はてなキーワード: tbsラジオとは
https://www.tbsradio.jp/156877
TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る presents 第1回 スーパー総選挙」トップ30
※( )は票数
1位 オーケー (214)
3位 SEIYU (81)
4位 サミット (70)
5位 ライフ (58)
6位 ベイシア (52)
7位 イトーヨーカドー (49)
8位 マルエツ (48)
9位 イオン (46)
13位 ロピア (27)
14位 カスミ (25)
18位 コモディ イイダ (16)
18位 サンワ (16)
21位 ベルクス (14)
21位 マミーマート (14)
21位 とりせん (14)
30位 三徳 (9)
30位 ロヂャース (9)
30位 ダイエー (9)
30位 ワイズマート (9)
1位「オーケー」…群を抜く安さはもちろんのこと、「オネストカード」に代表される正直さや、徹底的に消費者目線に立った販売姿勢が熱狂的ファンを生んでいる様子。
2位「ヤオコー」…元・埼玉県民、現・埼玉県民の圧倒的な支持により準優勝の座に。安さとサービスの良さに加え、地元に密着したブランド力が人気の理由か。
3位「SEIYU」…安さもさることながら、24時間開いている店が多いことや、食料や日用品だけでなく衣類や家電なども買えるところが支持を集めた。選曲のセンスの良さにも定評あり。
4位「サミット」…品揃えがいい、陳列が見やすい、店内が広い、不思議と落ち着く、などの声が多かった。また、イートイン「私の喫茶室」も好評。
5位「ライフ」…数あるスーパーの中で唯一、複数の懸賞ファンから支持を集めた。売り場の工夫を褒める声も目立った
6位「ベイシア」…群馬県を中心に広く関東圏からの得票を集め、中間発表から大幅ジャンプアップ。
7位「イトーヨーカドー」…長い歴史と抜群の知名度で、幅広い層から満遍なく支持されていた模様。日常的に使う店として愛されているようだ。
7位「マルエツ」…品揃えや店内の清潔感に加え「Tポイントが付くから」という理由での投票も多かった。「お店ごとのポイントカードはわずらわしい」との理由から汎用性の高いポイントカードが喜ばれる傾向は他の店にも見られた。
9位「イオン」…スーパーというより、ショッピングモールとしての総合力を評価する人が多かった。
10位「オオゼキ」…投票意見の多くに「レジの皆さんのテキパキした動きがよい!」との声。
メディア初の試みとなった本企画を振り返り、番組パーソナリテのジェーン・スーは「スーパーはただの買い物ではなく日常のエンターテイメントだ」とコメント。結果の多様性や意外性に対して、第1回目にして各所から大きな反響が届いている。1位に輝いた「オーケー」には番組から賞状を届ける予定とのこと。
ユータカラヤも好きだけど。
ことインターネットでは、思想や支持する政治スタンスによって左から右のカラーリングを分け、しばしば自分と違うカラーリングの人をバッシングする様が観測できます。
しかし、至極当然ながら、カラーリングでの敵味方のカテゴライズは非常に危険です。集団効果は、異を唱える人間がいないことから自体を悪化させるため、お互いがお互いのイエスマンである関係は非常に不健全と言えるでしょう。
そして、バッシングする際に、相手のバックグラウンドを浅薄だと断定し、それ故の容赦のない罵倒をしている姿も散見されます。
ネトウヨ、パヨクとバカにするさまがまさにそれに当たるでしょう。
実際、ネトウヨと罵倒されても仕方ない、パヨクと罵られても仕方ない、そんなふうに思ってしまえる無茶苦茶な人もいますが、それはそれらの言葉が実際使われる頻度よりは遥かに希少なものです。
何故なら、呼称される側が、"その考えに至っても仕方がない"というシチュエーションが大半だからです。
例えば、私はここ六年ほどの韓国政府には一定の猜疑心を抱いていますので、韓国政府がおかしいと思うことは多々あります。
原発に関する強い否定をする方々にも少々距離を置きたくて、放射能を過度に怖がる事がかえって福島の方々を苦しめている様は正視に耐えないものがあります。
一方、組織犯罪処罰法の改正案の際は常に政府への不信感があり、ろくに修正されずに可決したことは心の底から落胆しました。急すぎだろあれ。
また、辻元清美と埋め立て作業員の関係に関しては、私は完全にデマと判断しています。
しかし、人によっては私の韓国や原発への言及をネトウヨ認定するかもしれませんし、組織犯罪処罰法改正案の話や辻元清美の言及ではパヨクと認定するかもしれません。
しかし、それって結局、自分が信じるスタンスと違うからってラベリングして叩いてるだけじゃないですか。それこそ浅はかじゃないですか。
人がその発言をするまでには、前提として知っている情報があって、それは見たテレビのチャンネル、読んだ新聞等によって変わってきますよね。
また、どんな知識を今まで培ってきたかによって、情報の受け止め方、咀嚼の仕方は違います。
それらの一人一人の違いは、たった一つのイシューの違いでネトウヨだのパヨクだので判断できるものでは到底無く、物凄い幅のあるグラデーションなのです。
さっき韓国政府の話をしましたが、日本から見ると無茶苦茶に見える政府の対応も、国の文化や制度を理解すると、なるほどと合点のいく場合も少なくありません。
ゲーム理論に基づけば、条件さえ揃えば多くの人は同じ行動を選択します。だから、何も不思議なことではないのです。自分の殻に入ったまま批判をしても仕方がないのです。
