敷居が下がったこと」と「手を抜くこと」を混同している人があまりに多く辟易している
メールではわかりやすく連絡してくれていたのに、チャットツールになるととたんに杜撰になるのはどうしてなんだ
何故、簡単な日程すら、複数のメッセージに分けてこんなにもわかりづらく連絡してくるのだ
何故、メールでは「○○でお願いします」と具体的であったのが、「あれでお願いします!」になるのだ
あれってどれですかって感じだ
プロジェクト管理ツールとかは、チケット地獄のように問題が可視化されて、やり方考えないとね、となりまだ改善性があるのだが
チャットツールでは、何となくで進んでしまい、問題も可視化されずに流れていってしまう
気軽に連絡を取ることができる故に、プライベートの延長線上の感覚で使用しているのだろうか
敬語を使って欲しいとかそういう意味ではなく、いつ、どこで、誰が、何をという基本的な確認事項が適当すぎではないか
これで「前より楽になりましたね」と言う人がいるのだが、毎回よくわからない内容を聞き返しているこちらの身にもなって欲しい
皆さんは、チャットやメッセージツールで本当に仕事がラクになったのでしょうかオラァァァァ!!!!
もっと自分の仕事ぶりを! 何のためにツールを使っているのかを! 見つめなおせやこのクソ野郎どもがぁぁぁぁ!!!!
「ビジネスが加速する」ってアホか!
ブレストや相談とかならわかるけど、チャットで仕事の進行管理するって頭おかしいだろ!
あ、これ、仕事で使うのは無理だよなって!
TV/Web会議をはじめとしたITによるコラボレーションツールがこれだけ充実・高度化した現代でも、人は出張する。理由は明確で、物理的に現地にいる必要性はなくならないからだ。面と向かって討議しなければならない込み入った話であったり、現地での署名や式典など儀式的な意味合いがあったり、または「わざわざ日本からそちらに行く」ということで事の重要性を訴えるパフォーマンス的なニュアンスを含んでいたり…と、その必要性はさまざま。
特に中間管理職の場合、出張には大きな投資とリスクが伴う。投資とは、移動や事前の段取りなどの時間的なもの。リスクとは、日本の仕事から一時的に離れなければならないところ。
この内、後者については信頼できる部下さえいればさほど心配すべきことではない。だが、自分が不在時でもその部下に日本での仕事を任せきることができるのであれば、そもそも自分は日本必要はない。ダブルで管理体制を悠々と構えさせてもらえるほど会社も甘くはなく、常にギリギリで回せという体制図になっていることがほとんど。
そのため、自分が日本の仕事から離れるというリスクは、前述の時間的な投資で軽減を試みることになる。王道は出張期間中の部下の仕事を可能な限りTo-do、つまり「やるだけ」の状態にする。その上で発生する問題は、極力部下たちで自律的に対応・解決してもらう。ワークフローシステムなどの「型」が必要な承認以外は、彼等に決めてもらう。ただし気を付けなければならないのは、このTo-do化をやりすぎると部下は「そんなに心配(=私達を信頼してない)なんですか?」と思われること。だから部下の部下にまでは指示はしない。「だいたいこんな感じで!あとは頼んだ!」程度。ここで結局のところ問われるのは、当本人が部下に寄せる信頼に裏打ちされた「任せる勇気」なのかもしれない。
このように「自分は本当に出張に行って大丈夫か」を確かめるのと並行して、出張自体の段取りに入る。
まずは航空券。会社によっては決まった代理店を使うことが多い。これはアシスタントや秘書がいたら任せるのもいいが、自分でやったほうがよい。出張のスケジュール詳細と航空券の調整を並行するのが一番効率がいいからだ。出張中の打ち合わせ>その他の人と話す時間(公式の会議とは別の声掛けや激励)>日本の状況を気にする時間>自分の作業時間(まとめ/ラップアップ資料作成など) の優先順位で、発券期限ギリギリまでスケジュールを綿密に詰める。ゆるいスケジュールだといたずらに出張期間が延び、狙った成果も出ない。そうは言っても、夜は必ず空けておく。大抵なんらかの誘いは来るし、自分の作業時間がつぶれた場合のバッファにもなるからだ。
はじめていく会社、またはお客さん/クライアントではファシリティ面も注意したい。作業場所、Wi-Fiなどの兵站系は向こうでバタバタするほど無駄なことはない。数回行っている拠点/支社なら、総務・情報システム系の人と仲良くしておきたいところだ。それ以降、直接的にトラブルシューティングもお願いできる。
ここまでは、誰しも部下や後輩を持ちながら出張する人なら普通に考えていること。ここからは部下のみならず上司もいる、中間管理職特有の話。
中間管理職は、誰か偉い人の右腕的なポジションで出張に帯同することもある。でも基本、他の誰かで済むならこういう出張は断る。その断り方はその上司との関係にもよるが、自分の場合「絶対行けないわけではないですが、たちまちアノ仕事がこのくらい遅れそうですね、あとコノ仕事はこれくらい質が下がりそうですね」とか返している。「うわ、なんかめんどくせーこいつ」と思わせたら勝ち。回避した後「ご一緒できなくて残念です点帰ったら色々お土産話聞かせてください、帰国日にどこか日本食でも予約しときますよ」とした上で、自分の身代わりとして犠牲になった人もあわせて誘っておくまでがセット。2次回はその犠牲者とサシで。テンプレだとバレていても、断ったことに見合う仕事を日本でしっかりとして、帰国後に彼等をねぎらえばいい。
上司帯同型の出張には、上とは逆に、自分の出張に上司がオマケでついてくるというパターンがある。本当に必要なときはこちらから言うのに、「ここは俺がいないと始まらんだろう」と言わんばかりにしゃしゃり出てくる。バンコクや一昔前の広東地方など夜の世界が充実している地域に行くときはとくにそう。さすがにこれは向こうからオファーしているので、「いえ、来なくていいです」などと無碍に断りにくい。それがゆえにこのケースは本当に面倒くさい。とはいえ、それ逆手にとる方法もある。ややこしい会議、言い換えれば程度権威をもって場を制することが必要な会議を予定にねじこむ。そしてそこだけに意識を集中してもらう。当然シナリオもこっちで用意する。使えるものは「親」でも使うスタンス。