であれば、自分とスタンスの違う人間が何故そんな発言をするのか、考えに至るのか、そこに至るまでの流れを、相手の浅薄さと断定せず、何か理由があるのでは、と考えてみて欲しいのです。
原発の放射能の問題は、シーベルトやベクレルと言った単位が、どの値からどれくらいの健康被害が出るのか未だにはっきり断言できず、かつ政府への不信感も合わさることでとにかく怖がっている様子が見て取れ、自民党はエネルギーのベストミックスと位置づけ原発の廃止をする様子がないことから、恐怖感を持っている人はとても強いアレルギーを抱く様子が想像できます。
それらの人の人生に、原爆、スリーマイル島、福竜丸、チェルノブイリと言った深刻な事故の記憶が深く刻まれているなら、尚の事です。
テロ等準備罪と言われる組織犯罪処罰法改正案も、政府が立法事実にしてることが全部薄弱な根拠であることに目はつぶるとして、完璧に事件を未然に防ぐには、NSAのような事前の操作能力がプライバシーを侵しかねないほどの大きさで必要なのも、理解はできます。
辻元清美の一見も、生コン会社との献金の話は本当でしたし、籠池夫人のメールが修正求められてそれにメディアが応じたのも、メディア不信の人間からすると、極めて辻元清美に有利に動いたよう映るのもよく分かります。また、訂正報道をしたのも、TBSラジオであり、TBSは過去、石原慎太郎の発言を事実と違う形にテロップをつけて放送したことがあるため、信用に値しない、と判断する人もいたことでしょう。
考えはわかる、理解はできてる。
それでも、違うものは違うときもあるのですよ。でもそれは、発言者がネトウヨだからでもパヨクだからでもない。前提にする知識がまちがっていたり、あるいは不足しているから、事実に即していない発言になるのです。
韓国政府は、バックグラウンドや法制度、政治のルールを把握すれば、行動は理解できますが、それが国際法や外交の態度として適切かどうかの指摘や非難は、妥当な範囲でされて然るべきです。
原発を過度に恐れるのと福島への偏見をもつのは、感情論が先行している側面は否定できないでしょう。地域の測定データは常に掲載されており、農産物は問題がないと断定できます。健康被害は今後も観測が必要とはいえ、今のところ現れていません。
恐らくリスクがあるだろうと推定できるので怖がるのと、リスクがゼロじゃないから怖がるのとでは、随分違うじゃないですか。この場合、後者の怖がり方をしているように見えるわけで、その場合、この世に絶対がない以上、安心は得られないって事になります。それは極論だとしても、大丈夫であろうってデータが出ているのですから、それを無視して原発を恐れるあまり、福島を過度に恐れるのは、差別につながるってリスクを知って頂くことで、大丈夫であろうってデータを真摯に受け止めて欲しいです。
組織犯罪処罰法改正案も、政府の説明する立法事実が根拠薄弱である以上、仮に荒れる議題だとしても、プライバシーと犯罪抑止の議論はしっかりとするべきだったはずで、その点政府は本当に不誠実であったと言わざるを得ません。
辻元清美の一件も、何故籠池夫人がその話を知っていたかという視点に当てると、メールを送ったタイミングのほぼ直前に、そう言った無根拠のデマが松山昭彦氏らのブログに載る形でネットに出回っていた事を確認できる以上、それを見た夫人がメールを送って、そのメールがマスメディアに掲載されていたであろうと言う流れを把握して、真偽を推し量ることが必要です。
もちろん、この四つの話題、私のこの書き口に批判があることでしょう。
しかし、批判されても全然いいんです。私は私の知り得る限りの情報から、これらの話の結論を持ってきました。違う結果が出たのなら、それは違う前提知識によるものです。その知識をもとに私を批判することは、私に新たな知識と知見を提示することであり、それは私にとってもとても望ましいことです。
真実の探求やより良い形を求める際、ディベートという討論方式が用いられます。
これは、いわゆる言論の喧嘩ではなく、それぞれの立場になって、立場をロールし、それぞれの立場で知識を用いることで、より良い決断や探求を行うための会議話法なのです。
自分と違う意見の人間がいたら、すぐに「あなたは間違っている」と言うのではなく、「何故そう思うのですか」と聞き、自分との違いを浮き彫りにしながら、相手の立場なら自分はどう考えただろうと想像する。それだけで、随分言論は平和になりませんか。
私の両親は共に政治思想はリベラルですが、父の場合は洋楽にハマってアメリカ文化に興味を持ち、その一環で公民権運動に感銘を受けた背景があります。
母の場合、フォトジャーナル誌を出先の銀行で読んで衝撃を受け、以後反戦の思いが強まるとともに、中東問題に強い関心があるためであります。
二人とも、共謀罪反対、自民党を快く思ってないって点では一致していますが、根っこに同じものが根ざしているわけでは、全然ないのです。それも、同じ時代を生き、長らく生活を共にしてきた夫婦であってさえ、です。
それだけ、一人一人、考えに至るまでの前提って違うと思うのです。
だから、ネット上で自身と違う意見があっても、想像の翼を広げて見てください。向こうにいるのは同じ人間です。必ずしもその人はあなたより劣っているのではなく、あなたと違う人生を送ってきただけなのです。
バニラ・エアの件、論点が増えすぎてうやむやになって終わりそうだったので、論点をいくつかに分類した上で私が思う問題点について書いてみます。
長いので結論だけ先にまとめておくと、車椅子利用者のみが自主的な事前連絡を求められていることはバリアフリーでなく、より確実なバリアフリーを目指すために航空会社がシステムの側で対応すべきということです。
ちなみに私は健常者ですが、中学の時にこのエントリと同じような趣旨で卒業レポートを書いたり大学で車椅子利用者向けのインターフェースについて勉強したりしていたので、どちらかと言うと車椅子利用者側の意見になっているかもしれません。
今回の騒動で話題になった記事は http://b.hatena.ne.jp/topic/300611893821289425 が割とよくまとまっています(おそらく自動生成ではありますが)。これらのエントリを見ると、論点は大きく4つに分けられます。
本エントリでは4つめについて主に述べたいのですが、一応私の立場の表明がてら他の3つについても軽く触れておきます。長くて読むのが面倒だという方は飛ばして次のセクションを読んで下さい。
その場の対応についてはバニラ・エア側も謝罪・対応しており、搭乗拒否したことが問題である点については多くの方が同意するところでしょう。「バニラ・エア車いす利用者搭乗拒否に対するDPI日本会議声明 : DPI 日本会議」でも、やはり搭乗拒否についてが問題として指摘されています。
「LCCに車椅子利用者対応を期待するのは過剰サービスだ」という批判も中にはあるようですが、これは障害者差別解消法でいうところの差別にあたります。コストの理由だけで搭乗拒否することは「合理的な理由」であるとは言えないでしょう。
報道の仕方については、やや見出しが過剰にセンセーショナルであったことは否めないように思います。
「【ラジオ書き起こし】荻上チキ×木島英登×石川准「誰もが暮らしやすいバリアフリー社会を実現するためには何が必要なのか(2017/06/29 TBSラジオより)- "シュプレヒコールを歌え" 」に、「あの、私は、階段を這って上ったことは、僕にとっては屈辱でも何でもなくて。 」とあります。つまり這って上る事自体は木島氏も問題視していません。
一方で最初に話題となった記事のタイトルは「車いす客にタラップはい上がらせる バニラ・エアが謝罪」でした(今は修正されたようです)。このタイトルからは「はい上がらせ」たことが問題であったようにとれる点で、そもそも論点がずれていたと言えます。結果として話題となったのは良いかもしれませんが、論点のずれによって初期の議論が迷走し、木島氏へのバッシングなども引き起こしてしまったのではないかと感じています。
3つ目の木島氏の人格についてですが、私はあまり問題であるとは思っていません。「プロ障害者」という批判があるようですが、当事者として声を上げられるのは当然当事者だけです。「 なぜ声をあげた障害者がバッシングを受けるのか?バニラ・エア問題、本当の争点はどこにある 」にもある通り、「声を上げた」ことは他の車椅子利用者の方にとっても救いとなるのではないかと考えています。
一方で「本来必要とされている事前連絡をしなかった」という非が木島氏にあることはたしかで、この一点のために個人の責任を問われているところがあります。しかしながら、事前連絡が必要であることそれ自体に問題があるのではないでしょうか?すなわち、搭乗拒否が差別であることだけでなく、事前連絡の必要性もまた差別であり解消されるべきものであるということも、今回の件から考えるべきではないでしょうか?これについては次のセクションで詳細に述べたいと思います。
木島氏への批判の理由として、「本来必要とされている事前連絡をしていない」ことがあるようです。今回のケースでは連絡していても搭乗を拒否されていただけであろうことを考えると、この批判は当たらないようにも感じます。しかし一方で、木島氏は普段から事前連絡をしていないようなので、そのことを問題視する方がいるのも理解は出来ます。
特に「車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ」によって、航空会社側の安全管理上の都合が多くの人の知るところになって以降、その傾向が強いようです。
この航空会社側の都合とは、車椅子利用者の方があると事前に分かっていれば対応できるのだから事前連絡をして欲しい、ということのようです。対応できる事自体は素晴らしいのですが、この考えには飛躍があります。その飛躍とは、「航空会社が事前に把握するための負担を、乗客である車椅子利用者が負わさせられている」という点です。
少し話は逸れますが、他のケースとの比較を通じてこの問題点について考えてみましょう。
機内食についての事前連絡の必要性に関して、ベジタリアンや信教、健康上の理由から、マイノリティでも事前に連絡しているという意見がありました。バニラエアで確認してみると、機内食としてベジタリアン用の食事は予約時に選択できるようになっています。バニラ・エアのグループ会社であるANAで確認してみると、さらに多くの種類の食事が選べるようです。
小さなお子さんがいる場合も航空会社は把握する必要があります。この場合も、システムが利用者の誕生日を入力させることによって航空会社は把握することが出来ます。
すなわちこれらの2例では、マイノリティの存在を把握するための仕組みがシステムの中で事前に準備されているということです。
話を戻して、車椅子利用者についてはどうでしょうか?ANAでは「おからだの不自由なかたへの空の旅へのお手伝い|ANA 」にあるように、事前に電話で連絡する必要があります。今回問題となっているバニラ・エアではFAXまたはフォームからの連絡が必要です(「お手伝いが必要なお客様|ご利用ガイド | バニラエア Vanilla Air」)。すなわち、航空会社がシステムとして主体的に車椅子利用者の存在を把握しようとするのではなく、車椅子利用者の方から航空会社に自己主張をするという構図になってしまっています。