だがこれには大きな代償がつきまとうことが多々ある。経験上では、しゃしゃり出てくる上司に限って、出張に不慣れなことが多い。移動中やたらと街中で立ち止まって写真を撮りたがる。反スパイ法がいまだ絶賛プロモーション中だと考えられる中国ではやめてほしい。安全面もそっちのけ、南米なのに財布がポケットから見えてたりとか…。たまに今夜は別行動で…とか言うと怒る/すねるのも勘弁してほしい。出張に来ると毎晩飲み会だと思ってる。じゃあ日本で毎晩飲み会してるのか?と。昨晩の夜の世界での出来事の反省会をオフィスでやるのもやめてほしい。
こういう上司は、頭のどこかで出張≒旅行と捉えている。発想からして狂っている。また、こういう上司は最上部に書いた部下の仕事は全然ケアしてないから、社内クレームがひとつ下の上司に、つまり自分にやってくる。そして出張前の各種調整なども日本と現地のアシスタント同士に任せっぱなしだから、いざ現地についてあたふたする。挙句の果てには文句を言いだす。フライトが朝早いだの、空港ラウンジが遠いだの。
もちろん、これはすべての上司がそうというわけではない。あくまでひとつの傾向。だがかなりの割合でこうなのも事実。対応は唯一、現地の駐在員をお土産で買収する。出張前にリクエストを募り、それを現地到着時に進呈する際、「じゃあ夜はあのおっさんの面倒頼んだぜ」とする。夜のアテンドは現地駐在員はお手の物、餅は餅屋。
よく本などでは「上司は部下の下僕」と言う。こんなこと書いている本は読んで理解はできるが、体現するのは難しい。だから自分がそういうポジションになったとき、少なくとも部下の足を引っ張るような存在にはならないようにと、上記をメモっておこうと思う。
器量良し、エロい、そしてエロいの三拍子揃った女性声優(Sさん)の、ここ数日における営業攻勢に失禁が止まらない。
以前から「かわいい」、「オッパイが大きい」、「やっぱりオッパイが大きい」と人気がある御仁だ。
本人もそのことを理解していて、Twiiterやブログにメチャシコな自撮りをよくアップしていた。
お顔のアップ、お胸の大きさがハッキリ出る服、お胸の大きさを強調するようにピンと反らした上体。
さらにサブカル、ミリタリー、今は亡き東側の盟主テイストの趣味がご贔屓で、オタサーの姫としても抜群のコンテンツ力を持っている。
いや、オタサーの""女帝""と尊称すべきだろうか。若い女性で、おいしさイナズマ級なのである。
ベッキーとは対照的に危機管理能力も高く、すみp……スペツナズである可能性は否定できない。
とりわけ、Twitterにあげたエロい写真が電子レイプされた時の対応は瞠目に値する。
写真の彩度を弄り、白服下のブラジャーを視認可能なレベルまで透けさせるという革命的同志が現れてしまったのだ( http://livedoor.4.blogimg.jp/himasoku123/imgs/f/4/f482ac7a.jpg , http://livedoor.4.blogimg.jp/himasoku123/imgs/1/0/1061a4d5.jpg )。
日頃からドル売り女性声優はズリネタにされ、基本的に人権はない。
しかし、今回は事務所の許容範囲を越えたようで、Sさんのツイ垢は無期限凍結された。
今後しばらくはブログで活動報告するという。極東のマカーキが求める、しおらしい女性像を意識しての対応だ。
正しい。政治的にはアウトだが、業界的にはジャスティスである。
声ヲタは、愛を売ってドルを稼ぐ女性声優にさえ貞操観念を求めるのだ。
クリスマス前後の言動には彼らによる検閲が入り、結婚したら必ず報告しなければならない。
反動分子を粛清し、「すみぺ、俺たちに負けるな!」とアジっていたシンパをシベリア送りにし、何事もなかったかのようにTweetを続けられてはお猿さんたちが黙っていないのだ。
Twitterにおけるこの大陸的撤退戦は定石であり、それほどニュースバリューはない。プラウダも書かないだろう。
事変後、最初に投稿された写真は「かわいいお顔、オッパイ」である( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/a/1/a10052cf.jpg )。
一見すると何も変わっていないようだが、もうスターリングラードのあとか先かくらい違う。
無論、透けてはいない。
さらにフリルがあしらわれており、身体のラインがダイレクトに出ない淑やかさも認められる。
しかし投稿されたのはTwitter凍結通告の翌日だ。彩度はダメだけど、別のモノなら弄ってもいいよというクレムリノロジー的メッセージが読み取れる。
さらに3日後には、黒のゴスロリお衣装と縦セタという、スプートニクショックが襲う( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/8/8/885f0b4d.jpg , http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/8/8/880292d0.jpg )。
黒は『まだ喪に服しています』という謙遜、縦セタは脈アリ。飴ムチである。彼女ならクリミアだって治められるに違いない。
そして4日後の3月12日、グラスノスチ。高シコリティーな御真影が復活する( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/6/e/6e57cbd8.jpg )。
ホワイト!!(絶叫)ではあるものの、中には黒のインナーがしっかり。""分かっている""
そして2枚目( http://line.blogimg.jp/uesaka_sumire/imgs/b/c/bc75e99e.jpg )では大きく開いた胸元から谷間がЗдравствуйте!
╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !
素材だけ並べましたーって感じのライブだった
素材自体は美味しいのでそこそこ楽しめたんだけど、松坂牛アワビフォアグラキャビア等々をとりあえず並べた感じなのでコース料理的な絶頂感と余韻は皆無だった。アンコールの声も少なかった。自分もアンコールする気分じゃなかった。
構成がやばいとかそういうんじゃなくて、構成自体なかった感じ。
構成次第ではライブ名に相応しい超絶頂感を出せたんじゃないか?って思ってる。すごく惜しい。
あと公演時間短いのも淡泊だった。このチケット代金でこれかよって。キャスト豪華だからまあそれ相応の価値はあったんだけど肩すかし感凄い。今後の展開の発表もなかったし。せめてフィギュアやコラボの告知くらいしたらどうだ?って思った。商売下手かよ!
公演仕切ってるのどこだこれ?サンライズプロモーションか?それともBREAK OUTプレゼンツだからテレビ朝日かテレビ朝日ミュージック?
富野監督があれだけ子供に見せたいと言っていたのに深夜放映(BS11で19時半から再放送はあったものの)に終わってしまったのってなんか哀しいな
そりゃあGレコが大々的に子供向け商品展開をして成功するかと言われたらやっぱりイエスとはいえないけどさ
富野監督が子供に見せたいガンダムとテレビ局の大人が子供に見せたいガンダムは違うものだったってことですかね
「良いものを作れば幅広い層に届きうる」という風な建前をのたまう人がいて、それはある程度正しいものだとは思うのだけれども、
子供は自分で良いものを探せるほど成熟していないし、探すにしても行動範囲は限られる。
そして、その狭い行動範囲の中に出会う機会を設けるというのがプロモーションの仕事であり、結局は子供に何を見せるかを決めるのは大人になってくるわけで、Gレコではその大人を納得させられなかった、という話になる
(追記:別にヒットとかしなくてもいいから、最低限は監督の意思を尊重して子供が見られる放映形態にしてほしかったという話である)
入社してすぐのプログラミング研修で、自分にエンジニアリングの才能は無いなと気づいた。
同期でものすごく才能あるやつがいて、そいつは自分の3倍くらいのスピードで課題を解いていく。
あ、これ俺は終わったな、と思ったが、そうでもなかった。
自分に才能は無いと自覚した後、自由な社風なので志願して複数の部門をかけもちさせてもらった。
飛び込み営業からコールセンター、プロモーションや運用部門、当然プログラミングやサーバー管理、ディレクターやデータ分析の部署も。
1部署は半年から1年くらい。それをかけもちしながら、6年で18部署を経験した。
もちろんその部署をやってる間はその仕事に関係する本を読みながら、必死ですぐキャッチアップできるようにした。
各部署の人から最初は嫌がられることはあるが、他部署の知見を持っているというのは意外と役に立つもので、すぐに価値は出せてくるもんだ。
個人的な感覚値としては、1部署で半年から1年くらい働けばだいたいのことはわかってくるし、そのあとの学習曲線は急速に鈍化する。
4年目くらいから、急激に自分の出せる価値が多くなってきた。また、他社から誘われることも増えてきた。
複数の部署を経験していると思いの外、「みんななんて非効率なことをやってるんだろう」というのに気づける。
ディレクターは、そんなのコールセンターに聞けばすぐわかるのにというニーズにうじうじ時間をかけていたりする。
プログラム書いてるやつはその後そこに入ってくるデータがどんな風に分析されるかなんて考えたこともない。
営業は10人月かかる変更も1人日で終わる変更も同様に要望として上げてくる。
重要なのは、今の日本にはこうした複数の業務をガンガンやったことある人はほとんどおらず、
だからこそ超貴重な人材になれる。実際引き抜きの話も本当に多くなった。