もちろん食のマイノリティや幼児に比べて車椅子利用者は少ないという数の問題はあるでしょう。しかし、だからといってその存在を例外として扱って良いわけではなく、存在するのが当然と見なして対応するべきです。マイノリティについて事前に把握する必要があるならば、そのコストは利用者側でなく航空会社側が負担すべきではないでしょうか。実際「障害者への差別的な対応しないよう航空会社に指示へ 国交省 | NHKニュース」でも、「搭乗前に乗客に聞きとる」という航空会社の主体的な行動が要請されています(この記事に対して、やはり木島氏は事前連絡すべきだったとする意見があるようですが、それには前述した飛躍があります)。
一方で、電話で連絡すれば搭乗がスムーズになるというのは、搭乗できないよりは遥かにマシでもあります。それ故この対応を「差別である」と切り捨てることもできません。
つまり重要なことは、「ある行動が差別であるかどうかは0/1で決まるものではなく、比較可能なものである」ということです。今回のような「比較的差別的」な状態は、「比較的バリアフリー」を継続的に目指すことで解決されると私は考えています。
差別が0/1で決まるものではないという話をしましたが、それは「バリアフリー」についても同様です。事前連絡をすれば搭乗できることは、全く搭乗できない場合よりはバリアフリーであるといえます。しかし同時に、事前連絡せずに搭乗できる場合よりはバリアフリーではありません。本当にバリアフリーな社会が目指すべきなのはこの、「事前連絡せずに搭乗できる」という状態でしょう。
1つのバリアフリーな手段が用意されていることだけをもって「バリアフリーだ」と言い張るのは簡単です。しかし、それによって既存のバリアフリー施設の問題点や改善点が見えなくなってしまうという新たな障壁もあります。そのような「なんちゃってバリアフリー」の状態に甘んじることなく、全てのバリアがない「真のバリアフリー」を目指すことが、社会全体としては必要とされています。
もちろん「真のバリアフリー」は理想論であり、全てのバリアを一度に完全になくすことは現実的に不可能です。だからこそ、一つのバリアフリー施策を実施するだけでバリアフリーになったとするのではなく、既存のバリアフリー施策で足りないところを改善しながら一歩一歩「真のバリアフリー」を目指していくことが必要となります。この、漸近的に解消していくプロセスこそが合理的な配慮である、と私は考えています。
今回のバニラエアの場合は、例えば予約時にモビリティ上の特記事項があるか否かのチェックボックスを用意すれば、航空会社は車椅子利用者の利用を把握できる上、ユーザーの手間もそれほど変わらないでしょう。その上で航空会社がどのように対応するか、主体的に決めることも可能になります。多くの種類のマイノリティが存在する中でどれに対応するのかという問題はありますが、サポートする範囲を少しずつ広げながら、差別を減らしていけるはずです。
差別やバリアフリーを0/1で捉えるのではなく、連続的に改善していける社会になればいいなと思います。長い文章でしたが、読んでくださった方ありがとうございました。私より中立的な立場の方からのコメントや、車椅子利用者の方のコメントが頂ければ嬉しいです。
で、TBSはある特定の分野に詳しい人がよく出演して、それについて熱弁する番組が多いのだが
それまで全く興味のなかった分野がテーマでも熱がある分、聞いていてすごく面白い。
野球でこんな伝説の試合があったとか、昔のプロレスはこうだから面白かったんだよとか、それまでダサいと馬鹿にされていた日本語ラップはこうやって根付いたとか、
話が面白いので、それまで全く興味が無かったのに聞き終わった後は少し好きになっているくらいだ。
だが、ことアイドルの話になると一気につまんなくなってしまう。
TBSラジオの出演者はアイドルファンが多く、どの番組でもよくアイドルの話になちがちなのだが、どれもまあ面白くない。
熱弁はしているのだが、なにか外している感が否めない。
「野外ステージでのライブだったんですけど、あいにくの雨で…それでもファンは雨に打たれながら待っていたんですよ。
そして、そのアイドルがステージに出てきた瞬間、嘘のように雨があがって晴れたんです!」
はぁ?何それ?って思うよね。
その話の何が面白いのか…
あとは、芸能人の裏の顔みたいな話をするコーナーで、某大物俳優が裏では金の話しかしねえ汚い奴だったとか、某大物司会者は片っ端から共演者の女に手を出してるとかの話を普段しているのに、
「某アイドルグループの女の子は楽屋で輪ゴムを飛ばして無邪気に遊んでいる」
何それ?って思うよね。そんなショボい話は喋るべきではなかったよね。
ラジオやるくらいの喋りのプロが、俺の興味のない話をしてもとても面白いんだけど、
おそらくそのアイドルのファンなら面白いんだろうけど、アイドルに興味のない人からすれば、「だから何なんだよ」としか思えない話しかしないんだよね。
TBSラジオって、どの番組も面白いのに、どの番組もアイドルの話をしがちで
2016年度全国キャンペーン:ライバルは、1964年|ACジャパン
ACジャパンが今年7月1日より開始した『ライバルは1964年』というCM。
自分がよく聴く民放ラジオ(基本的にTBSラジオ)では結構な頻度でこのCMが流れている。
自分はこのCMを耳にする度に、得も言われぬ不快感に襲われる。
とはいえ単なる根拠に乏しい繰り言でしかないので、そこは留意してほしい。
このCMにおいては、「笑顔」や「夢」、「思いやり」といった根拠の不確かな理由で過去を美化している。
加えてこのCMには「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢、思いやり、心の豊かさで負けているのではないか」という言外の意味も込められていると考えられる。
そうでなければ、律儀にあの頃の日本人と今の日本人を比べる必要なんてないはずだ。
つまり、居酒屋談義としての「昔はよかった」の変奏でしかない。
また、この10年ぐらい俗流の「昔はよかった」に対するカウンター的な言説も勃興している。
これらのカウンター的な言説の場合、だいたいは統計などのデータを用いた上で「昔はよかった」的言説の欺瞞を浮き彫りにしている。
『ライバルは1964年』で提示される「昔はよかった」を構成する要素のうち、「思いやり」は犯罪件数の推移をもとに論駁が可能であるかもしれない。
しかし「笑顔」や「夢」の場合、犯罪統計のような定量データは存在しない。そのため、「笑顔」や「夢(の大きさ)」を昔と今とで比較するのは至難の業である。
結果「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢で負けているのではないか」というCMのメッセージに論駁することすら叶わなくなる。
論駁不可能な概念を持ちだすということは、それだけ「昔はよかった」ことをゴリ押ししたいのだろう。そこにはある種の狡猾さすらも感じさせる。
このCMにおいては、東京で五輪が行われた1964年と東京で五輪が再度行われる予定の2020年とが対比されている。
2020年に向けて日本を考えようというのは、東京五輪に向けた行動をとれというメッセージを婉曲して表現しているということは容易に推測できる。
また、ACジャパンの公式サイトの記載より、「日本を考える」ことは具体的に「(東京五輪に向けた)ポジティブなモチベーションと、日本人の活力を高める」を指すようだ。
今の日本において、五輪は政治的な意味合いが強いイベントとして意識されているようである。
例えば、2012年に取りまとめられた「スポーツ基本計画の策定について」には以下のような文言がある。
(中略)
国際競技大会等における我が国のアスリートの活躍は、国民に日本人としての誇りと喜び、夢と希望をもたらし、国民意識を高揚させるとともに、社会全体に活力を生み出し、国際社会における我が国の存在感を高めるものである。我が国のアスリートによるメダル獲得は、その一つのあらわれである。
また、2009年には塩谷立文部科学大臣(当時)が以下のような発言を行っている。
2016年のオリンピック招致については、立候補ファイルを2月12日までに国際オリンピック委員会に提出することになっていまして、そのために今準備を進めているところですが(中略)やはり、国威発揚ということも含めて、ぜひ、招致を実現したいと思っています。
これらのことを踏まえると、今の日本において五輪は政治的意味合いが非常に強いイベントと位置付けられているようだ。
特に「国威発揚」や「日本人の誇り」といったナショナリスティックな意識の醸成のための手段として強く意識されているようである。
これは、IOCの掲げる「政治的・商業的利用がなされない五輪」という理想とは大きくかい離したものである。
さて、ACジャパンの行うCMの特徴として、政治的・宗教的な事柄は一切扱わないということがある。
(中略)
一方『ライバルは1964年』においては、政治的意味合いが強いイベントである五輪に向けた行動をとれというメッセージが提示されている。
解釈によっては、「日本人の活力を高める」ということもナショナリズムと連関したかたちで捉えられる可能性もある。
このことから、『ライバルは1964年』は政治的・宗教的な事柄は一切扱わないというACの方針とは大きくかい離したCMであるといえる。
可能性として一番高いのは、制作者サイドがIOCの提示した「政治利用されない五輪」という理念を無邪気に信じ込んだということである。
一方、五輪の持つ「国威発揚」や「日本人の誇り」といった事柄は政治的事柄ではないと誤認している可能性も完全には捨てきれない。
愛国心の醸成といったイデオロギー丸出しの教育が「偏向ではない」と見做される時代である。
なお、2002年にも公共広告機構(当時)は『ニッポン人には、日本が足りない』というCMを放映していた。
しかしこれは国際交流の推進を目的とするものであり、『ライバルは1964年』とは似て非なるものである。
ACジャパンの公式サイトに新聞広告の画像データが掲載されている。
小学生が作ったような(プロとしては)粗雑なコラージュに、テレビCMのナレーションが文章としてこれみよがしに綴られている。
iPhoneユーザーっていうこともあって、razikoが死んだという悲報を今さらながら知った情弱なんだけれども。TBSラジオのPodcastの終了が結構騒がれていたのに対してraziko終了のお知らせにブクマ数少なくねえか?21て。だれもRaziko使ってないのか?俺みたいにiPhone勢だからか?
以下駄文。悲報を知ったのがRadikoホームページの下の方にある死亡告知だったんだけど、見たら録音機能が大本営にとって問題だったからPlay Storeから消させたみたいで。なんでエリア外の聴取機能みたいに「録音機能を消せ」じゃなくて「Play Storeから消せ」という事になったのか分からないのがまず一つ。(酷似名称だったからか?)
もう一つが何で今なのかっていうのもあって、Radiko.jpとしては録音機能を付ける気は無いけれど、サードが録音機能を付ける事は問題ないよっていうスタンスなんだとずっと思っていたから今回のはとても驚いたって言うのが正直なところ。あと、例えばポケモンGoみたいにまだ始まって1ヶ月とかなら良いんだけど、もう何年経ってるのって言う話で、『厳しい財政基盤の中、権利者やラジオ局の皆様との間で着実な条件整備の努力』を全く感じない。これを見てあぁ、もう終わってんなって思った。今までテレビ業界よりも必死さがあってネットでラジオ放送を聞けるようになってるんだな、不十分かも知れないけれど評価できるなとかは感じてはいたけどやっぱダメじゃんと。アプリがiPhoneの画面サイズに未だに最適化されてないし。ていうかradiko社は1億儲かっているらしいし。
俺はエリア外の放送はそもそも聞かないし(日曜天国だけは聞きたいけど)、録音は普通にソニーのラジオを使っているからまだ大して困らないけれど、特にエリア外の放送を録音する人にとっては大変だってなる人多いような気がする。MacでLoopbackとかQuicktimeでやっちゃう人ばかりじゃないだろうし。
>> 録音なんてスクリプトが解説付きでいくらでも転がってんじゃん。 プレミアム対応のやつが。 <<
知ってる。使ってないけど。ごめんね。
82年〜83年 アメリカ・ペンシルバニア州クエーカー タウンフリープレス紙に職場留学
89年8月 毎日新聞社退社
2002年10月〜テレビ朝日系列「ザ・スクープスペシャル」キャスター
2002年10月〜2011年3月 「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)月~木曜日コメンテーター
2003年4月〜2005年3月 関西大学社会学部教授(マスコミ専攻)
2004年4月〜2005年3月 「僕らの音楽」(フジテレビ系列)
2005年4月〜 TBS ラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」(月曜日スーパートーク)
【賞罰】
2001年4月 「日本記者クラブ賞」(桶川女子大生ストーカー殺人事件報道に対し)
(ザ・スクープスペシャル『警察の裏金追及第一弾、第二弾』に対して。
『うちのお父さんは優しい 検証・金属バット殺人事件』(共著明窓出版)
『ニュースの職人 「真実」をどう伝えるか』 (PHP研究所)
『歳には勝てる』(マガジンハウス)
2015年 9月26日『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』 最終回
2015年10月 3日『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』放送開始
2015年12月 9日 野坂昭如逝去 * 『六輔七転八倒九十分』「野坂昭如さんからの手紙」
2016年 3月 4日 小林悠、TBS依願退職 * 『小林悠 たまむすび』
2016年 4月 6日 秋山ちえ子逝去 * 『秋山ちえ子の談話室』
2016年 4月 8日『大沢悠里のゆうゆうワイド』最終回
2016年 4月 9日『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』放送開始
2016年 4月11日『伊集院光とらじおと』『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』『ジェーン・スー 生活は踊る』放送開始
2016年4月頃 爆笑問題、高橋秀樹、高橋維新と論争 * 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』
2016年 6月 2日 荻上チキ、ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞 *『荻上チキ・Session-22』パーソナリティ
2016年 6月 8日 田中康夫、参院選出馬表明 *『ナイツのちゃきちゃき大放送』準レギュラー
2016年 6月14日 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』放送1000回
2016年 6月30日 ポッドキャスト配信終了、「TBSラジオクラウド」に移行
2016年 7月 4日『いち・にの三太郎 赤坂月曜宵の口』放送開始
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1606/06/news112.html
小学生からラジオを聴いていて、今は完全にポッドキャストに依存していて、しかもほとんどがTBSラジオなのでお耳の恋人が居なくなる。
TBSラジオがやめるのは仕方ないことだけど、素直にさみしい。
関西在住。大学時代から10年以上TBSラジオをpodcastで聴きつづけてきた。
今回のpodcast終了の発表で、twitterのタイムラインは悲鳴で埋まった。私も悲鳴を上げたうちの一人だ。
新サービスのストリーミングを試したが、失敗の予感しかしないので理由を書く。
TBSラジオを愛するリスナーの一人として、改善を願っています。
悪いところ
飛行機内、新幹線での移動中、地下鉄、海外旅行中などではそもそも聴けなくなる。
・iPodやタブレット端末など、WiFi以外の通信が出来ないものは外出中聴けなくなる。
上と同じ理由。
・移動中に聞くとパケットを圧迫する
podcastは通学中、出勤中、ランニング中などに聴く人が多いと思う。ヘビーリスナーほど通信費がかかる。
・ながら聴きがしにくくなる
podcastアプリならバックグラウンド再生しながらゲーム、ブラウジングなどが可能だったが、プラウザでストリーミングを開いている状態だと、気になったキーワードを即検索したりしにくい。
・お気に入りを保存しておけない
無理だよね。。
無理だよね。。。
・倍速再生出来ない
いつも1.5倍速で聴いてるので、もう普通の速度だとスローに聞こえて苦痛。
・会員登録しないと全部聴けない
いいところ
・一週間以上たっても消えないでアーカイブが残る
ありがたい。podcastも昔はこうだったんだけどね。
利用者からすると、圧倒的に出来ることが少なくなり、利便性がさがってしまう。
10年以上聞き続けてきた私でさえ、この不便さに耐えて継続して聞き続けられるか不安だ。
この知らせを聞いて、自分がラジオリスナーではなくてpodcastリスナーだったんだなあと気がついた。
TBSラジオ、ポッドキャスト終了 10年超の歴史に幕 「収益化のめどが立たないため」
長年愛聴していたTBSラジオのPodcastが終了する。mp3で聞けなくなるのは困る。そこでどうするかを考えた。
1. radikoを録音できるフリーソフト「Radikool」を使う。
このRadikoolには自動的にiTunesに登録する機能があるので、聞きたい番組を録音予約するだけでいい。その後でiOSデバイスなりAndroidなり携帯音楽プレーヤーなりに転送すればいい。
月額350円を支払って、radikoプレミアムに加入し、Radikoolでradikoプレミアムを有効化して録音する。VPNを使ってTBSラジオを聞く方法もあるが、常に録音成功するわけではなく、失敗する可能性が高い(体験談)。
CravingExplorerなど、動画を自動的にmp3に変換してiTunesに登録できるソフトを使用し、Youtubeやニコニコ動画などから目的のラジオ番組をダウンロードする。TBSラジオは人気が高いので、たいていの番組はアップロードされている。ただ手動でダウンロードするのは意外と面倒ではある。
3. radikoプレミアムに入りたくないなら、スマホを直接PC、もしくはラジカセにぶっ挿して録音する。
これはTBSラジオが聞ける環境の人ならRadikoolで事足りるので、radikoプレミアムに入りたくないないがTBSラジオは聞きたいという人向け。
iOSデバイスならPrivete My Privacyという脱獄アプリで位置を偽装、AndroidならrazikoというアプリでradikoでTBSラジオが聞ける。それをそのままPCやラジカセに直接接続し録音する。超アナログな手法だが、意外と使える。
http://anond.hatelabo.jp/20160503190535
先月初頭まで放送されていた『サタデー大人天国 宮川賢のパカパカ行進曲』というTBSラジオの番組。
リスナーの失敗談を電話経由で披露するというものだ。場合によってはいくらか賞金も獲得できる。
自分もこの番組に出場しようと幾度か電話をかけたことがある。その際、まずオペレーターにつないでもらう。
オペレーターの前で一度披露したい失敗談の内容を話すことで、出場できるかどうかの判断が下されるからだ。
自分のよう出場を希望する人が電話経由でエントリーする場合、オペレーターとのやり取りをもとに出場の可否が判断されるのは当然である。
一方、この番組はメール経由での出場者募集も行っていた。披露したい失敗談を記したメールを番組側に送付することで、エントリーが行われる仕組みだ。
メールでエントリーを行い、なおかつ(記載された内容をもとに)出場ができると判断された人の場合においても、何度かオペレーターやスタッフとのやり取りが行われていたという。
恐らく、オペレーターやスタッフとのやり取りは、電話で変なことを言わないかというスクリーニングという側面もあるのだろう。
他の番組はどうか知らないが、意外と似たような感じではなかろうか。
私はラジオが好きです。
最初はニッポン放送のナイナイや西川貴教、文化放送の声優、ネット配信のラジオなどなどと聞いてきました。
そして、ここ数年はTBSラジオの「JUNK」(水木金)を聞いている。
特に先週のスペシャルウィーク(以降SW)がびっくりするほどつまらない!!
まず、オープニングトークでキスをする仕事をしたという話、次にゲストの千鳥を呼んでリスナーから募集した漫才。
コーナーを抜いたらこんな感じだ。
オープニングは冒頭からオチが読めるし長すぎる。自分はこんな感じで挑んだ・こんな事が起こったという話で約20分。
苦痛以外の何物でもない。しかも、事実起こった話なのにオチに自分の妄想トークを混ぜて引き延ばす。
更に千鳥・・・、これが酷い。仲の良い先輩後輩らしいのだが、山里はただの接待トーク。
千鳥はリスナーの漫才を改変したり、間違えたり、しかも、2時時報で有名人のモノマネするところで大悟が知らずに話そうとする。
。自分の出るラジオぐらい聞け!こんなんだから東京で売れないんだ、とっとと大阪に帰れ。
唯一面白かったのは子供達を責めないでなのだが、それも期待値内の面白さ。
返しが普通なんだ。
100点中20点
けんちゃんバーガーという矢作オリジナルハンバーガーを作ろうという企画。+ジブリ
その調理の合間にTBSラジオの有名人が番宣CMと共にけんちゃんバーガーと流れる。
ハンバーガーを食べる前に小芝居でジブリ作品の一部をやったり、バルスと叫んだりするのだが、ただ単純に寒い。
後半から素人のいらっしゃいませなどけんちゃんバーガーでの音声を募集したのも流したのだが、それもただ単純につまらない。
メガネびいきで基本的に面白いのは批評のコーナーだけだが、SWだからそれもない。
100点中35点
T-STYLEというコントから派生したものの企画会議+有名人に広めてもらうという企画。
まず、T-STYLEを有名人にツイッターなどで言ってもらうという企画なのだが、番組に有名人が出るってメガネびいきと被ってるだろ!
更に、T-STYLEが追加で曲を作るというのが途中で明かされるのだが、なら本気で作ったのをまず流して欲しい。
サンプルみたいなを流してグダグタ打ち合わせするより、しっかり作った上で本気の打ち合わせ見たな方が面白い。
こっちはショーを聞いてるんだよ。
番組終わりに三山ひろしが出てくるんだが、Podcastにも出てきそうで怖い。
100点中35点
多数のレギュラーを抱えて、他にも特番なんかもやってたりする。
だから、ネタが無くなって年々面白さが低下するんだ。忙しすぎるのだ。
山里はどんどん綺麗な山里になろうとする、お前からクズさを取ったらただの三流芸人だろ!
おぎやはぎはクダクダさに甘んじている、ちゃんとやろうとした上でのグダグダだから面白いんだろ腰巾着芸人が!
バナナマンは駄目なさまぁ~ずになろうとしている、だから年々コントの質も低下してるんだ、日村は設楽に逆らえ、サブカル気取り芸人が!
http://www.tbsradio.jp/ss954/podcast/
http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20151110fukuro.mp3
宮地昌幸(千と千尋監督助手、Gレコ・進撃・ハイキュー・SAOの絵コンテなど)
・現在のアニメ業界はオリジナルものが作りにくい状況になってきている
・基本的に原作もの、しかも既に売れている題材がまず選ばれ、もうペイできることが第一前提で動く。
スタジオの名も売れて、それが2本ぐらい続けば
「オリジナル物も作れるかもね?」っていう業界のルールが何となく出来ている
・アニメーターはオリジナルものでも、原作ものでも自分を反映させやすいので腕は鈍りにくい
・デザイナー、演出、脚本の場合は原作ものを沢山やっていると、いざオリジナルをやろうとした場合、脳がフリーズしやすくなる
・こういう話をするとオリジナル>原作ものと思うかもしれないが、
オリジナルを作る時の訓練にはなるので一長一短
・1クールの1話は凄い安くて1000万。宣伝費など込み込みだと2000万。
1クールだと大体2億。
なので「今季◯◯切ったわー」というツィートがよくあるが、見るたび辛い気持ちになる
・現在、オリジナル作品が出た瞬間、すぐ「◯◯に似てる!」「あれに似てる!」とツッコミ倒して、潰していく空気になっている
どうか落語の古典と新作落語の関係で見てほしい。ちょっと落ち着いて見てほしい。
・自分が監督になりオリジナル企画を通したい場合、原作ものを何回か当てて名前を売って
彼の看板番組『session-22』では毎回各分野の専門家を招いておもしろ生トークを行っている。
で、この「専門家」たちが曲者で、要するにオタクという生き物は何かと無神経だ。
彼らの無神経さが特に発揮されるのが、内輪ギャグを言おうとするとき。
専門家の内輪ギャグとは即ち業界ジョークであり、パンピーの視聴者には面白い面白くない以前に理解不能であることが多い。
しかし専門家はそのへんの機微がわからないので、ついついサービス精神から内輪ギャグを口走ってしまう。そして、往々にして内輪ギャグは「不謹慎」「無神経」になりがちだ。
それをチキさんは軽やかにスルーする。ノリが軽めのセッションの場合は受けに回ることも多いが、政治ネタなどの真面目なトーンのときはギャグをギャグと理解できないフリしてスルーする。『session-22』に出る人はたいがい頭のよろしい知識人様どもでありますから、「スルーされること」で次から気をつけるように鳴る。(時に相手が明らかに配慮の足りない発言をした場合はチキりんりん直々に注意が飛ぶこともある)
あまりに自然にスルーので聴いてるほうで「あ、これはスルーしたな」と察知するまで少しラグが生じ、気づいたころにはもう次の話題に移っているので気にしてる暇がない。頭の回転と口のまわりの早いチキりん一流のトーク術がさりげなく発揮されているのである。
ところで、ここで確認しておきたいのだが、内輪ギャグそのものが政治的に正しくない発言を生むわけではない。「内輪ギャグを言ってもいい雰囲気」、狭いサークル内で誰かによっかかれる雰囲気というのが政治的に正しくない発言を生むのだ。
おやじ社員のセクハラはその時代の雰囲気、その社内の雰囲気がセクハラを許容する(と本人がみなしている)から発生してしまうのだ。
その雰囲気を確認する手段が寄っかかりである。内輪ギャグを対面の相手に振ることで「内輪」の流れを作り出し、政治的に正しくない土壌を耕すのである。人によってはこれを「マウンティング」と呼称するかもしれない。
チキりんりんさん氏はこの流れをせき止める。峻拒する。飲み会でやれば親父を「なんだこの空気の読めない若造は」と鼻白ませる行為であるが、『session-22』はチキチキマシーンりんりんさん氏の番組であり、場の空気とは彼のことだ。彼が気に入らないと言えば、それは通らない。
彼が徹底的につまらない内輪ギャグをスルー、あるいは叱責することで『session-22』はリベラル番組として、政治的な正しさを担保している。しかも決して攻撃的ではない形で、上品な形で、である。右といえば極右、左と言えば極左にドリフトをキメてしまいがちな生まれついての走り屋人種日本人にあって、このバランス感覚は稀有といってもいい。(ただしイケボにかぎる)
ポリティカル・コレクト的に正しいトークがなんたるかを知りたい人はTBSラジオ『session-22』を聴こう!